信玄 謙信 一騎討ちの像
長野県長野市小田島町 川中島古戦場 八幡原史跡公園
1561年10月17日(永禄4年9月9日~10日)、1553年天文22年から三度に渡って勃発してきた越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄による川中島の戦いがこの日、4度目の激突となりました。
半月以上 妻女山に陣取り、武田軍の動きを観ていた上杉謙信は、海津城から昇る炊煙がいつもと違うことから出陣があることを察知、八幡原に本隊を配置した武田軍が、別動隊が突くことを見破ります。
二手に分かれた武田軍の本隊を叩くべく夜陰に乗じて妻女山を降りた上杉軍、夜明けの霧が晴れた時に武田軍の眼前に上杉軍が現れたため、武田軍は動揺し、序盤戦は上杉軍が圧倒しました。
二万の軍勢の一万二千を妻女山に向けた武田軍に対して、全軍を八幡原に集中した上杉軍は約五千の兵力差があり、武田軍は防戦に終止します。
武田の本隊も危なくなる中、信玄の実弟 信繁や重臣 諸角虎貞らが戦死、妻女山を突こうとした武田軍別動隊が急ぎ八幡原に雪崩れ込んだため、挟み撃ちを警戒した上杉謙信は軍の退却を決めました。
最大の戦いとなった四度目の激突も、決着がつかないまま終了し、八幡原は両軍の約六千もの屍が残されました。