フィルムカメラの中古市場でよくよく見聞きする「モルト」。これが交換済みと表記されている機種は、整備されている安心感がどこかあったりするもの。通称モルトとは、緩衝材や遮光材として使用されているウレタン素材のモルトプレーンのことを指す。
その存在はミラーショックを抑えるためであったり、裏蓋やフィルム室への光の侵入を防ぐためであったり、そうした重要な目的のために日本製フィルムカメラの多くに使用されている。このモルトは加水分解による経年劣化の進行が比較的早く、製造から時間を経たカメラの場合、ボロボロと粉塵になったり、脱落したりしている可能性がある。
カメラやフィルム本来の性能を引き出すためには、この部分を確実に整備する必要性が生ずるのである。そして、初心者であっても比較的容易に交換できる初歩的な部分でもある。製品の価値を取り戻し、向上させるため、自家での張替えに挑戦してみるのも良い。または業者に依頼するにしても、その方法や意義を頭に入れておくだけで、きっと為になるに違いないのである。
モルト交換は自分でも、費用掛からず価値も愛着も増し増し。
中古市場で目にするのが、モルト不良、モルト劣化などの表記。こうしたものがあると購入にも及び腰、倦厭しがちになる。しかし動作そのものが良好なのであれば、心配しすぎずに自家整備するというのも大いにあり。カメラレストアの初歩技術と言われるモルト交換。初めての経験さえ乗り越えれば、その敷居も大いに低く感じるものである。
中古市場だけでなく、家族や親戚、友人などから、愛用していたフィルムカメラを引き継ぐ。きっとそんな場面もある。大切な人が大切に使ってきたカメラは、その思いも譲り受けて更に大切に扱いたくなるもの。ただし経年劣化しやすいモルトは、そんなときにいち早く整備しておきたい。これを自分自身で行うことで、もっと愛着も増すこと間違いない。
大切に使われてきたカメラであるが、長年の保管の末、加水分解が進み脱落していたモルト。簡単な作業で、これを蘇らせることが出来る。また劣化が進んだモルトは、その他の部品を腐食させることもある為、迅速かつ確実に交換しておきたい。またこのまま使用した際に起こるフィルムへの意図しない感光。それをを防ぐことで、再び美しい写真を撮影できるようになる。
モルト交換における、3ステップの簡単な手順。
モルト交換の作業自体は、それほど難易度が高いものではない。また比較的短時間で終わるものである。丁寧に作業すればいくらでも時間をかけることもできるが、その工程は何ら複雑なものはなくシンプルなもの。
step 01. モルト部分を清掃、削る。
step 02. モルトを切り出す。
step 03. モルトを張り付ける。
この3つの工程を丁寧に行うのみ。気にしすぎる必要はないが、内部の作業中にミラーや特に損傷しやすいフォーカシングスクリーンなどに傷を入れないように、比較的繊細な作業が要求される。これが終われば、カメラ自体の性能を引き出すことにもなり、その値打も上がるに違いない。
メンテナンスに必要なもの、あると便利な道具。
モルト交換で必要になるモルトプレーン。糊が既に付着していて、あとは貼るだけの両面テープ付きのものも便利。厚さも異なるものが販売されているが、役割に応じて複数あると更に良い。隙間を埋める薄いもの1mmや1.5mmと緩衝材にする厚いもの2mmや2.5mmを2枚など。
モルトを切る際に必要になるのが、カッター。通常のカッターであっても切れるのであるが、上から押さえつけるようにザクッザクッと切り込みを入れなければならない。ロータリーカッターであれば、引っかかりも無くスムーズに切り出し作業が行える。
新しいモルトを張り付ける前には、以前の接着剤を清掃しなければならない。そんなとき水を含まない無水エタノールは絶対的に必要になる。これをシルボン紙や綿棒などに付けて塗布する。すると見る見るうちに真っ黒になっていくはずである。
モルトの貼り付けの際、他にも残った粘着剤を削る際に便利なのがピンセット。先端が丸く、曲がったプラモデル用のピンセットなどがあると非常に便利。先で削るだけではなく、平面で削れる良さもある。先端が丸く、本体が傷つきにくい。竹串などでも代用可能で、慎重に優しく作業するのもポイント。
カッターでの切り出しの際便利なのが、勿論カッターマット。下敷きには新聞などでも代用可能だが、方眼によって目測を誤らずカッターを振るうことが出来るのも魅力。その他のカメラの整備の際にも、この上で作業すると傷や汚れを心配する必要もないので1枚あると何かと便利である。
流れで見るモルト交換の方法。初心者でも可能。
古いカメラ機種では、モルトが劣化していることが多々ある。裏蓋を開けてみると、接着剤だけが残っており、モルト自体は加水分解が進んでいた。新しいものを張り替える前に、元々ついていた接着剤を取り除く作業が必要である。
比較的難しいのは、裏蓋上下の隙間を埋める作業。隙間を測り、細くモルトを切り、押し込んでいく。その際に無水エタノールを綿棒などで、溝の中や周りに薄く塗り広げておく。そうすることで、粘着することなくスルリとモルトを所定の場所に押し込みやすくなる。
裏蓋上部には、溝の中にフィルムカウンターのレバーが埋め込まれている。その部分はモルトを埋めないようにするのもポイント。モルトは所定の長さよりも長めに切っておくと入れやすい。最後に余った分だけを切り取る。
モルトプレーンとは。交換のメリット。
所謂モルト劣化が進んだ状態では、カメラ内部の遮光性が保たれず、カメラ、レンズ、フィルムが元来備えたる素晴らしき表現力を発揮することが出来ない。しかしモルトが不備のカメラであっても、写真が全く撮れないという訳ではない。より機材の力を発揮させるために必要であるという事である。
photographの語源は、ギリシャ語の「光で描く」の意であるという。だとすれば、レンズを通った光がフィルムに感光して乳剤が反応する、そんな風に純粋な光表現を得るためには、カメラ内部の密室性を高めていなければならないとなろうか。それは、美しい純音にノイズが乗るようなもの。完全に防ぐのは極めて難しいにしても、少しでもそれを取り除くことが出来れば、より良い表現を手にすることが出来る。
だからこそ綿密に拘りぬけば終わりが見えず、そこに懸ける時間や労力は計り知れないものとなる。自家整備の良いところは、そうして諦めと拘りという自己の納得のいく均衡点を自分自身で決定できるところでもある。終日みっちりと取り組むのも良し、期間を開けながら雨の日にコツコツと取り組むのも良し、そんな風に各々ペースでカメラなどの機材ともっと向き合うことが出来る。夢中になって取り組む手作業は、心も開放されていく気がするものである。
愛用のカメラを自分の手で整備するという至福。手仕事の良さとは、その手には必ず心が控えているところであると柳宗悦氏は捉えた。手を入れ、手を掛け、そうするほどにカメラに対する愛着もより深まっていく。それはまさに唯一無二の愛機として、掛け替えのない存在になる。
フィルムの露出が安定しない場合。
古いフィルムカメラを買い受け、譲り受け、モルトを確認せずに撮影。そんな際に同じフィルムで露出が安定しないものは、露出計の不具合以外にもモルト劣化が可能性として考えられる。モルトの脱落などが見て取れたら、早速張替てみるのも良い。そうした古いカメラの場合、経年劣化しやすいモルトの確認は、念のためにしておくのが吉。ただし、自分で交換を行える場合はそこまで心配にならない。
プロに依頼するという方法も。
数日から数週間の納期を待つ事さえ出来れば、モルト交換をプロに依頼するというのも大いにアリだ。勿論、丁寧に美しく確実に仕上げてくれること間違いない。むしろ大切なカメラだからこそ、整備のプロに預けたいという選択肢も大いに正しいはずである。しかしながら、実際の手順を知っているというだけでも確認のしようがあるというもの。その仕事ぶりを観察し、研究するのも良い。
コラム:もっと写真とカメラが好きになる。
写真好きとカメラ好きは異なる。そんな他愛もない命題に考えを巡らせることもある。しかしよくよく考えて見ると、道具を愛せずして、大切にせずして、目的を達することが出来ようか。きっと写真が好きであることとカメラが好きであることは、殆ど同義であると見ることが出来る。写真を志向するが故にカメラを愛し、カメラを愛するが故に写真を志向するのである。
こうした考えは、鶏が先か、卵が先か、で逡巡するようなものである。野球スポーツで考えてみると、野球が好きであるが故に道具を大切に扱うというのは当然の帰結ではなかろうか。勿論、そこには各人に委ねられた趣向が入り込む余地が残されている。
デジタルとフィルムには、表現としてそれぞれの役割があると考える。同時に目的を達する手段があるに至り、全自動カメラとフルマニュアルという、より趣味性の高い選択が残されている。時に我々は過程を大切にするものである。不便であるがゆえに奥深さがあり、便利であるがゆえに選択肢が広がる。これもまた一つの役割と見ることが出来る。
こうした考えは、どちらこそが最強の剣で、盾であるかと定義するものではなく、その剣と盾を両手に携えて戦いに臨む姿勢なのである。そんなときどのような偉大な武器においても、整備というものが欠かせないもの。自らの意思を持って、道具を大切に用いることで、あらゆる戦場に万全に望むことが出来るのである。
これまで暫くの間、利便性や効率性や合理性の追求が、人間の至上命題のようにされてきた。しかし昨今、より豊かな精神、時間、人生とは何かという命題が見直され始めてきている。その部分に目を当ててみると、この短いとも言われる人生で、より濃い密度と実りある時間を如何に過ごすかが重要になった。これまで顧みられなかった失われた価値に再度、焦点を合わせてみる。
そうすることで、その道具には心が宿り、もっと写真とカメラが好きになる。
ブログ:モルト交換で、表現性を恢復。
箪笥の肥やしになっていた「FUJICA ST605」を多少なりメンテナンス、外装を磨き上げ、モルト交換を行った。そうするとカメラが喜んでいるかのように見えてくるものである。そうした感情は更に愛着を増していく。モノにはまさに心が宿るのである。現像後に出てくる写真も、絵が引き締まったかのように見える。より純粋な光をフィルムに写すことが出来ているのだろうか。
今回の撮影で使用したフィルムは、「フジカラー業務用 ISO100」。低感度フィルムの良さでもある、より緻密な粒状感が際立つ。コントラストも豊かに、ネガフィルムらしく記憶そのままの美しさを記録してくれている。
また、富士フィルムのフィルムカメラブランドFUJICA。ST605は他社間の互換性もあるM42マウントが採用されている。オールドレンズの名玉が数多く残ったM42レンズ。そんな中でも冷戦期、東ドイツで製造されたCarl Zeiss Jena社製の「MC Flektogon 35mm f2.4」を装着し撮影。それらの素晴らしい表現性を、ここに恢復することが出来たという喜び。
無心になれる幸福、インドアなカメラ趣味。
写真と言えば、物撮りやテーブルフォトなどを除けば基本的にはアウトドアな趣味であるといえる。あらゆるアクティビティに付随できる最高の趣味であるが、雨の日などでは家の中に引きこもって現像作業や整理整頓などに打ち込むことも多い。
しかし他にも家の中で出来るカメラ整備というのは、無心にコツコツと打ち込めるという点で、最高に快い趣味である。写真を撮影するという行為も同じく無心になれるという点で、非常に快い趣味であるといえるのであるが、その感覚と同様の楽しさを得られる。これはまさにインドアなカメラ趣味なのである。
ときには日々の喧騒から離れ、何かにひたすらに打ち込む。そうするだけで次の日への活力が生まれ得る。もしも撮影に赴けなくとも撮影のための整備をするだけで、心晴れやかに過ごすことが出来るのである。これは写真とカメラ趣味を、いつだって快く楽しむコツであったのかもしれない。ただ好きなものに触れ、それを建設的に仕上げるという行為が、単純に面白い。
一見するところ、無駄とも思える時間の過ごし方が、それぞれの豊かな時間を形成していく。