「死への準備が困難となった時代
「あすは死ぬと決めて、兵士は今日どう過ごしたろうか。」
レイテ湾海戦で散った特別攻撃隊員の心情を想い、1995年10月20日付け朝日新聞夕刊コラム「きょう」の筆者はこう記している。今からわずか半世紀前の我が邦には、眼前の確かな死を前にして、今の時をとにかく生き抜いた若者達がいた。その生き様は十人十色であろうが、その一つ一つが死に逝く者にとっては、死への準備であったに違いない。だが、その時から50年経った現代を生きる我々にとって、死への準備はいかに困難となったことであろうか。そもそも人生80年の時代においては、いのちに限りがあることすら人々は忘れ去ったのかもしれない。人生の春夏を生きるものが、人生のはるか彼方に存在する死に対して思いを寄せることは、至難の業となった。また人口の高齢化は国を挙げての重大問題ではあるが、この問題を論じるにあたって、老いへの準備は同時に死への準備でもあるという、根本的な視点が欠落しがちである。その結果、人々は当然来るべき死から目を背けて、老いた生の無批判な長らえに固執することすら稀ではなくなった。こうして、平均的な人生を誰もが平凡に歩むことができるようになった現代では、日々の生に対する人々の緊張感は乏しくなり、死は日常生活から疎遠となるだけではなく、老いと抱き合わせた形で老人固有の問題へと変質していった。
「死は死んだ」と嘯(うそぶ)く現代人にとって、かくして死への準備はきわめて困難な作業となり、その意義を論じることすら一見不毛の感がある。この点は、ほとんどの人が生を終える病院においても同じである。と言うのは、病院における死は、患者にとっても医療者にとっても敗北であり認めがたいことゆえ、死に逝く者にも看取る医療者にも、死への準備を整えることは至難の業だからである。ところが、死が人々から疎外され、死への準備が死後と化した現代においても、死への準備を見事に整えて死に逝く人々が、わずかではあるがたしかに存在する。その実例は、在宅ホスピスケアを選択する末期がん患者に見ることができる。
がん死する患者の平均年齢はその他の原因による死と比較して若く、しかも現代医療の水準で「不治」と宣告されてから死までの期間は平均数ヶ月と短い。しかも在宅でのホスピスケアを希望するほとんどの患者は、自分の命が限られていることを自覚している。このような状況下にあっては、かつての特攻隊員がそうであったように、「今の時をいかに生きるか」を患者や家族は真剣に問わざるをえない。従って、患者や家族が選択する在宅ホスピスケアは、死への準備の一つの形であると同時に、その実践の中に、当事者の死への準備の具体的な姿を我々は見ることができる。」
(河合隼雄・柳田邦男『現代日本文化論6-死の変容』岩波書店、252~253頁より)