かみさんは、俺の妻だった。かみさんは、俺のいちばんの親友だった。かみさんは、俺の母であり、姉だった。かみさんは、俺の娘であり、妹だった。そうだ。かみさんは、俺のすべてだったのだ。かみさんが死んだ。俺は「すべて」を失った。妻がいなくなり、いちばんの親友もい
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
かみさんは、俺の妻だった。かみさんは、俺のいちばんの親友だった。かみさんは、俺の母であり、姉だった。かみさんは、俺の娘であり、妹だった。そうだ。かみさんは、俺のすべてだったのだ。かみさんが死んだ。俺は「すべて」を失った。妻がいなくなり、いちばんの親友もい
頑張れば、どうにかなる…というものではない。どんなに沢山の障害があろうとも、どんなに大きな山があろうとも、頑張れば乗り越えられる…というものではない。だが、この世界には「根性論」だけで全てが解決すると思っている者がいる。数年前のこと。俺は会社でのプレゼン
かみさんが亡くなってから。俺は何度も同じような夢を見ている。全く同じ夢というわけではないのだが、似たようなストーリーの夢を頻繁に見ている。その夢を見て目覚めた朝は、いつだって切なくて、やるせない。心の底から求めているにも関わらず、その希望は絶対にかなわな
7月の3連休。俺は久しぶりに断酒した。自分の健康を気遣ったわけではない。断酒の理由を聞かれても、答えは見つからない。あえて言えば、酒を飲みたくならなかったのだ。いつもとは違い、身体が軽かった。何もやる気がない…という気分にもならなかった。3連休の1日目。
かみさんを亡くして最初の数年。俺に寄り添ってくれる人たちがいた。俺の言葉に耳を傾けてくれる人たちもいた。これ以上、俺を傷つけないように気を配り、選びに選んだ言葉を掛けてくれる人たちもいた。だが、そんな優しい人々ばかりに囲まれていたわけではない。世界はあま
かみさんが元気だった頃。俺と世界との間は、とても滑らかだった。俺は世界を受け入れていた。世界も俺を受け入れてくれた。まるで真綿でくるまれているかのように、世界は俺にとって、居心地の良い場所だったはずなんだ。それなのに…かみさんが死んじゃった。そのとき以来
かみさんが元気だった頃。毎週土曜日には夫婦二人で散歩に行った。健康のためというのではない。体力づくりのためというのでもない。かみさんと俺は、他愛のない会話を交わしつつ、周囲の風景を眺めながら、気ままな散歩をしていたのだ。あの頃、俺たち夫婦は「ゆっくり、の
かみさんが元気だった頃。俺は基本的に楽観的な人間だった。辛いことは沢山あった。苦しいことも沢山あった。悔しいことも沢山あった。だが、いつだって「どうにかなるさ」と希望を失うことはなかった。事実、いつだって「どうにかなっていた」のだ。俺が「どうにかなるさ」
朝、目が覚める。まだ目を開けてはいないが、意識はハッキリしつつある。そんな瞬間、眠っている間に忘れていたことが、意識の中に上ってくる。あ、そうだっけ。容ちゃんは死んじゃったんだっけ…もう俺の家族はいないんだ。俺は“ひとりぼっち”になっちゃったんだ。思い出
7月2日以降、毎晩ほとんど眠れない。もともと睡眠障害はあるのだが、それが悪化しているらしい。睡眠導入剤を飲んでから布団に入る。だが、まったく寝付ける気配がない。日付が変わった頃にはウトウトするのだが、30分程度で目が覚めてしまう。しばらくすると、眠りに落ちる
伴侶を亡くしてしまえば、誰だって悲しかろう。伴侶のいない余生を過ごしていかざるを得ないとすれば、誰だって哀しかろう。体力が尽きていようと、意識が朦朧としていようと、死別直後の数年間、遺族たちは悲しくて慟哭する。自分の意思とは無関係に、悲しみが内側から噴き
身体がダルい。歩くことはもちろん、立ち上がることさえシンドイことも少なくない。全身が痛む。あちこちの骨と筋肉とが悲鳴をあげている。俺の身体が徐々に崩れていく。それは「あの日」から、ある程度は予想していたことだ。死ぬこと自体は怖くない。かみさんの生前は怖か
かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。俺の中に希死念慮が生まれた。そこには、いくつもの理由があった。強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
週末はずっと布団の中にいた。身体が半端じゃなくダルかったからだ。さらには鬱がひどかったからだ。死にたいと強烈に思った。眠っている間に心臓が止まってしまえばいいと思った。かみさんが亡くなってから。俺はずっと“ひとりぼっち”で生きてきた。だから分かるんだ。か
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
今朝も早く目が覚めてしまった。時計を見ると、まだ午前4時過ぎだった。せめて5時半くらいまで眠っていたい。だが、最近は暗いうちに目が覚めてしまう。仕方がないので布団の中にいるのだが、心の底から沸き上がる「不快感」に耐えられない。俺は「死にたい… 死にたい…」と
生きてはいても楽しいことがあるわけじゃない。苦しみに耐えても報われるわけじゃない。死んじゃったっていいのだが、自ら命を絶つ度胸もない。仕方がないから生きている。それはとても虚しくて苦痛な日々だ。面白くもないクソみたいな日々だ。そんな俺に対し、せめて子ども
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。最初で最後の抗癌剤治療が行われた日のことだった。かみさんは病室のベッドで眠っていた。俺はベッドの横に置かれた椅子に座り、かみさんの寝顔を見つめていた。かみさんが目を覚ました。そして、かみさんが言った。プーち
毎週の土曜日と日曜日。俺は自宅の中で“ひとりぼっち”だ。会話をする相手はいない。触れあうことのできる相手もいない。まるで世界には、俺しかいないみたいだ。とても寂しい。とても不安だ。溶けて崩れてしまいそうだ。俺は自分を保つため、ウィスキーに手を伸ばす。ちび
ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に
とっくに諦めていたはずなのに…俺は心の底から思ったのだ。かみさんがいた頃に帰りたい。6月29日の午前3時前。真夜中に目覚めた直後のことだった。哀しかった。淋しかった。心細かった。だが、こればっかりは、どうしようもないのだ。誰かが手を差しのべてくれるわけではな
6月27日。かみさんの祥月命日だった。この日、俺は一日、自宅にいた。夕方から軽い不安感があり、俺はウィスキーを飲み始めた。グラスを傾けるスピードが、いつもより速かった。俺はすっかり泥酔してしまった。意識が朦朧とし、夜8時半には寝床に就いた。最初に目覚めたのは
会社から帰ってくると、いつでもかみさんが俺を出迎えてくれた。遅くまで残業し、午前0時を過ぎて帰宅しても、「先に寝てな」という俺の言葉をスルーして、かみさんは俺を待っていてくれた。かみさんはいつでも笑顔だった。いつでも家の中は明るくて、俺を包み込む「何か」に
6月27日。かみさんの祥月命日がやってきた。あれから、ずいぶん時間が経った。だが、俺には「ずいぶん時間が経った」という実感がない。1日という時間はとても長い。毎日を乗り切ることがとても苦しい。淋しくて、虚しい時間は、長く感じられるってことなんだろうか。それな
かみさんが癌だと診断されたとき。俺は主治医と二人きりになる機会があった。そして俺は、主治医に質問をした。かみさんは、どのくらい生きられますか?主治医の回答は残酷なものだった。余命は年単位ではありません…俺が期待した答えではなかった。俺は、奥さんは治ります
かみさんの祥月命日の法要が終わり、義母と2人の義弟は、北海道に帰っていった。法事という大きなイベントが終わり、少しは緊張もほぐれるだろうと思っていた。そうすれば、俺の交感神経の興奮も治まって、久しぶりに熟睡できるだろうと期待していた。だが、やはり眠れなか
かみさんが亡くなってからの数年間。俺はかみさんを探していた。かみさんの姿を求め、何もないはずの虚空に向かって腕を広げていた。かみさんの気配を探り、静まり返った空間の中で意識を研ぎ澄ませていた。だが…探したところで見つかるはずはない。確かに俺は、かみさんを
心と身体は区別できるんだろうか。精神と肉体とを別々に論ずることは正しいのだろうか。たしかに心理学のベースには「心身二元論」がある。身体とは別に、心という実体があるという前提に立たない限り、心を対象にした科学は生まれないはずなのだ。だが、心理学は科学ではな
かみさんが元気だったころ。俺にはたっぷり「自分の時間」があった。今より遥かに残業が多かったし、休日出勤も少なくなかったが、それでもたくさんの「自分の時間」があった。かみさんがいてくれたからだ。かみさんと一緒にいる時間。それは俺にとって「自分の時間」だった
この記事がアップされる6月21日の金曜日。俺が会社から帰宅すると、家の中には義母と2人の義弟がいるはずだ。3人は「おかえり~」と言って、俺を出迎えてくれるだろう。6月27日は、かみさんの祥月命日だ。この日の早朝7時前、かみさんは、俺と義母に看取られながら逝った。
かみさんが亡くなってから。俺は睡眠導入剤を飲まないと眠れなくなってしまった。ずいぶん長い間、薬に頼り、身体が慣れてしまったせいだろうか。それとも、ここ数ヶ月、精神的に追い詰められているせいだろうか。睡眠導入剤が、あまり効いていないようなのだ。寝付きは良い
6月17日の月曜日。いつものとおり、睡眠導入剤を飲んでから寝床に就いた。就寝時間は午後11時頃だった。それから何時間が経っただろうか。また夜中に目が覚めた。いつもの中途覚醒とは違い、決して不快な気分ではなかった。その直前まで、俺は夢を見ていたのだ。かみさんの夢
いつも夜中に目が覚めてしまう。その後は朝まで、ほとんど眠ることができない。さすがに疲労が溜まってきた。ダルくてダルくて仕方がない。どうにかして朝まで熟睡したい。ここ最近、ずっとそう思ってきた。16日の日曜日。夜の10時には眠気が襲ってきた。だが、俺は寝床に就
かみさんは神々しい笑顔で逝った。痛がることもなく、苦しむこともなく、眠るように穏やかに息を引き取った。最初に入院していた癌研有明病院であれば、あんなに穏やかには逝けなかっただろう。かみさんの転院を受け入れてくれた帯津三敬病院には本当に感謝している。転院は
まだまだ、やりたいことがたくさんあっただろう。見たいものだって、たくさんあったはずだ。聞きたいものだって、たくさんあったはずだ。食べたいものも、たくさんあったはずだ。行きたいところも、たくさんあったはずだ。死ぬということは、これらをすべて断念せざるを得な
現在6月14日の午前7時37分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。ここ2日ばかり、睡眠障害が悪化している。以前から悪化していたが、それ以上に悪化してしまったのだ。毎晩、睡眠導入剤を飲んでから寝床に入っている。だが、1時間半ほどで目が覚めてしま
かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は、自分たちの「死期」について、何度か語り合ったことがある。かみさんは、いつも言っていた。死ぬときは二人一緒がいいよね…二人で一緒に死ねたらいいね…俺は笑顔で応じた。そうだね…仲良く暮らしてきた二人。これからも仲良く暮ら
6月27日は、かみさんが俺を遺して逝った日だ。現在6月12日の午前7時24分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。21日には、義母と2人の義弟が北海道から上京してくれる。22日の土曜日には、俺と一緒にかみさんの墓参りをしてくれることになっている。かみさ
ふとした瞬間、かみさんを想い出す。かみさんの満面の笑顔。かみさんの明るく元気な声。かみさんの仕草。かみさんと交わした何気ない会話。想い出した瞬間、俺はほんのりと幸せな気持ちになれる。かみさんと散歩をしたこと。かみさんと旅行を楽しんだこと。かみさんと食事を
先日のブログに書いたとおり、ここ最近、ずっと熟睡できていない。夜中の2時とか3時半とかに目が覚めて、その後は朝まで眠れない日々が続いている。そのせいだろう。いわゆる「睡眠負債」が貯まっているらしい。週末の日曜日のこと。いつものとおり、午前3時に目が覚めた
かみさんが元気だった頃。配偶者や子どもを亡くした遺族の話を聞いたことがある。遺族たちは、俺の身近な人々ではない。名前はおろか、顔さえ知らない人たちだった。テレビのニュースや新聞を見ると、誰かが死んで、誰かが最愛の人に遺されたという記事が頻繁に出ていた。そ
みんな何のために生きているんだろうか。どうして俺たちは生きているんだろうか。飯を食うためではないだろう。幼稚園や学校に行くためでもないだろう。偏差値の高い学校に進学したくて勉強するためではないだろう。働いてカネを稼ぎ、贅沢するためでもないだろう。大好きな
現在6月7日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。またまた週末がやってきた。明日から2連休だ。多くの人々が、家族と過ごす予定を入れているだろう。散歩やサイクリングをする家族。ドライブに行く家族。買い物に行く家族。映画を観に行く家
ここ数週間、まったく熟睡できていない。睡眠の質が落ちているらしく、起床した後も疲労が取れていない。疲れた身体で、かみさんにお供えをして、線香をあげる。疲れた身体でシャワーを浴びる。疲れた身体でスーツに着替えて出勤する。毎日が苦痛でどうしようもない。それで
悲しいことや辛いことは、起こらないほうが絶対に良い。幸せに生きていきたい。穏やかに生きていきたい。誰もが願っているはずだ。生まれてからの約20年。俺には穏やかな日々は無かった。毎日が辛かった。毎日が苦しかった。なんで俺だけが、こんな目に合うのだろう…と歯
ほぼ毎晩、夜中の3時半くらいに目が覚める。その後は朝まで眠れないことも少なくない。俺を眠らせてくれないのは「不安」だ。心の底から噴き出してくる不安感だ。俺を不安にさせるもの。それは俺の中に巣食っている「完璧主義」なのではないか…と気が付いた。絶対に失敗し
現在6月3日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今朝はダルくて仕方がない。週末に酒を飲みすぎたせいだろう。アセトアルデヒドが身体の中に大量に残っているに違いない。ダルいのは、今日に限ったことではない。毎週の月曜日、俺はいつでも
俺は産まれた瞬間から「喪失」に取りつかれていた。俺が「親ガチャ」に外れてしまい、両親が毒親だったからだ。親元にいた頃は、毎日が喪失の連続だった。幼稚園や学校は、俺にとって何かを失う場所だった。大学に入り、親元を離れた。親とは縁を切り、学費も生活費も自分で
日本人男性の平均寿命は80歳を超えている。俺が平均寿命まで生きるとしたら、まだ30年も残されている。かみさんと一緒に暮らしていたなら、30年は長くない。かみさんが横にいてくれることが幸せで、いつだって心は穏やかで、毎日が楽しくて、笑顔が絶えず、あっという間の30
俺は長生きしないだろう。かみさんが亡くなってから、酒に溺れているからだ。内臓も血管もボロボロだ。こんな肉体で長生きするはずはない。かみさんが逝ってしまい、俺は“ひとりぼっち”になった。あまりにも悲しくて、あまりにも寂しかった。自分の半身を引き裂かれたかの
誰もが何かに酔っ払っている。何かに依存しなければ、人間は生きてはいけない。こんな言葉をどこかで聞いたことがある。どこで聞いたんだろうか。もはや覚えてはいない。でも、俺には、この言葉の意味が理解できる気がしている。何かに酔っ払う。何かに依存する。そうでなけ
昨日の記事にも書いたとおり、俺は今、仕事に追い詰められている。肉体は疲労しきっている。精神的なプレッシャーも半端じゃなくて、ロクに眠ることができない。この辛くて苦しい状態から逃げ出したい…と強く思った。出勤する前、俺はリビングの床に座り込んだ。そして、強
仕事でクソみたいに忙しい。毎日のように、俺のあずかり知らぬところで大きな問題が発生する。俺はすっかり疲れ切ってしまった。ひとつの「山」を越えたと思ったら、次の「山」が見えてきて、それを越えなければならない。同時に複数の「山」に襲われることもあって、肉体的
現在5月27日の午前7時35分。朝からドンヨリと曇っている。明日は警報級の豪雨になるそうだ。肝機能障害のせいだけではない。気圧が低いためでもあるのだろう。めちゃくちゃ身体がダルいのだ。それに強い鬱まで加わっている。会社を休みたくて仕方がない。強い酒を飲みたくて
もしも一つだけ願いが叶うとしたら。いったい俺は何を願うんだろうか。もしも「誰か」がどんなムチャな望みでも聴いてくれるとしたら。いったい俺は何を望むんだろうか。数年前ならば…俺は「かみさんを生き返らせて欲しい…」と願ったに違いない。すべてを失ってもいい。何
きっかけは様々だ。突然、想い出が頭に浮かぶ。かみさんと俺が、一緒に暮らしていた頃の想い出だ。いったん浮かんでしまうと、自分の意思とは無関係に、次から次へと想い出が頭の中をよぎっていく。想い出の中、かみさんは楽しそうに笑っている。そして、俺も幸せそうに笑っ
俺の部下の中には70歳を過ぎた人が4人いる。いずれも定年退職後に再雇用された、非常勤の嘱託社員だ。みんな俺よりも15歳以上も年上で、俺にとっては「人生の先輩」だ。彼らや彼女らは、とても生き生きとしている。彼らや彼女らは、高齢になっても人生を謳歌している。
生きていれば、さまざまな心配事がある。生きていれば、いろんな苦難に襲われる。かみさんが元気だった頃だって、たくさん苦しい思いをしてきたはずだ。だが、かみさんがいたから耐えられた。かみさんが俺の苦しみに耳を傾けてくれた。かみさんが俺に寄り添ってくれた。それ
かみさんの闘病中のこと。俺たち夫婦は、たくさん語り合った。二人が出会ってからの約20年間の想い出。かみさんの病気が治って普通の暮らしを取り戻してからの、将来の夢。かみさんと俺との老後。その他、さまざまなことを語り合った。一緒に暮らした20年の中で、最も濃
月に1回、髪を切る。かみさんが元気だった頃は、かみさんと一緒に美容院に行っていた(というより、かみさんに無理やり連れていかれていた)。だが、かみさんが癌だと診断されて以来、俺は自宅の近所にある床屋で散髪を済ませるようになった。その床屋は、ご夫婦二人で経営
現在5月20日の月曜日、午前7時25分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。昨晩のこと。また真夜中に目が覚めた。目覚めた瞬間、俺はとても深い「鬱(うつ)」の中にいた。いつもであれば、真夜中に目覚めると、時計を見て時間を確認するのだが、どうしても
俺はいつだって、かみさんを探している。もちろん、亡くなったかみさんが、どこかにいるはずはない。だが、もしも亡くなった人の「魂」が生きているのだとしたら、俺にもかみさんの気配を感じることができるんじゃないだろうか。だから俺は、かみさんを探している。いつだっ
かみさんが亡くなってしまった。俺は世界でいちばん大切なモノを失ってしまった。いちばん大切なモノを失ったあと。俺は人生に絶望した。俺の中のエネルギーは枯れ果ててしまった。俺は身動きすらできなくなってしまった。ずっと蹲っていることしかできなかった。蹲っている
うちの会社の中で、俺は「悪い見本」らしい。言い換えれば、伴侶を亡くした者は、早々に立ち直るべきなのに、それができなかった奴…と見られているらしい。かみさんを喪ったショックで精神を病み(死別反応、適応障害、睡眠障害など)、会社を休職してしまったからだ。かみ
俺はいつでも緊張している。心身ともにリラックスできるのは、眠っている間だけだ。だが、夜中に何度も目を覚ます。これも心の深層が緊張しているからかもしれない。管理職っていうのは、そういうものだよ…と言ったのは、俺より年上の課長(男性)だった。管理職になると、
昨晩のこと。寝ている間に夢を見た。俺が世界から「排除」される夢だった。俺を排除した人々に見覚えはない。だが、その人々は世界全体を象徴しているような気がした。俺は悲しかった。しかし、抵抗しようとは思わなかった。自分が排除されることを受け入れていたのだ。俺は
先日、俺はブログの中で、“ひとりぼっち”は怖いけど、“ひとりぼっち”になりたい…と書いた。かみさんが亡くなって、俺は“ひとりぼっち”になってしまった。確かに“ひとりぼっち”は怖い。寂しくて、惨めで、退屈で、やるせないのだ。だが、“ひとりぼっち”になりたい
俺はとても疲れていた。強い不安感もあった。こういう時は、早く眠ってしまうほうが良い。俺は睡眠薬(レンドルミン)を飲んで、寝床に就いた。まだ夜の9時だった。しばらくして目が覚めた。時計を見ると、真夜中の12時だった。俺を目覚めさせたのは、激しい不安感だ。こ
以前このブログの中で、「若年伴侶死別者」という言葉を使ったことがある。この言葉は俺の造語ではない。信州大学の准教授が作った学術用語であり、「60歳未満で伴侶と死別した人々」を指している。この定義に従えば、俺は若年伴侶死別者だ。また、このブログの読者の方々の
かみさんが亡くなってから。俺はずっと死にたかった。つい過去形になってしまったが、今だって死にたいし、これからもずっと死にたいだろう。生きているのが面倒で、虚しくて、イヤになったのだ。生きていても淋しいし、つまらないのだ。かみさんのところに逝けば、きっと「
現在5月10日の金曜日、午前7時26分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。かみさんが元気だった頃。金曜日は本当に楽しかった。深夜まで残業する日も少なくなかったが、定時で帰れる日もあって、そんな時はかみさんと待ち合わせをし、二人で食事をしたり、
かみさんが入院していた時期のこと。かみさんは俺に言っていた。これからもずっと一緒にいてね…この時かみさんは、自分の病は完治すると信じていた。一方で、俺は医師から「(かみさんの)余命は年単位ではない」と告げられていた。だが、「これからもずっと一緒にいてね…
かみさんが亡くなった。かみさんは俺のたった一人の家族だった。ときおり二人で暮らしていた頃を想い出す。あの頃は幸せだったな…と想う。家族って良いな…と想う。かみさんは俺にとって、いちばん大切なモノだったんだ。家族は俺にとって、最も大切なモノだったんだ。両親
想像していたとおり、ゴールデンウィーク中の“ひとりぼっち”は辛かった。寂しくて、虚しくて、苦しくて、とても薄ら寒かった。早朝から酒を飲み、酔っぱらったら寝てしまい、目が覚めたら再び酒を飲み、眠くなったら寝てしまった。たくさんの時間を昼寝に費やしたせいか、
現在5月6日の午前6時26分。ゴールデンウィークの最終日、自宅のパソコンでブログの記事を書いている。かみさんが元気だった頃ならば、まだ俺たち夫婦は寝ていた時間帯だ。かみさんと俺は、毎朝7時に起床していた。俺が顔を洗ったり、朝食を摂ったりしている間、かみさんは「
かみさんの後を追う勇気なんかないくせに、ときおり考えてしまう。考えてしまうというより、自分の意思とは無関係に、ふとした瞬間、ある疑問が頭に浮かぶ。それは、「俺って、いったい何のために生きているんだろう?」という疑問だ。俺は自問自答する。答えはいつも決まっ
ゴールデンウィークも後半に入った。慣れたつもりでいたけれど、やっぱり”ひとりぼっち”は寂しい。簡単な家事をする以外にやるべきことはなく、やりたいことも何にもない。仕方がないので酒を飲む。おかげで飲酒の量が増えてしまった。5月3日の夜のこと。夜になって、朝か
朝目覚めると、そこにかみさんはいない。家の中にいるのは俺だけだ。動くものは何もなく、音を発するものも何もなく、温もりを感じるものも何もない。かみさんが死んだ…という現実を再認識し、俺は深く落ちていく。すべてが静止している。空気が凍りついてしまったかのよう
現在5月2日の午前7時12分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。明日からは4連休だ。“ひとりぼっち”のゴールデンウィークの後半が始まる。あれほど“ひとりぼっち”が恐ろしい…と言いながら、やはり仕事を休める解放感があることは否めない。だが、俺は
現在5月1日の午前7時12分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。世間の空気は、すっかり大型連休だ。朝から夫婦で散歩をしている人々。早朝なのに犬の散歩をしている人々。そもそも街中に人が少ない。電車やバスも空いている。この時期の空気は軽いのだ。か
現在4月30日の午前7時40分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。4月27日から29日までの3連休。俺は“ひとりぼっちに耐えられず、酒に溺れてしまった。飲みすぎたせいか、全身がダルくて仕方がない。眠くて眠くてどうしようもない。胃がもたれて食欲もない
以前、テレビでこのCMを見かけた。このCMが始まると、俺はテレビに釘付けになってしまった。このCMに出てくる夫婦。夫役はリリー・フランキーさん、妻役は深津絵里さん。この夫婦、まるで、かみさんと俺みたいだ。 夫は会社員。会社では、職場のリーダー、管理職を務めている
通勤電車の中で、隣に知らない人が座っていても、話しかけようとは思わない。お互いに沈黙していても、気まずくなったりはしない。知らない人との間には、何の交流も無いのが普通だろう。だが、隣にいる人が知人であれば、そうはいかない。ランチに行く時や飲み会の時、ある
どうやら俺は、いまだに諦めていないらしい。諦めたつもりでいたけれど、心の片隅には微かな希望が蹲っている。明日こそは、今日よりも良い日になるはずだ。来週こそは、今週よりも穏やかな週になるはずだ。心のどこか奥底で、俺はそう期待しているみたいだ。だが、希望は捨
かみさんが元気だった頃。かみさんと俺は、毎年のゴールデンウィークに北海道に行った。ゴールデンウィークと年末年始は、かみさんの実家で過ごす。それは、俺たち夫婦の習慣だった。その習慣は、かみさんが亡くなってからも変わっていない。俺はコロナ禍の一時期を除き、ゴ
4月26日。かみさんの誕生日ではない。結婚記念日でもない。かみさんの祥月命日でもない。だが、俺にとっては忘れられない日付だ。かみさんが「癌かもしれない」と診断された日なのだ。かみさんから話を聞いた瞬間。俺の頭から血の気が引いた。全身の血液が、音を立てて足元に
俺もたくさんの人々と死別してきた。母方の祖父が死んだ。俺の実父が死んだ。父方の祖父が死んだ。父方の祖母が死んだ。かみさんの親父さんが亡くなった。その後、かみさんの親族(俺の姻族)も数人が亡くなった。そして…かみさんが亡くなった。俺のいちばん大切な人だった
昨晩のこと。また真夜中に目が覚めた。ここ最近、ずっと中途覚醒が続いている。時計を見ると、まだ午前1時半だった。喉がカラカラに渇いていた。俺は布団から起き上がり、水分を補給するためにスポーツドリンクを飲んだ。俺は周囲を見回した。何も聞こえてこない。空気まで
先週から全く疲れが抜けていない。ダルくてダルくて仕方がない。土日にゆっくり身体を休めれば、疲れも取れるだろう…と思っていた。眠れない日々が続いていたので、土日はたっぷり眠ることができた。それなのに、月曜日の朝になっても疲れは取れていなかった。ここ最近の傾
最愛の人が息を引き取ったあと。遺族の心の中は、カラッポなくせに、混乱してもいる。悲しみや絶望が襲いかかってくるけれど、自ら考えたり行動したりするエネルギーは残されていない。そんな心理状態のときは、ひとりぼっちになって、ひたすら悲しみたいはずだ。すべての責
年度の初めから仕事に追われている。メチャクチャ忙しくて疲れきってしまった。虚しい。馬鹿みたいだ。一生懸命に仕事に勤しむ自分が滑稽だ。いったい俺は、何のために頑張っているんだろう?いったい俺は、誰のために頑張っているんだろう?・・・今の会社に入って最初の2年
昨日の記事にも書いたとおり、ここ最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れない。そもそも、あまり眠ることができない。おかげで身体がダルくて仕方がない。心は深く沈み込んでいる。なぜ熟睡できないのだろうか。なぜ疲れが取れないのだろうか。心も身体も錆
最近、疲労が溜まっている。いくら眠っても、疲れが取れないのだ。どうやら睡眠の質が悪いらしい。かみさんが亡くなって以来。俺は「睡眠障害」になり、毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝つきは悪くない。だが、真夜中の2時には目が覚めて、その後はほとんど眠れな
世の中には変な奴がいる。相手を罵倒して脅迫すれば、何でも思いどおりになると思っている奴。しつこく相手に粘着すれば、相手が根負けして自分のワガママが通ると思っている奴。相手が言ってもいないことを、さも言ったかのように装おって、被害者ヅラをする奴。自分が加害
かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなってからと。比べてみれば、どちらにも辛くて苦しいことが多かった。とりわけ仕事に関しては、入社した3年目の4月から、ずっと辛くて苦しかった。だが、かみさんと一緒に暮らしていた頃は、辛いことも「辛い」と感じていなかっ
朝目覚めた瞬間。深い鬱(うつ)を感じることがある。目を開けたくない。布団から出たくない。会社に行きたくない。もう何もかもがイヤになってしまうのだ。ウィスキーでも飲めば、少しは気が晴れるのかもしれない。だが、出勤する前に酒に酔うわけにもいくまい。代わりに抗
何かが足りない。何かが決定的に欠け落ちている。その欠落の正体は、俺にも分からない。正体が不明なくせに、存在感だけはやたらと大きい。真っ黒で、真っ暗な空洞だ。巨大な質量を持ち、巨大な重力を持った穴だ。この穴は、周囲の人々からエネルギーを剥ぎ取り、全てを吸い
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。ある日、かみさんが泣きじゃくりながら叫んだ。「プーちゃんを遺して死ぬのは嫌だ!」かみさんは死にたくないと言ったのではない。死ぬのが怖いと言ったのでもない。俺を遺して死にたくない。そう言ったのだ。・・・かみさ
先日の記事に書いたとおり、俺はギックリ腰になってしまった。普通は2週間程度で治るらしいが、いまだに痛みが治まらない。会社を休んで安静にしていたい。だが、仕事が忙しくて休むわけにはいかない。仕方がないので、腰にコルセットを巻いて、毎日フラフラになりながら出
かみさんが亡くなってから数日後のことだった。ある親族が、嘆き悲しんでいる俺を見て言っていた。これからだって、生きてれば良いこともあるよ~その親族はヘラヘラと笑っていた。理由は分からない。その親族の予想は大きく外れた。かみさんが亡くなって以来。俺の人生は悪
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かみさんは、俺の妻だった。かみさんは、俺のいちばんの親友だった。かみさんは、俺の母であり、姉だった。かみさんは、俺の娘であり、妹だった。そうだ。かみさんは、俺のすべてだったのだ。かみさんが死んだ。俺は「すべて」を失った。妻がいなくなり、いちばんの親友もい
頑張れば、どうにかなる…というものではない。どんなに沢山の障害があろうとも、どんなに大きな山があろうとも、頑張れば乗り越えられる…というものではない。だが、この世界には「根性論」だけで全てが解決すると思っている者がいる。数年前のこと。俺は会社でのプレゼン
かみさんが亡くなってから。俺は何度も同じような夢を見ている。全く同じ夢というわけではないのだが、似たようなストーリーの夢を頻繁に見ている。その夢を見て目覚めた朝は、いつだって切なくて、やるせない。心の底から求めているにも関わらず、その希望は絶対にかなわな
7月の3連休。俺は久しぶりに断酒した。自分の健康を気遣ったわけではない。断酒の理由を聞かれても、答えは見つからない。あえて言えば、酒を飲みたくならなかったのだ。いつもとは違い、身体が軽かった。何もやる気がない…という気分にもならなかった。3連休の1日目。
かみさんを亡くして最初の数年。俺に寄り添ってくれる人たちがいた。俺の言葉に耳を傾けてくれる人たちもいた。これ以上、俺を傷つけないように気を配り、選びに選んだ言葉を掛けてくれる人たちもいた。だが、そんな優しい人々ばかりに囲まれていたわけではない。世界はあま
かみさんが元気だった頃。俺と世界との間は、とても滑らかだった。俺は世界を受け入れていた。世界も俺を受け入れてくれた。まるで真綿でくるまれているかのように、世界は俺にとって、居心地の良い場所だったはずなんだ。それなのに…かみさんが死んじゃった。そのとき以来
かみさんが元気だった頃。毎週土曜日には夫婦二人で散歩に行った。健康のためというのではない。体力づくりのためというのでもない。かみさんと俺は、他愛のない会話を交わしつつ、周囲の風景を眺めながら、気ままな散歩をしていたのだ。あの頃、俺たち夫婦は「ゆっくり、の
かみさんが元気だった頃。俺は基本的に楽観的な人間だった。辛いことは沢山あった。苦しいことも沢山あった。悔しいことも沢山あった。だが、いつだって「どうにかなるさ」と希望を失うことはなかった。事実、いつだって「どうにかなっていた」のだ。俺が「どうにかなるさ」
朝、目が覚める。まだ目を開けてはいないが、意識はハッキリしつつある。そんな瞬間、眠っている間に忘れていたことが、意識の中に上ってくる。あ、そうだっけ。容ちゃんは死んじゃったんだっけ…もう俺の家族はいないんだ。俺は“ひとりぼっち”になっちゃったんだ。思い出
7月2日以降、毎晩ほとんど眠れない。もともと睡眠障害はあるのだが、それが悪化しているらしい。睡眠導入剤を飲んでから布団に入る。だが、まったく寝付ける気配がない。日付が変わった頃にはウトウトするのだが、30分程度で目が覚めてしまう。しばらくすると、眠りに落ちる
伴侶を亡くしてしまえば、誰だって悲しかろう。伴侶のいない余生を過ごしていかざるを得ないとすれば、誰だって哀しかろう。体力が尽きていようと、意識が朦朧としていようと、死別直後の数年間、遺族たちは悲しくて慟哭する。自分の意思とは無関係に、悲しみが内側から噴き
身体がダルい。歩くことはもちろん、立ち上がることさえシンドイことも少なくない。全身が痛む。あちこちの骨と筋肉とが悲鳴をあげている。俺の身体が徐々に崩れていく。それは「あの日」から、ある程度は予想していたことだ。死ぬこと自体は怖くない。かみさんの生前は怖か
かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。俺の中に希死念慮が生まれた。そこには、いくつもの理由があった。強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
週末はずっと布団の中にいた。身体が半端じゃなくダルかったからだ。さらには鬱がひどかったからだ。死にたいと強烈に思った。眠っている間に心臓が止まってしまえばいいと思った。かみさんが亡くなってから。俺はずっと“ひとりぼっち”で生きてきた。だから分かるんだ。か
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
今朝も早く目が覚めてしまった。時計を見ると、まだ午前4時過ぎだった。せめて5時半くらいまで眠っていたい。だが、最近は暗いうちに目が覚めてしまう。仕方がないので布団の中にいるのだが、心の底から沸き上がる「不快感」に耐えられない。俺は「死にたい… 死にたい…」と
生きてはいても楽しいことがあるわけじゃない。苦しみに耐えても報われるわけじゃない。死んじゃったっていいのだが、自ら命を絶つ度胸もない。仕方がないから生きている。それはとても虚しくて苦痛な日々だ。面白くもないクソみたいな日々だ。そんな俺に対し、せめて子ども
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。最初で最後の抗癌剤治療が行われた日のことだった。かみさんは病室のベッドで眠っていた。俺はベッドの横に置かれた椅子に座り、かみさんの寝顔を見つめていた。かみさんが目を覚ました。そして、かみさんが言った。プーち
毎週の土曜日と日曜日。俺は自宅の中で“ひとりぼっち”だ。会話をする相手はいない。触れあうことのできる相手もいない。まるで世界には、俺しかいないみたいだ。とても寂しい。とても不安だ。溶けて崩れてしまいそうだ。俺は自分を保つため、ウィスキーに手を伸ばす。ちび
ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に
生きていれば、辛いことがいっぱいだ。かみさんが元気な頃だって、そうだった。かみさんが亡くなったから、辛いことだらけになったわけではないのだ。だが、かみさんがいた頃と、いなくなってからとでは、辛いことの受け止め方が大きく違っていることは確かだ。かみさんが元
現在7月18日の午前7時12分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。3連休が終わった。しんどい3連休だった。3日間、誰とも会話をしなかった。したくてもできなかった。俺の周りに人がいないからだ。寂しいのはもちろんだけど、心がザワザワして不安になっ
かみさんが元気だった頃。時間は過去から未来へ流れていた。未来への道は一本ではなかった。たくさんの分岐点があった。かみさんと俺は、分岐点の手前で立ち止まった。二人で一緒に、どちらの道に進もうか…と話し合った。かみさんと俺は、いつでもそんなふうに生きてきた。
かみさんは、俺の唯一の「心の支え」だった。かみさんがいてくれるから、俺は残酷な世界の中でも生きてくることができた。もちろん、かみさんと出会う前だって、俺は生きていた。かみさんと出会う前に付き合っていた女性たちだっていた。だが、楽しくはなかったし、面白くも
かみさんが亡くなったばかりのことだった。俺は自分の人生も終わったな…と思った。かみさんが亡くなって一周忌を迎える前だった。俺の余生はロクなものにならないな…と思った。かみさんが亡くなって1年3か月が経った時期だった。俺も早く死のう…と思い、それ以前からあ
現在7月14日の午前7時25分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩、かみさんの夢を見た。とても哀しい夢だった。俺はどこかの駅(のような場所)にいる。大きな荷物を持っている。その荷物を抱え、俺はかみさんに会いに行きたいと思っている。だが、す
人生でいちばん辛いことがあった。人生でいちばん悲しいことがあった。その人は、自分にとって最も大切なモノを失って、人生に絶望し、自ら命を断とうとさえ考えた。それなのに…周囲の人々から「がんばれよ」と言われた。また、「元気出せよ」とも言われた。あるいは「そん
昨日の記事に書いたとおり、俺はかみさんの遺骨の一部が入ったペンダントを無くしてしまった。昨晩も帰宅したあと、必死になって家の中を探したが、見つけることはできなかった。かみさんの身体の一部を無くしてしまった。罪悪感で胸が張り裂けそうだ。それでも俺は出勤し、
かみさんが亡くなったばかりの頃だった。以前の記事に書いたとおり、俺は「遺骨ペンダント」を買った。骨壺を開け、小さな遺骨を入れて、俺は(風呂に入るとき以外)肌身離さす身に付けていた。そのペンダントを紛失してしまった。気が付かないうちに鎖が切れて、落としてし
現在7月10日の午前7時13分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。夜中の3時すぎに目が覚めたときだった。俺はかみさんが俺の隣に寝ているような気がした。そこに違和感はなかった。かみさんが俺の横にいるのは当たり前だからだ。このときの俺は、かみさんが
この世でいちばん大切な人を亡くしたら、遺された者の心に大きく深い穴が開く。この大きくて深い穴によって、伴侶や子どもを亡くした人々は「隙だらけ」になってしまう。周囲の人々には、その隙が見えているらしい。その隙は周囲の人々に刺激を与え、ある種の衝動に駆り立て
眠っている間は目を閉じている。目が覚めれば目を開ける。それらは自然な動作であって、取り立てて話題にするようなことではないかもしれない。それらの動作を意識したことさえない人が多いに違いない。かみさんが元気だったころ。かみさんは俺の横でスヤスヤと眠っていた。
現在7月6日(木)の17時46分。いつもとは違い、帰宅する電車の中でブログの記事を書いている。ついさっきまで、俺は懐かしい場所にいた。かつて俺が、いちばん輝いていた頃にいた場所だ。あの頃。俺は会社の中枢部門で働いていた。順調に昇進を重ねていった。毎日のように残
俺が今の会社に入った年のこと。同じ部署に定年退職間近の女性Oさんがいた。独身で、高齢の母親と二人暮らしだった。Oさんは仕事ができなかった。また、周囲の人々との関係も悪く、まともに人付き合いのできない人だった。同僚たちは、みんなOさんの陰口を言っていた。職
伴侶を喪うということは、どんな時でも味方でいてくれる人を失うということだ。伴侶を亡くしてしまうと、遺族は「ひとりぼっち」や「孤独」になってしまうだけでなく、いざというときに「孤立」して、「四面楚歌」になってしまうということだ。そうだ。伴侶に先立たれた者は
かみさんが亡くなって少しの時間が経った頃。俺は死にたくなった。かみさんの後を追いたくなったのだ。それほどまでに、自分の人生に絶望していた。あるいは、俺が死んだらかみさんと再会できるのではないか…とも想っていた。俺はブログで「死にたい…」と呟いた。すると「
現在7月3日の午前7時15分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。また長い一週間が始まってしまった。クソ面白くもない日々が始まってしまった。今週も仕事に追われ、精神的にも肉体的にも疲弊してしまうに違いない。楽しくもなければ、面白くもない一週間に
俺より2歳年上の男性がいる。同じ会社の先輩で、俺が管理職になってから3年後、その男性も管理職になったと聞いている。彼と俺とは本社ビルの同じフロアで仕事をしていたことがあり、顔と名前くらいは知っている。だが、同じ部署で仕事をしたことはないため、ほとんど接点
ここ最近、深く眠ることができない。就寝前には睡眠薬(ハルシオンとレンドルミン)を服用しているが、それでも寝付きは良くないし、夜中に何度も目が覚めてしまう。エアコンのせいで、家の中が冷えすぎているせいかもしれない…と思い、エアコンを消して寝ようとしたことも
俺の頭の中は、「かみさん」と「仕事」のことでいっぱいだ。ぼんやりしていると、仕事のことを考えている。もしくは、かみさんのことを想っている。それ以外のことが占める余地は、俺の頭の中には(ほとんど)ない。これが鬱の原因なのかもしれない…と思った。・・・仕事は