先週は「大英帝国(立憲君主国民国家)」の狡賢い振る舞いを物語りました。これ以降の歴史経緯は皆さんよ~くご存じと思いますので端折ります。但し、天下(世界)一だった王朝を寄って集(たか)って滅亡に追いやった件だけ。清王朝にて生まれ育ち「外夷」に虐げられた幼気な庶民の抵抗、通称「義和団の乱」。これって、時は19世紀~20世紀にわたって繰り広げられ、清王朝をも巻き込み・動かした大事件なのですよ。(1897~1901)義和団は「祖国の為に義の精神を和(結集)して外国に立ち向かう仲間」。義和団の彼・彼女らの四文字熟語標語は「扶清滅洋」(清王朝を扶け、外夷を滅する)。事の発端は「鉅野事件」(1897/11/01)山東省曹州府巨野県(現山東省菏沢市巨野県)。布教・侵食の為、やや遅れて清に進出したカトリック教会独神父が村人...服飾ファッション危うし IX中国確かに侵略された2?