chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」

    「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」 宗教改革者として知られたマルチン・ルターにこんな言葉があるそうだ。 「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」 彼がどのような意図でこの言葉を記したのかは、普通の日本の庶民の私としては知るよしもない。 ただ、この言葉に触発されて、以前私なりの詩を作ったことがあるが、それについてはここでは触れない。 地球の終わりを自分の終わりに置き換えて考えたらどうなるのだろうかという、思考実験くらいはしておいてもよいだろう。 終わりのない物事や現象というものはない。この宇宙でさえ、興亡の渦からは逃れられない。ましてや、たかが120年ほどが、現在考えられる人間の生命の限界ならば、なおさらのことだ。 いかなる動物も心臓が15億回鼓動する以上の生命は保てないということだ。 しかし、病魔に冒されていたら、終末には意識な..

  • 良い人生とは

    良い人生とは 日本人は、古来この世を去るに当たり、辞世をしたためるという習慣があった。 死の直前にしたためるばかりではなく、自分の死生観を基に、この世を去るときの思いを、事前に用意しておいてももちろん、辞世と認められる。 第一、死の直前によい言葉や考えが浮かぶはずもない。覚悟の自殺の場合は別だが、ほとんどの場合は意識が朦朧としているはずだから。 さて、私が一番好きな辞世は新門辰五郎のそれである。 町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番であり、彼の娘は最後の将軍、徳川慶喜の妾になった。 また、最後の将軍の親衛隊長でもあり、勝海舟とともに、いざとなったら江戸を火事から守る手はずなどにも取り組んでいた。 彼の辞世は実に見事なものだ。私がいう「見事」とは、勇ましいとか、壮絶とか言うことではない。彼の死生観をきちんと表していると思うからだ。 「思ひおく 鮪..

  • 50年後のなごり雪

    50年後のなごり雪 入院を待つ君の横で 僕は余命を気にしている 期待外れの検査結果 「東京で入る病院はこれが最後ね」と さみしそうに君が呟く 検査結果は怖くて言えぬ ふさぐ心を 励ましながら 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた 動き始めた タンカー上で 僕に顔を向けて 君は何か 言おうとしている 君の口びるが 「さようなら」と動くことが 哀しくて 下を向いてた 時が行けば 元気な君も 病人になると 気づかないまま 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた 君が去った ロビーに残り 医師から余命を知らされた 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた

  • 嘘にも負けず

    嘘にも負けず 捏造にも負けず 反日にも左翼にも負けぬ 豊富な歴史知識と論理的で明晰な頭脳を持ち 慾はなく 決して瞋らず いつもほがらかに笑っている 一日にワイン一瓶を呑み チーズとたくさんの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れず よく見聞きして分かり そして忘れず 都会の片隅のこんもりとした林の の 小さな住宅にいて 東に汚鮮された都知事がいれば 行ってリコールを応援し 西に反日左翼がいれば 行ってその屁理屈を喝破し 南に米軍基地反対をする左翼がいれば 行って徹底的に論破し尽くし 北に反日勢力と揉めている人がいれば 保守派は正しいから一緒に闘おうと言い 左巻きが来れば全力で阻止し 在日が来れば早く朝鮮半島に帰れと言い みんなに木偶の坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい

  • 替え歌で考える老若比較

    年寄りたち 「若者達」の替え歌 君の来た道は もう果てが見えた だのになぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで 君の連れ合いは 今はもういない だのになぜ なにを探して 君は行くのか 金もないのに 君の行く道は 絶望へと続く 空にまた 陽が沈むとき 年寄りはまた 徘徊しはじめる 空にまた 陽が沈むとき 年寄りはまた 徘徊しはじめる

  • 替え歌で考える老若比較

    替え歌 手のひらのしわ (原曲手のひらを太陽に) 原曲歌詞 ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお) ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ 替え歌 ぼくらはみんな 生きてきた 生きてきたから 歌ったんだ ぼくらはみんな 生きてきる 生きてきたから かなしいんだ 手のひらを太陽に すかしてみても ただ、しわだらけ ぼくの手は ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ

  • 良い人生とは

    良い人生とは 日本人は、古来この世を去るに当たり、辞世をしたためるという習慣があった。 死の直前にしたためるばかりではなく、自分の死生観を基に、この世を去るときの思いを、事前に用意しておいてももちろん、辞世と認められる。 第一、死の直前によい言葉や考えが浮かぶはずもない。覚悟の自殺の場合は別だが、ほとんどの場合は意識が朦朧としているはずだから。 さて、私が一番好きな辞世は新門辰五郎のそれである。 町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番であり、彼の娘は最後の将軍、徳川慶喜の妾になった。 また、最後の将軍の親衛隊長でもあり、勝海舟とともに、いざとなったら江戸を火事から守る手はずなどにも取り組んでいた。 彼の辞世は実に見事なものだ。私がいう「見事」とは、勇ましいとか、壮絶とか言うことではない。彼の死生観をきちんと表していると思うからだ。 「思ひおく 鮪..

  • 答えなき問い響き合う人の生残響は問う 主よいずこへ(Quo vadis domine)

    答えなき問い響き合う人の生残響は問う 主よいずこへ(Quo vadis domine) 学校で勉強するときには、きちんとした正解があり、その正解をうまく導き出す方法・技術を身につければ良い学業成績を収められる。勉強の対象を丸ごと暗記したり、正解に至る道筋を記憶したりしておけば、そのまま良い成績につながるのである。 しかし、社会に出てみればすぐに分かることだが、人生には正解がない事柄や複数の正解があることが多い。だから、優秀な成績で有名校を卒業した人間が、答のない壁にぶち当たり右往左往することは良くある。 『高瀬舟』という小説を森鴎外が書いた。テーマは安楽死である。ここではその中味には触れない。だが、安楽死と言うテーマには正解はない。法律として安楽死が認められていなければ、安楽死に手を貸した者は犯罪者になる。しかし、人間としては安楽死させてやった方が良いと思うようなことは確か..

  • 二つの生き方

    二つの生き方 心理学者のエーリッヒ・フロムが説いた「二つの生き方」という考えがある。 一つは、“To have”の生き方である。この生き方は「持つこと」、つまり、いかに多くの金、権力、肩書き、快楽を「持つ」ことができるかを指向する存在様式である。 二つ目は、“To be”の生き方である。こちらは「あること」、つまり、いかに自分自身で「あり」うるか」、あるいは「どれだけ自分らしく自分自身を生きられるか」を指向する存在様式である。 現代に生きる多くの人は「持つ様式」を人生における当然の価値観として共有している。その目標は「いかに多くの富を築けるか」、「いかに権力を手にすることができるか」ということであ。金銭、地位、肩書き、権力を必死になって追い求める生き方をしている。 なぜ人はこれほどまで貪欲に富や権力を「持つ」ことを強く求めるのか。 人が富や権力を求めるのは「本当..

  • 替え歌で考える老若比較

    ② 替え歌 老いた二人 (原曲若い二人) 原曲歌詞 君には君の夢があり 僕には僕の夢がある ふたりの夢を寄せ合えば そよ風甘い春の丘 若い若い 若いふたりのことだもの 替え歌 君には君の入れ歯があり 僕には僕の入れ歯がある ふたりの入れ歯間違えて 餅が噛めないお正月 老いた老いた 老いたふたりのことだもの

  • 替え歌 長生きの夜はブルー

    ① 替え歌 長生きの夜はブルー (原曲長崎の夜は紫) 原曲歌詞 雨にしめった 讃美歌の うたが流れる 浦上川よ 忘れたいのに 忘れたいのに おもいださせることばかり あゝ 長崎 長崎の 夜はむらさき 替え歌 尿に湿った 紙オムツ 宛がわないと おしっこが漏れる 思い出せない 思い出せない みんな忘れてしまったよ あゝ 長生き 長生きの 夜はブルーだ

  • 生きるとは

    生きるとは 本題に入る前に私が好きな俳句と短歌を紹介したい。 だしぬけに 咲かねばならぬ 曼珠沙華 (後藤夜半) 曼珠沙華 散るや赤きに 耐えかねて (野見山朱鳥) 曼珠沙華 葉を纏うなく 朽ちはてぬ 咲くとはいのち 曝しきること (斉藤史) 私達は、どんな時代、国、民族、都市、地方、親の下に生まれてくるのか、全く選択の余地はない。 ローマ時代の貴族に生まれたいと今更願ってもそれが叶うはずもない。全く選択の余地がないままに、この世に放り出される。 まさに「だしぬけに」生まれる。どんな綺麗事を言っても、生まれた時点から格差は付いている。 私個人の話をすれば、大変裕福な家に生まれた。是は、親には感謝しても感謝仕切れない。だから授業料の高い大学に通えた。 ただし、私が大学に入る頃には、親は年老いて仕事を止めねばならなかった。私は父親が50..

  • たましいの秋のほたる

    たましいの秋のほたる たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏 昭和2年作『 山廬集』所収 私は俳句には詳しくないので、俳句に詳しい人の解説を参照にした。この句は、芥川龍之介の死を悼んだものであるらしい。 「秋のほたる」は「残る蛍」「病む蛍」とも良い、既にあまり飛ぶ元気はない。 したがって、この秋の蛍がはかなげに消え入る様みえる。そして、それは別れを告げに来た魂として思い浮かべられたのだという。 意味は、以下のようになる。 亡き人の魂魄はたとえてみれば秋の蛍のように薄く青白い光を曳いて闇の中に消えてゆこうとしている。 そういえば、小林秀雄はこんなことを書いている。 「母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であっ..

  • ぶら下げている?

    ぶら下げている? これは、かなり前にテレビで流れていた「タンスにゴン」という商品の宣伝の文句である。 私たちはぶら下げなくもよいものをいつくもぶら下げながら生きている。懐かしい故郷の想い出、青春時代の甘酸っぱい記憶、学生の頃の部活の想い出、失敗したことや成功したこと、過去の栄光、家柄の良さ、一族の歴史、学歴、プライド等々、この世の中にはそういうものはうんざりするほどある。個人でさえもそうなのだから、部族や民族の中にもあるし、国単位でのこともある。 栄枯盛衰、生住異滅を繰り返す無常の世界にあって、そんなものは何ほどの意味もない。ぶら下げているままにするのなら、取り外した方がよほど楽に生きられる。 しかし、ぶら下げていないと個人、部族、民族、国家の核が崩壊してしまうものもあるのだ。それは千差万別のものであるに違いない。 私たち日本人は、天皇家を第一に取り上げる。天皇家..

  • 気に入らぬ風もあろうに

    気に入らぬ風もあろうに 「気に入らぬ風もあろうに柳かな」 仙厓義梵 仙厓義梵は江戸時代の臨済宗の坊主です。私はこの人がとても好きです。禅僧だけど一休の激しさはない。道元の厳しさもない。しかし、この人はやはり傑物には違いがありません。凡人に対して大変温かい目を以て接した人です。人に対する温かい目は、やはり元来の性格なのでしょうか。 美濃にいた頃、藩の権力闘争を皮肉って、こう詠みました。 「よかろうと思う家老が悪かろう もとの家老がやはりよかろう」 「から傘を広げてみれば天が下、たとえ降るとも蓑はたのまじ」 蓑と美濃とを掛けていますね。頓智に富んでいます。権力というものの胡散臭さが嫌いだったのです。 この人のこの句には、意味としては同じであっても、「ならぬ堪忍、するが堪忍」という眦を決して言うような雰囲気はありません。どこまでも柔らかくさらりと受け止めて、しかも自分..

  • 夕暮れ時

    夕暮れ時 三橋鷹女という俳人がいた。 昭和15年発刊の『向日葵』にはこんな素敵な句がある。 「みんな夢雪割草が咲いたのね」 また、昭和27年発刊の『白骨』にはもっと素敵な句がある。 「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」 鞦韆はブランコのことである。ブランコは漕げ、愛は奪えというのだから、なんとも恐ろしい。恐ろしくてなおかつ勇ましいが、歯切れの良さがとても素敵である。 また、この句集には「白露や死んでいく日も帯締めて」といういかにも女性らしい句もある。 鷹女がこの句集を出したのは50歳くらいの頃だったらしい。この当時の50歳というのは、現代の70歳くらいに相当するのだろう。 会社の定年を考えても、以前は55歳だったが、現在では60歳になった。政府の指導では65歳定年の会社もある。 そう考えると、我々の平均寿命が長くなっているのがよく分かる..

  • 無惨ということ

    無惨ということ 松井多絵子の 第二歌集『厚着の王さま』には、こんな歌が並んでいるそうだ。私は、この人の歌を読んだことがないが、どこかで知った。 冬海の皺をうたいし女あり皺のなきまま夭折したり この歌が「冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」という中城ふみ子のことを指しているのは明らかだ。 また、「海みれば祖国をおもう男あり我には異国をおもわせる海」というのもあるそうだ。これは明らかに寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」を踏まえたものであることは言うを待たない。 その他にもこんな歌があるらしい。 いま海を見たいとおもう春を待つ二月の空は底しれぬ海 ふたりより独りで見たい冬の海、握りしめたい春を待つ砂 波が砂を傷つけている砂が波を傷つけている渚を歩く どこまでもどこまでも海どこまでもどこまでも空がつづ..

  • わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ

    寺山修司 わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ 職業としての猟師であれば当然獲物を拾って帰る処だが、寺山は猟師ではないので拾って帰らなかったというような話ではない。 このような短歌を作れるのは寺山修司以外にはいない。空を飛ぶものが嫉妬の対象であるとは、愉快な発想である。しかし、普通の人なら嫉妬の対象である「空飛ぶもの」を撃ち落とそうとはしない。 それにしても、寺山修司は自分の脳内に溢れかえっている素晴らしい言葉を次々に撃ち落として、多数の詩歌や劇を作った、まさに言葉の狩人だった言うしかない。

  • スペイン語諺による人生観その6

    スペイン語諺による人生観その6 Cada oveja con su pareja. どの羊にも似合いの連れがいる。 (各々自分にふさわしい人と付き合うべきである。) 日本語で最もぴったり当て嵌まるのは、「割れ鍋に綴じ蓋」ということわざだろう。 理想を求めればきりキリがないのだ。そこそこで手打ちをするのが、この世では一番賢い対処法 である。いくら、自分は割れ鍋ではないと頑張っても、近所にいる人はそれが嘘だと気付く。 Cada oveja con su pareja. どの羊にも似合いの連れがいる。 (各々自分にふさわしい人と付き合うべきである。) 日本語で最もぴったり当て嵌まるのは、「割れ鍋に綴じ蓋」ということわざだろう。 理想を求めればきりキリがないのだ。そこそこで手打ちをするのが、この世では一番賢い対処..

  • スペイン語諺の人生観その5

    スペイン語諺の人生観その5 Buen consejo da dolor al oído. 直訳は、良い助言は耳に痛みを与える。つまり、『忠言 耳に逆らう』ということ。 明の著作家である洪自誠には『菜根譚』という著作があるが、その第五項にこんなことばがある。 耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、はじめて是れ徳に進みて行いを修むるの砥石(といし)なり。 若(も)し言々耳を悦ばし、事々心に快(こころよ)ければ、便(すなわち)この生を把(と)りて鴆毒(ちんどく)の中に埋めん。 洋の東西を問わず、自分に厳しい批判の声があると、貴重な意見に耳を傾けようとせずに、すぐに耳を塞いでしまうのが人間であるようだ。 通常は厳しい批判の声を聞いて、心に添わない事があるからこそ、他人の心の痛みが解かるようになるし、人徳を修める..

  • スペイン語諺の人生観その4

    スペイン語諺の人生観その4 Del dicho al hecho hay un gran trecho. 言葉から事実までは大きな距離がある。 これは、本邦で言う「言うは易く、行うは難し」そのものである。 白楽天が道林禅師に参禅した、ある時、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と問うた、道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。 白楽天は「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」というと、道林禅師は「たとえ三歳の童子が言い得ても、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたので、白楽天は礼拝して去った。 七仏通戒の偈という教えがある。 「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」(法句経) 諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、自らのこころを浄める、これ諸仏の教えなり。 人は、自分に都合の悪いことを指摘されると、「そんなこと..

  • スペイン語諺の人生観その3

    スペイン語諺の人生観その3 Aquellos polvos traen estos lodos. あの埃が この泥をもたらす。 一言で言えば、因果応報、自業自得ということである。また、「撒かぬ種は生えぬ」という諺もある。原因や理由のない結果は存在しない。悪因悪果、善因善果いう言葉の重みをしっかりと噛み締めれば、悪事を働こうなどとは思わないものだ。 「三思後行」(さんしこうこう)という四字熟語もある。これは、物事を行う前に三度熟考せよという意味である。くれぐれも軽い気持で悪への道を踏み出してはならない。

  • スペイン語諺の人生観その3

    スペイン語諺の人生観その3 Aquellos polvos traen estos lodos. あの埃が この泥をもたらす。 一言で言えば、因果応報、自業自得ということである。また、「撒かぬ種は生えぬ」という諺もある。原因や理由のない結果は存在しない。悪因悪果、善因善果いう言葉の重みをしっかりと噛み締めれば、悪事を働こうなどとは思わないものだ。 「三思後行」(さんしこうこう)という四字熟語もある。これは、物事を行う前に三度熟考せよという意味である。くれぐれも軽い気持で悪への道を踏み出してはならない。

  • スペイン語諺人生観その2

    スペイン語諺人生観その2 A lo más oscuro, amanece Dios. 最も暗い時に 神は夜を明ける。 日本の諺では、「天道 人を殺さず」と言うのが最もちかいのだろうか。天と地を成り立たせている道理は、まじめで、素直な人間を見ていながら、その人を 捨てて顧みないような無慈悲なことはしないということ。 さて、「天道」とは何だろか。お天道様とも言うように、天道は「てんとう」とも読み、これは一般的に太陽そのものを指すのだが、ここでは、「天の摂理」などの人智を超越した采配のことだと思えば良い。 「止まない雨はない」、あるいは「明けない夜はない」と思って歯を食いしばって自分に出来ることをやり抜けば、自然と周囲の人が認めてくれる。周囲が認めるという事はそれなりに助けがあると言うことだ。 英語の諺にはこうある。 God helps those who help..

  • スペイン語諺による私の人生観その1

    スペイン語諺による私の人生観その1 A cada cerdo le llega su San Martín. どの豚にも その<サン・マルティンの日=豚を殺す季節>がやって来る。 (誰にもが過ちの結果を思い知らされる時が来る。) 自分が犯した過ちは自分が償わねばならない。とは言うものの、この世の中は不条理と矛盾に満ちているが故に、たまにはこの鉄の掟を逃れて、一生を幸せに暮らす人間がいる。 だが、そういう人もその子孫がやがてはいずれの日にか、悲惨な人生を強いられることになる。これを言葉で証明するのは困難だが、仏教にはそういう教えがある。これを「三世因果」と言う。 まず「三世」というのは、過去世、現在世、未来世のことである。「過去世」とは、私たちが生まれる以前のすべての過去を指し、「現在世」とは、この世に生を受けてから死ぬまでを指す。「未来世」とは、永遠の死後を..

  • ゆがめられた考え方

    ゆがめられた考え方 人間は非常に愚かなので、自分の脳内で次々に不幸の種を播く。以下は、高田和明 『ストレスから自分を守る脳のメカニズム』より抜粋した、歪められた考え方の典型例である。 他の心理学者の本などを読んでも似たようなことが書かれている。 こういう考え方をやめないと鬱病などにもなるのだろう。 A) 白黒の考え方 (心理学では『二分割思考』ともいう) 成功か失敗か。勝ちか負けか。成功しなければ自分の人生はもうない、という考え方。 B) 単純化 一度あるいは数度失敗すると、もう何をやっても何度やっても自分は失敗するという考え 方。 C) 知的フィルター 自分人生や仕事の悪い部分のみを考える。自分がどれくらい他の面で恵まれているかに気が つこうとしない考え方。 D) 肯定的なことを無視する 全てを悪い方にしか考えない。..

  • 老子 第五章

    老子 第五章 『老子』(朝日文庫 福永光司著 )の第五章は、私にはなかなか示唆に富んでいると思えるのだが、普通の人にはなんだと反発を食らう可能性が非常に高いことも予想される。 天地不仁。以万物為芻狗。聖人不仁。以百姓為芻狗。天地之間。其猶○籥乎。虚而不屈。動而愈出。多言数窮。不如守中。 天地は不仁。万物を以て芻狗と為す。聖人は不仁。百姓を以て芻狗と為す。天地の間(かん)は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。虚にして屈(つき)ず。動きて愈(いよ)いよ出(い)ず。多言なれば数(しば)しば窮す。中を守るにしかず。 天地は無慈悲で、万物を藁の犬ころあつかい。 聖人は無慈悲で、万民を藁の犬ころあつかい。 天と地の間は鞴のようなものであろうか。 なかはからっぽで無尽蔵の力を秘め、動けば動くほど万物が限りなく現象してくる。 おしゃべりはすべて行..

  • ラテン語諺人生観その6

    ラテン語諺人生観その6 Qui dedit beneficium taceat, narret qui accepit.(クィー・デディト・ベネフィキウム・タケアト・ナッレト・クィー・アッケーピト)と読む。 恩恵を与えた者は黙るのがよい。受けた者は語るのがよい。セネカ『恩恵について』から。 私達人間は非常に愚かなので、しばしばこの逆をやらかして人間関係をこじらせる。つまり、恩恵を受けたのに、「ありがとう」のひと言を全く言わなかったり、「俺はあいつにこんなことをしてやった」とばかりに吹聴したりてし、人間関係をダメにするのだ。 「ああしてやった こうしてやったで 地獄行き」という言葉が仏教にはある。恩恵を与えた場合は、黙して語らないことが大切だ。恩恵を受けた場合は、「大いに人に語って、恩恵を与えてくれた人の人徳を褒めれば良い。それが、良好な人間関係を築く。 人..

  • ラテン語諺人生観その5

    ラテン語諺人生観その5 Docendo discimus. (ドケンドー・ディスキムス)と読む。 意味は、「私たちは教えることによって学ぶ」である。 私は退職後今までの人生の恩返しだと思って、日本語教師のボランティア活動を始めた。教える立場になると、普段使い慣れている日本語の奥の深さが理解できる。つまり、「私たちは教えることによって学ぶ」とは事実であることが体感できる。「ら抜き」言葉、「を入れ」言葉、「さ入れ」言葉等々のおかしさが分かる。 もっとも、自分が分かったことを外国人にうまく伝えることはほぼ不可能に近い。何故なら、学習者の日本語レベルが非常に高くなければ、そういうことは話しても無駄であるからだ。

  • ラテン語諺人生観その4

    ラテン語諺人生観その4 Carpe diem(カルペ・ディエム)と読む。 意味は「その日を摘め」である。 紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句である。「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳される。また英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも訳される。ホラティウスは「今日という日の花を摘め」というこの部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。 「明日は明日の風が吹く」のである。くよくよと遠い明日のことを考えずに、「今とここ」を大切にして生きるのが、人間が取るべき態度である。

  • ラテン語諺人生観その3

    ラテン語諺人生観その3 Dum spiro, spero. 「ドゥム・スピーロー・スペーロー」と読む。 これはキケロの言葉だという人もいるが、出典はよく分からないらしい。なお、この言葉は米国のサウス・カロライナ州のモットーだそうだ。 dumは「~の間」という意味である。spiroは「息をする」しいうを意味である。spero は「希望を持つ」という意味である。実際にこの言葉を口にだし言うと、sとp の連続音の響きが美しい。たった三語で素晴らしく美しい響きと共に、力強い「生きる」宣言ができるのである。 この言葉の意味は、「私は息をする間、希望を持つ」となる。つまり、「生きる限り、希望をもつことができる。」(死んだら希望などもてない)という意味になる。 日本語でこれに近いのは「死んで花実が咲くものか」であろうか。それとも「明日は明日の風が吹く」だろうか。あるいは、「何をくよく..

  • ラテン語諺人生観その1

    ラテン語諺人生観 その1 Date et dabitur vobis. 「ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービース」と読む。 『新約聖書』ルカの福音書6章の言葉「与えよ、さらば与えられん」 という意味である。 この言葉は、しかし、先に何かを相手に与えれば見返りが後から回り回って帰ってくる、というような物的な報酬の関係を表すのではない。無償・無条件の奉仕によって、自己の内面や他者を通じて神の祝福が与えられるという、精神的な報酬の関係として捉えられるべきである。 自分にとって価値のあるものを相手に与えることは、なかなか難しいものだ。自分にとって不要になったものを与えるのは、「捨てる」という行為と何ら変わりない。しかも、感謝して貰いたいとか、見返りをきたいしたりしては意味がない。無償かつ無条件の施しが出来なければ、神の祝福はないというのだ。 これは、伝教大師最澄の..

  • ラテン語諺人生観その2

    ラテン語諺人生観その2 Cognosce te ipsum. 「コグノスケ・テー・イプスム」と読む。 cognosce は、「知る」という意味の第三変化動詞の命令法で、「知れ」をを意味する。te は、「人称代名詞」tu の対格で、「あなたを」である。ipsum は、te を強調する「強意代名詞」であり、「自身を」ということだ。つまり、「汝自らを知れ」という意味である。この言葉はデルポイの神殿に刻まれたギリシア語(グノーティ・セアウトン)のラテン語訳である。 さて、この元々「汝自身を知れ」(グノーティ・セアウトン)という言葉は、ギリシアの七賢人の言葉であったものが後にデルフォイ神殿に刻まれた格言とも密接に関係する内容です。「グノーティ・セアウトン」という言葉は、「度を越すなかれ」という意味で使われ、現在のギリシアでは、酒場の店の入り口付近に張ってあるそうだ。正体を失うまで飲むな..

  • 始祖鳥は飛べなかった

    始祖鳥は飛べなかった 鳥類の祖先といわれる始祖鳥は羽ばたいて飛べなかったらしい。始祖鳥の推定体重と、化石に残された羽根の軸の太さなどから、始祖鳥の翼では体重を支えきれず、木の枝から地面へ滑空するしかできなかったというのが結論である。 始祖鳥や始祖鳥の次に原始的な鳥の孔子鳥と現在の鳥類と比較すると、羽根の長さは変わらない。しかし、始祖鳥や孔子鳥は、長さに対する羽根の軸が非常に細かったという。 現在の鳥類は体重の6-13倍に耐え、羽ばたく激しい動きに対応できる強度があったが、始祖鳥(推定体重276グラム)は体重の0.55倍、孔子鳥(同500グラム)は0.39倍しか支えられないことが分かった。 つまり、原始的な鳥は現在の鳥類に比べて、設計不良だったのである。もっとも、進化の過程ではそれも仕方がないことだろう。 より遠くより高く飛ぶには、体重の何倍もの重量を支えるだけ..

  • 詩 『「~」のない人生』

    詩 『「~」のない人生』 「~」のない人生 僕の人生には何があったのかとつくづく考えた 子供のころはお菓子と母ちゃん そして近所の遊び友達 中学生になると可愛い女子生徒の面影と部活の友達 そしてアイドルやお気に入りの歌手 高校生になってもそれは変わらなかった 大学生になると本とアルバイトがあった やがて社会人になると 仕事を覚えるのが精一杯で あれもこれも欲しいものばかりだった 他人よりも高い給与 組織の中でのより高い地位 多くの人からの称賛 部屋がいくつもある豪邸 美しくだけでなく聡明な恋人 心地よく酔わせてくれる酒 両親が喜んでくれるような社会的成功 全てはなかなか手に入らないままに時間は流れた そして 気が付くと僕は あまり美しくも聡明でもない妻と たいして賢くなく平凡な子供たちに囲まれて 父親と呼ばれる存在になった 僕が..

  • 人生の重力

    人生の重力 ヒッグス粒子というものが発見されたという。宇宙の生成に際して水飴状のものが物質に降りかかり、それによって物質が質量を持つようになったという話だが、私には難しすぎてよく理解できない。ともかく、物質に重力を与えたのが、このヒッグス粒子らしい。 地球に重力があることは小学生でも知っている。重力があるからこそ、地球が自転していようとも我々は地球から放り出されずに、この地上で生きていけることは言うまでもない。 地上の重力と同じように、人はだれも何らかの重力に引っ張られているからこそ生きていけるのだと思う。もちろん、幼い頃はその重力の持つ意味などに気付くはずもない。だが、思春期になると様々な重力に引っ張られていることに気がつき始める。その重力を桎梏と感じ始めたら、思春期の子どもたちは暴走するしかない。だからこそ、大人は子どもたちに教えなければならないのだ。人生の重力とは桎梏..

  • しんみりと

    しんみりと 「もし今日、トリエステに着いて、もう一度サバに会えるとしたら、そして、なにげなく選んだ道をサバとともに散歩できたなら……」1958年、すなわちサバがなくなった翌年に、評論家のジャコモ・デベネッデッティは書いている。 須賀敦子全集第五巻 ウンベルト・サバの冒頭部分より。 トリエステというのは、イタリアの最も東側にある港町で、スロベニアはすぐそこというくらいに近い。オーストリアのハプスブルグ家の影響を強く受けた街である。第二次大戦後はイタリアとユーゴスラビアの間で、その帰属を巡る争いがあったらしい。そこにこの須賀敦子さんも住んでいる。 私はそこに行ったことがないが、陽光溢れる港町として描かれていることが多い。 さて、歴史にはIfは禁物であるが、その禁物を無視して、ジャコモ・デベネッデッティのような空想を巡らすとすれば、あなたは誰を訪ね、その人と何を語り..

  • 伝説

    伝説 スペインのバレンシア郊外のアルブフエラ湖を訪問したときに、ふと会田綱雄という詩人の「伝説」という詩を思い出したことに触れた。今日はその詩を紹介したい。 伝説 会田綱雄 詩集 『鹹湖』(かんこ)より 湖から 蟹が這いあがってくると わたくしたちはそれを縄にくくりつけ 山をこえて 市場の 石ころだらけの道に立つ 蟹を食うひともあるのだ 縄につるされ 毛の生えた十本の脚で 空を掻きむしりながら 蟹は銭になり わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い 山をこえて 湖のほとりにかえる ここは 草も枯れ 風はつめたく わたくしたちの小屋は灯をともさぬ くらやみのなかでわたくしたちは わたくしたちのちちははの思い出を くりかえし くりかえし わたくしたちのこどもにつたえる わたくしたちのちちははも わたくしたちのよう..

  • 親子について

    親子について 中国の有名な詩人の白居易は四十歳の時に、長女の金鑾子をわずか三歳で亡くしてしまう。 「念金鑾子」白居易から一部抜粋 與爾為父子 お前と父子になってから 八十有六旬 八百六十日たった。 忽然又不見 お前は忽然と私の目の前から消えた。 邇来三四春 あれから、もう三、四年の春が過ぎた。 形質本非質 人間の肉体は元々実態としてあるのではない。 気聚偶成身 天地間の気が集まって肉体となる。 恩愛元是妄 親子の恩愛は仮初めの現象だ。 縁合暫為親 縁があって肉親になるのだ。 念茲庶有悟 こんな道理で悟った気がする。 聊茲遺悲辛 こう考えて悲しさや辛さを払いのけている。 慚将理自奪 けれどもはずかしい。 不是忘情人 こんな理屈で自分の本当の気持ちを隠していることが。 訳は『中国名詩集..

  • 代悲白頭翁 劉希夷

    代悲白頭翁 劉希夷 洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家 洛陽女兒惜顏色 行逢落花長歎息 今年花落顏色改 明年花開復誰在 已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海 古人無復洛城東 今人還對落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顏子 應憐半死白頭翁 此翁白頭眞可憐 伊昔紅顏美少年 白頭を悲しむ翁に代る 劉希夷 洛陽城東 桃李の花 飛び来たり飛び去たって誰が家にか落つ 洛陽の女兒顏色を惜しみ 行くゆく落花に逢いて長歎息す 今年花落ちて顏色改まり 明年花開いて復た誰か在る 已に見る松柏の摧かれて薪と爲るを 更に聞く桑田の変じて海と成るを 古人また洛城の東に無く 今人還た対す落花の風 年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず 言を寄す全盛の紅顔子 応に憐れむべ..

  • 今日という日は、残りの人生の最初の一日。

    今日という日は、残りの人生の最初の一日。 ”Today is the first day of the rest of your life.” この言葉は、チャールズ・ディードリッヒという人の言葉だそうだ。この人は、薬物中毒患者救済機関の施設“シナノン”の設立者であるという。 そして、この言葉は映画「アメリカン・ビューティー」のセリフにも引用され、1960年代のアメリカで流行したという。 私は、チャールズ・ディードリッヒについても、「アメリカン・ビューティー」という映画についても何も知らないし、関心もない。しかし、実に良い言葉だと思う。 しかし、少し考えれば、この言葉は至極当然のことだと分かる。昨日を過ごせば今日があり、今日を過ごせば明日があるのだから、明日は残りの人生の最初の一日である。 だが、昨日の続きの今日というが、当たり前のように続くのだと..

  • 思春期と老人

    思春期と老人 思春期には あこがれの女学生を 街で見かけると 胸がどきどきした あれから半世紀 すっかり老いてしまった私は 少し早めに歩くだけで 胸がどきどきする 思春期には 憧れの女学生のことを考えると 思いが強すぎて 頭がぼーっとした あれから半世紀 すっかり老いてしまった私は 少し時間が経つと なぜかしら 頭がぼーっとする 思春期には 美しい映画女優を 見るたびに感激して 涙が頬を伝った あれから半世紀 すっかり老いてしまった私は 嬉しいにつけ 哀しいにつけ 涙が頬を伝う

  • 愛おしい日本語の言の葉その1

    愛おしい日本語の言の葉その1 これから、日本語について感じたまま、あるいは思いつくままに日記を書いてみたい。途切れ途切れのシリーズになるだろうけれど、それは私の心の赴くままにまかせたい。また、無理矢理シリーズ仕立てにする必要などもない。 第一回目は、動物にとって最も大切な行為である「食う」ことについて。 「食う」という言葉は近年あまり使われなくなった。「食べる」という言葉のほうが現在では幅を利かせているし、いずれかなりの部分が「食べる」に取って代わられるのもそう遠い日ではないだろう。 なぜかというと、「食う」という言葉は、野卑で粗暴な感じを与えるからだろうと思う。私が愛用している明鏡国語辞典では、「食べる」というのは「食う」の丁寧語だそうだ。 江戸時代の前半頃までは、食物を摂取するのを「食う=食ふ」あるいは「食らう=食らふ」という言葉で表現していたという。「食ふ」..

  • 五十音図に関すること

    五十音図に関すること 行・段の配列は現在のものとは異なるが、五十音図の最古の出典は、平安時代の『孔雀経音義』に遡ると言われている。それが悉曇学(古代インド語学)の影響を受けて整理され、現在の形になったらしい。 行とは、「あいうえお」の縦の組を指し、段とは横に並んだ10文字の事を指す。「あかさたな…………」の段の母音は全部「あ」であることはいうまでもない。 さて、この五十音図にどんなに凄い知恵が詰まっているのか見ていこう。しかし、その前にいくつか予備知識を整理しておこう。 1 日本語は肺から吐く息(呼気)で作られる。 2 母音は口の中(口腔)で妨害を作らない。 3 子音は口腔内で妨害を作って、音を出す。その場所を調音点という。 4 口腔内の妨害を作るにはいくつかの方法がある。それを調音法という。 ここでは、調音点にのみ焦点を当てて勧める。 世界のど..

  • 滅び行く者は明るい

    滅び行く者は明るい 「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。『右大臣実朝』 太 宰治」 思いつくままに日本で有名な武将の名前を挙げていく。 日本武尊、源義経、アテルイ、楠木正成、太田道灌、武田勝頼。 平家物語に代表される滅び行く一族の話。そして、その平家を滅亡の淵に追いやった源頼朝の直系は源実朝をもって終了し、完全に北条家に移行する。 あるいは、有間皇子や大津皇子など、皇族の継承を巡る犠牲者達。 ずっと、時代を下って武芸者の宮本武蔵と佐々木小次郎の対決。 こういう風に並べてみると、日本人は栄枯盛衰を良く認知していることに気づく。 ずっと繁栄を続ける者などないことを知っている。 日本でただひとつずっと先祖を辿ることができる皇室でさえも、栄耀栄華を極め続けたとは言 えない。 現在では、天皇は日本国民の象徴という位置..

  • 葬式ポップス

    葬式ポップス 「今後、イギリスの葬儀でジョン・レノンの名曲「イマジン」を流すことはできない。教会側が「Imagine there's no Heaven(想像してごらん 天国なんてないんだと)」という歌詞が不適切だとして使用禁止措置をとったからだ。」 ちなみに、人気の葬式ポップスTOP10は以下のようです。 1.「マイ・ウェイ」フランク・シナトラ 2.「タイム・トゥー・セイ・グッバイ」サラ・ブライトマン 3.「愛は翼にのって」ベット・ミドラー 4.「虹の彼方に」エヴァ・キャシディ 5.「エンジェルス」ロビー・ウィリアムズ 6.「ユー・レイズ・ミー・アップ」ウエストライフ 7.「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」ジェリー&ザ・ペースメイカーズ 8.「また逢いましょう」ヴェラ・リン 9.「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」セリーヌ・ディオン 10.「アン..

  • 替え歌で考える老若比較

    替え歌で考える老若比較 ① 替え歌 長生きの夜はブルー (原曲長崎の夜は紫) 原曲歌詞 雨にしめった 讃美歌の うたが流れる 浦上川よ 忘れたいのに 忘れたいのに おもいださせることばかり あゝ 長崎 長崎の 夜はむらさき 替え歌 尿に湿った 紙オムツ 宛がわないと おしっこが漏れる 思い出せない 思い出せない みんな忘れてしまったよ あゝ 長生き 長生きの 夜はブルーだ ② 替え歌 老いた二人 (原曲若い二人) 原曲歌詞 君には君の夢があり 僕には僕の夢がある ふたりの夢を寄せ合えば そよ風甘い春の丘 若い若い 若いふたりのことだもの 替え歌 君には君の入れ歯があり 僕には僕の入れ歯がある ふたりの入れ歯間違えて 餅が噛めないお正月 老いた老いた 老いたふたりのことだもの ③ 替え歌 手のひらのしわ (原曲..

  • 2021-11-22

    利に関する考え 遼(契丹)の末裔に耶律楚材という人がいた。モンゴルが現在の北京に攻め込んだ時は、女真族の国家「金」に仕えていた。彼は背が高く見栄えが良かったので、チンギス・ハンの目に留まった。それして、オゴデイにも仕える。 彼が残した言葉にはこんな名言がある。 興一利不如除一害、生一事不如省一事 一利を興すは一害を除くにしかず。一事を生(ふ)やすは一事を省ずるにしかず。 有利なことをひとつはじめるよりは、有害なことをひとつ取り除いた方がよい。新しいことをひとつはじめるよりは、余計なことをひとつやめる方がよい。 利、つまり、得になることは何も付け足すことだけではない。何かを差し引く事である。私は、タイの子会社で働いていたときには、このことを心懸けた。そして、そのように実行できた。 そしてもうひとつ『韓詩外伝』からの言葉。 「三利あれば、必ず三..

  • この町に片恋に似し人住みきやや肥えて罪深き妻となりゐむ 大野誠夫

    この町 この町に片恋に似し人住みきやや肥えて罪深き妻となりゐむ 大野誠夫 純粋だった中学生の頃は、映画に出てくるような綺麗な女優さんは、みんな上品で賢く、おしっこもウンコもしないと思っていた。家の母親や姉みたいにがさつでおしゃべりが大好きな、どうしようもない女などではないだろうと思っていた。 大学生になった頃は、綺麗な女性は自分の手には届かない憧れの対象だと思っていた。憧れはやがて恋として認識され、手の届かない恋に悩む日々があった。 社会人になったら、女はたとえ美人であっても、口うるさくて小言が多いと知った。計算高くて物質欲の強い、まるで家の母親や親戚のおばさんと大して変わらないものだと認識を新たにした。 妻を持ったら、それでも女は愛おしい存在だと思った。そして、その愛おしい一人の女を大切にしていくのは、男の責任だと思った。子供が生まれたら、女房がいなくては子..

  • 文化の違い

    文化の違い ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、あるいは儒教などでは、「何であるか」ということが大切な要素のひとつではないかと思う。人は他の動物よりも偉い。そして、その位置は絶対不変である。どうもそのような考えが根底にはある。 ある外国人のキリスト教徒と話をしているとき、「牛は神様がくださった食べ物だから食べても良いのだ」という言葉を聞いた。そのとき私はただ絶句するしかなかった。何故なら私は若い頃には、自分の命を繋ぐために他の動植物の命を奪わねばならない、という至極当たり前のことに酷く悩んだ経験があったからだ。 そのとき話していたのが男だったのか女だったのか忘れたけれども、ここでは男だったことにしておく。彼のような発想をしたことがない私には、彼が「牛は人間に食べられるために生きている」と言っているように聞こえたのだ。 それ以来、先に挙げた宗教を信じている人には「何であるか..

  • 人間は、しょせん一本の管である

    人間は、しょせん一本の管である 山口瞳が「人間は、しょせん一本の管である」と書いたのは、『週刊文春』に連載していた「山口瞳のマジメ相談室」1967年7月10日号のであった。 読者の相談に山口瞳が答えます。25歳の奥様からの相談。 「結婚して二年、文句のつけようのない夫ですが、ただ一つだけ、二人でいるときに平気でおならをするのが困ります。やられるたびにむしゃくしゃします。ついでに書きますが、パンツを汚すのも困ります。平気な顔をしてパンツを洗濯籠にほうりこんでいきます。まるで子供のようで、なさけなくなります。つくづく、男性は横暴な動物だと思い、腹が立ちます。どうしたらいいでしょうか」 山口瞳の回答が傑作である。 「人間は、しょせん一本の管です。食べて排泄する管を持つ動物です。管の片端が汚れるのも致しかたのないことでしょう。そう思ったら、汚れたパンツを洗うのは割合..

  • 世の中

    世の中 世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく 一休宗純 女性の一生で一番良い時は、娘時代である。したがって、娘という字は女偏に良いと書く。 娘が結婚して家に入ると、嫁になる。 嫁が子供を産むと嬶と言われる。 「女は弱し、されど母は強し」と言われるように、新婚当時はおしとやかでも、お母さんになると鼻高く、どっしりするので女偏に鼻と書く。 嬶の次には婆になる。額に波がよって来るので、女の上に波と書く。 女の一生はこうであるが、男だって同じコースを辿る。 何十億の人がいても、例外はない。人種が違っても例外はない。 女はいつまでも娘ではいられないし、婆さんが娘に戻ることはできない。 この間まで自分は娘だと思っていたのに、もう息子が嫁をもらって孫ができた。 いやあ、月日のたつのは早いなあと言っているように、女は、娘から嫁、嫁から嬶、嬶..

  • 世の中

    世の中 世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく 一休宗純 女性の一生で一番良い時は、娘時代である。したがって、娘という字は女偏に良いと書く。 娘が結婚して家に入ると、嫁になる。 嫁が子供を産むと嬶と言われる。 「女は弱し、されど母は強し」と言われるように、新婚当時はおしとやかでも、お母さんになると鼻高く、どっしりするので女偏に鼻と書く。 嬶の次には婆になる。額に波がよって来るので、女の上に波と書く。 女の一生はこうであるが、男だって同じコースを辿る。 何十億の人がいても、例外はない。人種が違っても例外はない。 女はいつまでも娘ではいられないし、婆さんが娘に戻ることはできない。 この間まで自分は娘だと思っていたのに、もう息子が嫁をもらって孫ができた。 いやあ、月日のたつのは早いなあと言っているように、女は、娘から嫁、嫁から嬶、嬶..

  • 災難について

    災難について 良寛は、山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友であった。良寛が71才の時、三条市を中心に大地震が起こった。良寛は、杜皐さんへ見舞の手紙を送った。。 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。 「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、これが災難にあわない秘訣です」ということである。 「大変でしょうが、頑張ってください」とは誰でも言える。しかし、言われた方は「すでに頑張って生きているのに、何をこれ以上頑張れというのか」と思うだろう。 良寛のこの手紙を受け取った山田杜皐は、「この災難の中で生き抜いていこう」と思ったことだろう。

  • 山本五十六

    山本五十六 山本五十六という人はいろいろな名言を吐いた。 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。 男の修行 苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。 しかし、彼の発言には首を傾げるようなものもある。 「博打をしないような男はろくなものじゃない。」 これは、発言の中身がおかしいと言うよりも、事態にそぐわなくなってきたのである。 ある意味では理解できるのだが、賛同はしない。軍人やスポーツマンのように戦うことを職業としている人には、闘争心が必要だし、それを博..

  • 愚人の見るは恐ろし

    愚人の見るは恐ろし おのれに利欲あれば、人もその心を以て見るなり。深きは色を以て見るなり 至道無難 愚かな人間は、自分が卑しければ他人もみなそうだと決めつけ、淫欲が強ければみなも淫乱だと判断する。愚人とは、このように視野の狭い人間をいうのだろう。 人の価値観は人それぞれである。金儲けを最優先で考える人には、純粋に趣味に全力投球する人の気持ちが理解出来ないだろう。中には趣味を活かしながら金儲けをする人も居るが、その場合は金儲けが最優先ではない。金よりも異性に興味が集中する人は、年がら年中異性のことを考える。異性のことには全く興味を示さないが、食べることが大好きという人もいるだろう。 そして、人の能力またそうだ。計算に強い人、運動神経が抜群な人、語学が上手な人、写真の上手な人、それぞれだ。中には何でも器用にこなす器用貧乏も居る。 道具だってそうだ。体重を量るのに物差しは使..

  • 『菜根譚』前集第六十七項から

    『菜根譚』前集第六十七項から 人知名位為楽、不知無名無位之楽為最真。 人知饑寒為憂、不知不饑不寒之憂為更甚。 人は名位(めいい)の楽しみ為(た)るを知りて、名(な)無く位(くらい)無きの楽しみの最(っと)も真(しん)たるを知らず。 人は饑寒(きかん)の憂(うれ)い為(た)るを知りて、饑(う)えず寒(こご)えざるの憂いの更(さら)に甚(はなはだ)しきたるを知らず。 俗人は、地位や名誉の有る人が理想と考えることが多いが、地位も名誉も何もない人のが最も幸せだということを知らない。 俗人は、餓えや凍えが厳しいことを知って不安になることを知っていても、十分に満たされている者の不安が最も深刻であることを知らない。 つまり、隣の芝生は良く見えるが、その芝生を手に入れると幸せどころか大きな不安を手に入れることになるというようなものだ。 言い換えれば、無い物ね..

  • 『菜根譚』前集第六十四項から

    『菜根譚』前集第六十四項から 欹器以満覆、撲満以空全。 故君子寧居無不居有、寧処缼不処完。 欹器(いき)は満(み)つるを以って覆(くつが)えり、撲満(ぼくまん)は空しきを以って全(まっとう)す。 故に君子は寧(むし)ろ無に居るも有に居らず、寧(むし)ろ缼(けつ)に処(お)るも完に処(よ)らず。 その容器は満たしてしまうと倒れ、貯金箱は溜まると壊されてしまう。 上に立つ者は、「無」の境地に身を置き、物欲の世界は否定して、欠乏を善しとして完全を求めない。 つまり、指導者は、諸行無常を知って、適時適量適正を善しとし物欲を離れた心でなければならないということ。 言い換えれば、指導者とは秀でた教育者で組織経営者なのである。 補足:欹器(いき)とは、中国古来の容器で、空では自立です、中身を満たせば倒れ、丁度良い量の時のみ役に立つ機能を有する教訓のための道具。..

  • 『菜根譚』前集第六十四項から

    『菜根譚』前集第六十四項から 欹器以満覆、撲満以空全。 故君子寧居無不居有、寧処缼不処完。 欹器(いき)は満(み)つるを以って覆(くつが)えり、撲満(ぼくまん)は空しきを以って全(まっとう)す。 故に君子は寧(むし)ろ無に居るも有に居らず、寧(むし)ろ缼(けつ)に処(お)るも完に処(よ)らず。 その容器は満たしてしまうと倒れ、貯金箱は溜まると壊されてしまう。 上に立つ者は、「無」の境地に身を置き、物欲の世界は否定して、欠乏を善しとして完全を求めない。 つまり、指導者は、諸行無常を知って、適時適量適正を善しとし物欲を離れた心でなければならないということ。 言い換えれば、指導者とは秀でた教育者で組織経営者なのである。 補足:欹器(いき)とは、中国古来の容器で、空では自立です、中身を満たせば倒れ、丁度良い量の時のみ役に立つ機能を有する教訓のための道具。..

  • 『菜根譚』前集第五十六項から

    『菜根譚』前集第五十六項から 奢者富而不足。 何如倹者貧而有余。 能者労而府怨。 何如拙者逸而全真。 奢(おご)る者は富みて而(しか)も足らず。 何ぞ倹(つつましやか)なる者の貧(まず)しきに而(しか)も余りあるを如(し)かん。 能ある者は、労して而(しか)も怨(うら)みに府(あつ)まる。 何ぞ拙(つたな)き者の逸(いつ)にして而(しか)も真を全(まっと)うするに如(しか)ん。 贅沢な者は、いくら豊かでも満足しないが、いくら貧乏でも余裕のある倹約家はいる。 また才能のある者は、いくら努力しても恨みをかい、いくら粗忽でも本質に生きる者はいる。 つまり、足るを知って気楽に生きるのが最も幸せだということ。 言い換えれば、人生は正に在るべき様は、である。忙しい時は忙しい様に、余裕がある時はゆったりと過ごしているのだ。

  • 『菜根譚』前集第五十三項から

    『菜根譚』前集第五十三項から 施恩者、内不見己、外不見人、即斗粟可当万鐘之恵。 利物者、計己之施、責人之報、雖百鎰難成一文之功。 恩を施す者は、内に己を見ず、外に人を見ざれば、即(たと)え斗粟(とぞく)も万鐘(ばんしょう)の恵みに当たるべし。 物を利する者は、己の施しを計り、人の報(むく)いを責(もと)むれば、百鎰(ひゃくいつ)と雖(いえど)も一文の功を成し難(がた)し。 他人に恩恵を施す者が、それを特別に良いことだと考えなければ、米一升であっても価値がある行為だが、施す気持ちに下心があれば、例えそれが大金であっても1円の価値もない。 つまり、善意は無心で行ってこそ価値があり、下心があれば無意味なのだ。 匿名で寄付をする人は有名になりたいとか、褒めて貰いたいなどという下心はないからこそ、その行為が出来る。

  • 『菜根譚』前集第五十項から

    『菜根譚』前集第五十項から 福莫福於少事、過莫過於多心。 唯苦事者、方知少事之為福、 唯平心者、始知多心之為過。 福(さいわい)は事少なきより福(ふく)なるはなく、禍(わざわい)は心多きより禍(か)なるはなし。 唯(た)だ事に苦しむ者は、方(はじ)めて事少なきの福たるを知る。 唯(た)だ心を平かにする者は、始めて心多きの禍(わざわい)たるを知る。 最も幸せなことは、事件が少ないということで、不幸なことは、心ここに在らずという状態のことだ。 日頃ゴタゴタ苦しんでいる者は、事件が少ないことこそ幸福だと知っている。 そして、心が穏やかな者は、心ここに在らずの状態が不幸だということを知っている。 つまり、平凡が一番ということを知っている人間こそが幸せなのだ。 イタリア語にはこんな諺がある。 L’uomo saggio non..

  • 「菜根譚』前集第四十六項から

    菜根譚』前集第四十六項から 人人有個大慈悲、維摩屠劊無二心也。 処処有種真趣味、金屋茅簷非両地也。 只是欲蔽情封、当面錯過、使咫尺千里矣。 人々、個の大慈悲あり、維摩(ゆいま)・屠劊(とかい)の二心(ふたごころ)無きなり。 処々、種の真趣味あり。金屋(かなや)・茅簷(ぼうえん)も両地にあらざるなり。 只だ是(こ)れ欲蔽(よくおお)く情を封(ふう)じ、当面に錯過(さっか)せば、咫尺(しせき)を使(し)て千里(せんり)ならしむ。 誰にでも慈悲深い仏心があり、維摩居士もと屠殺人や死刑執行人も違いはない。また、立派な館でだろうと、粗末なあばら屋であろうと、そこなりに趣がある。 だから、誰であれ、欲に溺れず、人情に流されないようにしなければ、ほんの小さなズレが、時間とともに、大きな違いになる。 つまり、それが誰でどんな事をどこでしているかでは、善悪は決..

  • {菜根譚』前集第三十八項から

    菜根譚』前集第三十八項から 降魔者、先降自心。心伏則群魔退聴。 馭横者、先馭此気。気平則外横不侵。 魔(ま)を降(くだ)すには、先(ま)ず自(みずから)の心を降(くだ)す。心伏(しんふく)すれば、則(すな)ち群魔(ぐんま)退(しりぞ)き聴(したが)う。 横(ほしいまま)なるを馭(ぎょ)するには、先ず此(こ)の気を馭(ぎょ)す。気平(きたいら)かなれば、則(すなわ)ち外横(がいこう)も侵(おか)さず。 魔性のものを降伏させようとするなら、まず自分の心にある魔性を降伏させなければならない。煩悩や妄想を滅することができれば、外的な魔性は引き下がり逆らうことはなくなる。 また、横暴なものを制御しようとするなら、まず自分の心にある横暴な気を制御するしなければならない。勝気や客気を平静にすれば、外的な横暴は自分に進入することはない。 つまり、怖いからとい..

  • 『菜根譚』前集第三十四項から

    『菜根譚』前集第三十四項から 利欲未尽害心、意見乃害心之蟊賊。 声色未必障道、聡明乃障道之藩屏。 利欲は未(いま)だ尽(ことごと)くは心を害せず、意見は乃(すなわ)ち心を害するの蟊賊(ぼうぞく)なり。 声色(せいしょく)は未(いま)だ必ずしも道を障(ささ)ず、聡明は乃(すなわ)ち道を障(ささえ)うるの藩屏(はんぺい)なり。 利益を求める気持ちは必ずしも善なる心を損なうわけではないが、思い込みが善を蝕む害虫のようなものである。 名声や色情は必ずしも修行の道のさまたげになるわけではないが、謙虚に欠けることが、修行の道の妨げとなる障害物のようなものである。 つまり、人の心根は大志を抱いて、拘らず、囚われず、謙虚に真面目に誠実にということである。

  • 『菜根譚』前集第三十二項から

    『菜根譚』前集第三十二項から 居卑而後知登高之為危。 処晦而後知向明之太露。 守静而後知好動之過労。 養黙而後知多言之為躁。 卑(ひく)きに居(お)りて而後(しかるのち)高きに登るの危きを知る。 晦(くら)きに処(お)りて而後(しかるのち)明るきに向うの太(はなは)だ露(あらわ)るるを知る。 静(せい)を守りて而後(しかるのち)動を好むの労(ろう)に過ぐるを知る。 黙(もく)を養いて而後(しかるのち)言の多きの躁(そう)たるを知る。 低いところに居るからこそ、高いところに上るのだろうが、危険をわきまえておくこと。 暗いところに居るからこそ、明るいところに出るだろうが、でしゃばりをわきまえておくこと。 静けさを守っていたからこそ、動きたくなるだろうが、働き過ぎをわきまえておくこと。 言葉少ないを守っていたからこそ、多弁の騒がしさをわ..

  • 『菜根譚』前集第六項から

    『菜根譚』前集第六項から 『菜根譚』は明の時代の支那人、洪自誠が著した書物であり、私にとっては『徒然草』と並んで老後に読むべき書物の第一であろうと思われる。 疾風怒雨、禽鳥戚戚。霽日光風、草木欣欣。 可見天地不可一日無和気、人心不可一日無喜神。 疾風怒雨には、禽鳥(きんちょう)も戚々たり。霽日(せいじつ)光風には、草木も欣々(きんきん)たり。 見るべし、天地に一日も和気なかるべからず、人心に一日も喜神なかるべからず。 嵐の日は鳥までも寂しく悲しげで、晴れた穏やかな日は草や木も楽しげです。 自然にはたとえ一日でも穏やかで和らぐ日がなければならないし、人の心もたとえ一日でも天真爛漫に喜ぶ気持ちがなければならないのです。 さて、「和顔愛語」とは『大無量寿経』にある言葉だそうだ。穏やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することを意味するそうである。 穏..

  • 喜食満麺その9

    喜食満麺その9 シリーズの最後は鍋の話にしたい。我が家では、冬の間は夕食はたいていお鍋だった。それは、今後もずっと変わらないだろう。 鍋料理は味付けも具材も変化させ続けられるので飽きが来ないのだ。ちゃんこ鍋、水炊き風、もつ鍋、海鮮鍋、トマト鍋、キムチ鍋、水餃子鍋という風に変化させれば手軽にできる。なによりも、材料を刻むだけですむ。 そして、最後のお楽しみは、締めである。たとえば、トマト鍋の時にはご飯を入れてチーズを足せば即席のリゾットになる。水餃子の締めは中華麺を入れる。 私の一番のお気に入りは、和風の海鮮鍋の後のおじやだ。海鮮から出た美味で滋養に富んだダシをご飯が全部吸い取っていて、大変美味しく食べられる。 残りのあまり長くない人生を過ごすには、この海鮮鍋のように、美味しくて滋養に富んだダシを与えてくれる人達とお付き合いしたいものだ。義理のお付き合いは最低限に絞..

  • 喜食満麺その8

    喜食満麺その8 昨日の日記はイタリアの諺を基にして文化の違いや価値観のことについて考えた。今日は日本国内での違いについ考えてみたい。 ごく大雑把な話をすると、東と西の食文化の違いは、糸魚川―静岡構造線(フォッサマグナの西辺)あたりに顕れる。 天麩羅(九州では薩摩揚げのことも天麩羅というが、ここでは薩摩揚げは含まない本来の天麩羅のみ)にソースをかけ る文化というのがある。この食べ方は、和歌山では主流はだそうだ。関東ではどういうわけか、埼玉が天麩羅補ソースで食べる割合が比較的多いそうだ。 また、関東以北では「お汁粉」と呼ぶものを「ぜんざい」と呼ぶのは静岡以西である。 さらに、肉と言えば関東では豚肉をまず連想するのに対して、関西では牛肉を連想するという。中華まん(肉まん)のことを「豚まん」と呼ぶのは関西以西であろう。関東では「肉まん」と呼ぶ。つまくり、関東では肉=豚とい..

  • 喜食満麺その7

    喜食満麺その7 中国、韓国および東南アジア諸国でもお米は非常に重要な地位を占める食料である。日本のお米は粘り気があって、それがお米を止められない魔力のひとつだ。 欧州ではお米は野菜として食べるが、イタリアやスペインなどではリゾットやパエリアなどの形でよく食べられていることは周知の事実である。 つまり、洋の東西を問わず美味しいものは美味しいのだし、自分たちが美味しいと思う素材を、自分たちの調理法に併せて調理するという、ごく単純な事実だけがある。 片方はオリーブ・オイルやチーズと併せて煮たり、焼いたりする。もう片方は、何も加えずに蒸す。場合によっては様々な具材と一緒に煮る。そうすることで、自分たちの舌になじんだ食べ物ができる。 さて、イタリアにはこんな諺がある。 「米は水の中に生まれ、ワインの中に死ぬ」 II riso nasce nell’acqua e mu..

  • 喜食満麺その6

    喜食満麺その6 子どもの頃は食べ物の好き嫌いが激しくて、ほとんどの野菜が嫌いだった。気に入ったおかずがない時は、ふりかけだけをご飯にかけて食べる時もあったぐらいの偏食児童だった。今では何でも食べる爺さんになった。特に夏野菜は大好きだ。 レストランなど家の外で食事をする時、一緒にご飯を食べたくない人がいる。 それは、食べ物を食べるときに、くちゃくちゃいわせる人だ。それから、やたらとげっぷをする人。さらに、汁物を食べるときに、ずるずると大きな音を立てる人。(ただし、ラーメンや蕎麦などのようにすすり込む食べ物は別) 自宅の家の中ならともかく、大勢の人がいるところでは少しは慎んだ態度を取らなければいけない。これは、価値観の問題ではなく、周囲の人を少しでも不愉快にしないエチケットの問題だからだ。しかし、家の中では個人の価値観に従って、好きにすればよい。寛いでご飯を食べられるのは..

  • 喜食満麺その5

    喜食満麺その5 水はすべての生き物にとって最も大切な要素であることは言うを待たない。 そして、水は温度条件により、液体、固体、気体と三つの相を取る不思議な物体だ。 ヒトの場合、赤ちゃんが生まれてくる時は80%程度の水分であるが、死んで行く時は50%程度の水分保有率だそうだ。つまり、ヒトは、絹ごし豆腐として生まれ、高野豆腐になって死んで行くのだ。 そんなにも大切な水だが、私達は水資源を大切にしていない。日本の水道は、蛇口からそのまま水を飲んでも問題がないほど整備されている。他の国で蛇口からそらまま水を飲むことは考えられない。雑菌や微生物の処理が行き届かないし、水の硬度が高過ぎて飲用に適さないという問題があるのだ。 上善如水というお酒がある。限りなく水に近いと行ってもいいようなきれいですっきりした味わいのある、新潟の銘酒だ。 この言葉は老子の言葉が元になっている。..

  • 喜食満麺その5

    喜食満麺その5 水はすべての生き物にとって最も大切な要素であることは言うを待たない。 そして、水は温度条件により、液体、固体、気体と三つの相を取る不思議な物体だ。 ヒトの場合、赤ちゃんが生まれてくる時は80%程度の水分であるが、死んで行く時は50%程度の水分保有率だそうだ。つまり、ヒトは、絹ごし豆腐として生まれ、高野豆腐になって死んで行くのだ。 そんなにも大切な水だが、私達は水資源を大切にしていない。日本の水道は、蛇口からそのまま水を飲んでも問題がないほど整備されている。他の国で蛇口からそらまま水を飲むことは考えられない。雑菌や微生物の処理が行き届かないし、水の硬度が高過ぎて飲用に適さないという問題があるのだ。 上善如水というお酒がある。限りなく水に近いと行ってもいいようなきれいですっきりした味わいのある、新潟の銘酒だ。 この言葉は老子の言葉が元になっている。..

  • 喜食満麺その4

    喜食満麺その4 麺類は人類を救う。私は、麺食い人間としてそのように信じている。麺類の特質は次のとおりだ。 まず、麺類は様々な麺がある。うどん、ラーメン、チャンポン-、蕎麦、パスタ、韓国の冷麺、中央アジアのラグマン、ベトナムのフォーなどなど。あ、ラグマンというのはうどんのようなもので、トマトベースのスープに羊肉が入ってるらしい。 次に様々な形状、直径、の組み合わせによって、固くて細い麺とか太くて柔らかい麺などいろいろな麺ができるので、食感の違いが楽しめる。それから、麺類には様々な具材を合わせることができる。そして、それぞれの麺にあったスープ、つけ汁、出汁のバリエーションがある。 また、ラーメンに代表されるように、それ一食でフルコースになりうる。スープ、前 菜、メイン、そしてお腹を満たす澱粉質。 麺は長寿の象徴でもある。しかし、私は長く生きたいとは思わない。長生きするよりも..

  • 喜食満麺その3

    喜食満麺その3 過ぎたるは猶お及ばざるがごとしとは孔子の言葉であることぐらいたいていの人は知っている。 そして、たいていの人はそのような経験もしている。そういう意味では実に普遍的な事実であるが、この程度のことは別に孔子でなくとも言える。 孔子が偉いのは、この普遍的事実を言語化したからではなく、教育の実践に活かしたからだと思っている。 私にも苦い経験があるから、孔子の言葉の妥当性に頷いて、この言葉から日記を書き始めたのだ。 私の生まれた町は、木工産業が盛んな町で、たぶんいまでもそうだと思うのだが、毎年「木工祭り」というのが開催されていた。 このお祭りにはいろんなバザーがあって、町の婦人会のみなさんが提供してくださるいろいろな食べ物が、とても美味しかったのを覚えている。 その中でも私のお気に入りは「ぜんざい」だった。「しるこ」と「ぜんざい」の違いは未だによ..

  • 喜食満麺その2

    喜食満麺その2 日常の中にささやかな喜びを見つけることができるというのは、年齢を重ねた者の特権である。若い間は、そんなことは目に入らないし、もっともっとと求めるものがあるからだ。 子どもの頃は、日本全体が貧しかった。食べ物のことで文句をいうなどはありえず、食べられればとりあえずそれでよい、という時代だった。私自身は好き嫌いがとても多かったので、貧しい時代には生きてゆくのが難しい子どもだった。 しかし、卵と海苔のおかげでちゃんと生き延びていくことができた。海苔は味付け海苔も焼き海苔も好きだったし、今でもそれは変わらない。 今の時代はなんでも食べられるが、そういう豊かな時代と、選択肢がなく、たまに口にできるものが大変なご馳走に思えた時代と比較して、どちらが幸せを感じることができるかと言う問題は、意外に難しいのだ。 食欲がない時は、子どもの頃に好きだったものを食べるのが、..

  • 喜食満麺その1

    喜食満麺その1 「喜食満麺」とは、もちろん「喜色満面」をもじったものだ。この世は苦に満ちているが、ささやかな喜びはたくさんある。その中でも食べることに関する喜びや哀しみはどなたにもあることだろう。 なぜ「満麺」なのかというと、私が麺食いだからだ。私が生まれたのは福岡県の筑後川の河口に位置する町である。木工産業が盛んな町で、町中は木工関係の職人が多かった。そのせいか、町の食堂では味付けは塩気が濃いものだったように思う。 中学生の頃の大好物はラーメンだった。現在のいわゆる博多ラーメンよりも、もっと久留米ラーメンに近いものではなかったかと思う。ラーメンにいろいろな具を乗せずに、ほとんどスープと麺のみの「素ラーメン」というのが50円で食べられた。この素ラーメンを食べながら、思春期の話をいろいろとしたものだ。 豚骨のこってりしたスープと長くて細いストレートな麺だったので、年寄りにな..

  • 動詞による人生論 その10 祈る

    動詞による人生論 その10 祈る 祈るという行為は、人間にしか出来ない。動物が他の動物のために祈るなどということはしない。親猫が子猫を可愛がったり、生存の為に必要なことの数々を教えたりすることはあるけれど、祈ることはしない。 それは、神仏のことを動物が知らないからなのではなく、かれらには神仏など不要だからだ。私には神仏の存在が必要だから、神仏を信じている。他の人もほぼ同じだろう。 霊魂などと言うのも同じ事で、私にはその存在が必要だから、霊魂は存在すると信じたい。もちろん、神仏も霊魂もこの目で見たことはないが、伊勢神宮に参詣したときに感じる、あの清々しい、神々しい気分は神様以外の何物でもない。 私は、神社や寺に参詣しても、個人的なことを祈らない。それでは、なんのために参詣するのかというと、あくまでも神仏に「感謝」の意を捧げるために参詣するのだ。もちろん、今後もそのように..

  • 動詞による人生論 その9 奪う

    動詞による人生論 その9 奪う 一般的に「奪う」という行為は許されない。人の命や財産を奪うのは、法律的にも道徳的にも、そして何よりも人として絶対に許容される行為ではない。世界のどこに行っても、宗教上あるいは法律上で、「奪う」行為が許容されることはないだろう。よほど特殊な条件が揃えば別だろうけれど。そのひとつが正当防衛である。また、戦争の最中では、一人でも多くの敵の命を奪った人間が英雄になる。これもまた非常に特殊なケースである。 しかし職業上、動物や植物の命を奪わねばならない場合もある。漁師、猟師、屠殺、屠畜、農業、林業などなど多岐に亘る。このような場合には奪うのも仕事の内であり、何よりも私達一般人も、この人達のおかけで食料を口にすることができる。其れを非難することは論理上無理である。 何が言いたいのかというと、一般的には「奪う」という行為は許容されないが、場合に..

  • 動詞による人生論 その7 捨てると拾う

    動詞による人生論 その7 捨てると拾う 人生はなんとも皮肉で奇妙なものだ。 まず、生まれたときからひたすら歩んでいかねばならならいが、終着駅は「死」という名前の寒々しい駅である。ただし、人がそれぞれに選ぶ終着駅は目的地ではない。自己で選んだ目的地もまた通過駅のひとつにすぎないのだ。 そして、生まれたときからある集団、民族、団体、国家に属するので、そういう塊の規則を守らないことには生きていけない。自分が属する塊の規則や倫理、法律などを学ばないことには生きていけないのだ。 生きていくのは勉強の連続である。学校で学ぶことだけが勉強ではないのだ。学校に入れば集団の中で、どのように人間関係に折り合いを付けるのかということも学ぶ必要がある。会社に入れば、上下関係、同僚との連携や競合関係の中で自分を切磋琢磨しなければならない。 恋愛や結婚もまた学ぶ事だらけである。愚かな我が儘に振..

  • 動詞による人生論 その6 感じる

    動詞による人生論 その6 感じる 私達は体の器官を通じて様々な感覚を知覚する。口は味覚を司り、耳は聴覚を、鼻は嗅覚を、手足や全身は触覚を、目は視覚をというようにそれぞれに役割分担がある。しかし、食事の際には、ただ味覚だけを働かせているのではなく、視覚、嗅覚などを総動員して料理を味わう。 『般若心経』の一節には「色即是空、空即是色」という言葉がある。難しい話はさておいて、「色」とは人間の視覚で感じ取れる物質、現象、事象を指す。「空」とは実体がないことを指す。つまり、一切の感覚もまた実体がないと言うのである。 「無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法」 簡単なたとえ話をしよう。 私は若い男性で、素敵な恋人がいると仮定する。在る日、私はその恋人が若い男といっしょに歩いているのを見たとする。 「受」とは一口で言えば感覚である。だから、「見た」のは「受」である..

  • 動詞による人生論 その5 働く

    動詞による人生論 その5 働く 人は良くこんな馬鹿げた事を言う。「働く」という言葉は、「傍(の人)を楽」にする為なのだと。 人が働くのは自分のためである。決して人のためではない。ただし、結果的には他の人を楽にするということはあるが、それ自体は目的ではない。 最初に浮かぶ答は、「食べていくため」であろう。貪欲な人は、今よりもさらに良い生活のために働くと答えるかもしれない。あるいは、楽しい老後のために今から必死で働くと言う人もいる。本当は働きたくないのだが、世間体のためという回答をする人もいるだろう。さらには、自己実現のためという人もいるだろう。たとえば演劇が大好きなので、一流の役者になるために働くという人もいる。芸術関係にはそういう人が多い。単純に仕事が楽しいから働くという人もいる。その他にも、暇だからとか、社会と繋がっていたいためとか、働かないと罪悪感に苛まされ..

  • 動詞による人生論 その5 休む

    動詞による人生論 その5 休む 休むには様々な意味があるが、ここでは「動作を中止して、身体を楽にする。休息する」ことに絞り込んで考える。 私が大好きな一休宗純の有名な歌に、こんなものがある。この歌が、一休という名前の由来だとも言われている。 有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け 有漏路というのは、迷い(煩悩)の世界のことであり、無漏路とは悟り(仏)の世界のことである。人間とは、悟り(仏)の世界に帰るほんの短い間、迷い(煩悩)の世界であるこの世にいる、仮の存在である。すべては空であると一休は考えたのであろうと思う。仮の世で一休みしている存在、それが一休宗純そのものなのであり、人間そのものなのだと考えたのだろう。 人間というものは自分に悪いことが起これば、それを出し切れば良いのだ。自分で出来る努力をして対応しながら、その流れ..

  • 動詞による人生論 その4 息をする

    動詞による人生論 その4 息をする 息とは呼吸のことである。吸う息で酸素を体内に取り込み、吐く息で二酸化炭素を排出する。 この呼吸が止まってしまうと動物は命が絶える。つまり、私達は呼吸を生きているとも言える。つまり、「い」と「き」の間を行き来しているのだ。 ラテン語の諺にこんな言葉がある。 Dum spiro, spero. 読み方は、「ドゥム・スピーロー・スペーロー」である。dumは「~の間」という意味の接続詞であり、spiroは「息をする」という意味である。spero は「希望を持つ」という意味だ。 発音すると音の響き(s,p の連続)が美しく聞こえる。 「私は息をする間、希望を持つ」、つまり「生きる限り、希望をもつことができる。」(=死んだら希望などもてない。)という意味である。「手を止めて深呼吸せよ。希望がわくだろう。」と意訳することもでき..

  • 動詞による人生論 その3 歩く

    動詞による人生論 その3 歩く 「歩く」と「歩む」は似ているが決定的な違いがある。 「歩く」は足を使って前に進む事を意味するが、「歩む」は物事が進行する様を表していて、抽象的な意味に使われることが多い。「堂々と歩む」とか「長い道のりを歩んできた」とは言うけれど、「本を持ち歩む」とは言わないし、町中を「歩む」とも言わない。 『老子』第二十四章 企者不立 企(つまだ)つ者は立たず 跨者不行 跨(また)ぐ者は行かず 自見者不明 自ら見(しめ)す者は明らかならず 自是者不彰 自ら是とする者は彰(あらわ)れず 自伐者無功 自ら伐(ほこ)る者は功なし 自矜者不長 自ら矜(ほこ)る者は長ぜず 其在道也 其の道に有るや、 曰余食贅行 余食贅行(よしぜいこう)という 物或悪之 物これを悪(にく)む..

  • 動詞による人生論 その2 嫌う

    動詞による人生論 その2 嫌う 人が何かを嫌うには様々な原因があるはずだが、なんとなく嫌いだということが多いのではないだろうか。 自分の期待に応えてくれないからという理由だとすれば、それはあなたが身勝手すぎるというものだ。 自分に危害を加える可能性があるからという理由であるとすれば、その人とは付き合わないで済むように工夫する必要がある。 嫉妬から相手を嫌う場合は、嫉むのではなく、相手を羨ましいとおもうことから始めれば良い。羨ましいという気持ちは、自分もそうなりたいという積極的な気持ちであるが、ねたましいと思うのは、相手を貶めよう党悪感情なので、そういうねたみは抑制することがたいせつである。 軽蔑が相手を嫌う理由である場合は、自分だってそれほど立派な人間ではないことを思い起こせ。それでも相手を許せないのであれば相手と距離を置け。 相手から軽蔑されていると感じる..

  • 動詞による人生論 その1 愛する

    動詞による人生論 その1 愛する 愛する対象は様々である。人であったり、動物であったり、草花であったり、あるいは詩歌、音楽、絵画、書、骨董、美術品などであったりと真に幅が広い。 人の場合は、親、兄弟、子供など自分の家族が対象であったり、特定の異性のことであったりと、これもまた多種多様である。最近では、恋人は異性に限定されない場合もある。 名詞の「愛」には仏教用語として「執着する心」という意味もあるが、動詞の場合にはそんなことはない。 また、物事の価値観としての大切に思うということも、「愛する」を使う。例えば、「私の父が愛した街は、京都とローマの二都市だった。なぜなら、父はいつも、そこには伝統を大切にする気風があるからだと言っていた。」というように使う。 さて、私をこよなく愛してくれた両親はもう手の届かない処に行ってしまった。私の両親が私を愛してくれたよ..

  • この町に片恋に似し人住みきやや肥えて罪深き妻となりゐむ 大野誠夫

    この町に片恋に似し人住みきやや肥えて罪深き妻となりゐむ 大野誠夫 純粋だった中学生の頃は、映画に出てくるような綺麗な女優さんは、みんな上品で賢く、おしっこもウンコもしないと思っていた。家の母親や姉みたいにがさつでおしゃべりが大好きな、どうしようもない女などではないだろうと思っていた。 大学生になった頃は、綺麗な女性は自分の手には届かない憧れの対象だと思っていた。憧れはやがて恋として認識され、手の届かない恋に悩む日々があった。 社会人になったら、女はたとえ美人であっても、口うるさくて小言が多いと知った。計算高くて物質欲の強い、まるで家の母親や親戚のおばさんと大して変わらないものだと認識を新たにした。 妻を持ったら、それでも女は愛おしい存在だと思った。そして、その愛おしい一人の女を大切にしていくのは、男の責任だと思った。子供が生まれたら、女房がいなくては子供を育てられないと..

  • 易について

    易について 易は難しい。占いの易も難しいし、思想としての易も難しい。唯明快なのは、易とは「変化」の思想だということだ。陰と陽の組み合わせで次々と変化する。陰ばかりが重なるのも陽ばかりが重なるのも良くない。しかし、考えてみると、無常もまた変化の思想である。赤ちゃんが誕生するのも無常であり、老人が息絶えるのも無常である。世の中には何一つとして永遠に続くものないので無常である。永遠にありそうな山々ダつて、いつかは崩壊し、岩と土になっていく。 易には占いが付き物だが、無常観あるいは無常感には占いなどない。そこが、シナ大陸の思想とインド大陸の発想の違いなのであろうか。日本人には無常観よりも無常感のほうがぴったりと合う。ブルース・リーの言葉ではないが、「考えるな。感じろ」という方が日本人に合うのだろう。

  • 文化の違い

    文化の違い ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、あるいは儒教などでは、「何であるか」ということが大切な要素のひとつではないかと思う。人は他の動物よりも偉い。そして、その位置は絶対不変である。どうもそのような考えが根底にはある。 ある外国人のキリスト教徒と話をしているとき、「牛は神様がくださった食べ物だから食べても良いのだ」という言葉を聞いた。そのとき私はただ絶句するしかなかった。何故なら私は若い頃には、自分の命を繋ぐために他の動植物の命を奪わねばならない、という至極当たり前のことに酷く悩んだ経験があったからだ。 そのとき話していたのが男だったのか女だったのか忘れたけれども、ここでは男だったことにしておく。彼のような発想をしたことがない私には、彼が「牛は人間に食べられるために生きている」と言っているように聞こえたのだ。 それ以来、先に挙げた宗教を信じている人には「何である..

  • 人間は、しょせん一本の管である

    人間は、しょせん一本の管である 山口瞳が「人間は、しょせん一本の管である」と書いたのは、『週刊文春』に連載していた「山口瞳のマジメ相談室」1967年7月10日号のであった。 読者の相談に山口瞳が答えます。25歳の奥様からの相談。 「結婚して二年、文句のつけようのない夫ですが、ただ一つだけ、二人でいるときに平気でおならをするのが困ります。やられるたびにむしゃくしゃします。ついでに書きますが、パンツを汚すのも困ります。平気な顔をしてパンツを洗濯籠にほうりこんでいきます。まるで子供のようで、なさけなくなります。つくづく、男性は横暴な動物だと思い、腹が立ちます。どうしたらいいでしょうか」 山口瞳の回答が傑作である。 「人間は、しょせん一本の管です。食べて排泄する管を持つ動物です。管の片端が汚れるのも致しかたのないことでしょう。そう思ったら、汚れたパンツを洗うのは割合..

  • Chi vano piano, va sano e lontano.

    イタリア語にこんな諺がある。 Chi va piano, va sano e lontano. 意味は、ゆっくり歩く者が安全にかつ遠くまで行くということだ。 全く同じというわけではないが、『老子』にも似たような言葉がある。 企者不立。跨者不行。自見者不明。自是者不彰。自伐者無功。自衿者不長。其在道也。曰餘者贅行。物或悪之。故有道者不處。 爪立つ者は立てない。踏みはだかる者は歩けない。己を誇示すれば、その存在も明らかではなくなる。己を是(よ)しとすれば、その善も彰(あらわ)れなくなる。己の功を自慢すれば、その功も台無しになる。己に自惚れれば、行き詰まる。このような不自然な行為をこそ、無為の大道においては、食い残しの飯、無用の振る舞いと言うのだ。だれもが常に厭がって見向きもしないから、有道者はそこに身を置かない。

  • 世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく 一休宗純

    世の中 世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく 一休宗純 女性の一生で一番良い時は、娘時代である。したがって、娘という字は女偏に良いと書く。 娘が結婚して家に入ると、嫁になる。 嫁が子供を産むと嬶と言われる。 「女は弱し、されど母は強し」と言われるように、新婚当時はおしとやかでも、お母さんになると鼻高く、どっしりするので女偏に鼻と書く。 嬶の次には婆になる。額に波がよって来るので、女の上に波と書く。 女の一生はこうであるが、男だって同じコースを辿る。 何十億の人がいても、例外はない。人種が違っても例外はない。 女はいつまでも娘ではいられないし、婆さんが娘に戻ることはできない。 この間まで自分は娘だと思っていたのに、もう息子が嫁をもらって孫ができた。 いやあ、月日のたつのは早いなあと言っているように、女は、娘から嫁、嫁から嬶、嬶か..

  • <つもり違い四十箇条>

    <つもり違い四十箇条> 高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深いつもりで浅いのが知恵 浅いつもりで深いのが欲望 厚いつもりで薄いのが人情 薄いつもりで厚いのが面皮 強いつもりで弱いのが根性 弱いつもりで強いのが自我 多いつもりで少ないのが分別 少ないつもりで多いのが無駄 広いつもりで狭いのが見識 狭いつもりで広いのが人脈 大きいつもりで小さいのが目標 小さいつもりで大きいのが損失 明るいつもりで暗いのが指針 暗いつもりで明るいのが不正 重いつもりで軽いのが責任 軽いつもりで重いのが権限 早いつもりで遅いのが報告 遅いつもりで早いのが噂話 長いつもりで短いのが人生 短いつもりで長いのが青春 遠いつもりで近いのが因縁 近いつもりで遠いのが血縁 固いつもりで軟らかいの..

  • 災難について

    災難について 良寛は、山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友であった。良寛が71才の時、三条市を中心に大地震が起こった。良寛は、杜皐さんへ見舞の手紙を送った。。 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。 「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、これが災難にあわない秘訣です」ということである。 「大変でしょうが、頑張ってください」とは誰でも言える。しかし、言われた方は「すでに頑張って生きているのに、何をこれ以上頑張れというのか」と思うだろう。 良寛のこの手紙を受け取った山田杜皐は、「この災難の中で生き抜いていこう」と思ったことだろう。

  • 山本五十六

    山本五十六 山本五十六という人はいろいろな名言を吐いた。 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。 男の修行 苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。 しかし、彼の発言には首を傾げるようなものもある。 「博打をしないような男はろくなものじゃない。」 これは、発言の中身がおかしいと言うよりも、事態にそぐわなくなってきたのである。 ある意味では理解できるのだが、賛同はしない。軍人やスポーツマンのように戦うことを職業としている人には、闘争心が必要だし、それを博..

  • 愚人の見るは恐ろし

    愚人の見るは恐ろし おのれに利欲あれば、人もその心を以て見るなり。深きは色を以て見るなり - 至道無難 愚かな人間は、自分が卑しければ他人もみなそうだと決めつけ、淫欲が強ければみなも淫乱だと判断する。愚人とは、このように視野の狭い人間をいうのだろう。 人の価値観は人それぞれである。金儲けを最優先で考える人には、純粋に趣味に全力投球する人の気持ちが理解出来ないだろう。中には趣味を活かしながら金儲けをする人も居るが、その場合は金儲けが最優先ではない。金よりも異性に興味が集中する人は、年がら年中異性のことを考える。異性のことには全く興味を示さないが、食べることが大好きという人もいるだろう。 そして、人の能力またそうだ。計算に強い人、運動神経が抜群な人、語学が上手な人、写真の上手な人、それぞれだ。中には何でも器用にこなす器用貧乏も居る。 道具だってそうだ。体重を量るのに物差しは使..

  • 耶律楚材

    耶律楚材 出自は契丹人である。家柄がよく長身長髭で態度が堂々としており、中国の天文と卜占に通じていた。ジンギス・カンの目に止まり、召し出されて中国語担当の書記官(ビチクチ)となり、カンの側近くに仕えることになった。1219年からの中央アジア遠征でもチンギスの本隊に随行してもっぱらカン側近の占星術師として働いた。カンはそんな耶律楚材を愛し、自分の死に際して息子のオゴタイに、「今後、国政は耶律楚材に任せよ」との遺言を残したと言われている。 さて、その耶律楚材が残した言葉にこんな言葉がある。 興一利不若除一害 一利を興すは一害を除くにしかず。 生一事不若減一事 一事を生(ふ)やすは一事をへらすにしかず これは史上稀有の大宰相・遼の王族耶律楚材の名言である。彼はジンギス・カンが満洲を攻めて遼の王国を亡ぼした時、二十六歳の青年であつた。カンに一見して惚..

  • 掘り起こし共鳴現象

    掘り起こし共鳴現象 山本七平が『人望の研究』という著書の中で、掘り起こし共鳴現象という文化現象について触れている。「掘り起こし共鳴現象」とは、矢野暢教授が唱えた概念であるが、山本七平によれば以下の通りだ。 「われわれは意識しなくても、さまざまな文化的蓄積を持っている。そして、外国から新しい思想やイデオロギーが来ると、文化的蓄積の中でそれと似たものを掘り起こして共鳴する。」 別の言葉で言い換えれば、外来の強烈な普遍主義的思想を受け入れると、それは一見そのまま受け入れられたように見えながら、実は、その国もしくは民族の文化的蓄積の中から、その普遍的思想と似たものを掘り起こして共鳴する、そしてその共鳴を外来思想として受け取る、ということだ。 例えばそれは、明治期に流入してきた西欧民主主義にも当てはまる。現在の日本の民主主義と西欧のそれが違うのはそういう理由であり、「既に日本..

  • ヤリハシハチドリとトケイソウ

    ヤリハシハチドリとトケイソウ 「過剰適応」という経験則がある。生物がある環境に適応しすぎると、深刻な問題が発生する現象である。例としてよく知られているのが「ヤリハシハチドリ」という小鳥と、「トケイソウ」という植物の関係である。 ヤリハシハチドリは体長10センチ程度の小鳥だが、体長とおなじくらい細長いクチバシを持っている。トケイソウの花は細長いラッパのような形で、その付け根に密がある。ヤリハシハチドリは、普通の鳥に比べてトケイソウの蜜吸うのには格段に有利だ。トケイソウは、ヤリハシハチドリが蜜を吸うことで、受粉を確実なものにしてくれるという恩恵がある。つまり、相互関係だ。何事も起きねば、天国、極楽の状態である。 だが、もし火山が爆発して離、気候の変化によってトケイソウが壊滅状態になれば、どのようになるのか。ヤリハシハチドリは独占状態だった食料を失い、普通の形状を下花が蜜を吸うとなる..

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Kekkokamenさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Kekkokamenさん
ブログタイトル
自獄論者の酔生夢死
フォロー
自獄論者の酔生夢死

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用
  翻译: