ヨハネの福音書 44 16章12節~33節 耐える力がない12節でイエス様は、「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたが…
『創世記』 07 10章1節~11章9節 各言語が生じる10章に入って、1節からその章の最後の32節までは、ノアの三人の息子それぞれの系図が記され…
『創世記』 06 6章1節~9章29節 肉に過ぎない6章に入って、1節から2節には、「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子…
『創世記』 05 3章20節~5章32節 皮の衣20節にはエバという名前が、21節には、アダムという名前が初めて登場する。エバは、新改訳聖書の下の…
『創世記』 04 3章1節~19節 蛇の誘導3章に入って、これからこの蛇が、善悪の知識の木の実を食べるように女を誘導するのであるが、既存のキリスト…
『創世記』 03 2章2節~25節 第一日目から第七日目ということ2章1節には、「こうして、天と地とすべての万象が完成された」とある。このように、…
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ヨハネの福音書 44 16章12節~33節 耐える力がない12節でイエス様は、「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたが…
ヨハネの福音書 43 16章1節~11節 神様を知らない民16章に入り、1節でイエス様は、「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまず…
ヨハネの福音書 41 14章27節~15章8節 イエス様が与えられる平安前回の最後の部分で述べられていたように、ペンテコステ以降、信じる者に聖霊が下…
ヨハネの福音書 40 14章13節~26節 栄光のため13節でイエス様は、「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをし…
ヨハネの福音書 39 13章33節~14章12節 今は行くことができない33節でイエス様は、「子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたとい…
ヨハネの福音書 38 13章18節~32節 エゴー エイミー前回から、イエス様のメッセージが続いている。今回の冒頭の18節は、再びイスカリオテ・ユダ…
ヨハネの福音書 37 13章1節~17節 愛を示される13章になり、場面は変わって、夕食の場面となる。1節に、「さて、過越の祭りの前に、この世を去っ…
ヨハネの福音書 36 12章44節~50節 大声で言われた前回の箇所で、イエス様は真理の御言葉を語って後、立ち去られたとあったが、今回の箇所では再び…
ヨハネの福音書 35 12章27節~43節 何が先であるか27節でイエス様は、「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお…
ヨハネの福音書 34 12章12節~26節 エルサレム入城前回は、イエス様がベタニヤに来られた箇所までを見た。そしてその翌日、人々はイエス様がエルサ…
ヨハネの福音書 33 11章45節~12章11節 ラザロのよみがえりの波紋ラザロが墓からよみがえった、という驚くべき奇跡によって、多くの人々が、イエ…
相対的なこの世では、主観と客観が相対する。そのため、この世においては、何でも主観的に行動することはできない。自分はこう思うから、自分の立場ではこうだから、など…
ヨハネの福音書 32 11章41節~44節 墓の前での祈り前回は、ラザロが納められている墓の前に、マルタとイエス様が来られたところまで見た。そして、…
ヨハネの福音書 31 10章40節~11章40節 ベタニヤへ前回見た最後の箇所で、イエス様は、捕らえようとするユダヤ人から逃れられたとあった。そして…
ヨハネの福音書 30 10章33節~39節 『詩篇』82篇前回の最後の箇所で、「わたしと父とは一つです」(30節)というイエス様の御言葉を聞いた…
ヨハネの福音書 29 10章22節~32節 信じないユダヤ人まず22節に、「そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった」とある。「宮きよめの…
ヨハネの福音書 28 10章11節~21節 良い牧者と雇い人前回では、イエス様はご自身を、羊の囲いの門にたとえておられたが、今回の箇所では、良い…
私には、わからないことが一つある。たぶん、これは死ぬまでわからないままであろう。それは以下のようなことである。もし私が、イエス様を信じて救われた時、今のような…
ヨハネの福音書 27 9章8節~10章10節 人々の動揺前回見たように、イエス様は生まれつきの盲人の目を癒されたが、このことにより、周囲のユダヤ…
ヨハネの福音書 26 8章48節~9章7節 腹を立てるユダヤ人たち前回の箇所で、イエス様がユダヤ人たちに対して、あなたがたは悪魔から出ているとか…
ヨハネの福音書 19 7章1節~18節 ガリラヤでの活動7章に入り、1節には、「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちが…
ヨハネの福音書 18 6章52節~71節 肉を食べ血を飲む前回は、イエス様が、「わたしは、天から下って来た生けるパンです」(51節)とおっしゃっ…
1+1の答えは、数字であることは大前提となっている。けっして、桜だのバラだの山だの川だのということが答えに来ないことは最初からわかっている。なぜそれがわかるか…
ヨハネの福音書 17 6章36節~51節 父がお与えになる者36節でイエス様は、「しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたし…
私は2019年に、「絶対的な神様と相対的なこの世」ということに目が開かれて、福音書も再び深く解き明かせるようになった。そして、パウロの言葉も、この絶対的、相対…
私は、27歳の時にイエス様を信じ救われたが、その時は韓国に留学中であった。生活しているアパートの近くに丘があって、素朴な散歩コースのような道があり、夜にもかか…
ヨハネの福音書 16 6章16節~35節 祈るために前回は「五つのパンと二匹の魚の奇跡」と、その奇跡を体験した人々がイエス様を王としようとしたの…
神様というと、長い髭を生やし、白い衣を着て、杖を持って、雲の上にいる仙人のようなイメージがまずある。もちろんこれはかなり幼稚なイメージだが、手軽にイラストなど…
ヨハネの福音書 15 6章1節~15節 ガリラヤ湖の向こう岸1節から2節には、「その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸に…
「鰯の頭も信心から」という諺があります。どちらかと言えば、信心している人をからかった意味で使われる場合が多いと思われますが、必ずしもそうではなく、良い意味にも…
こだわりというものがありますが、それが趣味とかなんかの「軽いこだわり」「自分でも自分だけのこだわりだとわかっているようなもの」などというものなら、害はありませ…
神様は正しいお方、という言葉はよく聞く。確かにその通りだが、その神様の「正しい」ということは、「正しくない」ということに相対していないことを知らねばならない。…
ヨハネの福音書 14 5章40節~47節 イエス様のもとに前回は、イエス様を証言する方について、①バプテスマのヨハネ、②イエス様のわざ、③父なる…
私は都内で生まれ育ったのだが、ある日、近くの公園の砂場で遊んでいた時のことだった。砂場で遊ぶくらいだから、たぶん幼稚園くらいの年齢だったろう。砂を掘っていると…
『大般泥洹経(だいはつないおんきょう・涅槃経の一種)』には、「良き男子よ。過去において無量のさまざまな罪、あらゆる悪業(あくごう)を犯したための罪報(ざいほう…
人物崇拝をしてはなりません。今いる人間でも、過去にいた人間でも、人間である限り、あの方は神様だ仏様だ、と崇拝してはいけません。それは正しい宗教ではありません。…
ヨハネの福音書 13 5章31節~39節 イエス様を証言する方ここまで、イエス様はご自身が、父なる神様のみこころを行なわれていることを語られてき…
このブログに私は何度も記しているが、私は27歳の時にイエス様を信じて救われたが、それはあくまでも恵みであって、一方的に与えられた救いである。救われたならば、何…
キリスト教や仏教でも、あまりにも容易に、あいつは地獄に堕ちる、などと言い過ぎる。普段は、神様は愛です、とか、慈悲の仏様とか言いながら、ちょっとでも自分たちと意…
雲の切れ間から、地面に向かって照らされている太陽の光線が、まるで梯子のように見える時がよくあるが、あれを「天使の梯子」と言われることもよく知られている。これは…