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  • 自分を大切にしよう

    世界中の人が自分を大切にする心を持てば、世界は平和になる。誰だって自分は大切である。何を言っているんだとご立腹の方もいるだろう。でもよく考えて、冷静に客観的に自分自身に立ち返って問いかけると、どう考えても自分を大切にしているとは思えない。わかりやすく言うと、生まれたての赤ん坊のように真っ裸の自分で居れるかという問いである。確かに世界中の人が生まれたての真っ裸の赤ん坊であれば世の中平和になるかもしれないが、反対に困ったことになる。赤ん坊は周囲のことや他人のことを考えないで自分中心で利己的なのである。自分が生きるために必死で周囲や他人のことなど考える余裕がない。しかし、人間は成長するとともに他人と協調して生きることを学習し、社会的生活を始める。人間は社会的動物なのである。自分を大切にする心とは何だろう。自分に...自分を大切にしよう

  • インターネットの広告がうざい。

    毎日のようにインターネットやSNSで情報検索しているが、どこに行っても広告が我が物顔に見ている人とまるで関係なく垂れ流されている。当然ながら無視しているが、目障りで仕方ない。次から次に飛び出てくる広告は自分の望むものとはまったく関係なく、こんな広告を見て商品を買ったり、これをきっかけに新たな情報を得たりすることは全くない。思いつくところで、こんな広告から金を出して商品を買ったことも過去に全くない。世間の人はこんな広告から購買意欲をそそられるのだろうか?広告の効果があるから広告を出しているのだろうが、広告は自社のドメインから発信すればいいと思う。他人の領域に侵入して人権侵害に近い広告を垂れ流すのは迷惑以外の何物でもない。考えてみると、広告を見せられている側は、その広告のデータ通信料はその人が払っているのだろ...インターネットの広告がうざい。

  • 適者生存と運者生存

    環境に適応したものが生き残るのが適者生存である。通常は適者生存が普通に言われている。キリンの首が長いのは、高い所の餌を食べれるように適用したことによって生存することができたとよく言われる。多くの人がこの説に納得できるが、適用するまでに長い時間が必要だが、適応途中の首の長さのキリンの存在は見つかっていないようである。そうであれば、突然変異で首が長くなり、結果としてたまたま高い所の餌が食べれて生き延びることができたとも言える。後者が運者生存である。運者生存とは、運がいいものが生き残ることである。たまたま運がよく生き残ったものが現在に存在していると言う考え方である。時間をかけて適応したのではなくその時の環境にたまたま合致していた種族が生き残ったということになる。適者生存と運者生存の違いは、自ら環境に適応する努力...適者生存と運者生存

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