ツーリング4日目の朝を迎えた。明日は福岡に戻り、飛行機に乗らなくてはならないので観光している時間はない。というわけで、今日が九州観光最終日になるので、夜じゅう天草をどう走るか地図とネットを参照しながら考えた。まず天草に来た目的である世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」で見ておきたいものをリストアップした。
それは①コレジヨ館②天草の崎津集落③天草ロザリオ館大江教会④天草四郎ミュージアムの4つである。天草は上島と下島、大矢野島の3つの大きな島と無数の小島からなっているが、さいわい3つの島は橋で結ばれている。しかし、大矢野島の端と下島の端では60㎞以上離れており、島を巡る道路は高速道路ではないので、一周すると2時間ほどかかる。4つの施設を見学する時間を考えると、丸一日はゆうにかかる計算となる。
しかも今日の宿は長崎に取ろうと思っているので、またフェリーで島原半島に渡らなければならないのだが、フェリー乗場は下島にあるのだ。
見たい施設を一筆書きで描き、ゴールがフェリー乗り場になるようコースを考えたが、どうしても往ったり来たりはしなくてはならないようだ。まず、大矢野島にある天草四郎ミュージアムを目指して走り出した。朝の8時に下島にある宿を出発したが、下島を縦断するR266号を60㎞/hで走っていると、通勤の車なのか猛スピードの車が追い付いてくる。1台また1台と譲っていたが、この猛スピードは島では当たり前なのだろうか。
いちばん後ろから追いかけていくと、信号機もなく結構な急カーブや急坂を80㎞/hくらいで駆け抜けていく。運転が上手だなぁと思ってついていくとあっという間に下島と上島を結ぶ瀬戸大橋に着いた。ここは航路確保のためループ橋になっている。
上島は左手に雲仙岳を望めるシーサイドルートだ。ここは有明タコ街道ともいうらしい。夏になるとタコがおいしいのだろうか。
上島と大矢野島を結ぶ橋までやって来ると、橋の下には小さな島がたくさん見える。この景色はどこかで見た、と思っているとやはり「天草松島」という白砂青松100選の名勝だった。そして5つの橋で結ばれた道は天草パールラインと呼ばれている。
天草四郎ミュージアムは海を見下ろす高台に建っていた。中に入るとザビエルによるキリスト教伝来から当時の社会情勢が展示物と共に詳しく解説され、天草四郎の一揆に至る徳川幕府のキリシタン弾圧の歴史がよくわかるようになっていた。
私はクリスチャンなので、どうしてザビエルが伝えたキリスト教があの封建社会に受け入れられていったのか興味があったが、宣教師には医者が多かったことや当時珍しかった南蛮貿易でもたらされたものが大名、ことに織田信長の興味を引き保護されたことなどが分かった。
明智光秀の娘は細川ガラシャだが、ガラシャとは英語でいうとグレイス(恵み)で明智光秀もキリスト教の教えに通じていたことが想像され、織田信長を討ったこともあるいはキリスト教と関係があるのではないかと思われて興味深かった。
ミュージアムの見学を終えるとまた上島を経て下島に戻り、海岸沿いに点在するキリシタン遺跡を見ることにした。上島はオレンジラインという広域農道が縦断しているが、この道は右手に島原湾を見晴らす快走路だった。
朝通ったR266号には道の駅宮地岳かかしの里があり、ここで食事をとれるというので立ち寄った。
廃校になった小学校の建物にすごい数のかかしが飾られている。遠目に見ると人間が集っているようなにぎやかさだ。
教室だったところにもかつての授業風景を見るような工夫がなされた展示室になっている。この地域も昔は人が大勢いて活気があったのだろう。その頃をかかしで再現している。このかかし、よくできているなぁと思ったら休息している見学者だったりして笑った。昼食はハイヤ節唐揚げ定食にしたが、ハイヤ節とは唐揚げにまぶしてあるものをいうらしい。
世界遺産の崎津集落は下島のR389号(サンセットライン)に沿ってひっそりとたたずんでいた。崎津教会は路地の奥に建っていた。中を拝観すると畳敷きの礼拝堂だった。
集落の和菓子屋の店先に杉ようかんというのが置いてあり、珍しいですよというので一つ買ってみたが、杉の枝の香りがようかんに移っておいしかった。こういう素朴な食べ物は現地でしか食べられないので貴重だ。
天草四郎ミュージアムの解説に、ローマに遣わされた天正少年遣欧使節団がグーテンベルクの活版印刷機を持ち帰り、神学校(コレジヨ)の教科書や信仰文書を印刷したと書いてあり、その活版印刷機がコレジヨ館に展示されているというのでぜひ見たかったが、あいにくコレジヨ館は休館だった。
大江教会は道路から離れた高台に美しい姿を見せていた。
下島をほぼ半周し、長崎県に渡る島鉄フェリーの乗り場がある鬼池港に向かった。もっともっと見て回りたいところがあったが、とても1日では回り切れない。天草四郎ミュージアムで出会ったタンデムのカップルは長崎から来たといっていたが、天草を2泊3日の予定で回っているとのこと。私も何度か訪れてみたいと思う土地であった。
鬼池港が近くなったころ、イルカセンターというのがあったので休憩がてら立ち寄った。真正面に雲仙岳が見える静かな海だったが、周辺には200頭もの野生イルカが生息しているという。イルカセンターはイルカを見る観光船の乗り場であったが、沖合の天草灘でイルカが泳いでいるのを見ることができるらしい。
鬼池港には14時30分に着いたが、15時発のフェリーに乗ることができた。三和フェリーの蔵之元港よりも大きな港で、駅前には大きな天草四郎像が立っていた。
ここでも車検証を見せないで乗船券を買うことができた。
30分ほどで口之津港に入港し、島原半島に上陸した。ここから長崎市へは80㎞ほどの道のりである。雲仙岳を登る絶景ルートもあったが、一日走行して疲れていたので、山岳ルートは避けて安全な海岸沿いのR251号の平坦ルートを走ることにした。
橘湾を一周するサンセットロードで夕陽を追いかけて走るのは眩しくて難儀した。長崎市のホテルを駐車場有で検索すると稲佐山観光ホテルがヒットしたので、市の中心部からは遠そうだったが、予約した。稲佐山と言えば、たしかさだまさしが野外コンサートを行った場所だ。
R251号からR57号に入り、長野ICから長崎道に乗った。交通量も増えてきたので、地図で現在位置を確認することもできず、ただナビ任せにバイクを走らせた。
ホテルには18時ちょうどに着いた。稲佐山の中腹にあり、長崎市街地が窓から見渡せた。
路線バスで市内に出て新地中華街で夕食を食べようと思ったが、平日のためか閉店時刻も早いようで閉まっている店が多く、大きな店は貸し切りだったりで、開いている店を探し長崎皿うどんと小籠包を注文した。ハトシという聞きなれないものがメニューにあったので注文してみた。
皿うどんはさすがに本場らしく美味しかった。
「ハトシ」は、明治時代に清国から長崎に伝わった料理のことで、中国語で「蝦多士(ハートーシー)」と書くとおり、蝦(エビ)のすり身を、多士(食パン)で挟み、それを油で揚げたものらしい。
本日の走行距離 266㎞(Total 880㎞)
天草四郎ミュージアムですが、私が行ったときは雨が酷く、入館者もほとんどいなかったです。島を渡る橋も雨だと景色も今一つでした。
天草をはじめ、島々は天気がいい時と悪い時の差がすごいですね。とても同じ場所とは思えません。
長島もフェリー乗り場の近くまで行ってUターンしました。
ゆっくり楽しみには、その場所で3日ほどステイしないと駄目ですね。キムさんのブログを読み、秋以降の車中泊旅行は九州の教会巡りもいいかなと思いました。
何かテーマを決めないと旅のモチベーションが上がりませんが、天草に関しては民衆が大量に殺されたという事実があり知覧と同じく落ち込みそうな気がしてなりません。
今回晴天の中を走れたのは本当にラッキーでした。海の景色は晴れの日に限ります。
旅のモチベーション、、、たかぴいさんのように全国を何度も旅しておられると、その都度いろいろなテーマが持てていいですね。ぜひ長崎付近の教会巡りをやってレポートしてください。
でも、ホテルまでは車としても、やはり観光地は公共交通機関と歩きに限りますね。歩くことでいろいろな発見がありますから。