きょうの詩は、前座となって咲く河津桜を見てソメイヨシノを思う追う桜冬が降る雨で消され薄れるなかで咲く花で私の初恋が萌えひとあし早く咲く桜に恋し熟女の美を魅せる彩(いろ)かに惹かれ花と遊ぶ余韻ははかなく切なく別れを見てああ私の初恋が・・・余韻の中でまだ見ぬあの人に思いをせ追う私の哀しい性(さが)満たされない恋人って哀しいね・・・ひとあし早く
四季の自然を中心にして書いています。
時には人などに関わることを書くことがあります。
きょうの詩は、前座となって咲く河津桜を見てソメイヨシノを思う追う桜冬が降る雨で消され薄れるなかで咲く花で私の初恋が萌えひとあし早く咲く桜に恋し熟女の美を魅せる彩(いろ)かに惹かれ花と遊ぶ余韻ははかなく切なく別れを見てああ私の初恋が・・・余韻の中でまだ見ぬあの人に思いをせ追う私の哀しい性(さが)満たされない恋人って哀しいね・・・ひとあし早く
きょうの詩は、いつもならいち早く咲いて早春の里山に春を告げる馬酔木の開花が遅く花をみたのは三月半ば、その花への想い遅れ
きょうの詩は、ある人の旅たちを知り、その別れに思う詩知っているから何だろうニュースで知る彼女が亡くなりああ、彼女も旅立って行ったのか私に何のゆかりも縁もないけれどなぜかな・・・気になり追悼を見て懐かしい・・・思い人は老い、生を終えるそれが分かっていても知ると寂しいだから空に向かって私が送る言葉はさようならではなく「ありがとう」・・・わかれ
きょうの詩は、三月の春めく日和を消すように舞い戻り居座る、冬模様にみる思い三月の間で春の半ばになっても冬が舞い戻り春を冬に模様替えし「よろしくね」冬が数日の間居座り春を消し冬模様となって謳歌(おうか)し降る一雨で洗い流され来る春で燃えた恋心は冬に消され思いが燻りながら去りを待つ。----戻る冬模様に思う
きょうの詩は、早春の草むらで点となってひとりで咲く蒲公英見て思う私の想い一輪の蒲公英温かい草むらで雨後の日和を浴びながら咲く一輪の蒲公英が心地よい日差しを抱きしめ「こんにちは」笑っている、詩っている楽しそうな蒲公英この時期の蒲公英は仲間と戯れるのではなく温かさを知らせひとりで春にともりを点し、春を告げる。いまはひとりで
きょうの詩は、出戻る寒さのなかに割って入る日和と雨に誘われて咲く野花への私の思い好きなひと私が好きなひとはいろいろいるけれどそのひとは人でなく“人”その思い寄せるひとは三月の声を聞くと日和と雨で生まれる青い小さな瞳で優しく語りかけてくる野花のオオイヌノフグリ街では彼女を知る人は少ないけれど春を告げるひと手に持てないひとなのでそっと見つめ「春ありがとう」と声をかける。咲くオオイヌノフグリ
きょうの詩は、野花の咲と散りに重ねる花の性それに重ねる私の思い野花の咲と散り野花は咲いて散りを繰り返して生きているそれが花の生の証かそれとも生の喜びの表現かその多彩な咲きは花たちの恋であり喜びの表現であり咲くなかで横恋慕されながらもそれぞれの個性で花の性を表現してそれぞれの終わり方で恋を終え一春の喜びをひとひらの思いを残して散る私の一春の恋の終演。野花の咲と散り
きょうの詩は、春になりまだ萌えの少ない三月上旬に降る雨で、花をみることがなかったなかでみる野花への思い雨後の風景彼女たちは感受性が豊かで冬が春に横恋慕しても私の問いに正直に答えてくれる雨後のドラマ彼らが舞い戻っても長く続かないのを知っていて淡い恋心を温む土に抱きしめられながら耐え雨後の日和の口づけで目を覚まし蕾を脱いで花を咲かせる野花雨後はいろいろな一期一会に出会え楽しい。春の雨後
きょうの詩は、冬と春の間で咲く一つの花にみて重ねる思い間で新しいページがめくられ幾日か過ぎ、立春の過ぎた辺りから春か・・・童に返り春色を求め歩く中で拾うのが仄かに香りを漂わせポツン・・・とともりを点すように咲く蝋梅あかりは冬と春の間で揺れる恋の炎となって燃え、冷めを融かすがその燃えは冬に横恋慕されながら揺れ浮き沈みを繰り返す。冬の春の間
きょうの詩は、いつも正月過ぎから咲く河津桜の変種を幾度か見送り、今回その先にようやく会えたその思い・・・早春のさくらいつも春のページをめくり梅の花を見て次は桜か・・・桜を訪ねればその表情は硬く蕾か・・・幾日かが過ぎて梅の開花を見て桜を訪ねればひと足早く咲く桜がいつもの場所で笑顔で訪れる人に対し笑顔で答える桜の控えめなほほ笑みが美しい。正月桜
きょうの詩は暮れから出回り、いまはその春から薄れゆく春から初夏が旬の露地苺への思い露地の苺誰もが大好きで手軽でいろいろな食べ方がある苺の旬は春から初夏であるがいまは温室の中で作られ、形も美しい苺でも・・・私は春の畑で日を浴び、形も不揃いな日々の中で熟しこれが私その旬の苺をむしゃむしゃと食べたい。いちご
きょうの詩は、私がいつも春を待つ小さな空間、そのなかでいつも春をひとあし早く告げる花がこの春は遅く、その想いを書いた詩空間の春私が小さな空間のなかに待つのは緩む土のなかから届く春のラブレターで悶々としながらひたすら待ち続ける人は優しい笑みがかわいい人彼女は氷空から時々落ちる日和をむさぼりときめきを蕾のなかで膨らませ朝の日和のなかでほほ笑みを零し小さな空間を春の初心色で埋めている。春を待つ空間
きょうの詩は、雨空をみて思う想い雨空に見る思い西からの雨雲が流れに沿いながら雨を降らしている「雨か・・・」手のひらで受ける雨に冷たさはないが濡らす雨に日和の温もりを見て「温いな・・・」思いを重ねる雨にまだ足りない春の愛を知り恋を阻む雨空を憎み愛おしい春の日和を待つ私に雨空は無言を貫く今日の氷空。雨空
3月3日は上巳の節句(ひな祭り)私のblogを読んでいただいている女性のみなさん「おめでとうございます」いつも健康でひとりの女性として美しく心豊かな幸せが続くことを祈っています。きょうの詩は、桃の節句を上巳として捉え春から始まる新しい生活、Startなどが幸せにと思い書いた詩です。ひな祭りん3月3日は五節句の一つ上巳の節句である。「ああ・・・ひな祭りか」ではなく、今日は女の子の成長を祝う祭りになっているが、今日は視点を変え、愛する人たちと春の旬の食べ物を食し、自然の恵みから生命力をもらい、冬が去り、春から始まる四季に希望を持ち、それぞれがいろいろな形で始めるStartに、装い新たなリセットの一日としたいひな祭り。3日は上巳の節句
きょうの詩は、二月の終わりになると里山の森に春の灯りを求めるが、この春は春の訪れは遅くいまだに冬彩が残る。森に春を求めて春と言われても落葉に木の葉はなく常緑の木の葉に精彩はなく森に積もる落ち葉が朽ち色に染まり落ち葉を踏む音が静寂を壊し緩む土の中に萌えはなくつかの間の日和が燃え萌えを誘うが無反応で「春か・・・」思う萌え彩はいまだなく森に冬をみる。早春の森で
きょうの詩は、二月の終わりにみる春の生れに思う春の生まれさめた土が寒の戻りの潤いでゆるみそのなかから萌える産女に私の冷めも緩み恋が春から生まれるように私にも生まれ二人でときめく早春のなかに誕生と出会いに私も覚めるが町はまだ…冬の抵抗のなかにあるけれど土の見えるところで春が生まれるが誰も私に気を留めないし知らない。春をみる
きょうの詩は、私の好きな椿で早春にその咲を求めて里山を歩く花は未開でいまだに口を閉じている薮の蕾冬の終わりのなかで蝋梅水仙と咲いてそろそろ次はあなたの番と促されても・・・私はその気になれず固い表情を崩さない藪椿の蕾「花はいつかな・・・」茂みのなかに膨らみを探すがまだ見ぬ人に思い寄せる恋路は見えず未恋の蕾があかりを灯す時を待っている早春の藪椿の蕾。未開の藪椿
きょうの詩は、好みで分かれる海と山、きょうの詩は山好きの私からみた海の四季をみて思う詩好み山が好きな人は海より山がいいというが一度山を離れ海に行って砂浜を走り海に入り潜り潮の流れを泳ぎながらサンゴの森を抜け谷を下り山を越え魚と一緒に自由に泳いでみれば山とは違う色彩の風景が広がって四季ごとに変わる温もりで私を抱きしめる海は母の優しさで山は父の厳しさで愛してくれる。海と山
きょうの詩は、梅園の白梅でなく放棄地となった畑で春になると存在感をみせる白梅をみて彼女に贈る詩見捨てられたように私はもう見捨てられたのか、彼女は思い私はここになぜ一人でいるのか思う一本の樹木その彼女が笑顔になるのが早春で花をいっぱいつけ逆ハートの形の花が私を好きになってもあなたの色には染まらないと彩を貫くそのあなたにかわいい子がたわわに実るfamilyを私は何年も知らないなぜなら逢瀬は笑顔の時のみだから。白梅
きょうの詩は、居座る冬のなかで冬の日和を拾いながら温まった蕾が開き、咲く一コマの想いの詩早春の紅梅節は春を告げているが冬が居座り寒々としている二月の半ば冬の緩みの間で蕾を温めた紅梅がそろそろ私の旬固い表情を緩ませひとり…と咲いて花ともりとなって燈り笑みが満面のほほ笑みとなり溢れ花から匂う芳香で壊れ始める冬の中に春を見る。早春の紅梅
きょうの詩は、私が好きな容と生に思う私の想い、考えの詩容と生容はひとが作り、生は授かる。この二つは何れ形の機能を失い、消える。容も生も使用で消耗し、容は壊れ、生の機能は停止して二つは壊れる。容のなかにはその扱い・管理により、生よりも長く容を保つが、生の保ちは限られ、そのひとによって違い、終えれば無に帰する。この二つはひとにより作られ、ひとの関わりでその終えが決まるのかも知れない。容と生に思う
きょうの詩は、私が過ごすなかでいろいろ恋して思うその思いの詩性男と女が求めるもうひとつの形はある出会いから始まり縛られながらも人目を避け重ねる逢瀬、いまを忘れる口づけで求め合いは理性を失い日々のなかで燃え続ける恋はわれを忘れ夢中になり、哀しい性生を知る一時。恋に思う
きょうの詩は、若い世代の半ばの絶ちに思う私の想いというか寂しさの詩絶ちに思う自然に生える樹木や植物と同じようにある意味で過酷な自然の中で人は生き耐え、周りに支えられながら喜怒哀楽を通して自然に果てるまで生きていくのが私たちそれがなぜ、どうして自ら絶つのかその心の内を誰も分かろうとしていないし見捨てているのかもしれないでも人は生を受けた以上あなたに生を授けた愛する人のため絶ちは何も生まない。半ばのわかれに思う
きょうの詩は、早春のなかでひとあし早く咲く蒲公英への想いともる一輪名も知られていない雑草に混ざり一輪の蒲公英が天に手を伸ばし、花を一輪つけ丸顔を黄色の厚化粧で冬の終わりの日和の日差しをむさぼり濁りのない花彩の美を見せるがもう誰も私には触れない、手に取らない私が少女に摘まれたのは今は遠い昔のこと雑草となった今、町の片隅でひっそり咲く。早春の蒲公英
きょうの詩は以前に旅した伊良湖の菜の花咲くなかを散策したときの想い出の詩伊良湖の想い出海辺の丘陵地を花が黄一色に染まりひとひらが天に舞花で埋まる花のなかに分け入れば海からの甘じょっぱい湿りが風に飛ばされ私にキスして「温かいでしょう」と笑みをこぼし冬がひと足早く菜の花に染まる伊良湖から海に逃げていく。旅の思い出
きょうの詩は、私の友人の誕生日に贈る言葉誕生日の詩昨日で私という一年草の私が散り新たな花を咲かせるために今日から蕾を膨らませる私の誕生日今までの私は散り今日から新たな一期一会で蕾を育みすてきな私を創り一年かけて私を咲かせたい。贈る言葉
きょうの詩は、立春が過ぎたなかでみる日和に思う詩日和で顔は穏やかで笑っているが心の内は冷め笑みからこぼれる日差しは優しいがさめて暖まらない今日の日和つかむ日和に熱い思いは感じられずクールで笑みに和みは感じられず抱きしめる日差しに心がない日和。晩冬の日和
きょうの詩は、私の気分転換は飲み歌いでなく、寂のなかを時間をかけて歩くことで自然換気すること寂のなかを歩く今では死語というかあまり使われない「寂」私はこの言葉が好きでこの言葉に合う場所に時折訪ねいまの私の心を捨て空にして寂のなかをゆっくりと歩きいまの薄汚れた心を空白にして自然換気で私を洗うがそれで何も変わらないし、その場限りとそれを知りながら寂歩きを止められない私の弱さ、人の哀しい性。私の寂歩き
きょうの詩は、私が四季折々歩く小さな森に佇む寺の山門横に立つ対の銀杏に思う私の想い寺の銀杏地味な私がスポットライトを浴びるのが秋で春には萌え花が咲き小葉が広がって新緑になっても私を見上げ「新緑がみずみずしい」と見る人はなく今秋になり黄葉しても逢瀬の相手は少なく初恋のときめきを持ちながら終えその思いは引き潮となって消える。----山門の銀杏
きょうの詩は、湖辺を歩きながらみる春の萌えの一コマ温の湖うみが春の中で凪いでいる朝の風が「おい、朝が来た」と枝を揺らし声をかけ起こしていく立春の朝空は汚れの取れた碧い空となって広がり海の向こうには雪の積もる山が連なり足元では日差しを受け緩む土の中で新芽が春のともりとなってともり冷めを点々と点し空間を広げる春が始まる。湖辺でみる春
きょうの詩は、寺の境内の片隅でひっそり咲く水仙の一輪を灯りとして眺め思う花への思い花ともりツーンと伸びた茎の先で小さな胸を膨らませまだ見ぬ人を待つ小さな蕾その咲はともりであかりは咲いて燈り散りで燈は消えその小さな明かりに魅せられた者はなく独りの時の中で見初めてくれる人を待ち一喜一憂して消える一輪のともりに暗さはない。一輪の水仙
きょうの詩は、いろいろな花の咲と散りにみる私の思い咲けば花は咲けばその美ははかなく散りでその彩と美が消えるはかなさそう思うと哀しく寂しい一面もある植物と樹木それは植物と樹木で違うが散りは散りで…植物は散り後は枯れ、樹木は存在を残し二人はそれぞれの形で再び彩を描く花たちこれは彼女たちが見せる個性美。花の散り
きょうの詩は、気分転換に思う私の考えと思いは自然換気私の自然換気ひとは日々過ごすなかで悩み誰もがストレスを抱え気分転換が必要でその方法はひとそれぞれあって良いしこれがベストというものはなく人により違っていい私は必ずひとりのオフを作りストレスを吐き出し一日オフを楽しむことでリセットして抱えをゼロにして終わる私の気分転換。私の気分転換
きょうの詩は、ひとがもつ恋の思いを多年草の花に例えその思いを冷めでなく褪めに例え思う想い恋のさめひとがもつ思いはそのひとがもち咲かせる一輪の花花はバラにも野花にもなりその咲きは何れも美しいが散りがあるその咲きのプロセスは一つの恋であり、性ひとの恋も花の咲きであり、咲いた後には散りが来るひとは一年草でなく多年草の花散り後は再び萌え、花を咲かせ、さめで恋がうせる。思いの褪め
きょうの詩は、私がもう一人の愛するひとと思い慕い、冬の森で逢瀬を重ねるひとへの思い冬の落葉樹衣を脱ぎ捨てた冬の落葉樹が見せる裸体のいろいろな形はそれぞれに個性美がありああ・・・このひとはコナラ、このひとは・・・とその多種多様な形に話しかけ歩く冬の森の楽しさは衣を脱ぎ捨てた彼女たちの素顔の個性に萌えを思い巡らせる冬の森。冬の森の恋人たち
きょうの詩は、私が冬になると求める日本水仙、花は私が生まれ育った地で咲く雪中花。冬の愛するひと花の少ない冬の野にあって花はひっそり咲いて花期を終える水仙花は海を見下ろす段丘で清楚な花彩を寒空の中で震えさせながら愛を求めるように唇を開き甘い香りを「ふぅ・・」と吹きながら私の恋心をくすぐる水仙の芳香に閉ざされた恋心があなたの香りで緩み思いは空に向かって解き放され花の香りに包まれて萌える。愛する冬人
きょうの詩は、私が求めてやまない山のひとりに思う詩愛してやまない人私が求めてやまない独りでそのあなたへのアプローチは長くピークに至る過程で私を試すあなたが怖いあなたの唇を奪おうと詰める私を迸る水と歩きを阻む雪渓がしがみつく岩稜が私を振り落とそうと隙(げき)を伺うそう愛しているあなたが私を愛していないことを知っているからあなたが私は怖い。私の好きなひとり
きょうの詩は私の性を主る二つの欲と心に思う欲と心私を創る欲と心の二つが私を創りいまを私は生きている欲は私を生かし心は私を創り欲が逸脱すれば心が制御し私を人に戻す欲と心私の性を作る二つを失くして私は存在しないしこの二つがいまの私を創る。私の二つ
きょうの詩は、日頃余り気に留めない立春にみる私の思い立春に思う時折語りかけるように氷空がゆるみ隙間から笑みがこぼれ仄々とした温もりに包まれながらああ・・・今日は凪いでいるそう思う立春の訪れその春はまだ逢えぬ人となって居座る冬に阻まれが萌えはこの日から時折こぼれ落ちる温もりを拾い初心な恋を温めながらときめきを待つ立春。2月3日
きょうの詩は、冬のなかで散る寒椿の終わりを花の恋に重ねみる花のうせ咲は花がもつ恋であり、散りはわかれ冬のなかで咲を終えた寒椿が旬を終え一片を涙に変え落ち、辺り一面を残り彩で染め終えの一時を楽しみ、生前色を消す寒椿のうせそのうせは花のひと冬の恋の終わりであり、寒椿はいつも冬に恋し、わかれを私と違い、冬に幾度となく恋する。散り
きょうの詩は終わる一月に贈る私の思いさようなら一月きょうで一月が終わるが終わりにあたり私が手にするものは何もなくああ・・・一月が終わるか空をみるが寒空で春は遠いいま終わりにあたり寂しいという思いはなく過ぎるの早さにひとの性をみて終わりの早さに嘆くが時は私の思いなど無視しRESETされるその一月に私が告げるのはLullabyでなくthankyou。終る一月に思う
きょうの詩は冬を構成するひとりの風にみる私の思い冬のひとり私が思う冬のひとりが風主役は北風で、時折吹く南風はピエロかな北風は私から温もりを奪い南風は仄かな温もりで抱きしめ、冷めた恋心を解し日和の空の下に連れ出してくれる南風が今日はティータイム日和というそのほほ笑みは短く二日ほどで消され、再び北風がまだ…私の季節と今日も笑う。冬のひとり風
きょうの詩は冬野で拾う春彩の花にみる想い冬野で春を拾う彩の少ない冬の中でまだ見ぬ人を求めるように私が探す春色の人が人知れず冬野で「早く私を探し会いに来てと」北風に震えながら待つアブラナの花その表情にくすみはなく明るい笑顔でまだ見ぬ人を待つように冬野でひっそり人知れず咲く花が私が拾う愛しい待ち人。春を拾う
きょうの詩は、冬のなかでみる春への私の思い冬のなかで四季は晩冬で後数日もたてば節分から立春へとつながるがまだ見ぬひとは遠く春か・・・そう思うのはまだまだ先であるその春が来るのは嬉しいがいま私の思いは複雑で捨てきれない冬の想い出を寂しさのなかでともる一輪の水仙にまだ見ぬ春を重ね春よ来いと歌う。冬のなかで思う
きょうの詩は、冬に表情を変える氷空をみての私の思い冬の空は冬の空は私と同じか・・・時折気分を変える空を見ていると何か俺に似ている一日中気分次第で表情を変え気分が安定しない空に一日中振り回されめいる日和が続かない冬の氷空これが私の冬の素顔その顔はなぜか憎めない愛おしさがある冬の浮ついた空。冬の空は
きょうの詩は私の毎日のめくりに思う想い私のめくり日々のめくりが楽しいか楽しくないかはその人その人で違うと思うが・・・私のめくりはいつも考え、思いめくり明日を描いているかそう問われると私のめくりには新たな花の蕾も生まれず、花も咲くことなく今を維持し新たな蕾の膨らみを日々に思い今日もめくる、今の私。日々のめくり
きょうの詩は愛する人とのわかれに思う私の思いわかれ何て温もりのない一言なのかあなたきょう私を次の花として咲かせその咲を見届け最後のひとひらに笑みを残して散りその一片に手を触れるとあなたの微かな温もりを感じる土に帰るあなたに送る言葉はさようならでもありがとうでもなくIloveyouあなたに贈る私のわかれの言葉。わかれに思う
きょうの詩は山茶花の散りを待って咲く寒椿の花を花の恋として書いた詩冬の恋彩咲を終えた山茶花が「グッドバイ」と言って想い出をひとひらに籠め散らすなか後は私が小さな蕾が思いを秘め冬日和の抱擁で恋心を膨らませ新たな恋心を寒空の下で燃えほほ笑む冬に生まれる恋は静かに燃え深紅に染まりモナリザのほほ笑みとなって私を誘う。----花の恋
きょうの詩は存在、いまの私があるのは私を創り、見守り、また支えてくれた人たちのおかげ、それは感謝、この一言につきる。いまの私きょうも普段通り目覚め「ああ・・・寒いな」この暖かい抱擁から離れたくない葛藤しながら離れ私はきょうも生きている多分明日もそのいまが在るのは私を創りいまに至る私を多くの人たちの支え、Supportのおかげでいまの私があるそれは「ありがとう」、この一言につきる。存在
きょうの詩は花の少ない冬のなかで咲く寒椿の思いを私に重ねて一輪の燃え色の少ない冬のなかで紅を小指にとりさめた唇に恋を呼ぶように塗り好きな人がいないのに厚く熱く塗りまだみぬ人を待つ一輪の寒椿私を見初める人はまだなく待つ人は見て見ぬふりして通り過ぎるああ・・・昨日も今日も熱い視線がない。咲く寒椿
きょうの詩は冬の森歩きで楽しむ落葉の踏み音落ち葉晩秋に染まり落ちた木の葉が至る所で散らばり積もり歩く道に積もる無数の落ち葉「落ち葉か」一声呟いて落ち葉を踏む乾き重なる落ち葉は私の踏みで悲鳴を上げ鳴きはリズムに代わり「おい私の奏でを聞いている」落ち葉が私に話しかけてくる冬の森歩き。落ち葉
きょうの詩は、崩れそうで崩れない空の感情をみて思う詩きょうのそら朝はいい顔をしているが日中になれば表情をころころ変え私の心を弄び空は一時…と表情を変え私の思考を鈍らせ外に出ればしめたとばかりに風を使い私に抱きついて有無も言わさず唇を奪うように想い出を奪い私の低落を楽しむきょうの氷空。壊れない空
きょうの詩は、ひとの手により育成された杉林が、今では育児放棄され荒み、その美が崩れ行く想いの詩杉の美ひとが植え育てた杉が美しい美林となって森を創り見せるがいま人の手により育てられた杉は独り立ちできず弱いその杉がいま主を失いケアされずに美を失くしている。杉林に思う
きょうの詩は冬に咲く寒椿の鮮やかな壱輪の花をみながら思う詩冬の壱輪寒さの厳しい日なたで愛嬌(あいきょう)のある顔で謙虚にほほ笑む花にわ!鮮やかいつも私を見ないで通り過ぎ私はあなたの心の蚊帳の外だから今日くらい「寒椿か」と声をかけあなたの別れのひとしずく涙を拾い別れのキスで送りたい。花言葉は謙虚
きょうの詩は冬の最中に「おはよう、春も近いよ」そう笑みをこぼしながら話しかけてくる彼女の笑顔。冬花に恋して冬のなかで私が恋うるひとは控えめで笑みはポツリ・・きょうも心開かない彼女に対して問うのはなぜどうしていつもなら「おはよう」とそう言って笑みをみせるのに今日もなく萌えのなかに笑顔はなく萌えは淡い期待を持たせ私の恋心はあなたのなかで弄ばれる。冬の愛しいひと
きょうの詩は、数日吹き荒れた北風が止み、穏やかな表情をみせる空の凪に思う冬の凪激しく木々を揺さぶりさらす肌から温もりを奪った寒風は止み今日の空は氷海の表情で穏やかな顔で無言北風小僧となっていたずらすることもなく風は止まり静かで凪いでいる今日の冬空その空をゆっくり眺めながら凪を楽しむ冬日和の一日。空の凪
きょうの詩は、冬に咲くアブラナの花にみる春への想い----花色に春を見る冬の中で新しいページをめくり会いたい人が黄色の花花は寒空の下で誰も来ない野でひっそりと笑みをこぼし誰を待つのかひっそり花をつけ優しくほほ笑むそのほほ笑みに待つ寂しさはなく笑顔で春を描いてその春色に未だ見ぬ人を重ね思う。冬に咲く花で春をみる
きょうの詩はわかれに思う私の想いいまの心境・・・わかれに思う生きるプロセスのなかで味わう別れその別れは出会いの別れといまとの別れに区分され出会いの別れは明日があるがいまとの別れは明日がなく出会いは寂しい思いにかられるが明日のない別れは深い傷を心に追う私が持つ別れ今経ていくなかで出会いの別れは少なく自らが負う別れが私を待つ時に縋りながら。わかれに思う
きょうの詩は私の薄弱さを季に重ねる詩私の薄弱さいま冬の中で寒い・・とぼやきながらまだ遠き春を待つその過ぎは早く心をむしばむように私から月日を奪い気がつけば冬が去り春その春に咲く一本の桜には目もくれずネームバリューの桜を追い求め旬が過ぎ散り行く桜には目もくれず冷める私の季ごとに断ち切られる心の薄弱さ。私の薄弱
きょうの詩は、私が過ごした地で冬になり、雪が来る前にみせる時雨の空への想い時雨空私の生まれ故郷の初冬の空は雪が来る前はころころ変わりああ・・・晴れかそう思えば湧く雲が豹変し微笑を消し冷たい雨を降らせ冷たい雨が温もりを強引に唇を奪うように私から奪い雨の合間に見せる空の笑みが別れに見たあの人に見える。初冬の時雨空
きょうの詩は、私が新たに手にした12冊の一冊目を手にしてめくり記す私の想い。めくる一冊目再び私が手にした白紙の12冊「うれしい」思う反面、私はこの一冊目に何を描いて記し埋めていくか迷いが始まりああ・・・まずい一冊目を手にしてからパラパラめくられ白紙が続く中、寒空の下でほほ笑む春彩を拾い一枚目が埋まる。一冊目をめくる
きょうの詩は晩秋から咲くアーコレード桜を春にみずいつも秋にみて思う春咲く花への想い冬の桜花は異国生まれで余り知られていない春と秋に咲く桜に春は会うことなく会うのはいつも晩秋でそのともる花を拾いながら思う春の逢瀬の高まり「春に会いたい」思う気持ちを秘めながら思いが冬のなかで恋に変わる。冬の桜
きょうの詩は銀杏の黄葉とのわかれに思う私の想い想い出の散り私の想い出の人が初冬の中で「さようなら」と名残を惜しむようにひらひらと舞い落ちその別れを楽しむ木の葉が人知れず氷雨に打たれ落ちてボタン雪となって薄ら積もるその一コマは私には描けない別れのワンシーン散りに哀しみはなく別れの中に春に萌える生の営みを見る。銀杏の散り
きょうの詩は、冬の森にみる落葉の散りを失せとして書いて私に重ねる詩失せ冬のさなかに雑木の森にみる常緑に混ざり寒そうに立つ裸の落葉樹から春夏秋にみた彩の面影は失せ脱ぎ捨てた衣が樹木の下に散らばりその裸の肢体は無骨ながら一体の彫刻としてみせるArt失せてもその姿態は美を保つがひとである私には叶わない生の営み私の失せは枯れイコール消滅。失せに私をみる
きょうの詩は私が愛する人たちに贈る一枚のCardに思う詩一枚のカードいまでは多様性という中でアナログは薄れて機器に代わり紙に書くから機器で送るになり手にしても温もりは薄れ思いは伝わるが心はなかなか伝わらない私の愛する人には生ある限りありがとうは自らの手で書いて贈りたい私の一枚のカード。贈る一枚のCard
きょうの詩は、一年が終り始まる一年に思う詩減点冬から始まり冬で終わる一年いまResetされ「うれしい」と思いながらああ・・・ひとつ減点か思うがそれは減点でなく原点に返るプラス志向に考え始まる一年に恋したい。----始る一年に思う
きょうの詩は1月1日に思う私の気分転換の思いにみる詩きょうは気分転換きょうは一年に一度の気分転換でも・・・思うのは小枝の落下いまは100と言われる小枝も数十本落ち残りも少なく残る本数がきょうまた一本落ちてああ・・・と思い後何本落ちて私が倒れるか予測は難しいがゼロとまでは言わないが可能な限り気分転換しながら生きたい。あけましておめでとうございます本年もよろしくお願いします気分転換に思う
きょうの詩は2024年の最終を迎え、そのResetに思う詩12月31日(Reset)きょう冬から始まり冬で終わる四季が夜の零時でResetされ新たな時が冬の中で刻まれ萌えに向かってカウントが始まる始まりは冬春はまだ遠いけれど新しいハートが氷空の下でともりときめきとなってつないでいく。12月31日に思う
きょうの詩は私の好きな四季の移ろいにみる私の想い移ろい冬が終わり立春か・・・思い巡らす野は寒々として萌えるなかでほほ笑む野花はそっぽを向けられるなか立夏になり雨と暑さに映える花々に魅せられ恋する心は浮つき揺れるなか居座る暑さのなか立秋か・・・青々とした落葉樹を見て染まりの答えを出せない木々の嘆きを見る来る冬のなかで冬の訪れを邪魔する秋彩に複雑な別れを見てうれしさのなかで冬を忘れるいま最後の季の終わりのなかで木の葉が土に帰る。四季の移ろい
きょうの詩は閉じる2024年に思う私の想いきょうの私冬から始まり冬で終わる四季の一年は冬から始まるいま冬の半ばで一年を閉じる二あたり思うのは月日の早いたちたちは早くなったり遅くなったりすることなく一定のRhythmで刻まれているのになぜか「早いな・・・」そう思うのは体と心に現れるパーツの歪からか閉じめくる2025年1月1日が「楽しい」でなく「ああ・・・一つ部位が壊れたか」ひとり寂しく呟くきょうの私。Resetされる一年に思う
きょうの詩は久しぶりに広がる青空をみて思う詩冬の青に思う表と裏で違う冬の空は夏に恋し、秋に逢瀬を繰り返し、別れその別れで全てを失い温もりが消え蝉の脱殻となった空に容と彩はあるが冷めた青に染まる空を見て思うのはああ・・・冬空か深い溜息がこぼれる。冬の青空みて思う
きょうの詩は崩れそうでなかなか崩れない空みて思う詩時雨模様きょうの空は寒空で暗いそして…寂しい日和は歪曲(わいきょく)されて散らばり曇りガラスで光は遮断されいまにも泣きそう…降るのかな北風がコトコトなって寒々とした雰囲気をつくり「おい、雨、降れよ」と誘うけれど空にまだその気がないのか「一向にその気にならない」拗ねる空が愛おしい一日。きょうの空
きょうの詩は私が好きで歩く里山の道に思う詩私の散歩道至る所を縦横無尽に走る道にはいろいろな種類と用途がある中で私が好きなのは山のピークに至る不整地の道いつも歩きやすい道ばかり歩くから今も歩きたくなって通うのが里山のピークに至る道で歩く時間は少ないがピークに至る道は選択肢がいろいろあって気分転換と一期一会を求め四季を通して道草しながら歩くのが今の私の散歩道。私の好きな散策路
きょうの詩は過ごした24年を一冊の本に例え思うこと一年を一冊にして私が手にした一冊はシリアル№が打たれ12冊まとめ24という題名が付けられそれを23年の終わりに手にしてページをめくりメモをとり放置する中時間の風にページがペラ・・とめくられ開いて閉じられカウントされる中で残るシリアル№はこの12のみ残り枚数は8枚その閉じにあたり思うのはあまりにも使用されずに残る空白の多さ。一年を一冊にして
きょうの詩は冬空に思いみる詩空の不機嫌冬が足止めをくらった分その怒りをぶつけるように不愉快な顔で空を連れ添う雪雲でころころと変え氷空から落ちる日差しは停止点滅回復を繰り返して街の上で雪雲が右往左往しながら混乱と混雑を繰り返す今日の街の氷空氷空は私の心と体を弄ぶ。氷空
きょうの詩は北からの寒気で表情は笑みでなかなか日和にならない空に思うきょうの氷空何だろう晴れているのにトーンが落ち寂しく感じるのは青空が見え日差しがありながら寒々と感じるのは私の頬をたたく風と今日も居座る寒波のせいか氷空は笑みを見せているがなぜか全体が重くくべるまきに空は火を点ける勢いはなく地表で氷空が燻る。きょうの氷空
きょうの詩は里山の落葉の森歩くで出会う落ち葉の一コマ森の落ち葉小雪の頃から森に冷えが降雨となって降り寒さを森に漂わせ森の潤いを彩りに換え散らし四季の想い出を冬の訪れで消し変換を繰り返しながら木の葉が牡丹雪となって降り積もりいま春夏秋の思いを散らばる一葉に残像をしばらく留め果てるというか朽ちの中にみる落葉の奏でる冬の詩。里山にみる落ち葉
きょうの詩は、私の好きな銀杏が染を終えて散るその一コマの詩散る銀杏葉山茶花が花びらを一片散らし樹木下を彩で濡らす傍らで銀杏が葉を消すように落ち薄ら積もり花色を消し私は散っても美しいとほほ笑み風のリズムに合わせ舞い踊り花色を沈め黄色いグラデーションの華を描く銀杏葉。銀杏の落ち葉
きょうの詩は冬になり彩を終えて森に降り積もる落葉をみて思う詩森の落葉山に積もる落葉は人の別れと違いもがくことなく自然体で時期を読み自身の散りを悟りながら散るが私はもう少し先かな思う中で別れが来ることがあるが木の葉は一輪の藪椿のごとく色を魅せ寂しさの中で彩を褪せて朽ちる積もる落葉の自然体の美しさ叶うなら私もこう在りたいと思う落葉積もる冬の森。森に積る落葉
きょうの詩は私が四季を通し歩く、寺の在る森を南北に通じる道について思う詩。私の散歩道私がこよなく愛する散歩道はたたずむ寺に南北に通じる森の中の道でそれは砂利と土の道で踏む感触と音色は私が遠い昔に置いてきた思い出の道その森は定番の雑木でありながら四季折々に見せる表情を一枚の絵として描き展示する楽しい散歩道。私の散歩道
きょうの詩は、ひとりひっそり残花として咲く小菊をみての私の想い冬の小菊寒空の下で笑みをこぼしてもわ奇麗な花彩そう話しかけられることもなくあなたを待ち続けああ、きょうも来なかった寂しく一粒の涙を流しすべてが涸れるまでに逢えるかな呟く小菊が愛おしい。ひとり咲く小菊
きょうの詩は、ある意味で私は白から生を受け一期一会で色を作り、その白も時をおいて黒に返り無に帰する私の白と黒私は愛する二人から生を受け黒の中で形を作り白い世界に出て一期一会を通して形を作り花を咲かせ枯れ白いページを閉じ再び黒の世界に返り無に帰するそう、私は黒から生じ白で生き、黒で終わる。ある意味で原点
きょうの詩は私の住む町のなかにある森を散策しながら思う想い町中の森森の中心に寺がたたずむ小さな森中は雑木で雑木が寂しい森に華のともりを点ける落葉春には花で秋には彩で控えめに点し座る私の肩にそっと温もりを置いて季節の始まりと終わりを告げる町の森その森に顔があるのがうれしい。街中の森のなかで
きょうの詩は秋を余り意識しないなかで初冬となり、その初冬のなかで旬の秋を楽しみ、いま散りのなかに冬彩をみる。冬の彩冬の日差しを雲がアレンジで操り寒気が風雨を伴い気温を下げ北の大地を雪で埋め我が町では彩が消え素顔に代わり温もりが薄れ空色が信号色となり点滅を繰り返し大空、町、野、山を冬彩に換え冬のシーズンの訪れ。冬来る
きょうの詩は小雪が過ぎ大雪の空にみる日和に思う詩冬の日に想うこと大雪の空からこぼれ落ちるのは表情を次々と変える空その広大な空は窓を少し開けて日差しを取り入れて明るくするしかし考えているうちに窓が閉じられる冬の空ああ、空は時雨が降るのかな移り気な冬の日和に日差しを浴びて細々と燃える焚き火の温もりを感じる。冬の日和に思う
きょうの詩は冬の訪れを冬人として捉え思うこと冬の人わたしにとって冬の人とはわたしの温もりを奪う北からの寒気かな有無も言わさず私の唇を奪い温もりを奪う冬の訪問者彼らは冷えた体で無作為に抱きついて色を奪いセピアに換え至る所で冬人が我が物顔で居座る冬来る季節。冬に思う
きょうの詩は私が持つであろうと思う愛について私なりに思う愛の詩私が思う愛私が思う愛は人の好き嫌いから生じるのではなくすべてのものに対して損得ではなく素直な慈悲と思いやりで抱擁し相手を和ませ生まれる愛は性と感情を否定することで生まれるが愛を衣で纏い打算で使い分ける。愛を考える
きょうの詩は冬の森のなかで燃え散りその後に萌える彩明かりに思う冬の紅町の森の中で冬になると探すのが紅の散った後にともる明かりいまは森の中は紅色が燻り燃え落ちた木の葉から紅がうせ朽ちて色落ちていく森その最後の深紅が消え冬の顔に返る時寂しい森の須弥壇に無垢のともりがともる。冬の森にみる色
きょうの詩は初冬のなかで訪れる季との別れを紅葉にみる色との別れ秋になって人には描けない彩を彼女が見せる紅葉は晩秋の別れの色となって落とされ素顔に返り眠るその化粧の落としは彼女のドラマであり舞台の終演その余韻に第九の合唱となって歌声の中で散る。季節のわかれ
きょうの詩は私が四季折々歩く町のなかにある森の散歩道の想いマイロード町の一角に残るお寺の森を南北に貫く参道が私の好きな散歩道。長くはないが四季ごとに寂しさが漂い動きを消し。夏彩から秋彩になって色を消す。そのプロセスに見とれる初冬の道が、別れの顔となって私の心の隙間を埋める散策路。きょうの散歩道
きょうの詩は冬の始まりに咲く山茶花の花に思う小雪に咲く花冬の始まりを察し咲いて彩る紅葉に花は埋没し消されて人知れず凛と咲く彩の山茶花花の色により花言葉をつけ戯れる人のわがままいま小雪の思いを受けそのひたむきなほほ笑みが美しい。冬の花
きょうの詩は冬の訪れが遅いなかでようやく吹いた北風で思う冬の訪れ木枯らし冬か・・私に感情を付ける風は立冬に生まれ木枯らし一番となり吹いて冬の始まりを告げしばらく小春日和で私を弄び安堵(あんど)させ遊びは終わり素顔に返り私に抱きついて唇の温もりを奪う嫌な人。北風
きょうの詩は過ぎる一年を最後の冬の染まりと散りにみる私の想い思いと消え一年に一度来る彼女との別れの時に思うのはこの一年は私にとって・・・過ぎる一年に思うのはああ・・・私のカウントが一つ減ったとぼやきいま春の萌えから春夏秋と付き合い最後の初冬の中で燃え狂う色をみて思うのは別れか燃え落ちる中で彩に抱かれながら思うのは過ぎる一年の想い出と消え。想いと消え
きょうの詩は染まりをみせた落葉樹が旬を終え、散り始めた風景をみながら思う紅葉への想いさようなら出会いは楽しく逢瀬は恋のときめきとなって心を打ち「抱きしめたい」思いは氷雨で放されないかと怯え強引に剥がす木枯らしに剥がされまいとすがる寂しい小雪いま手を合わせ温め落ちる一枚に見るのは恋の終わりとわかれ涙が号泣となって落ちる小雪のわかれ。秋との別れ
きょうの詩は秋になっても夏が居座り、一向にChangeしないなかで思う秋へのラブコール。秋の中でこの秋ほど感情のない秋はなく夏という過去を引きずり愛してもいないのに別れようとせず私「もう限界」「別れて」告げる私から離れようとせず今日も私を抱きしめて離さない彼女との腐れ縁が秋になっても続く。離れない夏
きょうの詩は愛する人とのわかれに思う私の想い永遠の別れきょうあなたは私を一輪の花として育てその咲を見届け「良い花となって咲いたね」私に心のコアとなる愛を残していま寂しさのなかで静かに瞳を閉じ土に帰る私の愛する人きょう贈る言葉はさようならではなく私の口づけとありがとう。愛する人とのわかれ
きょうの詩は私の住む近くに在る対の銀杏の黄葉みて思う想い小雪の銀杏季節は小雪である。ああ・・・雨から雪を見る頃になって好きな銀杏を見れば小春日和の下で日差しを浴びながら一葉の色香が別れの彩となって纏い「そろそろお別れだね」別れの一文字を記した一枚を落とし私に話しかける小春の銀杏ああ・・・別れの季節か鮮やかに染まる小春の銀杏に過ぎを見る。銀杏の黄葉
きょうの詩は平常において溜まり心身の支障となる気分転換に思う思うオンとオフひとは緊張感を持ち続けていると心身は疲弊し疲れ自身の方向性を見失い苛立ち周りに当たるそのストレス解除には日々のなかでの気分転換によるリセットが必要そう時にはいまから離れONとOFFで遊びを作りたい。私の気分転換
きょうの詩は私の一日に思う詩、その始まりはいつも朝から一日の始まり私の一日が朝の目覚めから始まる。朝か・・・起きるか・・・それを二つの思いが私の足を引っ張り、睡魔に沈めようと誘う。悪魔のささやきそのささやきを散らす隙間の明かり。このともりから私の一日が始まる。一日は朝から
きょうの詩は秋の別れ彩を創る二人に思う詩染まる晩秋から初冬にかけて染まりを創るのは赤と黄の二人この二人がSoloでコラボで描く秋のオペラはSoloの序曲から始まり大合唱で終わる題名のないオペラオペラの主役は毎回変わるけれど私を楽しませ弄び最後は蛍の光で静かに幕を下ろしアンコールはない。色を創る二人
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きょうの詩は、前座となって咲く河津桜を見てソメイヨシノを思う追う桜冬が降る雨で消され薄れるなかで咲く花で私の初恋が萌えひとあし早く咲く桜に恋し熟女の美を魅せる彩(いろ)かに惹かれ花と遊ぶ余韻ははかなく切なく別れを見てああ私の初恋が・・・余韻の中でまだ見ぬあの人に思いをせ追う私の哀しい性(さが)満たされない恋人って哀しいね・・・ひとあし早く
きょうの詩は、いつもならいち早く咲いて早春の里山に春を告げる馬酔木の開花が遅く花をみたのは三月半ば、その花への想い遅れ
きょうの詩は、ある人の旅たちを知り、その別れに思う詩知っているから何だろうニュースで知る彼女が亡くなりああ、彼女も旅立って行ったのか私に何のゆかりも縁もないけれどなぜかな・・・気になり追悼を見て懐かしい・・・思い人は老い、生を終えるそれが分かっていても知ると寂しいだから空に向かって私が送る言葉はさようならではなく「ありがとう」・・・わかれ
きょうの詩は、三月の春めく日和を消すように舞い戻り居座る、冬模様にみる思い三月の間で春の半ばになっても冬が舞い戻り春を冬に模様替えし「よろしくね」冬が数日の間居座り春を消し冬模様となって謳歌(おうか)し降る一雨で洗い流され来る春で燃えた恋心は冬に消され思いが燻りながら去りを待つ。----戻る冬模様に思う
きょうの詩は、早春の草むらで点となってひとりで咲く蒲公英見て思う私の想い一輪の蒲公英温かい草むらで雨後の日和を浴びながら咲く一輪の蒲公英が心地よい日差しを抱きしめ「こんにちは」笑っている、詩っている楽しそうな蒲公英この時期の蒲公英は仲間と戯れるのではなく温かさを知らせひとりで春にともりを点し、春を告げる。いまはひとりで
きょうの詩は、出戻る寒さのなかに割って入る日和と雨に誘われて咲く野花への私の思い好きなひと私が好きなひとはいろいろいるけれどそのひとは人でなく“人”その思い寄せるひとは三月の声を聞くと日和と雨で生まれる青い小さな瞳で優しく語りかけてくる野花のオオイヌノフグリ街では彼女を知る人は少ないけれど春を告げるひと手に持てないひとなのでそっと見つめ「春ありがとう」と声をかける。咲くオオイヌノフグリ
きょうの詩は、野花の咲と散りに重ねる花の性それに重ねる私の思い野花の咲と散り野花は咲いて散りを繰り返して生きているそれが花の生の証かそれとも生の喜びの表現かその多彩な咲きは花たちの恋であり喜びの表現であり咲くなかで横恋慕されながらもそれぞれの個性で花の性を表現してそれぞれの終わり方で恋を終え一春の喜びをひとひらの思いを残して散る私の一春の恋の終演。野花の咲と散り
きょうの詩は、春になりまだ萌えの少ない三月上旬に降る雨で、花をみることがなかったなかでみる野花への思い雨後の風景彼女たちは感受性が豊かで冬が春に横恋慕しても私の問いに正直に答えてくれる雨後のドラマ彼らが舞い戻っても長く続かないのを知っていて淡い恋心を温む土に抱きしめられながら耐え雨後の日和の口づけで目を覚まし蕾を脱いで花を咲かせる野花雨後はいろいろな一期一会に出会え楽しい。春の雨後
きょうの詩は、冬と春の間で咲く一つの花にみて重ねる思い間で新しいページがめくられ幾日か過ぎ、立春の過ぎた辺りから春か・・・童に返り春色を求め歩く中で拾うのが仄かに香りを漂わせポツン・・・とともりを点すように咲く蝋梅あかりは冬と春の間で揺れる恋の炎となって燃え、冷めを融かすがその燃えは冬に横恋慕されながら揺れ浮き沈みを繰り返す。冬の春の間
きょうの詩は、いつも正月過ぎから咲く河津桜の変種を幾度か見送り、今回その先にようやく会えたその思い・・・早春のさくらいつも春のページをめくり梅の花を見て次は桜か・・・桜を訪ねればその表情は硬く蕾か・・・幾日かが過ぎて梅の開花を見て桜を訪ねればひと足早く咲く桜がいつもの場所で笑顔で訪れる人に対し笑顔で答える桜の控えめなほほ笑みが美しい。正月桜
きょうの詩は暮れから出回り、いまはその春から薄れゆく春から初夏が旬の露地苺への思い露地の苺誰もが大好きで手軽でいろいろな食べ方がある苺の旬は春から初夏であるがいまは温室の中で作られ、形も美しい苺でも・・・私は春の畑で日を浴び、形も不揃いな日々の中で熟しこれが私その旬の苺をむしゃむしゃと食べたい。いちご
きょうの詩は、私がいつも春を待つ小さな空間、そのなかでいつも春をひとあし早く告げる花がこの春は遅く、その想いを書いた詩空間の春私が小さな空間のなかに待つのは緩む土のなかから届く春のラブレターで悶々としながらひたすら待ち続ける人は優しい笑みがかわいい人彼女は氷空から時々落ちる日和をむさぼりときめきを蕾のなかで膨らませ朝の日和のなかでほほ笑みを零し小さな空間を春の初心色で埋めている。春を待つ空間
きょうの詩は、雨空をみて思う想い雨空に見る思い西からの雨雲が流れに沿いながら雨を降らしている「雨か・・・」手のひらで受ける雨に冷たさはないが濡らす雨に日和の温もりを見て「温いな・・・」思いを重ねる雨にまだ足りない春の愛を知り恋を阻む雨空を憎み愛おしい春の日和を待つ私に雨空は無言を貫く今日の氷空。雨空
3月3日は上巳の節句(ひな祭り)私のblogを読んでいただいている女性のみなさん「おめでとうございます」いつも健康でひとりの女性として美しく心豊かな幸せが続くことを祈っています。きょうの詩は、桃の節句を上巳として捉え春から始まる新しい生活、Startなどが幸せにと思い書いた詩です。ひな祭りん3月3日は五節句の一つ上巳の節句である。「ああ・・・ひな祭りか」ではなく、今日は女の子の成長を祝う祭りになっているが、今日は視点を変え、愛する人たちと春の旬の食べ物を食し、自然の恵みから生命力をもらい、冬が去り、春から始まる四季に希望を持ち、それぞれがいろいろな形で始めるStartに、装い新たなリセットの一日としたいひな祭り。3日は上巳の節句
きょうの詩は、二月の終わりになると里山の森に春の灯りを求めるが、この春は春の訪れは遅くいまだに冬彩が残る。森に春を求めて春と言われても落葉に木の葉はなく常緑の木の葉に精彩はなく森に積もる落ち葉が朽ち色に染まり落ち葉を踏む音が静寂を壊し緩む土の中に萌えはなくつかの間の日和が燃え萌えを誘うが無反応で「春か・・・」思う萌え彩はいまだなく森に冬をみる。早春の森で
きょうの詩は、二月の終わりにみる春の生れに思う春の生まれさめた土が寒の戻りの潤いでゆるみそのなかから萌える産女に私の冷めも緩み恋が春から生まれるように私にも生まれ二人でときめく早春のなかに誕生と出会いに私も覚めるが町はまだ…冬の抵抗のなかにあるけれど土の見えるところで春が生まれるが誰も私に気を留めないし知らない。春をみる
きょうの詩は、私の好きな椿で早春にその咲を求めて里山を歩く花は未開でいまだに口を閉じている薮の蕾冬の終わりのなかで蝋梅水仙と咲いてそろそろ次はあなたの番と促されても・・・私はその気になれず固い表情を崩さない藪椿の蕾「花はいつかな・・・」茂みのなかに膨らみを探すがまだ見ぬ人に思い寄せる恋路は見えず未恋の蕾があかりを灯す時を待っている早春の藪椿の蕾。未開の藪椿
きょうの詩は、好みで分かれる海と山、きょうの詩は山好きの私からみた海の四季をみて思う詩好み山が好きな人は海より山がいいというが一度山を離れ海に行って砂浜を走り海に入り潜り潮の流れを泳ぎながらサンゴの森を抜け谷を下り山を越え魚と一緒に自由に泳いでみれば山とは違う色彩の風景が広がって四季ごとに変わる温もりで私を抱きしめる海は母の優しさで山は父の厳しさで愛してくれる。海と山
きょうの詩は、梅園の白梅でなく放棄地となった畑で春になると存在感をみせる白梅をみて彼女に贈る詩見捨てられたように私はもう見捨てられたのか、彼女は思い私はここになぜ一人でいるのか思う一本の樹木その彼女が笑顔になるのが早春で花をいっぱいつけ逆ハートの形の花が私を好きになってもあなたの色には染まらないと彩を貫くそのあなたにかわいい子がたわわに実るfamilyを私は何年も知らないなぜなら逢瀬は笑顔の時のみだから。白梅
きょうの詩は、居座る冬のなかで冬の日和を拾いながら温まった蕾が開き、咲く一コマの想いの詩早春の紅梅節は春を告げているが冬が居座り寒々としている二月の半ば冬の緩みの間で蕾を温めた紅梅がそろそろ私の旬固い表情を緩ませひとり…と咲いて花ともりとなって燈り笑みが満面のほほ笑みとなり溢れ花から匂う芳香で壊れ始める冬の中に春を見る。早春の紅梅
去りと訪れ南からの風雨が寒さを和らげ強張る大地を潤しゆるめる風と雨が緩みを阻む冬を消して暖かい日和が冬を遠ざけて春の模様替えを行う春その冬の去りを花が微笑みで見送る春の別れと訪れ。冬から春に
季節の回帰北からの厳しい風が暖かみ始めた日和をぶち壊し忘れていた過去を思い出させる寒々とした冷気が忘れていた過去を引きずり出させる厳しい季節よこれ以上は・・・さあ行こう叫ぶ私の声は無視され冬の訪れが我が物顔で謳歌(おうか)する。戻る冬
私のきょうはいまの私の一日は毎日が日曜で朝起きて飯を作り食らいfreeな時間がSetされるそれも素敵じゃないそうかな・・・きょうもあの頃の時間割でわたしの一日が始まる。私の一日
私のマドンナ桜のマドンナと言えばソメイヨシノ違うよ私は枝垂れ桜かな私も違うマドンナはソメイヨシノ以外で花の多さに悩むけれどそのなかで私の恋い慕う桜のマドンナは余り人目に触れない里山の山中でひっそり咲いて散る山桜。マドンナは桜
咲く一輪立春とはいえ肌寒い思いみる春はもう少し先になるか思うなか「待った」眠そうな顔で薄目を開き微笑む一輪の花ああ・・・花はクロッカスか咲いたうれしさで強張る顔も緩む。咲いた一輪
早春の馬酔木冬の縛りからようやく解放される立春の頃から里山の尾根を歩けば出会う馬酔木ああ・・・この白色の不透明感の美しさ日差しが差し込む樹林の中でベル型の連なる花たちがさあ春の森の中をあなたと二人で旅しましょうとほほ笑む馬酔木馬酔木の咲をみて
一輪をみる花を全体で捉えてみるかそれとも一輪としてみるかにより変わる花それは大きさだろう個体で視界に迫るか集合美でみるかで違う花の美ただ言えることはクローズアップで変わる一輪の美が人にはない魅力。一輪をみる
きょうはきょうは昨日の雨が上がり穏やかな一日と思いめくれば朝から風が吹き雲は広がりと離散を繰り返し日差しが弄ばれ寒いきょう一日は風の収まりもなく日差しも不安定で寒く春とは言えきょうは冬空で冷めた空気を温める暖かさのない冬の一日となっている。きょうは
わが家のタンポポ種は風に乗りそれとも鳥により運ばれ芽を出し根付いたのか不明なタンポポそれが立春の過ぎあたりから数日の日和が続くとこんにちは春ですそう言って満面な笑みで微笑む微笑は数日で失せて緩む日まで起きてこないわが家のタンポポ。わが家のタンポポ
桜の下で桜が私まだ捨てたものじゃない笑みを振りまく下で濃い紫の花色でほほ笑む数輪の菫たちその笑みは優しく恋する笑顔であの人を忘れて今日はいまの私を見てけなげな菫の笑顔がかわいい。桜も下で咲く菫
きょうの詩春を想う年が半ばにResetされるため冬が短く感じ春が遅いと思う春早く来ないかな・・・思う反面大切な恵みをもたらす冬いやなひとそう思いながらそのジレンマに苦しみ緩む春を待つ私なぜか春は捨てられない初恋。春を想う
三月にみる春三月と言えば春であるしかしその顔にでる表情は微妙かな顔は日々のなかで目まぐるしく変わり春のなかに戻る冬が春を消してまだまだ私の季節我が物顔で謳歌する冬三月は私の気持ちが出会いとわかれのなかでゆれる季節。三月にみる春
三月の間に顔は既に春なのに空は迷い苦悩し揺れ動く心と表情は何だろう・・・恋して楽しいはずの心に割り込むあの人が私ともう一度寄り添い二人の間で揺れ動く三月の心。冬と春の間で
去りゆきと訪れ冬が春に移り変わり、季節は春となって苗や花を促し虫たちが目覚める中で空は春色を喪い寒く寂しく、切ない寒空が広がる明かりを消して暗く冬が去り春になってうれしいその思いを消す憎らしい人。去りゆきと訪れ
好きな人私の好きな人は喋らなくても感情をあらわにしなくても春になると優しいほほ笑みで春が来たと告げてくれる人会えるのは一年に一度の春会えたね・・・互いに無言の会話で次は春だね私たちの逢瀬はいつまで続くのかなそう思いながら楽しむ春のデート。私の好きな人
一枚のCard春とは言ってもしみじみとこたえる寒さのなかで春からのCardがとうかんされていないかと辺りのポストをのぞくなかでみつけるのが一輪だけ先駆けて咲く一枚の絵便りのCard文面は一言私からの春の一枚です満面な花便りが美しい一枚のCard。春からの便り
我が家の住人我が家に間借りをする二人が冬も終わりに近づくと春が来たと二人で挨拶していたがこの冬はなぜか一足早くひとりで目覚めひとり満面な笑顔で春です・・と笑顔を振りまく。蒲公英と菫
きょうの空この空は再び冬の顔かそれを思わせる空の模様替え春から冬に変え日差しを雲と風で弄び消えそうな日差しで暖をとり小刻みで震える私をみてアハハ笑うきょうの意地悪な空。きょうのそら
花のドラマ早春の日和のなかで描かれる桜と野花がみせるドラマは桜の華やかさ野花の素朴さその二人が描く宴とひとり酒は甘く切ない恋いを生み互いに寄り添いあかりを消す。桜と野花
読み終えるきょう二冊目を読み終えて思う過ぎる日々の流れ早い明日は三月かいつも月終わりに思うのは日々に目立つ空白の多さ反省と後悔と残る思い出の少なさに改めて充実感の少なさに嘆き読み終え焦る私の焦燥感。月が終わる