副住職の唯真です。今回は、江戸時代に越後国高田・新井を舞台に展開していった「願生寺事件」、及びそれに関連して当山にくだされた「閉門処分」についてみていきたいと思います。まず最初に、「願生寺事件」の概略について記述させて頂きます。「願生寺事件」とは、およそ
副住職の唯真です。昨日(5月19日水)、高田公園内にある小林古径記念美術館にて開催中の「柴田長俊展」に足を運びました。人が持つ祈り、信仰であったり、また生まれ故郷である上越市の風景をテーマに描かれた作品群(絵画・ステンドグラス)を見させて頂きました。多様な赤
副住職の唯真です。5月25日の土曜日、能登半島地震に関連して「文化財ドクター派遣事業」および「文化財レスキュー事業」の実地踏査を兼ねた研修会・説明会を当山で開いて頂きました。当山の状態も見て頂き、【本堂:やや傾斜あり。基礎一部損壊。壁一部損壊】【鐘楼堂:被害
副住職の唯真です。お寺の寺報、「赤門だより」の2024年春号を発行いたしました。(クリック/タップで拡大されます)合掌
副住職の唯真です。今回はお寺に残されている記録から、明治期の当山の様子を振り返って想像してみたいと思います。当山には、新潟県中頸城郡役所(役所は高田に設置)に対する「売薬営業」の出願届と廃業届の写しとみられる文書が残されています。取り扱う薬は「金龍丹」と
副住職の唯真です。住職が疑問に思ったことがあり、こちらでもお尋ねいたします!宗派の案内している保険会社に加入しており、そちらから能登半島地震における、当山本堂の震災に関する保険のお話が本日ありました。(申請自体は1月。混んでるらしく5月に連絡がきました。こ
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副住職の唯真です。今回は、江戸時代に越後国高田・新井を舞台に展開していった「願生寺事件」、及びそれに関連して当山にくだされた「閉門処分」についてみていきたいと思います。まず最初に、「願生寺事件」の概略について記述させて頂きます。「願生寺事件」とは、およそ
南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏」に南無、つまり「おまかせ」しますという意味で、自身の信仰の表白です。南無という漢字自体に意味はなく、こちらは古いインドの言葉であるサンスクリット語の「ナモ」を音写したものです。阿弥陀仏はサンスクリット語で「アミターバ」、「アミ
”誰とも分かり合えない/誰かに必要とされることも知らない… /要らない私だったんだ”(トゲナシトゲアリ-『運命に賭けたい論理』)一、はじめにユイゼンくんは京都に住んでいる男の子。五人家族の末っ子です。家族構成は、ユイゼンくんと、お父さんのゼンネンさんに
副住職の唯真です。オカルト・サブカルを中心とした月刊雑誌、『ムー』の今月号(2024年9月号/No.526)に当山や御先祖唯善に関する記事があり、(『裏拍手の呪術』79p.)、私たちに関することなので情報をお伝えさせて頂きたく記事をまとめさせて頂きます。(2024年8月12日
”世界中の記憶がいつか砂のように消えてしまっても/空と海と風と君がそこにあれば”(アビドス高等学校対策委員会/「青春のアーカイブ」)副住職の唯真です。今回は、ときたま見かける「唯円、唯善異母兄説」についてみていきたく存じます。この説は、親鸞聖人直弟の唯円
副住職の唯真です。常敬寺寺報『赤門だより』の2024年夏号を発行いたしました。ぜひお読みくださいませ。(クリック/タップで拡大)合掌
副住職の唯真です。本日(2024.7.17)『玉井力三展』に足を運びました。学習雑誌(『小学◯年生』等)の表紙絵を手がけた柿崎出身の作者のカンヴァス原画や洋画が展示されておりました!表紙絵はもちろん、ふるさとの朝市や米山の風景、農作業、雪国の生活を描いた自然体な作
”誰とも分かり合えない/誰かに必要とされることも知らない… /要らない私だったんだ”(トゲナシトゲアリ-『運命に賭けたい論理』)・2024/7/12公開一、はじめにユイゼンくんは京都に住んでいる男の子。五人家族の末っ子です。家族構成は、ユイゼンくんと、お父さん
ユイゼンくんは京都に住んでいる男の子。五人家族の末っ子です。家族構成は、ユイゼンくんと、お父さんのゼンネンさんにお母さんのカクシンさん。そして異父兄のカクエさんと、異父姉のコウギョクさんです。カクエさんはお兄ちゃんですが、年齢は29歳も離れています。ユイゼ
いつも誰かについての、作者についての、作品についての、他人の思想についての論文、研究、本、さらには大げさな書評、無益で凡庸な解説、こういうものはどんなに見事なものだとしても、それで事態が変わるわけではない。他人を語って才気を見せるより、ぶざまでも自分につ
私(副住職)の母、釋尼美妙にお寺のこと、昔の思い出のことを綴ってもらいました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「お花見の思い出」(小学校編)高田公園は全国的にも有名な桜の名所。そこへお花見弁当を持って家族で出掛ける、なんて事は全くなく、誰か大人の引率のも
副住職の唯真です。昨日(5月19日水)、高田公園内にある小林古径記念美術館にて開催中の「柴田長俊展」に足を運びました。人が持つ祈り、信仰であったり、また生まれ故郷である上越市の風景をテーマに描かれた作品群(絵画・ステンドグラス)を見させて頂きました。多様な赤
副住職の唯真です。5月25日の土曜日、能登半島地震に関連して「文化財ドクター派遣事業」および「文化財レスキュー事業」の実地踏査を兼ねた研修会・説明会を当山で開いて頂きました。当山の状態も見て頂き、【本堂:やや傾斜あり。基礎一部損壊。壁一部損壊】【鐘楼堂:被害
副住職の唯真です。お寺の寺報、「赤門だより」の2024年春号を発行いたしました。(クリック/タップで拡大されます)合掌
副住職の唯真です。今回はお寺に残されている記録から、明治期の当山の様子を振り返って想像してみたいと思います。当山には、新潟県中頸城郡役所(役所は高田に設置)に対する「売薬営業」の出願届と廃業届の写しとみられる文書が残されています。取り扱う薬は「金龍丹」と
副住職の唯真です。住職が疑問に思ったことがあり、こちらでもお尋ねいたします!宗派の案内している保険会社に加入しており、そちらから能登半島地震における、当山本堂の震災に関する保険のお話が本日ありました。(申請自体は1月。混んでるらしく5月に連絡がきました。こ
副住職の唯真です。能登半島地震で破損した当山の御本尊を、修復のため本日搬出して頂きました。形としての仏さまはしばらくの間お寺に不在となりまますが、お参り等々の受付は問題ありません。歴史ガイドをご希望の方はお電話にてご予約して頂ければ日程を調整のうえ対応さ
副住職の唯真です。2024年度の御朱印頒布のお知らせです。今年度の御朱印対応は、2024年4月5日より開始させて頂きます。【受付時間】午前11時~午後4時まで(毎日)無人の「書置き」での頒布になります。【設置場所】本堂右隣の庫裏正面玄関前に御朱印を入れた箱を設
「懐かしい高田の味」釋尼美妙小学生の時のおやつは何だったかと思い返してみると、家にある駄菓子の他に自分で作れるオレンジ色の粉のジュースや、ソーダ水の粉があって、水を入れてかき回すだけの物や、プリンの粉やゼリーの粉があり、鍋に入れてかき回して沸騰させてから
2024年3月7日に不審者の訪問がありました。(165~170センチほど、男、67歳)しきりに「67歳で高田高校にいた者はいるか」と聞いておりました。同級生で、ということですが当山には該当する人物はおりません。名前も名のらず、どうしてそう聞いているのか(たとえば会いたい
副住職の唯真です。当山は江戸期にお稲荷さん(稲荷神)とご縁がありました。そうしたお寺の歴史を伝承し、親しんでもらう方法の一つとしてこのたびイラスト御朱印としてかたちにしてみました。イラストは一枚一枚おまかせで描いているため固定のデザインはありません。【常
・常敬寺副住職の唯真です。今回は、福井県鯖江市にあります「簾阿弥陀堂」(すだれのあみだどう)についてまとめてみたいと思います。実はこの簾阿弥陀堂は当山、常敬寺と非常に関係があるお堂なのです。その由来について私の母がよく覚えておりましたので、ここに紹介させ
副住職の唯真です。【創建740年記念御朱印 唯善上人と照雲さま】当山常敬寺は来年で創建から740年目を迎えます。その記念として中戸山始祖である唯善上人御朱印を作りました。漫画つき、フルカラー両面デザインとなります。(書置きのみ)唯善上人と娘の照雲さまを描きまし
副住職の唯真です。当山の寺院調査特務班、班長の権藤中尉より報告書の動画が届きました。合掌
副住職の唯真です。連日酷暑が続き、まいってしまいますね。親が子供の頃は、夏になると給水車が町内を回っていたそうです。当山の山門(赤門)の前にも止まって、よく祖母(富美子)が水をもらいにいったそうです。これが一時的な渇水だったのか、ダムの整備等が間に合って
副住職の唯真です。このたび連載していた「常敬寺奇譚」が書籍化する運びとなりました。お寺の伝承や昔話、お参りの際のガイド、副読本として楽しんで読んで頂ければ嬉しいと思っております。詳細等、またお知らせさせて頂ければと思います。合掌
副住職の唯真です。宮越光昭氏の御著書、『このまちで出会った人びと』北越出版(二〇一八)に戦後直後(一九四五)の高田の様子が書かれており、ふと、ページをめくる指が止まりました。「終戦まもなく、九月には進駐軍がきた。山砲隊のあったところがその兵舎にあった。今
「まぼろし」の片原まんじゅう釋尼美妙(ひで)おばあちゃんは、前橋市から越後にお嫁に来た。(前橋市妙安寺)自分の故郷は懐かしいし、大好きだったから、レンゲの花の種を蒔いてみたり(高田の風土にあわず、一シーズンで全滅)、実家のお嫁さんに我がままを言って、アレ
副住職の唯真です。夏季の御朱印「唯善上人summer」のお知らせです。夏のモチーフたちで当山を開いた唯善上人の「唯」の字をあらわしました。楽しんで眺めて頂ければ嬉しいです。【頒布期間2023.7.19〜2023.8.31】【頒布時間:毎日11時~14時、本堂横の庫裏正面玄関に御朱印
「いづも屋デパートの思い出」釋尼美妙今のアートホテルのある場所に昔、「いづも屋」という地元のデパートがあった。エスカレーターは二、三階までしかなく、屋上までは階段で行くしかなかったように思う。最上階にレストランがあり、妹たちと一緒によく父にごちそうしても
「赤い手帳~一文店の思い出」釋尼美妙私が小学生の頃、おばあちゃん達が「一文店」(いちもんみせ)と呼んでいた子供相手の駄菓子屋さんが近所に三軒ほどあった。そういったお店は、大人向けのお菓子屋さんだったり、雑貨屋さんだったり、塩屋さんというのも兼ねていた。そ
副住職の唯真です。今回はお寺がある上越市高田の名前の遍歴について考えてみたいと思います。高田は、松平忠輝公により高田城が築かれたことをきっかけに高田藩の中心都市、城下町として発展しました。福嶋城(福島城)からの移転に伴ってたくさんの人が移り住んだ「城下町
「トウモロコシとたぬき」釋尼美妙きれいにトウモロコシの粒がなくなった芯が、ある日境内の駐車場に落ちていた。次の日も、次の日も……。誰かのいたずらかと思った住職はスマホで写真を撮り、近くの交番へ相談に行った。「これは人間の食べた物ではありませんね。タヌキで
副住職の唯真です。母が描いた水墨画をサコッシュにしてみました!綺麗に印刷にでて良かったです。プレゼントさせて頂きました。合掌
「歴史の趣~カザマスキーが結んだご縁」釋尼美妙カザマスキーという地元のスキー板の会社があった頃、新製品を開発する為、東ヨーロッパのスロベニアという国から技術者を呼び、その通訳を妹がすることになった。休日に観光案内をしてほしいと云うので、高田城と公園内を案
「思い出の仏前結婚式」釋尼美妙檀家さんの仏前結婚式は本堂で何回か執り行われたが、外国のかたというのは最初で最後だった。オーストラリアから来たウェンディとケムロンというカップルが近所に住んでいた。本町の英語学校で二人共講師をしていた。境内のしだれ桜や、椿や
「ついてくるオオカミ」釋尼美妙私が幼稚園の頃だろうか。「稲荷のおじさん」(註:稲荷は名字)と呼んでいる父(闡正住職)の弟に、柿崎の黒岩という所にある父の実家のお寺に連れていってもらった。大変に山深い所で、当時は車道が整備されていなかったのではないだろうか
副住職の唯真です。上越市高田寺町に生まれ育ち(公表済)、創作活動を続ける児童文学作家の杉みき子先生。寺町に関する随筆も多く書かれ、当山のことも「通称『赤門』の名のとおり、赤い山門が歴史を語る常敬寺」杉みき子・伊丹末雄『雪の高田物語-城下町の散策』国書発行会
副住職の唯真です。親鸞聖人坐像をあしらった名刺型略縁起カードを作ってみました!参拝記念として、ご希望の方お声がけください。略縁起カードも種類が増えてきました。ポップな感じでお参りして頂ければ嬉しいです。合掌
副住職の唯真です。明治~昭和初期の当山第二十三世住職、厳善さんは本堂の修復事業に取り組んだり、お寺の縁起をまとめたり、お寺周辺の絵地図を描いて記録したり、地域のお寺と活発に交流したりと、現代でも私たち寺族に語り継がれる虎嘯風生のご先祖さまです。活躍の場は