42歳の誕生日を迎えて
数日後に
がんの告知を受けたので
がんになってから
初めて迎えた誕生日は
感慨深いものがありました。
肺にも影がある
リンパにも腫れがある
と言われた直後は
子宮体がんステージ1〜4
卵巣がんステージ1〜4
またはダブルの場合の説明を受けて
誕生日どころか
桜も見れないんだろうなぁと
人生の終わりを意識しましたから
余計にそう感じられたのかも
しれません。
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段々と年数を重ねてきて
わたし自身が
治療後の後遺症がありながらも
こうして生きて
誕生日を迎えられることは
尊いと思います。
ただ、だんだんと
しんどく感じる事もあって
それは自分自身でも
コントロールが難しいなと。
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私はYouTubeをやっているので
毎年なんらかの形で
誕生日だったり
経過観察だったり
何か区切りの時には
短いものでも動画にして
アップしたりするのですが
今年はやめました。
これまでのものはこちらから⬇︎
理由は
誕生日当日に行ったライブでも
お話してるんですが
(激しく泣いてしまったので聴き取りにくいです)
まとめるとこんな感じです。
がん告知から6回目の誕生日を
迎えることができました。治療による後遺症がいくつかありますし
こんなに元気になりました!!
とは言えません。
また、私自身ががん治療を終えてから
父ががんになり、
その後は夫ががんになり、
夫に関してはがん宣告と余命宣告を同時に受け足も動かなくなると。
そして在宅治療ののちに
私自身2度目の
配偶者との死別を経験しました。
この6年の間には
動画やLIVEでは
まだお伝えしていないことも
実はあって
本気で命と向き合ってきたなと
思う一方で
失った命に対しての罪悪感は
今もあるわけです。失った命=夫のことだけではありません。
それについてお話しようとすると
なかなかうまく話せなくて
今までお話できていません。
誕生日は
29才で初めて死別した年から
苦手になりました。
何故なら私の誕生日の数日後に
最初の夫が亡くなったからです。
誕生日の日は意識がなく
亡くなる予兆と言われる
呼吸をしていました。
ただ、自分ががんを告知されてから
約1年経過してから迎えた誕生日
やはり特別な日だと再認識しました。
ただ嬉しいというよりは
また次の誕生日まで生きれるかな?
という指標になっているのかもしれません。
私は私らしく
無理せず
でもできるだけ
笑える時は笑って笑顔で生きていきたい。
そしてできるだけ後悔を少なく。
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誕生日用の動画に
こんな暗い動画をアップするの?
なんか違うなと。
ライブも本当は
この内容でいいのか?
って思いましたけど
私のスタンスはいつも
ありのままなので
今の気持ちは隠さず話してみました。
悲しい経験やトラウマを
抱えている人は
私だけではないと思います。
たまたま誕生日に
それが重なってしまった。
それだけのこと。
時が経てば忘れる…
時が経てば…
とよく言われますが
それは残念ですが
難しいんです。
フラッシュバックは
何かの拍子に起きます。
例えるなら
がんの人たちの中で
よく言われる
一般の友達からの
『元気そうだね』
『もう治ったんでしょ』
の言葉の刃の様に思います。
わたしがメンタルクリニックに
長く通っている理由は
いくつかのものがありますが
配偶者との死別
が最大の理由です。
へ〜、そういう人も居るんだ。
くらいに思っていただければ
それで充分です。
お読みいただきありがとうございました。
食べるものはしっかりひとりで
秋には少し元気になるはず
気合いも入るはず