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2024/01/03

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  • ふと休職中を思い出す

    なんか、退院して復帰してすぐまた休職した時の生活。あの頃をなぜか思い出す、最近。 今思い返すと、なぜか輝いてたなと思ってしまう。辛い時だったけれども。 腰の神経損傷で足が不自由になってから数ヶ月。 朝5時に外へ歩行練習に行って、部屋で柔軟、マッサージ。 昼は車で市の運動施設に行って、フィットネスバイク、筋トレ、水中歩行。 近所を少し長めに歩く練習をした。 病院で週2〜3回のリハビリ。 アマプラでいろんなアニメを観るようになった。 芸人が出てるテレビの録りだめ見て、明るく見える世界を見ては、自分がこうなった運命を泣いてた。 毎週、ピアノの演奏動画上げてた。 毎日not

  • LONGING

    Cubaseを使って、Synthesizer VのRyoに歌ってもらいやっと形になりました。 コテコテのバラードです。 歌詞は、何を言いたいのかよく分からなくなってしまいましたが、未来も変わらず一緒にいられたらいいねという雰囲気です。 ほんとはThe Last Phraseという題名にしようとしてましたが、もっと広げた解釈にしてしまいました。 言ってみれば、ずっと一緒にいてくれませんか?とプロポーズしたい内容ですが…笑 メロディは20年以上前に書いて、もしかするとバンドをはじめて数曲目のやつかもしれません。 もともとジャンルはラテンな16ビートのソフトポップな感じで作ってたの

  • WILLING

    久しぶりに打ち込みしてみました。この曲を作詞作曲したのはもう25年以上前です。に、25年?!驚きです。 DAWはCubaseを久しぶりにさわりました。打ち込みってほんと疲れます・・・。あと、歌ってもらったのはSynthesizer Vというソフトです。今、こんなに本物らしく歌ってくれるんですね!びっくりです。 曲は「WILLING」というタイトルです。副題に「Out of the pretended desert」と付けていました。なんてことない現実逃避のつぶやき歌です。当時流行っていたダンス調をちょっと入れてみてますが、我ながら恥ずかしい思いです。 動画も付けたのですが、なんとも

  • アイコン

    僕のnoteのアイコンは何ですか?どこですか?という質問が相継ぎます。 ということはありません。1回だけです 笑 これはヨルダンを旅してたときの、インディージョーンズで有名なペトラ遺跡から更に1時間ほど山登りをした所での写真です。崖に座っています。 そして、その画像の空を切り抜き地球の画像を合成しました。 まるで違う惑星から地球を眺めてる画像のようです。 しかも僕がスリム!この時ら辺が僕は生き生きしてたなぁと思います。 おわり

  • 鼻の下

    僕が幼稚園から小学生低学年の頃の話です。 僕はその頃、癖なのか鼻の下を一瞬伸ばす事がありました。 無意識で鼻の下をヒョンと伸ばすのです。 なるべくやらないようにしても、ヒョンって伸ばしたくなるんです。 あれは何だったのでしょうか。特にエッチな気分になっていたということでもありません。 もしかしたらチックの一種だったのかもしれません。 ある時、おばあちゃんに「鼻の下伸ばすのやめーや」って言われたの思い出しました。 それとは別に、僕はある時まで、右目だけでウインクができませんでした。左目はできるのに、右目をやろうとすると両目をつぶってしまうのです。 そういったことは、小学生

  • 歯茎の話

    もう一つ中学生1年の時の一大事です。 僕の上の右犬歯辺りの歯茎が少し腫れていました。 お母さんが、歯茎には塩がいいよ、と言っていました。 僕は歯茎に直接塩を塗ることをはじめました。なんだか、しみて効いてる感じがしました。 毎回そのしみる痛みに我慢してました。 しかし、日に日にその腫れが広がってきたんです。 歯茎に赤い筋が出てきてしまいました。 それでも僕は塩を塗って、しみても我慢しました。もう体が震えるほどの痛みでした。 まだまだ腫れと赤い筋が増えていきます。 もう僕はこの痛みと格闘するのが嫌になってしまいました。 ある日、お母さんがもうやめなさいと言ったのでやめま

  • 僕が小中の頃の話です。 僕の唇がガサつきやすいのと、唇の周りが腫れてしまう症状がありました。もうヒリヒリして嫌でした。 でも、何かクリームを塗っておけばそのヒリヒリがおさまるのです。 当時、桃の花っていうピンク色したクリームを塗ってました。 そのうちメンソレータムのリップクリームを付けるようになりました。 中学の時、隣の席の女の子から僕の唇を見て「男の子なのにリップクリーム塗ってるの?」と言われましたが、意地張って「塗ってないよ!」と言い返しました。 でも、学校に持っていくのを忘れるとヒリヒリ攻撃されます。 忘れてしまった時は結構辛かった記憶があります。唇の周りが真っ赤に

  • 歯の話

    そういえば中学1年の時の一大事を書いてませんでした。 僕の下の前歯は、歯並びが悪く、1つ前に飛び出してました。 その歯をある日、スプーンでコンコンと叩いてみたんです。 そうしたら、みるみるうちに痛くなってきたんです。 それはもう下あごがどうにかなってしまうくらいの痛みでした。もう涙も止まりませんでした。 次の日、お母さんに歯医者に連れて行かれました。 そして、歯の神経を抜くことになってしまったのです。 何やら他にいた医師も僕を取り囲んで見ていました。 初めはグリグリ削って、何かを入れてました。なんだかミントみたいな味がしました。 そして別の日に、それを取りました。何を

  • あれは…

    僕が小学生の頃の話です。 おじいちゃんの兄妹の家に行き、そのおじいちゃんの妹の子供、お姉さんが別宅に住んでいたので、その小さな部屋で遊んでました。 部屋には押入れがあり、僕は開いていた押入れに何が入ってるか聞いたら、そのお姉さんは、見ちゃだめと言いました。 開いてるのに何でだろと思いました。 でも、僕は重ねられた布団の向こうに、人の頭みたいなものが見えたのです。 あれが何だったのか、今でも謎です。

  • 学び欲

    去年暮れ辺りから、なぜか学び直しをしたいと思い始めました。 ほんとなんでだろうという思いです。 まず世界史。教科書を読み、基本的な問題集。複数回繰り返し。 細かい資料集も読み込んでる最中。 受験用のターゲット4000も使って一問一答。 何も目的ないのに、僕はようやります笑 そして、英語。受験用の英単語集、英熟語集を眺め、アプリで力試し。 しかも、英文法、英文、長文問題集、ヒアリングも挑戦中。まだ入門レベル。 英語は嫌いではないのに、学生時代、本当に得点できなかった科目です。 あと、数学、地理、地学も参考書のような本を読んでるんです。その他の高校全科目分、参考書揃えてる

  • バンド活動もできるようになって…

    コロナ禍もすぎて、バンド活動もできるようになりました。 しかし、僕は身体を患ってしまったので、移動などが難しくなってしまいました。 怖いというのが本音かもしれません。 車での移動は運転が不幸中の幸いでできるので、いくらでも行けます。 駐車場もマンションから近いところにさせてもらえたので歩く距離も少なく済みます。 ありがたいことに、バンドのスタジオも駐車場の近く。スタジオの部屋は1階にあるのでこれまたありがたい。 健常の時に何度も行ってるので勝手が分かるから、家から離れた地でもなんとかなっているのです。 ドラムも、障害を背負った左足を使わないようにすれば、なんとか演奏ができ

  • 初作 空をたどれば

    なんだかんだそろそろという感じなので、記憶を残そうかと動いていました。 地球を放浪してた時の、過去の記憶のカケラを拾い集め一つの物にしました。 沢山あるカケラの選出と繋ぎ合わせ、修復には意外に時間がかかりました。 しかしやっと形になりました。 試作を読み返すと間違いや統一性を合わせる必要などがいろいろ出ましたが、4回の校正をしました。 とりあえずこちらより! amazon Kindle −地球放浪記− 空をたどれば ー地球放浪記ー 空をたどれば amzn.asia 500円 (2023年09月24日 00:30時点 詳しくはこちら)

  • SNS混沌期

    大手のSNSがいろいろ大変になり、移動する人、とどまる人、ナンノコッチャという人色々いると思う。 僕は、Mastodonという分散型SNSに登録してそちらに色々書き始めた。 twitterのようなもの。 まぁ言ってみればほとんどのSNSは無料で使っており、そこがどうなろうがそれはそこ次第のところがある。 そういうことでインターネットの世界は成り立ってることが多い。 googleのサービス群だって無料。いつどうなるか分からない。文句も言えない。 でも結構いろんな情報を預けている気がする。それが無くなってしまったら? でもまぁその時はその時なのかもしれない。 企業や政府もそ

  • 続けるって

    ザコシショウが動画アップを毎日していると知り、僕も毎日noteをアップしようと奮闘してました。 365日達成したけれどそれで力尽きました。最後は惰性でした。 でも幼少期からいろんなエピソードを書けてちょっとした自分史みたいになったかなと思います。もっとエピソードはあるけれどもういいです(笑) その他、週イチで演奏動画、月イチで歌の作詞作曲をしてきてましたが、それもギブアップです。 まず思い付きで始めてるのでそんなものです。僕はそんなもんなのです。 FIN

  • 365日連続投稿

    僕が毎日noteに投稿して1年経ったようです。 最後の方は惰性でしたが、何とか続けられました。 何も目的は無いのに、褒美もないのに、よくやりました。強制観念に追い立てられてたんだと思います。 これからは毎日でなく、気の向いた時に書きに来ようと思います。 YouTubeの毎週投稿もnoteの毎日投稿もやめて、僕は何か解放された気分です。

  • 書いてはみたものの

    いろいろ僕の過去について記憶のある頃から現在に至るまで書いてはみたものの、面白くない生き方だなと思いました。 何者にもなれないし、何か突拍子もない事やっても煮えきれないしで。 でもそれが僕なのかなと思いました。そういう人物がいてもいいわけです。 いろんな人物がいてこそ面白い世界と思います。面白いって補間してるのかなって思います。 でも大人になってから書くことが無くなっていく気がしました。 それは思い出したくないことも多いです。 僕は線路を通るような電車みたいな生き方をしてこなかった気がします。でもそれでよかったなと思えてます。そういうふうにしか走れない原因はなんとなく分かっ

  • ツンデレ

    僕は昔から人付き合いが下手です。 苦手ではないんです。下手なんです。 でも疲れちゃうんで、結局苦手なんだと思います。 僕は突然ツンとしたくなります。でもなにかのきっかけでデレッとします。 ツンデレです。 相手がアクションしてるのに、わざとたぶらかすこともしてしまいます。 なのに見ててもらいたいし気にしてもらいたいんです。 これでどれだけ友人を失ったことでしょう。 でもコントロールできないんです。あの時こうするべきだったとか思うことばかりです。 今どきなら、わざと既読スルーだけどそのスルーしてる心境察してってな感じです。 なぜ素直になったり頼ったりしないのかなーっと思

  • 挟まれる

    僕が20代のはじめの頃です。 電車に乗るために急いでました。電車のドアが閉まる瞬間に乗り込もうとしました。 しかし僕が足を入れた瞬間にドアが閉まってしまったのです。 僕の足が扉に挟まり抜けなくなってしまいました。 しかし扉が開く気配がありません。え?このまま出発したらどうしよう!引きずられる!と焦りました。 数秒後、扉は開いたので足は抜けました。 あろうことかその瞬間に僕は車内に入ろうとしました。 車掌さんは僕を入れさせないようにすぐ閉めました。 でも僕は入り込んでしまったのです。そうしたらリュックが扉に挟まれてしまいました。 あ!このまま動いちゃうかな?と思ったので

  • 一人暮らしを始めて

    僕は30代後半の頃、一人暮らしを始めました。 それまでは掃除、料理、洗濯など家事に関することは全くと言っていいほどしませんでした。 一人暮らしを始めて、否が応でもそれらをしなければなりません。 掃除もやるようになりましたし、洗濯もします。 ただ料理だけは駄目でした。 僕はご飯は出てくるものという感覚が抜けないんです。 また味とか食に関して興味が無いかもしれません。食べることは好きですが胃に入れば同じという考えなんです。 だからこれ付けるとおいしいとか、こう味付け変えるとおいしいとか、あまり興味がないんです。 だから作ることも楽しめないのかもしれません。 いつかは、食事

  • 事故

    僕が20代中盤の頃の話です。 深夜に駅から家へ自転車で帰ろうとしてたら、バンバン飛ばして走る2台の車が道を行ったり来たりしてました。 変な車だなぁと思いながらヒーヒー言って自転車をこいでました。 あるT字の交差点で僕は黄色で行けるかと思い進んでいました。そうしたら左からさっきのバンバン飛ばしてる車が右折してきたんです。あっちはまだ青になってないのにです。 僕はその車に左からもろに当てられました。 そのまま右に倒れてしまいましたが、その車はそのまま逃げ去りました。 後続車もいたので僕はすぐに起き上がって自転車を起こし交差点の外に退避しました。 左足は車と自転車に挟まれて痛か

  • 人生折れ曲がり

    僕は人生で度々折れ曲がってはいるけれど、今回は大きすぎることでした。 腰の椎間板ヘルニアが重症化してしまい、下半身麻痺が起こってしまいました。はじめ左足の力が入らなくなり、おまけに右足も力が入らなくなり立てなくなってしまったのです。 そして排尿もできなくなってしまいました。 緊急手術で入院でした。 そこからの日々は悲惨でした。リハビリも毎日受け食事制限も行われました。 ものすごい精神的にもきました。 排尿障害と右足の筋力低下は復活しました。しかし、左足の機能は低下したままで足首は動きません。 歩行に大変困難が生じてしまいました。 まもなく症状が出てから1年半が過ぎます。

  • スタン

    僕は、よくいうスタン系の国にあまり行ってません。 前から気になっていたカザフスタンやウズベキスタン、タジキスタンなど行ってみたいなぁと思ってました。 ある時、ウズベキスタンが日本人はビザの発給の必要がなくなるという情報を得ました。 これは行くしかないと思いすぐに計画を立てました。 確か正月休みを使ったと思います。寒い時期でもありました。 念願のウズベキスタン。カザフスタンやキルギスも行きたいと思いましたが、短い正月休みでは周りきれそうにありません。 なのでいつものように弾丸トラベルではなく、一国をじっくり回ることにしました。 いろんな都市に行けてよかったです。イランとロシ

  • 見たかったもの

    僕は旅をいろいろしてきたけどまだ見てないものがあったのです。 見てみたいとずっと思ってました。 それはオーロラです。 よく見れる場所はカナダ、北欧、ロシア、アイスランドとかです。 僕は北欧旅行と兼ねてオーロラも見ようと計画しました。 前にロシアのムルマンスクへ行こうとしましたが飛行機乗り換えを失敗したのです。でも行けたとしても本当に見れたか分かりませんでした。 僕は比較的出現率の高い北欧の、ノルウェー、トロムセに向かいました。 天気は悪いんです。極夜でしたので常に暗かったです。ただ、真夜中が続くのかなと思ってましたが、いわゆる明け方並の明るさになるんです。10時くらいに薄

  • TOKYO MX

    僕は一人暮らしをするようになった30代後半からTOKYO MXのバラいろダンディを見始めました。 その時はなんかお色気番組なのかなどうなんかなと思いながら観てました。 ある時、宣伝で5時に夢中という番組について流れました。 バカっぽくてなんか興味深いと思い、録画をして家に帰ってきてから観てました。 気づくともう10年以上。ずっと録画して見続けてるんです。 すごいです。こんなに何か続いてるなんてそうありません。 入院中もネット経由で観てたくらいです。 変な意味で生活に根付いてますし、僕という人格はこの2つの番組に影響されつつあるかもしれません。 番組進行にはイライラするこ

  • 踏破

    僕は旅が好きです。自動車で旅をすることも好きです。 昔は免許を取る前、僕は一生、車には乗らないんだろうなぁと思ってました。 だけど車を乗るようになって、旅も車で行くようになりました。 車の旅は自由で孤独で好きです。 いろいろ行ってる内に、いつの間にか車で全都道府県に入ってることに気付きました。 はじめ、地図会社の出してる雑誌でいろんなドライブコースを紹介しててその道を走ってました。それがだんだんエリアが拡がりました。 北海道と沖縄はレンタカーですが、いつの間にか全都道府県踏んでたのです。 最後の地は熊本県でした。 しかし熊本県では台風が通り過ぎ天気も悪く、行くとこ行くと

  • SNSの始まり

    僕が海外にいた頃mixiが流行り始めました。この頃は招待制で誰もができるものではありませんでした。 旅の仲間内でワイワイやってました。 その後、facebook、twitterなど出てきます。facebookはまだ英語版で少しずつ日本語に翻訳されていきました。 もちろん登録してました。何が何だか分からないので恐る恐る書き込んだりしてました。 海外発のものもたくさん出てきて、海外で出会った友達から招待メールが沢山届きました。 でも僕はすぐにこういったSNSに疲れてしまいました。 相手の状況がよく分かるのも精神衛生上良くないんです。うらやましいーという気持ちが生まれます。 他

  • ピグ

    僕が30代の頃ハマったWEBサービスに、アメーバピグというのがありました。 FLASHを駆使したページです。 2頭身のキャラクターを操って仮想空間で過ごし、別キャラとコミュニケーションが取れるのです。 僕は全く課金をしなかったので、豪華な部屋などは作れませんでしたが、色んな人と仲良くなれました。 後々会うことになるキャラもいました。 楽しかったです。 いろいろやらねばならないのに、チャットでどれだけの時間を費やしたでしょうか。 明日仕事なのに夜の2時になってもチャットしてました。 とても懐かしいです。 しかし時代の流れはひどいもので、FLASHがセキュリティ上、脆弱性

  • 面接失敗

    僕のある試験での面接失敗話です。 難関1次をなんとかクリアし2次試験に到達しました。 2次試験には面接があります。 僕は面接が大の苦手です。喋ることがそもそも苦手なのです。喋ることを覚えることもできません。おまけに朗読も苦手で滑舌が悪いです。 予想は裏切らず面接で変なことを言ってしまうことがありました。 ある一つは、あなたの〇〇の印象を教えて下さいという質問です。 僕は「まず〇〇は閉鎖的なイメージがあります」と始めてしまいました。口から出任せでした。こんなマイナスイメージから話すかよという思いです。 他の試験では、あなたを花に例えるとなんですか。その理由は?という質問があ

  • 雷様

    僕が小学生の時の話です。 昔はよく雷が鳴っていた印象がありました。夜鳴ると怖くて泣いてた気がします。 よくおばあちゃんは雷様が来ると線香を焚いてました。線香の匂いが嫌いらしいです。へそも隠せと言われました。 いろいろと迷信を信じてましたけど、それも味があっていいです。 ある時の話です。 ものすごい雷がドンピシャ鳴ってる昼でした。 突然ドガシャーンという音がして停電になりました。 すぐ復旧しましたが、その後近所の自転車屋のおじさんが言いました。 「電柱に雷おちたよ!火花が2m位飛んでたんだよ!」 僕んちの敷地に電信柱が立ってるんです。その電柱が道路向かいの自転車屋から見

  • 汚部屋

    僕が実家に住んでいたときの僕の部屋はとんでもなく汚い部屋でした。 片付けられなく物は散乱、掃除をすることも無くホコリだらけでした。 飼っていた猫が原因か、ノミも発生しました。これにはほんと困りました。ヒトにも噛みつき血を吸うんです。 チクっと痒いなぁと思ったらノミにやられてるという始末。 ネズミも天井裏にいたりして、猫がドカドカ走り回ってました。 おまけにネズミが部屋にフンをしたり、色んな物をかじっていくんです。 僕がなけなしのお金で買った1万円以上するイヤホンも、コードをかじられてしまいました。 おまけに食べた物をそこら中に放置、服も放置、本も放置、すごいことになってま

  • 画像検索

    僕が最近感動したことです。 Googleの、扉や山の写真を画像検索するCMを観ました。 僕はそれを数回観てても何も思いませんでしたが、ある時ふと、こういうことができるなら、過去に撮ったどこの場所か分からなくなってた写真検索をしようと思ったのです。 そして10年以上前に撮った写真をパソコンのモニターに映してスマホで画像検索。 ああ、一発でどこの場所の写真か判別できました。しかもGoogleマップにも連結しててどの場所かも示してくれました。 これまでモヤモヤしてた気持ちが一気に晴れやかになりました。 なので他の写真もどんどん検索。時代の進化を感じます。 でも僕はまだモヤモヤし

  • 飛行機小噺2

    続き ヒースロー空港から乗る飛行機が、当日突然ガトウィック空港から出発するということになり、英語で説明を受けました。よく分からなかったんですが、遅延扱いで向こう持ちでホテル滞在かこのままガトウィック空港まで行って乗ってもらうかの選択を余儀なくされました。 僕はガトウィック空港まで行く方法を選んでしまい大変な目に遭ってしまいました。連絡バスがよく分からないですし、乗れても途中混んでしまうしで。しかも50キロ離れてるんです。 どの位の猶予があったか覚えてないのですが、乗れるギリギリの時間に着くという状況でした。ホテル滞在にすればよかったです。 どこ発だったか思い出せないのですが、全

  • 飛行機小噺1

    飛行機に乗るときの大変だった話です。 エジプトツアー旅行の時、ヒースロー空港で乗り換えでしたが、カイロ行きの飛行機で何航空か忘れましたが、出発前にエアコンが効かずおまけに白い水蒸気まで出始めてしまって周りは騒然。 降りる人続出でしたが僕らツアー客はなんの事やらでしたので平然としてました。 フィジーからトンガへ行くトンガ航空で当日、ウェブで買ったチケットがちゃんと手配されておらず向こう持ちで次の3日後の便まで高級ホテルで待つことになりました。 日本からニュージーランドでの国内線乗り継ぎで、ターミナルが遠いのに乗り継ぎ時間が短すぎて走って、タクシー乗ってやっと間に合ったことがありま

  • すねかじり

    僕は37歳くらいまで実家で過ごしてました。 海外に何年か行ってたり、引きこもってたり、また数ヶ月海外行ったり、働いたりといったいろんなことをしてました。 ただ生活の基盤は家にあり親に頼っていました。 飯、洗濯などはしてもらえましたし、いくら引きこもってても何も言いませんでした。 世の人は甘えだと思うかもしれません。 でもある友達は、親があるうちはスネをかじってるのがほんとの勝ち組だと思うよ、と言ってました。 理解できない人のほうが多いと思いますが、なんとも説明しにくいですが、ニュアンスは共感できるのです。 分析はあえてしませんが、よくぞ言ったとも思います。 しかしある仕

  • 30になる年に

    僕が30歳になる頃の話です。 確かこの頃は東ヨーロッパをさまよってた頃だと思います。 30歳の誕生日はギリシャに滞在してた時だったと思います。 20歳になる頃も嫌だなと友達と言ってましたが、30歳にもなってしまったのです。 30にして立つとも言いますが僕はフワフワ浮いてるばかりでした。 それでいいと思ってましたし、今でもそれで良かったと思います。 30になること、もうあまり何も感じませんでした。逆に25歳のとき友達と4半世紀生きたんだねと認識したときのほうがショックでした。 30になったギリシャでは独りアテネの街をさまよってました。岩と柱というイメージが強いです。 周り

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