chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
言葉の救はれ――時代と文學
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/06

arrow_drop_down
  • 山田太一「今朝の秋」を観る

    山田太一原作笠智衆主演『今朝の秋』【NHKスクエア限定商品】笠智衆、倍賞美津子、樹木希林、杉村春子、山田太一(原作)NHKエンタープライズ今夏の映像視聴はハズレが多かつた。「ぼくのおじさん」(北杜夫原作)、「秋刀魚の秋」(小津安二郎)は、期待してゐたが、肩透かしだつた。それに対して「今朝の秋」は、素晴らしかつた。目の前に人はゐるけれども、独白調で語る台詞回しは小津安二郎に似てゐるけれども、山田の場合にはもう少し思想的である。言葉は気分の表明のやうに見えて、実はさうではなく、思想を構築するやうに、しかもレンガを積んでいくやうでもなく、ちやうど彫刻家が木材を削りながら造型を作り出してゐる装ひである。掘つては修正し、残しては掘る。その往還が1人の人物の台詞として描かれていく。それは見事であつた。もちろん、うまく...山田太一「今朝の秋」を観る

  • 今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

    「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策今井むつみ日経BP組織に属してゐる人であれば、必ず感じるだらうことが、この「何回説明しても伝わらない」といふ体験である。ましてや私の職業は教師といふことなのでなほさらである。認知科学の発達により、「理解」とはどういふことなのかはおおよそ明らかになつてゐる。今から40年ほど前に、ある論文の中で認知心理学やスキーマ(理解の枠組み)といふ言葉を読んで、なるほど「理解」とは、外部からの刺戟とそれについての反応といふ表面的な過程の奥に、前提となることがあるのだ。そして、そのスキーマを見据えて学習といふ行為を成立させることが必要だといふことを知つた。だから、それ以来私の教育観の中から「話せば伝はる」といふ図式は一掃されてゐる...今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

  • 多様性万能論を排す

    なぜ東大は男だらけなのか(集英社新書)矢口祐人集英社先日、東京大学の副学長の矢口祐人氏のお話を聞く機会があつた。『なぜ東大は男だらけなのか』の著者である。東大の女子学生は2割の壁を越えない。もちろん、他の大学も同じやうなもの。早稲田が少し女子学生が多いらしいが、日本の大学生には男子が多すぎるとのことだ。これは他国の大学からするとかなり特殊といふことのやうだ。もちろん、女子大学といふ世界にはあまり例のない大学が日本にはあるといふことも一因かもしれない。しかし、そもそも受験の段階で女子が少ないといふこともある。日本とスイスぐらゐらしい。大学進学者の男女比がその他の国では逆転してゐて、圧倒的に女子の方が多いといふのだ。かういふ話を聞いて、なるほどねといふ驚きがあつた。それで、日本でも女子学生を増やさなければとい...多様性万能論を排す

  • 内田樹『街場の成熟論』を読む

    街場の成熟論(文春e-book)内田樹文藝春秋久しぶりに内田樹の本を読んだ。十年ほど前はむさぼるやうに読んだが、その政治的発言が外れ続けるのを見てゐて違和感が強くなり、読むのを止めてしまつた。それがどういふ訳か、この夏に読む本の一冊として鞄に入れ久ぶりに読むことになつた。政治的見解の「ずれ」について、内田が弁明のやうなものを書いてゐた。「そもそも私にはどの政党の政策が『客観的に正しい』のかがわからない。外交や安全保障や経済について、私には政策の適否を判断できるほどの知識がない。知識経験豊かな専門家たちの意見が食い違うような論件について素人の私には判断がつくはずがない」(93頁)と。それなら普通は、政治的なコメントは寄せないといふのがマナーだらうが、内田は違ふ。本書にも安倍元首相の批判について何度も記してゐ...内田樹『街場の成熟論』を読む

  • 缺性といふこと

    缺性(欠性)とは聞きなれない言葉だと思ふ。缺如と言へば分かりやすいが、哲学用語はわざわざ言ひ古されてゐない言葉を用ゐて、言葉の意味をくつきりとさせようといふ意図があるやうに思はれる。その意味は「本来は持つてゐるべき性質を持つてゐない状態」といふ意味である。「中」とは上下左右前後などの「両端」の概念があるはずなのに、それを持たずに「中」だけがあるとすれば本来はをかしいはずだが、中しか存在しないと考へればそれは缺性的といふことになる。中の下に「華」をつけて、東西や南北に存在を認めないといふ政治姿勢の国があると言へば、その国は缺性的といふことになる。このことは、人に対しても同じである。自分の考へだけが正しいと考へ、他の人の考へは誤りであると断じる姿勢は、意見の対立は許されないといふことを示してをり、缺性的と言へ...缺性といふこと

  • 角田光代『方舟を燃やす』を讀む

    方舟を燃やす方舟を燃やすノーブランド品長編である。方舟とは旧約聖書に出てくるノアの物語から採られたものだ。それがどういふ意味か。タイトルに引き寄せられた。カバーの絵が私には現代藝術家の辰野多恵子の絵のやうに見えた。この絵の色合いと筆触が好みにあつてゐた。巻末を見ると津田周平といふ方の想定であるやうだが、オレンジ色の字に黒い不思議な形状が浮かび上つて見える。方舟を燃やす角田光代新潮社しかし、驚いたことに巻かれてゐる帯を読後の今初めて剥がしてみると、その黒い不思議な形状は猫が伸びをしてゐる姿だつた。読み終はつて「猫」の存在が最後の最後に印象付けられるが、さういふことだつたのかと知らされた。帯は外してみるものかは。私の子供の頃には、ノストラダムスの大予言が取りざたされ確か映画にもなつてゐた。1999年7月に地球...角田光代『方舟を燃やす』を讀む

  • 人生初の新幹線

    一昨日と昨日、栃木県に行つてゐた。自治医科大学が主催する説明会に参加するためだ。これまでに日光をはじめとして栃木に行つたことは何度かある。母方の出は栃木である。生前、戦時中の話になると栃木に疎開してゐたときの話題になつたから、たぶん親類がゐたのであらう。栃木には親近感はある。東京に住んでゐた頃に宮城や山形に出かけたことがあつたが、それらはいづれも自動車であつた。あるいはもつと昔、大学時代に仙台に出かけたときはまだ東北新幹線がない頃であつたから、特急列車で行つた記憶がある。そこでせつかくだから東北新幹線に乗つて栃木に行つてみようと思ひ立つた。しかし、それが失敗だつた。上野で人に会ふ約束があつたので、東北新幹線に上野から乗つたのだが、そのホームが何と地下の深いこと深いこと、驚いてしまつた。更に、列車が15分ほ...人生初の新幹線

  • 自治医科大に向かふ車中にて

    今日はこれから自治医科大学の説明会に向かふことになった。説明会自体は明日だが、天候不順が怖いので大事をとつて本日から移動することにした。大阪から東京への新幹線での移動は久しぶりのことで、その間何をしようと考へてゐたが、少し見ておきたい映像があつたので、それを見て過ごすことにした。実を言ふと今この文章も車中で書いてゐる。その映像を見終つたところで一息ついてこれを書いてゐる。これからの時間は、教へ子が書いた小説を読まうと思つてるる。職業作家のそれではないが、その腕は相当なものだと思つてゐる。なかなか切実なテーマを抱へてゐるもので、書かなければ生きていけないといふやうな種類のそれである。聞けばヘッセの小説に惹かれてゐると言ふ。こんな時代に、いやこんな時代だからだらうか。ヘッセを読まうといふ若者は貴重である。少な...自治医科大に向かふ車中にて

  • 不易流行といふこと

    先日の講演会で講演者の一人が、この言葉を引用し、芭蕉はこのやうに言つてゐるとして示したのが次の言葉である。「去来抄」にある。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」。そして、これを次のやうに現代語訳してゐた。「変わらない真理の中にも新しい変化を取り入れようという考え方です」と。国語の教員であるといふ方の、わづかこれだけの短い自分の言葉に矛盾があることに気付いてゐない。それに驚いてしまつた。「変わらない」と「変化」が両立するとはどういふことであるのか。芭蕉が言はんとしたところは、俳句には基本がありそれをおろそかにしてはいけない。ただし、その基本に忠実といふだけでは陳腐になつてしまふので新風を吹き込めといふことである。芭蕉が「去来抄」で述べたところを、真理自体が変化するかのやうに解釈して...不易流行といふこと

  • 生成AIで脅迫する教育学者

    昨日大手予備校が主催する教育セミナーに参加した。大阪難波の一流ホテルの大宴会場に相当な数の教員を集めての大集会であつた。いく人かの講師が話されてゐたが、どれも低調で残念だつた。この種のセミナーが成功するかどうかは主催者がどれだけ丁寧に講演者にセミナーの主旨を話し議論し講演の内容を鋭角的にできるかにかかつてゐる。さうでなければ、どこかで使つたパワーポイントの焼き直しかどこかに書いた文章の再現でしかないものになりがちである。昨日のもさういふ印象が強かつたが、それとは次元の異なる酷い公演があつた。それはもはや生成AIを使はない選択肢はないといふ内容であつた。それはその通りで全く異論はない。問題はその次の話を聞きたいのである。ところが30分の講演がそれだけであつた。しかも、脅迫的に話すのである。しかし当たり前の社...生成AIで脅迫する教育学者

  • 『ある男』を観る

    ある男(コルク)平野啓一郎コルク平野啓一郎の同名の小説は未読である。したがつて、この映画が原作通りであるのかどうかは分からない。あくまでも映画の感想である。宮崎県のある文房具屋に、スケッチブックを買ひに男がやつてくる。温泉旅館の次男坊といふことらしいが、兄と折り合ひが悪く故郷を離れ、この地にやつて来た。仕事は木を切り出す林業である。仕事の休みの日には風景画を描いてゐるらしい。そのために何度もこの文房具屋を訪れる。さうかうしてゐるうちに、文房具屋の女性と恋仲になり結婚。娘が生まれる。ところが、ある日木を切り出す仕事をしてゐる最中に不慮の事故で亡くなつてしまふ。話はここから急展開。葬儀にやつて来た男のお兄さんは遺影を見て、「これは弟ではない」と言ふ。ではいつたい誰なのか。文房具屋の女性は、じつは離婚歴があり、...『ある男』を観る

  • 片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

    プライドが高くて迷惑な人片田珠美PHP研究所どうしてこんな本を買つたのだらう。しかもこの暑い夏の昼間にどうして読んでゐるのだらう。そんなことを考へながら読んでしまつた。たぶん、さういふ人に出会ひ、困つてゐるからである。さう、私は困り果ててゐるのだ。できればさういふ人に出会はずに、かかはらずに、気持ちよく生きて行きたい。しかし、仕事も変はり立場も変はれば、彼らとの遭遇率は上昇していく。否応なしにである。電車が遅延したり、まずい食べ物屋に入つてしまつたりするのと同じである。家にじつとしてゐれば、さういふ「不幸」には遭遇することはないけれども、それでは生きていけない。現代社会とはさういふ社会なのである。いやいや人間とは「関係性」のなかに放り投げられてゐるのであるから、いつの時代もさうであつたのかもしれない。本書...片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

  • 時事評論石川 2024年7月20日(第843)号

    今号の紹介です。久し振りの更新。やうやく学校も夏休みに入り、生徒が帰省。大人の仕事はまだまだ続くが、今日は久しぶりの休日。自動車が無くては生活もままならない私が住んでゐるこの地域にあつて、今日はその自動車の点検のために休みを取つた。ついでに行かう行かうと思ひながら行けずにゐた病院へも出かけられた。休みは休みでこれまた忙しい。さて、今月号の紹介である。一面の記事「政界は『獅子身中の虫』だらけ」は、たぶん政界に限らず、日本の現状を見ると、財界も学界も、医療界もマスコミ界も同じであらう。「獅子の身体の中に宿る寄生虫に百獣の王、獅子が身体を徐々に蝕まれ、朽ち落ちてしまう」といふことである。あらゆる組織は、ラインとメンバーとで成り立つてゐる。ヒエラルキーに従つて組織の意志は伝へられ、それをメンバーがこなしていく。そ...時事評論石川2024年7月20日(第843)号

  • 時事評論石川 2024年6月20日(第842)号

    今号の紹介です。先日、台湾に留学するのをお手伝ひする仕事をしてゐる若き青年にお会ひした。昨年に引き続き二回目で、札幌からやつて来られた。一時間半ほど話したが、じつに清々しい気分になる。かういふ気分になれる人は、あまり日本人にはゐないなといふ気がした。北海道大学に留学生としてやつて来て、修士号を取つたあと、今度は日本人で台湾に留学したいと思ふ人を支援したいといふやうになつたらしい。私が高校生なら台湾に留学してみたいなと思つた。日本人の欧米志向は、今もまだ強い。アメリカ経済に陰りが見えてインドを含めたアジアの世紀はすぐそこに来てゐるといふことを頭では分かつてゐるのに、やはりアメリカに留学したがる。そこには今も魅力があるからなのだらうが、アメリカに全振りせずとも留学希望者の三分の一の人間ぐらゐはアジアに行つても...時事評論石川2024年6月20日(第842)号

  • いとうみく『夜空にひらく』を読む

    夜空にひらくいとうみくアリス館ネットで児童文学を探してゐて見つけた本である。読み終はつて、いい本に出合つたと感じてゐる。母に捨てられた少年が主人公。複雑な生ひ立ちが災ひしたのか、心が張り詰めるとつい手が出てしまふ。職場で嫌がらせを受けたことで、その職場の先輩を殴つてしまふ。傷害罪で訴へられて家庭裁判所に送られた。そこでの審判は、試験観察といふ処分になつた。そんな少年を迎へたのが花火制作の工場(正確には煙火店といふらしい)であつた。その家の主人もまた、複雑な経験を持つた人である。長男を無免許でバイクを運転してゐた少年にひき逃げされてゐたのだ。家族でスーパーに買ひ物に来た時に、車から奥さんが長男を下ろして少し目を離してゐた瞬間のことであつた。罪ある少年に息子を殺されたのに、罪ある少年を迎へ入れる試験観察の引き...いとうみく『夜空にひらく』を読む

  • 『大人のための公民教科書』を読む

    大人のための公民教科書日本復興の希望を繋ぐために小山常実高木書房今日も本の紹介である。高木書房刊の新著である。著者は、新しい歴史教科書をつくる会の理事をされてゐる小山常実氏である。現代日本には数々のウソ話があると言ふ。その中でも特に問題なのが、次の五つ。1日本は侵略戦争を行い、数々の国際法違反を行った戦争犯罪国家である。2「日本国憲法」は憲法として有効に成立した。3「新皇室典範」は皇室典範として有効に成立した。4日本政府が発行している大量の国債は借金だから日本は財政破綻する。5人間活動により地球温暖化問題が生じている。そして、本来「公民」の教科書は、それらのウソ話を排し、日本人のあるべき姿を示すものである。それが著者の訴へである。全くその通りである。にもかかはらず、それは多くの人々に共有されてゐない。日本...『大人のための公民教科書』を読む

  • 『日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争』を推す

    日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争戦争と革命の世界から見た昭和百年史細谷清高木書房版元の高木書房の斎藤信二さんから送られた書籍である。著者は、国際近現代研究家の細谷清氏である。知つて見ると、社会工学者の故目良浩一氏と共に「歴史の真実を求める世界連合会」を設立された方であつた。現代の戦争は、弾薬と戦闘によるものであるよりも前に、歴史観によつて行はれてゐる。現今のウクライナ戦争も、きな臭い台湾へのシナの戦略も、朝鮮半島の南北の対立も、いづれも歴史観闘争が水面下では繰り広げられてゐる。その暗渠は、日米戦争にもつながつてゐる。著者は「なぜ、どの様に、戦争は起きたのだろう」といふことを調べていくうちに、さう確信を得るやうになつた。米国が傍受解読した電報はルーズベルトによつて内容の変更が許可され、スターリ...『日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争』を推す

  • 村田沙耶香『信仰』を読む

    村田沙耶香と言へば『コンビニ人間』(2016年芥川賞)であるが、1979年生まれのこの作家(つまり、現在45歳)にとつて、『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)が今のところの代表作と言へるかもしれない。この2022年に書かれた『信仰』も、全く真実味を感じられない。「原価いくら」が口癖の主人公が、現実志向でブランド物や飲食店の値段のつけ方に違和感を抱きながら、友人が始めたカルトに惹かれていくといふのが筋立て。理性的な性格の持ち主が、一週回つて反理性に行きつくといふのは、人間の逆説としては面白いが、そこには「本当さ」がない。言葉遣ひの誤りと言つてもよい。つまり、これは「信仰」の物語ではなく、「詐欺」の物語であり、どう控へ目に言つても「信じる心」を弄んでゐる者の物語ぐらゐであつて、「信じて仰ぐ」といふ...村田沙耶香『信仰』を読む

  • 『正論』の記事読みました。

    昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほ賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またしばらくはか...『正論』の記事読みました。

  • 『正論』の記事読みました。

    昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほその主旨に賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またし...『正論』の記事読みました。

  • 夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

    本を守ろうとする猫の話夏川草介小学館夏川草介2冊目。肝心の『神様のカルテ』を読まずに、搦め手からの夏川接近であるかなとも思ふ。還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた。現代文の授業的に、この「還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた」を説明してお茶を濁す。①主語は何か。私である。つまり前田。なので私に「」はつけない。②要素に分解する。A「還暦を過ぎた」B「読書中級者」C「あまり引き寄せられるところはなかつた」と三分割する。③それぞれを具体化する。Aこの主人公は高校生であるが、それとははるかに年齢の異なる年配の人である。Bこれまでにその職業を通じて読書生活を人並み以上には過ごしてきた人である。Cここは動詞なので、④「なぜ」を突つ込むところ。「私にはそれなりの読...夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

  • 時事評論石川 2024年5月20日(第841)号

    今号の紹介です。久しぶりに原稿を寄せた。政治について思ふところを書けとの依頼に、まづは川勝静岡県知事について書くしかないと思つた。それは氏の理不尽さではなく、手の平返しの県民への怒りである。川勝氏の言説は、もう学者時代から変はらない。早稲田大学を辞めた理由から始まつて、氏は自分の気に入らぬことがあれば駄々をこねるといふのは常套手段である。習ひ性と言つてもよい。それなら、県民はあんな失言で辞めさせるのではなく、氏の政策について評価を下すべきで、その評価を下さずに辞任に追ひ込んだといふことは、知事にとつてはむしろ「してやつたり」である。「リニア反対」については一貫して支持をされたといふ認識を持つたままの辞任会見はどこか誇らしげであつた。県民は、いつたい川勝知事の何を評価し、何故に支へてゐたのか、それが全く分か...時事評論石川2024年5月20日(第841)号

  • 夏川草介『始まりの木』を読む

    始まりの木(小学館文庫)夏川草介小学館夏川草介といふ作家の名前は以前から知つてゐた。『神様のカルテ』といふ作品は映画にもなり、それが人気のある原作に基づいてゐるといふことも何となくは知つてゐた。しかし、その映画も原作も見たり読んだりしようとは思はなかつた。主人公を演じてゐるのが櫻井翔といふあまり好きではない俳優だからかもしれないし、医療ドラマといふだけであまり気が乗らなかつたからかもしれない。理由は特にはないが、気が向かなかつたといふことである。では、なぜ今回この夏川の小説を読んだのか。これが良くも悪くも日本人的私の生き方であるが、知人に紹介されたからである。年若き青年二人から、夏川草介を愛読してゐると言はれ、では読んでみるかと重い腰を上げた次第である。読了第一号が、この『始まりの木』である。ずゐぶん批評...夏川草介『始まりの木』を読む

  • 年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山 西行法師

    今日、岡本かの子の小説「蔦の門」を読んだ。滋味深い掌編である。かの子の実体験であらうか。「書き物」をする「私」は蔦の絡まる門のある家に住むことが多かつたやうだ。その家には年老いた女中がゐた。その女中は性格上の問題もあつて二度も離婚をし、身寄りとも仲たがひをしてゐて孤独である。ある日、その蔦を通りかかつた少女たちが切つて遊んでゐた。それを咎める女中と少女たち。犯人と思しき少女もまけじのやり取り、自分と似た性情を感じたのかその少女に怒りと共に親しみも感じることになる。いつしか蔦を切る遊びに関心が失せ、近寄らなくなる少女に寂しさも感じ始める。その少女はお茶屋の娘で、お茶を買ひにその店に行く。その少女もまた父母に先立たれ、伯母夫婦の養女になるかも知れず、気兼ねしながら生活してゐる境遇であることを知る。孤独が孤独を...年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山西行法師

  • 「オッペンハイマー」を観る

    これは面白かつた。けれど、内容が難しくて了解出来たかと訊かれれば、それは無理でしたとしか答へられない。観て損はないとは言へるけれども、もう一度観たいとは言へない。さういふ映画だつた。広島と長崎とが最後の方で言及されるが、確かに不快ではあつたが、戦争とはさういふものであらう。敗戦国の語る戦争観が正しい訳ではない。良心の呵責に悩む主人公にも、従つて同情もしない。科学者とはさういふものとの自覚があればその呵責は引き受けるべきものだらう。それと同じぐらゐの栄光も受けたはずである。3時間は確かに長いが、十分惹きつけられる時間であつた。オッペンハイマークリストファー・ノーランの映画制作現場ジェイダ・ユエンボーンデジタル「オッペンハイマー」を観る

  • 白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む

    見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋小説には珍しく「あとがき」が添えられてゐる。読み終へて、それを読むと、この小説が本当のデビュー作であると知つた。てつきり『一瞬の光』がそれだと思つてゐたので驚いた。最新作と言つても良いほどの完成度だと私には思はれたからだ。ある文学賞の佳作に入選したものの本になることはなく、鳴かず飛ばずの十数年を過ごしてゐたらしい。作家とは大変な職業なんだとつくづく思はれた。「あとがき」にはその他の作品への編集者たちの酷評が書かれてゐたが、私には理解できなかつた。世の中にはそんな名作ばかりがあるのだらうか。それが私の率直な感想である。もちろんそんなに読んでゐる訳ではないが!編集者た...白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む

  • 八木義徳「春の死」を読む

    家族のいる風景(福武文庫や401)八木義徳ベネッセコーポレーション久しぶりに八木義徳の本を手にした。大阪の家の本の整理をしてゐてふと目に留まつたのがその理由である。しばし、手を止めて読み始めてしまつた(これだから本の整理には時間がかかる!)。『家族のいる風景』の中の掌編、「春の死」である。この題名から大方の人が予想するものとは、いささか内容が違ふだらう。六十七歳になる作家と二十歳ほど年若い妻との会話から始まる。妻が子宮筋腫になり手術をすることになる。一方、病気と言へばぎつくり腰程度しかしたことがない「私」である。しかし、作家といふ仕事において必ずしも屈強であることが利点となるわけではないといふ(このあたり私小説作家の考へが滲み出てゐる。丸谷才一がこれを聞いたら激情するだらう。だから日本の小説は貧しいのだ、...八木義徳「春の死」を読む

  • 花咲きけり

    車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり

  • 万城目学『八月の御所グランド』を読む

    八月の御所グラウンド(文春e-book)万城目学文藝春秋久しぶりに万城目学の小説を読んだ。直近(第170回)の直木賞を受賞した作品だからである。受賞作は、「八月の御所グラウンド」だが、単行本にはもう一作「十二月の都大路上下(かけ)ル」も収められてゐる。後者は、毎年行はれてゐる全国高校駅伝の大会に取材したもので、私も以前勤めてゐた学校がこの常連出場校で、宝ヶ池辺りで応援したことが何度もあるので、懐かしく読んだ。ネタバレになるので詳細は止めるが、その都大路を走る高校生の横で見えるヒトには見える歴史的人物が絡んだ話である。受賞作の方は、同じく京都の大学のライバル関係のある教授二人が学部長選を争つてゐる。その前哨戦として「野球の対抗戦に勝て」といふ厳命を受けた彼(多聞)がその戦ひに挑む。彼に借金をしてゐたためその...万城目学『八月の御所グランド』を読む

  • 岡山に遊ぶ

    先日、春休みを使つて岡山に遊んできた。初めて訪れた岡山は晴天に恵まれ、楽しい旅となつた。一日目は、岡山城と後楽園とを歩く。外国人の多さに驚いた。地方都市もすでに世界的な観光地になつてゐたといふことだ。平日に訪れるのはむしろ外国人の方が多いのかもしれない。宇喜多秀家、小早川秀家、池田光政と城主は変はつたが、いづれも著名な武士たちである。西国に睨みを利かすそれなりの人物でなければ治められなかつたといふことだらう。戦国の山城から、平野に城を構えた先駆けであつたといふことも、時代の変化を鋭敏に捉へた証である。ただそれだけに目の前に流れる旭川の氾濫を受け、治水には苦労もしてゐたやうだ。現在の城は近代建築になつてゐるが、形状の異形もその現れであるやうに感じられた。池田家は、途中から養子を迎へて家を守つてきたことにも驚...岡山に遊ぶ

  • 造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章

    2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章

  • 造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章

    2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章

  • 2024年度入試 東京大学と京都大学の奇跡的な一致

    東京大学の2024年度入試の第四問(文科のみ出題)の設問(一)は「『ガラスは薄くなっていくが、障壁がなくなる日は決して来ない』とはどういうことか、説明せよ」となつてゐる。そして、京都大学の2024年度入試の大問1(文理共通問題)の問5は「『核心は近づいたかと思えはまた遠ざかる』のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌詞に触れつつ説明せよ」となつてゐる。「祈り」とは吟遊詩人ブラート・オクジャワの詩(沼野充義訳)で、第一段落に記されてゐるもの。神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく……東大京大とも、翻訳にまつはる話題である。異文化理解だとか他者理解だとか、あるいは多様性の尊重といふこがいかに難しいかといふことを、それとは明示しないけれども、...2024年度入試東京大学と京都大学の奇跡的な一致

  • 2024年度東京大学の国語第四問について

    東京大学国語入試問題の2024年度の第一問についての論評は、昨日記した。「なに」を訊く問題が4つ揃わなかつたので、「なぜ」を2つ混ぜるしかなかつたといふのが私の考察である。「なに」を訊く問題には「なぜ」が入るが、「なぜ」と訊けば理由しか含まれないと私は考へるので、その文章自体も含めて、2024年度の東大の現代文第一問は「面白くなかつた」といふのがその内容である。では第四問(文科のみに課される問題)はどうか。こちらは、良いと思つた(それにしても随分偉さうな物言ひですね。我ながらさう思ひます)。フランス文学研究者が、日本語でフランス文学の翻訳を通じて感じてゐることを記してゐる。菅原百合絵「クレリエール」翻訳論では、2013年第一問『ランボーの詩の翻訳について』湯浅博雄があるが、こちらは文科理科共通問題であつた...2024年度東京大学の国語第四問について

  • WHAT(なに)を問へない時に WHY(なぜ)を問ふ

    春休みは、大学入試問題を解くことにしてゐる。やうやく、今年の東京大学と京都大学の入試問題を解くことができた。いつもにも増して、解くまでに時間がかかつたやうな気がする。それは東京大学の第一問評論が面白くなかつたからだ。ちなみに近年出題された文章のタイトルだけを挙げると、2023年吉田憲司「仮面と身体」2022年鵜飼哲「ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路」2021年松嶋健「ケアと共同性-個人主義を超えて」2020年小坂井敏晶「『神の亡霊』6近代の原罪」となつてゐる。そして、今年は2024年小川さやか「時間を与えあう――商業経済と人間経済の連環を築く「負債」をめぐって」だつた。物事の両義性に焦点を当てた文章を、よくぞこれほど違ふジャンルの文章から持つて来られるなと思ふほど見事な文章選択眼ではある。しかし、その...WHAT(なに)を問へない時にWHY(なぜ)を問ふ

  • 時事評論石川 2024年3月20日(第839)号

    今号の紹介です。先月号に引き続き留守晴夫先生の論稿が掲載された。喜ばれる読者も多いだらう。『再び、戦争は無くならない』とある。戦争といふ局面では、「人間の中身が丸見えになる。善人はより善い人になり、悪人はさらに悪くなる」といふのは、今般のウクライナ戦争を取材した番組の中で、あるウクライナ人医師が語つてゐた言葉だと言ふ。であれば、戦争をやれない日本人は、道徳的な問ひに突き付けられる機会を失つてゐるのであるから、堕落してゐるに違ひない。留守先生は、師匠の松原正の言葉を引用して論稿を閉じる。まさに、自分自身を振り返つて見ても、戦争に立ち会つたときに、どういふ振る舞ひをするであらうかと自問すれば、「善人」になれるとは断言しがたい。さらに「悪人になる」とも断言しがたい。かういふ態度こそがきつと不道徳的といふのであら...時事評論石川2024年3月20日(第839)号

  • 白石一文『我が産声を聞きに』を読む

    我が産声を聞きに(講談社文庫)白石一文講談社昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。現...白石一文『我が産声を聞きに』を読む

  • 『正論』2024年4月号に寄稿

    月刊正論2024年04月号[雑誌]正論編集部日本工業新聞社今、書店に並んでゐる『正論』4月号に、「国語の『混乱』をごまかすな」を書いた。年末に、「今度、言葉についての特集を組むことになつたから、是非書いてほしい」との依頼を受けた。30分ほど、それについてどんな意図なのか、あるいは私が今何を考へてゐるのかといふことについて話し合つた。国語の混乱といふワードがその時に出てきたかどうかは分からない。ただ、年明け早々にある「全国大学入学共通テスト」については触れてほしいとのことだつたので、「分かりました」と答へ、その電話を切つた。実はこの年始は、金沢に旅行に行くことにしてゐた。11月に日帰りで金沢に出かけることがあり、今度は家族で来ようと決めてゐたからである。しかし、何だか気が進まないところもあつて、予定がすつぽ...『正論』2024年4月号に寄稿

  • 還暦を通り越してや春を待つ

    令和6年の2月が明日で終はる。今月60歳になり還暦を迎へたが、特別な感慨もなくどうしようもない停滞の中を苦々しい顔をしないで(他人様からはいつも笑つてゐますねと言はれる)過ごしてゐる。今の願望は早く定年を迎へたいといふことである。恥づかしいことであるが、偽ることでもあるまい。その原因の一つはデジタル社会の生きづらさである。ワードを使つて文章を書くのは当り前。エクセルを使つて表計算するのは当たり前。そこら辺りはまだいい。楽々清算やら、teamsやら、その他さまざまなソフトやアプリを駆使してデジタル社会は人間にその仕様に馴れるやうに求めて来る。現代の人間疎外である。デジタルデバイド(デジタルによる格差)を取り上げる若者はゐない。何が多様性だ。そんな言葉の薄つぺらさは、この一事で分からう。技術上達者が生きやすい...還暦を通り越してや春を待つ

  • 時事評論石川 2024年2月20日(第837/38)号

    今号の紹介です。久し振りの留守晴夫先生の論稿が掲載。喜ばれる読者も多いだらう。留守先生の師匠でもある松原正の名著『戦争は無くならない』と同じタイトルで寄稿された。今号ではその前半が載せられてゐる。近著メルヴィルの『詐欺師ー仮面芝居の物語―』についてから書き起こされてゐる。人に「心」がある限り、つまりは「悪と悲惨」とを解決しようとする良心がある限り、この世から戦争が無くなることはないといふ主旨である。次号も楽しみにしたい。一面にある共産党のカネについての話は面白かつた。共産党の昨年の総収入は190億円といふから驚く。しかもその収入のほとんどが「赤旗」の購読料といふのから驚きである。政党助成金を受取つてゐない共産党の資金源である。それが今たいへんなことになつてゐるといふのだ。購読者の漸減と、配達の負担である。...時事評論石川2024年2月20日(第837/38)号

  • 草の芽に降りし光や微かなる

    草の芽に降りし光や微かなる

  • 白石一文『快挙』を読む

    快挙(新潮文庫)白石一文新潮社写真家を目指すが、その能力に限界を感じ、ホテルマンなどのアルバイトで生活を送る俊彦。彼は小料理店を営む2歳年上のみすみと一緒になつた。小説を書き始めた俊彦が小説家として世に出ることを勧め、支へてくれてゐた。小説を書きながらも、あと一歩のところでそれが世に出ない。筆力の限界と共に、担当し俊彦の文才を買つてくれてゐた編集者の急逝といふ不遇もあつた。それでも長い忍耐の時期を過ごしながら出会つた人との繋がりでノンフィクションの本が出、10万部を越すベストセラーになる。不遇の中で腐りかけながらも、俊彦を支へてくれたみすみの存在が切ない。彼女は決して聖女ではなく、愛に迷つてもゐるが、傷ついた心を決して他人のせいにはしない女性であつた。俊彦は『快挙』といふ小説をそれぞれ別の作品として2度書...白石一文『快挙』を読む

  • 花咲く冬もある

    今年は暖冬だと言はれたが、寒い日はあつてそんな時はやはり寒い。特に当地は埋立地で、本来は海の上、雨の次の日は不思議に風が強い。それはここに来るまで経験したことのないほどの風の強さで、1年に何度も台風が来てゐるやうに感じる。もちろん建物は鉄筋コンクリート建てだから壊れることはないが、サッシは築17年も経つとどうやら隙間が開いて来るやうでガタガタと揺れる。夜中に何度か起きたことがあるが、海の上だものなと思ふと腹も立たない。それよりは快晴の日の景色の解放感の方が優つてゐる。さて、そんな今年の冬だが、不思議に薔薇が咲いた。5月に咲き、秋に咲き、冬に咲いた。これは初めてのこと。これが暖冬のせいなのかは分からないが、嬉しい出来事である。ベランダにオレンジ色の薔薇に引き寄せられ寒い外に出て行つた。冬に咲く花の強さや席を...花咲く冬もある

  • 福田恆存の講演が本に

    今月、文春新書から、福田恆存の講演が文章になって出版される。新潮社から刊行されてゐたカセット文庫が、新潮新書ではなく文藝春秋から出るのは不思議な感じを受けますが、読者としてどちらでもよく、刊行されることを素直に喜びたい。何度も聴いたものなのだが、活字になれば、また違つた発見があるかもしれない。福田恆存の言葉処世術から宗教まで(文春新書)福田恆存文藝春秋福田恒存講演日本の近代化とその自立1(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存講演第2集理想の名に値するもの(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恒存講演3近代日本文学について;シエイクスピア劇の魅力(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存の講演が本に

  • 白石一文『草にすわる』を読む

    草にすわる(文春文庫)白石一文文藝春秋今日も白石文学を楽しんでゐる。今作は短編集。5篇の作品が編まれてゐる。中では「砂の城」を推す。「若い矢田が、世を恐れ、人を恐れ、そして自らの無知を深く恐れながら、必死で文学と格闘していった」「彼の文学は、無神論者が血眼になって神を求めているような、いわば見苦しい徒労だね」「要するに矢田は人間関係の距離を上手くはかることのできぬ男であり、それは彼の生まれついた一大欠落だった」ここに記された作家矢田泰治とは、白石一文のことなのかどうか、あるいは父親で直木賞作家の白石一郎のことなのかは分からない。そんなことはもちろんどうでも良いことだが、かういふことを書き留めることのできる白石一文の日本人評を、私は得難い観察眼として嬉しく思ふのである。言葉はそれを感じるものにしかかたちを与...白石一文『草にすわる』を読む

  • 「PERFECT DAYS 」(役所広司主演)を観る

    今年最初の映画。紛れもない日本映画だけれど、やはりどこか違和感がある。主役が夜眠る夢がモノクロで、不穏な音楽にうなされてゐるやうな印象を受ける。しかし朝起きた彼は不機嫌でもなく、昨日と同じやうに朝の作業をこなして仕事に行く。渋谷辺りの公衆トイレを清掃するのが彼の仕事。寡黙に丁寧に仕事をこなす。昼休憩に寄る神社の境内ではサンドウィッチを食べる。木漏れ日を見ては笑顔になる。ピントをわざと合はせず偶然の妙に委ねてフィルムカメラでその木漏れ日を撮る。もう何年も続けてゐる。帰宅して銭湯に行き、帰りがけに一杯やつて家に帰つて本を読む。眠たくなつたらそのまま眠る。その1日の固定された生活から弾き飛ばされたやうな心情や考へが汚物のやうに夢に滲み出て来る。しかし夢は見れば終はる。あたかも浄化されたかのやう。だから、朝になれ...「PERFECTDAYS」(役所広司主演)を観る

  • 2024年の太陽の塔 高所恐怖症の鳥はゐるのか

    冬休み最後の1日となつた。太陽の塔を見に行かうと思ひ立ち、昼食をとつた後に出かけた。歩いて行かうかと思つたが、2時間ほどの歩行に膝がどう反応するのかを考へるとやめた方が賢明だと思ひ直してモノレールで出かけた。公園を訪ねる人は思ひのほか少なかつた。温かい冬の一日に公園での散歩はもつてこいだが、やはり初詣が優先ではあらう。太陽の塔には神事につながるものは何もないからである。思はず拝みたくなる威風と清潔とはあるけれども、岡本太郎といふ藝術家が創り出した意匠である。しばらく眺めてゐると頭部の辺りにカラスが飛んでゐるのに気がついた。これまで何度も見てきた姿であるが、珍しい光景だつた。以前、このブログに書いたかもしれないが、太陽の塔について旧約聖書のノアの話に触れたことがあつたと思ふ。簡単に言へば、ノアの家族たちは大...2024年の太陽の塔高所恐怖症の鳥はゐるのか

  • 住吉大社に参る

    奈良の春日大社にお参りするつもりだつたが、急遽予定を変更して住吉大社に詣でた。大阪府民でゐたころから一度も出かけたことがなかつた。場所も何となくあの辺りといふ認識しかなく、調べてみると南海本線にその名も「住吉大社」といふ駅があつた。場所は駅前。1月2日の午後。結構な人盛りであつた。天気は快晴。初めて参る宮の雰囲気は独特。第一、第二、第三宮は縦直列.第三宮の横に第四宮が建つてゐる。配置について住吉大社の説明によれば、「大海原をゆく船団のよう」であり、「古代の祭祀形態をよく伝える貴重な存在」とのこと。その点について全く知らない私には、さういふものかと思ふしかないが、独特さは感じた。遣隋使が派遣された地であるとの案内板を読むと、まさに「大海原をゆく」といふ表現が相応しいと感じられた。目の前に阪堺線の路面電車も走...住吉大社に参る

  • 東浩紀『訂正する力』を読む

    訂正する力(朝日新書)東浩紀朝日新聞出版デリダの研究者だけに、本書が伝へてゐる「訂正」とは「脱構築」といふことである。この言葉、哲学の専門用語なので日常的に使はれる言葉としては「再解釈」といふのが適切であらう。しかし、「再解釈する力」では面白くないので、敢へて人人が違和感を抱きやすい「訂正」といふ言葉で気を引かせる(異化)といふ戦略なのだらう。東は、「修正」と「訂正」は違ふと本書のなかで何度も書いてゐるが、それは「歴史修正主義」といふ悪評高い言ひ方があつて、それへの差別化を意図したものである。歴史修正主義とは、特定の側面のみの誇張や政治的な意図を持つた歴史の書き換へのことを言ふが、例へばホロコーストの否定や矮小化である。このことの当否は、ここでは問題にしないが、読者の私としては、この言葉の選択に意味を感じ...東浩紀『訂正する力』を読む

  • 初日浴び晴晴とせり富士の山

    今朝の富士山です。ただし戴き物。初日浴び晴晴とせり富士の山

  • 携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

    今年を振り返つてみれば、まづは8月に母が94歳で亡くなつたことだらう。最後の十年ぐらゐは寝てすごすことが多かつたし、認知症も進んでゐた。何よりコロナの感染を防ぐためといふことで、施設では玄関先で5分ほどの会話しか許されなかつた。いつも「元気でね。また来るからね」と言ふばかりで、会話といふほどのものでもなく別れる。3時間かけて行き、3時間かけて帰る。それを繰り返した数年であつた。施設には感謝してゐる。それ以前は、実家は伊豆にあるので地震があれば心配し、床下に浸水する地域なので豪雨があれば心配してゐた。父は週に2日のごみ捨てがだんだんしんどくなつて来たと行つてゐたが、それを聞いて施設に入つてはどうかと話し、両親共に施設に入つてもらふことになつた。「飯がまずい」とこぼしてゐたが、その父も3年前に亡くなり、しばら...携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

  • メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

    詐欺師ー假面芝居の物語ハーマン・メルヴィル圭書房留守先生の新訳によるメルヴィルの『詐欺師』が出来した。アメリカ文学は、私にとつてあまり馴染みのないものであるが、留守先生の新訳が出るたびに、それらを通じて知るやうになつてきた。これまでは同じくメルヴィルの『ビリー・バッド』『バートルビー/ベニト・セン』、ロバート・ベン・ウォーレンの『南北戦争の遺産』である。そして、今回『モービー・ディック(白鯨)』に次ぐ傑作と言はれる『詐欺師』である。まづは、その訳者解説を読んだ。しばらく体調を崩されてゐた留守先生が書かれた現代批評として、それは読まねばならないものだからである。それは、『詐欺師』そのものの解説であるのはもちろんであるが、メルヴィルの作品の本質の解明であり、当時と現代アメリカの批評であり、それはそのまま近代か...メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

  • 『ゴリラ裁判の日』を読む

    ゴリラ裁判の日須藤古都離講談社このブログの長年の読者であれば(そんな奇特な人はゐるんか?)、私の読書傾向が分かるだらうから、このタイトルを見て「どういふこと?」と違和感を抱くのではないか。確かに私でもこの種の本を自ら選んだりはしない。そもそもこれは書店で言ふとどの棚に置いてあるのかさへ見当がつかない。中身を読んだ今なら、これは小説であるから「現代文学」の棚に置かれてゐることは分かる。さういふ自分では決して手にしない本を読んでみたのである。それは若き友人からのお届け物だからである。講談社に就職したその若き友人がどうやら担当してゐる作家らしい。須藤古都離さんといふ作家で、この作品で第64回メフィスト賞を受賞したらしい。情けないことに、私にはそのメフィスト賞といふ文学賞も知らなかつた。なんと64回も続いてゐると...『ゴリラ裁判の日』を読む

  • 哀悼 平岡英信先生

    12月16日(土)平岡英信先生がご逝去された。94歳。何度も死を乗り越えて来られたが、「私に使命があるなら神さんが生かしてくれる」とおつしやつてゐらしたが、遂にこの日が来てしまつた。私の母も今年同じく94歳で亡くなつた。父も、そして翻訳家で批評家の松原正先生も同じく皆昭和4年生まれである。平岡先生とのご縁は、福田恆存とのつながりである。『私の幸福論』の文庫版の後書に書かれてゐるが、平岡先生が福田恆存を招き、清風学園の教職員を前に語つた講演が下敷きになつてゐる。このことが福田恆存と平岡先生との最初のお付き合ひかどうかは分からないが、大阪に来られる度に、平岡先生は福田恆存との交流を深められてゐた。その後現代演劇協会の理事にもなられ、福田恆存の御子息である逸さんが大阪に来られる時も、お会ひになつてゐた。私も一度...哀悼平岡英信先生

  • 時事評論石川 2023年12月20日(第836)号

    今号の紹介です。年末恒例の吉田好克先生の「腹立ち三大噺」。今回は岸田、岸田、岸田である。岸田首相への批判、怒り、憤りである。結論は、女性宰相を願ふとのことで、高市早苗さんを推してゐるのだらうが、私も将来的には女性宰相が良いと思ふが、これほど劣化した政治の中で、嫉妬と劣情とが渦巻く男性政治家に女性宰相を支へようとする気概のある人がゐるかどうかは不安である。残念が駄が、岸田の後がよくなる保証は全くない中では、この人をうまく支援した方が良いのではないかと思ふ。その意味では、国民の志向や心意気が問はれてゐるのである。こんな奴に任せてられるかとの本音を隠し持ちながら、「先生、いかがですか、こんな風にされては」と言へる保守支援者が多く出て来るかどうかが勝負どころである。私は、まづはこの方に教育について直言したい。さて...時事評論石川2023年12月20日(第836)号

  • 白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

    白石一文の本を読んでゐると心が整理されていくのを感じる。ある小説がいいか悪いかは、読む人ぞれぞれであらうが、私にはこの「心の整理」といふ基準が最もしつくりとくる。むしろそれは小説に限らない。批評も歌や俳句もさうだらうと思ふ。それがいいか悪いか、この際それは問はないことにする。私にとつて読書とは私のために読むものであるからだ。本作は、一見すると白石の実話にもとづく随筆のやうにも感じた。自伝的作品となつてゐるが、「私」といふ第一人称で書かれてゐるフィクションといふよりも、小説といふスタイルを借りたノンフィクションといふ感じがする。三島由紀夫が自伝を書くのに『仮面の告白』と名付けたやうに(その味はひはまつたく異なるが)、白石が「野々村保古」といふ人物を借りて告白してゐるやうに思へた。だから、小説としては氏の他の...白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

  • 時事評論石川 2023年11月20日(第835)号

    今号の紹介です。性的マイノリティへの理解増進法を巡る自民党の迷走ぶりを的確に批判した一面の島田洋一氏の論考に賛同する。性は身体に基づく、これが倫理である。自身の性と身体とに違和感を表明することも倫理的行為である。そして、その苦悩を他者が理解しようとすることもまた倫理である。しかし、性同一性障碍者が性別変更を求めた際には「生殖腺」の切除を求めたことは違憲であるとした最高裁の判決は不当である。性自認を当該個人の「心理」だけを根拠としては、過去と現在と未来との当該個人の心理さへ不安定であるのに、ましてや他者には想像できない個人の内部に対して当該者の性別の判断など到底不可能だ。困りましたね。四年前までは合憲とされてゐた判断が、たつた四年で違憲になるとは。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2...時事評論石川2023年11月20日(第835)号

  • 河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

    こころと脳の対話(新潮文庫)隼雄,河合新潮社臨床心理学者と脳科学者との対談のやうであるが、実際には後者による前者へのインタビューといふ形式である。脳についての実践家と科学者と言つてもいいだらうか。ただ、注意が必要なのは、共に分からないことを巡つてアプローチの仕方が異なつてゐるといふだけで、実践と科学とが相容れないものであるといふわけではない。まさに「分からない」といふことを大切にしてゐるといふスタイルは、2人の共通点である。河合の言葉を拾ふ。「全体をアプリシェイト(味わう)することが大事であって、インタープリット(解釈)する必要はない」「ここで大事なのは、『ここまで行った』「あそこまで行った」というのは科学的、論理的にうまいこといったんやない。それは、先生とその子との関係性で行われていた、ということなんで...河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

  • ポケットに一年前のマスクあり

    急に寒くなつた。ついこの間まで、夏用のスーツを着てゐたが、先日冬のジャケットを出して着、ポケットに手を突つ込むと何やら入つてゐた。慌てて取り出すとそれは一年前に使つたままのマスクであつた。それを見ると一気に一年前が思ひ出された。まだまだ感染症の2類対策に追はれてゐた昨年の冬。暖房をかけながら窓を開け、休み時間ごとに窓を開け放ち、「寒い」「寒い」と叫ぶ生徒らを見て見ぬふりをして教卓に戻ると、既に窓は誰かの手によつて閉められてゐた。やれやれとの思ひが込み上げて「それでも窓は開けないと」と独り言ちて授業を始めた。そんな時間を、くしやくしやになつたマスクの残骸が記録してゐるやうだつた。彼らはもう卒業してゐない。どうしてゐるだらうか。ポケットに一年前のマスクあり

  • 橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

    世界はなぜ地獄になるのか(小学館新書)橘玲小学館なんと不愉快な書名であるか。それなのにそれを読んだ私がゐる。この著者の本は何冊か読んだが、読者を絶望的な気分にさせる力がある。それなのに読ませる。それが筆力なのであらう。頭がよく、論点が綺麗に整理されてゐて、術語を駆使して問題の根本を抉り出してゐる(やうだ)。しかし、謙遜ではなしに頭の悪い私には途中でなんのことやらさつぱり分からなくなる。だから10月8日に購入しその日に読み始めたはずだが、1ヶ月以上かかつてしまつた。話題が次々に変はつていく書き方も好きではない。しかし、最後まで読んでみた。何も解決法は書かれてゐない。しかし、納得できたことがあつた。それは特に中途半端に金持ちで教養があると自分で思つてゐる連中がひどくこの世界を呪つてゐて、自分より幸福さうに見え...橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

  • 白石一文『道』を読む

    道(小学館文庫し12-2)白石一文小学館いい小説に出会ふ時間は幸福だ。さういふ小説に出会ふ確率を求めるとどうしても贔屓の作家が出来てしまふ。それは服にしても、食事にしても、同じことが言へて、「失敗したくない」といふ思ふが強くなるといふのが、畢竟するに「老い」といふことなのだらう。偶然を頼りにひたすら読み散らかすといふ読書生活をした時期もわづかにあるが、私は同じ作家を読む。それも気に入れば何度も同じ作品を読む。といふのがどうやら私の読書生活の傾向らしい。それで、白石一文の文庫になつたばかりの小説を読んだ。デビュー作『一瞬の光』を読んでから、贔屓の作家になつてゐる。文庫にして700頁もある。しかし、読み終へるのが残念でたまらなかつた。あらすぢは、ニコラ・ド・スタールの「道」といふ絵(文庫の表紙にはその絵があし...白石一文『道』を読む

  • 信頼する批評家――森本あんり

    聖霊の舌ウィリアム・タバニー平凡社森本氏は、神学者で東京女子大学学長である。以前、国際基督教大学の副学長をされてゐた。内田樹の『反知性主義』の言葉づかひは誤りではないかと思つてゐたところ、森本氏がアメリカの文化的背景から、その誤りをズバリと指摘してゐたのを読んで(内田氏の言を直接論つてゐたわけではない)、非常に勉強になつた。反知性主義とは「反-知性主義」なのであつて、「反知性-主義」ではない。前者は知性(理性)だけに信憑を置くと危険ですよといふことであり、後者は「知性にたいする批判」を専らにすべきだといふことである。有り体に言へば、後者は「知性なんていらないよ」「感情や情念が第一だ」といふ考へ方である。内田樹は、安倍晋三批判をするに際して、後者の意味で「反知性主義」と名付けてゐたが、やはりそれは誤りである...信頼する批評家――森本あんり

  • 時事評論石川 2023年10月20日(第834)号

    今号の紹介です。何と言つても圧倒的に面白いのが2面の照屋氏の論考。英国の詩人マシュー・アーノルドから引いて、アナーキーへの漂流への危機から「従属関係と慣習の考えを重視し、これを人間の道から排除していなかった英国の封建制を評価」すべしと述べるのに、刮目させられた。照屋氏は、近著にジョージ・オーウェルの翻訳があるが、英国文学者ならではの指摘である。マシューについては全く知らなつたが、調べると私が大学時代にお世話になつた英文学の先生が翻訳されてゐた。ラフカディオ・ハーンの研究者とばかり思つてゐたので先生のお宅にまで伺つてハーンの話はうかがつたが、今にして思へば先生の研究について調べてからうかがふべきだつたと反省するばかり。マシューについて関心を持つた。ただ照屋氏がかう書いてゐるについては正直疑問がある。「デジタ...時事評論石川2023年10月20日(第834)号

  • 「沈黙の艦隊」を観る

    映画『沈黙の艦隊』冒頭11分46秒大沢たかお新装版沈黙の艦隊(1)(KCデラックスモーニング)かわぐちかいじ講談社面白かつた。潜水艦とはどういふ船なのかの説明を台詞に織り交ぜながら、話を展開していくのは上手いと思つた。これ以上「説明」が長くなれば話が途切れてしまひさうだが、そのギリギリのところを絶妙に攻めてゐて、なるほどと思ひながら話の理解を深めてくれた。原作にはない話の挿入は、主人公の艦長(大沢たかお)とその下で副長をしてゐた別の艦の艦長(玉木宏)の対立を描くには必要不可欠なのだらう。ただ、独立国やまととしての活躍を描く時間が削がれてしまつたやうにも思ふ。これは少なくとも全3話の第1話といふ印象が強い。原作を換骨奪胎して2時間強で描いた手腕は素晴らしいと思ふが、やまとに翻弄される日本政府とそれと対抗する...「沈黙の艦隊」を観る

  • 「本ってどこで買えるのですか」

    ついにここまで来たか。そんなことを感じた。新潮社のPR雑誌『波』の2023年10月号に掲載された群ようこによる、沢木耕太郎『夢ノ町本通りブック・エッセイ』の書評の一節である。ある記者が、高校生を取材をしてゐた折に、一人の男子高校生がした質問だと言ふ。本屋といふ存在を知らない、とはにはかには信じがたいが、まんざら嘘でもあるまいから、極めて特殊な例とは言へ、ついにさういふところまで来たのであらう。街の本屋は消え、ショッピングセンターの本屋は雑誌や漫画や売れ筋の文庫や新刊本のみ。専門書を扱ふのは、人口30万人以上の中核都市にあるかないかであらう。スマホのみを情報源とする「一人の男子高校生」には、本とは教科書や副教材や学校の図書館にある物、といふ認識なのだらう。私は別に憂いてはゐない。文化の格差もまた後期近代には...「本ってどこで買えるのですか」

  • 『夢なし先生の進路指導』を読む

    夢なし先生の進路指導(1)(ビッグコミックス)笠原真樹小学館中等教育を担ふ中学校高等学校には分掌といふ教員の役割分担がある。生徒達には「生徒指導部の先生」といふのはイメージしやすからうが、教務部や進路指導部といふのはなかなか分かりづらい仕事の割り振りであらう。かく言ふ私も分掌といふ言葉を教員になるまでは知らなかつた。教員といふのは、教科を教へる仕事がもちろん第一であるが、学校が組織であり、教育が教科の伝達と完全にイコールでないと知るならば、やはり教員の仕事にはそれ以外のことがあるのは当然である。しかも、それは言はば教科を教へる仕事を支へる根つこのやうなものであり、見えない仕事でむしろあるべきとさへ思へる。カリキュラムの熟成やライフキャリアを考へる資質を養ふことは、縁の下の力持ちである。私の所属してゐる分掌...『夢なし先生の進路指導』を読む

  • 時事評論石川 2023年9月20日(第832・33)号

    今号の紹介です。一面に記事を書かせていただいた。安倍元総理への思ひを書いてほしいとの依頼であつた。今年のゴールデンウィークに、安倍氏が銃弾に倒れた場所に行つてみた。そこはすでに道路になつてをり、その脇には芝生の小さな公園が出来てゐて、そこに高校生と思しき若者が飲み物を片手に寝そべつて談笑してゐた。道路の脇で寝そべるといふのも私の感覚とは大いに異なるが、その場所がどういふ場所かを知つてゐながらの行為であつてみれば、個人の感覚の相違を越えて、どうにも整理をつけようがないほどの悲しみが湧いてきた。冷静になつて考へてみれば、なるほどこれが今の私たちの国のマジョリティーの感覚であり、東大法学部の教授をはじめ安倍批判のインテリゲンチャ―の思潮である。これは言はば、「日本の自殺」なのである。民主主義とは、かういふやうに...時事評論石川2023年9月20日(第832・33)号

  • 『沈黙の艦隊』を読む。

    沈黙の艦隊全16巻セット講談社漫画文庫かわぐちかいじ講談社『怪物』を観に行つたときだつただらうか。本編の開始の前の予告の上映のときに、『沈黙の艦隊』が映画化されることを知つた。昔から海の映像は苦手で、恐怖が先立つ上に、潜水艦の映像であるともつと怖さがまさるかもしれないとの不安もあるが、この映画は観たいとの思ひがあつて、急いで漫画の文庫コミック16巻を取り寄せて夏休みに一日一巻づつ読んだ。漫画といふものを読むといふ習慣がこれまでになかつたので、始めは苦労した。コマ割りがどのやうに続くのか分からないし、老眼には文庫版のふきだし内の文字は読みづらい。しかも、日米で開発した原子力潜水艦が独立国を宣言するといふ想定が果たしてどの程度リアリティがあるのかも分からない。その上、主人公の艦長がこれまたあまりにも見事に指揮...『沈黙の艦隊』を読む。

  • 西尾幹二氏の新著

    月刊『正論』8月号に西尾幹二氏の近況が載つてゐた。保守言論人の重鎮として、私としては今もその発言を聞きたい人の中の数少ない中のお一人である。西部邁、山崎正和、松原正、渡部昇一、石原慎太郎、江藤淳、野田宣雄、勝田吉太郎、かつては森のやうに密にして奥深い豊かさを、ささやかな私の読書生活にも十二分に感じさせてくれる方々が生きて存在してくれてゐたが、今はこの西尾幹二氏と加地信行氏、そして長谷川三千子氏のお三方のみである。もちろん、その他にも優れた批評家はゐるだらうが、もうかつての青年時代のやうには読むことはできない。その西尾氏が筆を執ることも随分少なくなつた。ブログの記事によれば、「ガン研究会有明病院で大手術が行われたのは2017年3月31日でした。あれから六年の歳月が流れました。ガンは克服されましたが、体重を1...西尾幹二氏の新著

  • 2013年の終戦記念日

    宮崎にゐる。義父の一周忌法要を無事終へて、ほつと一息。ただし、お盆と重なつたので、迎へ火、送り火をお墓と自宅前とで行ふ。それから家の前には新盆の家だけが提灯を灯しておくといふ習慣がある。すべてはお寺の指示で、A4用紙3枚にわたつて書かれた段取りにしたがつて行はれる。曹洞宗の檀家が全てこのやうに行つてゐるのか、あるいはこのお寺だけが行つてゐるのかは定かではない。しかし、もう何十年も、葬式を出した時にはかうしてゐるのだと言ふし、お盆の行事もまたこのやうにしてゐたと家内は言ふ。かういふ慣習が何によつて維持され信じられてゐるのか、私はひとへに住職の仏様への帰依にあると予感するが、残念ながらそれは感じられなかつた。ここでは書けないが、新盆の読経に来られた時に実に残念な言葉を残して次の檀家に行かれた時、本当に情けない...2013年の終戦記念日

  • 近況

    母親の葬儀も無事に終はつた。家族で通夜を過ごした。父親の時と同じ葬儀場なので、勝手が分かり不安も和らいだ。祖父母の時には家で葬儀を行なつてゐたから、わづか一世代でこんなにも葬儀の有り様が変はつてしまふものかとの思ひもあつた。一世代の変化といふことを言へば、母方の祖父が亡くなつたのは50年も前である。一世代とは30年をいふのであらうが、祖父母と父母との世代間の差がいちばん大きいのであらう。戦後の高度経済成長が食料を豊かにし、衛生状態を向上させた。寿命の変化が最も著しい時期である。それに引き換へ、私と両親との間はせいぜい30年である。母の通夜はもつとしめやかにしたいと思つたが、誰もしんみりとした様子はなかつた。懐かしい話題には事欠かないが、どれも笑ひ声と共に語られるから深夜まで楽しい時間となつた。半分悔しい思...近況

  • 白石一文『不自由な心』を読む。

    不自由な心(角川文庫)白石一文KADOKAWA久しぶりに白石の小説を読んだ。中年男性の家族の心理風景、会社内の人間関係、いつもながらの展開ながら、その渦中にある主人公の思考の道筋はいつも異なる。哲学的、宗教的と言つてもよい。そのことば、言葉、コトバが私には得難い時間の訪れのやうに感じられる。そこに予想外の分析があるから、知的な刺戟を受けるのだ。「人というのは集団となって、その集団にために働き貢献するような理屈を構築しながら、集団の中にあってこそ限りなく利己的に振る舞えるのだ。」なるほどと思ふ。白石一文『不自由な心』を読む。

  • 今朝方の母死にたまふ蝉静か

    昭和4年生。享年94。ありがたし。合掌。今朝方の母死にたまふ蝉静か

  • 『沈黙の艦隊』を読み始める

    ずゐぶん前に読んで見ようと思ひ、まとめて全16巻を購入したが、もともと漫画を読むといふ習慣をついぞ持つたことがないので、最初の1巻で挫折して数年経つた。ところが、何かの映画を観た時の宣伝で、この秋に実写版が放映されると知り、これを機に読んでみようと思ひ立ち、今毎日1巻づつ読んでゐる。今日で6巻終はり、今から7巻目。いいペースである。目標を超えるペースで読めてゐる。潜水艦の運航についてのさまざまな用語も分からないし、軍事的な知識も持ち合はせてゐないので、正確な理解はハナから捨ててゐる。それでもたんたんと読み進めて行かうと思つてゐる。しかし、一つだけ思ふのは、潜水艦1隻で「独立国家」を宣言できるのかどうか。国民は艦員、領土が潜水艦、国是として軍事目的に徹するなどといふことが、思考実験としてでも成立するのかどう...『沈黙の艦隊』を読み始める

  • 小学生は面白い。

    30%の幸せ―内海隆一郎作品集内海隆一郎メディアパル久しぶりに仕事で小学生相手に国語の授業をした。題材は何でもよいといふので、内海隆一郎の「芋ようかん」といふ小説を読むことにした。話は単純で、老夫婦がやつてゐた老舗の和菓子屋が舞台。初代のおじいさんが亡くなり、息子の代になつた。おばあさんは、芋ようかんつくりに精を出してゐたので、そのままつくり続けるつもりでゐた。しかし、ある日息子から「そんな利益の少なく、売棚の幅ばつかり取るやうな芋ようかんなんか止めて、大手のお菓子製造会社がつくつた出来合ひを並べた方が、今日日のお客のニーズにあつてゐる。しかも利益が大きい。だから、もう芋ようかんつくりはしないでいいよ」(この台詞はそのままではない)と言はれ、しぶしぶ諦めることになつた(もちろん、内心は腹が立つてゐる)。そ...小学生は面白い。

  • 久保征章『魂のみがきかた9つの道標』

    魂のみがきかた人生を好転させる魂向上の9つの道標久保征章高木書房高木書房の斎藤信二社長からご恵贈いただいた。私には不似合ひな書ではあるが、かういふ面もあるといふことは臆さず記しておかうと思ふ。著者は医師である。命を対象としてゐるうちに、身体的な生命と平行する別の生命があるといふことを感じたのであらう。魂とはさういふ意味である。そして、その魂の成長を見つめる人の身体的な生命は健康にも幸福にもなつていくといふことである。何となくさうだらうなと思つてゐたことを、いくつもの症例や体験を通じて、久保医師は感じたのである。魂を磨くといふことの例としては、筆者が推奨する神社へ行くこと。そしてその神社での祈り方が挙げられてゐる。これには大きな気づきを与へられた。「参拝したら、拝殿の前で、無事に参拝できたことをの感謝を申し...久保征章『魂のみがきかた9つの道標』

  • 福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡 その2

    文學界(2023年7月号)(特集甦る福田恆存)文學界文藝春秋(引用を続ける)「常識である以上、背に腹は変へられない事態がくれば、いつでもそんな基準は捨てさります。自由といへば自由、放縦といへば放縦、しかし、かういふ混乱状態に、一般の民衆は『これは都合のいゝことだ』といつてゐるとは思へません。一見、罪の意識の欠如の裏で、何かものたりないものを感じてゐるのです。一種の空虚感といつてもいゝでせう。それは悪いことをしても、もう叱つてくれなくなつた老父を見て感じる若者の心細さみたいなものではないでせうか。」私たちの「現実」には、「混乱」しかない。しかし、その「混乱」は心理的なものであるので、外見を観るだけではそれが「混乱」であるやうには見えない。外国人が見た現実は、私たち日本人が見た現実とは異なるのである。伝統に根...福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡その2

  • 福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡

    『文學界』7月号を読んでゐる。昭和30年に、二人は書簡を送りあつてゐる。福田恆存のご次男の逸氏が、これからそれを公刊するやうで、その一部がこの度掲載された。これがすこぶる面白い。意外だつたのが、福田恆存は助動詞「やうだ」を「ようだ」と書いてゐること。そして以前から知られてゐたが、漢字は決して繁体字にこだはつてゐないといふことである。これをもつて言行不一致や、『私の国語教室』の主張を裏切つてゐるといふのは早計である。前者については間違ひは誰にもあるし、後者については日常的には画数の少ない字を書くといふことに過ぎない。仮名は発音記号ではないといふことや、漢字はその歴史性を踏まへよといふ主張にはいささかも傷はつかない。さて、本文であるが、これが非常に面白い。「過去の日本には、クリスト教的な絶対唯一神もなければ、...福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡

  • 時事評論石川 2023年7月20日(第831)号

    今号の紹介です。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●アメリカの本音朝鮮半島は「危険な状態」のままで良いならば拉致被害者救出は拓殖大学海外事情研究所所長特定失踪者問題調査会代表荒木和博●コラム北潮(『鶴見俊輔混沌の哲学』)●台湾の危機は日本の危機ノンフィクション作家小滝透●教育隨想宮内庁広報室に課せられた重い課題(勝)●長期戦見込まれるウクライナ戦争エスカレートする可能性はあるか?史家山本昌弘●コラム眼光LGBT法の致命的錯誤(慶)●コラム核心的な歴史認識問題(紫)「戦争屋」「死の商人」の言い分(石壁)怪物、だーれだ?(星)雑駁にして杜撰な法律(梓弓)●問ひ合せ電話076-264-1119ファックス076-231-7009北国銀...時事評論石川2023年7月20日(第831)号

  • 平山周吉「昭和54年の福田恆存と、1979年の坪内祐三青年」

    文學界(2023年7月号)(特集甦る福田恆存)文學界文藝春秋引き続き、『文學界』の福田恆存特集を読んでゐる。もう次の号が発売され、書店からはこの号は消えてゐるのに、少しづつ読み進めてゐる。余談になるが、この欄では何度も「5冊並行読書」といふことを書いてゐるが、今はその5冊ともが遅読を極め、机の上に積み重ねられたままだつたり、カバンの中に入つたままだつたり、本棚から取り出されたままといつた状況である。そのことに不満やストレスを感じてゐるが、読まないよりはましとの思ひが、この読書スタイルを形作つてしまつたのである。読み散らかしといふ、読書スタイルの「崩れ」が、新種の読書スタイルを「形作る」とは、いかにも言ひ訳のやうだが、案外私らしい気もしてゐる。10年経つたあとで今を振り返つた時に、「何一つ身につかなかつた」...平山周吉「昭和54年の福田恆存と、1979年の坪内祐三青年」

  • 下西風澄「演技する精神へ」福田恆存論

    これからの福田恆存論は、全て第三世代のものである。浜崎洋介はその筆頭だらうが、それよりも若い書き手による福田恆存論は初めて読んだ。そして大変真直ぐで頭が整理される逸品だつた。「しもにし・かぜと」とお読みする。1986年生。哲学がご専門の文藝評論家と言つてよいだらうか。「いま私たちが、劇作家であることで成立する思想家、福田恆存を読むことの意味は、どこにあるのだろうか」で始まる論は、『人間・この劇的なるもの』といふ福田の主著に対する真直ぐな問ひかけである。そして、個と全体とを同時に見つめて振る舞ふ福田の論じ方を演戯として捉へる視点は、強く同意する。その上で、下西はさらにかう問ふ。「絶対的なる神なき日本において、しかも『自然』という全体性が失われた近代以降の日本において、『全体』なるものはいかに倫理として機能す...下西風澄「演技する精神へ」福田恆存論

  • 中島岳志と浜崎洋介との対談「神なき世界をどう生きるか」

    先にも紹介した通り『文學界』7月号(2023年)では福田恆存の特集をしてゐる。そこでは中島・浜崎両氏の対談が載つてゐる。今日は久しぶりの夕方までの時間がお休みだつたので、読んでみた。これがじつに面白かつた。私の分類では、福田恆存読者の第三世代に該当する両者は、純粋にテクスト理解に基礎を置いてゐる。それだけにテキストの理解は厳密である。したがつて、参考になることが非常に多かつた。福田恆存自身は全集には収録しなかつたが、重要な作品に『否定の精神』があるが、浜崎はそこから次のやうな解釈を試みる。「福田が摑み取った結論が、『反省』によって自己を意味づけることはできないということでした。自己を反省していった先で、その自己を支えるものまでを反省してしまえば、自己は全体性の外へと出てしまい、その存在を支えるものは消えて...中島岳志と浜崎洋介との対談「神なき世界をどう生きるか」

  • 時事評論石川 2023年6月20日(第830)号

    今号の紹介です。一面の記事にある黒ベタ白抜きの見出しに驚いた。「全体主義への道」をひた走つてゐるやうに、筆者には見えるといふのだ。そのきつかけは、岸田首相に爆発物を投げ込んだ木村某と、昨年7月8日に安倍元総理を暗殺した山上徹也の犯行における動機の内容を知つたことにあると言ふ。彼らの心理の分析にはアイザイア・バーリンの「自由」論が援用されるが、この辺りは記事を読んでもらふしかない。自由の履き違へとはその通りであると思ふが、それが全体主義への道の表象であるといふのは、もう少し詳しい説明がほしい。消極的自由を求めた結果、積極的自由にからめとられ、それらが全体主義をもたらす権力を巨大化させるといふ逆説は、きはめて深い人間心理をとらへたものである。それゆゑに、過程の詳細な分析を知りたいのである。ご関心がありましたら...時事評論石川2023年6月20日(第830)号

  • 太陽の塔のポスター

    太陽の塔のポスター

  • おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけり

    父の三回忌で山梨県富士吉田市の西念寺に参る。御住職のお経は今日も素晴らしかった。称名念仏南無阿弥陀仏御法話では一遍上人の御言葉を語られた。おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけりここに示された孤独は近代人の孤独とは違ふだらうが、衆生を救ふ一人の聖者はひたすらそれだけを求めて行つたから、その速度に人はついて行けなかつただらう。全国を遊行された一人の修行僧の行路にはもちろん人人が集つてゐたのだけれども。先日書いたイエスの孤独ともやはり違ふ。神の悲しみには至れない、私たちの知り得ぬ地平をイエスは歩いてゐたのである。一遍上人の調べには力強さがあるが、イエスの絶唱には自得による満足感はない。神へのどうしやうもない申し訳なさが滲み出てゐるやうに感じられる。一人の男がこんなにも弱くなつてしまふのかといふ無念...おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけり

  • 『文學界』7月号で福田恆存小特集

    『文學界』2023年7月号で、福田恆存の小特集が組まれてゐる。当地では手に入らないので予約した。読後に何か感想があれば書くことにする。https://amzn.to/3WT5iiN『文學界』7月号で福田恆存小特集

  • 片山杜秀の福田恆存観

    株式会社文藝春秋のウェブマガジンに「本の話」といふものがある。そこに大分以前に出た『人間の生き方、ものの考え方』といふ福田恆存の講演集をまとめた本についての記事がある。その中に片山の次のやうな言葉がある。「私などは、福田恆存を読んで、実際に書いてあるとおりに考えているとは思わないんですね。彼の中で貫徹しているのは、結局人間は不完全で弱く、悪から離れられず、間違う存在だということです。だから、いわば“葛藤絶対主義者”で、常に正解はなくて、ああ言えばこう言うを永遠に続けていく。彼の本質は演劇人なんです。」「実際に書いてあるとおりに考えているとは思わない」と断言できる根拠は何も示されてゐないので、まさに「思つた」だけであるが、そんな思ひだけを書かれてもと私は「思ふ」。私は「実際に書いてあるとおり」だと考へてゐる...片山杜秀の福田恆存観

  • 十字架についたイエスは幸福か

    私淑してゐた稲垣良典は、講演のなかで「人間としてこれ以上ない悲惨な死に方である十字架についた時、イエスは果たして幸せだつただらうか」と問うてゐる。深い問ひだと思ふ。思はずはつとして聞き入つてしまつた。イエスの最後の言葉は「わが神、わが神、なにゆゑわたしをお見捨てになられるのですか」であつた。かういふ嘆きの言葉を残す心情は、明らかに絶望であり、悲嘆である。それが通常の理解である。あらうことか、キリスト者の中にも「それは人間イエスの弱さである」とさへ言ふ者もゐるやうだ。それに対して神学者の中には、これは旧約聖書の詩編22編の冒頭であるから、その冒頭の一節をイエスが言ふことで、22編全体を意味したことは明らかで、それを述べたダビデの結論は、22編最後の一節「主がなされたその救ひを後に生まれる民にのべ伝へるでせう...十字架についたイエスは幸福か

  • 時事評論石川 2023年5月20日(第829)号

    今号の紹介です。国防にせよ教育にせよ、大事なことは何も決められないままどうでもよいことだけが決められて行かうとしてゐる。今号の紙面に出てくる話題は、その「どうでもよいこと」を「とんでもないこと」に変えて、「決定的な大問題」にしようとする事柄である。さういふ輩を退治する執筆者の怒りを感じてほしい。私もその怒りを共有するが、それに加筆する余裕も能力もない。ただひたすら応援するばかりだ。そして憂色が濃くなるばかりである。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●拉致で安倍元首相が闘った「有力者」たち足を引っ張るだけのお荷物YKK救う会副会長福井県立大学名誉教授島田洋一●コラム北潮(バジョット『イギリス国制論』)●島田雅彦左翼知識人の典型言...時事評論石川2023年5月20日(第829)号

  • 榎本博明『伸びる子どもは〇〇がすごい』を読む。

    伸びる子どもは○○がすごい(日経プレミアシリーズ)榎本博明日本経済新聞出版もう30年以上前のことである。かつて叱つたことのある生徒から数年後にその時のことを思ひ出して「先生に嫌はれてゐるとずつと思つてゐました」と言はれたことがある。さうして過去のことを私に話してくれたといふことは嫌はれてゐたわけではないといふことを分かつてそうくれてゐるといふことではあるが、叱る=嫌ふといふ図式はかなりの生徒に共有されてゐる心理なのだと思つた。私はあまり叱られたことのない少年だつたが、叱られるのは嫌はられてゐるからだといふやうには考へたこともなかつた。したがつて、さういふ子供に出会つたときにはおどろきであつた。以来、私は初めに「叱ることはあるが、それは君たちへの嫌悪の感情からしてゐるわけではない」といふことを言ふことにして...榎本博明『伸びる子どもは〇〇がすごい』を読む。

  • 原田マハ『本日は、お日柄もよく』で映画を撮るとしたら

    本日は、お日柄もよく(徳間文庫)原田マハ徳間書店ゴールデンウィーク中に読めた本は、この一冊のみ。毎日外に出て「遊ぶ」ことを自分に課すやうにしてゐたから、それで満足。教へ子の披露宴にも出席した時期とも重なつて、いい本を読んだと思つてゐる。この本は、家内に勧められたものだ。そこで読後に、「もしこの本で映画を撮るとしたら、役者は誰がいい?」といふ話になつた。それで考へた私の案を書いて、読後の感想に代へる。それにしても知つてゐる役者があまりにも少ないといふのが、感想である。(話は、OLの「二ノ宮こと葉」が、思ひを寄せてゐた幼馴染の厚志の披露宴に出た折に、感動的なスピーチに出会ふところから始まる。その話し手が久遠久美(くおん・くみ)。スピーチライターでもある久遠に弟子入り。ライバルとなる和田日間足(かまたり)とのか...原田マハ『本日は、お日柄もよく』で映画を撮るとしたら

  • 安倍元総理終焉之地の現在

    大阪から愛知に戻るに当たつて奈良を経由して行くことにした。昨年の七月八日の事件後、あの場所はどうなつてゐるのか気になつたからである。すでに道路が作られ、その場所は跡形もない。少し離れた歩道側に花壇が設置されてゐた。道路の反対側には人工芝が引き詰められてゐて、高校生十人ほどが寝そべつてゐた。排気ガスの舞ふこんな場所に寝そべつてゐること自体に違和感があるが、この場所がどういふ場所であるかといふことなど全く考へずに、以前からの計画通りに道路づくりを進めた国土交通省や県庁の見識への違和感からすれば大したことはない。子供は知らないのである。慰霊の精神も行政への検証もである。七・八事件についての奈良県の姿勢は徹頭徹尾誤つてゐる。花壇を設置して終はりである。あれだけが当初の設計とは違ふことなのであらう。世俗的な民主主義...安倍元総理終焉之地の現在

  • 休みの最後は「太陽の塔」

    2025年に大阪で再び万博が開かれる。先日会つた友人に「どう、大阪は盛り上がつてる?」と訊いたが、あまり色よい返事は返つてこなかつた。夢洲といふところは大阪人の意識に上る場所ではないし、北や南の生活圏とは離れてゐる。もちろん、1970年当時の千里がどの程度人々の意識に上つてゐたのかは分からないが、それでも新しい住宅地として開かれ、希望と夢ある場所として注目されてゐた場所であつた。それに比べると海上の埋立地の夢洲は、文字通り陸地に住む住民からは彼方の場所にある。それでも開催されれば、市内の小中高校生は社会科見学の場所として連れて行かれ、それなりに盛り上がるのではないか、といふのがその友人の見立てである。それはさておき、連休最後はやはり太陽の塔のある万博公園に行かなくてはといふ思ひがあつて行つて来た。子供の日...休みの最後は「太陽の塔」

  • 大阪城公園に遊ぶ

    森ノ宮で友人と会ひ、昼食を共にしたあと、時間があつたので久しぶりに大阪城公園を散策した。植木市あり、餃子フェスあり、野外音楽堂ではスピーカーから大きな歌声ありと、これまでにない人の数に、コロナが明けた喜びを人々が満喫してゐる風を感じた。外国人の多さもこの連休には殊の外強く感じてゐる。世界のなかで私たちは生きてゐる。皮肉にもコロナといふ感染症を通じて、そのことを感じるやうになつたのである。大阪城天守閣の横に昨年末「海洋堂フィギュアミュージアムミライザ大阪城」がオープンしたといふことを知り、覗いてみることにした。と言つても入場はせず、売店でフィギュアを見ただけである。私が関心があるのは太陽の塔かんれんと仏像だけなので、それ以外のフィギュアを見るために入場料800円を出す気にはなれなかつた(ごめんなさい)。それ...大阪城公園に遊ぶ

  • 廉価の『民主主義』に驚く

    民主主義―古代と現代(講談社学術文庫)フィンリー,M.講談社今日は、一日ゆつくりと過ごす。午前中は読書と『親鸞展』についてブログに書き、昼は近くのグルメバーガーショップでハンバーガーを食す。大阪に帰ることの喜びの一つは、ここのハンバーガーとフライドポテトを食すことにある。そして、もう一つはこれも近所の中華料理店で麻婆豆腐を食べることである。私は麻婆豆腐はこの店以外では食べない。そもそも好きではないからだが、ここだけは別。うまい。それはともかく、満腹になつた腹ごなしに散歩がてらショッピングモールに行つた。かなり大きな無印良品の店が出来てゐるから一度見てみてほしいといふ家内の言葉で、どこの無印も同じだらうと気乗りしないで出かけたが、思はぬ収穫があつた。それが、この無印のお店には古本のコーナーがあつて何の気なし...廉価の『民主主義』に驚く

  • 京都散策ー「親鸞展」を楽しむ

    親鸞展生涯とゆかりの名宝公式図録昨日は、夕方に浪人生を激励するために京都に行くことになつてゐた。その時間に間に合ふやうに行けばよいのだが、せつかくだから京都を歩かうと思つて調べてゐると、京都国立博物館で「親鸞展」が開かれてゐた。さう言へば、春先にすでに真宗の門徒でもある友人からそのことを知らされてゐた。改めて、その封書を見てみると丁寧にパンフレットも同封されてゐた。すつかり忘れてゐたことに我ながら驚いたが、仕方ない。お詫びがてら、その友人に何か予習していくことはあるかと尋ねると、直観を信じて見ればよいと言はれた。その友人もつい先日の日曜日に出かけたところといふので、その他いろいろと教へていただいた。昨日は、じつにいい天気だつた。京都駅から歩いて20分ほど。道すがらのすし屋で少し早いお昼をとつて、いさ親鸞展...京都散策ー「親鸞展」を楽しむ

  • 岡田尊司『子どもが自立できる教育』を読む

    子どもが自立できる教育(小学館文庫)岡田尊司小学館生徒を育てるにはどうすればよいか。そればかりを考へてゐる。育てるにはまづ学力をつけるといふことがある。もちろん、その場合の「学力」とは何かといふ問題もある。それについては、中等教育では教科書が検定によつて決められてゐるのであるから、その教科書が理解できるかといふところを基準にしてゐる。次に「理解できる」とはどういふことなのかといふ問題もある。それについては、定められた試験において60点を取れるといふことを基準にしてゐる。しかし、学力が付き、理解ができれば、生徒は育つたといふことになるのか。学力=教養=幸福といふ図式はすでに過去のものである。私の身の回りにも高学歴の方はたくさんゐるが、彼らの言動を見る限り、かなり不自由な生活をしてゐることが分かる。この場合の...岡田尊司『子どもが自立できる教育』を読む

  • 映画『素晴らしかな、人生』を見る

    素晴らしきかな、人生(字幕版)ウィル・スミス久しぶりの休日。車の点検に遠出し、買ひ物をしてきた夕方。特に予定もないこの時間が好きだ。日が伸びてきたおかげて、夕方と言つても外は明るい。そんな時に、更にいい映画に出会ふとさらに幸福感に満たされる。出会ひは偶然の力であるから、うまく行かない時もある。しかし、今日はうまく行つたやうだ。洋画をあまり観ないが、今日たまたまprimevideoで観たのが、「素晴らしかな、人生」である。訳者もウィル・スミス以外は知らない。不思議な話ではある。六歳の娘を重い病で失つた男が、「出会ひ」を通じてその悲しみを受け入れていくといふのが物語である。しかし、その男は娘の死を受け入れられない。病んでゐることを心配する同僚たちが、秘策を練る。それが功を奏するのであるが、その同僚たちの秘策も...映画『素晴らしかな、人生』を見る

  • 読書会の難しさ

    先日、ある読書会に参加した。4年ほど前にも参加したことがあるが、どんな風に進めていくのかもすっかり忘れてゐたのでしばらくは様子を見てゐた。テーマとなつた本について順々に感想を述べてゐるやうだつた。それはまあ普通に答へて、一巡し終はつたところで、何か仰りたいことがある方は御自由にといふので、少しのべさせてもらつた。すると70歳ほどの常連らしきお方が、「そんな事を発表者に訊いて時間をかけてここで話し合ふ意味があるか」と言つて来た。話し合ふ意味とはどういふ意味なのか、私には全く分からなかつた。意味なんかないと言へばない。そもそも読書会にいやいや読書自体に意味があるのかどうかも分からない。意味がなければ何もしないといふのが私には暴言のやうに思へた。何のことはない。その御仁は自分の話がしたいといふことに過ぎないとい...読書会の難しさ

  • スマホと老婦人

    先日スマホの料金プランの見直しに行つた。コロナが明けて再び出張が増えると、スマホを使ふ機会が増えると見込んでのことだ。結果的にはこのままでいいといふことになり、疑問に思ひながらもそのままにしておいた。それはそれで終はりなのだが、店先で気になる場面に遭遇した。それが老婦人と店員さんとのやりとりである。八十を過ぎた彼女がスマホを契約したいといふことで来店したやうだつた。「知らないうちに解約されてゐて困つてゐる」とのことだつた。しかし八十歳を越えた人の契約には家族の同意が必要で、家族に電話をかけて欲しいと言はれてゐた。それで電話をかけたのだが、娘さんは「これから出かけるところなので今晩家でね」といふことになつたらしい。なぜこんなに詳しく知つてしまつたのかと言へば、とにかく耳が遠いその御婦人相手に店員さんの声は店...スマホと老婦人

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、言葉の救はれ――時代と文學さんをフォローしませんか?

ハンドル名
言葉の救はれ――時代と文學さん
ブログタイトル
言葉の救はれ??時代と文學
フォロー
言葉の救はれ??時代と文學

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用
  翻译: