この猛暑のなか、すっかり生活パターンが固定してしまっている。午前中は、自宅で読書、ネット。そして、クーラー代節約もあって午後は図書館で読書。単調ではあるが、これはこれで比較的快適な生活を過ごすことが出来ている。しかし、これでいいのか・・という焦燥感も感じ
60歳で定年、その後4年程再雇用で働きましたが無念の中途退職。40年間働いてきた独居老人が仕事を辞めるとどういう境遇、心境になるのか等を中心に語りたいと思います。生活の基本は読書なので、忘備的にその簡単な感想も書いていきたいと思います。
(寒くなって裏庭ネコちゃんがなかなか遊びに来ない。久しぶりに姿を見せたカメちゃん。)3年ものの定期預金の満期が来た。今の預入先は店舗型銀行(M信託銀行)なので、今度満期が来る優遇金利よりはかなり劣る金利しか見込めないだろう・・と思っていた矢先に「担当者」か
原題は「かわいいファディット」。私がドイツ系作曲家(バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ブルックナーなど)以外の天才と認める数少ない作曲家ショパンの愛人として知られるジョルジュ・サンド。いったいどんな小説を書いたのであろうか。これが意外とポカポカする暖か
高血圧/3週間ぶりに医者にかかったのだが、思いもかけぬ展開に
(博多座で「第三十回博多をどり」を鑑賞する)「第1次自然療法」のかいもなく、とうとう観念し高血圧治療のために医者にかかって3週間が過ぎた。医者から処方された降圧剤を飲んで気分が悪くなり、5日で降圧剤を飲むのをやめた。そして「薬に頼らない」、「第2次自然療
12月15日にやっと初めての年金が振り込まれた。若い時は年金などもらえるなど思いもよらなかったものである。仕事や人間関係に深刻な悩みを抱え、どこかで早期リタイアし、世界を放浪し、お金が尽きたところで行き倒れ・・みたい捨て鉢の将来像を思い描いていた時期があ
「二都」とは、もちろんロンドンとパリのことである。ドーバー海峡をはさんだこの二つの国の首都で、フランス革命真っただ中に繰り広げられる生と死をかけたドラマが繰り広げられる。私は、もともとフランス革命には特別な興味があって、これまでさまざまな歴史書を読んだの
11月末の水・木で甘木(福岡)を小旅行した。そのときも、実は体調が悪かったのだが、その翌日の出勤日の金曜日は異常ともいえる体調の悪さだった。体が怠かっただけではない。へたすれば失神するのではないかと思われるほどの体調悪化だった。そこで翌日土曜日、ある実験
コロナ禍以前の定年前現役時代は、少なくとも年2回以上のペースで海外旅行へ行っていた。定年後のコロナ渦中では、京都や奈良などに少なくとも年1回は3~4泊程度の旅をしたものだ。それが・・これが老化ということか・・旅へ行く気力、それ以前に旅の計画を練る元気を次第
この小説の原題は「Great Expectations」である。これはむしろ「大いなる期待」とも訳すべき言葉で、そして、この物語から感じるとる意味合いは「大いなる幻影」とも言うべきものである。この小説に登場する多くの人物が「大いなる幻影」を抱いている。我らが主人公、ピップ
ここ1、2か月の高血圧の「自然治癒」がほとんど効果がなかったことが判明したことは前に書いたもう命を守るためには、医者、クスリに頼るしかない・・そう観念し近所の循環器・内科に見てもらうことにした。私が内科系の病院に行くのは、30年ぶりぐらいではなかろうか?
「ブログリーダー」を活用して、HOUKOUさんをフォローしませんか?
この猛暑のなか、すっかり生活パターンが固定してしまっている。午前中は、自宅で読書、ネット。そして、クーラー代節約もあって午後は図書館で読書。単調ではあるが、これはこれで比較的快適な生活を過ごすことが出来ている。しかし、これでいいのか・・という焦燥感も感じ
60歳の定年に当たって、再雇用で働くかどうか選択を迫られたとき、それに応じるかどうか随分迷ったものだ。ただでさえ早期リタイア願望が強かったこの私が「まさか定年後も働くの?」という思いであった。しかし定年数ヶ月前に再雇用の希望調査があったとき考えた・・。退
スーパーの商品棚からコメが消えた。あるところにはあったらしいが、私の行きつけのスーパー3~4店舗にはいつ行ってもコメが消えていた。最近はやっと新米が出回り始めたが、なぜか買い物客は全然見向きもしていない。それもそのはず、昨年と比べれば何十パーセントも値上
私が「投資」や「資産運用」に対してとても懐疑的であることは、過去の記事で書いてきたことである。ところで、私がそういうバクチじみたものに一切関わったことはない・・わけではない。30歳代後半、若気の至りとしか言いようがないのだが、このケチで堅実なサラリーマン
私が早期リタイアを諦めて、更には60歳の定年後もモラトリアム的に再雇用として4年間働き続けたのには、いろいろ理由があったが、その最大のものは「リタイア後の闇」に対する恐怖感であった・・ということは、このブログでも度々書いてきたことだ。仕事あってこその「(疑似
実質リタイアして3ヶ月が経過した。この間、心境が何回かコロコロ変化したように思う。それが、3ヶ月が経って、ようやく少しは「落ち着きどころ」みたいなものにたどり着いたようように思う。第1の変化は、「こんな生活を続けていいのか」「何かするべきことがあるのでは
ここ福岡では連日35度を越す猛暑日が続いている。家にいたら冷房の電気代が気になってしょうがない(私はケチなのだ)ので、午後は大抵の場合、近くの地域図書館へ涼みに行っている。ところで自転車で図書館に行く途中、何箇所かどこかで工事をしていて、そこには当然のこ
私は「投資」、「資産運用」は、ほとんどバクチにほかならないこと(個人の感想です)は、度々このブログで触れてきた。そういう思いに至った理由の一つが「投資のプロ」に対する疑念だ。「投資のプロ」と言うからには、何らかの「投資で勝つメソッド」を持っているはずであ
私の現在のポートフォリオのほとんどは、円定期預金である。株(日本、中国)、投資信託、外貨預金なども持っていないことはないのだが、おそらく比率としては十数%ぐらいにしか過ぎない。(私はここしばらく資産チェクをしていないので正確には知らない。「株価チェック」
実質リタイア生活を始めて3か月が過ぎようとしている。「リタイア後の闇」で危惧していた内の一つが「孤独感」「孤立感」に陥りはしまいかという不安であった。しかしこれに関しては、(あくまでも今のところではあるが)どうやら杞憂に過ぎなかったようだ。現時点では、あま
リタイアした人たちの多くが、職場の庇護から離れた時に健康保険をどうするかを悩むと思う。扶養者がいる場合は一般的に任意継続が有利だという。さて、天涯孤独の独居老人の私には、「任意継続」「国民健康保険」のどちらが有利だろうか?任意継続の場合、その保険料の計算
郵便受けに、おそらくここ2か月分と思われる上下水道の料金票が入っていた。ふだんあまり気にしないのだが、何気にみてみると、これまでより請求金額が増えているような気もする。4月に驚天動地の人事異動があって、その新しい職場には1ケ月しか出勤しなくなり、とっとと退
驚天動地の異動命令が下され、実質1か月のその勤務の後、5月から有給などを使い、実質無職の生活を過ごしている。そして、そのサラリーマン在職最終日(6月30日)を迎えた。60歳の定年後、再雇用になり底辺クラスの職位だったので、「お偉いさん」がそう感じるかもしれな
人の価値観というのは多様であり、その人が仕事や職場環境に対してどのような思いをして仕事をしているのか、あるいはどの程度辛い思いをしているのか。あるいは、その人が仕事を辞めた後、どのような将来展望を持っているのか・・そういうことは他人には正確には把握できな
私が「早期リタイア」ということを意識し始めた時・・それは30代だったと思う。当時、FIRE(経済的自立、早期リタイア)という言葉はまだなかった。ただ、「これぐらいの資産を形成できれば、リタイアして<自由な>生き方ができるのではないか?」ということは、当然意識
私が自転車(ノンアシスト)を買ったのは、今から6年ぐらい前の事だろうか。確か、定年2年前(58歳ごろ)、早期リタイアが現実のものとなりつつある中で、行動範囲を広げようと思ったのだ。私は自動車も持っているが、めったに運転しない。強度といってもいい恐怖症のせ
年金だけでは賄いきれなくて、預金を取り崩さざるを得ない経済状況・・。しかしこれは、遺産を残すべき肉親が誰もいない〇〇人の私にとって、むしろ「棺桶に札束を詰めて一緒に燃やしてしまう愚」を避けることができる、いい切っ掛けになるのではなかろうか。私の潜在意識に
前編からの続き。②「毎日が日曜」で、1日が長く感じられるのではないか?<想像>あれほど熱中していた読書にもその内に飽きがきて、テレビやネットを見てもくだらないものだらけで嫌気がさし、散歩しても時計の針はなかなか動かず、「早く時間がたってくれ」という、うん
6月まで私は在職扱いなのであるが、有給休暇を使えばもう仕事する義務は全くない。実際、最後の勤務日(5月2日)以降、6月に最後の半日職場に顔を出した以外は、全く出勤していないし、実質リタイア生活に入って1か月半ほどが過ぎてしまった。リタイア後はとても「ハッ
定年後再雇用の最後の1年、まさかの驚愕の人事異動。その精神的動揺、そしておそらくその影響もあったはずの体調不良。5月、6月の両月で出勤したのは、わずか2日間。(いずれも午前中だけ)それ以外は、ほとんど家に籠り、「寝たきり老人」状態であった。外出と言えば、
職場の定期健康診断で、血圧が大雑把に言えば許容値を+40オーバーしたことは前に書いた。私の「健康法」といえば、これまでの人生で、せいぜい「飲みすぎない、食べすぎないようにしよう」という程度のものであった。64年の人生で、入院するほどの病気にかかったことが
普通のサラリーマンであれば、大抵年に1度は職場健康診断を受けているものだろう。私もこの時期毎年健康診断を受け、そして毎度のことながら、その血液検査で3つぐらいの数値が上限値オーバーに引っかかってしまう。中性脂肪を除けば、その3つぐらいの項目がほんの少しその
フランス革命に少しでも興味を持っている人であれば、サンソンという名を不気味な印象とともに思い出すであろう。またの名を「ムッシュ=ド=パリ」(ミスター・パリ)。フランス革命の激動期を含め、6代にもわたり世襲で最高技能執行者(要するに死刑執行人)を継いできた
これまで何十回となく3日坊主を繰り返してきた楽器演奏(の真似事)・・フルートとピアノ。それが、ピアノについては少なくともここ10年以内では最高記録である数週間以上も続いている。もしそのワケがあるとすれば、ピアノの蓋を開けて最初に弾く曲にあるかもしれない。
私は58歳の時に、早期退職希望届を出したことは何回かこのブログで書いてきた。結局見苦しくも、それを土壇場で撤回したことも含めて。その時に、実は試みたことがある。それは大げさに言えば「社交的人間への変身」である。私みたいな独身者にとって、世間とのお付き合い
クッツェー(2003年ノーベル文学賞受賞)の作品を読むのは『恥辱』、『鉄の時代』に続いて、これで3作目である。『鉄の時代』は不治の病におかされた老婆が次世代に語り掛けるメッセージ性の強い作品であった。この『遅い男』の主人公ポールは老境に差し掛かった現役引
60歳で定年を迎え、その後短時間再任用として働き、3年半が過ぎようとしている。再任用の半ば約束された雇用期間は5年。つまり残りあと19か月ほど。いろいろと紆余曲折があったが、私もいよいよ完全リタイア=隠居生活にはいるのだ。しかし我ながら不思議に思うのは、
前年度、松屋の株主優待券をギリギリで何とか使い切って、その有効期限(毎年6月末)ま近に駆け込んだ松屋で、思いもかけず季節限定のウナギを食べられたことは以前書いた。おそらく夏の季節いっぱいは松屋のウナギは食べられるだろう・・それまで少なくとも2回は食べるつ
オーストリアの作家ゼーターラーには、以前読んだ小説『ある一生』でとても感銘を受けた。ニューヨーク、パリ、ロンドンなどの大都会を舞台にした小説では味わえない、素朴な人々を素朴な筆致で描いたその作品にとても懐かしいものを憶えたものだ。この『野原』は、その作品
私の家には、生まれたての子猫の額ほどの小さな裏庭がある。家を建てて30年以上が経過したが、ほんの数年前までは倉庫を置いていただけで、何の活用もしていなかった。当然雑草は生え放題。春になるとドクダミ畑。(笑)ところで2年度ほど前に、立て続けに3回に行った京
私の職場は定年後、希望すれば65歳の年度末までは、ほぼ再雇用が保証されている。もうすぐ64歳になる私の場合、その残りは1年と7か月ほど。定年後、ズルズルと半ば惰性でここまで(3年半ほど)働いてきたのだ。(約3年半前、再雇用先で初出勤したことを祝う)それ以
ほとんど短編小説だけを書き続けてノーベル文学賞を受賞した作家というのは少ないのではないか。カナダ人作家アリス・マンローはその数少ない例と思われる。(2013年ノーベル文学賞受賞)この本には8編の短編が収められているやはり圧巻なのは、本のタイトルでもある『
山登りは、昔の私の趣味の一つであった。今は足腰に自信がなく、登山靴をはかなくなってもう何年経ったことだろう。登山と言っても、さほど本格的なものでもなく、せいぜい九州内の標高2000mもない山である。そんな「低山徘徊」主義の私であるが、中国では有名な山、絶
64歳の誕生日まであとわずか。最近目に見えて、食事の量が減ったように思う。それは、いくつかの現象として実際に現れている。1)毎日の炊飯量数カ月前までは、毎日1.4号のご飯を炊いていた。(一人暮らし老人である)夜にタイマーをセットして朝7時ぐらいに炊き上が
とても簡潔な文章、そしてとても分かりやすい筋立てである。それには理由があって、この小説は作者の母(アルメニアからの移住者で英語が得意でない)に読んでもらうために書かれたものなのだ。しばらく現代文学を読んでいて、ずいぶん読むのに骨を折った小説にも出くわした
(バイエル程度で弾ける小曲集をいったい何冊買ったことか・・。)コロナ後ずっと続いていた、耐えられないほどの倦怠感の原因が、おそらく酒の飲みすぎが原因ではないのか。そう考え、その後節酒に心がけるようになったことは以前書いた。おかげで体調が目に見えて回復した
コロナに感染し、足の痛みに襲われ大変な思いをしたことは以前書いた。そして、それが収まったかと思えたその後、とてつもない「倦怠感」「疲労感」に襲われたことも書いた。カウントナインで立ち上がったフラフラのボクサーみたいに、朝ベッドから立ち上がり、鉛のように重
物語の出だしは極めて普通の家庭の情景である。メキシコと国境を接するアメリカ・ニューメキシコ州で牧畜を営むビリー一家。両親とビリー、それに弟のボイドの4人家族の平和な生活である。ところが、最近付近の牧場に狼が出没し、牛が襲われる事件が発生する。狼はメキシコか
私はほとんど音楽は聴かない。音楽が嫌いなわけではない。それどころか、音楽は私の人生でもっとも感動を与え続けている命の泉みたいなものだ。例えばベートーベンのいくつかの音楽以上に人生で感動を覚えたことはない。どんな小説よりも、どんな造形美術よりも、どんな風光
私は「投資は博打に他ならない」、「投資で儲けようというのは虫が良すぎる」という考えかたであることは、このブログで再三述べてきたことだ。それでも私は若干の投資的リスク性資産を保有している。その主な理由は、インカムゲインを得ることと、インフレ、為替変動に対す