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米軍に焦土にされた悲惨な都市ランキング

社会
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終戦記念日の前後にはメディアの多くが戦争の悲惨さを伝えるが、原爆を落とされた広島や長崎ばかりがクローズアップされて他の被害状況はあまり報道されない。壊滅的被害を受けた都市を犠牲者数の順に紹介していこう。
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余った爆弾は浜松に捨てて帰国

まずは都市別の犠牲者数がワースト10位の富山市を襲った大爆撃の惨状から。

1945年8月2日。米軍のB29大型爆撃機174機が50万発以上の焼夷弾を投下し、一瞬にして街を燃やし尽くした「富山大空襲」は市街地の99.5%が焦土と化し、被災者は約11万人。犠牲者は2767人(東京新聞大図解『空襲被害』より。被害者数は以下、同)となり、地方都市としては人口比で最も多くの死者を出した。

99.5%って、見渡す限り建物がほぼ残っていない焼け野原……。

焼夷弾とは発火性の薬剤を充填した爆弾のことで、家屋の屋根を貫通して床に衝突すると発火。燃焼する無数の火の玉を最大30メートルの高さまで噴出して、周辺にある物を瞬時に炎上させてしまう。

木造家屋ばかりが密集していた当時の日本には効果絶大で、一都市を壊滅させるほどの威力があることを知った上で、米軍は落としまくったのである。

軍事用施設を狙った空爆だと米軍は言い張っていたが実際には工業地帯の被害は少なく、結果的に被災したのは主に住宅地であった。

軍関連ではない施設を狙っての民間人殺傷を目的とした空襲は国際法で禁止されていたことを考えると、明らかな法律違反。今からでも遅くはない。米国は富山市民に即刻謝罪せよ!

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