宗教的疑問の深層ー宇宙の創造から人間の運命までー


先日、話の流れで、”もし神が実在すると仮定するならば” とか、 ”未だに宇宙で生命体と出会うことはない。” などと書きましたら、「神は実在する」 「宇宙人は存在する!」とコメントをいただきました。


宇宙の法則や生命の起源は不可思議なものです。それを神と呼ぶならばそれは神なのでしょう。

地球外生命体についても、過去に冗談交じりに述べたことがありますが、実際には宇宙人の存在を確信しています。なぜなら、宇宙人に関する写真や証拠が存在し、私たちの宇宙は広大で、他の知的な生命が存在する可能性は高いからです。アメリカでは50年ぶりに2022年にUFO公聴会が開かれ2023年にも開催されました。地球外生命体と思うだけで非常にワクワクしますね!


しかし、これについての議論は複雑で、今回は深入りしません。それでも、宇宙の不可思議さを感じるのは確かです。




私の深い関心は、因果の法則と宗教的信念、特に宇宙の創造と生命の起源に関わる神の役割に対する疑問に焦点を当てています。ビッグバンによる宇宙の誕生や生命の奇跡的な誕生を考えるとき、最初の段階であるていど運命が決まってしまうのではないかと思うのです。


もともと持って生まれたものが異なるため、最初の段階で差別が生じているように感じます。これを因果の法則のせいにするのは適切なのか疑問です。この点について20歳くらいの時に宗教家に質問したことがありますが、満足のいく回答は得られませんでした。「それは昔からそこに考えがいきつくのですが、それを考えてもわからないのだから考えないようにする、と昔から決まっているんですよ。それよりも今云々かんぬん・・」と言われ、彼らはこれを考えるべきではないと言い、過去に戻るのではなく、現在に焦点を当てるべきだと主張します。



例えば、行動遺伝学の研究は、特定の遺伝子が行動傾向に影響を与えることを示しています。これは、私たちの性格や行動が生まれながらにかなり決定されていることを示唆しています。遺伝子による差異は、因果の法則とは別の要因として考えられます。解脱を促す遺伝子や反社会的な遺伝子とか・・・。


私が真剣に悩むのは、神がこのような差別をなぜ許したのか、ビッグバンの際に生命が誕生するときに。ビッグバンの瞬間から、太陽、水星、地球などの天体やそれぞれの因子において顕著な違いが存在しています。


そもそも、太陽になる因子、水星になる因子、地球になる因子とその時点で歴然たる差別・違いが生じている訳です。それは何故なのか? ビッグバンから始まり、恒星の形成、惑星の形成、そして生命の誕生に至るまで、数多くの要因が組み合わさりました。これらの要因が、宇宙全体や各天体に特有の特性をもたらす役割を果たしてきたのです。

この過程において、物理的、化学的、地球科学的な要素が相互作用し、異なる環境が形成されました。その結果、太陽、水星、地球などが持つ違いが生じました。



しかし、遺伝子が個人の性格や傾向に影響を与えることは事実ですが、すべてを遺伝子のみに帰することはできません。環境や個人の選択も重要な役割を果たすことが、私たちにとってわずかな希望となるでしょう。仏教では、因果律や輪廻の教えを通じて、私たちの行動や思考が未来にどのように影響を与えるかを考え、積極的に選択し、生きる意義を見出すことができると教えられています。





しかし、私は神がこのような差別を許した理由、特に生命を維持するために他の生命を摂取しなければならないというシステムの残酷さについて疑問を持っています。神がそんなに素晴らしいのなら、神は、何故、そんな残虐で変態的なシステムにしたのでしょうか????

仏教の視点では、生命は循環しており、人間もその一部であると説かれています。植物や動物を食べた人間が死ぬと、その身体は土に還り、植物の肥料となり、この循環が続いています。しかし、食用とされるために殺されるときに生じる肉体的、精神的な苦しみや痛みが伴うことは、容易に言葉で表現できるものではありません。また、仮に安楽死させたとしても、他者によって己の肉体が強制的に捧げられる場合、残酷なシステムであることにかわりはありません。


キリスト教ではこれをアダムとイヴの原罪と結びつけていますが、アダムとイヴは私たちの遠い祖先であり、我々の何代前の人になるのでしょうか??? アダムとイヴのしたことをいつまでもグチグチネチネチとその子孫たちにずっーーーと罪をかぶせて、お前ら約束破ったからだ、お前らが悪いからだ、と私たちにその罪を押し付け続けている。幾らなんでも、ねちっこ過ぎると感じます。公平でもないと感じます。


また、キリスト教においては、神からの試練という概念があります。人を試すようなことをして、神って陰湿だよなぁって思ってしまいます。


このような理由で、私は諸手を挙げて、神様神様!!💕 って思えないのです。


しかしながら、一応フォローしておくと、仏教の教えは、個々の行動が未来に影響を及ぼすことを強調し、善行と自己啓発を通じてポジティブな変化を促します。一方、キリスト教の原罪や神の試練といった概念は、人間の道徳的、倫理的な成長を促すためのメタファーとして機能することがあります。

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