Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

DIC川村記念美術館

2024年09月13日 | 美術
 千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館(写真↑はWikipediaより)が今後のあり方を検討中だ。選択肢は二つある。(1)規模を縮小して東京に移転する、または(2)閉館する。年内に結論を出す。その後の対応のため、来年1月に休館する。

 そのニュースの衝撃は大きかった。千葉県知事と佐倉市長が存続を求める発言をした。ネット署名も立ち上がった。わたしもショックだった。理由のひとつは、8月末の発表から来年1月の休館までに5か月しかなく、あまりにも短兵急だったからだが、より本質的には、同美術館が類例のない個性派美術館だからだ。

 同美術館はレンブラント、モネ、ピカソなどの作品を所蔵するが、その他に第二次世界大戦後のアメリカに起きた抽象表現主義の作品を多く所蔵する。とくにマーク・ロスコの大作「シーグラム壁画」7点が目玉だ。「シーグラム壁画」7点を展示する部屋はロスコ・ルームと呼ばれ、ロスコ・ファンの聖地となっている。

 規模の縮小または閉館となると、それらの作品がどうなるかが気がかりだ。同美術館を経営するDIC株式会社の声明文によると、同美術館は754点の作品を所蔵し、そのうちの384点はDICの所有だそうだ。声明文にはDICが所有する作品の一部が載っている。そこには「シーグラム壁画」7点はふくまれていないが‥。

 作品の一部または全部は売却されるのだろうか。それが美術品の宿命だといってしまえばそれまでだが、それとは別に、企業経営とメセナの問題は残る。企業経営が好調のうちは良いが、不調になったらメセナどころではないと。それはそうだが、そこで思考停止せずに、やれることを必死にやったのが先人たちの歴史だ。もちろんDICの担当者もいま懸命な努力を続けているだろう。

 私事になるが、友人の親族が長野県の清里に個人美術館を設立した。ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスの作品を収集・展示する美術館だった。だが、経営が行き詰まった。結果的に同美術館は閉館して、作品は売却された。友人は多くを語らないが、閉館にいたる過程での苦労は並大抵ではなかったようだ。

 友人の親族の美術館は個人経営の美術館だったが、個人経営であろうと企業経営であろうと、美術館の維持は大変だ。メセナの問題を広げれば、問題は美術にかぎらず、音楽でも同じだ。かつては東京交響楽団も日本フィルハーモニー交響楽団もスポンサー企業からの援助を打ち切られ、解散の憂き目にあった。両楽団は楽員が自主運営に乗り出して、見事に再建を果たした。だがそれは歴史に一頁を残すほどの成功例だ。消えていった音楽フェスティバルは多い。今後も何が起きるか。
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東京ステーションギャラリー

2024年08月10日 | 美術
 東京ステーションギャラリーで「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展が開かれている。チラシ(↑)に惹かれて行ってみた。

 チラシに使われた作品は「月世界旅行」(1981 水彩)だ。カバンが三日月なのがユーモラスだ。帽子をかぶった男はリトル・ハット・マン。フォロンの作品になくてはならないキャラクターだ。多くの作品に登場する。フォロンの分身だ。本展の表題にある「空想旅行案内人」とはフォロンの名刺にあった言葉だそうだ。フォロンの自己イメージであるとともに、リトル・ハット・マンのことでもあるだろう。

 「月世界旅行」は色彩の淡さと透明感が印象的だ。それがフォロンの特徴だ。加えて、全体にただようユーモア。押しつけがましさは一切ない。飄々として軽妙だ。鑑賞者は身構えることなくスッと作品に入って行ける。

 だが、たんにそれだけのアーティストかというと、そうではない。たとえば「もっと、もっと」(1983 墨、カラーインク、水彩、色鉛筆、コラージュ)は、大きなガラス製の水槽を描く。中にいるのは魚ではなくて、ミサイルだ。水槽の左右から手が伸びる。左からはアメリカの手が、右からソ連の手が。それぞれの手は水槽の中に餌を入れる。もっと、もっとミサイルが増えるようにと。

 そのような問題意識があったからだろう、フォロンはアムネスティ・インターナショナルの依頼に応じて、「世界人権宣言」に挿絵を描いた(1988 水彩)。第二次世界大戦の反省に立ち、人権を高らかに謳い上げた「世界人権宣言」だが、フォロンの描いた挿絵は、理想の表現だけではなく、理想とは裏腹の現実を描いたものもあった。たとえば第3条「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」につけた挿絵は、3本の絞首台が並び、3人の人間が首を吊られる光景だ。そこに一羽の白い鳥が飛ぶ。

 「世界人権宣言」は序文と30の条文からなる。フォロンが挿絵を描いたのは、序文と18の条文だけだ。残りの12の条文には挿絵をつけなかった。なぜだろう。もともと30の条文すべてに挿絵をつけるつもりはなかったのか。それとも理想と現実とのギャップに行き詰まったのか。

 フォロンは1934年にベルギーで生まれ、長らくパリの近郊に住み、2005年にモナコで亡くなった。挿絵、ポスターなどの多方面で活躍した。わたしは本展では1980年代以降の水彩画に惹かれた。たとえば「ひとり」(1987 水彩)という作品。蜃気楼のように浮かぶ山や高層ビルを前にリトル・ハット・マンが佇む。淡く透明な美しさに言葉を失う。
(2024.8.8.東京ステーションギャラリー)
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森美術館「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」

2024年07月18日 | 美術
 森美術館で「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が開催中だ。シアスター・ゲイツ(1973‐)はアメリカ・シカゴ生まれの黒人アーティスト。2004年に愛知県常滑市で陶芸を学ぶために初来日した。それ以来、日本とのかかわりが深い。

 2番目の展示室は床一面に茶褐色のレンガが敷きつめられている。「神聖な空間」(英語でShrine)と名付けられたその展示室では、お香が焚かれる。文字通り神聖な場所だ。本展のHP(↓)の「展示風景」に写真が載っているが、写真ではそのインパクトは伝わらないかもしれない。

 「神聖な空間」にはゲイツ自身の作品とともに、他のアーティストの作品も展示されている。それもまたゲイツの世界だ。ゲイツのキュレーションによる作品の展示と、床一面のレンガが例示するような圧倒的な物量が本展の特徴だ。

 その2点が集約的に表れるのは「TOKOSSIPPI」(常滑+ミシシッピイ)という看板のかかる展示室だ。入り口には小出芳弘(1941‐2022)の膨大な数の陶器が並ぶ。その物量に圧倒されて奥に進むと、そこは酒場だ。ディスコミュージックがかかる。DJカウンターがあり、その奥には無数の徳利が並ぶ。徳利にはすべて「門」(=ゲイツGates)と書かれている。部屋の中央には「ハウスバーグ」と名付けられたオブジェが置かれる。ミラーボールのように光を反射する。展覧会なのでアルコールは提供されないが、提供されたとしても違和感はない。思わず笑ってしまう。

 黒人アーティストなので、黒人問題は主要な関心事のひとつだ。その点では2本のヴィデオ作品がおもしろい。1本は「避け所と殉教者の日々は遥か昔のこと」(6分31秒)。避け所とはShelterだ。古い教会の解体工事の映像作品。2人の黒人労働者が鉄の扉を床に叩きつける。それを延々と繰り返す。なんの意味もない。遊んでいるのだろうか。それともストレス発散か。ともかく、昔は黒人たちのシェルターだった教会は、無残に解体される。

 もう1本は「嗚呼、風よ」(11分57秒)。廃墟となった工場か倉庫だろう。瓦礫が散乱する中を、1人の黒人が歌をうたいながら行ったり来たりする。「Oh, the Wind」という歌だ。ただそれだけの映像作品だが、独特の節回しから哀感が伝わる。

 併設されたコレクション展では、1973年ベトナム・ハノイ生まれのグエン・チン・テイの映像インスタレーション「47日間、音のない」(30分)が上映されている。ベトナムの豊かな自然と辺鄙な集落に住む人々を映した作品だ。まとまったストーリーはないが、人々が「人間の眼を持たない男」を語る場面は、神話の誕生を思わせる。
(2024.6.24.森美術館)

(※)本展のHP
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東京都美術館「デ・キリコ展」

2024年06月26日 | 美術
 東京都美術館で「デ・キリコ展」が開かれている。ジョルジョ・デ・キリコ(1888‐1978)の生涯にわたる作風の変遷をたどる展覧会だ。

 デ・キリコの作品は「形而上絵画」といわれる。形而上絵画が生まれたのは1910年代だ。時あたかも第一次世界大戦の真最中。形而上絵画は戦争が生んだ不安の表現のひとつだったろう。だが、デ・キリコの難しい点は、そのような作風が第一次世界大戦の終結後も、折に触れて繰り返されたことだ。後年生まれたそれらの作品(新形而上絵画といわれる)をどう捉えるかは、人それぞれだ。

 本展には「大きな塔」(1915?)という作品が展示されている(残念ながら本展のHPには画像が載っていない)。81.5×36㎝の縦長の作品だ。画面いっぱいに5層の塔が描かれる。塔は暗赤色だ。各層ごとに何本ものベージュ色の円柱が並ぶ。空は不気味な暗緑色だ。画面左側に建物の一部が覗く。人の気配はない。

 同じ塔を描いた「塔」(1974)という作品が展示されている。デ・キリコの最晩年の作品だ。「塔」は「大きな塔」とほぼ同じサイズだ。だが「塔」の場合は4層で、各層は下から順に赤、青、赤、青とカラフルに彩られている。空は明るい。左側の建物は消えている。全体的にあっけらかんとした作品だ。思わず拍子抜けする。この作品を肯定的に捉えるのか、それとも否定的に捉えるのか。

 本展に展示されている1910年代のデ・キリコの作品の中には、傑作と思われる作品がある。たとえば不穏な雰囲気を漂わせる「預言者」(1914‐15)とか、危ういバランスの上に成り立つ「福音書的な静物Ⅰ」(1916)とかだ(本展のHP(↓)に画像が載っている)。それらの作品と後年の作品とは何がちがうのか。

 突拍子もない比較だが、デ・キリコの生涯は作曲家のストラヴィンスキー(1882‐1971)の生涯とほぼ重なる。ストラヴィンスキーは第一次世界大戦(そしてロシア革命)の前夜に「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」の三大バレエを書いた。1920年代に入ると作風をガラッと変えた(新古典主義といわれる)。だが第二次世界大戦後になって、「火の鳥」と「ペトルーシュカ」を透明感のあるオーケストレーションに編曲した。ストラヴィンスキーの場合とデ・キリコの場合とは本質的に異なるのか。それとも共通点があるのか。

 デ・キリコが最晩年に描いた「オデュッセウスの帰還」(1968)や「燃えつきた太陽のある形而上的室内」(1971)は、子どものいたずらの絵のように見える(画像は本展のHP↓)。画像で見るとピンとこないが、実物を見ると、なぜかホッとする。
(2024.5.31.東京都美術館)

(※)本展のHP
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目黒区美術館「青山悟展」

2024年06月07日 | 美術
 目黒区美術館で開かれている「青山悟展」。会期末ぎりぎりになったが、出かけることができた。同展は副題に「刺繍少年フォーエバー」とある。副題のとおり、青山悟(1973‐)は古い工業用ミシンを使って刺繍作品を作る現代美術家だ。

 チラシ(↑)を見ると、美しい都会の夜明けが写っている。写真のように見えるが、じつは刺繍だ。「東京の朝」(2005)という作品。本展にも展示されている。実物を見ると、なるほど刺繍だ。それにしてもなんて精巧なのだろうと思う。

 おもしろいのは、クシャクシャになった上記のチラシが、刺繍で作られ、本展に展示されていることだ。思わず笑ってしまう。チラシとは本来、その役目を終えれば(=本展が終われば)、用がなくなるものだ。だが刺繍で作られたチラシは、本展が終わっても、作品として残るだろう。消えゆくものの記憶を留めるのだ。刺繍のチラシがクシャクシャなのは、用済みのチラシというアイロニーか。

 おまけに、けっさくなのは、チラシの他にチケットの半券も刺繍で作られ、本展に展示されていることだ。ヨレヨレの半券と、クシャクシャのチラシが、たばこの吸い殻(これも刺繍で作られている)と一緒に床に置かれた台の上に展示されている。路上に捨てられたチラシ、半券、たばこの吸い殻というイメージだろう。

 「About Painting」(2014‐15、2023‐24)という作品がある。古今東西の29点の名画を刺繍で再現したものだ。各々の作品には青山悟のコメントが付く。たとえばジョルジュ・スーラの名画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」には、次のようなコメントが付く。「光が強ければ影も濃くなる。点描は労働のメタファーで描かれているのはブルジョワの腐敗。色調的にも内容的にも意外に暗い絵なことはあまり語られていない。刺繍の言語との親和性は高い。」

 コメントからは現代社会への批判的な見方がうかがえる。本展全体からも青山悟の、18世紀後半のイギリスに始まる産業革命以来、現在に至る資本主義の負の側面への眼差しが感じられる。上記のジョルジュ・スーラの作品へのコメントもその一環だし、それ以上に青山悟が制作の道具として使う古い工業用ミシン自体、手仕事を奪った工業用ミシンというアイロニカルな含意をもつ。

 環境問題をはじめ、資本主義の行き詰まりが社会のそこかしこで見られるようになった現在、青山悟は刺繍という思いがけない手段で一石を投じる。刺繍なので人間のぬくもりが感じられることは特筆すべきだ。
(2024.6.5.目黒区美術館)

(※)本展のHP
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世田谷美術館「民藝」展

2024年06月04日 | 美術
 世田谷美術館で「民藝」展が開かれている。柳宗悦(1889‐1961)らが提唱した手作りの日用品に美を見出す民衆的工藝=「民藝」。本展では着物、茶碗、家具などが展示されている。いずれも無名の職人が作ったものだ。個性を競う芸術家の作品ではない。野心とは無縁のそれらの品々を見ていると、一種のさわやかさを感じる。

 本展は3章で構成されている。第1章は1941年に日本民藝館で開かれた「生活展」を再現したもの。テーブル、椅子、食器棚などを配置して生活空間を作り、そこに茶碗などをさりげなく並べる。当時は画期的な展示方法だったらしい。

 第2章では民藝品を「衣・食・住」に分類して展示する。わたしは今回「衣」の品々に惹かれた。八丈島の黄八丈の着物「八端羽織」(はったんはおり)(江戸時代19世紀)がまず目に留まった。素朴な風合いが何ともいえない。また「蓑(伊達げら)」(陸奥津軽(青森)1930年代)に注目した。雪深い地方の女性用の蓑だ。首周りに細工が施されている。男性が作ったものらしい。丹精込めた手仕事だ。

 第3章ではラテンアメリカ、アフリカなどの民藝品を展示する。民藝に相当する品々は、日本にとどまらずに、世界中に見出せることを実感する。また本章では現代日本の職人たちの仕事ぶりをヴィデオで紹介する。ヴィデオは5本ある。
(1)小鹿田焼(おんたやき)大分県日田市
(2)丹波布(たんばぬの)兵庫県丹波市
(3)鳥越竹細工(とりごえたけざいく)岩手県二戸郡一戸町
(4)八尾和紙(やつおわし)富山県富山市八尾町
(5)倉敷ガラス(くらしきガラス)岡山県倉敷市

 どれも昔ながらの手仕事だ。家業として伝わる製法を守る。どの品物も繊細な美しさを秘めている。職人たちはそれらの品々が現代に需要があるのかどうか、半信半疑だ。ひょっとすると途方もなく時代遅れのことをやっているのかもしれない。でも、昔からやってきたことだ。今もやる。進歩なんて考えない。後継者はいるのか、いないのか、そんなことは分からない。考えても仕方がない――と、皆さん呟く。

 民藝は作者の無名性が特徴だが、それらのヴィデオを見ると、無名性の裏には個々の作者の人生がひそむことが分かる。どんな人が作ったのか。どんな思いで作ったのか――それを知ると、民藝の品々が貴く見える。我ながら可笑しいのだが、わたしは帰宅後、身の回りの日用品が今までとはちがって見えた。量産品はともかく、手仕事の跡が残る品物は貴く見えた。民藝パワーに当たったからだろう。
(2024.5.15.世田谷美術館)

(※)本展のHP
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国立西洋美術館:ゴヤ「戦争の惨禍」

2024年05月08日 | 美術
 国立西洋美術館でゴヤ(1746‐1828)の版画集「戦争の惨禍」が展示中だ(5月26日まで)。全82点。スペイン独立戦争(1808‐1814)の悲惨な状況と、(戦争には勝利したものの)戦後の反動政治による抑圧を、ゴヤの冷徹な目で描いたものだ。

 同美術館は「戦争の惨禍」の初版を所蔵する。これまでもその数点を展示することはあったが、全点の展示は初めてだ。初版はゴヤの死後35年もたった1863年に出た。そのときには80点にとどまった。残りの2点の原版が見つからなかったからだ。その後2点の原版が発見された。同美術館は2点の第2版を所蔵する。

 82点すべての画像は同美術館のHPで見ることができるが、実物のほうが、細かい描写や繊細なニュアンスがよくわかる。本展の解説によると、全体は三部に分けられる。第一部は戦争の現実を描く作品(2番~47番)。虐殺、婦女暴行、その他ありとあらゆる蛮行が描かれる。第二部は戦争中に起きた飢餓を描く作品(48番~64番)。多くの民衆が、戦争で死ぬのではなく、飢えで死ぬ。第三部は戦後の反動政治を描く作品(65番~80番)。戦争に勝ったと思ったら、今度は権力者たちが民衆を抑圧する。

 第一部の戦争のむごたらしさはいうまでもないが、第二部の飢餓も悲惨で(200年前のスペインの話だが)妙にリアルだ。いまの日本でも、やれ中国だ、やれ北朝鮮だと、権力者たちは勇ましいことをいうが、いざ戦争が起きたら、日本でも飢餓が起きることは間違いない。戦争で死に、また飢餓で死ぬのはわたしたちだ。権力者たちではない。

 個々の作品に触れると、本展のHP(↓)に掲載されている59番「茶碗一杯が何になろう?」は、修道女が餓死しそうな男にスープを飲ませようとする。だが題名は、男が間もなく死ぬことを示唆する。それに先立つ58番「大声を出してはならない」は、飢えた人々の間で茫然とたたずむ修道女を描く。その前の57番「健康な者と病める者」は、飢えた人々を救おうと努める修道女を描く。3点の修道女は同一人物だ。57番~59番には一連の物語がある。そのような作例は他にもある。2点一組の作例はかなり多い。2点の対比にゴヤの思考回路が窺える。

 ゴヤの生涯はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの生きた時代と重なる。モーツァルトは若くして亡くなったが、ベートーヴェンが経験したフランス革命とナポレオン戦争はゴヤにも深い影響を与えた(「戦争の惨禍」で描かれたスペイン独立戦争は、ナポレオンとの戦争だ)。ベートーヴェンやシューベルトが崇高な音楽を書いていた一方にはゴヤの描いた現実があった。
(2024.4.17.国立西洋美術館)

(※)本展のHP
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SOMPO美術館「北欧の神秘」展

2024年05月05日 | 美術
 SOMPO美術館で「北欧の神秘」展が開かれている(6月9日まで。その後、松本市、守山市、静岡市に巡回)。北欧絵画の展覧会は珍しいので、新鮮だ。手つかずの自然や素朴な人々を描いた作品が多い。

 北欧とはいっても、本展はノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3か国の画家の作品で構成される。デンマークとアイスランドの画家は含まれない。実質的にはスカンジナビア半島の文化圏の展覧会だ。

 北欧絵画はあまり馴染みがないが、近年、国立西洋美術館がデンマークのハンマースホイ(1864‐1916)の作品を収蔵し、その記念に2008年にハンマースホイ展が開かれた(2020年にも開かれた)。最近はフィンランドのガッレン=カッレラ(1865‐1931)の作品を収蔵し、またスウェーデンの劇作家で小説家のストリンドベリ(1849‐1912)の絵画を収蔵した。興味深い点は、それらの画家(劇作家・小説家)がフィンランドの作曲家のシベリウス(1865‐1957)やデンマークの作曲家のニールセン(1865‐1931)と同世代なことだ。かれらの背景には北欧の民族意識の高まりがある。

 本展には上記のガッレン=カッレラの「画家の母」とストリンドベリの「街」が展示されている。「画家の母」は、国立西洋美術館の「ケイテレ湖」がフィンランドの民族的叙事詩のカレワラに題材をとった風景画であるのとちがって、リアルな肖像画だ(本展のHP↓に画像が載っている)。一方、「街」は国立西洋美術館の「インフェルノ(地獄)」と同様に荒々しい筆触の風景画だ。わたしは「街」に強い印象を受けたが、残念ながら本展のHPには画像が載っていない。

 北欧の画家で一番有名な人はムンク(1863‐1944)だろう。本展には「ベランダにて」が展示されている(本展のHP↓)。雨が多くて憂鬱な北欧の秋。姉妹の立つベランダの床が濡れている。姉妹は雨に煙るフィヨルドを眺める。ベランダの床のピンクと紅葉した樹木の赤がムンクの色だ。

 本展には未知の画家の作品が多い。それらの作品の中でもっとも惹かれた作品は、ニルス・クレーゲル(1858‐1930)というスウェーデンの画家の「春の夜」だ(本展のHP↓)。北欧の春。すでに日が長くなっている。夕日が地平線に沈む。澄みきった藍色の空に渡り鳥が飛ぶ。その鳴き声がきこえるようだ。手前の藪が不気味な形をしている。北欧の人々はこのような藪から超自然的な存在のトロールを想像したのかもしれない。

 トロールはキッテルセン(1857‐1914)というノルウェーの画家のドローイングをデジタル処理した動画が楽しい。トロールは北欧の人々には親しい存在だとよくわかる。

(※)本展のHP
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国立新美術館「遠距離現在 Universal Remote」展

2024年05月02日 | 美術
 国立新美術館で「遠距離現在 Universal Remote」展が開かれている(6月3日まで)。8人と1組の現代美術家の作品の展覧会だ。「遠距離現在」という言葉はあまり聞きなれない言葉だが、開催趣旨は、世界規模に広がる人間活動にあって、人と人との距離、人と社会との距離は近くなったのか、それとも遠くなったのか、ということらしい。

 本展のキーワードはインターネットの普及とパンデミックの経験だ。作品はすべてパンデミック以前に制作されたものだ。それらの作品をパンデミック以後のいま見るとどう見えるか、と本展は問う。

 8人と1組は国も年齢も、そして関心のありようもさまざまだ。わたしがもっとも面白かった作品は、北京とニューヨークを拠点とするシュ・ビン(1955‐)のヴィデオ作品「とんぼの眼」だ。本作品はインターネット上で公開されている監視カメラの映像を切り貼りして作られている。「監視カメラ」の映像が「公開」されている点にまず驚く。そういう時代なのだろうか。

 シュ・ビンの制作チームはそれらの映像を約11,000時間分ダウンロードした。それを切り貼りして約81分のストーリーを作り上げた。いわばストーリーをでっち上げた。ストーリーはある愛の物語だ。中国の貧しい青年がある娘に恋をする。だが娘はつれない。青年はストーカー的に娘を追う。だが娘の気持ちは動かない。ストーリーは奇想天外な変転をたどる。それはストーリーそのものを異化するかのようだ。なお本展のHP(↓)に予告編が載っている。

 本作品は2017年に制作された。制作意図は、社会に無数に設置された監視カメラの存在を人々に意識させることにあったらしい。だが、少なくともわたしは、それらの監視カメラの存在をすでに受け入れてしまっている自分に気付く。むしろわたしは、本作品を、インターネット上に氾濫する映像に気を付けろという警鐘と思った。ストーリーはでっち上げることができる。ましていまはインターネットが権力者による世論誘導のための場となっている。映像の意図を問えと。

 その他の作品では、デンマークのコペンハーゲンで活動するティナ・エングホフ(1957‐)の「心当たりあるご親族へ――」に惹かれた。本作品は27枚の写真からなる。いずれも孤独死した人の部屋の写真だ。本展のHP(↓)に載った写真は、がらんとした部屋に明るい陽光が射す。部屋の主(あるじ)の不在を感じさせる。私事だが、孤独死した元同僚が本年1月に発見された。死亡推定時期は昨年11月中旬。元同僚は家庭に問題を抱えて、長年妻子と別居していた。元同僚はどんな部屋で発見されたのだろうと思う。
(2024.3.8.国立新美術館)

(※)遠距離現在 Universal / Remote | 企画展 | 国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
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舟越桂の逝去

2024年04月11日 | 美術
 彫刻家の舟越桂が3月29日に亡くなった。72歳。肺がんだった。わたしは迂闊にも、その訃報で初めて、舟越桂がわたしと同い年だったことを知った。そうだったのか……と。なので、なおさら逝去が身にしみた。

 わたしが初めて舟越桂の作品を見たのは、2005年、ハンブルクでのことだった。ハンブルクにはオペラを観に行った。日中は暇なので、郊外のバルラッハ・ハウスを訪れた。バルラッハはドイツの彫刻家だ。ケーテ・コルヴィッツと同様に、ユダヤ人ではないが、ナチスに迫害された。わたしはバルラッハの作品が好きなので、期待して出かけた。

 ところが着いてみて驚いた。舟越桂という日本人の彫刻家の展覧会が開かれていた。バルラッハの作品と舟越桂の作品が並んで展示されていた。そのときは、バルラッハの作品を見に来たのに日本人の作品を見るのかと、正直がっかりした。加えてその日本人の作品がバルラッハの作品とは異質だった。両性具有的で、官能的だ。わたしは何とも居心地の悪い思いでバルラッハ・ハウスを後にした。

 だが、なぜか舟越桂という彫刻家が気になった。3年後の2008年に東京都庭園美術館で舟越桂の展覧会「夏の邸宅」(↑チラシ)が開かれた。わたしは勢い込んで出かけた。そして圧倒された。両性具有的な作品は、もちろん官能的だが、それだけではなく、自身の異質性に戸惑い、恥じらいつつ、なおもみずからをさらけ出す作品に見えた。それは人間存在の深いところに触れた。

 その後も何かの折に舟越桂の作品に接することがあった。最後に見たのは2019年、東京オペラシティ・アートギャラリーで収蔵作品展を見たときだ。舟越桂の「午後にはガンター・グローヴにいる」のための大きなドローイングが展示されていた。両性具有的な作品が生まれる前の作品だ。人物造形のたしかさはもちろんだが、荒っぽく走る描線には制御しきれない感性のほとばしりが感じられた。彫刻作品のためのドローイングだ。完成作品にはない生きた情動が感じられた。

 周知のように、舟越桂は彫刻家の舟越保武の息子だ。舟越保武は歴史に残る大彫刻家だ。作品は剛直で深い精神性をたたえている。わたしは舟越保武の作品を見るといつも畏敬の念を覚える。そのような父をもつ息子は(しかも同じ彫刻の道を歩むとすれば)大変だろう。舟越父子の親子関係は知らないが、一般的には、父親が偉ければ偉いほど、息子は屈折した成長の軌跡をたどる例が多い。

 実際はどうだったのか。ともかく舟越桂は父親とはちがう場所に居場所(=表現の領域)を見つけ、そこを深掘りしたように見える。
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森美術館「私たちのエコロジー」展

2024年03月18日 | 美術
 森美術館で開かれている「私たちのエコロジー」展は、環境問題に向き合う現代アートを集めた展覧会だ(3月31日まで)。上掲の画像(↑)の左半分はモニカ・アルカディリの「恨み言」。青い部屋に白い球が浮く。海に浮かぶ真珠をイメージしている。美しい。だが小さな声が聞こえる。「海は全てを暴いてしまう。強い呪いの力で。海に住むものとして、私は呪われた人生を送ってきた。呪われるとは、隠された事実を垣間見ることだ。(以下略)」と。真珠が呟いているのだ。

 アルカディリは1983年生まれ。ベルリン在住、クウェート国籍。ペルシャ湾岸は古代メソポタミア時代から天然真珠の産地だった。20世紀初頭に日本の養殖真珠によって駆逐された。声はその恨み言だ。

 本展では上記の「恨み言」をはじめ国内外の34人のアーティストの作品が展示されている。現代アートなので、予備知識なしに作品を見て、何を感じるか、何も感じないか。そんな自分を楽しめばいいと、わたしは割り切って見て回った。

 本展には3つのビデオ・インスタレーションが展示されている。三者三様でおもしろかった。エミリア・シュカルヌリーテの「時の矢」は、水中カメラが海底を映す。水没した古代都市の遺跡が見える。なぜか(水中なのに)発電所が現れる。さらに大蛇が泳いでくる。大蛇は発電所のコントロールパネルを這う。海底に敷設された配管が見える(なんだろう?)。最後に人間が尾ひれをつけて泳ぐ。

 脈絡のない映像だ。不合理な夢を見ているようだ。最後に出てくる泳ぐ人間は、夢を見ているわたし自身だろうか。見終わった後も夢から覚めない気がする。シュカルヌリーテは1987年リトアニア生まれ。

 ジュリアン・シャリエールの「制御された炎」は、真っ暗な空間に四方八方から炎が飛び交う。ものすごい勢いでこちらに向かってきたり、虚空に消えたりする。花火のようにも見えるが、巨大な隕石の地球への衝突(=地球の終わり)のようにも、またビッグバンのようにも見える。シャリエールは1987年スイス生まれ。ベルリン在住。

 アリ・シェリの「人と神と泥について」は、黒人の労働者たちが延々とレンガを作る。泥をこね、型にはめ、天日で乾かす。赤茶けた大地に無数の型が並ぶ。本作品にはナレーションが入る。たとえば「神は泥から人を作った」と。創世記の言葉だ。その他わたしの知らない宗教が語られる。無信仰のわたしは思う。「古来、人は泥と格闘して生きてきた。人は泥との格闘から神を作ったのかもしれない」と。シェリは1976年ベイルート生まれ。
(2024.2.12.森美術館)
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東京都美術館「印象派 モネからアメリカへ」展

2024年02月29日 | 美術
 東京都美術館で開催中の「印象派 モネからアメリカへ」展は、印象派の絵画がヨーロッパ各地、アメリカそして日本にどのように伝わったかを辿る展覧会だ。展示作品のほとんどはアメリカのウスター美術館の所蔵品。ウスターはマサチューセッツ州の(ボストンに次ぐ)第二の都市だ。

 コロー、ピサロ、モネの上質の作品が来ている。それぞれの画家のエッセンスが凝縮されたような作品だ。どれもウスター美術館の所蔵品。本展のHP(↓)に画像が掲載されている。

 だがもっとも感銘を受けたのは、アメリカ印象派の作品だ。初めて名前を知る画家たちの作品が新鮮だ。なかでもメトカーフ(1858‐1925)の「プレリュード」とグリーンウッド(1857‐1927)の「雪どけ」は、本展の白眉だった。「プレリュード」は早春の山野を描く。木々の芽吹きと若草が目にやさしい。鹿が2頭いる(少し離れたところにもう1頭いるようだ)。一方、「雪どけ」はたっぷり積もった雪に明るい陽光が射す。小川の流れが清冽だ。「プレリュード」も「雪どけ」も手つかずの自然を描く。画像が本展のHPに載っていないのが残念だ。

 アメリカ印象派の画家では、ハッサム(1859‐1935)にも注目した。幸い本展のHPに画像が載っている。「コロンバス通り、雨の日」は雨に濡れた道が美しい。その道を走る馬車にピントを合わせる。一方、傘をさして歩く人々や遠景の教会は雨でかすむ。ボストンの雨の一日を永遠に留める作品だ。もう一作、「シルフズ・ロック、アップルドア島」は大海原に突き出た巨岩を描く。実際に見ると(画像で見るよりも)巨岩の量感が圧倒的だ。

 アメリカ印象派から派生したと思われるトーナリズム(Tonalism=色調主義)の作品にも惹かれた。たとえばクレイン(1857‐1937)の「11月の風景」は秋の山野を描く。霞がかかり、しっとりしている。少し寂しい。トライオン(1849‐1925)の「秋の入り日」は、なだらかな丘陵のむこうから弱々しい入り日が射す。どちらの作品も調和のとれた落ち着いた色調だ。

 会場の解説にこうあった。「南北戦争の影響を引きずった国民にとって、トーナリズムの画家が描く、陰影に富んだ情緒深い情景は、困難な近代生活に精神的な安らぎを与えてくれるものでした」と。わたしもトーナリズムの作品に惹かれたが、それは現代生活にも困難が多く、神経が疲れているからかもしれない。あまり幸せなことではないだろう。トーナリズムの作品には「癒し」の効果がある。それはどこか作り物めいたところもあるが、現代生活はそれを求めている。
(2024.2.6.東京都美術館)

(※)本展のHP
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国立西洋美術館「キュビスム展」

2023年12月28日 | 美術
 国立西洋美術館で「キュビスム展」が開催中だ。20世紀初頭にパリでピカソとブラックが始めたキュビスムが、あっという間に多くの画家たちに広がり、熱狂の瞬間を迎えたその時に第一次世界大戦が勃発し、キュビスムは重大な転機に立たされる。その経過が生々しく感じ取れる展覧会だ。

 メインビジュアル(↑)の作品はロベール・ドロネーの「パリ市」だ。中央の3人の裸体の女性は西洋絵画の伝統的な図像の三美神だ。右側にはエッフェル塔の断片が見える。左側に見える川はセーヌ川だ。現代のパリの街並みに三美神の幻影を見る。細かいモザイクのような画面は、プリズムを通したように見える。それが三美神の幻想性を高める。絵具は薄塗りで透明感がある。実物を見ると驚くが、サイズは縦267㎝×横406㎝と大きい。1912年のサロン・デ・ザンデパンダンに展示された作品だ。

 本展では「パリ市」の右側にフェルナン・レジェの「婚礼」が展示され、左側にはアルベール・グレーズの「収穫物の脱穀」が展示されている。「婚礼」は縦257㎝×横206㎝。「収穫物の脱穀」は縦269㎝×横353㎝。3作品はほぼ同じ大きさだ。3作品は三連画のようにも見え、また三美神のようにも見える。

 「婚礼」の画像は本展のHP(↓)に載っている。画像では分かりにくいと思うが、画面の中央に小さな2つの顔がある。新郎と新婦だ。その周囲に多数の顔と家並みが見える。婚礼を祝う人々だ。それらが上昇気流に乗って渦巻いているように見える。レジェ特有の円筒形の組み合わせによる画面構成の前の作品だ。色彩は灰色を基調とし、そこに青、緑、ピンクが浮かぶ。本作品も1912年のサロン・デ・ザンデパンダンに展示された。

 上記の「パリ市」と「婚礼」はパリのポンピドゥーセンターの所蔵作品だが、「収穫物の脱穀」は国立西洋美術館の所蔵作品だ。画像は同館のHP(↓)に載っている。農村で収穫物の脱穀をする人々を描く。自然主義的な描き方ではなく、キュビスム的に構成されている。村人たちの素朴な生活が伝わる。色彩は焦げ茶色を基調にして、濃緑色と赤が点在する渋いトーンだ。本作品はキュビスムの画家たちが結集した1912年のセクション・ドール展に展示された。

 国立西洋美術館が「収穫物の脱穀」を購入したのは2005年だ。わたしが同館の常設展で本作品を初めて見たときの驚きは忘れもしない。すごい作品が入ったと思った。だが、すごさを受け止めきれなかったのも事実だ。それ以来、本作品のことをもっと知りたいと思っていた。本展でキュビスムの歴史の中に位置付けられた。見方を変えれば、本展は本作品があったからこそ実現できたのかもしれない。
(2023.11.29.国立西洋美術館)

(※)本展のHP

(※)「収穫物の脱穀」の画像
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SOMPO美術館「ゴッホと静物画」展

2023年11月20日 | 美術
 SOMPO美術館で「ゴッホと静物画」展が開かれている。もともとは2020年に予定された新館への移転記念の企画展だが、コロナ禍のために延期された。ゴッホの静物画の変遷をたどるとともに、ゴッホが影響を受けた(あるいはゴッホから影響を受けた)静物画と比較検討する試みだ。

 チラシ(↑)に使われている作品は「アイリス」だ。ゴッホの代表作のひとつで、日本にも以前来たことがある。わたしは2度目だが、会場で再会したとき、初めて見るような新鮮さを感じた。まず思ったことは、花瓶がこんなに小さかったか、ということだ。花瓶に盛られたアイリスの花のボリューム感に比べて、花瓶が小さい。今にも倒れそうなくらいにアンバランスだ。

 そのアンバランス感はアイリスのボリューム感を強調するためだったかもしれない。だが本作品はゴッホが亡くなる年に描かれた作品だ。その不安定さにこそ意味があるように思える。その不安定さはゴッホの精神状態を反映しているのではないかと。

 アイリスの葉の鮮やかな緑が圧倒的だ。アイリスの花の青紫を凌駕する(青紫の色は経年劣化しているようだ)。緑の葉が花瓶を起点に四方八方に伸びる。先の尖ったそれらの葉は暴力的なほどの勢いがある。その一方で、花瓶のわきには倒れた葉がある。静物画では落ちた花は死の象徴だ。だが本作品の倒れた葉は、一般的な死ではなく、ゴッホ自身を思わせずにはいない。

 アイリスの花の中には茶色に変色した花が混じっている。枯れた花だ。それはもちろん死の象徴だが、本作品では枯れた花が一つや二つではないことが特徴的だ。花束全体に点在する。花束全体が枯れる日も遠くないことを予感させる。本作品は不気味な作品でもある。

 背景の黄色は明るい。ゴッホの黄色だ。本作品は数多いゴッホの黄色の作品の中でもとくに目覚ましいもののひとつだ。だが手放しに喜んではいられない。ゴッホの黄色は、作品が優れていればいるほど、精神の緊張を感じさせる。本作品もまさにそうだ。その緊張は補色の関係から説明できるわけだが、前述のように、本作品がゴッホの亡くなる年に描かれた作品であることを考えると、ゴッホの精神の極度の緊張の表れのように思える。

 「アイリス」以外では「麦わら帽のある静物」に惹かれた(画像は本展のHP↓に掲載されている)。ゴッホの習作だ。農民画家として出発した初期のゴッホには暗い作品が多いが、その前に描かれた本作品は意外に明るい。本作品が描かれたのは1881年。上記の「アイリス」が描かれたのは1890年。その二つの年がゴッホの画業の起点と終点だ。
(2023.11.11.SOMPO美術館)

(※)本展のHP
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国立新美術館「テート美術館展」

2023年09月22日 | 美術
 国立新美術館で「テート美術館展」が開催中だ。会期は10月2日まで(その後、大阪に巡回)。すでに多くの方がご覧になったと思うが、まだの方もいるだろうから、ご紹介したい。コロナ禍以来、大型の海外美術館展が難しくなっている中で、貴重な展覧会だ。イギリスのテート美術館から「光」をテーマに作品を選択・構成している。見応え十分だ。

 テート美術館というと、まずターナー(1775‐1851)だ。本展には数点の作品が展示されている。その中でもチラシ(↑)に使われている「湖に沈む夕日」(1840年頃)は、ターナーのエッセンスを凝縮した作品だ。一面の濃い靄の中から夕日が輝く。湖面と空の境界は見分けがつかない。沸き立つ靄に夕日が映える。息をのむような荘厳な眺めだ。近寄ってよく見ると、夕日はベタっと塗られた白い絵の具に過ぎない。だが少し離れて見ると、リアルな夕日に見える。まるでマジックだ。

 ターナー以外の作品では、コンスタブル(1776‐1837)やラファエル前派などのイギリス絵画のほか、モネ(1840‐1926)などの印象派の作品、またわたしの好きなデンマークの画家ハマスホイ(1864‐1916)の作品も来ている。

 それらの作品の中で感銘を受けたのは、マーク・ロスコ(1903‐1970)の「黒の上の薄い赤」(1957)とゲルハルト・リヒター(1932‐)の「アブストラクト・ペインティング(726)」
(1990)だ(ともに本展のHP↓に画像が載っている)。

 ロスコの「黒の上の薄い赤」は、赤い下地の上に黒い長方形が上下に二つ並んでいる。下の長方形は塗りが薄く、上の長方形は塗りが厚い。じっと見ていると、描いているときのロスコの息遣いが感じられる。見る者はその息遣いに同化し、瞑想的な気分になる。だがその上の薄い赤は何だろう。一見、何かを塗りつぶした跡のようだ。題名を振り返ると、「黒の上の薄い赤」とある。その薄い赤こそテーマなのだ。瞑想的な気分を破り、意識を覚醒させる。

 リヒターの「アブストラクト・ペインティング(726)」はシャープで美しい。雨に濡れた歩道に映る街の灯りのように見える。あるいは雨に濡れた窓ガラスを通して見る街の灯りか。ただ異様なのは、画面にナイフで切り裂いたような亀裂が走ることだ。それが見る者を緊張させる。たんに美しい作品では終わらない。

 本展の特徴のひとつは、現代美術が質量ともに充実していることだ。楽しいインスタレーションが多数展示されている。例示は省くが(見てのお楽しみだ)、これらのインスタレーションは、案外、大人よりも子どものほうが楽しめるのかもしれない。
(2023.7.13.国立新美術館)

(※)本展のHP
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