秋の市議会がいたるところで始まっている
少しばかり品のない名古屋弁で、みっともない行動を起こし
我が市の首長でなくて良かったと思われる名古屋市長の河村さんだが
以前、彼の講演会ではなかなか参考になる話があった
(覚えているのは、そのことだけかもしれない)
それはアメリカの地方議会の議員は議決では
党の拘束を受けず、自らの判断を優先するようになっている
という話で、拘束を受けるのは国に関連することだけらしい
ところで日本では市議会で一般質問を傍聴したり
中継を見ている人はどのくらいいるのだろう
少なくとも我が市の議員さんに関しては、一般質問の質が高いのは共産党のAさんだ
丁寧な語り口で、よく調べ上げた資料を元に一般人がこうしてほしいとか
お金の使い道に関して問題提起を繰り返している
(確かに、こうしてほしい財源は果たしてどこにあるのか?の疑問はないではないが)
正直なところ、前回の選挙で有能な女性議員が誕生するまで
市議会の一般質問の質は彼が群を抜いていた
(経験豊富な2人の議員、財務に詳しい議員さんもなかなか興味深い時がある)
ところが、彼は「共産党だから」という点で問答無用で批判の対象になることがある
(数年前あった懲罰動議もその一つと思う)
流石に行政からはそういう否定的な言葉は出てこないが
もしかしたら批判されることが多いので面白く感じていない人はいるかも知れない
共産党嫌いは議員さんの中に多いようだ(自民党絡みの)
それは共産党のAが何を言おうが、共産党である限りは認めない
とした態度のようにさえ思える
以前、真面目でひたむきなAさんのことを心配して
「共産党を辞めてみては」とアドバイスした人がいた
そうすれば真面目な姿勢だけが評価されるだろう、と見込んだためだ
Aさんの選挙時の投票数はいつも上位1番か2番だ
それは共産党の組織票というよりは
一般の人が若い彼のひたむきさを評価してからと思われる
つまりは現場(市議会での行動)を見れば、
党とは関係なく彼を評価する人が多いということで
彼の議決判断もアメリカのように党の方針によるものでなくて
彼自身の判断に任せたら、もう少し融通が効くものになっているような気がする
(なんでも反対は少なくなる気がする)
日本の社会はいろんなところで属性で人格さえ評価される
共産党だから、先生だったから、会社の社長だから、お金持ちだから
つまりはその人の人格をなす部分ではなくて、それ以外のことで
その人をわかったような気になっていることが多い気がする
イデオロギーよりアイデンティティ!
以前ある本で知った言葉だが、日本の社会は相変わらすこの傾向が強い
地元の議会を見る限り、共産党だからの理由で
否定的な評価になることはないと思うが
それでも何が何でも嫌いという人は、どうしても存在する
人間社会は難しい、、、