戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係① 外交論文誌アメラジアン(海軍情報部高官の筆者アンドリュー・ロスは、後に機密漏洩容疑で逮捕される) 『延安の岡野、重慶の鹿地亘は、天皇から直接攻撃を受けている。岡野も言うように、日本国民を教育し、間接的に天皇制を廃止に追い込むべきである。』 この岡野=野坂が、戦後共産党議長になる。 江崎道朗「日本占領と敗戦革命の危機」より要約。
日本の戦前史、戦中史の真相を探る いわば、歴史修正主義のブログ
戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係①
戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係① 外交論文誌アメラジアン(海軍情報部高官の筆者アンドリュー・ロスは、後に機密漏洩容疑で逮捕される) 『延安の岡野、重慶の鹿地亘は、天皇から直接攻撃を受けている。岡野も言うように、日本国民を教育し、間接的に天皇制を廃止に追い込むべきである。』 この岡野=野坂が、戦後共産党議長になる。 江崎道朗「日本占領と敗戦革命の危機」より要約。
1.樺山紘一 東京大学教授 南京虐殺100万人説紹介者。現代用語の基礎知識1996年に、南京大虐殺の犠牲者数は100万人と記入。 NHK人間大学に出演 2.水島朝穂 早稲田大学教授 水際侵攻阻止のための、浮遊式地雷に反対。 攻撃ではなく、専守防衛でも反対。 赤旗常連。 NHKコメンテーター 北朝鮮狂いの作家小田実まこと 「北朝鮮の人びと」昭和53年2月 潮出版社 263ページ「北朝鮮の生活水準は、中国の二倍だ」 258ページ「息子を後継者とすることに対する他国の無責任な批判」 265ページ「平等、飢えの問題を自分なりのやり方でかなりのところまで解決している社会だった。」 辛淑玉と漫画家の石坂啓…
GHQのソ連スパイハーバート・ノーマンはケンブリッジ大学留学中、共産主義に感化され、インド人学生に共産主義勧誘を行った。NHKはハーバート・ノーマンに関するドキュメンタリーから、ケンブリッジ大学のソ連スパイの件、ノーマンの親友はスペイン内戦に参加して戦死した、件をカットした。 「1984」は、逆ユートピアのディストピア小説だが、荻原浩の「ワンダーランド急行」も興味深いディストピア小説だ。 けったいな宗教が蔓延した社会。AIがSNSに微小に拡散された個人情報をかき集めて、噂話を自動で記述してネットに流すという状況をChatGPTが話題になる前に小説化している。 同じ宣教師の息子でも、ハーバート・…
「小名木 始皇帝」と動画サイトで検索すると、「始皇帝の一族は日本に来ていた」「始皇帝が目指した理想の国家」という動画が出てくる。 冗談ではない。暴虐の始皇帝が日本と関係があってたまるものか。 始皇帝は儒者を生き埋めにして殺し、書物を焚書。 酷法に文句を言うと、一族皆殺しした。 劉邦の言葉は、史記「高祖本紀」に書いてあるので、一般論として伝えられるイメージがわかる。 「この地の(地域の顔役)・長老たちは、秦の過酷な法に苦しめられてきた。法を非難する者は一族皆殺しになった。盛り場で立ち話しているだけでも、処刑された。私は殺人は死刑、傷害犯強盗犯は処罰する。 劉邦の言葉は、史記「高祖本紀」に書いてあ…
参政党顧問の小名木氏は秦の始皇帝が 法治主義、項羽が自由主義、劉邦が人治主義で、以後Chinaは人治主義だという。 中国共産党一党独裁、そして中国人の国民性に低劣な点がある事実はともかく、 以上のような見方は間違いである。 史記列伝に言う、趙 奢(ちょう しゃ)は、 紀元前280年の趙に法意識があったことを示す。 趙 奢(ちょう しゃ)の逸話は、徴税官であった趙 奢(ちょう しゃ)が、税金を払わなかった(恵文王の弟)平原君の配下の者を裁判所に訴え、訴えられた者は死罪になった。 平原君が王族であることを笠に着て、趙 奢(ちょう しゃ)に向かって激怒し、殺そうとすると、 「私は法に則っただけです。…
起源前522年頃、楚の太子、建は、父に追われて鄭国に亡命した。鄭国は歓待したが、建は、晋に行った。 晋王は「建よ、鄭国はおまえを信用している。おまえはもう一度鄭国に行き、鄭国の政策に関与して、わが晋と呼応して動け。晋が鄭国に攻め入れば、鄭国は滅びる。」と言い、建は、鄭国に戻る 建と晋の策謀は、太子建の従者の密告によって、鄭国の知るところとなり、殺害されてしまう。 この時、建についていた伍 子胥ご ししょが、逃亡して呉に行き、将軍となり、呉王を補佐して、楚を敗北させ、父の仇敵である平王の墓を暴いて死体を鞭で打つことによって、復讐を遂げる。 伍 子胥ご ししょが太子の建と楚を逃亡した理由は、父が楚…
China史ノート 1 列伝 管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)
司馬遷は管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)を人間像を比べる形で記述した。 管仲(かん ちゅう)は知恵者で浪費家、晏 嬰(あん えい)は人格者で倹約家と評価した。 しかし、この列伝の魅力は、管仲(かん ちゅう)の友人関係にある。 管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)が友人だったというのではなく、 管仲(かん ちゅう)には鮑叔という友人がいた。 この鮑叔との友情が生き生きとしている。 「昔、鮑叔と一緒に商売をして、利益を分ける際に私が余分に取ったが、鮑叔は私を欲張りだと非難しなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、彼の名を成さしめようとして、かえって彼を窮地に陥れる結果となっ…
暴虐の王、晋の霊公から亡命した義人趙 盾(ちょうとん)は、亡命後に、従兄弟が、霊公を殺害したので、戻ってきて、晋を再び支える。 この趙 盾(ちょうとん)の子が趙朔 ちょうさく。 王は代替わりして景公。景公の次が成公。 趙朔 (ちょうさく)は、晋の景公の姉と婚姻する。 ※その前に夏姫のこと。 起源前580年頃、斉国にとんでもない妖艶の美女、王妃「夏姫」がいた。王とも家老とも関係して、王が「太子は家老の顔に似ているな」と争いが起き、王は暗殺される。夏姫は楚の荘王が暗殺した家老を成敗、荘王が側室にしようとすると、側近が「道義に反するからダメです」 次に子反という側近が「私が側室にしたいので、私にくだ…
紀元前600年、晋の霊公。 重耳が艱難の末、秦の援助を受けて晋の王「文公」になったのだが、高齢のため、在位は9年だった。 文公の跡継ぎ、襄公も即位7年で夭折。 ここで跡継ぎをどうしようかという話になった。 太子の夷皋が幼いので、正卿趙盾は晋国の覇権を維持するために、当時、秦にいて盛名が高かった晋王族の雍を呼び戻して晋公とすることにした。 狐射姑は、陳にいた公子楽を晋公にしようとするが、趙盾は刺客を放って公子楽を殺してしまう。 狐射姑は亡命する。趙盾は反対派の動向を恐れるようになり、考えを変える。 夷皋の母もまた泣き叫んで晋の大夫たちを説得して回ったこともあって、夷皋を晋公に立てることに決定した…
現在の中国共産党の漢民族のある程度の幸福を実現したのは、日米あってのこと。その決定的な理由。 北京の地、即ちChinaの皇帝の名前は、北条時宗の時代から、代々、 クビライ→チンキム→テムル→カイシャン→アユㇽバルワダ→シデバラ→イェストゴン・テムルであり、トゴン・テムル死亡時は1370年。 足利尊氏の三男が死んだころ。北条時宗から足利尊氏の頃までChinaはモンゴル人が統治していた。 時代はとんで、徳川家光のころからは、Chinaの覇者は、 姓はアイシンギョロ・フリン→ヒョワンイェイ→インジェン→フンリ→ヨンヤン→ミンニン →イジュ→ヅァイシュン→ヅァイティアン→プーイー 日本は大正時代。 長…
むしろ中国共産党政権・北朝鮮がなくならない限り、続く。 中国、北朝鮮があるからこそ、日米韓国に共産主義思想が絶えない。日米韓には金日成主義研究会があり、中国による南京大虐殺プロパガンダを受け入れるグループがあり、米国ポリコレ派・日本共産党・新左翼・立民は「日本は加害者」と信じ込んでいる。
レーニンはロシアの製造業生産力が未発達だったため、フォード車、トラクター組み立て工場の建設プラント、アメリカ製医薬品を輸入する必要があった。 ロシア革命当時19歳で、1924年にコロンビア大学医学部を卒業した青年の父親はアメリカの共産主義者だったので、レーニンの知人だった。青年はレーニンに会いに行き、私が、アメリカ製品をあなた方ソ連に売りますから、と話をつけ、ソ連ばかりか東側共産圏諸国とカナダ・アメリカ製品貿易を独占的に引き受け、莫大な利益を受けた。 化学製品の処理を行っていたオキシデンタル・ペトロリアムを、「1945年以後に」「経営権」を握り、イラン・リビアの石油開発に乗り出し、大富豪になる…
重耳の父、献公の26年、斉の桓公は、覇者の地位にあり、諸侯を大招集する。 周の官名で太宰たいさいは大臣のことだった。 太宰治はこの太宰をペンネームにしたのかもしれない。 周の太宰、孔氏は、晋の献公に「斉の桓公は傲慢な人物だから、あなたは行く必要がないのではないか」「それにあなたは十分、軍事力を持っている」 献公は病気でもあったので、これさいわい、納得して帰国した。 斉の桓公は、この件で献公に反感を持ち、晋から逃亡した重耳を厚遇することになる。 献公の病気は悪化し、驪姫の子の奚斉を新たに太子に立てられ、荀息(じゅんそく)将軍が太子奚斉の太傅(たいふ)に任命された。太傅(たいふ)とは太子の教育係 …
【唇歯輔車】しんしほしゃ 春秋左氏伝 僖公きこう五年 「唇と歯」「頬骨と下顎」のように、お互いが助け合うことによって成り立つ関係 唇亡歯寒 こちらは春秋左氏伝 哀公8年 「唇くちびる亡ほろびて歯は寒さむし」 史記 唇亡則歯寒 献公の代 史記によると、献公の代、北方遊牧民族狄出身の娘を母として重耳が生まれた。 異母兄の申生は、寵姫である驪姫 りきの謀略により、自決した。 驪姫 りきは自分の息子を後継にするため、他の子どもを追放しようとした。 ・異母弟の夷吾(後の恵公)などもいた。 重耳43歳は、趙衰とともに、母の出自の北方民族の地にいったん逃亡する。 赤狄族の姉妹と重耳、趙衰は婚姻する。 五年後…
驪姫(りき)は、晋の献公の寵姫であった。 最初、側室となったことに怯えていたが、だんだん増長。 ついに、太子を罠にかけて自死に追い込んだ。 「太子さま、殿様はあなたの母上の夢を見ましたよ。 母上の御霊をお祭りしてあげなさい」 と言い、太子が母をお祭りして供物の肉をあげ、その肉を献公に差し上げるためにとっておいたところ、驪姫(りき)が肉に毒を混ぜさせ、献公に、「肉が少し古いかもしれません」と言い、目の前で、犬と茶坊主に食べさせた。 犬も茶坊主も激しく苦しみ、死んだので、 驪姫(りき)は「これは太子が毒を盛ったのでしょう。 こんなことでは、わたしたち母子も不安で仕方がない、他国に避難したら良いので…
司馬遷は、人間を怨念によって動く者としてとらえた。 周王十代の王が、暴虐であった。 臣下たちはクーデターを起こし、王は逃亡し、大臣たちだけで政治を行って、年号を「共和」とした。 周の十二代の王は愛人の褒姒(ほうじ)を溺愛した。 褒姒(ほうじ)を笑わせるために諸侯を非常呼集して、慌てて駆けつける諸侯を見て、褒姒(ほうじ)が笑うのを喜んだ。 王は異民族に殺された。 覇とは、武力による制圧を言い、王とは良き統治による統治によるという発想が生まれた。 「書経」に(天子は)兆民これに頼る とあり、 「詩経」に(諸侯には)万民これに従う とある。
ヘンドリック・ハメル朝鮮幽囚記は朝鮮に漂流したオランダ人による朝鮮についての事情を紹介する報告書である。 「彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられてはいません。したがってある人が取引でだまされた場合、その取引を破棄することができるという習慣があります。(p52)」 と書いてあるのだが、なんと現代の韓国の麗水にはハメル灯台があり、ハメル記念展示館がある。 そしてこの報告書の原本が展示してある。 韓国人はこの本になんと書いてあるか知らずに歴史的知韓派のはじまりだとすっ…
米国も日本もディープステートがあると思っている人が多い。 なぜそういう発想になる人が米国、日本に多いかというと、端的に言えば、米国と日本の映画・文学には、商人富豪が相互に争うという発想がないからだ。 実際には人間というのは、商人富豪はその家族内部でも、他家との間においてもつねに争いが絶えない。 それは元以前の古代から元末期までのモンゴルの同族争い、明の王族争い、清の内部抗争が延々と続いたことと類推されることでこの人間の性質は永遠と言ってよい。 統一的で長期に続く組織的意思などというものは人間世界にはないのである。
源経基が源の最初 清和天皇→貞順親王→源経基→満仲→大和・河内に分かれる。→頼信 平忠常の乱 追討使に平直方と中原成通が選ばれるが、彼らが失敗したことから、河内源氏が台頭する契機が生まれる。 降伏させることに成功した頼信と頼義親子。 頼信までは度量大きかったが頼義を含め、後はどんどん性格が傲慢・乱暴になっていった。 平直方の娘と頼義が婚姻。 平直方は鎌倉に屋敷を持っていた。 直方は貞盛の玄孫。 ※忠常はもともと貞盛の父、国香の弟の孫。 この鎌倉の屋敷を源頼義にあげたことから、源家の拠点が鎌倉になった。 この鎌倉にいた頼義は前九年合戦でさらに名を上げることになる。 (名を上げるために東北の安部氏…
俵藤太=秀郷 何代か後、 ↓ 藤原経清つねきよ 奥州藤原氏 初代藤原清衡 基衡 秀衡 義経をかばう 泰衡 義経討伐の命を受ける の時、滅亡 蝦夷えみし出自の 出羽の清原氏・陸奥の阿部氏が並立。 多賀城が出羽・陸奥を管理。 そこへ、藤原経清つねきよが多賀城に赴任してくる。 朝廷に収める役職。 藤原経清つねきよは阿部氏の娘と結婚。 阿部貞任は藤原経清つねきよの妻の兄 阿部貞任が多賀城に攻め込んだことから、戦乱が始まる。 藤原経清つねきよ(陸奥の守ではなく、多賀城の役人)は最初は朝廷側につくが、途中で阿部氏側につく。 源頼義は息子頼家を連れ、阿部氏を滅ぼす計略を立てて、阿部氏を挑発。 清原氏には金品…
「安心・安全」「ウエルビーィング」という言葉の流行の意味するもの
菅(すが)を典型とする政治家はじめ行政官、企業広報担当者がスパイ防止法も国軍も核抑止力もない日本において「安心・安全」と平気で言う心理的背景。 世間一般の人間が、総じて安定した所得、安定した家族生活、楽しい消費生活、職業生活への満足に浸り、人生に自足して暮らしているという深く強い実感。 「安定した所得、安定した家族生活、楽しい消費生活、職業生活への満足に浸り、人生に自足して暮らしている」そうした大衆からの満足と支持を得るには、後は「安心と安全」の保証に尽力しているのだと思わせることが、政治家の地位、行政官の立場、企業広報担当者の立場を維持する条件だと考えている。 そしてこれは現状に自足する怠惰…
一騎当千の女武者、巴御前は、源義仲の妾とも側室とも云われる。 源平盛衰記によると巴の父は中原兼遠かねとお。 巴は当て字であり、正しい漢字は不明であり、本当の名も不明。 平家物語では「便女」(召使の女)とされた。 平家物語木曾の最期の冒頭にともえが登場する。 ともえと山吹という二人の召使の女を伴っていた源義仲。 山吹のみ、病気のため、京に残る。 ともえは「色白で黒髪長く、容顔まことにすぐれた美女」であり、同時に「大鎧を着て、大太刀を持って、馬上からの弓術もうまく、馬から降りて太刀さばきもすぐれた一人当千の女武者」だというふうに描写された。 敗勢の仲、鬼神のごとき戦いをしてなおも生き残るともえに、…
源頼朝と北条らの決起 以仁王令旨の後、以仁王と後白河上皇側の源頼政が宇治平等院の戦で平氏に敗死する。 続いて頼朝は 信頼を寄せていた土肥実平、岡崎義実、天野遠景、工藤茂光、加藤景廉、佐々木盛綱らをひとりずつ呼び寄せ、それぞれにおまえを一番信頼し頼りにしているのだと伝え、彼らの奮起を促す。 こうして最初に起こした戦が、 三島大社の祭礼の日 、伊豆国の目代であった山木兼隆への襲撃 であった。 頼朝は伊豆を出て土肥実平の所領であった相模国土肥郷(現在の神奈川県湯河原町)まで移動。そこで頼りにしていた三浦一族の到着を待った。 続いて石橋山の戦いがあり、ここで頼朝勢は敗走する。 平氏の大庭景親が3000…
西村賢太氏を「破滅型」と評するべきではない。 西村氏は中卒で家出して以後、職を転々として、劣悪な職業環境、人間関係において辛酸を嘗めた。特に17歳から29歳までの間、それはひどいものだった。 この時期を題材にした小説を書いたころの西村賢太氏の現実の生活は、むしろ篤実なまでに貯蓄に努め、貯蓄を田中英光や藤沢清造の関連書籍の購入にあてたり、藤沢清造の供養のための旅費にあてたりするなどする暮らしであり、「破滅型」でもなんでもない。 17歳から29歳ころまでの劣悪な職環境と劣悪な人間関係、そしてそうした状況に時に押しつぶされて醜態を繰り返した時期を題材にしたことが「破滅的」に見えるだけなのである。 そ…
地方議会議員、首長、政治家、企業役員まで、いつのまにか「安心・安全」とやたらに云うようになった。 しかし、日本は国防軍がない。核抑止力がない。 スパイ防止法がない。 「安心・安全」などありようもないのである。 だから、「安心・安全」を期するなど云うべきものではない。 また「分断はいけない」というも同様。 左翼は「政府を倒そう」と云い、「分断はいけない」というべきでなく、保守は「政府を倒して共産主義・アナキズム・売国に向かう左翼」に対抗するべきなのだが、この責務を直視しないのが、「安心・安全」「分断はダメ論」なのだ。
韓国が日本よりも発展できない理由は、大きく差が出た時代の契機は、徳川時代の大名制度だろう。 これで日本は各藩の独立した自助発展・自助努力の余地ができた。 朝鮮半島にはこれがなかったのが、日朝に大きな差が出た。 藩が独自に産業を興す、独自に藩校を作る、独自に欧米に留学させる。どくじに欧米情報を入手する。藩相互に産業競争をする。これが朝鮮になかった。 そして、むしろ日本との交流がない時代は発展は停滞し、日本との交流が強まればつよまるほど、日本に学び、また日本を通して、欧米の文化を吸収することが可能になった。 これはチャイナにとっても言えることだ。
平正盛が白河上皇に土地を寄進して取りいっていた。 そうしたところへ、源義親の素行不良が目立ち始めた。 朝廷は父の源義家に討伐を命じたが、義家は老齢で動けなかった。 平正盛が義親を殺し、朝廷の評判が高くなった。 白河上皇の後押しが強くなり、正盛は但馬守になった。 息子の忠盛も海賊退治をして正盛、忠盛親子は評価が高く なり、鳥羽上皇に武士として初めて忠盛が、朝廷に入っ た。 こうして武士貴族の家に清盛が生まれた。 白河上皇に仕えていた女性が忠盛の妻になり、清盛が生ま れた。 清盛30歳の時、祇園社という神社で清盛は争乱になり、 祇園社の神輿を射貫いた。 神官と争いになる。 神罰が下らないのかという…
人間の多様性とは、数学に没頭する者もいれば、スポーツ、旅、昆虫に没頭する者もいるという事であって、弱者・被侮蔑者が堂々と容認されるようになるという意味ではない。自由の擁護は格差を伴うのである。 何者にも干渉しないことが「寛容」なので、「融和・友愛・擁護」は「寛容」とは別物である。
結果平等を目指すルソー以来の左翼思想(北一輝の純正社会主義もそれ)は「反自由」に帰着する。 なぜなら、結果平等を達成するには、権力によって、遺伝・脂質・努力好き・趣味嗜好・親から与えられる恩恵などを剥奪することなしに、実現することは不可能だからである。
1970年8月14日付ソウル新聞に「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓日二つの国の女性は全部で20万人。そのうち、韓国女性は5万人から7万人」(慰安婦とは書いておらず、工場動員のつもりだったのか、慰安婦のつもりだったのか、それ自体が不明)という記事があるのを金英達が発見。 その3年後に、千田夏光が「従軍慰安婦」声なき女8万人の告発」「従軍慰安婦正編」を発表。 千田は「挺身隊の名のもとに集められたのである。総計20万人が集められたうち、慰安婦にされたのは、5万人ないし、7万人」とあるから、千田は挺身隊20万人が別個にあり、慰安婦は5万人から7万人だという認識を持っていたことがわか…
日本の共産主義者の祖と言ってもいい河上肇は、大英帝国のロイド・ジョージを称賛してやまなかった。 苦学力行、不撓不屈であり、」貧困庶民の味方であった所以を河上肇は「貧乏物語」の中で縷々説明している。 しかし、奇妙なことにわれわれは気づく。 日本に左翼は、なぜ、韓国、北朝鮮、中国の中に苦学力行、不撓不屈にして、道義的な政治家をただのひとりも紹介できないのか。
貧乏の存在とその痛苦は、個人の側の克己と工夫、そして国富。この二つながらそろわなければ達成できぬ事柄である。 河上肇は、この個人の側の克己、工夫、勉励をまったく無視する論を主張していた。 国家による給食を奨励するなら、ギャンブルを禁止すべきであろう。 特に貧乏人のギャンブルを禁止するように仕向けるべきであろう。 河上は親に働け、働いて子供に十分食べさせろとは言わず、子供への食事給与を奨励する。それもよかろう、失業なり、低所得の親の子にとって、給食は子供の救いだろう。 ならば、低所得なのに、ギャンブルをしてさらに窮境に陥り、痛苦を味わう人間を救うために、ギャンブル、特に街中のギャンブルを禁じては…
現代日本左翼の元祖にあたる京都大学の河上肇(マルクス本訳者で日本共産党員)は、「富者は自動車に乗るな。自動車は救急車のために作れば足りる」 「酒は造るな。酒など造るから、飢える人にコメが回らない」と当時のベストセラー「貧乏物語」に書いた。
皇后陛下のお言葉には「譲位」という文字は何度も使われているが、政府公式文書にはまったく記載されていない。また、菅官房長官は、「担当国務大臣」なのだが、「譲位」ではなく、「退位」という、と明言している。産経新聞は勝手に「譲位」と言う前に、政府の言葉使いを批判するべきである。
近衛文麿の師であり、日本左翼の原点でもある河上肇は、「貧乏物語」で、明確にマンデビルの「蜂の寓話」(私益が公益になる」を否定し、個人主義を否定し、「合同主義」「国家主義」「計画経済」を主張した。「散歩番組」「ナゼそこに日本人」が示すように、個人の自由こそが多様な人生の基礎である。
返信先: @m_urokoさん、@hinatanococoさん 高麗は、半島人が高句麗に新羅時代の歴史的存在に事大してつけられた名前であろう。 フィリピンがスペインのフェリペ2世に由来するように。 もちろん、フィリピンは元来、スペインに征服されただけで、スペインが先祖ではない。同じように、高句麗とは、半島北部を制圧した北方異民族である。
河上肇「貧乏物語」には、貧困根絶について、 「富者の奢侈を廃止すること」 「生産手段を国有化すること」のふたつが挙げられている。 富者の奢侈があればこそ、たとえば航空交通は発達しただろうことを河上肇は考えない。 国有化、すなわち計画経済の矛盾を河上は予測し得なかった。
太宰治は落語全集を読みふけった後、落語の手法を取り入れて繰り返し同じ方法で短編を書いた時期がある。 「走れメロス」の 「ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。「メロス、君はまっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。 中島敦の最後まで緩みのないすべてに意味があり、最後にダメ押しする書き方と違って、このラストは、ちょうど落語の落ちがじつはしばしばとってつけたようなものであって、けっして話の全体を締めくくる「決め手」ではなく…
韓国政府発行「韓日会談白書」40頁 「韓日間の請求権問題に賠償請求を含ませることはできない。」 「請求権は、領土の分離分割にともなう財政上および民事上の請求権である。」 (民事上の請求権とは「預貯金」などのこと) 巨額の資金を供出したのは、「経済協力資金」の意味である。 サンフランシスコ平和条約では、韓国が半島に残した日本人の財産を処分したことを承認した。しかし、北朝鮮に残した日本の財産の処分については、承認していないので、日本から北朝鮮への請求権は残っている。 1995年村山富市参院本会議における発言 「日韓併合条約は当時、法的に有効に締結された。」 ※これに対して韓国は妄言として反発。 な…
姜尚中編「在日一世の記憶」によると、来日前の朝鮮半島庶民は通常、日本人を「倭奴ウェノム」という習わしだった。そして2013年海老蔵主演「利休にたずねよ」では、利休が朝鮮女性に「日本は蛮族」と言う場面がある。 以下は小名木善行「悪逆と非道 李承晩は蛮族の酋長」 「国内に産業らしい産業はなく、国は貧しく国民は飢え、その劣悪な環境から、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する女性だけ。国内では両班と呼ばれる貴族が横暴の限りをつくしていた。ひらたくいったら未開の野蛮国です。」 「平素から人種の平等を唱える日本が、隣にある「未開の蛮族」を押し付けられたのです。欧米のように奴隷支配するなら話…
崔洋一監督の北野武主演「血と骨」は、在日朝鮮人が壮絶な家庭内暴力の末に実の娘を自殺に追い込み、妻妾同居で、妻に地獄の思いをさせ、小さな事業をやれば、従業員の日本人を罵倒していじめ抜く。しまいに全財産を北朝鮮に寄付する。まことにすさまじい在日朝鮮人の陰惨な生活を描いた映画である。
挺隊協創始者の尹 貞玉は1943年に梨花女子専門学校1年生。 1950年、朝鮮戦争中に米国に留学して帰国後、53年梨花女子大英文科講師に就任。この時代にこのような学費が可能だったとすれば、親日のかなり裕福な家の娘だった。尹 貞玉は、嘘をついて「裕福な独立運動家の牧師の娘」と言っている。 尹 貞玉は1945年、始めて慰安婦が存在した事に気付き、二年前、17歳だった時に「看護婦になりなさい」と奨められたことが、慰安婦にさせられそうだったのだと思ったと妄想を語っている。極めて裕福な家庭の娘、 貞玉は、この時点で半島に遊郭があることさえ知らない箱入り娘だったと考えられる。 1980年55歳、朝鮮総連の…
ソ連はヤルタ協定の日本に関するルーズベルトとの密約、およびポツダム会議におけるこの密約内容の再確認をしたことを正当化の根拠にして、「連合国に味方した」とソ連国民に説明。(チャーチルはこの密約が米国国民に知らされないままソ連の対日参戦に口実を与えたことから、協定に加わった事を恥じた。が、いずれにしてもそれは、ルースベルトの不祥事であり、当時の英米の国力差からして、ルーズベルトを強引に叱責できる者などだれもできなかった、という意味のことを言っている。) ソ連はヤルタ協定で、ルーズベルトに「ソ連が参戦して米国の将兵の損失を抑えてあげるから、その代わり、千島列島をソ連に「引き渡せ」と要求。だが、スター…
1944年7月 サイパン陥落 東條英機総辞職 小磯国昭内閣 「聖戦完遂」「制空権を奪われる」 1944年7月ホノルル司令部 「ルーズベルト・マッカーサー将軍・ニミッツ提督 フィィリピンを奪回せよとマッカーサーがルーズベルトに3時間説得。 10月10日 ニミッツ、マッカーサーの沖縄周辺諸島攻略開始。 1945年2月6日 マッカ―サー、ほぼマニラを奪還 2月19日、ニミッツ、タラワ・硫黄島。などで激戦。 日本軍になかった火炎放射器。戦車の脆弱性。 同じころ、2月、ヤルタ会談。ルーズベルト・チャーチル・スターリン 当時、英国チャーチルは共産主義国を嫌悪していたが、すでに英国の国力は衰退して、当面の敵…
「広島の原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」について作者の広島大学教授雑賀忠義は「この過ちの主体は広島市民」「広島市民が軍国主義、戦争に加担するという過ちをして、反省し、死者に謝罪したのだ」と明言した。 (日本を経済封鎖した米国ルーズベルト政権が日米戦争の責任者だというパール判事への反論として) この雑賀忠義の考えは間違っている。戦争責任というのは、政府最高決定会議の当事者にあるのであって、その国の国民が開戦責任を死者に反省するなどでたらめもはなはだしい。 どんな戦争も一義的に「政府最高決定権力者」そこに大きな影響力を及ぼした諮問機関の知識人、マスメディアにあり…
昭和12年7月7日 シナ事変 対米英開戦決意は、ドイツがソ連共産主義を危機に陥れた後である。 その後、日本は蒋介石が米英に支援されていることを知りながら、あえて蒋介石をつぶしにかかる。つまり、蒋介石政権との交戦が長期化すればするほど、英米との対立が深刻化することを知りながら、蒋介石政権との対決を深刻化させて行った。 ※産経新聞「正論」元編集長上島嘉朗は「中国大陸の不拡大方針を軍部が無視して戦線拡大に走った」と別冊正論「大東亜戦争―日本の主張」に書くが、事実誤認である。 この時、シナ方面への強硬策を説いたのは、メディアであり、近衛文麿と書記官長風見章は、軍部の中の戦線拡大派と反ソ派の対立のうち、…
許されざる者 1992年 米国 アカデミー賞作品賞受賞作品 この作品の主人公は「登場しない人物」であるという点で非常に特別な脚本である。 わたしはそう見たのだが、意外に、他の鑑賞者の感想文を見ているとその点語られていないので、書き記しておこうと思う。 見巧者の町山智浩なら、言及しているかもしれないと思って確認してみたが、やはり言及してはいなかった。 イングリッシュ・ボブという高名な賞金稼ぎのドキュメンタリーを書くために随いてきた雑誌のフリーライターが、本で読んだがこのイングリッシュ・ボブさんは、英雄的な人だと思っているから、随いてきたんだ、というと、保安官は「それに書いてあることは、嘘だ。なぜ…
1955年までは日本の産業構造は農業水産業中心であったから、実際には農林水産業従事者は、共産主義思想、政府転覆思想を理解する素養自体がなく、同時に「快楽消費に対する渇望」がなく、ある程度村々の中の生活に充足していた。そのため、普通選挙は、むしろ、現状追認の保守政党が政権を取る結果となった。 高度成長に入ると、それはそれで農林水産業から第二次産業に移動した人々には、それなりに希望が生まれ、豊かさへの憧れはアメリカ映画、テレビ、音楽がなによりの証拠として作用して、いかに進歩的知識人がソ連は良い国と述べ立てたとしても、現にソ連の豊かさ、華やかさを証明するソ連映画はなかったから、多くの日本人は米国と協…
日本共産党はソ連と闘ってきたと嘘をつくが、1949年総選挙で日本共産党は4議席から35議席へと躍進。1946年のベストセラーがソ連のスパイとして処刑された朝日新聞記者尾崎秀実の妻との書簡集であったから、この頃、共産党支持者の日本人はソ連に通謀する日本人を英雄視していた。 ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、チェルノブイリ原発事故被災者の苦悩を描き。2000年に「小さき人々」をテーマに対談した作家・徐京植さんと16年ぶりに再会し、未来をいかに生きるか、語る。 こうしてNHKは徐京植をゴリ押し 米国の現代の価値観では、売春はホワイトスレイブ…
朝銀信用組合 略称 朝銀 北朝鮮の国防省に相当する機関として民族保衛部偵察局があった。 韓国に潜入して韓国国内の労働組合、市民団体を北朝鮮支持に誘導する工作を行っていた。 情報工作機関の「党文化部」は、朝鮮総連を担当して「指導」し、また帰国事業の帰還者を教育した。 金日成総合大学卒業のエリートのひとりが、朝鮮総連を指導した。 党文化部の工作員が日本に潜入して、朝鮮総連の幹部家族の素行調査をしていた。 それら調査情報は、スポーツ、文化の代表団に潜り込んだ工作機関員に受け渡された。 万景峰号には、船長室よりもはるかに豪華な「(党)指導船長室」があって、そこで朝鮮総連幹部に対する支持が下された。朝鮮…
広島、長崎の原爆投下、都市部無差別爆撃についての見方 都市部無差別爆撃も原爆投下もほぼ同じ構図でとらえられていると言ってよい。 どんなふうにか。 平成9年3月の本島等元長崎市長が「広島は戦争の加害者」「広島の第五師団は狂暴なる殺人集団」「最重要軍事基地が最大の爆弾攻撃を受けるのは当然」という見解を表明したとき、産経新聞の平成16年9月号「正論」編集部は、これを日本が悪いという自虐史観だというようにとらえていた。 しかし、この本島発言は、「日本が悪く、米国は悪くない。原爆はしかたがない、容認されるべきものである」という意味ではない。 1.悲惨な戦争被害は日本政府が侵略を起こしたたために起きたのだ…
慰安婦の本質 1 行政的扱い 酌婦許可書というものがあり、「酌婦」として「許可手続き」が取られていた。 朝鮮生まれの民間性風俗業者が「警務部保安課の営業係に「稼業婦就業許可手続き」をとることによって、許可されていた。 軍人が「慰安所」と通称するものを「経営者」側は「倶楽部」と呼び、同業組合もあった。 慰安所の実際の呼び名 慰安婦の就業場所は、「倶楽部」「慰安所」たとえば「金泉館」「一富士楼」「勘八倶楽部」「菊水クラブ」などの遊郭の館名があり、経営権の譲渡、売買、借り貸しがあった。 「倶楽部の酌婦」という表現もされた。 料金支払い制の「遊び」以外に個人的に会うことを憲兵は禁じていた。 慰安婦の貯…
二度と過ちを繰り返しませんという広島の犠牲者への誓いを破った日本
500年にわたるヨーロッパのアジア・アフリカ搾取 1840年 アヘン戦争 1860年 東学党起こる(キリスト教に対抗する土俗宗教) 1864年 東学党創始者 処刑 1894年 甲午農民戦争(東学党の幹部が指揮) 日清戦争 創始者の後を継いだ全ボンジュンを井上馨は命を助けようとするが、朝鮮政府が処刑。 1898年 米国、スペインと戦争、フィリピン、グアム、プエルト・リコを奪取 キューバは独立するが、1901年米国の保護国に転落。 ※偶然、同時期にハワイ王国が移民米国人たちに乗っ取られる。 1898年 ハワイ準州として併合 1902年 対ロシア政策として日英同盟 1905年 中華民国国民、米国の移…
500年にわたるヨーロッパのアジア・アフリカ搾取 1840年 アヘン戦争 1860年 東学党起こる(キリスト教に対抗する土俗宗教) 1864年 東学党創始者 処刑 1894年 甲午農民戦争(東学党の幹部が指揮) 日清戦争 創始者の後を継いだ全ボンジュンを井上馨は命を助けようとするが、朝鮮政府が処刑。 1898年 米国、スペインと戦争、フィリピン、グアム、プエルト・リコを奪取 キューバは独立するが、1901年米国の保護国に転落。 ※偶然、同時期にハワイ王国が移民米国人たちに乗っ取られる。 1898年 ハワイ準州として併合 1902年 対ロシア政策として日英同盟 1905年 中華民国国民、米国の移…
石川啄木 東海の小島 愛知県知多半島近辺にある小さい島に啄木が行った 時のものという説 函館の大森浜が「磯」という説 では小島とは函館のことなのだろうか。しかし函館は島ではない。 太平洋に浮かぶ小さなこの日本という島の函館大森浜の磯ということだろうという解釈もある。(北海道のことかもしれない) ※太平洋ではなく、シナ・ロシアのある大陸の東の海と解釈する人もある。まるちゃんという啄木研究ブログ しかし、これはなぜ啄木が大陸から見た北海道という視点を持つのか、不可解 白い砂浜に続く磯を島と見立てたという解釈もある。これだと、小さな島にいるような気分だというわけで、ありうる状況だ。 大森浜から津軽海…
憲法9条は、次のようないくつかのタイプの知識人によって支えられているといってよいだろう。 日本自身の武力放棄が他国の攻撃性を和らげて、武力侵攻を思いとどまらせると本気で信じ込んでいる非常に純真無垢な世間知らずでそれでいて弁護士、医師などになるような知識人である人。あるいは国民に影響力を持つ芸術家、俳優、小説家、音楽家、映画監督、芸能人など。 吉永小百合、お笑い芸人の何人か、村本 日本自身の武力放棄が他国の攻撃性を和らげて、武力侵攻を思いとどまらせるとまでは思わないが、とりあえず中国、北朝鮮、ロシア、韓国などが侵略を決行するほどに悪意のある政府とまでは思えない、あるいはそんな悪い政府であるはずが…
昭和21年3月6日に憲法草案が発表されるとその翌日の社説で、米国人の憲法観では、「国民の憲法」「国民の権利」であるところを、強引に「人民」の総意と言い換えている。 「画期的な平和憲法」 狡知に長けた朝日新聞主筆は、米国および日本政府の資本主義連合が中国、ソ連、共産化した朝鮮と対立した場合にソ連にとって脅威にならないように、武力放棄の憲法をほめあげてみせる。 ソ連は本国を離れて朝鮮、中国に強い影響力を行使しており、日本兵をシベリアに連行していた。すでに資本主義米国、蒋介石中国、中国共産党、ソ連の対立の予感は当然あったにちがいない。 「政府原案の最も重要な特徴は、日本の主権が人民にあることを認め、…
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戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係① 外交論文誌アメラジアン(海軍情報部高官の筆者アンドリュー・ロスは、後に機密漏洩容疑で逮捕される) 『延安の岡野、重慶の鹿地亘は、天皇から直接攻撃を受けている。岡野も言うように、日本国民を教育し、間接的に天皇制を廃止に追い込むべきである。』 この岡野=野坂が、戦後共産党議長になる。 江崎道朗「日本占領と敗戦革命の危機」より要約。
1.樺山紘一 東京大学教授 南京虐殺100万人説紹介者。現代用語の基礎知識1996年に、南京大虐殺の犠牲者数は100万人と記入。 NHK人間大学に出演 2.水島朝穂 早稲田大学教授 水際侵攻阻止のための、浮遊式地雷に反対。 攻撃ではなく、専守防衛でも反対。 赤旗常連。 NHKコメンテーター 北朝鮮狂いの作家小田実まこと 「北朝鮮の人びと」昭和53年2月 潮出版社 263ページ「北朝鮮の生活水準は、中国の二倍だ」 258ページ「息子を後継者とすることに対する他国の無責任な批判」 265ページ「平等、飢えの問題を自分なりのやり方でかなりのところまで解決している社会だった。」 辛淑玉と漫画家の石坂啓…
GHQのソ連スパイハーバート・ノーマンはケンブリッジ大学留学中、共産主義に感化され、インド人学生に共産主義勧誘を行った。NHKはハーバート・ノーマンに関するドキュメンタリーから、ケンブリッジ大学のソ連スパイの件、ノーマンの親友はスペイン内戦に参加して戦死した、件をカットした。 「1984」は、逆ユートピアのディストピア小説だが、荻原浩の「ワンダーランド急行」も興味深いディストピア小説だ。 けったいな宗教が蔓延した社会。AIがSNSに微小に拡散された個人情報をかき集めて、噂話を自動で記述してネットに流すという状況をChatGPTが話題になる前に小説化している。 同じ宣教師の息子でも、ハーバート・…
「小名木 始皇帝」と動画サイトで検索すると、「始皇帝の一族は日本に来ていた」「始皇帝が目指した理想の国家」という動画が出てくる。 冗談ではない。暴虐の始皇帝が日本と関係があってたまるものか。 始皇帝は儒者を生き埋めにして殺し、書物を焚書。 酷法に文句を言うと、一族皆殺しした。 劉邦の言葉は、史記「高祖本紀」に書いてあるので、一般論として伝えられるイメージがわかる。 「この地の(地域の顔役)・長老たちは、秦の過酷な法に苦しめられてきた。法を非難する者は一族皆殺しになった。盛り場で立ち話しているだけでも、処刑された。私は殺人は死刑、傷害犯強盗犯は処罰する。 劉邦の言葉は、史記「高祖本紀」に書いてあ…
参政党顧問の小名木氏は秦の始皇帝が 法治主義、項羽が自由主義、劉邦が人治主義で、以後Chinaは人治主義だという。 中国共産党一党独裁、そして中国人の国民性に低劣な点がある事実はともかく、 以上のような見方は間違いである。 史記列伝に言う、趙 奢(ちょう しゃ)は、 紀元前280年の趙に法意識があったことを示す。 趙 奢(ちょう しゃ)の逸話は、徴税官であった趙 奢(ちょう しゃ)が、税金を払わなかった(恵文王の弟)平原君の配下の者を裁判所に訴え、訴えられた者は死罪になった。 平原君が王族であることを笠に着て、趙 奢(ちょう しゃ)に向かって激怒し、殺そうとすると、 「私は法に則っただけです。…
起源前522年頃、楚の太子、建は、父に追われて鄭国に亡命した。鄭国は歓待したが、建は、晋に行った。 晋王は「建よ、鄭国はおまえを信用している。おまえはもう一度鄭国に行き、鄭国の政策に関与して、わが晋と呼応して動け。晋が鄭国に攻め入れば、鄭国は滅びる。」と言い、建は、鄭国に戻る 建と晋の策謀は、太子建の従者の密告によって、鄭国の知るところとなり、殺害されてしまう。 この時、建についていた伍 子胥ご ししょが、逃亡して呉に行き、将軍となり、呉王を補佐して、楚を敗北させ、父の仇敵である平王の墓を暴いて死体を鞭で打つことによって、復讐を遂げる。 伍 子胥ご ししょが太子の建と楚を逃亡した理由は、父が楚…
司馬遷は管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)を人間像を比べる形で記述した。 管仲(かん ちゅう)は知恵者で浪費家、晏 嬰(あん えい)は人格者で倹約家と評価した。 しかし、この列伝の魅力は、管仲(かん ちゅう)の友人関係にある。 管仲(かん ちゅう)と晏 嬰(あん えい)が友人だったというのではなく、 管仲(かん ちゅう)には鮑叔という友人がいた。 この鮑叔との友情が生き生きとしている。 「昔、鮑叔と一緒に商売をして、利益を分ける際に私が余分に取ったが、鮑叔は私を欲張りだと非難しなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、彼の名を成さしめようとして、かえって彼を窮地に陥れる結果となっ…
暴虐の王、晋の霊公から亡命した義人趙 盾(ちょうとん)は、亡命後に、従兄弟が、霊公を殺害したので、戻ってきて、晋を再び支える。 この趙 盾(ちょうとん)の子が趙朔 ちょうさく。 王は代替わりして景公。景公の次が成公。 趙朔 (ちょうさく)は、晋の景公の姉と婚姻する。 ※その前に夏姫のこと。 起源前580年頃、斉国にとんでもない妖艶の美女、王妃「夏姫」がいた。王とも家老とも関係して、王が「太子は家老の顔に似ているな」と争いが起き、王は暗殺される。夏姫は楚の荘王が暗殺した家老を成敗、荘王が側室にしようとすると、側近が「道義に反するからダメです」 次に子反という側近が「私が側室にしたいので、私にくだ…
紀元前600年、晋の霊公。 重耳が艱難の末、秦の援助を受けて晋の王「文公」になったのだが、高齢のため、在位は9年だった。 文公の跡継ぎ、襄公も即位7年で夭折。 ここで跡継ぎをどうしようかという話になった。 太子の夷皋が幼いので、正卿趙盾は晋国の覇権を維持するために、当時、秦にいて盛名が高かった晋王族の雍を呼び戻して晋公とすることにした。 狐射姑は、陳にいた公子楽を晋公にしようとするが、趙盾は刺客を放って公子楽を殺してしまう。 狐射姑は亡命する。趙盾は反対派の動向を恐れるようになり、考えを変える。 夷皋の母もまた泣き叫んで晋の大夫たちを説得して回ったこともあって、夷皋を晋公に立てることに決定した…
現在の中国共産党の漢民族のある程度の幸福を実現したのは、日米あってのこと。その決定的な理由。 北京の地、即ちChinaの皇帝の名前は、北条時宗の時代から、代々、 クビライ→チンキム→テムル→カイシャン→アユㇽバルワダ→シデバラ→イェストゴン・テムルであり、トゴン・テムル死亡時は1370年。 足利尊氏の三男が死んだころ。北条時宗から足利尊氏の頃までChinaはモンゴル人が統治していた。 時代はとんで、徳川家光のころからは、Chinaの覇者は、 姓はアイシンギョロ・フリン→ヒョワンイェイ→インジェン→フンリ→ヨンヤン→ミンニン →イジュ→ヅァイシュン→ヅァイティアン→プーイー 日本は大正時代。 長…
むしろ中国共産党政権・北朝鮮がなくならない限り、続く。 中国、北朝鮮があるからこそ、日米韓国に共産主義思想が絶えない。日米韓には金日成主義研究会があり、中国による南京大虐殺プロパガンダを受け入れるグループがあり、米国ポリコレ派・日本共産党・新左翼・立民は「日本は加害者」と信じ込んでいる。
レーニンはロシアの製造業生産力が未発達だったため、フォード車、トラクター組み立て工場の建設プラント、アメリカ製医薬品を輸入する必要があった。 ロシア革命当時19歳で、1924年にコロンビア大学医学部を卒業した青年の父親はアメリカの共産主義者だったので、レーニンの知人だった。青年はレーニンに会いに行き、私が、アメリカ製品をあなた方ソ連に売りますから、と話をつけ、ソ連ばかりか東側共産圏諸国とカナダ・アメリカ製品貿易を独占的に引き受け、莫大な利益を受けた。 化学製品の処理を行っていたオキシデンタル・ペトロリアムを、「1945年以後に」「経営権」を握り、イラン・リビアの石油開発に乗り出し、大富豪になる…
重耳の父、献公の26年、斉の桓公は、覇者の地位にあり、諸侯を大招集する。 周の官名で太宰たいさいは大臣のことだった。 太宰治はこの太宰をペンネームにしたのかもしれない。 周の太宰、孔氏は、晋の献公に「斉の桓公は傲慢な人物だから、あなたは行く必要がないのではないか」「それにあなたは十分、軍事力を持っている」 献公は病気でもあったので、これさいわい、納得して帰国した。 斉の桓公は、この件で献公に反感を持ち、晋から逃亡した重耳を厚遇することになる。 献公の病気は悪化し、驪姫の子の奚斉を新たに太子に立てられ、荀息(じゅんそく)将軍が太子奚斉の太傅(たいふ)に任命された。太傅(たいふ)とは太子の教育係 …
【唇歯輔車】しんしほしゃ 春秋左氏伝 僖公きこう五年 「唇と歯」「頬骨と下顎」のように、お互いが助け合うことによって成り立つ関係 唇亡歯寒 こちらは春秋左氏伝 哀公8年 「唇くちびる亡ほろびて歯は寒さむし」 史記 唇亡則歯寒 献公の代 史記によると、献公の代、北方遊牧民族狄出身の娘を母として重耳が生まれた。 異母兄の申生は、寵姫である驪姫 りきの謀略により、自決した。 驪姫 りきは自分の息子を後継にするため、他の子どもを追放しようとした。 ・異母弟の夷吾(後の恵公)などもいた。 重耳43歳は、趙衰とともに、母の出自の北方民族の地にいったん逃亡する。 赤狄族の姉妹と重耳、趙衰は婚姻する。 五年後…
驪姫(りき)は、晋の献公の寵姫であった。 最初、側室となったことに怯えていたが、だんだん増長。 ついに、太子を罠にかけて自死に追い込んだ。 「太子さま、殿様はあなたの母上の夢を見ましたよ。 母上の御霊をお祭りしてあげなさい」 と言い、太子が母をお祭りして供物の肉をあげ、その肉を献公に差し上げるためにとっておいたところ、驪姫(りき)が肉に毒を混ぜさせ、献公に、「肉が少し古いかもしれません」と言い、目の前で、犬と茶坊主に食べさせた。 犬も茶坊主も激しく苦しみ、死んだので、 驪姫(りき)は「これは太子が毒を盛ったのでしょう。 こんなことでは、わたしたち母子も不安で仕方がない、他国に避難したら良いので…
司馬遷は、人間を怨念によって動く者としてとらえた。 周王十代の王が、暴虐であった。 臣下たちはクーデターを起こし、王は逃亡し、大臣たちだけで政治を行って、年号を「共和」とした。 周の十二代の王は愛人の褒姒(ほうじ)を溺愛した。 褒姒(ほうじ)を笑わせるために諸侯を非常呼集して、慌てて駆けつける諸侯を見て、褒姒(ほうじ)が笑うのを喜んだ。 王は異民族に殺された。 覇とは、武力による制圧を言い、王とは良き統治による統治によるという発想が生まれた。 「書経」に(天子は)兆民これに頼る とあり、 「詩経」に(諸侯には)万民これに従う とある。
ヘンドリック・ハメル朝鮮幽囚記は朝鮮に漂流したオランダ人による朝鮮についての事情を紹介する報告書である。 「彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられてはいません。したがってある人が取引でだまされた場合、その取引を破棄することができるという習慣があります。(p52)」 と書いてあるのだが、なんと現代の韓国の麗水にはハメル灯台があり、ハメル記念展示館がある。 そしてこの報告書の原本が展示してある。 韓国人はこの本になんと書いてあるか知らずに歴史的知韓派のはじまりだとすっ…
米国も日本もディープステートがあると思っている人が多い。 なぜそういう発想になる人が米国、日本に多いかというと、端的に言えば、米国と日本の映画・文学には、商人富豪が相互に争うという発想がないからだ。 実際には人間というのは、商人富豪はその家族内部でも、他家との間においてもつねに争いが絶えない。 それは元以前の古代から元末期までのモンゴルの同族争い、明の王族争い、清の内部抗争が延々と続いたことと類推されることでこの人間の性質は永遠と言ってよい。 統一的で長期に続く組織的意思などというものは人間世界にはないのである。
源経基が源の最初 清和天皇→貞順親王→源経基→満仲→大和・河内に分かれる。→頼信 平忠常の乱 追討使に平直方と中原成通が選ばれるが、彼らが失敗したことから、河内源氏が台頭する契機が生まれる。 降伏させることに成功した頼信と頼義親子。 頼信までは度量大きかったが頼義を含め、後はどんどん性格が傲慢・乱暴になっていった。 平直方の娘と頼義が婚姻。 平直方は鎌倉に屋敷を持っていた。 直方は貞盛の玄孫。 ※忠常はもともと貞盛の父、国香の弟の孫。 この鎌倉の屋敷を源頼義にあげたことから、源家の拠点が鎌倉になった。 この鎌倉にいた頼義は前九年合戦でさらに名を上げることになる。 (名を上げるために東北の安部氏…
俵藤太=秀郷 何代か後、 ↓ 藤原経清つねきよ 奥州藤原氏 初代藤原清衡 基衡 秀衡 義経をかばう 泰衡 義経討伐の命を受ける の時、滅亡 蝦夷えみし出自の 出羽の清原氏・陸奥の阿部氏が並立。 多賀城が出羽・陸奥を管理。 そこへ、藤原経清つねきよが多賀城に赴任してくる。 朝廷に収める役職。 藤原経清つねきよは阿部氏の娘と結婚。 阿部貞任は藤原経清つねきよの妻の兄 阿部貞任が多賀城に攻め込んだことから、戦乱が始まる。 藤原経清つねきよ(陸奥の守ではなく、多賀城の役人)は最初は朝廷側につくが、途中で阿部氏側につく。 源頼義は息子頼家を連れ、阿部氏を滅ぼす計略を立てて、阿部氏を挑発。 清原氏には金品…
戦時中日本共産党と米国国務省・米海軍情報部(KGB工作員)の関係① 外交論文誌アメラジアン(海軍情報部高官の筆者アンドリュー・ロスは、後に機密漏洩容疑で逮捕される) 『延安の岡野、重慶の鹿地亘は、天皇から直接攻撃を受けている。岡野も言うように、日本国民を教育し、間接的に天皇制を廃止に追い込むべきである。』 この岡野=野坂が、戦後共産党議長になる。 江崎道朗「日本占領と敗戦革命の危機」より要約。
1.樺山紘一 東京大学教授 南京虐殺100万人説紹介者。現代用語の基礎知識1996年に、南京大虐殺の犠牲者数は100万人と記入。 NHK人間大学に出演 2.水島朝穂 早稲田大学教授 水際侵攻阻止のための、浮遊式地雷に反対。 攻撃ではなく、専守防衛でも反対。 赤旗常連。 NHKコメンテーター 北朝鮮狂いの作家小田実まこと 「北朝鮮の人びと」昭和53年2月 潮出版社 263ページ「北朝鮮の生活水準は、中国の二倍だ」 258ページ「息子を後継者とすることに対する他国の無責任な批判」 265ページ「平等、飢えの問題を自分なりのやり方でかなりのところまで解決している社会だった。」 辛淑玉と漫画家の石坂啓…
GHQのソ連スパイハーバート・ノーマンはケンブリッジ大学留学中、共産主義に感化され、インド人学生に共産主義勧誘を行った。NHKはハーバート・ノーマンに関するドキュメンタリーから、ケンブリッジ大学のソ連スパイの件、ノーマンの親友はスペイン内戦に参加して戦死した、件をカットした。 「1984」は、逆ユートピアのディストピア小説だが、荻原浩の「ワンダーランド急行」も興味深いディストピア小説だ。 けったいな宗教が蔓延した社会。AIがSNSに微小に拡散された個人情報をかき集めて、噂話を自動で記述してネットに流すという状況をChatGPTが話題になる前に小説化している。 同じ宣教師の息子でも、ハーバート・…