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久しぶりにアイシェに会いに村へ行った。 暑さ真っ盛りの7月。 この太陽の下で外作業はつらいだろうなと想像しながらだったけれど、草木染めをやるというので行かないわけにはいかない。 最初にジェビズとバ
悠久のユーフラテス川をボートツアーで巡る体験 (トルコ南東部)
トルコ南東部にある知られざる観光地Halfeti。悠久のユーフラテス川をボートツアーで巡ることができます。ユーフラテス川の流域では数々の文明や帝国が興亡を繰り返しました。ボートツアーではRumkale(ルムカレ)と呼ばれるローマ時代の遺跡やダムの建設に伴って水の中に沈んだモスクなどを見ることができます
トルコのイーネオヤを愛するみなさまに。 そしてもっとイーネオヤのことを知りたいと思っているみなさまに。 2本の動画をYoutubeのikuminonaka チャンネルで公開いたしました。 2020年のオヤマニアの会のイベ
年越しオヤ旅(5)~ムシュクレ村のイーネオヤの最近の流行りと美味しいもの
オヤと言うのは伝統と名が付いても古式の一定のルールがあるわけではなく、各時代時代の積み重ねであり、当時の流行りの名残りであったりする。 例えばアンカラのナウルハンのイーネオヤ。糸は未撚りのシルク糸を自
3日目にイェニシェヒールのヨロレン村へ行きました。 イェニシェヒールの本来のイーネオヤはイズニックのオヤとも場所が近いだけに似ているものも多く、巨大なイズニックのオヤに比べるとその縮小版といった感じで
2日目はムダンヤのカイマクオバ村へ行きました。 ここにはオリーブ畑を営む一家が住んでいて、そのお家の奥さんフスランさんと隣村に暮らす妹さんユクセルさんにイーネオヤを教えてもらいました。 この地帯
2023年6月から7月上旬にかけて行ったオヤ旅の話はこれで終わり。 このあと、友人たちは帰国し、それぞれのオヤ活動を続けていることだろう。 タイトルの「イーネオヤロード」は、日本ヴォーグ社さんの季刊誌「
イーネオヤロード2023(51)~豪華!ムシュクレ村の嫁入り持参品のイーネオヤ
セルダー先生のお家に来たら、見せてもらわないといけないものがあります。 それは先生の嫁入り持参品だったイーネオヤのチェイズです。 チェイズとは嫁入り持参品のことを意味し、それらを入れるチェストのことも
ソマでは市の職員さんの協力のもと、前回も訪れた文化の家へ向かった。 そこでダレカレ村のアイシェ先生と再会した。 今回も色々とお家に保管していた嫁入り持参品であるイーネオヤを持ってきていて見せてく
イーネオヤロード2023(40)~コザックの小さな民族博物館
コザック高原にある小さな民族博物館を訪ねた。 村人からの善意で集められた衣装やオヤスカーフなどが展示されている。 オヤスカーフはコザックのもので、それぞれにモチーフ名があった。 上左から淑女
山頂の県境を越え、アイドゥン県からイズミール県に入りました。 ティレに向かう下り道と反対方面にある村への道を進みます。 この道は先がなく、村は道の行き止まりにあります。 周囲は山の斜面で、そこで無花果
2023年6月~7月に決行したオヤ旅「イーネオロード2023」の続きです。 9月11日のブログをご覧になって思い出していただければ幸いです。 いい匂いの出元はこちら。 庭に置いてあるドラム缶。 ドラム缶
日本からトルコへ戻ってきてから3日後に、日本から来た述べ4名のオヤ友たちとイーネオヤ修行旅に出発した。 述べというのは今回、グループでのオヤ旅としては長めの26日間(フル参加の友人にとっては行き来も含
アイドゥンから隣県のイズミールへ向かう山道を移動しました。 今でこそ県境がありアイドゥン県とイズミール県になっていますが、かつてはこの山一帯が戦場でありゼイベッキやエフェがいたわけです。 そのゼイベ
8月18日(金)19日(土)はアイシェと彼女の織る絨毯に会える日!
明日と明後日にバハールさんで開催されるイベントとインスタライブのお知らせです。 逗子の会場には「絨毯の成る果樹の庭先ートルコ ある村の手仕事」の内田英恵監督と、挿入画を担当されたサイトウナオコさんが
チャリティー上映会「絨毯の成る果樹の庭先」&アイシェ宅から絨毯を見る会
旅のブログの途中ですが、イベントのお知らせです。 8月18日(金)16:00-18:00 8月19日(土)13:00-15:00 神奈川県逗子市小坪のバハールさんにて チャリテイー上映会「絨毯の成る果樹の庭先-トルコ
6月にイーネオヤ調査のための最後の旅を計画しています。 「最後の旅」の意味は色々あります。 現在、旅のための下調べをしているところですが、今回は主にアイドゥン県とイズミル県のエフェオヤの地域、そして
土壁家族の写真 / Turkey / Sanliurfa - Harran
私は、トルコに二回も行ったことがある。イスラムとヨーロッパ、大昔と現代オスマントルコなどの歴史と、民族やシリア難民様々な国境に挟まれた中、独特な文化なんかごっちゃまぜな国のイメージが今、ある。当時は、イスラム教一色のイメージイスタンブール全部興味津々カッ
アンタルヤの高台に15年ほど前に手に入れた5区画の宅地を所有している。 当時、周囲には牧畜と農業を営む村人の家が数軒あるだけの土地だったが、近くに新幹線駅ができるとか現在市中にあるバスターミナルが移転す
着いた先はソマのキュルトゥルエヴィ。 直訳すると文化の家なのですが、地元ソマの古い習慣や衣装などの展示が見られる施設です。 タルハラの民族衣装を着た女性たちや結婚行事の古い写真が展示されていたり
女性が持ってきてくれたのは、親戚の年配の女性の持ち物だというシルク製のタルハラの花嫁のオヤと、自分自身が嫁入りの際に用意したというナイロン製のものだった。 大きな個体のオヤでブレードに付けられている造
アイドゥンの大きな立体のラーレ(チューリップ)、キルピッキパトゥ(キク)の発祥の村、そしてエフェオヤが生まれた村と4つの村を訪問し、エフェとはエフェオヤとはなんだったのか、そして現在のエフェオヤを取り
オデミシュの中心地から高原地帯に向かう。 エーゲ海地方のオデミシュは夏は40℃を越える暑さ。 そのため夏になると高原にある別荘に移動して暮らす人も多い。 高原の村に暮らすハティジェさんを訪ねた。 昔は
タルハラは現在の名前をダルカレ村と言う。 一般的にはタルハラ村として知られている。 ペルガモン王国時代の紀元前2世紀頃に、キャラバン隊の行き来を見守る見張り塔のある岩山の裾野に人が暮し始めたのが