2014年ソチオリンピック日本代表で元フィギュアスケート選手の高橋成美さんは、3歳からスケートを始め、10歳で全日本ノービス選手権Bクラス3位に輝きました。小学校4年生のときには当時“ペア大国”だった中国へ移住。中学生でペアに転向し、ナショナルチームに入るほどの実力に。しかし、実力があるがゆえに中国国籍に帰化するか否かの選択を迫られ、中学校2年生で帰国することになりました。(全3回中の1回)

3歳からスケートを始めて小4のときに中国へ

── スケートを始めた年齢ときっかけを教えてください。

 

高橋さん:スケートを始めたのは3歳のときです。2つ上の姉が先に習っていたので、ついて行くうちに自然と私もスケートをするようになりました。姉も私も小児ぜんそくを持っていたので、お医者さんに「スケートや水泳をするといいよ」と勧めていただいたことと、自宅からスケートリンクが近かったことがきっかけです。両親ともにスケート経験者ではないのですが、先生に教えていただく前に手をとって滑らせてくれたのは、北海道出身の母でした。

 

スケートに夢中になっていた小学校2年生のときに、長野オリンピックでスケート選手が活躍している姿をテレビで見たんですね。もともとテレビに出たいという気持ちがすごく強かったので、「あ!いい方法を見つけた!スケートを頑張ったらテレビに出られるんだ!」と思って。ちょうど今頑張っているスケートを、ずっと続けていこうと考えるようになりました。

 

3歳のころの高橋さん

── 小学4年生のとき、お父さんの転勤で中国に移住されました。中国への渡航は、ご自身の希望だったんですよね。

 

高橋さん:はい。転勤先の候補として、アメリカと中国があったのですが、中国には当時私が憧れていた申雪(しんせつ)選手、趙宏博(ちょうこうはく)選手というペアがいたので、もしかしたら一緒に練習できるかもしれないと思って「中国に行きたい」と両親に言いました。

 

9歳だったのでプロになるという概念はまだなかったのですが、当時の私にとっては世界の中でフィギュアスケートが一番尊いものだと思っていたので、フィギュアスケートが一番上手になりたいという気持ちからです。

 

── 中国での生活はいかがでしたか?

 

高橋さん:文化の違いもあったのですが、幼かったのですぐになじめました。当時は「みんなと一緒になりたい」、「自分が日本人だとバレたくない」という気持ちもあって、中国人のふりをしていました。

 

私は北京に住んでいたのですが、スケーターのみんなが中国の東北部出身だったんですよ。中国は広くていろいろな方言があるので、一人ひとりがどこの出身でどんな方言なのかがはっきりとは分からない部分があって。私の覚えた中国語が、北京の人からすると東北部出身の子なのかな?と感じさせていたみたいで、うまくなじめていました(笑)。

 

中国に移住して間もない小学校4~5年生のときは日本人学校に、6年生のときはインターナショナルスクールに、中学校1年生と2年生のときは現地の中学校に通いました。

 

── 各進学先も、ご自身で選択されたのでしょうか?

 

高橋さん:引っ越してすぐの日本人学校は両親が、小学校6年生のときのインターと現地の中学校は自分で選択しました。

 

ノービス(小学生のシングル有級者)の代表選手に選んでいただいていたことから、小学校6年生のときに国際大会で初めてクロアチアに行ったんです。ノービスってイギリスが強いんですね。なので、イギリスの先生の言葉が聞き取れたらスケートが上手くなるのかもしれないと考えて、クロアチアから帰ってきてすぐに、親に手続きをしてもらって、日本人学校には戻らず、インターに入りました。ちょうど日本人学校の夏休みを挟んでいた時期で、インターの新学期スタートに間に合うタイミングだったんです。シンガポール系の学校で、基本的には公用語の英語を使うのですが、韓国人やインド人、中国人などが在籍していました。

 

ペアを始めたのは、中学生になってからです。中国人のパートナーとペアを組んで練習していくなかで、やはり練習以外でももっとコミュニケーションを取りたい、スケート用語以外の普段の会話もきちんとしたいなと思うようになって。今度は「中国語を学ぶために、現地の学校に行きたい」と両親にお願いして、中学校は現地の学校にしました。

 

── 中国語がよりスムーズに話せるようになって、感じた変化はありましたか?

 

高橋さん:みんなが心を開いてくれやすくなったと感じました。言葉が少ししか通じないときは、お互いに表面しか出さなかったり、本音を出しても無駄だと思ったりもしたのですが、中国語を話せるようになってからは、外国人の私は客観視できる立場だったことから、中国のナショナルチーム内で起こった揉め事や悩み事なども相談してもらえるようになりました。そのときに「あ!語学を学ぶと、相手が深くまで入ってきてくれるんだ!」と実感しました。

 

小学6年生のころの高橋さん