”集会に行きます” | ヤメ証しんきちのブログ

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元JW2世のしんきちです。
これまでの半生を振り返って整理するためのブログです。
書きたいことをすべて書いてしまったら更新を停める予定です。
共感してもらえたり、誰かの参考になったりしたらいいなと思います。

って思ってたんですが、ちょっと考えが変わりました。
というのも、
 
1、ものみの塔の研究記事ではブロキャス以上の情報があまりなかった。
 
これは前回と前々回の記事で詳しく書きましたが、改めて集会で‟研究”するほどのことはありませんでした。
 
てか、研究記事の主題ってあんまり見てなかったんですが、これはひどいですね。
「エホバがしてくれたこと」「エホバは…思っている」
「してくださった」「思っておられる」じゃないんですね。
神様に対してこれほど敬意と感謝の欠けた宗教はほかにあるでしょうか。
 
詩編にこんな言葉があったはずです。
「死すべき人間が何者なので、あなたはこれに思いを留められるのですか。地の人の子が何者なのであなたはこれを顧みられるのですか。」
 
あと、記念式のパンフレットに書いてある「イエスが贖いとして死んでくれた」も嫌いな表現です。
イエスの贖いの犠牲って信仰の根っこも根っこの部分ですよね。
全人類はそれによって贖われ、神様との和解が可能になり、救われるようになったというのがキリスト教の根幹です。
しかもお金や名誉なんかじゃなくて、一度失ったら取り戻せない貴重な命を差し出してくださったんですよ。
それをこともあろうに、その贖いの犠牲を思い起こさせる記念式でそんな表現を使うとか、部外者ながらむかっ腹が立ちます!
その程度の記念式なんかやめちまえ!
 
話、戻します。
 
2、連続して何度も土or日に仕事を休むのは現実的に無理。
 
全部で5つの研究記事にわたっています。
ということは5週間、しかも連続。
ものみの塔研究はだいたい土曜の夜か、日曜日にあるので、行くとしたら仕事は休みをもらわなければいけません。
別に復帰を目指してるわけではないので、そこまでして集会に行く理由はありません。
よく考えたら現実的に無理でした。
 
3、母の様子が多少軟化したかも?
 
元JWの先輩と話している中で、「親は年取ると丸くなっていくよ」って言われたことがありました。
母も65歳を過ぎて高齢者の仲間入りです。
最近のこの記事では

こういう書き方しましたが、態度は穏やかで話は平和的にできたんです。
これが「丸くなる」ってことなのかなと思いました。
 
という状況なので、いたずらに母や弟を動揺させる必要もないし、メリットもないと思うようになりました。
むしろ今が大事なチャンスかもしれないので、慎重に慎重を重ねて行動しなきゃと思っています。
なので母の会衆の集会には行きません。
 
かと言って、今住んでる地元や近隣の会衆もNGですね。
生活圏だとどこかで会うかもしれません。
地元の観光施設で接客業をしているので、職場で会うという可能性もあります。
住所突き止められて、長老からの訪問とかめんどくさいことになりかねません。
 
なので、生活圏外の全然関係ない会衆がいいですね。
排斥者としてではなく、出張でこっちに来ていたので出席したみたいな感じで。
あ、でも歌もよくわからないし、聖書も古いからすぐバレるか。
 
いっそのこと、逆に排斥になった会衆もアリだなとか思ったりもしています。
あの人とかこの人とかどんななってんだろうって単純な好奇心です。
あと、エホバの証人やめたからって不幸になってませんよ、むしろ心身ともに健康的に過ごせてますよってのをアピールしたいですね。

Xデーまでまだ時間はあるので、作戦練ってみます。
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