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野球浪漫2021

西武・高橋光成 流されない心「今思えば体のバランスが完全に崩れていました」

 

立ち居振る舞いに風格が漂ってきた。プロ7年目を迎えた高橋光成。今季はすでにキャリアハイの11勝を挙げ、投手陣の中心となっている。流されない心を手に入れ、成長に成長を重ねた。その裏には先輩投手からの教えがあった──。
文=上岡真里江 写真=佐藤博之、BBM

西武・高橋光成


「いろいろな意味でつらかった」


「僕がいなくなっても、代わりに、光成をしっかりと鍛えて送り込みますから大丈夫ですよ。楽しみにしていてください!」

 2019年1月、当時の西武ライオンズのエースだった菊池雄星(現シアトル・マリナーズ)は、そう言い残し、自身の夢の地・アメリカへと旅立って行った。

 実際、19年シーズン、高橋光成は初の2ケタ勝利を挙げ、その言葉が決して偽りではないことを証明した。だが、3シーズンが経(た)ち、いま、菊池の言葉はより深く、より高いレベルで現実のものとなっている。

13年夏の甲子園で前橋育英高の2年生エースとして全国制覇を成し遂げた


 前橋育英高で2年生のときに夏の甲子園優勝投手に輝き、15年にドラフト1位指名で入団。当初から、高卒の高橋には“将来のエース”として格別な視線が注がれてきた。

 1年目、8月2日のソフトバンク戦(西武プリンス)でデビューを果たすと、その試合こそ4回途中4失点で黒星を喫したが、2戦目の同9日オリックス戦(京セラドーム)でプロ初勝利。以後も先発ローテーションに加わり、5試合連続勝利を記録して8月度月間MVPにも輝くなど、期待以上のルーキーイヤーを過ごした。

「自分でも、プロでやっていけるんじゃないかな、という気持ちが芽生えていました」

 だが、プロの世界は本当に厳しい。2年目からはとてつもなく分厚い壁が、容赦なく立ちはだかった。1年目に5勝を挙げた19歳に、首脳陣は先発ローテの一角としてシーズン通して投げさせる方針を貫いた。それはもちろん、未来のライオンズを背負って立つべき投手として経験値を積ませたいという意図からである。ところが、序盤こそ3勝は挙げたが、6月以降は安定感を欠き、自身8連敗も経験することとなった。「単純に技術不足でした」と、今となってはサラリと振り返れるが、年間通して11敗を喫した当時の苦しみは想像するに余りある。

「1年間一軍で投げさせていただいている」と、大きな感謝を感じながらも、一方で、結果がついてこない。「なんとかして期待に応えなきゃ」という焦り。「ファームで頑張って良い成績を残している投手に申し訳ない」という肩身の狭さ。中継ぎへの配置転換。投げるたびに打ち込まれ、失われていく自信……。

「いろいろな意味でつらかったです」。19歳の小さな心は押しつぶされかけているように見えた。

 加えて、3年目に味わった人生初の右肩の故障が、さらに苦悩を深いものにする。5月半ばを過ぎたころ、右肩に生じた激しい痛みに耐えられなくなった。何よりも混乱したのが、なぜ肩を痛めのか? 自分の中で『原因不明』だったことだ。

「今思えば、体のバランスが完全に崩れていたからなのですが、あのときは本当に分からなくて。『この肩、本当に治るのかな?』と、とにかくすごく不安でたまらなかったです」

 生まれて初めての経験だ。練習やトレーニングも、どこまでやっていいのか、どこでストップすべきなのかも分からない状態。むさぼるように治療院を探し回り、少しでも「肩に良い」と聞けば、そのすべてを取り入れた。だが、特別“これ”といった改善策は見つからず、9月24日のオリックス戦(メットライフ)で一軍復帰は果たしたものの、結果として翌年も同じ右肩のケガに悩まされることとなってしまった。

 ただ、その一方で、非常に大きな収穫となったのが、「初めて肩や体の仕組みについて、自分でしっかり知ろうと思った」ことだった。練習ができない分の時間を、本を読んだりインターネットで調べたりすることに費やし、自ら積極的にケガやフィジカルについての知識を広げた。そして、この意識の変化こそが、菊池との距離を縮める大きなきっかけとなったと言っても過言ではない。

菊池との自主トレを経験して


 18年、不振に加え右肩痛が再発した高橋は、長くファーム生活が続いていた。そんな折・・・

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