道元禅師の徒弟のつもりで生きているつもりである。得度もしたし、僧侶として本山からおすみつつきもいただいている。お寺とは縁のない僧侶のつもりで生きている。戒律も守らない生活であるので、偉そうなことは微塵も言えないが。アトリエ車と言う禅堂で、絵を描く修行をしている。随分楽しい修行のようだが、それなりの苦行でもある。絵という結果が目の前に有り、修行の結果を日々眺めてのことだからだ。絵が自分に近づいているのかの判断が難しいからだ。しかし神仏に祈ったところでどうにもならないことは分っている。自力本願である。時代はまさに末世である。仏法もほぼ消滅状態のようなものだ。先日、自動販売機にお金を入れると、AIによる人生相談が出来るというものの話が出ていた。おみくじ自動販売機の、進化形である。お寺の賽銭箱の脇に用意しておくと...日本人の願い事の変化