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  • 乙女椿

    中学校裏門乙女椿かなツバキ科の常緑高木。ツバキの園芸品種。2~3月頃、葉腋に桃色の重弁花をつける。庭木として普通に栽培される。歩いていると、中学校の裏門に乙女椿が沢山の花をつけていた。中学校にふさわしい花と思った。川堤乙女椿に癒されぬ乙女椿

  • 黄水仙

    夕暮の畑に農夫や黄水仙ヒガンバナ科の多年草。南ヨーロッパ原産。日本には江戸時代末期に渡来し、観賞用に栽培された。三~四月頃、葉の間から伸びた茎の頂に黄色の六弁花をつける。黄色の花は中央に盃型の副花冠をもつ。香りが高いものもある。夕暮れになっても畑に農夫が働いていた。その畑の隅に黄水仙が咲いていた。毛筆の手紙に俳画黄水仙黄水仙

  • 彼岸桜

    川沿いひを歩けば彼岸桜かな桜の中でも開花が早く、彼岸の頃、他の桜に先駆けて咲くのでこの名がある。花は小さく、一重の淡紅色。全国的に観賞用に植えられているが、本州中部から西の方に多い。大木にはならず、小高木のとどまる。数日ぶりに川沿いを歩くと、今日は彼岸桜が咲いていた。小さい花ながらも美しかった。彼岸桜に足を止めたる翁かな彼岸桜

  • 彼岸

    郊外の天空広き彼岸かな春分の日を中日とする前後三日の七日間をいう。仏教語の「到彼岸」からきていて、凡俗の生死流転の世界(此岸)から悟りの境地、涅槃(彼岸)に到るの意。単に彼岸といえば春の彼岸をさす。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、この頃から春らしい暖かさとなる。郊外の墓地に墓参りに行った。彼岸の青空は限りなく広がっていた。何鳥の鳴くや彼岸の奥つ城に彼岸

  • 春分の日

    春分の日の菜園や人あまた「自然をたたえ生物をいつくしむ」日として「国民の祝日に関する法律」により定められた。二十四節季の一つで、太陽暦の三月二十一日前後に当たる。今年は三月二十日。この日は彼岸の中日にあたり、先祖ををまつり、行楽を兼ねた墓参も行われる。また、この日の太陽は真東から昇り真西に沈む。そして、昼夜の長さがほぼ等しい。今日は春分の日。少し暖かくなり、菜園には多くの人が農仕事を楽しんでいた。遅々としてあり春分の日の夕日春分の日

  • 鶯神楽

    畑隅の鶯神楽夕日浴ぶスイカズラ科の落葉低木。山野に自生する。春、淡紅色の漏斗状で先端が五裂した花を下垂する。鶯が鳴く頃に咲き出すので、この名がある。畑の隅の道側に鶯神楽が咲いていた。花は夕日を浴びていた。城跡の傍の鶯神楽かな鶯神楽

  • 喇叭水仙

    喇叭水仙川沿ひ歩くこと楽しヒガンバナ科の多年草。ヨーロッパ原産。明治末年に渡来。鑑賞用に広く栽培される。花の中央の副冠が発達し、喇叭状をしているのでこの名がある。他の水仙より大型で、花は一茎に一花つけ、花弁と副冠が同色のものと異なるものとがある。花色は黄色が主だが、白、ピンク、クリーム色など新種もある。喇叭水仙が川堤に咲いていた。それを見て川沿いを歩くことが楽しくなった。喇叭水仙アルハンブラへ行きたしと喇叭水仙

  • 椿

    赤き声出してゐるよな椿かなツバキ科の常緑高木。本州以西の全土に自生する。日本に自生していたのは藪椿であり、それをもとに園芸種が多数作られた。春、白や紅の五弁花をつける。楚々とした風情が古来日本人に愛されてきた。紅椿が咲いていた。それは。まるで赤い声を出しているように感じられた。風はまだ温くはあらず白椿椿

  • 辛夷

    散策の老夫婦きて花辛夷モクレン科の落葉高木。日本原産。日本全土に自生する。春、葉に先立って芳香のある白色の六弁花をつける。蕾が赤子の辛夷の形に似ていることからこの名がついたといわれる。だが、蕾よりも実の方が赤子の拳に似ていると思うが、いかがだろうか。一本の辛夷の大木に白い花がびっしりと咲いていた。その近くへ散策の老夫婦がやってきて眺めていた。昼下がり辛夷に薄日差してきぬ辛夷

  • 沈丁花

    句座急ぐ百人町の沈丁花ジンチョウゲ科の常緑低木。中国原産。庭木として植えられる。三~四月頃、赤い小花を球状に集め、開花すると四裂の白い内側を見せる。星型の花弁のように見えるのは萼片。甘く強い香りが特徴。漢名は「瑞香」で、「沈丁花」は和名。沈香と丁字の香りを併せ持つからとも、香りは沈香で花の形は丁字であるからともいわれる。新宿の百人町で句会があり、急いだ。その道に沈丁花が朝日を受けて咲いていた。沈丁の香や霊園の門の辺に沈丁花

  • 春の月

    時折の風音ありぬ春の月古来、秋の月はさやけさを愛で、春の月は朧なるを愛でる。ただ、朧にならなくとも、親しみやすい明るさと艶なる風情がある。窓を開けると明るい春満月が出ていた。だが、時折、天空を渡る夜風の音が聞えた。寝る前のボッケリーニや春月夜春の月

  • 薺の花

    休耕の畑の一角花なづなアブラナ科ナズナ属の二年草。春の七草の一つ。道端、田畑、野原、庭などどこにでも見られる。春、直立した茎の先に白い小さな四弁花を多数つける。果実が倒三角形で三味線のばちに似ているところから三味線草、ぺんぺん草とも呼ばれる。今まで畑だったが、少し休んでいるところがあった。そこがあっという間に薺の花の群落となってしまった。気散じにぺんぺん草を振つてみむ薺の花

  • シクラメン

    薬草園に小さき花屋やシクラメンサクラソウ科の多年草。シリアからギリシアにかけての地域原産。温室鉢物として鑑賞される。ハート形の葉を叢生し、そこから立つ花茎に蝶形の篝火のような花をつける。花色は濃い赤色が多いが、白、桃、赤紫などさまざま。薬草園の一角に小さな花屋がある。そこにシクラメンが沢山売られていた。シクラメン郵便受を見るならひシクラメン

  • 水温む

    水温む鯉の後ろに鯉蹤きて寒さが去り、河川や湖沼の水が温かくなるさまをいう。水草が芽を出し、底に沈んでいた魚が動き出す。生き物が躍動するさまも「水温む」の背後にはある。暖かくなって川の水が温んできた。浅瀬には鯉がゆっくりと泳いでいた。その後ろをほかの鯉が蹤いてきていた。用水を歩む鷺をり水温む水温む

  • 春園

    東京都薬用植物園春園に浮かぶ白雲見て飽かずものの芽の出始める早春から、花々が咲き、緑が濃くなる晩春までの公園や庭園をいう。樹木を植え、石などを配した築山や池などのある日本庭園、噴水や彫刻などを据えた洋風庭園などがある。手入れの行き届いた樹木が芽吹き、花壇の色とりどりの花が人々の目を楽しませる。春の園を訪れ散策した。そこでは、青空に浮かぶ白雲を見ていて飽きなかった。四阿に腰を下ろさむ春の園春園

  • 山茱萸の花

    山茱萸に近づけば躁兆しけりミズキ科の落葉小高木。中国、朝鮮半島原産。早春、葉の出る前の枝先に、黄色の小さな四弁花を球状に集まってつける。和名を春黄金花という。古くから薬用として用いられたが、現在ではその美しさから観賞用に栽培される。久しぶりに東京都薬用植物園を訪れた。何本かの山茱萸が見事に咲いていた。近づいて黄色い花を見上げていると、何となく気分が高揚してきた。晴天の山茱萸の花独り占め山茱萸の花

  • 青麦

    青麦の一直線を愛すなり麦はイネ科の一、二年草。穂の出る前の葉や茎が青々としている麦のことをいう。秋蒔きで発芽し、厳しい寒さに耐えて冬を越した麦は、春に勢いよく若葉を成長させる。畑は緑一色で覆いつくされるが、その明るい彩りは命の萌え出る春を強く印象づける。青麦の畑があった。一直線に続く青麦は気持ちよく、好きである。むさしのの雑木抜くれば麦青む青麦

  • 木の芽晴

    昼月の高々とあり木の芽晴春に木々が芽吹く頃の晴天をいう。木の芽立ちは木の種類、寒暖の違いにより遅速がある。庭や雑木林などの木々が明るい日差しの中に色鮮やかに芽生えるとき、確かな春の伊吹を感じる。昼の半月が高々と昇っていた。空は昨日までと打って変わって、木の芽晴となった。久々に野を歩きけり木の芽晴木の芽晴

  • 春陰

    春陰や温かきもの自販機に春の曇りがちな天候をいう。漢詩に由来する漢語だが、近代以降、季語として使われるようになった。春は明るいイメージがあるが、「春陰」は憂いを帯びた陰りを感じさせる。空はどんよりと曇り、春陰となった。何か温かいものを求め、自動販売機へ向かった。春陰やアンテナに鳥一羽きて春陰

  • 春雨

    止むはずがやまぬ春雨散策す春に降るしっとりとした趣のある雨をいう。『三冊子』は陰暦の正月、二月初めの雨を「春の雨」とし、二月末から三月に小止みなく降り続く雨を「春雨」として区別している。だが、現代ではそこまで厳密には分けられていないようである。雨はもともと暗いものであるが、「春雨」「春の雨」には「春」という季節特有の華やぎが感じられる。天気予報ではもうじき雨が止んで曇りになるはずであった。そこで散策に出たのであるが、なかなか止まず細かい雨に変わっただけであった。畑土の黒々として春の雨春雨

  • 寒戻る

    マイバッグに郵便物や寒戻る立春後、ようやく暖かくなりかけたころにまた寒さが戻ってくることをいう。「冴返る」の傍題で、同じような意味であるが、「寒」を思い出させるほどの寒さが感じられる。再びの寒気によって身が引き締まる思いがする。マイバッグにレターパックなどの郵便物を入れて、郵便局のポストへ歩いて行った。寒が戻り、雨が霙となり、すぐに春の雪となった。気温は四度だが、体感温度は二度であった。寒戻る口一文字に結びゐて寒戻る

  • 春の雪

    喜ぶを慎みゐたり春の雪春になってから降る雪のことをいう。太平洋岸の関東以西では、春先になってから思わぬ雪が降ることが多い。冬の雪と違って解けやすく、多少積もってもすぐに消えてゆく。冬には降らず、春になって初めて雪らしい雪が降った。春の雪を喜びたかったが、豪雪地帯の苦しみを思うとそうもいかなかった。春雪の畑に鴉や茫として春の雪

  • 飾られて遠く見つむるひひなの目三月三日に女児の息災を祈って行われる雛祭のために飾られる人形をいう。その起源は、形代で身体を撫で、穢れを移したものを川に流す上巳の日の祓の行事と、貴族の子女の雛遊びの風習が結びついたものとされる。江戸中期以降、紙雛にかわって内裏雛が多く作られるようになり、豪華な段飾りへと発展した。段飾りの雛人形があった。飾られたその雛の目は、遠くを見つめていた。あどけなき内裏雛なり目礼す雛

  • 春の川

    春の川モーツアルトを奏でをり春になって雨や雪解けで水かさを増した川、田畑の間を縫うように流れる小川など、春の川には様々な表情がある。野川や町を流れる川は、どことなくのんびりとしている。春光を浴びて流れる川は、人にも旅心を誘うものがある。春の川の瀬音が聞えてきた。その軽やかな音は、あたかもモーツァルトの曲を奏でているかのようであった。音もなし学校脇の春の川春の川

  • 菠薐草

    菠薐草覆ひ外せば緑濃しアカザ科の一・二年草。コーカサス原産。菠薐とはペルシャの意味。根元の赤い在来種は江戸時代に渡来し、丸葉で根の白い西洋種は明治時代に渡来した。現在は両者の雑種、改良種が多い。菠薐草の麻婆春雨葉はビタミンCや鉄分を含み、お浸し、和え物、煮物などに広く使われる。畑の菠薐草に白い覆いがなされていたのが外されていた。緑が濃かった。菠薐草の白和え肴とす菠薐草の白和へを菠薐草

  • 春めく

    春めくや犬連れ多き川堤寒さがゆるみ、いかにも春らしくなってきたと感じられる頃をいう。「早春」「春浅し」とも時期がある程度重なるが、もう少し後のより春らしさが増した頃のことと考えた方が妥当であろう。気温が上がり、生きとし生けるものが動き出す感じがある。少し暖かくなり、川堤を歩いていると、犬を連れて散歩する人が多く見られrた。藪中に白きの咲きて春めきぬ春めく

  • 犬ふぐり

    聴きとめぬ犬ふぐりてふ女声ゴマノハグサ科の越年草。普通、ヨーロッパ原産の帰化植物であるオオイヌノフグリをさす。早春、道端や野原に這うように広がって群生し、瑠璃色の花をつける。果実の形が犬の睾丸に似ているところからこの名がある。日のよく当たる丘を歩いていると、「犬ふぐりが咲いている」という女性の声がした。そちらの方へ行ってみると、果たして犬ふぐりが群生していた。屈めるも犬のふぐりを踏むまいぞ犬ふぐり

  • 盆梅

    盆梅に午後の日差しの回りきぬ梅を盆栽仕立てに作ったものをいう。鑑賞用に作るため、正面から見て形のよいように工夫されている。江戸時代から始まったもので、大きさや花の色などは様々。盆梅だけの展示会や品評会などもある。盆梅が一列に展示されていた。午前中は欅の陰になっていたが、午後になって日が回り、盆梅に遍く差していた。盆梅の老木に花多かりき盆梅

  • 月影白梅や丘より青き山見えて甲州最小バラ科サクラ属ウメ亜属の落葉小高木。中国原産。日本には、古代、漢方薬(烏梅(うばい))として伝来した。雪月花早春、香り高い白色の五弁花をつける。花は桜よりやや小ぶりで、八重もある。梅といえば白梅をさす。玉牡丹白梅は清楚な気品があり、桜とともに古くから日本人に愛されてきた花である。一重緑萼丘に白梅が咲いていた。そこからは青い山並みが望まれた。新茶青一休の禅機の話梅真白梅

  • 紅梅(2)

    紅千鳥紅梅や人集まりて姦しく鹿児島紅紅梅も種類が多く、色の濃さも様々である。一重があり、八重咲きのものもある。唐梅(とうばい)紅梅は白梅より咲くのが少し遅いとどの歳時記にも書かれているが、実際には白梅と同時期に咲いている。むしろ、鹿児島紅のように早く咲くものもある。唐梅紅梅には白梅のような気品は感じられないが、あでやかさがあるところが魅力である。八重寒紅紅梅が咲いていた。そこに年配の女性たちが寄ってきて賑やかに話していた。佐橋紅紅梅や夕べはほのと人恋し紅梅(2)

  • 薄紅梅

    枝垂薄紅梅薄紅梅万葉歌碑を傍にして道知辺(みちしるべ)バラ科の落葉小高木。中国原産。紅梅の花の色の薄いものをいう。早春、薄紅色の五弁花をつけ、八重咲きもある。枝垂れもあり、万灯のようで美しい。雛曇薄紅梅は紅梅よりも明るく、気品があるように思われる。枝垂れの薄紅梅が咲いていた。その近くに万葉歌碑があった。呉羽枝垂れ薄紅梅ベンチに本を読むをみな薄紅梅

  • 野梅

    小流れの飛び石渡り野梅かなバラ科サクラ属の落葉高木。中国原産。早春、葉に先立って五弁花を開き、香気が高く、平安時代以降、特に香を愛で、詩歌に詠まれている。野梅は野生の梅、または野に咲く梅をいう。野生化し、白色一重の花をつける野梅は、最も多く分布しており、庭園にも植えられる。八重野梅小流れに大きな飛び石があり、その石を渡って高台へ上って行くと、野梅が咲いていた。遅き昼とせむか野梅を後にして野梅

  • 冴返る

    冴返る空を幾度も仰ぎゐてようやく春めいてきた頃、また寒さが戻ってくることをいう。「余寒」「春寒」と同じだが、「冴える」という言葉からは、寒気を感じさせる色や光が鮮やかとなり、より感覚的な表現になる。再びの寒気により、心身の引き締まるような感覚がよみがえる。寒い風が吹き、冴返る日となった。歩いていても幾度も空を見上げて、雲の状態を確かめた。用水に沿ふ路は土冴返る冴返る

  • 下萌

    下萌や風まだ荒き川堤早春、地中から草の芽が萌え出ることをいう。草萌と同じ意味。早春には、冬枯れの地面のそこここから萌え出た草の芽を見ることができる。雪国では、残雪の下から草の新芽が見えると、春の到来を実感する。川堤に下萌が見られた。だが、風はまだ荒かった。草萌ゆる喉飴口に入れもして下萌

  • 春の入日

    一万歩超しゐて春の入日かな春の日はうららかな明るい太陽、その入日をいう。二月は春といっても依然として寒さが厳しく、日本海側や北日本では豪雪となることもある。太平洋側では晴れることが多いが、春の日らしくなるのは三月に入ってからであろう。春の入日には春の一日への愛惜の気持ちがある。散策で二時間近く歩き、一万歩を超した頃、春の入日となった。春入日坂の上より山見えて春の入日

  • 金縷梅(まんさく)

    シナマンサクまんさくや夕べにも風収まらずマンサク科の落葉小高木。日本各地の山野に自生し、庭木にもする。早春、他の花に先立って花をつける。花は、線形の縮れた黄色い四つの花弁が特徴。金縷梅の名は、早春、他に先駆けて「まず咲く」が訛って「まんさく」に、また、紐状の黄色い四弁花が稲穂を思わせ、「豊年満作」につながるからともいわれる。樹林公園に金縷梅ガ咲いていた。今日は風が強く吹いていたが、夕べになっても収まらず、金縷梅の花びらを揺らしていた。アカバナマンサクまんさくの前ををみなの走りけり金縷梅(まんさく)

  • 魚氷(ひ)に上(のぼ)る

    魚は氷に上りて人は歩くのみ七十二候の一つ、立春の第三候。水が温んで、氷の割れ目から魚が氷の上に躍り出る季節をいう。二月十四日頃から十八日頃までの約五日間に当たる。一説に、魚が氷に沿って川を遡る意味ともいう。魚氷に上る季節となり、少し暖かくなった。そうなると、人は歩くだけである。氷に上る魚や川面は木を映し魚氷(ひ)に上(のぼ)る

  • 紅梅

    紅梅や母を呼ぶ子が橋の上紅色の花をつける梅をいう。白梅のもつ高貴な雰囲気はないが、親しみが感じられる。一般に花期は白梅よりもやや遅いといわれているが、早く咲くものもある。川堤の脇に紅梅が咲いていた。橋の上から子供が、紅梅の近くにいた母親を盛んに呼んでいた。紅梅に母の面影ありにけり紅梅

  • 春の鳥

    翡翠川縁の細枝にをり春の鳥唐椋鳥春に見かける鳥をいう。目白春には種々の鳥が家の近くや野山に姿を見せる。多くの鳥が繁殖期に入ることから活動が活発になる。雉鳩縄張り宣言や恋歌とも聞える囀りをするので賑やかになる。また、羽を換えて美しく装う鳥も多く、飾り羽の生える雄鳥もいる。翡翠川堤を歩いていると、川縁に生えている木の細枝に翡翠が止まっていた。翡翠は夏の鳥となっているが、今は春の鳥として見入った。尉鶲春禽に足止めて我忘れけり春の鳥

  • 早春

    早春やジョギングコース歩く人立春以後、だいたい二月末頃までをいう。春になったとはいえ、まだ冬の名残の寒さが目立つ。「春浅し」に近く、春早々の気配と、また凛とした空気も感じられる季語である。早春の気が漂っていた。そんな中、公園のジョギングコースを歩く人がいた。鷺下りてきぬ早春の用水路早春

  • 朧月

    気がつけば真夜となりけり朧月朧に霞んだ春の月をいう。ヴェールのような薄雲が広がる夜には、月は雲を通して朧に見え、暈がかかることも多い。宵には春満月が綺麗に見えていたが、後で写真を撮ろうと思ってすっかり忘れてしまった。真夜中に気づいて見上げたら、薄雲があっという間に広がり、朧月になってしまった。ファックスは訃報なりしよ月おぼろ朧月

  • 春の日

    春の日や農家に隣る霊園も「春の日」には春の太陽をさす場合と、春の一日をいう場合とがある。俳句で「春の日」と詠むと、そのどちらか明確でない場合があるが、春の日差しは明るくうららかであり、春の一日は永くのどかなものとして詠まれているようである。「春日影」は春の日差しをいう。農家の隣に霊園があった。その園霊園にも春の日が遍く差していた。明日も生きむ春の夕日に向ひゐて春の日

  • 春の雲

    歩いても先ある道や春の雲春は気圧の谷や低気圧が次々と通過するため、雲が発生しやすい。春の雲の代表には、淡い白色のベール状の巻層雲、やや濃い灰色の高層雲があるが、いずれも薄く広がる。また、春らしいふんわりとした綿雲が浮かぶことがある。歩いても歩いてもその先に道がある。歩いてきた空、向かう先の空に春の白雲が浮かんでいた。春の雲没日に染まり始めけり春の雲

  • 春北風(はるきた)

    春北風や鴉十羽の流されて春になっても低気圧の影響により、一時的に西高東低の冬型の気圧配置に戻ることがある。俳句では、この時に吹く北西風を「春北風(はるきた)」と呼ぶ。「ならい」は、東日本の太平洋側、特に関東地方で吹く冬の季節風の呼び名であるが、春先にも吹き、これを「春北風(はるならい)」という。春北風が強く吹いていた。寺の森に棲む鴉たちが、その春北風に流されていた。薄墨の夕べの富士や春ならひ春北風(はるきた)

  • 木の芽(このめ)

    金縷梅の芽半月のすでに上がれる木の芽かな紫木蓮の芽春になって様々な木々の芽が吹くことをいう。木の芽立ちは樹種や寒暖の違いにより時期も色合いも異なる。紫陽花の芽「きのめ」は木の芽和え、木の芽田楽のように特に山椒をさす場合が多い。辛夷の芽歩いていると木の芽が見られた。その上の空にはすでに半月が昇っていた。栃の芽栃の芽や三角屋根の保育園木の芽(このめ)

  • 春寒(はるさむ)

    春寒し公園にきて所在なく立春後の寒さをいう。「余寒」とほぼ同意の季語であるが、「春寒」は春になった気分が強い。さらに早春の景の空間的な広がりが背後に感じられる。公園にやってきた。だが、春になっても寒く、どことなく所在なさを感じた。春寒や夕景すでに定まりて春寒(はるさむ)

  • 春の土

    くつきりと何の足跡春の土寒冷地でも春になると土の凍てがゆるみ、雪が解けて黒々とした土が現れる。雪国や北国の「土恋し」がもとになった比較的新しい季語。雪国でなくとも、暖かな日差しを受けた春の土に、春の訪れを感じる。春の土にくっきりとした足跡が続いていた。何の足跡だろうと思った。山見ゆるところに広し春の土春の土

  • 藪椿

    藪椿下校児通る路地裏にツバキ科の常緑高木。日本の暖地、特に太平洋側の海岸近くの丘陵に自生する。数多くの園芸品種のもととなった品種である。早春、枝先に一個ずつ紅色の五弁花をつける。秋、果実が熟すと、この種子から椿油をとる。路地裏の静かな道に藪椿が咲いていた。その道を下校児たちが帰って行った。大島に行きしは一度藪椿藪椿

  • 春浅し

    春浅し甲斐の山並み確と見え立春以後の春とは名ばかりの頃をいう。春になったものの、春色はまだ整わず、降雪もあり、木々の芽吹きにはまだ間がある頃である。「早春」と似通った季語であるが、「春浅し」は季節の推移を肌で感じる意識がより強いように思われる。春になったばかりで空気はまだ冬のように澄んでいた。そのため、甲斐の山並みがくっきりと見られた。浅春や雑木の道の明るくて春浅し

  • 立春

    立春や猫の過れる川堤節分の翌日にあたり、二十四節季の一つで陽暦二月四日頃。ただし、今年は二月三日。暦の上ではこの日から春になる。実際には寒気はまだ厳しい。だが、そのなかにもかすかな春の兆しが感じられるようになる。立春の川堤を歩いた。すると、猫がその川堤の道を横切って行った。掛け声は野球練習春立ちぬ立春

  • 節分

    節分の雨後の月夜となりにけり四季それぞれの節の変わり目のことで、年に四回あるが、現在は立春の前日のみをいう。陽暦二月三日頃にあたるが、今年は二日。この夜、寺社では邪鬼を追い払い春を迎える追儺が行われる。民間でも豆を撒いたり、門に柊の枝や鰯の頭を挿したりして邪気を祓う風習がある。節分の今日は雨が降ったが、午後には雨も上がり、月夜となった。味噌ヒレカツ恵方巻豆撒の声は聞えず恵方巻節分

  • 冬終る

    川堤歩きに歩き冬終る初冬・仲冬・晩冬が終わることをいう。長かった寒い冬が去っていくという安堵感がある。「春近し」と同じような季語であが、「冬」という一字があるため、冬が終わる方に重点がある。川堤を二時間に渡って歩いた。冬がもう終わるんだという喜びがあった。冬去るや橋の上より鷺眺め冬終る

  • 春近し

    春近し林の中に日の届き春がすぐそこまで来ていることをいう。寒い冬も終わりに近くなり、寒さの緩む日もあり、日の光にも春の気配が漂う。同種の季語に「春待つ」があるが、こちらは主観的で、春を待ちわびる気持ちが強い。林の中に日差しが届いていた。春が近いことが感じられた。犬二匹連るるをみなや春隣春近し

  • 寒梅

    寒梅や女子大生の出入り門寒中に咲く梅をいう。花の少ない時期だけに、寒梅を見ると春が近いことが感じられる。塀の上に寒梅が咲いていた。そこは女子大生が出入りする門の近くであった。寒梅や歩くといふは生くること寒梅

  • 枯桑

    桑枯れて畑の夕日を集めけり冬の枯れ果てた桑をいう。養蚕地の桑畑は、冬になると北風により葉をことごとく落として裸木になる。桑の枯れつくした姿は寒々としている。畑の真ん中に桑の木が枯れていた。枯桑は畑への夕日を集めているようであった。枯桑や養蚕すでになけれども枯桑

  • 寒暮

    若きらの話し声する寒暮かな寒の内の夕方をいう。日が落ちるとともに急に冷え込み、家々の灯がともり、星が瞬き始める。冬の暮と同義だが、言葉の響きがより硬く感じられる。寒暮の道を歩いていると若い人たちとすれ違った。彼らの話し声が聞えた。少年ら寒暮の川に遊びをり寒暮

  • 冬木立

    散策の一歩一歩や冬木立冬に群がって生えている木をいう。立ち並んで葉の落ちた寒々とした冬木の群れである。道沿いに立ち並んだり、ひとかたまりをなした、枝の間に空が透けて見えるような木々の群れをいう。散策は一歩一歩の積み重ね。歩いていると冬木立があった。冬木立は一本一本が凛として生きていた。夕富士の透けて見えけり冬木立冬木立

  • 寒紅梅

    寒紅梅艶めく午後となりにけり寒梅は寒中に咲く梅をいい、寒紅梅は紅色の梅で、多く八重である。花の少ない時期だけに珍重され、庭木のほか盆栽にも仕立てられる。公園に寒紅梅が咲いていた。それを観てから艶っぽい午後となった。夫婦来て寒紅梅を愛でにけり寒紅梅

  • 寒木

    寒木に夕日あたれば仄仄と寒々とした寒中の木のことをいう。落葉樹、常緑樹どちらのこともいうが、いかにも寒木らしいのは、葉をすっかり落とした落葉樹であろう。冬木というより寒木といった方が、より寒さが身に染みる。大きな欅である寒木に夕日があたっていた。それを見て心が温かくなるような気がした。冬木影芝の起伏に曲がりけり寒木

  • 臘梅

    臘梅の青空に黄を濃くしたりロウバイ科の落葉低木。中国原産。一~二月、葉に先立って芳香のある黄色い花を下向きまたは横向きにつける。蝋細工のように半透明で光沢があるので蝋梅というが、臘月(陰暦十二月)に咲くことから臘梅とも書く。川沿いの道端に臘梅が咲いていた。青空を背景に花の黄色をより濃くしていた。臘梅を日の離れたる匂ひかな臘梅

  • 日脚伸ぶ

    日脚伸ぶ黒山羊柵に貌寄せて冬至を過ぎると日一日と日照時間が伸びて、昼が長くなる。一日に畳の目一つずつ日脚が伸びる、というたとえもある。それを実感するのは、一月も半ばを過ぎてからであり、春が確実に近づいているという喜びがある。保育園の黒山羊が柵に貌を近づけてきた。その様子に、日脚が伸びたことが実感された。子供らの遊ぶ遊具や日脚伸ぶ日脚伸ぶ

  • 冬枯

    用水に沿うて冬枯道行きぬ冬が深まり草木が枯れ果て、野山が枯一色となった荒涼とした景をいう。この季語は古俳諧でも多く読まれている。近代以降は単に「枯る」の形でも詠まれ、自然の風景だけでなく、心理的な表現にも使われるようになった。用水に沿う道は冬枯道となっていた。その道を歩いて行った。バス停の後ろの草地枯れにけり冬枯

  • 寒夕焼

    燃ゆるてふこと寒夕焼にもありぬ寒中の夕焼をいう。冬は日没も早く寒くもあるので、外で夕焼を楽しむことはあまりない。寒の夕焼にも鮮やかな美しさがあり、西空を燃え立たせて短時間で薄れてしまう。夕焼は夏の季語であるが、寒の夕焼にも燃えるということがあった。散策の果てに仰ぎぬ寒夕焼寒夕焼

  • 大寒

    大寒の夕日の道を歩きけり二十四節季の一つ。太陽の黄経が300度のとき。陽暦一月二十日頃にあたる。一年で最も寒い時期である。ただし、今年は日中の気温が13度で、それほど寒くはならなかった。大寒の今日散策したが、散策路は赤い夕日の当たる道となっていた。大寒や夕暮多きシルエット大寒

  • 寒雀

    川沿ひの道暮れてきぬ寒雀寒中は食物が少なくなるので、雀は一層人家の近くに棲む。寒気を防ぐために全身の羽毛を膨らませている姿をふくら雀という。寒雀は食用としても薬効があるとされるが、多くはその姿を詠むことが多い。川沿いの道を歩いていると寒雀の群に出会った。その時はすでに暮れてきていた。夕空へ群れ翔ちにけり寒雀寒雀

  • 寒雲

    寒雲の光りて富士を隠しけり凍てついた冬空の雲をいう。寒雲にはどんよりと垂れこめた雲が多い。ただ、晴れると積雲や層積雲などの美しい雲が見られることもある。寒雲が夕日に光っていた。その輝く雲は富士山を隠してしまった。寒雲や明日のために夢をもち寒雲

  • 水仙

    水仙や明日見る如く前向きてヒガンバナ科の多年草。地中海沿岸原産。関東以西の海岸近くに自生するが、観賞用として庭に植えられ、切り花としても用いられる。葉の間から花茎が伸び、その先に数個の白花を横向きにつける。花の中心に黄色い副花冠がある。福井県の越前岬や静岡県伊豆の爪木崎は群生地として有名である。水仙が咲いていた。その花は明日を見つめるかのように、しっかりと前を向いていた。人影のなき水仙に夕日かな水仙

  • 侘助

    侘助や歩幅崩さず歩ききて唐椿の一品種。秀吉が朝鮮出兵をした文禄・慶長の役の際、日本にもたらされたとされる。花は小振りの一重咲きで、椿よりも気品がある。古くから茶花として好まれている。花色は、白、桃、紅など。花言葉は「控え目」「簡素」。一定の歩幅を保ちながら歩いてきた。すると垣根に侘助が咲いていた。侘助の茶房に休みゐたりけり侘助

  • 寒茜

    久々の山並くきと寒茜冬の寒い時期に見られる空や自然現象の一種。具体的には、寒い季節の夕暮れ時に、西の空が茜色に染まる様子を指す。「寒」は冬の寒さを表し、「茜」は赤みの強い色を指す。久々に見る山並がくっきりとしていた。そのバックには寒茜が広がっていた。寒茜濃しや鴉の翔けゆくも寒茜

  • 寒月

    寒満月寝ねむとせしが気になりて冬の月よりも一段と冷厳な月をいう。凍てつくような大気の中を、月は刻々と移動して行く。冬の月は頭上高くを進み小さく見えるが、空気が澄んでいるため、光は強く、冴え冴えと感じられる。寝ようと思ったが、今日は寒満月。気になって窓を開けて見上げた。寒月の傍に焰星音もなく寒月

  • 枯芝

    枯芝やマレットゴルフ定休日冬の枯れた芝をいう。庭や庭園の芝生も野の芝草も冬になると枯れる。枯れて一面薄茶色になった芝は、晴れた日には暖かそうに見えるが、曇りの日には寒々とした感じになる。マレットゴルフ場の芝が枯芝となっていた。いつもプレーする人がいるが、訪れた日は誰もいなかった。おそらく定休日だろうと思った。枯芝に自転車二台止めてあり枯芝

  • 寒落暉

    フェンスより米軍基地の寒落暉厳しい冬の入り日をいう。寒中は空気が澄んでいるため、夕日は眩しく明るい。冬の日は沈むのが早く、あっという間に没してしまい、寂寥感が漂う。米軍基地の細い道を歩いていると、フェンス越しに寒落暉が見られた。川堤を帰る学生寒落暉寒落暉

  • 寒禽

    目で追うてをり寒禽の枝移り山野、川、海などで厳しい冬の中を生きている鳥をいう。冬季には木の実や昆虫類などの食料が減り、柿や南天の実などをついばむ小鳥を見かけることがある。また、冬の間だけ群れている鳥も多い。寒禽が枝移りを繰り返していた。それを立ち止まって目で追っていた。三百の寒禽頭上旋回す寒禽

  • 寒晴

    寒晴や夕日の当たる林抜け寒さが厳しい日の晴天のことをいう。大気は冴え冴えと澄み渡り、空は抜けるように青い。冬晴という季語に対し、寒晴には身が引き締まるような厳しい語感がある。寒晴の中、林を歩いて抜けた。林には夕日が当たっていた。寒晴や夕月すでに橋の上寒晴

  • 寒鴉

    雨雲の切れし虚空を寒鴉冬の鴉のことをいう。一年中見かける鳥であるが、食物の乏しくなる冬場はことに人家に近づくので、近しい鳥である。枯木や電線などに止まり、時折嗄れた声を発するなど、荒涼とした景である。夕暮れ時、数羽で塒へ向かって帰る姿もまた趣がある。丁度雨雲が切れて青空が見える空間を寒鴉が飛んで行った。寒鴉帰るは森の平林寺寒鴉

  • 寒林

    寒林の道に夕日の差しゐたり冬枯れの林をいう。昼でも暗い常緑樹の林とは違い、葉のすっかり落ちた落葉樹の林は日が差して明るい。だが、寒さが厳しい林は人の訪れも少なく、しんと静まり返っている。落葉で覆われた林の道は、歩くとかさかさと音を立て、枯葉の匂いがする。寒林の中に道が通っていた。そして、その道にも夕日が差していた。寒林やはや球場の明り点き寒林

  • 人日

    人日の散策雨に降られけり一月七日のことをいう。中国前漢時代に、七日は人を占い、人を尊ぶ日と定められた。人勝節などともいう。この日、宮中では邪気を払うという白馬節会(あおうまのせちえ)が行われ、七種粥を食べて祝った。人日の今日、散策に出たが、雨雲がやってきて雨に降られてしまった。人日の雨の上がれば青空に人日

  • 白菜

    白菜の行列に日の傾きぬアブラナ科の一・二年草。中国原産。品種改良を経て明治末年頃に栽培技術が確立された。冬を代表する野菜で、漬物や鍋物のほか各種の料理に利用される。畑に白菜が行列を作るようにきちんと並んでいた。そこに当たる日が次第に傾いてきた。餡かけにせし白菜や焼きそばに白菜

  • 小寒・寒の入

    小寒や日に薄雲の広ごりて寒に入る葉書数枚投函し小寒・寒の入

  • 餅・獅子舞・花びら餅・松飾

    伸びよくて餡ころ餅と辛味餅獅子舞に子の頭を下げて噛まれけり花びら餅食うべて夢見心地なるレストランに合ふや銀座の松飾餅・獅子舞・花びら餅・松飾

  • 達磨市

    見ていれば声かけられて達磨市福達磨は開運や厄除けを祈念して新年に神棚に飾る達磨をいう。暮れから正月にかけて各地で達磨を売る市が立つ。一月六~七日に群馬県高崎市の達磨寺の境内に立つ達磨市が有名。川越大師の達磨市を訪れた。達磨を見ていると、「いらっしゃい。どうぞ見て行ってください。」と声をかけられた。曇天に威勢の声や達磨市達磨市

  • 恵方・水仙・二日

    野火止の水に沿ひけり恵方道水仙のもう咲きたると女かな二日はや散策に缶ポタージュを年新た天使の梯子現れて恵方・水仙・二日

  • 初空・初日・初景色・初詣・雑煮

    しろがねの音なき一機初御空仮の世をうつつに照らす初日かな幾たびも見て年重ね初景色初詣斯く長き列初にして焚上げの煙流るる初詣住み古りて心ゆかしき雑煮かな初空・初日・初景色・初詣・雑煮

  • 大晦日

    大年やジョギングコース走る人十二月三十一日のことで、大つごもり、大年ともいう。晦日もつごもりも月の末日の意で、この日は一年の終わりの日であるため、大の字を添えて大晦日という。元日を翌日に控えた一年の最後の日として、様々な習わしがある。今日は大晦日。そんな日でも公園のジョギングコースを走る人がいた。見納めの夕べの富士や大晦日大晦日

  • 小晦日

    行き合ふは散歩の犬や小晦日大晦日に対してその前日のことをいう。新年を迎える準備が次第に整う頃である。あわただしいなかで年も暮れる思いが強くなるが、あと一日を残す余裕が少しある。小晦日の今日は、川堤の道を歩くと、行き会うのは散歩をする犬ばかりであった。小晦日無人売場に菜を買ひて小晦日

  • 冬落暉

    冬落暉この一年を振り返り冬に見られる入日をいう。冬の日は夏とは違い南西に沈む。日差しの強さは弱まるが、寒気のなかの夕日は非常に眩しく感じられる。散策の終わりの方になると、冬落暉が見られた。入日を見ながらこの一年、いろいろなことがあったことを振り返った。武蔵野に残る林や冬落暉冬落暉

  • 大根

    地を出でし大根ばかり旅したしアブラナ科の二年草。中央アジア原産とみられる。主に地下の長大な根を食べるが、葉も食べられる。根の形と大きさは種類によって多様である。「すずしろ」は古名で、春の七種の一つ。調理は煮たり、下ろしたり、千切りにしたりと多彩。歩いていると、大根畑があった。大根は地表から大きく突き出たものばかりであった。それを見ていると、何だか旅をしたくなってきた。大根(だいこ)煮てをれば下りたる夜の帳(とばり)大根

  • 枇杷の花

    仙巌園を思い出しけり枇杷の花バラ科の常緑高木。関東以西に自生するが、主に果樹として暖地で栽培される。十一~十二月、枝先に茶色の毛で覆われた円錐花序をなして白色五弁花を多数つけ、芳香を放つ。花は小さく、地味で目立たない。道端に枇杷の花が咲いていた。それを見て、訪れたときに枇杷が生っていた鹿児島の仙巌園のことを思い出した。晴天を歩くは楽し枇杷の花枇杷の花

  • 冬の雲

    足軽きことありがたし冬の雲冬に現れる雲をいう。晴れた青空に広がる雲もあり、雪催いのどんよりとした雲もある。晴れた日に見られる美しい雲は主に積雲や層積雲などであり、また、大雪をもたらす雲は主に積乱雲である。足取りが軽く歩けるということはありがたいことである。様々な形の冬の雲を眺めながら歩いた。冬雲の燃ゆるもありて暮れむとす冬の雲

  • 冬の夜

    冬の夜や歩いてみたる旅の街寒さの厳しい冬の夜をいう。秋の夜長より冬の夜は更に長い。寒気が厳しく物寂しい思いがする。「夜半の冬」は冬の夜更けのことで、一層寒気が厳しい感じがする。旅をして知らぬ街にやってきた。冬の夜だが、どんな街か歩いてみた。メール読むことも日課や夜半の冬冬の夜

  • クリスマスイブ・聖樹・サンタクロース

    歌い出す若きサンタクロースかなキリストの生まれた十二月二十五日の前夜をクリスマスイブという。キリスト教の教会では礼拝を行う。クリスマスの数日前からクリスマスマーケットが立ち、人々でにぎわう。聖樹はクリスマスツリーと一般に呼ばれ、クリスマスの装飾に立てる常緑樹で、多くは樅の木を使用する。クリスマスイブの空が暗くなり、聖樹の周りに人々が集まると、若いサンタクロースが音楽に合わせて歌い出した。それを見て、若い女性たちが楽しんでいた。クリスマスイブの太白光得ぬクリスマスイブ・聖樹・サンタクロース

  • 人参

    人参の採り残されしものばかり人参畑セリ科の二年草。西アジア原産。西洋種と東洋種があり、前者は江戸時代末期に、後者は16世紀頃中国から渡来した。根を食用とするが、西洋系は短く、東洋系は長い。有色野菜で、カロチン、ビタミンAなど各種ビタミンを豊富に含む。漢名は胡蘿蔔(こらふく)。散策していると人参畑があった。そこには人参が散らばっていたが、どれも採り残されたものばかりであった。二股の人参に罪なかりけり人参

  • 枯菊

    枯菊の今はのことば言ふごとし冬になって枯れている菊をいう。霜や寒気などで傷つき、枯れてゆくのは無惨である。また、枯れてゆくなかで花がまだ色を残しているさまは哀れである。畑隅に枯菊があった。まだ花色が残っているさまは、まるで最期の言葉を言っているように感じられた。菊焚いてその焔色見たしとも枯菊

  • 枯葎

    果つるとはかくなるものか枯葎絡みもつれたまま枯れ果てている葎のことをいう。単に枯れた雑草のことではない。葎はカナムグラのことをさすが、その蔓草と限定せず、枯れたまま物に絡みつく蔓草と考えればよい。夏には盛んに繁茂した蔓草が、そのまま枯れ朽ちたさまは哀れである。道端に樹木に絡みついた枯葎があった。物が果てるとはこういうことかと枯葎を見ながら思ったことである。枯葎帽子目深に歩きゐて枯葎

  • 葉牡丹

    葉牡丹に川の夕日の及びけりアブラナ科の多年草。ヨーロッパ原産。日本には江戸時代に渡来。鑑賞用に改良され、多くの品種がある。葉の色には赤紫系と白色系が多く、矮性のものもある。正月用として玄関などに置かれ、また、花の少ない冬季の庭園を彩る。川沿いに葉牡丹が植えられていた。川の夕日がその葉牡丹に及んでいた。玄関の葉牡丹を愛で散策へ葉牡丹

  • 枯草

    枯草に寝たき温さを感じけり冬の枯れた草を総称していう。山野の草に限らず、庭の草であってもよい。霜が降りる季節になり、枯れた草は一層わびしい風情となる。歩いていると枯草が見られた。その色に、寝転んでみたいような温さを感じた。道端のゑのころ草も枯れにけり枯草

  • 枯葉

    枯葉にも枯色といふ色ありぬ冬の草木の枯れた葉をいう。地に落ちた葉は時間が経つにしたがってかさかさに乾き、文字通り枯葉になる。枯れたまま樹上に残っているものもある。木に枯葉がたくさん残っていた。木の葉は紅葉すると鮮やかな紅色になるが、枯葉にも、枯色という色があった。夕日差す栗の枯葉を美(は)しと見ぬ枯葉

  • 枯蘆

    枯蘆や堤を走る部活の子枯れた蘆をいう。冬が深まると、蘆の花穂はほおけ、葉は下から落ちてゆき、ついには茎だけが林立する。寒風に吹かれ、水に映る蘆は蕭条たる光景で、いかにも物寂しい。川べりに枯蘆が連なって見られた。その川堤を中学生の部活の子供たちが走っていた。枯蘆の倒れ易きを止められず枯蘆

  • 冬鷺

    冬鷺の堰に魚を狙ひをり冬に見かける鷺をいう。白鷺の多くは、冬には南方へ渡って越冬する。冬に残っているのは、一部の渡りそびれたもので、「残り鷺」と呼ばれる。小鷺や青鷺は南方へは帰らずに留まっているものが多い。川の堰に冬鷺がいた。冬鷺は、首をすくめて魚を狙っていた。冬鷺の月へ向かつて羽搏けり冬鷺

  • 冬の月

    遠方の人恋しとも冬の月寒々と冴えた月をいう。冬の翳なく冷え冷えとした月を見上げていると、遠方に住むかの人はどうしているのかなあと、人恋しくも思われた。あな近し冬満月と太歳(たいさい)と冬の月

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