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日本刀神話「折り返し鍛錬法」「たたら製鉄」「玉鋼」「皮・心鉄構造」が強靱性を上げる ← 全部ウソ…
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11 : スミロドン(兵庫県):2013/05/12(日) 16:24:47.99 ID:dmEYdnNQ0
江戸以降のは洗練されすぎて武器としてはあまり意味が無いんじゃないの?

tokuchozu.jpg

1. 上古刀

上古刀(じょうことう)は反りのない直刀で、平造(ひらづくり)と切刃造(きりはづくり)がほとんどです。日本刀が直刀から湾刀(わんとう)へ移行したのは平安中期以降と考えられ、一般的に10世紀前半の平将門と藤原純友の乱(承平・天慶の乱)以降とみられています。それ以前のものは上古刀と呼ばれ、大陸より日本にもたらされた大陸様式の直刀です。この時代の刀剣の資料としては、古墳から発掘されるものと、奈良時代の正倉院御物の刀剣類があります。

tokucho_img2.gif2. 平安後期~鎌倉初期

平安時代後期から、いま私たちが普通に見る太刀、すなわち反りのある鎬造(しのぎづくり)のものがあらわれました。元幅(もとはば)が広く先幅(さきはば)が狭く、腰反(こしぞ)り・踏張(ふんば)りが強いものです。太刀は総じて細身で、茎(なかご)から腰元のあたりで強く反り、元幅に比べて先幅が著しく狭くなり、先端部が小鋒(こきっさき=鋒が小さめなこと)になります。これが、腰反りと呼ばれるものです。中程から先にいくと、棟(むね)から押さえられたような感じで反りが伏せられています。これを「うつむく」と称しています。刃長は2尺5、6寸(75.8~78.8cm)位のものが多くなっています。

tokucho_img3.gif3. 鎌倉中期

武士全盛の鎌倉時代には、重ねが厚く平肉(ひらにく)も豊かに、身幅(みはば)も広く、いかにも豪壮な太刀姿となります。元と先の身幅の差が少なく(先にいっても細くならず)反りは腰反りですが、中程から先に行ってもある程度反りが加わり、鋒は中鋒(なかきっさき)が詰まって猪首風(いくびふう)となります。刃文(はもん)は華麗な丁子乱(ちょうじみだれ)が流行しました。また、短刀の製作もわずかに現れます。

4. 鎌倉後期

鎌倉時代末期に太刀は、さらに豪壮雄大なものとなり、身幅が広く、元幅と先幅の差の少ない、鋒の延びたものとなります。鎌倉中期とほぼ同様に鋒が少し延びたものと、反面やや細身で、平安末ないし鎌倉初期のものと見粉う姿形もありますが、先にいっても伏しごころはなく、逆に反りが加わっています。刃文は互(ぐ)の目あるいは湾(のた)れと称するものが出始めます。相模国の五郎入道正宗が沸出来(にえでき)の作風を完成したと言われています。

5. 南北朝時代

南北朝時代には刃長3尺(90.9cm)に余る長大な太刀が作られ、短刀も大振な姿態のものとなってきます。太刀は豪壮で、身幅広く長寸であり、中には3尺を越す背負い太刀・野太刀(のだち)と呼ばれる物々しい大太刀もありますが、いずれも重さを軽減すべく重ねを薄く造り込んでいます。また棒樋(ぼうひ)を掻(か)いたもの(=刀身に沿ってみぞを彫ったもの)が多くなっています。この時代の太刀は、後の時代(主に天正や慶長年間)に大磨上(おおすりあげ=茎から短く詰めること)となって、無銘の打刀(うちがたな)に仕立てかえられたものが多くあります。

6. 室町前期

室町時代前期には鎌倉初期の様式にならった作風を示しています。 前時代の大鋒(おおきっさき=鋒が大きめなこと)の長大なものは姿を消し、刃長は2尺4、5寸でやや身幅を狭く、反りが高く、中鋒(ちゅうきっさき=大鋒と小鋒の間くらい)で、一見鎌倉時代のものと見紛いますが、わずかに先反りがつくのが特色です。

7. 室町後期

室町時代後期になると、戦闘様式は一騎駈(が)けから徒歩の集団戦に移り、刃を上にして腰帯に指す打刀が多くなります。応仁・文明の乱以後、各地に戦乱が起こり、数打物(かずうちもの=既製品)が出まわりました。特に注文によって念入りに鍛えたものを注文打(ちゅうもんうち)と呼んで区別しています。備前(岡山県)と美濃(岐阜県)が二大生産地です。刀は寸法がつまり、多くは2尺1寸(63.6cm)前後です。身幅は普通かやや広めで、中鋒・中鋒延(のび)ごころのものが多く、先身幅は狭くならずに、先反りが強くつきます。茎は片手打ちに適すように短く作られています。

8. 安土・桃山時代

刀剣史上、慶長(1596~1614)時代以前のものを古刀と呼び、以後のものを新刀(新刃[あらみ]・新身[あらみ])と呼びます。安土・桃山時代になると刀鍛冶は京、江戸を始め、新勢力の諸大名の城下町を中心として集まり、また交通の発達は鉄資材の交流を促し、外国製の鉄すなわち南蛮鉄も使用されるようになりました。刀の姿は南北朝時代の太刀を大磨上にした体配(=茎以外の刀身の姿)に非常によく似ています。広い身幅で、元幅と先幅に開きが少なく、中鋒が延びるものや大鋒もあり、重ねは厚くなります。刃長は2尺4寸、5寸(72.7cm~75.8cm)前後のものが多くなっています。

9. 江戸時代(中期)

江戸時代の中期の刀剣の姿形は普通の身幅で、元幅に比べて先身幅が狭まり、反りが目立って浅く、鋒も小さく中鋒のつまりごころの形状です。刃長は2尺3寸(69.7cm)前後のものが多くなっています。この独特の体配はとくに寛文・延宝年間を中心とした頃に多く作られていることから、これを寛文新刀と呼んでいます。

10. 江戸時代(元禄期)

貞享・元禄を中心とした頃、つまり寛文新刀から新々刀(しんしんとう)へ移行する過渡期の姿です。天下泰平となり、刃文にも斬新(ざんしん)華麗なものが現れました。寛文新刀よりは、反りがやや深くなっています。

11. 幕末期

文化・文政以後のものを新々刀または復古新刀と呼んでいます。水心子正秀(羽前山形→江戸)や南海太郎朝尊(土佐)は復古刀を唱え、水心子の門には大慶直胤がいます。源清麿(信州→江戸)も相州物・美濃志津の作風の復古を志し、その技量は高く評価されました。身幅は広く、元幅と先幅のひらきが少なく、長寸(2尺5、6寸)で反りの浅い大鋒の造り込みとなり、重ねは厚くなります。

12. 明治以後

明治9年の廃刀令から現在までの刀剣を現代刀と呼んでいます。廃刀令が出ると刀工は職を失いましたが、明治39(1906)年に至って月山貞一、宮本包則が帝室技芸員に任命され、鍛刀の技術は保護されました。明治・大正・昭和・平成と、鍛錬技法は今日まで続いています。現代刀においては、古刀・新刀を問わず、あらゆる時代の著名刀工の作風を模写しており、特に鎌倉時代の太刀を写したものが多く作られています。

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32 : ラ・パーマ(やわらか銀行):2013/05/12(日) 16:48:53.72 ID:VgdIn51x0
>>11
鎌倉時代にはもう完成されてるっぽいな
凄いというか進歩が無いというか



16 : バーマン(鳥取県):2013/05/12(日) 16:29:47.49 ID:GiEwi4UV0
>>11
なんて言うかしらんけど
並々の線の所が好き



22 : スナネコ(岐阜県):2013/05/12(日) 16:37:34.73 ID:GqYTcyzU0
>>16
刃紋のことかね



27 : バーマン(鳥取県):2013/05/12(日) 16:41:45.94 ID:GiEwi4UV0
>>22
刃紋か
それそれ



28 : スコティッシュフォールド(やわらか銀行):2013/05/12(日) 16:41:53.60 ID:QPKBUP3X0
波紋の付け方とか考えたやつの思考回路が知りたい


86 : ハイイロネコ(兵庫県):2013/05/12(日) 20:49:20.45 ID:bkslIrPSP
>>11
創る人によって全然波紋違うんだよな
でもやっぱ5が一番好きだわ




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   るろうに剣心の人誅編とかいう黒歴史


図解 日本刀事典——刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅!!
歴史群像編集部(編集), 銀座長州者(その他)
2021-10-28T00:00:01Z
5つ星のうち4.2
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コメント
  1. 名無しさん(笑)@nw2 2013/05/13(月) 12:17
    平安後期~鎌倉前期が刀の全盛期だっけか

  2. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 12:26
    かっこいいわ~!芸術だよなー

  3. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 13:17
    >>1の
    高解像度の画像が欲しいな。


  4. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 13:39
    7,8番くらいのが好みだな

  5.   2013/05/13(月) 14:33
    日本刀神話は本当に害悪 玉鋼とかいらねぇから

    今現在刀剣界でまかり通ってる理論は全部嘘

  6. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 14:41
    日本刀神話は本当に最高 当時玉鋼必須。


    今現在の科学知識でモノ語って通ぶってる奴は害虫。
    しかも嘘であるという証明すら語れない。
    コピペだよりぐらいならもう悲惨すぎて同情してしまうw

  7. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 15:05
    昭和新刀こそ至高

  8. 名無しさん@ニュース2ch 2013/05/13(月) 15:09
    3~7の刀8口持っていますが掛けて眺めると3が堂々としているね。5くらいのでは相伝兼光系統とおもいますが地金が青く澄んで底光がしていますよ
    新刀では見られないひかりですね

  9. 名無し 2013/05/13(月) 15:16
    まぁ、確かに戦国期以降は量産性重視になって、それ以前の製法とは全く違うのは事実

    江戸時代以降主流になった複数の鋼を使う刀と違って、
    戦国以前の今に残る名刀は一種類の鋼を使う素延べ一本造が多い
    これは研いで刃が痩せてもアンコが出てこない

    ただ歩留まりは圧倒的に悪く量産にはあまり向かないので戦国期に廃れた
    こういう古刀は、構造的には満鉄刀やスプリング刀に近い

    小林刀匠なんかはこういう古刀な再現をしようとしてたね

  10. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 19:58
    鉄の研究やってた自分としては理にかなってると思うのよね、日本刀の製造方法は
    特に芯に部分に低硬度な鉄を用いて周囲に焼き入れ可能な高炭素鋼を使うって事がまず面白い
    次に精錬技術が未発展な時代から鍛造加工によって高純度にしていく発想
    さらに鍛造加工と熱間加工によって芯と外の素材を綺麗に接合する技術
    これは面白いよ
    折り返しってのは金属の層を折るって多重構造にしてるんだけどこれはダマスクスとかにも見られるみたいだね
    ほんと金属は面白い

  11. 名も無き修羅 2013/05/13(月) 21:24
    スレタイ詐欺かよ

  12.   2013/05/13(月) 23:24
    上古刀を載せるなら
    毛抜形蕨手刀も載せるべきじゃないの?日本刀の原型だろ

  13. 名も無き修羅 2013/05/14(火) 00:07
    それでスレタイの答えは?

  14. 名も無き修羅 2013/05/14(火) 01:39
    現在作る刀が古刀に敵わないのは、玉鋼とか心鉄構造とかに拘ってるから

    小林刀匠なんかは日本刀業界の閉鎖性と思考停止ぶりを嘆いていたな

  15. 名も無き修羅 2013/05/14(火) 02:48
    当時の鉄鉱石は質がいいんだよ

  16. 名も無き修羅 2013/05/24(金) 11:33
    米130233
    材料や法的な制限なしで作れば簡単に超えられると思うが、必要性がないしな。使い道がない

  17. 名も無き修羅 2013/05/26(日) 00:32
    米130235
    鉄鉱石……だと? 砂鉄じゃないの? ちなみに日本の鉱石は黒鉱と呼ばれ不純物が多くあまり適さない。ただしその不純物は金や銀などの希少金属。これらをより分ける技術がケータイから金属回収に繋がってるのも面白い。

  18. 名も無き修羅 2013/05/26(日) 11:49
    パッと見、騎兵用の刀は反りが大きく
    歩兵用は反りが小さい感じかな。

  19. ななし 2013/05/29(水) 13:30
    1かっこいいと思う俺は異端

  20. 名無しの日本人 2014/09/14(日) 07:55
    白兵戦でもっとも刀が使われたのって幕末じゃねえの?

  21. 名も無き修羅 2016/03/10(木) 17:56
    戦国期の騎兵は円軌道で振り回すように使うことが多い=反りが強いほうが使いやすい。

    幕末、白兵戦では斬撃よりも刺突が有利であることが経験的に知られていた=反りが少ない刀が流行った。

  22. 匿名 2021/05/12(水) 08:28
    手元から反ってるのって振り難そうで何か嫌だな

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