台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
福岡を中心に住まいづくりをする建築YA髭が、建築デザイン・時事・歴史・音楽・旅などを語ります。
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
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台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
激変していく社会状況の中で、住宅業界も一変して、なかなか厳しい時代の到来に戸惑われる方も多いと思います。建設工事も数年で一変し、予算の総額が急激に高騰したために、これまで住宅ローンも土地購入から住宅建設まで自動的にセットで組めていた案件も
住まいを買うものから、少しずつ紡いでいくようなものにしていくことが、住まいづくりがどんどん難しくなってきている近年の状況の改善へのヒントになるのではないかなと思ったりします。完成品を買って、せっかくとんでもない投資をしたにも関
そもそもひとの住まいというものが、住宅産業などと言われ始めて、内需の大きな柱になって国が拡大支援するほどの業態になってきたこと自体が異様なものだったのかもしれませんが、それもこれからは一個人の価値観がしっかり育っていけば、それほどの規模で
最近は、YouTubeなどの媒体を通しての発信がにぎやかで、ただその情報もカオス化していますから、何が正しいのかがわからない時代になってしまいました。長年の研究者や実務を積み上げてきたプロもいれば、これは商売になるとPRを巧みに内包した営
消費行動としての住宅産業は、戦争とコロナによる経済的混乱によって一気に価格高騰にシフトしました。ただ、その上がりようが世の中全体の物価上昇よりもさらに激しために、私たちは戸惑いを覚えています。ただ、この数十年間国民の賃金が上がらない稀有な
長年、住まいづくりという仕事を生業としてきて、これほどまでに社会状況が目まぐるしく変わり、刻々と社会情勢が変わっていく中で、住まいづくりが翻弄されている時代は初めてのような気がします。数ヶ月ごとに価格改定のふれが回ってきて、予算の目処が立
いつものことながら、中東のきな臭い動きが世界の火種となることはこれまでの歴史が物語ってると思います。これ以上、悲惨な状況が作り出されないことを祈りたいですが、一個人として何ができるかといえば正直無力なので、ただただ平和を語り、戦争反対を言
この小さな島国で、ひしめき合って暮らすには、個性というものは邪魔なのかもしれません。だから右へ倣えし、強いものに帰属していると思い込むことで自分を保つ。また毛色の違うことを極端に遠ざけてきたのは、ある意味そういう環
この国でも、ネットに沸いているニワカ右翼のおじさんたちは、国家観を語り、他国よりも自国が優位である根拠をあれこれ掘り出して、勇ましさばかりの言動が目立ちますが、一説によると一個人として、努力したにも関わらずあまり社会的に評価されずに恵まれ
世界情勢がなんとなくきな臭いこのところを見ていると人間というものはどこかでいつまでも愚かで、闘争と破壊のシナリオを繰り返すものなのだろうかと悲しくなります。そしてこの自分も、その一員なのですから、悲しいのを はるかに通り越して、虚無感すら
このところの建設単価の爆上がりは、決して歓迎できることではないし、これまでよりもかなり厳しい条件下で住まいづくりをしていかなければならない状況なので由々しき事態と言わざるを得ません。どうしても、全てを予算内で賄うという事が厳しいケースも出
まさに、気候は近年激変していく中で、国のおっとり刀の省エネ基準義務化が始まるのですが、その基準が仕方ないことですが、下限設定ですのでそのために起こりうるリスクについて最近頭の中をぐるぐる回って離れません。過去の記憶として、高気密高断熱住宅
国の省エネ政策としては十分に意味のある今回の性能義務化ですが、個々の住まいづくりにおいて、その認識を誤ると、夏のリスクに関して少し懸念が残るということは少しお分かりいただけたでしょうか。あくまで性能は下限設定であり、省エネへの寄与という意
冬のための断熱を基準として、この国の断熱基準などもこれまで決められてきた経緯がありますから、南に降るほど基準値が緩くて、例えば寒冷地より九州の方が断熱材を薄くしても良いというエリアマップの元に基準が定められているわけです。「断熱」とは「熱
長年、この国の「断熱」は、冬の寒さを凌ぐためのものでした。みなさんの感覚も防寒具を着る感覚に近い方も多いのではないかと思います。その「断熱」が今回初めて国の基準として加減が決められていく改正が行われます。省エネの観点から、建物の性能を上げ
ようやく、少し涼しく感じられる朝晩がやってきましたが、例年よりはまだまだ夏を引きずっているような気がします。これで一気に秋めいて肌寒くなるのかと思うとちょっと恐怖ですが、この夏の冷房は暮らしの必須アイテムとなってしまいましたね。エアコンが
数十年前の経験から、中途半端な気密断熱化は九州の場合、夏に外部の熱はじわじわ入れてしまう上に、外に逃げきれないという問題を起こしかねないので、要注意だということを書いてきました。今回の省エネ基準義務化は、まったく熱性能に関して何も考えずに
九州のこの数年の夏を考えると、酷暑に対する何らかの対策は必須で快適以前の生命の危険を意識するほどの暑さをどう凌いでいくかと言うことが近々の課題だと思うのです。かつて高気密高断熱住宅が南下して九州に入ってきた頃の話をしました。来年春から始ま
少しずつ、住まいの熱性能を上げていくことが緊急の課題であることは間違いありません。そして、来年からの義務化に関しても、その下限を決めるプロセスとしては歓迎して然るべきだと思います。ただ、一つだけ気になるのは、そのレベルがどういうものかとい
あまりにも急激に、私たちの周りの環境が変化していると思わないではいられない近年の状況を考えると。住まいのあり方もかなり柔軟かつ臨機応変に変えていかなければならない。夏が過ぎていく今、今年は暑かったねぇだけでは済まない気がしてなりません。四
朝晩の温度がだいぶ楽になってきました。まだ日中の暑さは否めませんが、いわゆる酷暑はゆきすぎて、秋を迎えようとしています。それにしても、あまりに暑い夏はこの数年毎回記録を更新し、天気予報も体温超えの予想気温を報じるようになりました。エアコン
心の底からくつろげる者同士、今までの概念ら少し外れても、家族と呼べる人たちで暮らすすますというものがあっても良いのかもしれません。行政や法律の方がまだまだなかなかついていけないのかもしれませんが、独居老人や単身世帯、シングルの子育て世代な
息の詰まる当たり前の家族と暮らすよりも、職場や趣味の合う仲間との共同生活に魅力を感じるというのはなんとも寂しい思いもしますが、今まで疑いもなく通り過ぎてきた部分で、コロナや戦争という社会情勢の不安定さも相まって、ひとつひとつ自分と向き合い
例えば、核家族的な4人家族がひとつ屋根の下で暮らしていても、かつてのようにダイニングテーブルに食事で全員集まるということが少し希薄になりました。食事を共にすることがあっても、それ以降はそれぞれの部屋でスマホでYouTubeをみたりゲームを
かつての大家族主義の家族は、生まれながらにしてその人の位置付けが自ずと決まっていて、家父長制度色恋なかでよく言えば、守られている。悪く言えばがんじがらめに縛られているイメージの中に個人があるという感じだったのかもしれません。戦後の高度成長
住まいづくりを35年以上続けてきて、これまで。基本的にはその住まいは複数の方のための住まいであることが基本でしたから、私はいわゆるご家族のための住まいを作ってきたことになります。独居の方の割合がどんどん増えていますから、社会情勢からすれば
実際の工事では、目の前に形がどんどん現れてきますし、具体化がどんどん進むので誰の目にもわかりやすいのですが、プロセスの中でひとつひとつを積み上げていく作業は、遅々として進まないようものがない分、寡黙で地味な作業の期間といえます。ただ、ここ
最近の社会情勢を鑑みると、日々手続き上の事務仕事は複雑化して手間ばかりが増えて、ともすると一体誰のためにこの仕事をしているのだろうかと思いたくなるほど、作業が住まい手の想いとはなかなか近づけない場面もしばしばあります。その上で、昨今の建設
住まい手ご家族のことを考えながら、あれやこれやと考えている時間ほど楽しいことはありません。ご家族が笑い合いながら、日々を送れるための空間を、どうやったら構築できるか、様々な要素を総合的に判断しながら組み上げていくことが一番好きなんだと思い
原点に立ち返れば、私はなぜ今住まいづくりをしているのかということになるのですが、そもそもものづくりが好きで、考えることが好きで、そのことで人様のお役に立ったり、そのことで褒めていただいたりやりがいを感じることが好きなんだと思います。我欲で