1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
先日の記事に「11月3~5日までの3連休は、休日出勤になりそうだ」と書いた。なるべくなら休日出勤を避けるため、10月27日の金曜日、俺は夜遅くまで仕事をしていた。しかし、いくらなんでも忙しすぎる。通常業務と並行して、特別な仕事をしているからだ。通常業務なら部下た
人間にとって、もっとも悲しいことがあったとき。人はどのように対処すればいいのだろうか。人は悲しみと、どのように向き合えばいいのだろうか。それ以前の人生においても、さまざまに悲しいことはあったはずだ。だが、それらを克服することで、人々は悲しい出来事への耐性
生まれたときには何も持っていなかった。生まれてみたら、目の前には「欠落」があった。与えてくれる人はおらず、俺は餓えていた。俺の周りにいたのは、奪う人々ばかりだった。しかし…俺は諦めていなかった。奪われたモノは、奪い返せばいい。与えられなかったモノは、自分
仕事が馬鹿みたいに忙しい。おかげで疲れがまったく取れていない。身体がダルい。息が荒い。全身がギシギシと痛む。どうやら限界が近づいている。そう思っていた矢先、金曜日がやってきた。土曜日と日曜日、俺はようやく休むことができる。この2連休で、どれだけ回復するか
夜中に何度も目が覚める。細切れにしか眠れない日々が続いている。昨晩も数回、目が覚めた。夜中の2時半に目覚めたときだった。俺は、あることに気が付いた。俺はいつでも緊張している…ということに気が付いたのだ。睡眠薬を飲んで、寝床に就いて、眠りに落ちる。朝になっ
やらなきゃならないことが山ほどある。だが、それは俺のやりたいことではない。単なる義務であり、責任に過ぎない。面白くもないし、楽しくもないのだ。ただ辛くて苦しいだけなのだ。一方で、面白いことはあるんだろうか。楽しいことはあるんだろうか。何一つありはしない。
今朝も午前4時に目が覚めた。身体がダルくて重かった。全身が痛くて辛かった。ここ最近、寝ても疲れの取れない日々が続いている。毎朝、仕事を休んでしまおうか…と思う。だが、俺は出勤せざるを得ない。ゆっくり身体を休めたい。爽快な感覚を取り戻したい。しかし…爽快な
毎晩、夜中の2時に目が覚めてしまう。朝まで熟睡できず、細切れにしか眠れない。だが、昨晩は珍しく午前4時に目が覚めた。熟睡できたのかと聞かれれば、そうではない。目覚めた瞬間に感じたのは、激しい疲労感と全身の痛みだった。いったんはインフルエンザを疑った。しか
号泣することは、ほとんどなくなった。たまに咽び泣くことがあるくらいだ。涙もほとんど出てくることはない。かみさんが亡くなってから、それなりの時間が経った。ようやく涙が涸れてきたのかもしれない。だが…依然として大きな穴がある。俺の心臓のあたりに深くて真っ暗な
恐怖であれば、その原因は明瞭だ。原因が分かっているのなら、それを取り除いてしまえばいい。そうすれば、恐怖からは自由になれるだろう。しかし、不安はどうしようもない。理由も原因も分からないからだ。だが、分からないだけであって、理由や原因が無いわけではないだろ
かみさんが亡くなって、しばらく経ってからのことだった。俺の中に「希死念慮」が生まれた。とても深い喪失感と、自身を破壊しかねないほどの強烈な悲しみが、俺を死に誘ったのだ。また、俺が死んだらかみさんに会えるかもしれない…と思ったのだ。かみさんのところに逝きた
たいていは夜中の2時頃に目が覚めてしまう。以前はそれが辛かった。だが、最近の俺は、それがイヤではなくなった。あと3~4時間は眠れると思えば、ホッとするのだ。しかし、早朝の4時くらいに目覚めると、あと1時間ほどしか眠れないのか…と思って気が滅入る。かみさん
早朝に起床して、かみさんに線香をあげる。バルコニーに出て、寒空の下でタバコを吸う。部屋に戻ってから、かみさんにお供えをする。そして俺は、深いタメ息をつく。これで終わりだ。今日1日の「やるべきこと」はやり終えた。残りは「付録」であって、「オマケ」に過ぎない
毎日がつまらない。何もかもが退屈だ。仕事をしていてもつまらない。街を歩いていてもつまらない。飯を食っていてもつまらない。家で酒を飲んでいてもつまらない。テレビを見ていてもつまらない。かみさんが元気だった頃ならば、つまらないなんて思うことは無かった。退屈し
昨晩、俺は夢を見た。俺は寝室のベッドに横たわっていた。寝返りを打ち、隣のベッドを見た。かみさんがいなかった。あれ?容ちゃんはどこに行っちゃったんだろう…俺はしばらく呆然としていた。だが、そのうち戻ってくるだろう。俺はかみさんの帰りを気長に待つことにした。
倦怠感がハンパじゃない。ただでさえダルいのに、その上とても疲れやすい。身体が重たい。全身のあらゆる場所が痛い。あまり眠ることができない。日中は眠たくて仕方がない。呼吸が浅くて荒い。ときには肩で息をしているようだ。単なる老化現象なのか、健康を害しているのか
地獄を見てしまった者がいる。彼らや彼女らの心は、ごっそりと抉られてしまった。大きな穴が開いてしまった。そこに「内面」が産まれた。精神分析学の創始者であるフロイトの言うとおり(?)、心の傷は「内面」を産む。そして、その「内面」は「告白」されなければならない
昔、かみさんが言っていた。今日一日ガマンすれば、明日はゆっくり休めるよ…それは金曜日の朝のこと。夜遅くまで残業し、帰宅が午前様になる予定の日だった。俺はかみさんの言葉に救われた。どんなに辛いことであろうとも、いつかは必ず終わるんだ。そう思ったら、気が楽に
先日の記事にも書いたとおり、ここ最近、あまり眠れていない。毎晩のように、夜中の2時ごろには目が覚めてしまう。おかげで心身ともに疲れている。仕事上のプレッシャーが主な原因だとは思う。眠れないより辛いのは、目が覚めたあとの何とも表現しがたい気分だ。真夜中の真
昨晩、かみさんの夢を見た。かみさんと俺が会話をしている。他愛のない夢だった。夢を見ている間、俺は幸せだった。目が覚めて、夢の内容を思い出していた。やはり俺は、幸せだった。もう少し眠ろうとして目を閉じた。午前5時半。目覚まし時計が鳴った。なぜだろう。幸せな
かみさんが亡くなってから1か月。俺はほとんど眠ることができなかった。布団の中に入っても、心身の余分な力が抜けなかった。自律神経が乱れてしまい、いつでも交感神経が緊張していたのだろう。わずかな時間、まどろむことはあったかもしれない。たが、たいていは泣いてい
自分に余裕があれば、他人に与えることができる。自分が満たされていれば、他人を笑顔にすることができる。かみさんが元気だった頃。俺は余裕を持って生きていた。その余裕は、かみさんのおかげで得られたものだ。心に余裕があった。カネにも余裕があった。時間の余裕もあっ
1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で
たった一人の家族を亡くす。遺された者は、文字どおりの「ひとりぼっち」になってしまう。亡くなった人と遺族との間の一体感が強ければ、死別によって、遺族は自分の半身を削ぎ落とされてしまうだろう。心にポッカリ大きな穴が開いて、茫然と立ち尽くしてしまうだろう。あま
現在10月6日の午前7時22分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。明日から3連休だからだろう。世間の空気がとても軽い。みんな家族で出掛けたり、自宅で団欒を楽しむのだろう。だが、俺は明日から3連休だという実感がない。いつものウィークデーのように
目が覚めていて、意識がある限り、いつだって俺は哀しくて、いつだって俺は寂しい。心がザワザワして落ち着かない。何もかもが憂鬱だ。だから俺は、生きているのがとても辛い。すっきりした気分になることはなく、いつでも俺は沈み込んでいる。かみさんが亡くなってから。ず
ここ最近。いつにも増して、メンタルの調子が悪い。鬱(うつ)と言えばいいのだろうか。不安感と言えばいいのだろうか。どちらも違うような気がしている。無性に寂しいのだ。哀しくなるほど寂しいのだ。まるで自分だけが世界との関わりを断たれたみたいだ。おかげで毎日、「
かみさんは気丈だった。かみさんはとても前向きだった。自分の病は絶対に治ると信じていた。自分は絶対に死なないと信じていた。そんな彼女が闘病中に泣いたことがある。プーちゃんを遺して死にたくない!プーちゃんを遺して死ぬのはイヤだ!かみさんは泣きながら叫んでいた
ふとした瞬間、比べてしまう。自分自身の境遇と、周囲の人々の境遇とを比べてしまうのだ。周囲の人々は幸せそうだ。笑顔が絶えない。時には幸せすぎて、うれし涙を流している。本当に生き生きしている。こちらが眩しくなるほどの生命力を醸し出している。それは当然のことだ
かみさんが元気だった頃。平日の俺は全力で仕事をしていた。専業主婦だったかみさんに支えてもらい、俺は後顧の憂いなく仕事に集中することができた。だが…毎日が疲労困憊だった。プレッシャーに押し潰されそうにもなった。俺は相当な無理をしつつ、仕事をこなしていた。そ
かみさんが元気だったころ。かみさんと俺には語るべき未来があった。夢を語り合った。希望を語り合った。未来を想像するだけで、かみさんと俺はウキウキしていた。1週間後の予定を話し合い、1か月後のことを語り合った。1年後のことに想いを馳せて、10数年後のことを想
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1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で
かみさんが亡くなった日から。かみさんのために続けてきたことがある。それは「1日に数回、線香をあげること」。そして「朝と晩にお供えをすること」だ。インフルエンザで寝込もうと、肝臓を壊して倒れようと、この2つの習慣だけは守ってきた。その習慣が、俺のかみさんに
俺を造った男がいる。それは普通、「父親」と呼ばれる。俺を産んだ女がいる。それは普通、「母親」と呼ばれる。俺は、その二人から虐待されて育ってきた。俺の自尊心は破壊された。俺は人間を信頼できなくなった。この二人は生物学的に見れば、俺の「親」だ。だが、子どもを
かみさんが亡くなってから。俺の心と身体は、急速に老化が進んでいる。心は弾みを失って、いつでも鬱(うつ)の症状に苦しんでいる。身体が重たくて、全身のあちこちが痛い。毎晩、熟睡することができない。疲れやすい上に、朝起きた瞬間から疲れている。家の外に出たくない
昨日、「現実逃避もできやしない。」というタイトルでブログを書いた。ここ最近の睡眠障害の苦しさについて述べた記事だった。あんな記事を書いたあとだ。今夜こそは眠れるだろう…と期待して寝床に就いた。だが、眠れなかった。睡眠導入剤を飲んでいるため、寝付きは良かっ
ここ数日、熟睡できない日が続いている。毎晩、睡眠導入剤を飲んでいる。そのため寝付きは悪くない。だが…3~4時間ほどで目が覚めてしまうのだ。まだまだ眠り足りない。もう少し眠らないと、翌日に差し支えてしまう。布団の中で目を閉じている。眠ろう、眠ろう…と思って
疲れて家に帰ったら、そこには家族が待っている。朝目覚めたら、そこには家族の笑顔がある。自分にとって、いちばん大切な人たちだ。その人たちも、自分をいちばん大切にしてくれる。こんなに幸せなことはないのだが、人間にとって、ごく当たり前の風景でもあるだろう。だか
死にたい…と思う。それができないのなら、死ぬまで眠っていたい…と思う。かみさんが死んだあとの余生は、確かに「最期の修行」なのかもしれない。その修行をやり抜くことが、俺の義務なのかもしれない。だが、毎日がとても辛いのだ。生きていることが、あまりにも苦しいの
身体にできた傷ならば、視覚で捉えることができるだろう。一方で、心の傷は目に見えない。想像力でしか捉えるができないのだ。脚を骨折して松葉杖をついている人を見れば、座席を譲ってあげよう…と思うだろう。皮膚が裂けて包帯を巻いている人を見れば、痛そうだな…と顔を
かみさんが亡くなってから。それなりの時間が経ってしまった。だとすると、たとえ鬱(うつ)であろうとも、強い不安感があろうとも、「かみさんが亡くなったことが原因です…」とは言いづらい。もし言ったとしても、誰も納得してくれないだろうし、下手をすれば苦笑されてし
逃げたいと思うことがある。今ここではないどこかに逃げ出したいと思うことがある。今ここは、俺のいるべき場所ではないのだ。今ここは、俺のいたい場所でもないのだ。かみさんが元気だった頃。俺には逃げることのできる場所があった。言うまでもない。それは、かみさんの隣
最愛の人を亡くした人々ばかりで作られた世界があるとする。その世界には、夫を亡くした妻、妻を亡くした夫、子どもを亡くした親たちだけが棲んでいる。誰もが皆、心に深い傷を負い、その激しい痛みに耐えながら、すべてが終わる日を待っている。誰もが皆、すべてを失って、
先日の記事にも書いたとおり、数ヶ月前から鬱(うつ)が悪化している。とりわけ平日の朝と休日の丸一日は、鬱で心が落ちている。その影響だろうか。先々週あたりから、俺は毎朝、「一線」を越えてしまいそうになる。一線を越えると言っても「自死」してしまおう…なんて考え
日曜日。朝から鬱がひどかった。鬱に加えて不安感もあって、心の中がザワザワしていた。座っていても落ち着かない。寝転がっていても落ち着かない。抗鬱剤と精神安定剤を飲んではみたが、心が乱れて発狂しそうだ。俺はウィスキーをしこたま飲んだ。酔っ払った頃を見計らい、
平成22年5月1日のこと。かみさんが「転移性肝臓癌」と診断された数日後のことだ。かみさんは俺に言ってくれた。「一緒にいてくれて、ありがとう」闘病していた2か月の間、かみさんはたくさんの印象的な言葉を遺してくれたが、「一緒にいてくれて、ありがとう」も、そんな言
1年は、あっという間に過ぎていく。かみさんが亡くなってから今日までの時間も、あっという間に過ぎ去ってしまった。かみさんの死は、遠い過去の出来事ではない。手を伸ばせば届きそうなくらい「ついさっき」の出来事だ。時間の流れが速すぎるのだ。それなのに、1週間はと
かみさんが癌になってしまった。かみさんと俺は、懸命に闘病した。だが…かみさんは逝ってしまった。かみさんの通夜が開かれた。かみさんの告別式が行われた。そして…かみさんは荼毘に付されてしまった。そうだ。かみさんは確かに死んだのだ。誰もが皆、かみさんは死んだと
昨日、「深い眠りを求めて」というタイトルでブログの記事を書いた。そのせいだとは言わないが、昨晩の俺は、久しぶりに熟睡することができた。6時間ほどではあったけど、夜中に目覚めることはなく、朝5時半までグッスリ眠ることができた。熟睡した翌朝は、いつもの鬱(う
昨晩は10時半に寝床に就いた。昨日の記事にも書いたとおり、ギックリ腰の痛みが耐え難い。痛みのせいで、なかなか寝付けなかった。真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時半だった。腰痛で目覚めたわけではない。イヤな夢を見て目が覚めたのだ。しかし、まだ2時間は眠
かみさんの仏前に座った。線香をあげて、俺はかみさんの位牌と遺影を見つめた。おやすみなさい…の挨拶が終わり、俺は睡眠導入剤を飲んで寝床に入った。夜10時半を過ぎていた。突然、心臓のあたりに鋭い痛みが走った。仰向けになっても治らない。身体の右側を下にしても治ら
昔、かみさんが言っていた。今日一日ガマンすれば、明日はゆっくり休めるよ…それは金曜日の朝のこと。夜遅くまで残業し、帰宅が午前様になる予定の日だった。俺はかみさんの言葉に救われた。どんなに辛いことであろうとも、いつかは必ず終わるんだ。そう思ったら、気が楽に
先日の記事にも書いたとおり、ここ最近、あまり眠れていない。毎晩のように、夜中の2時ごろには目が覚めてしまう。おかげで心身ともに疲れている。仕事上のプレッシャーが主な原因だとは思う。眠れないより辛いのは、目が覚めたあとの何とも表現しがたい気分だ。真夜中の真
昨晩、かみさんの夢を見た。かみさんと俺が会話をしている。他愛のない夢だった。夢を見ている間、俺は幸せだった。目が覚めて、夢の内容を思い出していた。やはり俺は、幸せだった。もう少し眠ろうとして目を閉じた。午前5時半。目覚まし時計が鳴った。なぜだろう。幸せな
かみさんが亡くなってから1か月。俺はほとんど眠ることができなかった。布団の中に入っても、心身の余分な力が抜けなかった。自律神経が乱れてしまい、いつでも交感神経が緊張していたのだろう。わずかな時間、まどろむことはあったかもしれない。たが、たいていは泣いてい
自分に余裕があれば、他人に与えることができる。自分が満たされていれば、他人を笑顔にすることができる。かみさんが元気だった頃。俺は余裕を持って生きていた。その余裕は、かみさんのおかげで得られたものだ。心に余裕があった。カネにも余裕があった。時間の余裕もあっ
1日に何度も仏壇の前に座る。そのたびに、かみさんの位牌や遺影を見つめ、かみさんに想いを馳せる。やっぱり俺は、かみさんのことが愛おしい。この「想い」はなんだろう。自分の「妻」に対する「想い」であることに違いはない。だが、そう単純に割り切れるような「想い」で
たった一人の家族を亡くす。遺された者は、文字どおりの「ひとりぼっち」になってしまう。亡くなった人と遺族との間の一体感が強ければ、死別によって、遺族は自分の半身を削ぎ落とされてしまうだろう。心にポッカリ大きな穴が開いて、茫然と立ち尽くしてしまうだろう。あま
現在10月6日の午前7時22分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。明日から3連休だからだろう。世間の空気がとても軽い。みんな家族で出掛けたり、自宅で団欒を楽しむのだろう。だが、俺は明日から3連休だという実感がない。いつものウィークデーのように
目が覚めていて、意識がある限り、いつだって俺は哀しくて、いつだって俺は寂しい。心がザワザワして落ち着かない。何もかもが憂鬱だ。だから俺は、生きているのがとても辛い。すっきりした気分になることはなく、いつでも俺は沈み込んでいる。かみさんが亡くなってから。ず
ここ最近。いつにも増して、メンタルの調子が悪い。鬱(うつ)と言えばいいのだろうか。不安感と言えばいいのだろうか。どちらも違うような気がしている。無性に寂しいのだ。哀しくなるほど寂しいのだ。まるで自分だけが世界との関わりを断たれたみたいだ。おかげで毎日、「
かみさんは気丈だった。かみさんはとても前向きだった。自分の病は絶対に治ると信じていた。自分は絶対に死なないと信じていた。そんな彼女が闘病中に泣いたことがある。プーちゃんを遺して死にたくない!プーちゃんを遺して死ぬのはイヤだ!かみさんは泣きながら叫んでいた
ふとした瞬間、比べてしまう。自分自身の境遇と、周囲の人々の境遇とを比べてしまうのだ。周囲の人々は幸せそうだ。笑顔が絶えない。時には幸せすぎて、うれし涙を流している。本当に生き生きしている。こちらが眩しくなるほどの生命力を醸し出している。それは当然のことだ
かみさんが元気だった頃。平日の俺は全力で仕事をしていた。専業主婦だったかみさんに支えてもらい、俺は後顧の憂いなく仕事に集中することができた。だが…毎日が疲労困憊だった。プレッシャーに押し潰されそうにもなった。俺は相当な無理をしつつ、仕事をこなしていた。そ
かみさんが元気だったころ。かみさんと俺には語るべき未来があった。夢を語り合った。希望を語り合った。未来を想像するだけで、かみさんと俺はウキウキしていた。1週間後の予定を話し合い、1か月後のことを語り合った。1年後のことに想いを馳せて、10数年後のことを想
かみさんが元気だった頃の金曜日。俺は残業で退社が遅くなることも多かったが、たまには定時で帰れる日もあった。そんな日は、かみさんと帰宅途中で待ち合わせをして、映画を観たり、美味しいものを食べに行ったりした。待ち合わせをするのは有楽町や銀座、築地あたりが多か
現在9月28日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩、俺は夢を見た。不安を覚えるような夢だった。夢の内容は、ぼんやりとしか覚えていない。だが、とても心細かったことだけは記憶している。夢の中。俺にはやらなければならないことがあ
朝が来て目が覚めるたび、俺は深いタメ息をついてしまう。また“つまらない”一日が始まってしまったからだ。惨めで、情けなくなるのだ。かみさんに線香をあげて、お供えをする。シャワーを浴びて、スーツに着替えて出勤する。外の空気を吸っても、やはり“つまらない”。通
俺はかみさんを亡くしてしまった。最愛の人を喪ってしまった。今でも身を削られたような感覚を抱えている。心臓のあたりにポッカリ穴が空いたような感覚を抱えている。とても悲しいんだ。とても寂しいんだ。世界でいちばん大切な人の死は、遺族の心に「痛み」として、いつま
かみさんが亡くなってから。それなりの月日が経過した。もはや俺は「悲しい」とは言えなくなった。とても悲しいけれど、とても寂しいけれど、それでも「悲しい」とは言えないほどの時間が経ってしまった。悲しい…と言えば、「奥さんが亡くなったの、ずいぶん前だよね」と嗤
ごく普通の幸せな人々が醸し出している空気。守りたい家族がいて、自分の居場所となる家庭があって、世界は優しく温かいと信じている人々の醸し出している空気。世界はそんな空気で満たされている。その空気は温かくて、柔らかい。それなのに、俺はその空気が疎ましい。刺激