2023年08月31日

スーパームーン。 5-2.6 [解説]授業研究を軸とした経営(2) (昭和に生きる)

ブルームーン0831。 天気のよい日でした。

 今夜、満月が今年最も大きく見える「スーパームーン」です。そして、一か月に2度目の満月である「ブルームーン」が重なり「スーパーブルームーン」だそうです。
 天気もよく、美しい月を愛でることができるでしょう。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
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    東陽小学校の黎明

   《解説》 授業研究を軸とした経営
     名古屋大学教育学部  日比 裕
(つづき)
  二つの手だてを
 社会科の授業研究を軸とした学校経営は子どもたちが授業の中で発言すること(昭和五十二年度の達成目標は教師によってちがうけれどもおよそ学級児童の80%の発言)および教師が授業について考えたことを書くことの二つの手だてを中心に具体化されてきている。
 このことによって授業(子どもの学習)と学級経営と学校経営が相互関連的、相互補助的に深まっていくことが目ざされているといってよい。いや、自然な結果としてそのように結実しつつあるといった方がよいかもしれない。
 以上のように書き進めてくると、渥美校長はかなりのワンマンであり、そのスタッフも大へんだろうという印象をあるいは読者に与えるかもしれない。
おやー0831。 もちろん渥美氏なくて現在の東陽小の状況は考えられない。しかし渥美氏はそのスタッフに大きな努力を払わなければ到底できもしないことを要求しているのではなく、小さな努力によって実を結ぶことを要求しているといえる。そこのところが案外、渥美校長の学校経営の要諦かもしれない。
 若い時、子どもたちに対する教頭の話が長すぎるとクレームをつけて叱られた経験を持つ渥美氏は子どもたちの前で、教師の前で、形式ばった長話は決してしないようである。しかし瓢々とした氏はうちとけた場所では大へん話しずきである。美しく楽しい学校づくりをとつとつと話すとき、渥美氏はロマンチストである。そんなとき私は思うのである。散文的な人間ほど本当は詩的なものを内に秘めているものだと。
 私は多くの人に東陽小へ足を向けてもらいたいと考える。東海自然歩道を散歩するだけでもよいから。
   (昭和五十二年「学校運営研究」一九三号)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記先人に学ぶ
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