3: 2012/12/12(水) 01:11:44.04 ID:SPZKkP5N0
コツ、コツン。
窓に小石のぶつかる音。

「……」

カーテンを端に寄せ、ガラス越しにその姿を見る。
コツ、コツン。
尚も飛んではぶつかる小石。

「……」

無言で小石を投げる彼女。
萩原雪歩のよく知る彼女。
黒々とした髪に引き締まった身体、菊地真。
時計は2時を指していた。

5: 2012/12/12(水) 01:18:20.43 ID:SPZKkP5N0
窓を開ける。
ひやりとした空気が肌を撫でた。

「真ちゃん」
「……」

返事はない。
返事はない。

「真ちゃん」
「……」

……返事はない。
ぼんやりと佇み、ただそこにいる菊地真。
雪歩の手の平が汗ばむ。
今日もまた、このまま時間が過ぎるのを待つ他ないのか。

「真ちゃん」
「……」

暗がりの中、街灯に輪郭を照らされてぼんやりと佇んでいた。

7: 2012/12/12(水) 01:28:39.65 ID:SPZKkP5N0
「真ちゃん。真ちゃんは、どうして」
「……」
「どう、して」

続けてもよいものだろうか?
雪歩の中に迷いが生じる。
こんな夜更けに、何の声もなくそこに立つ彼女。
普段の彼女らしからぬ振る舞い。
まるで、別人。

「どうして……」
「……」

しかし、彼女を菊地真である、と思える。
思わざるを得ない。
第六感、とでも呼べばよいのか。
根拠のない、奇妙な確信があった。

「どうして、真ちゃん、は」
「……」

途切れ途切れにしか吐き出せない言葉。
指先はおろか、肩口まで冷えきっていた。

8: 2012/12/12(水) 01:34:44.70 ID:SPZKkP5N0
「どうして、左腕がないの?」
「……」

返事はない。
ぶらりと垂れ下がった袖先には、本来あるはずの手がなく。
ゆらゆらと、ぼんやりと揺れるその様は、肩から先に何もないと語っていた。

「どうして」
「……」

返事はない。
返事はない。

「両足がないのは、どうして?」
「……」

返事はない。

「右手にナイフを持っているのは、どうして?」
「……」

返事はない。

「顔がないのは、どうして?」
「……」

……返事はない。

9: 2012/12/12(水) 01:45:34.43 ID:SPZKkP5N0
一陣、風が吹いた。
どこからか枯葉が一枚、雪歩の部屋へ舞い込んだ。

「……真、ちゃん」

名前を呼ぶ。
菊地真。
萩原雪歩のよく知る彼女。
快活で、格好のよい、唯一無二の親友。

「……」

返事はない。
先と相変わらず、右腕以外は平たい布がぼんやりと揺れている。
黒く塗り潰された顔。
何もない、なのにこちらを見つめていると分かる顔。

10: 2012/12/12(水) 01:46:15.18 ID:SPZKkP5N0
「真ちゃん」
「……」

返事はない。
右手に握ったナイフが鈍く光る。
その光さえぼんやりと揺れて、そうして消えた。

「真、ちゃん」

虚空に声を投げかける。
返事はない。
溶けるように消えた彼女。
ぼんやりと佇んでいたはずの彼女。
菊地真であるはずの彼女。

「……これで、一週間」

呟いて、萩原雪歩は再び眠りに就いた。

12: 2012/12/12(水) 01:55:11.63 ID:SPZKkP5N0
「おはようございますぅ……」
「おはよう、雪歩」

菊地真。
太陽の様に笑う彼女。
昨日の晩に見た姿とは、まるで違う彼女。

「あの、今日はまだ皆?」
「うん、雪歩が来るまで小鳥さんと二人きりだったんだ。小鳥さんも忙しそうにしてて、暇を持て余していたところなんだよ」

身振り手振りを交えながら話す彼女。
表情豊かで、元気のよい彼女。
昨日の晩に見た姿とは、まるで違う彼女。

「あの、真ちゃん?」
「うん? どうしたの、雪歩?」

迷う。
昨晩、家に来たか?
あれは、あなたなのか?
どう聞くべきか、迷う。

「……ううん、なんでもない。お茶でも淹れるね」
「ありがとう、雪歩」

聞くべきではないと考えて、今日もまた口を噤んだ。

14: 2012/12/12(水) 02:05:16.21 ID:SPZKkP5N0
他愛のない話をしながらも、雪歩の視線は忙しなく動き続けていた。
菊地真の左腕。
確かにそれは肩から生え、彼女の意思に沿って動いていた。
菊地真の右脚、左脚。
それらもまた、彼女の体にしっかりと繋ぎ留められ、柔軟かつ複雑に動いていた。
凛とした眉。
暖かな光を宿した瞳。
柔らかな頬。
筋の通った鼻。
薄紅色の、ふっくらとした唇。
そのどれも。
昨日の晩に見た姿とは、まるで違う彼女。

「雪歩?」
「え? な、何?」
「ぼうっとしてるみたいだけど、どうかした?」

こちらを覗き込む彼女の顔。
不意に近づかれ、息が詰まる。
昨日の晩に見た姿とは、まるで違う彼女。

「なんでもない、よ」

曖昧に笑いながら、そう返した。

15: 2012/12/12(水) 02:11:13.90 ID:SPZKkP5N0
コツ、コツン。
窓に小石のぶつかる音。

「……」

カーテンを端に寄せ、ガラス越しにその姿を見る。
コツ、コツン。
尚も飛んではぶつかる小石。

「今日も……」

無言で小石を投げる彼女。
萩原雪歩のよく知る彼女。
黒々とした髪に引き締まった身体、菊地真。
整った精悍な顔立ちは、黒く塗り潰されている。
すらりと伸びている筈の手足も、今は右腕のみ。
時計は2時を指していた。

16: 2012/12/12(水) 02:15:53.14 ID:SPZKkP5N0
窓を開け、彼女を見つめる。
彼女もまた、雪歩を見つめる。
目鼻のない、黒い顔。

「あなたは、誰?」
「……」

返事はない。

「真ちゃん?」
「……」

返事はない。
返事はない。
ぼんやりと佇み、ただそこにいる彼女。

「毎晩、何をしに来ているの?」
「……」

……返事はない。

18: 2012/12/12(水) 02:30:04.59 ID:SPZKkP5N0
互いに無言のまま、見つめ合う。
吸い込まれそうな感覚、黒く塗り潰された顔。
手の平のみならず、肌がじっとりと汗ばむ。
彼女は菊地真だ。
彼女は菊地真ではない。

「真、ちゃん?」

どちらも正しいと思う。
昼に会った彼女。
今目の前にいる彼女。
どちらも彼女だと、そう思う。

「……」

返事はない。
時計の秒針が規則的に音を立てている。
ちらと見てみると、2時16分。
彼女の右手に握られたナイフが鈍く光る。
その光さえぼんやりと揺れて、そうして消えた。

「……」

午前2時から、16分間の対面。
決まった時間に現れ、決まった時間に消える彼女。
昼間に見る姿とは、まるで違う彼女。
菊地真。
軽い吐き気を覚えながら、萩原雪歩は眠りに就いた。

19: 2012/12/12(水) 02:36:25.61 ID:SPZKkP5N0
「おはよう、雪歩」

太陽の様に笑う彼女。

「……」

ぼんやりと佇む、もう一人の彼女。
頭の中がまとまらない感覚。
胃が裏返る様な気持ちの悪さ。
どちらも菊地真だ。
そんな筈はない。
どちらも菊地真だ。
そんな筈はない。
頭の中がまとまらない感覚。
気が付けば、2時。
彼女のやってくる時間。
コツ、コツン。
窓に小石のぶつかる音。

「……」

カーテンを端に寄せれば、ガラス越しにその姿があった。

20: 2012/12/12(水) 02:40:24.21 ID:SPZKkP5N0
窓を開ける。
生温い空気が肌を撫でた。

「真ちゃん」
「……」

返事はない。
返事はない。

「真ちゃん」
「……」

……返事はない。
ぼんやりと佇み、ただそこにいる彼女。
雪歩の声が震える。

「どうして、左腕もあるの?」
「……」

返事はない。
暗がりの中、街灯に輪郭を照らされてぼんやりと佇んでいた。

21: 2012/12/12(水) 02:48:24.06 ID:SPZKkP5N0
力無く垂れ下がった袖。
けれど、そこに確かに左腕が通っている。
右手に握られたナイフが鈍く光る。
互いに無言のまま、見つめ合う。
吸い込まれそうな感覚、黒く塗り潰された顔。

「真ちゃん」
「……」

返事はない。
返事はない。
力無くぼんやりと揺れる左腕。
時に雪歩の手を掴み、時に拳を握るその左腕。
彼女は菊地真だ。
そんな筈はない。
頭の中がまとまらない感覚。
16分。
溶けるように消えた彼女。
ぼんやりと佇んでいた筈の彼女。
菊地真のような彼女。

「一体、なんなの……!」

震えながら、萩原雪歩は再び眠りに就いた。

22: 2012/12/12(水) 02:58:55.14 ID:SPZKkP5N0
「おはよう、雪歩」
「……おはよう、真ちゃん」
「あれ、元気ないみたいだけど大丈夫?」

こちらを覗き込む彼女の顔。
黒く塗り潰されてなどいない、彼女の顔。
昨日の晩に見た姿とは、まるで違う彼女。

「うん、最近ちょっと眠れなくて……真ちゃん?」

曖昧に笑いながら。
息が詰まる。

「それ……どうしたの?」

視線の先。
菊地真の左手、その甲には包帯が巻かれていた。

「ああ、これ? ちょっとヘマしちゃってさ」

明るく、照れ臭そうに話す彼女。
うっかり包丁で切ってしまった、と。
範囲は広いが傷は浅いので心配はいらない、と。

「……」

時に雪歩の手を掴み、時に拳を握るその左腕。
昨日の晩に見た彼女にもある、左腕。

23: 2012/12/12(水) 03:03:05.61 ID:SPZKkP5N0
午前2時。

「……」

コツ、コツン。
窓に小石のぶつかる音。
カーテンを端に寄せ、ガラス越しにその姿を見る。
コツ、コツン。
尚も飛んではぶつかる小石。

「……」

窓を開け、声をかける。

「真ちゃん」
「……」

返事はない。

「あなたは、誰なんですか?」
「……」

返事はない。
返事はない。

「どうして、両足があるんですか!?」
「……」

……返事はない。

26: 2012/12/12(水) 03:15:10.81 ID:SPZKkP5N0
互いに無言のまま、見つめ合う。
黒々とした髪に引き締まった身体。
吸い込まれそうな感覚、黒く塗り潰された顔。
力無くぼんやりと揺れる左腕。
時に雪歩の手を掴み、時に拳を握るその左腕。
立っているような、浮いているような両足。
菊地真の精妙な体捌きを支える両足。

「あなたは……誰なんですか……!」
「……」

返事はない。
右手に握ったナイフが鈍く光る。
その光さえぼんやりと揺れて、そうして消えた。

「……っ」

溶けるように消える、その間際。
何もない、なのにこちらを見つめていると分かる顔。
その顔が、はっきりと笑った。

28: 2012/12/12(水) 03:23:55.61 ID:SPZKkP5N0
16分。
ぼんやりと佇んでいたはずの彼女。
顔を黒く塗り潰された、菊地真の様な彼女。
菊地真に似ても似つかない彼女。
頭の中がまとまらない感覚。
胃が裏返る様な気持ちの悪さ。
思い出す。
思い出す。
菊地真の左手、その甲には包帯が巻かれていた。
消え去る間際の醜悪な笑顔。
菊地真に似ても似つかない彼女。
菊地真に似ても似つかない菊地真。
彼女は菊地真だ。
そんな筈はない。

「う、げえ、ぇ……!」

耐えかねて、胃の中身を吐き出す。
吐き出す。
……吐き出す。

「はぁ……は、ぁ……う、うぅ」

ぼろぼろと涙をこぼし、泣き疲れ、萩原雪歩は眠りに就いた。

29: 2012/12/12(水) 03:28:08.73 ID:SPZKkP5N0
「おはようございますぅ……」

返事はない。
騒がしい物音に遮られ、声は届いていなかった。

「あの……」
「雪歩ちゃん!? 落ち着いて、よぅく落ち着いて聞いてね」

音無小鳥に両肩を強く掴まれる。
真剣な眼差し。
その両目は真っ赤に充血していた。

「真ちゃんが、真ちゃん、が……!」
「あの、小鳥さん? 真ちゃんに、何が」

30: 2012/12/12(水) 03:42:26.74 ID:SPZKkP5N0
菊地真の精妙な体捌きを支える両足。
真っ白な包帯とギプスで固められた両足。

「命あってこその両足だもん、生きてる分まだマシだよ」

菊地真。
太陽の様に笑う彼女。
昨日の朝に見た姿とは、まるで違う彼女。
空元気だと、一目見て分かった。

「なんで……」
「車が歩道まで突っ込んできてね」

死者も出る、凄惨な事故だった。
両足の骨折だけで済んだのは不幸中の幸いだった。

「じゃあ、お大事にね。また来るから」
「うん、ありがとう。って言っても片方は軽いからすぐに松葉杖で復帰だと思うけど」

思い出す。
思い出す。
立っている様な浮いている様な両足。
ぼんやりと佇んでいたはずの彼女。
消え去る間際の醜悪な笑顔。
頭の中がまとまらない感覚。
胃が裏返る様な気持ちの悪さ。
萩原雪歩は、曖昧な意識の中で帰宅した。

32: 2012/12/12(水) 03:54:30.39 ID:SPZKkP5N0
コツ、コツン。
窓に小石のぶつかる音。

「……」

カーテン越しに音が響く。
コツ、コツン。
尚も飛んではぶつかる小石。

「……聞こえない、聞こえない!」

時計は2時を指している。

「雪歩、雪歩」
「聞こえ、ない……!」

耳元で囁く、馴染みの声。
手の平のみならず、肌がじっとりと汗ばむ。

33: 2012/12/12(水) 03:57:42.50 ID:SPZKkP5N0
思い出す。
思い出す。
黒く塗り潰された顔。
消え去る間際の醜悪な笑顔。
彼女は菊地真だ。
そんな筈はない。
頭の中がまとまらない感覚。
胃が裏返る様な気持ちの悪さ。

「雪歩、雪歩」
「……っ、聞こえない!」

うずくまり、目を閉じ、耳を塞ぎ、それでも尚聞こえる彼女の声。
時計の秒針が規則的に音を立てている。

「迎えに来たよ、雪歩」
「う……うぅ……!」

震えながら、ただ時間が過ぎるのを待つ。

「雪歩、明日も来るよ」

その言葉を最後に、その晩はもう彼女の声が聞こえてくることはなかった。
朝日が上り母親の声を聞いてから、ようやく萩原雪歩は眠りに就いた。

34: 2012/12/12(水) 04:04:55.33 ID:SPZKkP5N0
「彼女は毎夜、短剣を手に迎えに来ますぅ」

白い壁。
白い床。
白い天井。
白いカーテンと、外側から埋め立てられた窓。

「プロデューサー。プロデューサーは私がおかしくなったと思いますか?」
「……」

返事はない。

「全部真っ白で気持ち悪いと思ってますか? でも、この方が落ち着くんです……影を見ると、あの真っ黒な顔を思い出して」
「……」

返事はない。
返事はない。

「私は、真ちゃんを守らないといけないんです。きっとアレは、次に真ちゃんの顔になって来るから。もし見てしまったら、真ちゃんがまた、怪我を……!」
「……」

……返事はない。

36: 2012/12/12(水) 04:21:04.34 ID:SPZKkP5N0
「どうでしたか?」
「行かない方がいい。お前の顔を見ると多分、暴れる」
「そう、ですか……」

俯く真の頭を、プロデューサーの手が優しく撫でた。
両足を骨折する事故から3ヶ月。
菊地真の唯一無二の親友は、心を病んでいると診断されていた。

「お前のそっくりさんが毎晩ナイフを持って現れて、顔を見せようとする……らしい」
「……」
「左手の怪我や足の骨折も、そいつの左腕や足を見た時に起こった。だから今度も絶対。雪歩はそう言ってる」
「……馬鹿げてますよ」
「そうだな」

玄関を抜け、堅固な門をくぐり、振り返る。
一部分だけ色の違う壁。
埋め立てられた窓。
辺りを見回す。
舗装された道。
マンホール。
錆び付いた街灯。

「ただの見間違いだよ、雪歩……」

プロデューサーと真の乗った車は、萩原邸を後にした。

38: 2012/12/12(水) 04:32:18.54 ID:SPZKkP5N0
ぴちょん。
排水タイルに水滴の垂れる音。
右手に握ったナイフが鈍く光る。
菊地真のよく知る彼女。
亜麻色の切り揃えられた髪に線の細い身体、萩原雪歩。
唯一無二の、親友。

「……はぁー、はぁー」

石鹸とシャンプーの香りが薄く漂う浴室。
右手に握ったナイフが鈍く光る。
萩原雪歩。
菊地真の顔に怯える彼女。
心を病んでしまった彼女。
心優しい、繊細な少女。
かけがえのない、唯一無二の親友。

「プロデューサー、父さん、母さん、皆……ごめんっ」

右手に握ったナイフが鈍く光る。
その光が、ぼんやりと揺れた。

40: 2012/12/12(水) 04:39:25.55 ID:SPZKkP5N0
コン、コンコン。
扉を叩く音。

「雪歩、雪歩」
「……」

返事はない。

「雪歩。ここを出よう、迎えに来たんだ」
「……」

返事はない。
返事はない。

「大丈夫、本物の菊地真だよ。雪歩、もう居もしない偽物に怯えなくていいんだ」
「……」

……返事はない。

「雪歩、入るよ?」
「……真ちゃん、なの?」

注意していなければ聞こえないほど、か細く震えた声だった。

42: 2012/12/12(水) 04:52:19.06 ID:SPZKkP5N0
「うん、ボクだよ。正真正銘、本物の菊地真」
「本当に……?」

今すぐにでもドアを開け、抱き締めて、もう心配いらないと教えてあげたい。
幾夜も孤独と恐怖の中で過ごして来た彼女を、1秒でも早く安心させてやりたい。

「……信じられないよ」
「どうしたら、信じてもらえるかな?」

逸る気持ちを抑えながら、慎重に雪歩と会話を重ねる。
ドアノブを掴もうとする右手を、左手で抑え込む。
胸が高鳴るのを感じながら、深くゆっくりとした呼吸を意識する。

「……分からない。信じたいけど、怖いよ」

今にも泣き出しそうな声。
たまらず、目頭が熱くなった。

「じゃあ、いつものアレ。アレをやれば信じてくれるかな」
「アレ……?」

信じてくれる。
信じてくれるに違いない。
深呼吸をして、息と気持ちを整え。
一息に言った。

「せーの……まっこまっこりーん!!」

44: 2012/12/12(水) 04:57:39.79 ID:SPZKkP5N0
「……」

返事はない。

「あ、あれ?」
「……」

返事はない。
返事はない。

「駄目、かな?」
「……」

……返事はない。

「……雪歩ー?」
「ぷ、ふふ……ふふ、あはははは!」

明るい笑い声。
菊地真のよく知る彼女の、控え目な。
けれど今は、遠慮のない。

「雪歩、入ってもいいかな?」
「ふふ、うふふ……うん、そんなの本当の真ちゃん以外、あは、言わないもんね」
「ひどいなぁ、どういう意味? ……へへ、それじゃあ入るね」

46: 2012/12/12(水) 05:16:14.30 ID:SPZKkP5N0
「……真ちゃん、それ」
「うん、切ってみた」

真の頬に貼られたガーゼ。
右の耳元から顎の先までを覆っていた。

「なん、で」
「雪歩の話を聞いて考えたんだけどね。多分そのお化けは、自分にない場所をボクに怪我させて生気? みたいなのを吸い取ってるのかなって」
「……」
「だから怪我をさせられる前に自分で怪我をすれば、それ以上大きな怪我はしないんじゃって思ったんだ」
「で、でも顔に傷なんて……」
「大丈夫だよ、ほら。左手の怪我も全然分からないでしょ? 同じ感じに切ったからこれも後なんて残らないよ。プロデューサーにはすっごく怒られたけどね、へへ」

菊地真。
太陽の様に笑う彼女。
萩原雪歩のよく知る彼女。

「ふふ、理由も曖昧だし、やり方もめちゃくちゃだよぉ」
「でもほら、昨日はお化け、現れなかったんじゃない?」
「あ……そう言えば」

毎夜、耳元で囁いていた彼女。
菊地真に似ても似つかなかった黒い顔の彼女。
昨日の晩は、現れなかった彼女。

「ね? これで良かったんだよ。じゃあお互いの復活を祝って、何か美味しいものでも食べに行こ、あいたたた!?」
「ふふ……うん、真ちゃん!」

もうこれからは、現れない彼女。

48: 2012/12/12(水) 05:24:09.84 ID:SPZKkP5N0
二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「何だったんですかね」
「何だったんでしょうね」

二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「小鳥さんは、信じられますか?」
「いいえ、ちっとも」

二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「ですよねえ」
「はい」

二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「そもそも幽霊とかって信じます?」
「怪談話としてはありかも知れませんけど」

二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「ですよねぇ」
「はい」

二人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

49: 2012/12/12(水) 05:30:50.94 ID:SPZKkP5N0
一人は、コーヒーをクルクルとかき混ぜる。

「ところで」
「はい?」

一人は、その手を止めていた。

「小鳥さんは昨日、俺のアパートの前まで来てませんよね?」

二人は、その手を止めていた。

「……」

返事はない。

「小鳥さん?」
「……」

返事はない。
返事はない。

「……小鳥さん」
「……」

……返事はない。
吸い込まれそうな感覚、黒く塗り潰された水。
カップの中で、未だコーヒーがクルクルと回っていた。

おわり

53: 2012/12/12(水) 05:43:52.54
引き込まれたわ
おつ

引用元: 雪歩「彼女は毎夜、短剣を手に迎えに来ますぅ」