ニュースキャスターが読み上げる「老後2000万円が必要」という声が、妙に心に残り続けた。何を深く考えなくとも漠然とした希望だけで、何とかうまくやっているような気になっていたあの頃。そうして、日々生業に追われて忙殺されているようなフリ。多忙を極める事で、これからを深く考える事を拒みつつ。たった今さっきだったはずの出来事が、いつの間にか遥か遠くへと離れていってしまった。そんな感覚に底知れない虚無感を抱いてしまう。
浦島太郎かのような時の経過は著しく、もはやアラフォーとなり、老後の暮らしには避けて通れぬ恐ろしさに似た感情。老後の人生はこの時期になると少しずつ現実味を帯び始めている。アフターライフも見据え始め、いざ立ち止まってみれば忙殺されたフリばかりもしていられないといったところ。そんな人生の曲がり角に新NISAの波が押し寄せる。この大きな波に身を委ねてみる事とし、いざ漕ぎ出してみる事にした。
二人三脚で歩む妻は実に頼もしい存在で、常に応援を惜しまない専業主婦。「好きなことをして、楽しく幸せに生きてほしい。」と自ら発したからには、その約束を何が何でも守らねばなるまい。心の底からそれを願っているだけに。
新NISAで、はじめて株式を購入した際には、小口投資家なりの充足感「ついに株主になった」という余韻に浸っていた。ただ最初のワンステップとして指値を入力しただけで、その緊張は決済のスマホを操作する指に感じる事が出来た。その後、ものの数分で含み益や損を抱えていく事実の恐ろしさにドギマギとする。こんな緊張感は久しぶりである。たった1円、いや数十銭の下落と上昇に一喜一憂し、天国と地獄を往復しているような、そんな気持ちになった。これがまさに初心者株主の気持ちなのであった。
いざ株式投資を始めてみると、裸のまま何が潜んでいるとも知れない大海原に飛び込んでしまったような、そんな悦びと恐ろしさが共存しているような感覚を得た。
とはいえ、影の投資家として株の値動きについて興味を注いだ過去があった。コロナ禍における株の暴落は、ある意味ではチャンスととらえられた。実際にしっかりと見つめていた大企業、いつかは買おうという思いのまま、株価はこの3年間で3倍以上となっている。
「あのときに始めていれば…。」
そんな夢ある時期からこの株という世界に足を踏み入れていなかったことに、若干の勿体なさを感じつつ。新NISAの改正実施が、この世界へと飛び込む一助となったことは言うまでもない。当時は新NISAという制度自体が始まっていなかったのだからという言い訳を自らにして、これからを十二分に楽しみたいところなのであった。
青春を謳歌したあの頃、ただただ自らの熱中を支えてくれた企業を心から応援したい気持ちで、新NISA株主、私の最初の一歩を踏み出すこととする。果たしてこのことが奏功し、不安なき将来へ向かうことができるのであろうか。