2018年 05月 02日
キミと過ごした町も桜咲く春だよ・2018
なのに、なぜか、桜にはとても惹かれるのです。
いつもは、そこにあることを忘れている。
春、ほんの短いひととき、一斉に咲いて、一斉に散る…
だから、桜を振り返ると、長い時間が、ぎゅっと縮まって、
アルバムをめくるよう、時を遡るような気がして…それで惹かれるのかもしれません。
ちわりと出会ったのは、1993年2月、それから2014年3月に亡くなるまでの、
前半10年、2004年まで暮らした町…
小さな公園は、たぶん、その当時からあった、
でも、その桜に気付いたのは、去年。しょかが教えてくれたのでした。
去年、市内の桜が、まだ咲き始めの頃、すでに満開だった桜、
今年はもう散ってしまっただろうな、
でも、ちょっとだけ寄って行こう、挨拶して行こう…そう思って立ち寄りました。
思った通り、花は終わって、
思いがけず、美しい桜色。
散ったばかりなのでしょうか、その上へ、更に、はらはらと落ちる花びら…
子猫だったちわり、若い、元気な、猫・オスだったちわり、
わたしも若かった…ふたりとも、無邪気に、能天気に、しあわせを浪費していた。
今、ちわりは姿形を持たず、わたしも、遠くないいつか、体を失うでしょう。
春の盛りにいるようなしょかにも、必ず「その時」はやって来る。
わたし、そして、たぶん誰でも、偶然の重なりに因って生まれ、
小さな奇跡の積み重ねに因って生き、
そして、それだけの恩恵を受けたというのに、必ず「その時」がやって来る。
いったい、なぜそうなっているんでしょうね。
わたしを含め、たいていの人と動物は、特別な、大きな役割を果たすわけじゃない。
生まれて、生きて、多少なりとも、苦しかったり痛かったりしながら死ぬ。
それだけなのに、そこに喜びがあり、繰り返されて続いて行く。
その不思議…そして、必然。
ぼんやり思っているだけ。
それを突き詰めて考えようとは思わない、わかるとも思えない。
ただ、そうやって思う時、この小さい公園の桜が、特別なものに思える。
健やかに暮らして、来年、また見ようね…と、思う。キミと一緒に。
全て、4月26日の写真です。
今日、車で通り過ぎた時には、もう、桜色はありませんでした。
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