小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
関西を中心に日本各地のお城や山城跡を巡り、その魅力や歴史について書いています。1日で回ったお城を1ブログにまとめていますので、お城巡りが趣味のかた、これからお城巡りを始めようと思っているかたの参考になれば幸いです。
【摂津*大坂城】太閤秀吉の遺志を継ぐ者・豊臣秀頼の居城、大坂城を歩く。
1.大坂城 指 定特別史跡、国の重要文化財、国の登録有形文化財、日本100名城遺 構[遺構]櫓、門、石垣、堀 [再建]天守歴 史 明応5年(1496年)蓮如により建立された大坂本願寺を前身とする。その後、石山合戦を経て織田信長の支配下となり
【南和の城-大和路part2-】独特な縄張を持つ近世城郭・高取城を始め、奈良南部の史蹟を巡る。
戦国初期の大和の国で「北の筒井、南の越智」と並び称された越智氏の居城・高取城は、その後豊臣大名たちにより近世城郭へと変貌を遂げ、奈良県で随一のお城となった。橿原神宮や大和南部の城々と併せて巡る。
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小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
小田原北条氏の祖・伊勢宗瑞が最初に築いた韮山城は、戦国初期から戦国終焉までの約100年間、伊豆統治の中心として機能していた。韮山城を守るために築かれた長浜城と併せて巡る。
室町幕府の奉公衆は、足利将軍の直属部隊として畿内近国で活躍した。幕府消滅後には独立勢力として羽柴秀吉と争った奉公衆三氏のうち、山本康忠の本城・龍松山城と、湯河直春(湯川直春)の支城・平須賀城へ登る。
京羅木山城砦群は月山富田城の向かいの山にあり、尼子攻めの拠点として2度使用されている。特に毛利元就による第二次月山富田城の戦いでは、城砦群の南方にある勝山城に50本もの畝状竪堀を築き、富田城を落とすまでは帰らない本気の姿勢を見せ、難攻不落の富田城をついに攻め落とした。今も畝状竪堀の残る歴史の舞台、出雲勝山城へ登る。
足利将軍家の直臣でありながら、織田信長・羽柴秀吉・徳川家康と、常に勝つ方に付いて家名を保った細川藤孝。その次男・細川興元は、丹後北部の吉原山城を居城とした。戦国の縄張りが今もそのまま遺る丹後の城々(吉原山城・奥吉原城・五箇城)を巡る。
織田に対する備後の防衛拠点として吉川元春により改修された相方城は、急峻な切岸と石垣が融合する近世城郭へと変貌を遂げた。その当時に築造された城門2基は、近くの素戔嗚神社へ移築され現在もその姿を見ることが出来る。本能寺の変がなければ歴史に残る戦場となっていた備後の名城・相方城へ登る。
今川氏親は、母・北川殿と伯父・伊勢盛時に支えられて家督争いに勝利し、東海一の戦国大名・今川氏の基盤を築いた。氏親がその幼少期から青年期を過ごし、家督継承後の数年は政庁としても機能していた静岡屈指の名城・丸子城へ登る。
2万の臼杵軍や1万の島津軍を寄せ付けなかった栂牟礼城は、豊後有数の堅城の1つに数えられている。鎌倉時代から400年間佐伯荘を治めた佐伯氏の居城・栂牟礼城へ登る
“西の桶狭間”と呼ばれる有田中井手の戦いで、毛利元就に敗れた武田元繁。戦国初期に主家や守護大名に頼らず己の才覚のみで覇を競った勇将は、「安芸の項羽」の異名も持つ。武田元繁の居城、佐東銀山城へ登る。
美作 岩屋城 形 態山城址難易度★★★--比 高310m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類-見応度☆☆☆☆-駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 230m所要時間- / 40分 指 定岡山県指定史跡遺 構曲輪、土塁、堀切、虎口、切岸、馬
下剋上により生き馬の目を抜くように日々情勢が変わりゆく戦国時代。落日の龍野赤松氏当主となった赤松広秀は、羽柴秀吉配下の一武将として身を立て、大名に返り咲いた。広秀が最後まで旧領復帰を夢見た龍野城と鶏籠山城(龍野古城)へ登る。
「万人恐怖す」と恐れられた将軍・足利義教を殺害した赤松満祐は、反逆者としてすぐに討たれ、赤松氏は没落した。赤松満祐の目指したものは一体なんだったのか? 播磨城山城に登り「嘉吉の乱」に思いを馳せる。
淡路島の洲本を拠点に、安宅水軍を率いて三好長慶を支えた三弟・安宅冬康の洲本城へ登る。
1.城山城 形 態山城址難易度★★★★★比 高400m整備度☆☆☆☆☆蟲獣類スズメ蜂見応度☆☆☆☆☆駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ - / 400m所要時間10~15分 / 65分+25分 指 定-遺 構曲輪、石垣、堀切、土塁
1.多賀大社 社 格式内社、別表神社境 内国の名勝:奥書院庭園歴 史1300年以上前の「古事記」に載っている歴史ある神社。長寿祈願の神として知られ、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が、母・大政所の延命を祈願し、成就したと言われる。その際大
丹波の戦国大名・波多野秀治は、丹波氷上の赤井氏や播磨の別所長治、摂津の荒木村重、大坂の本願寺顕如らと連携し、第二次織田包囲網ともいえる連合軍で織田信長に反旗を翻した。武士としての筋を最後まで貫いた秀治の居城・八上城を始め、丹波篠山の城々(篠山城、淀山城、籾井城)を巡る。
1.大坂城 指 定特別史跡、国の重要文化財、国の登録有形文化財、日本100名城遺 構[遺構]櫓、門、石垣、堀 [再建]天守歴 史 明応5年(1496年)蓮如により建立された大坂本願寺を前身とする。その後、石山合戦を経て織田信長の支配下となり
戦国初期の大和の国で「北の筒井、南の越智」と並び称された越智氏の居城・高取城は、その後豊臣大名たちにより近世城郭へと変貌を遂げ、奈良県で随一のお城となった。橿原神宮や大和南部の城々と併せて巡る。
若くしてキリスト教布教の許可や南蛮貿易などを行い、九州6ヶ国の守護となった大友宗麟。大友氏滅亡の危機だった豊薩合戦では、貿易で得た大砲・フランキー砲を使い、滅亡を免れた。宗麟が本拠地とした臼杵城(丹生島城)を始め、豊後南部の城々を巡る。
阿蘇山の北麓に鎮座し2,300年の歴史を持つ阿蘇神社と、阿蘇山の火砕流で出来た岩山を巧みに利用した南豊後の要塞・岡城を巡る。
外様国衆でありながら毛利家評定衆に名を連ねるという、前代未聞の昇進を果たした杉原盛重。備後福山が産んだ謎多き戦国武将のゆかりの城々(相方城、山手銀山城、神辺城)と、近世城郭・福山城を巡る。
2023年3月19日(日)快晴[1/2]1.宮津八幡山城址形 態山城址難易度★★---比 高155m整備度☆☆☆☆-蟲獣類-見応度☆☆☆--駐車場 → 登城口 → 主郭部高 さ65m / 75m所要時間10分 / 15分指 定-遺
戦国時代、神々の国・出雲から覇を唱え、11ヶ国に及ぶ領土を支配した尼子一族。滅んでもなお求め続けられ、山中鹿介をスポークスマンとして再興軍が結成された。戦国時代に最も熱かった地、出雲の月山富田城へ登る。
西国11ヶ国の太守・尼子氏。その本拠地出雲に点在する尼子十旗は、尼子氏の中枢ともいうべき家臣団である。尼子を支え、尼子に支えられた十旗の城々を巡る。