野球の思い出 | ヤメ証しんきちのブログ

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元JW2世のしんきちです。
これまでの半生を振り返って整理するためのブログです。
書きたいことをすべて書いてしまったら更新を停める予定です。
共感してもらえたり、誰かの参考になったりしたらいいなと思います。

随分と間が開いてしまいました。

 

仕事がめっちゃ忙しくて体力もメンタルも削られていました。

 

ストレスコントロールは割とできる方だと思っていたのですが、今回ばかりはメンタルやられてました。

繁忙期過ぎて休みももらえて、ちょっとずつ回復しているところです。

 

しばらくは皆さんのブログを読んでいいねをつけるのがやっとで、コメントをすることもできていませんでした。

 

そんな中で懐かしい記憶を蘇らされた記事があったので今回は勝手にリブログさせていただきます。

 

中年羊さんのこの記事です。

 
スポーツ全般が苦手な私ですが、そのなかで唯一好きなのが野球なんです。
中年羊さんとは逆で恐縮なんですが…。
 
これは父の影響が大きいのだと思います。
父はエホバの証人になる前は社会人野球もやっていて、小さい頃にはナイターの試合を見に行ったりもしていました。
でももともと高校球児だったわけじゃなくて、高校時代は陸上部だったって言ってたような気がします。
地元の同級生とかもいたようなので、そういう繋がりで参加していたんじゃないかなと思います。
 
そういうところから、父から野球を教えてもらいました。
部活はやっぱり野球をやってみたかったと思います。
 
以前の投稿で書いたかもしれませんが、私が小学生~中学生のころに通っていた王国会館のすぐ近くに河川敷があって、そこでよく野球をしていました。
日曜は集会が午後からだったので、着替えと野球道具一式を車に積んで集会に行き、終わった後は暗くなるまでそこで野球をするというのをやっていました。
最初はうちの家族だけだったんですが、そのうち私たちと同じ年代の若者たちも参加するようになってきました。
 
日が落ちてしまうと野球ボールが見えなくなってしまうので、そのあとはサッカーをしていましたね。
サッカーボールは野球に比べると大きいので、文字通り真っ暗になるまで遊んでました。
 
近隣の会衆と野球場を借りて、ナイターをしたこともありました。
私たちはいつも河川敷でしていたので「○○(会衆名)河川敷チーム」とか名乗ってました。
 
あのころは会衆内に若者たちもほんとうに多くて、そういう意味では楽しかった思い出もたくさんあります。
学校の友だちとは遊べない分、同年代の繋がりってかなり強かったと思います。
 
中年羊さんも書いていましたが、野球をやるのは結構大変なんですよね。
道具もたくさん必要ですし、ルールも結構複雑です。
 
まずはバットとボール。
ボールも1個だけだと遠くに飛んでなくなってしまうかもしれませんので、予備がいくつか必要です。
バットも大人用と子ども用の2本は要ります。
 
そしてベース。
これは最悪段ボールなどでも代用できますね。
 
グローブ。
最低でも9個は要ります。
 
意外と重要だったのが、キャッチャーマスクです。
バットに掠ったボールをよけきれず、顔面に当たってしまうことがありました。
素人なら余計必要です。
大怪我につながりかねないので、集会後の河川敷野球が定番になってきたころ父が買ってくれました。
 
他の道具もどういうわけか父がどっかからもらってきたりして、それなりに揃っていました。
そうするとほんとに大荷物で、野球をするときはコンテナ2個を毎回車に積んでいました。
 
そういえば、最初は確か父はまだ集会に行ってなかったような気がします。
集会後、河川敷で私たちと合流して遊んでくれてたんですね。
それがきっかけで兄弟たちとの繋がりができて、同じ年ごろの子どもをもつ兄弟と研究をして、最終的にはバプテスマを受けてしまうんですが…。
 
サッカーはほんとにボール1個あればできちゃうんですよね。
 
アフリカでは子どもたちはビニール袋を紐で縛ってボールにして遊んでいたのを見ました。
石を並べてゴールにしていました。
大人も傾斜や穴のあるようなグラウンドでも平気で試合やってたりします。
物がなくても、どんな年齢でもできるスポーツなんですね。
サッカーの偉大さをまざまざと見せつけられました。
 
足が遅くて運動が苦手な私。
「ボールは友達」とか意味がわかりません(笑)。
 
あと、1つどうしてもサッカーが苦手だった理由がフィジカルコンタクトがあることです。
ぶつかり合ったり、タックルしたり、時には相手を押したり引っ張ったりする場面があります。
もちろんルール上許されることですが、兄弟ゲンカで鞭されて育ってきた私にはそれがとっても苦手だったんです。
JW仲間とプレーするときは特に。
お互いどうしても熱くなってしまう場面もありますが、そういう時にみんなどうやって気持ちを抑えているのか不思議でした。
そういう意味ではバスケットボールも似たような感じがありますね。
 
何の因果か排斥後に独り暮らしをしたアパートは野球場の隣で、そこは父が社会人チームで野球をしていた球場でした。
夜、球場の明かりが点いているのに気づいて、試合を見に行ったことは何回もあります。
父が亡くなってまだ数年しか経っていないころでしたが、無意識のうちに父の面影を探していたのかもしれません。
 
中年羊さん、思い出を呼び起こす記事ありがとうございました。

あ、高校野球に関してはまた違った思い入れがあるので、そっちは別の時に書きたいと思います。
  翻译: