概要
1970年4月14日生まれで、東京都西多摩郡羽村町(現・羽村市)出身。詳しい経歴は各種ファンサイトやWikipediaに任せるとして…。『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に合格しておニャン子クラブ会員番号38番となる。以前はセブンティーンクラブのメンバーであった芸能活動経験者としてのキャラは出さなくてもよく、むしろ今で言うおバカタレントやヤンキーキャラで知名度を上げていった(まぁ、学業優先のおニャン子なのにまともに学校に行っていないのはご愛嬌ということで)。渡辺満里奈のバックコーラスを経て、1987年には生稲晃子・斉藤満喜子ともに“うしろ髪ひかれ隊”としての活動も開始。おニャン子でもフロントを任されるなど、人気もついてくる。
1987年8月31日にシングル「禁断のテレパシー」でソロデビュー。中山美穂、南野陽子、浅香唯と共に女性アイドル四天王と呼ばれるほどの人気を獲得。バラエティではとんねるずの番組に出演することが多く、時折ドラマに出るなどして活躍していた。1989年に『ザ・ベストテン』で「MUGO・ん…色っぽい」をおニャン子出身者で唯一、1位を獲得[1]。名実ともに工藤の代表曲の一つとして認知されるようになる。同年に発売したミニアルバム『カレリア』から「愛絵理」名義で作詞をするようになる[2]。
1989年には「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」が立て続けにヒット。「嵐の素顔」は独特の振り付けが今でも真似されるほどの定番となり、「黄砂に吹かれて」はオリコン6週連続1位と『ザ・ベストテン』最終回の1位という記録を打ち立てている[3]。シングル「Blue Rose」からはソロデビュー時からコンビを組んでいた後藤次利と離れ、セルフプロデュースに移行。2000年11月に木村拓哉と結婚。この時、妊娠4ヶ月だった。その身籠っていた子は2001年5月に、次女も2003年2月に出産。2004年には自らの知名度が先行して評価されるのを避けるべく、ラスベガスにて自身がデザイン・プロデュースする宝飾ブランド「TREASURE IIII」を発表。その後、「Lotus~生まれし花~」で歌手業に復帰。現在も歌手・画家・宝飾デザイナー・主婦と4足のわらじを履き回しながら人生をフル回転し続けている。
二科展常連
芸術方面にも詳しい人なら御存知の通り、工藤静香は二科展常連芸能人の一人でもある。2019年時点で1回の特選、22回の入選実績を持っており、その特選作品は結婚後に描いた『瞳の奥』だったりする。原良次に長年師事していたことから実力は折り紙つきで、1990年から2000年までと、2006年から2018年まで連続して入選している。
2012年4月21日から5月27日までの間、青森県立郷土館において「あふれる感情 工藤静香展」が開催された。これは父の出身地が青森県だった縁から実現したもの。現在、個展をまた開くかどうかは不明。
歌手としての工藤静香
前述のとおり、「禁断のテレパシー」から「あなたしかいないでしょ」までは大半の楽曲を後藤次利が手がけている。前述以外の代表曲は「慟哭」「Ice Rain」「激情」「Blue Velvet」「きらら」「心のチカラ」。自身のシングルではかなりの確率で中島みゆきが絡んでおり、その縁は「FU-JI-TSU」から始まった。同じく中島とのコンビで知られる研ナオコとは対照的に、最初は歌詞だけの提供であった。これは二人共同じディレクターが担当しており、デビュー前に中島みゆきと松任谷由実と竹内まりやの中で好きなのが中島だったことから実現したもの。というより、後藤次利を始め、工藤と組む音楽関係者は中島みゆき絡みというパターンも割とあったりする。以外にも作曲も手がけるようになったのは遅く、「激情」からであった。
また、所属レーベルが所属レーベルなのでうしろ髪ひかれ隊から割とアニメソングに縁がある歌手の一人であった。うしろ髪ひかれ隊時代だと『ハイスクール!奇面組』や『ついでにとんちんかん』の主題歌を担当し、ソロデビュー後も「Blue Velvet」「心のチカラ」「 キミがくれたもの」といったアニソンを担当している。また、ディズニー映画『ヘラクレス』でメガラ(メグ)の日本語声優を担当、挿入歌の「恋してるなんて言えない(I Won't Say I'm In Love)」を歌った。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
脚注
- *余談だが紅白出場者の中でもおニャン子出身者は彼女だけである
- *愛絵理という名前は「両親が命名の際に第1候補として考えていた名前」という説があるが、筆者の手元に資料がないので不確定事項とする
- *この時に歌詞を間違えたことについてはもう許してやってください
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