長篠城(日本100名城 №46) 長篠城 長篠城は、宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた平城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。1575年の長篠設楽原の戦いの際に武田勝頼率いる武田軍の攻撃を受けたが、城主・奥平貞昌は城を守り
先祖(馬印渋め)は、豊臣一門衆として秀吉公を黎明期より支える。 戦国期当時の城跡に館を構え、代々その地を守り、近代に至る。 先祖が、秀吉公と共に駆け抜けた戦国の世に思いを馳せ、武将に会い、城を攻め、合戦に参陣する。
武将の銅像や墓所、城郭を紹介。観光情報やグルメ情報も。綺麗な写真でお届け。
長篠城(日本100名城 №46) 長篠城 長篠城は、宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた平城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。1575年の長篠設楽原の戦いの際に武田勝頼率いる武田軍の攻撃を受けたが、城主・奥平貞昌は城を守り
地域タグ:新城市
岐阜城(日本100名城 №39) 岐阜城は、もとは稲葉山城と呼ばれ、戦国時代に斎藤道三が山城として整備する。斎藤道三→義龍→龍興と三代にわたり、居城としたが、織田信長により追放された。信長は町の名を「岐阜」と改め、岐阜城となる。 二頭立浪紋
地域タグ:岐阜市
竹中半兵衛重治公像(一の谷兜) 垂井駅前 竹中半兵衛重治公像 竹中半兵衛重治(1544‐1579) 秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で難攻不落の稲葉山城を乗っ取り、数か月
地域タグ:垂井町
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」 2026年の大河ドラマが、「豊臣兄弟!」とNHKから発表されました(2024/3/12)。主人公は、豊臣秀吉公の弟・豊臣秀長公で、仲野太賀さんが演じます。脚本は八津弘幸さんです。 本ブログの伯耆守は、黎明
地域タグ:中村区
福島正則公像 福島正則公像 福島正則(1561‐1624) 尾張清洲城主、安芸広島城主、のちに信濃川中島4万5千石(高井野藩)に改易。尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)に生まれる。母が秀吉の叔母であった縁で、秀吉の近習に取り立て
地域タグ:あま市
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
地域タグ:名古屋市
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康は、息子・秀忠に征夷大将軍の位を譲り、「駿府の大御所」として大御所政治へ。家康が少年期と晩年を過ごした駿府にお出かけしてみてはいかがでしょうか。大河ドラマ館は、2024年1月28日(日)まで。
地域タグ:静岡市
桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市)1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽
地域タグ:名古屋市
NHK大河ドラマ「どうする家康」で、本多忠勝ロスの方は会いに行ってみてはいかがでしょうか。 本多忠勝公像本多忠勝像本多忠勝 武将印とパンフレット 本多忠勝(1548-1610)徳川四天王の一人。桑名10万石初代藩主。生涯において57度の合戦
地域タグ:桑名市
「信長の野望出陣」でイベント攻城戦(第2期)が始まりました。竹中半兵衛の情報はこちら。竹中半兵衛重治公像竹中半兵衛重治(1544‐1579)秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で
地域タグ:垂井町
桶狭間の戦い1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立し、おけはざま山に本陣を置く。そこで、織田信長の奇襲を受ける。今川方の旗本約300が義元を守り応戦するも、おけはざま山の西の深田際まで追い詰められ、服部小平太と毛利新介
地域タグ:名古屋市
前田利家公像前田利家公初陣之像とまつ像 前田利家(1539?‐1599)加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野の戦い
地域タグ:名古屋市
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
地域タグ:名古屋市
徳川家康公像若き日の徳川家康公像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。三河国を統一後、遠江国に進出し、岡崎城から浜松城に移る。29歳~45歳までの17年間を過ごし、浜松からは、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、高天神城の攻略、小牧・
地域タグ:浜松市
日本三大山城・岩村城本丸の六段の石垣右:太鼓櫓、左:表御門岩村城は、標高717mに築かれた日本一高い地にある山城。高取城、備中松山城とともに、日本三大山城に数えられる。遠山氏→河尻秀隆→森長可→松平氏→丹羽氏が城主となる。その佇まいは、和製
地域タグ:恵那市
国宝犬山城国宝犬山城犬山城天守犬山城 天守内犬山城天守内犬山城天守から木曽川を眺める犬山城城下町国宝犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城した平山城。1617年に尾張徳川家の付家老である成瀬正成が入城し、明治維新まで成瀬家が城
地域タグ:犬山市
徳川家康像徳川家康像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。岡崎城で生まれるも、幼少期は、今川義元→織田信秀→今川義元の人質となる。「金陀美具足」を着用し、桶狭間の戦いの大高城兵糧入りを行う。今川義元敗死後、織田信長と同盟。三
地域タグ:岡崎市
「信長の野望」シリーズ初の“歩いて天下を目指す”戦国ウォークゲームです。信長の野望小学生の頃の「信長の野望全国版」から始まり、戦国群雄伝、武将風雲録…と続き、人生において、やったりやらなかったりの「信長の野望」ですが、久方ぶりに秀吉公と戦国
地域タグ:名古屋市
戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄公騎馬像戸田氏鉄公騎馬像と大垣城 戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での
地域タグ:大垣市
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長篠城(日本100名城 №46) 長篠城 長篠城は、宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた平城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。1575年の長篠設楽原の戦いの際に武田勝頼率いる武田軍の攻撃を受けたが、城主・奥平貞昌は城を守り
岐阜城(日本100名城 №39) 岐阜城は、もとは稲葉山城と呼ばれ、戦国時代に斎藤道三が山城として整備する。斎藤道三→義龍→龍興と三代にわたり、居城としたが、織田信長により追放された。信長は町の名を「岐阜」と改め、岐阜城となる。 二頭立浪紋
竹中半兵衛重治公像(一の谷兜) 垂井駅前 竹中半兵衛重治公像 竹中半兵衛重治(1544‐1579) 秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で難攻不落の稲葉山城を乗っ取り、数か月
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」 2026年の大河ドラマが、「豊臣兄弟!」とNHKから発表されました(2024/3/12)。主人公は、豊臣秀吉公の弟・豊臣秀長公で、仲野太賀さんが演じます。脚本は八津弘幸さんです。 本ブログの伯耆守は、黎明
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
福島正則公像 福島正則公像 福島正則(1561‐1624) 尾張清洲城主、安芸広島城主、のちに信濃川中島4万5千石(高井野藩)に改易。尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)に生まれる。母が秀吉の叔母であった縁で、秀吉の近習に取り立て
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康は、息子・秀忠に征夷大将軍の位を譲り、「駿府の大御所」として大御所政治へ。家康が少年期と晩年を過ごした駿府にお出かけしてみてはいかがでしょうか。大河ドラマ館は、2024年1月28日(日)まで。
桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市)1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽
NHK大河ドラマ「どうする家康」で、本多忠勝ロスの方は会いに行ってみてはいかがでしょうか。 本多忠勝公像本多忠勝像本多忠勝 武将印とパンフレット 本多忠勝(1548-1610)徳川四天王の一人。桑名10万石初代藩主。生涯において57度の合戦
「信長の野望出陣」でイベント攻城戦(第2期)が始まりました。竹中半兵衛の情報はこちら。竹中半兵衛重治公像竹中半兵衛重治(1544‐1579)秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で
桶狭間の戦い1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立し、おけはざま山に本陣を置く。そこで、織田信長の奇襲を受ける。今川方の旗本約300が義元を守り応戦するも、おけはざま山の西の深田際まで追い詰められ、服部小平太と毛利新介
前田利家公像前田利家公初陣之像とまつ像 前田利家(1539?‐1599)加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野の戦い
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
徳川家康公像若き日の徳川家康公像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。三河国を統一後、遠江国に進出し、岡崎城から浜松城に移る。29歳~45歳までの17年間を過ごし、浜松からは、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、高天神城の攻略、小牧・
日本三大山城・岩村城本丸の六段の石垣右:太鼓櫓、左:表御門岩村城は、標高717mに築かれた日本一高い地にある山城。高取城、備中松山城とともに、日本三大山城に数えられる。遠山氏→河尻秀隆→森長可→松平氏→丹羽氏が城主となる。その佇まいは、和製
国宝犬山城国宝犬山城犬山城天守犬山城 天守内犬山城天守内犬山城天守から木曽川を眺める犬山城城下町国宝犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城した平山城。1617年に尾張徳川家の付家老である成瀬正成が入城し、明治維新まで成瀬家が城
徳川家康像徳川家康像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。岡崎城で生まれるも、幼少期は、今川義元→織田信秀→今川義元の人質となる。「金陀美具足」を着用し、桶狭間の戦いの大高城兵糧入りを行う。今川義元敗死後、織田信長と同盟。三
「信長の野望」シリーズ初の“歩いて天下を目指す”戦国ウォークゲームです。信長の野望小学生の頃の「信長の野望全国版」から始まり、戦国群雄伝、武将風雲録…と続き、人生において、やったりやらなかったりの「信長の野望」ですが、久方ぶりに秀吉公と戦国
戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄公騎馬像戸田氏鉄公騎馬像と大垣城 戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
徳川家康公像若き日の徳川家康公像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。三河国を統一後、遠江国に進出し、岡崎城から浜松城に移る。29歳~45歳までの17年間を過ごし、浜松からは、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、高天神城の攻略、小牧・
日本三大山城・岩村城本丸の六段の石垣右:太鼓櫓、左:表御門岩村城は、標高717mに築かれた日本一高い地にある山城。高取城、備中松山城とともに、日本三大山城に数えられる。遠山氏→河尻秀隆→森長可→松平氏→丹羽氏が城主となる。その佇まいは、和製
国宝犬山城国宝犬山城犬山城天守犬山城 天守内犬山城天守内犬山城天守から木曽川を眺める犬山城城下町国宝犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城した平山城。1617年に尾張徳川家の付家老である成瀬正成が入城し、明治維新まで成瀬家が城
徳川家康像徳川家康像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。岡崎城で生まれるも、幼少期は、今川義元→織田信秀→今川義元の人質となる。「金陀美具足」を着用し、桶狭間の戦いの大高城兵糧入りを行う。今川義元敗死後、織田信長と同盟。三
「信長の野望」シリーズ初の“歩いて天下を目指す”戦国ウォークゲームです。信長の野望小学生の頃の「信長の野望全国版」から始まり、戦国群雄伝、武将風雲録…と続き、人生において、やったりやらなかったりの「信長の野望」ですが、久方ぶりに秀吉公と戦国
戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄公騎馬像戸田氏鉄公騎馬像と大垣城 戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での