世界の科学者100人の業績や面白いエピソードをイラスト付きで紹介しています。
ウイーンの病理解剖研究所の助手を務めていたラントシュタイナーは、英国研究者の「別々の肺炎患者の血球と血清を混ぜていた際に凝集があった」との報告を知り、肺炎診断に役立つのではと思い、研究所の同僚らの協力を得て追試してみた。ところが健康人同士でも凝集反応は起こるので肺炎診断には使えないが、混ぜ合わせる相手によって凝集反応が起きたり、起きなかったりすることに気づいた、調べた22人が3グループに分類できることが分かり、それをA型、B型、C型として1901年に論文発表した。その後ドイツの2人の研究者が当時混乱していた血液型理論を整理し、1910年に4グループの血液型を「A型」「B型」と「AB型」、さらに「C型」を変更して「O型」と呼ぶことを提唱した。この呼称は1928年の国際連盟の血清標準委員会で正式に採用され、国際的にも使われることになった。こうしたABO式血液型による輸血の安全性の向上と医学の進歩への貢献により、ラントシュタイナーは1930年のノーベル医学生理学賞を受賞した。
古代ギリシアの3哲人の一人アリストテレスは、師プラトンから学問を学び、マケドニア国のアレクサンドロス大王の少年期の家庭教師を務めた。その後自らの学校で多くの弟子たちを育てた。彼は人間の本質は「知を愛すること」(フィロソフィア)と考え、自然に対しても「現象を観察し、原因を考えること」を学問姿勢とした。
ボーア,ニールス(1885~1962年、理論物理学、デンマーク) 高度約420㎞に浮かぶ国際宇宙ステーション(ISS)
植物好きの牧野富太郎は、小学校中退ながらも東京大学理学部の助手から講師となり、博士号も取得した。94歳の生涯で採集した植物の標本は40万点、日本の1500種以上の植物に学名を付けて「日本の植物学の父」と称される。ところが富太郎は根っからの金銭感覚ゼロの人で、その陰には貧乏生活に耐えて13人の子供たちを育てた妻、寿衛子さんの支えがあった。
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