近年、9月1日周辺は関東大震災で起こった朝鮮人虐殺とそれに関連しての記述を中心にしてきました。虐殺をなかったことにして「朝鮮人の行動が悪かったから殺されても仕方ない」と平気でなじる行為が、ここ数十年は抑えられてきた「異常事態に乗じた虐殺案件を再び起こさせる」ものとして危機感を覚えて「虐殺容認 朝鮮人ヘイトは違うだろ」という意思を示し続けています。
その一方で様々なストレスを少数民族・非多数派に向けて憎悪を発露しあわよくば彼らを怒らせて危害行為を呼び起こして“火種”にしようとしている連中がいます。川口・蕨のクルド人関係で憎悪を撒き散らしている石井孝明などの策動を加速させるものとなっています。
もう一つ見逃せない傾向が。これらの行為に抗議する意思を封じ込めようとする策動もなされている。これはネトウヨと呼ばれる右翼勢力もそうですが、“リベラル”サイドにいる人たちがそんな態度を取らせようとしていることに嘆息。
対クルド人を意識した川口市議会の意見書に賛同した議員とそれを擁護する人たち、今週に入ってからは権力者あるいは多数者による不条理な行動に抗議する行動を防ぎ止めようとするネガティブキャンペーンが蔓延っています。実例として引地耕太氏の「怒る奴は暇人 社会は怒ったら負け」とか、「(リベラルの意見は)“正義”に依存している」と揶揄する星野智幸氏の発言がそれ。
簡単にどうにもならない社会に対して粘り強く行動するのに疲れた人たちが意志を棄てて「多数派の不条理な行動に寛容になれ」…もっと言えば屈服して転向することを求める言動が多くなっている。それは身近な社会活動でもそういう風潮が起こっていて、「共産党の意見はもう受け入れられない その意見を棄てて多数派に阿れば“支持が増える”」とかいう言われ方もされています。
それまでやってきたことを否定するような要求、受け入れられると思いますか。
ここ数回の記述で「左翼的な思考回路を失わせない」と書いてきませんがどうやらそれすらも生ぬるいようですね。細かいこと書くこともできますがとりあえずは「不条理多数派に同調して折れてしまえというような中身のご意見は聞いてやらない」を保持する。
少々のエサを得るために「折れた」ところで、飲み込まれて壊されるのですよ。
1つの意志を壊されることがどうしても嫌ですからね。
「自閉症の出来損ないが大したこと抜かすな」とか言われるんでしょうね。
ああそうですよ。自閉症で出来損ないなのは私本人が知ってますので。
意志を譲って跪けば自分の生活だけが保障されるわけない、ということで意地張らせていただきます。