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たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
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2010/07/09

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  • 金曜日が好きだった。

    かみさんが元気だった頃の金曜日。俺は残業で退社が遅くなることも多かったが、たまには定時で帰れる日もあった。そんな日は、かみさんと帰宅途中で待ち合わせをして、映画を観たり、美味しいものを食べに行ったりした。待ち合わせをするのは有楽町や銀座、築地あたりが多か

  • 俺にはかみさんがいるから大丈夫だ。

    現在9月28日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩、俺は夢を見た。不安を覚えるような夢だった。夢の内容は、ぼんやりとしか覚えていない。だが、とても心細かったことだけは記憶している。夢の中。俺にはやらなければならないことがあ

  • つまらない日々

    朝が来て目が覚めるたび、俺は深いタメ息をついてしまう。また“つまらない”一日が始まってしまったからだ。惨めで、情けなくなるのだ。かみさんに線香をあげて、お供えをする。シャワーを浴びて、スーツに着替えて出勤する。外の空気を吸っても、やはり“つまらない”。通

  • 死別の「痛み」

    俺はかみさんを亡くしてしまった。最愛の人を喪ってしまった。今でも身を削られたような感覚を抱えている。心臓のあたりにポッカリ穴が空いたような感覚を抱えている。とても悲しいんだ。とても寂しいんだ。世界でいちばん大切な人の死は、遺族の心に「痛み」として、いつま

  • 今でも悲しくて仕方がない。

    かみさんが亡くなってから。それなりの月日が経過した。もはや俺は「悲しい」とは言えなくなった。とても悲しいけれど、とても寂しいけれど、それでも「悲しい」とは言えないほどの時間が経ってしまった。悲しい…と言えば、「奥さんが亡くなったの、ずいぶん前だよね」と嗤

  • 至福 ~死の瞬間から

    ごく普通の幸せな人々が醸し出している空気。守りたい家族がいて、自分の居場所となる家庭があって、世界は優しく温かいと信じている人々の醸し出している空気。世界はそんな空気で満たされている。その空気は温かくて、柔らかい。それなのに、俺はその空気が疎ましい。刺激

  • 暗転

    出会った当初は、かみさんが23歳の専門学校生、俺が21歳の大学生だった。それ以来、かみさんと俺は、ずっと一緒だった。死に別れるまでの20年間。俺たち夫婦は、自分たちがこんな形で引き裂かれるなんて、一度も想像したことはなかった。いずれは二人とも死ぬ日が来るだろう

  • すべての人間関係を断たれた老人

    昨晩、イヤな夢を見た。俺が少しずつ孤独になっていく夢だった。かみさんの死後、俺の傍にいてくれた人々が、次第に俺から離れていった。正確に言えば、俺は傍にいる人たちと、道の途中ではぐれてしまった。そして、だんだん俺の周りにいる人が少なくなっていった。とうとう

  • 幸せだった頃を想えば悲しくなる。

    現在9月21日の午前7時23分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨日までに比べると、ずいぶん涼しくなったような気がする。記録的な真夏日や猛暑日の連続も、ようやく終わりを迎えつつあるようだ。もう少し涼しくなれば、休日には散歩をしたくなるだろう

  • “ひとりぼっち”の時には「あの世」を想う。

    体調がとても悪い。熟睡できない日が続いているからだ。毎晩、夜中の2時前後に目が覚めてしまい、その後は眠れないからだ。体調が悪いせいか、俺は気弱になっている。自分の中の大切な部分が欠けているようで、心細いのだ。欠けているのは、かみさんの存在だ。俺はそれを取

  • 存在しない最適な解

    3連休が終わった。まったり過ごしたいと思っていたが、“ひとりぼっち”で寂しくて、不安で、つまらなかった。耐えられなかった。寂しさと不安を紛らわせるため、ずっとウィスキーを飲んでいた。早く連休が終わってほしいと思った。会社で仕事に追われるのは本当に辛いけど

  • 生きること自体が苦しみだ。

    現在9月18日の午前6時34分。いつもとは違い、自宅のリビングでブログの記事を書いている。今朝は午前5時50分に目が覚めた。熱があるわけではない。身体がダルいわけでもない。心が凍えたみたいに寂しいだけだ。誰の姿も見えない。誰の声も聞こえない。そもそも人の気配を感じ

  • 終焉に向けて

    太陽の光には耐えられる。だが、電灯や電球などの灯りは苦手だ。通勤電車の中、会社のビルの中、夜の商店街、そして自宅のリビング…人工的な灯りのすべてが鬱陶しい。かみさんが元気だった頃。夜間にリビングの灯りを消すことなんてなかった。せいぜい就寝するときと、自宅

  • 目を閉じて、全力で世界を否定する。

    眠っている間は目を閉じている。目が覚めれば目を開ける。それらは自然な動作であって、取り立てて話題にするようなことではないだろう。それらの動作を意識したことさえない人が多いに違いない。かみさんが元気だったころ。かみさんは俺の横でスヤスヤと眠っていた。あの頃

  • 亡くなった人のためにできることを探す。

    現在9月15日の午前7時37分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。ここ最近、夜中に何度も目が覚めてしまう。目覚めた後は、あまり眠れずに朝を迎えている。昨晩も同様だった。夜中の1時すぎに目が覚めて、それ以降は、ほとんど眠れなかった。さすがに疲労

  • 自暴自棄だった頃のほうがマシだったのかもしれない。

    現在9月14日の午前7時23分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。心と身体に疲れが溜まっている。昨晩は6時間ほど熟睡したはずなのに、疲れがまったく取れていない。ダルくてダルくて仕方がないのだ。午前4時頃には目が覚めて、疲れを自覚した俺は、会社

  • そんなこと、できやしない。

    現在9月13日の午前7時22分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩も熟睡できなかった。就寝前には睡眠導入剤を飲んだのに、夜中に何度も目覚めてしまった。最初は午前1時すぎに目が覚めた。その後はなかなか寝付けなかった。だが、いつの間にか眠りに

  • 幸せな人々が興じる非生産的な「祭り」

    俺の最愛の人が亡くなった。世界でいちばん大切な人が亡くなった。その瞬間だった。俺は自分の人生も終わった…と思った。だからといって、かみさんの後を追うことはできそうになかった。自ら後を追う度胸は無かったからだ。酒に溺れてはみたが、大病に罹る気配も無かったか

  • まるで俺が存在していないみたいだ。

    現在9月11日の午後9時20分。いつもとは違い、会社から帰宅した後、自宅のリビングでブログの記事を書いている。とてもじゃないが、通勤途中でブログの記事を書くことなんてできなかった。今朝の通勤途中、俺は眠りこけていた。土日に熟睡できなかったからだ。寝不足の原因は

  • 休日 ~狂気の一歩手前~

    土日や祭日であろうとも、俺は早朝5時すぎには起床する。もう少し眠っていたいけど、どうしても目が覚めてしまうのだ。かみさんの仏前に座って線香をあげる。そして、遺影と位牌に視線を落とす。かみさんの表情に変化はない。かみさんの気配を感じるわけでもない。また寂し

  • 奴らが普通の人間になれるとき

    人間にとって、伴侶は大切な存在だ。また、子どもも大事な存在だ。伴侶や子どものことならば、自分を犠牲にしても守ろうとするに違いない。だが、人間という生き物は、家族以外の第三者に対してならば、いくらでも残忍になることができる。それもまた、人間という動物の実態

  • 遺族たちが世界に適応するためには…

    かみさんが亡くなった。俺の最愛の人が亡くなった。世界でいちばん大切な人が亡くなった。亡くなってしまったら、もう二度と会うことはできない…と考えるのが常識だろう。その常識に従う限り、遺族にできることは「諦める」ことだけだ。だが、諦めるなんて、あまりにも残酷

  • この世界は、なんて不公平なんだろう…

    昨晩、また夢を見た。かみさんと会えるような心地の好い夢ではない。ロクでもない悪夢だった。その夢の内容を詳しく語ろうとは思わない。ただ、目覚めた後、俺は夢を思い出し、静かな怒りに震えてしまった。あまりにも情けなくて、悔しかったのだ。この世界は、なんて不公平

  • 幸せな人々が蠢く世界

    毎日、夜中の2時くらいに目が覚める。もう一度、眠りたいと思うが、朝まで熟睡することはできない。俺は諦めて、午前5時半には床を出る。かみさんの仏壇の前に座り、線香をあげる。かみさんの姿は見えない。かみさんの声も聞こえない。かみさんの気配を感じることさえでき

  • 俺たちが「普通の人たち」とは違う点

    かみさんが亡くなってから。それなりに時間が経った。いや、「それなりに」というのは、当事者である俺の感覚だ。伴侶やお子さんを亡くした経験のない「普通の人たち」からは、「ずいぶん時間が経った」と見えるだろう。俺は「普通の人たち」とは異なる時間を生きている。た

  • あっちの世界に逝くまでは

    現在9月4日の午前7時34分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩は夜中の1時40分に目覚めてしまった。夜中に目が覚めると気分が落ちてしまう。もう一度、眠ろうとしても、なかなか眠れないからだ。もし眠れたとしても、深く眠ることはできず、浅い眠り

  • 眠りという名の「死」

    眠りに落ちる寸前。自分の身体に自然と意識が向いていく。心臓が鼓動している。呼吸はゆっくりだが、とても深い。全身の血流さえ感じることができそうだ。いずれも「生命の兆候」だ。心臓が動いているのも、血液が流れているのも、自分の意思とは関係がない。腕や脚の筋肉を

  • 断片をかき集める。

    かみさんが元気だった頃。かみさんと一緒にいると、俺はいつでも楽しいことに囲まれていた。他愛のない会話が楽しかった。一緒にテレビを視ているだけで楽しかった。かみさんの手料理を食べていると楽しかった。二人で酒を飲んでいると楽しかった。二人で並んで散歩をした。

  • かみさんが教えてくれたこと

    現在9月1日の午前7時21分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。今日は金曜日だ。かみさんが元気だった頃、俺たち夫婦は金曜日の夜が大好きだった。翌日から週末の連休だからだ。かみさんと俺は、ビールを飲みながら深夜まで語り合った。俺たち二人はソファ

  • 想い出の場所を見た時のこと

    現在8月31日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨日のことだ。新聞に博物館の広告が出ていた。掲載されていたのは「東京都現代美術館」だった。それを見た瞬間、俺はとても哀しくなった。心臓が縮むような想いだった。涙は出なかったが、

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