数か月前、私に大学生の長女が「『ミッドサマー』って映画、映画館で観られなかったから気になっててこの前ラストだけネットで観ちゃった。あのクマさー……」と当たり前のように話してきた。

 ちょっと待て、その観かたはないわぁーと不満顔の私に長女は「あとで全部観るよ、最後まで面白そうだったから」と。

 私が薦めた『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ギャラクシー・クエスト』などなどを同じようにラスト確認する観かたをされたらいやだなあと思ったのだが、しばらくして流れてきたニュースがあった。

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「映画やテレビ番組を早送り早回しして観る層がいる」

 現代社会では気になるもの観るものふれたいものが溢れていてひとつひとつに時間をとっていられないのか、ラストでがっかりしない作品であると確認せねば安心して観ることができないのか、多くを観た気になるために数をこなしたいのか、全部なのか。

 実は少しだけ理解できる。私自身観たい映画が2時間越えるとわかると「……長い」と感じてどっこいしょと気合いを入れないと観にいけないからだ。年をとって堪え性がなくなったからだろうなこれは。自分はさておき若い層の方々は違うのね、いろいろなものがまわりにありすぎるのね。そういえば出版社の方が「漫画1~2巻無料キャンペーンをやっても続き巻を購入してくれる確率が低い」と何年も前に嘆いていた。途中までしか読めないのに物語のさきが気にならないんですかねえ、と私が問うと「じゃあ、この漫画はここまで、と他の無料漫画にうつっていくだけなんですよ」との答え。読むものはネットの海にたくさんあるのだ。ゲームもしなきゃだしね。

映画早回しは野球で言うと試合は観ずスポーツニュースだけと同義か

 さて、野球である。ひと試合に長い時間かける野球だ。このままでは野球ファンのすそ野が広がるとは思えない。

 なにせ3時間はかかるのだ。野球の試合は。

 映画早回しは野球で言うと試合は観ずスポーツニュースだけと同義か。

 試合のいいところをつまんで解説してくれて結果もわかり順位表も頭に入る。効率的。1日は24時間しかないのに3時間なんて球場にいられないよ、テレビを観続けられないよ、と野球ファンでない人からは言われそうだ。

 野球観戦の辛いところはラストを早送りで観られないことだろうか。筋書きはない生のドラマ、勝つ(面白い)とわかっているなら耐えられるけど3時間かけてわざわざ観る負け(気に食わない結末)ってなんだ。大切な長い時間をかけて落胆しイライラするやもしれぬ野球の試合という作品は確かに「そんなの最初から観なければいい」で切り捨てたほうが精神的に楽なのかもしれない。5分で試合結果を観て納得すれば体もらく……なのかな。否。

 頼む、菊池涼介選手の動きを観て欲しい。赤い忍者と呼ばれているわけはすぐにわかると思う。難しい守備を当たり前のようにこなす身体能力、と言ってしまえばそれまでだが、もとアニメーターの目からするとあきらかにアクションが少ない。無駄な動きがないの一言ですむ少なさでなく、時としてあきらかに人としての動きが足りない。ひとは一歩踏み出さないと次の動きにいけないはずなのだが、何故球を捕った次の動きで既に送球しているのか。球を投げる方向を見ないと投げられないのだが何故見ないまま真後ろに正確に投げているのか? どえらい高いジャンプをして球を捕るのはわかるが、一番伸びあがった状態からもう一段階空中で伸びるのは重力に逆らっていないのか。球を握りなおさず腕を後ろに振らず送球できるのは……ほんまなんでなん。アニメでそのまま動かしたら「人としての基本の動きの絵が足りません」とリテイク(やり直し)がくるはずだ。

菊池涼介 ©文藝春秋

 菊池の守備に惚れて何年も観ているとなんとなくわかってくる。体の中にアクションがあるのだ。普通の人が足を踏み出し腕を振り前屈になるところを、脳と体の中の筋肉がさきにやってる。地肩が強い腰が強いはもちろんあるが野球脳からショートカットで全身に命令がいってる。練習で身に着けた部分ともとの体の強さがどういう割合で成り立っているかはわからない。自分がアニメで動かすとしたらどうするかなあと考えて菊池選手を観ている。表に出ない体内アクション、これを描くアニメ的表現を最近思いついたりした。一生描くことはないだろうけど。考えるのが楽しい。

 ああ、昔、牛若丸と呼ばれた小坂誠という選手がいましてなあ。167センチ! 眼鏡!のゾーン広すぎショートよ! 萌えずにはおられん。ちっこくてかっこよかった。やはり守備の動きがおそろしく冴えていたのだ、眼鏡で!(大切)