では、もう少し記憶をたどってもらいましょうか
後は楽な下り坂だ
翠(=イブ=ミロク=メッテッヤ):はい…
私はある時、気に入った瞑想場所のある小さな山へ向かった
そのふもとで、1人の少女に出会った
彼女は地面に座り込んで、左足首をさすりながら泣いていた
どうしたのですかと聞くと、木の根に転んで足首をくじいたが、それ以上に困ったことは、預かり物の大事な果物(黄緑のブドウ)を落として、半ばつぶれてしまったそうで、それがショックだったらしい
私は彼女の足首をみてやり、だいぶはれてきたので、おぶって家まで連れていってやることにした…果物は後で又取りに来るから、と言い聞かせた
…近くの村へ行くと、彼女の家族が出てきて、お礼を言った
医者の心得のある者が呼ばれてきて、薬草で手当てをしてやっていた
私は取って返すと、さっきの場所へ戻り、散らばったブドウをかき集め、残りの本体と共にして、彼女の家に届けた
少女は泣き濡れた瞳で、これは、お釈迦様に渡してほしいと、知り合いの信者から頼まれた、大事なものだったと言う
(当時ブドウは、希少品だったらしい)
彼女も家族も、信者だった
私は、
「大丈夫、お釈迦様は物の多寡や形に関わりなく、喜ばれますから、」
と言って届ける役を引き受けた
…そして外れてつぶれた実は別に包んで、お釈迦様には本体のブドウと包みの両方を、説明をつけて、述べて渡した
すると、お釈迦様は礼を言われ、ご自分は包みを受け取り、残りの房の方は、今病気で寝ている弟子たちが数人小屋にいるから、そちらに届けるようにと、言われた
…そこで私は風邪などで休んでいる者達の所へ行くと、皆で分けて食べてくれるようにと頼んで、渡しておいた
…後でお釈迦様の所へ行くと、居合わせた者たちがつぶれたブドウを分けてもらい、美味しそうに食べていた
私も、1粒もらった
形は悪いが、味は絶品だった
翌日、私はお釈迦様からのお礼の伝言を伝えるために、あの村へ行った
娘も家族も大変、喜んでいた
…その帰り、私は1人の農夫が自分の小屋の脇で、ぐったりしたヤギを食用にさばきかけているのを見た
うす灰色のよく太ったヤギで、丁度その丸い腹だけが、少し揺すられているのが、小屋の陰から見えた…
当たり前の光景とはいえ、やはり生き物を食べることの多い人間のさがは、やや悲しい
…ブドウなどの果物なら、鳥や人間に食べてもらい、種を残すために実っているのだから、食べても罪悪感を感じないが、なんとかならないものかと、思った
…未来には、私の転生するはるか未来には、もう、生き物を食べないでもいいようになっているだろうか……だといいな……
その夜、私は夢をみた
初めに、こわい怪物が出てきた
(今で言う龍だった)
大蛇のような太い長いうろこの体に、いかめしい、頭に毛の生えた犬のような顔をして、上に向かって湾曲した、白い2本の細長いひげがあった…
それが、まず顔だけが大きく迫ってきて私が驚くと、年よりのような目つきで後ろを向いて振り返り、背中に乗れ、と言っているようだった
私がためらって、ようやくまたがり乗ると、怪物はみるみる高く、空へくねりながら飛んだ
しっかりつかまれ、落とされないように、と言われているようで、私は必死で両手で胴体にしがみついたが、あまりに速く、あちこちに動くので、とうとう胴体が横倒しになった時に、手が外れて高い所から落ちてしまった……
あっ! 背中を白い石の床で打ったようだった
これじゃ、あのブドウと同じだな、と思った
意外と、背中はそれほど痛くなかった
見ると、前方に昼間と同じような、太ったヤギが1頭いて、その足元に1粒だけ落ちていた、黄緑のブドウの実を口で拾って食べた……そのブドウは、つぶれていなくて、きれいで丸かった…
夢はそこで終わった
わし:その夢は、何を意味していると思いますか、
翠:……龍は……お兄様 …(魂の兄のアダム=キリストで、釈迦でもある) ですね…
私:その通りじゃ
ここで、読者の皆さんにご説明しておくが、前にブログで一回、話したことがあると思う…
アダムは、大昔から、巨大な無形の智恵の気のもやであり、世界のほとんどの神仏や天使を創作して幽体で変身し、兼務して演じてきたが、龍神にも時折なっていた
詳しい理由は又いつか話すが、東洋では水の神、仏法を守護する神、という役割で龍を創案し、演じたのだ
この釈迦の時代にはまだ、龍ではなくて、インドではコブラを原型とし人の顔を持ったような神の概念だったようだから、アダムは一足早く、メッテッヤに夢で、未来の中国や日本で一般的な、龍の姿を見せたことになる…
この龍の顔というのは、偶然?サタン (=黒いしゃがんだ山犬のような姿が、一般的) の顔によく似ており、その意味でアダムは、メッテッヤ=ミロクの翠さんが、将来転生して祓うことになる、サタンのイメージをもちらりと、メッテッヤに見せている
…龍の背中に乗せたのは、サタンのようなものを、恐れるな、という意味と、
自分はお前を指導し、龍神にもなることができるから頼りにせよ、という両方の意味がある…
それから、丸い太ったヤギの腹は、天界に置かれていた、巨大な愛の気のもやであるイブを、表している…
…イブは無形だったが、普段は丸いもやの姿で静置されていたからだ
…そして、ヤギに食べられたブドウの実は、メッテッヤを表している…
彼は元々、イブから取られた小さな分けみたまだから、死ねばまた、天界で巨大なイブ本体の
真ん中に入れられ、吸収、再融合されることになっていた
…だから、ヤギがブドウを食べる=イブがメッテッヤの小さな魂を再融合する…という意味になるのだ
…この夢は、アダムがわざとメッテッヤに見せて、彼の死後の運命を象徴的に予告して教えている…彼はそうは気づかなかったがね、
ではおやすみ
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