2023年09月19日
5-3.4 周辺的なことがら(1) (昭和に生きる)
連休明け、この時期になっても晴れて暑い日でした。
今朝、「ソメイヨシノの花が咲き…」とニュースで取り上げていました。記録的な酷暑のため「植物ホルモンのバランスが崩れて花開いたとみられる」とのことです。
ニュースにはなっていませんが、新東名へ向かった時、道路沿いにある桜の木が花をつけていました。四季桜でなくソメイヨシノだったと思いますが…。
サクラだけでなく“季節外れの開花”がありそうです。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
新城小学校での夢
(1) しろあとの記
(つづき)
周辺的なことがら(1)
新しく校長に就任すると、環境の整備をまず手がけるといわれる。それは新鮮なまなこに、いままでの学校に馴れきっている人たちの盲点が強烈にうつるのとともに、なにか一丁やらなくてはという意欲が相乗して環境整備へと着手させるのであろう。
いずれにせよ、学校が教育の場として生きてはたらいているかどうかは学校の環境やふんいきから感じられるものである。それだけに環境整備の具体化の進捗状況は、校長の人がらや考え方を示すことにつながるものであるといってよい。
幸いなことに本校は広大な敷地にゆったりと校舎が配置され、しかも新校舎にはかなりなゆとりがあって恵まれている。しかもわずか完成後二年を経過しているにすぎないのである。だから環境整備の焦点は必然的にキメの細かさが要求され、いわゆる死角をなくすることが当面のねらいとなる。キメ細かくするということは、できるだけすっきりと品よくすることが条件として考えられる。むだなものを置かないで、ものとものとが統一と調和をもっておかれ、しかもそれが全体として、あたたかさとか美しさをもっていなくてはならないであろう。そこではおそらくいるものをして安定感とか清楚さとか、快い緊張感とかを与えるものとなることはまずまちがいない。
そんなことを念頭におきながら環境整備に着手した。古風な校門をくぐっても玄関がどこかわからない不便を解消するために、わかりやすい表示をし、続いて大きな鑑賞用水槽、熱帯魚槽を求めて、金魚や熱帯魚を飼うこととし、花卉をいく鉢か玄関、職員室にもちこみ、生き物、植物の飼育栽培に精出すこととした。一方では雄飛のひろばと玄関の整備、庭園にさつきの植樹、運動場のイチョウ、クスの木の巨木に根を守る石垣と植樹、低学年図書室の新設、さらには低学年砂場作りとたて続けに死角をなくする努力をしたのである。
職員室前のロビーには、子どもと来客用に応接セット三組とフラワーボックス四個を配置し、鑑賞用水槽、ナマズ水槽をおいて、いこいの場としてのふんいきが出るように配盧をしたのである。
学校の動きが教師たちに伝わるのは早い。早い遅いに若干の差はあれ、各教室に金魚などの飼育、植物の鉢がもちこまれるようになった。そしてそれが起爆剤となって教室環境の整備に新しいアイデアが登場する兆しがみえてきたことはうれしいことだった。けれどもこれで満足していては困る。つねによりよく変えていくというかまえ、すなわち環境に対決する教師のあくなき姿勢ができなくてはほんものとはいえないのである。
学校としてもまだまだ手をつけなければならないことが多い。広い敷地の片隅に失われつつある野や山や川が造り出されることによって、のびのびと遊べるような学校環境にすることや、資料館施設の整備、授業研究室の創設など課題が横たわっている。
教師に変えていこうとする意欲があるもののみが、子どももまた変えていくことができるのである。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
今朝、「ソメイヨシノの花が咲き…」とニュースで取り上げていました。記録的な酷暑のため「植物ホルモンのバランスが崩れて花開いたとみられる」とのことです。
ニュースにはなっていませんが、新東名へ向かった時、道路沿いにある桜の木が花をつけていました。四季桜でなくソメイヨシノだったと思いますが…。
サクラだけでなく“季節外れの開花”がありそうです。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
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新城小学校での夢
(1) しろあとの記
(つづき)
周辺的なことがら(1)
新しく校長に就任すると、環境の整備をまず手がけるといわれる。それは新鮮なまなこに、いままでの学校に馴れきっている人たちの盲点が強烈にうつるのとともに、なにか一丁やらなくてはという意欲が相乗して環境整備へと着手させるのであろう。
いずれにせよ、学校が教育の場として生きてはたらいているかどうかは学校の環境やふんいきから感じられるものである。それだけに環境整備の具体化の進捗状況は、校長の人がらや考え方を示すことにつながるものであるといってよい。
幸いなことに本校は広大な敷地にゆったりと校舎が配置され、しかも新校舎にはかなりなゆとりがあって恵まれている。しかもわずか完成後二年を経過しているにすぎないのである。だから環境整備の焦点は必然的にキメの細かさが要求され、いわゆる死角をなくすることが当面のねらいとなる。キメ細かくするということは、できるだけすっきりと品よくすることが条件として考えられる。むだなものを置かないで、ものとものとが統一と調和をもっておかれ、しかもそれが全体として、あたたかさとか美しさをもっていなくてはならないであろう。そこではおそらくいるものをして安定感とか清楚さとか、快い緊張感とかを与えるものとなることはまずまちがいない。
そんなことを念頭におきながら環境整備に着手した。古風な校門をくぐっても玄関がどこかわからない不便を解消するために、わかりやすい表示をし、続いて大きな鑑賞用水槽、熱帯魚槽を求めて、金魚や熱帯魚を飼うこととし、花卉をいく鉢か玄関、職員室にもちこみ、生き物、植物の飼育栽培に精出すこととした。一方では雄飛のひろばと玄関の整備、庭園にさつきの植樹、運動場のイチョウ、クスの木の巨木に根を守る石垣と植樹、低学年図書室の新設、さらには低学年砂場作りとたて続けに死角をなくする努力をしたのである。
職員室前のロビーには、子どもと来客用に応接セット三組とフラワーボックス四個を配置し、鑑賞用水槽、ナマズ水槽をおいて、いこいの場としてのふんいきが出るように配盧をしたのである。
学校の動きが教師たちに伝わるのは早い。早い遅いに若干の差はあれ、各教室に金魚などの飼育、植物の鉢がもちこまれるようになった。そしてそれが起爆剤となって教室環境の整備に新しいアイデアが登場する兆しがみえてきたことはうれしいことだった。けれどもこれで満足していては困る。つねによりよく変えていくというかまえ、すなわち環境に対決する教師のあくなき姿勢ができなくてはほんものとはいえないのである。
学校としてもまだまだ手をつけなければならないことが多い。広い敷地の片隅に失われつつある野や山や川が造り出されることによって、のびのびと遊べるような学校環境にすることや、資料館施設の整備、授業研究室の創設など課題が横たわっている。
教師に変えていこうとする意欲があるもののみが、子どももまた変えていくことができるのである。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
Posted by ガク爺 at 17:17│Comments(0)
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