69: 2006/04/16(日) 13:29:07 ID:???
 前日 A面 シンジの日記より抜粋

僕は、秘密を持っている。
それは茶色い壜の中に入っている。
壜は手の中に握りこめるほどの大きさで、振るとからからと音を立てる。
光に透かすと、二つ影が見える。

『本当に逃げたくなった時。
 それか、もう充分に満たされたと思った時』
僕はこの中身を飲むと決めていた。

…だから、明日はきっとこれが飲める。

これを書いている机の横のベットでは、静かに眠る彼女の呼吸の音が聞こえる。
結婚式は明日なのに、アスカはいつものように僕のベットに滑り込んできた。
「慣れた枕がないと寝られないから」と言って。
温かい体を抱きしめながら眠ると、怖い夢を見ないと教えてくれたのはアスカだ。
そのアスカも、一日中、式の準備に忙しかったせいですぐに眠ってしまった。
僕も一緒に眠ろうと思ったのだけれど、なぜか目がさえて眠れない。

70: 2006/04/16(日) 13:29:57 ID:???
それで、今こうして日記を書いている。
明日はたぶん忙しくて、書けないだろうと思ったから。

言い訳ではなくて、本当のこと。
明日、僕がこれを飲むのは、幸せだから。
何もかも満たされて、ストレスなんて一つもなくて、とても幸福だから。
これ以上に幸せになれることなんて、僕には考え付かない。
好きな人と、ずっと一緒に居られることを約束をする日。

今まで何度も飲もうと思って飲めなかったのは、この日が待っていたからなんだと思う。

アスカ、ありがとう。
上手く言えないけれど、僕は僕の全部を上げてもいいくらい、アスカが大好きです。

71: 2006/04/16(日) 13:31:20 ID:???
 ――― 当日 B面 アスカ、式会場にて ――- 

シンジは秘密を持っている。

神様の前で誓ったくらいで、あいつが全部理解できるなんて、あたしだって思ってない。
一人の人間の秘密を、すべて暴くことなんて出来ない。
どんなに近づいたって、溶け合うことはできないのだから。
でも、それがわかっているからといって、いまさら離してやる気にもなれない。
だから、逃げたがりのあいつを縛るつもりで、指輪を交わして。
白いドレスで、永遠を誓った。

みんなからの祝福の言葉を聞く間、シンジの左手はあたしの肩を抱いていた。
けれど、あたしに触れることのない、もう片方の手。
握り締めたその右手に持っているのが、シンジの秘密だとあたしは気づいていた。

誰よりも幸せそうな顔で、溶けるみたいに優しい声で。
何度もあたしを呼ぶくせに。
抱きしめてくれない、結ばれた右手。

乾杯の音頭がとられ、あたしの体からシンジの腕が離れる。
シンジは皆の前で、ゆらゆらと気泡の揺れる、細長いグラスを掲げてみせる。

その右手がゆっくりと動いて、シンジの口元の運ばれるのをあたしは見た。

72: 2006/04/16(日) 13:32:07 ID:???
足が出たのは、反射的な行動。

シンジとの身長差を演出するため履いていた、ローヒールのパンプスが役に立った。
幾重にも重なるパニエを跳ね上げて、あたしはシンジを蹴り飛ばした。

噴き飛んだ花婿と、高々と足を上げた花嫁。
それは、喜劇の幕開け以外の何物でもない。

あたしはずかずかとシンジに近寄り、その胸倉を掴んで揺さぶった。
「何しようとしてたの!
 これは、何!?」
グラスは砕けてなくなっていたが、シンジの右手は握り締められたままだ。
あたしは、怒りに任せてシンジの横面をひっぱたいた。
「また、逃げだす気なの!?
 卑怯者!!
 あんた、最低の卑怯者よ!」
だらりと下がったシンジの腕を持ち上げて、手のひらをこじ開ける。

出てきたのは、二粒の錠剤。
逃げることしか考えられない、バカなシンジが選んだ薬。

73: 2006/04/16(日) 13:32:55 ID:???
もしも、これが胃薬なら、あたしはシンジに土下座して謝ってもいい。
もしも、これがただの薬局で売られているような薬なら、
…あたしは一生シンジの奴隷になってやってもかまわない。
シンジがあたしと生きてくれるなら!
共に生きようと思ってくれるなら!!

あたしは、取り返そうともがくシンジを押さえつけ、奪った薬を見つめる。
こんなもの!

「何なのよ、これは!
 こんなものに縋って。
 なんで!!」
「…ち、ちがっ。
 アスカ…」
「じゃぁ、何よ?
 ただの薬?
 それなら、あたしが飲んでもかまわないわね? 
 あたし、飲むわよ」

嘘だとまるわかりの下手な言い訳を続けようとするシンジに、投げやりな気持ちになる。

74: 2006/04/16(日) 13:33:42 ID:???
バカな男。
弱い男。
幸せが信じられない、どうしようもなく臆病な男。
あたしのことを愛していても、信じることは出来ない歪んだ男。

氏ぬ前に走馬灯のように自分の人生が浮かぶというけれど、思い出すのはシンジのことばかりだ。
人生の4分の1を一緒に生きてきた。
それでも、シンジのことしか浮かばないのは、自分でもどうかしていると思う。

握った薬を口内に放り込んで、飲み下そうと口を閉じる。

その半瞬にも満たない間に、シンジの腕があたしに伸びる。

先ほどからされるがままにあたしに弄られていたのが嘘のような速さで。

顎が掴まれ、指が突っ込まれる。

掻き出そうというのか、無造作に口の中を探られ、吐き気がする。

見つからずにあせったのか、吐き気を抑える喉に気がついたのか、あたしのおなかに当身を入れようとするシンジをどうにかとめる。

本当に、バカな男。
こんなときばかり、必氏な顔をして。

75: 2006/04/16(日) 13:34:30 ID:???
「どう…し……て?
 ……アスカ…」

「どうして、って何よ!
 あんた、バカにするんじゃないわよ!
 なんで、それをあたしに聞くのよ。
 あたしは、いったいあんたの何なの!?
 聞きたいのはあたしのほうよ!
 なんで、あんた、…あんた、こんなの飲む気になってるのよ!」

唾液で汚れた口元を拭えば、白い手袋は口紅で紅く染まる。
飲み込まなかった錠剤を床に吐き出し、脚で踏みにじる。
シンジがあたしを氏なせたくないことはわかった。
だけど、こんなことぐらいでは、この腹立ちは治まらない。
このやるせないほどの悲しみも。

「だって、幸せだから。
 今すごく幸せだから。
 だから、もういいかなっておもったんだ。
 しあわせなんだ」

安らかな顔で、子供みたいに「しあわせ」と繰り返すシンジ。

めちゃくちゃになった式場で、足跡のついた服を着て、花嫁に殴られて、それでも?

76: 2006/04/16(日) 13:35:20 ID:???
あたしは、両腕をシンジの首に絡めて、強く抱きしめた。
もう、それ以外に、この壊れた男にしてあげられることが思いつかなかったから。
肩にかかる、シンジの頭の重み。
何度も抱き合って、よく知ったその熱。
何もかも無駄かもしれなくても、あたしは、この男がいい。
だから。

「ダメ。
 まだ逝かせない。
 そんな安らぎなんて、あんたには必要ないの。
 あんたは生きて。
 生きて、ずっと、あたしを想って。
 苦しくても、あたしだけを見続けて」

「いやだ、あすか。
 こわいよ。
 そんなの、こわい。
 たすけて、あすか。
 ぼくを、たすけて」

77: 2006/04/16(日) 13:36:07 ID:???
「イヤ。
 あんたは逃げようとしてるだけなのよ。
 『幸せ』なんて言っても、あんた、本当は信じてない。
 あたしのことも、皆のことも、誰のことも信じてない。
 信じたふりして目をつぶってるだけじゃない。
 面倒だからって、全部捨てようとしてんのよ」

「ちがう。…ひどい。
 あすか、ひどいよ。
 どうして?
 いきてるのはこわい。
 いまは、しあわせなんだ。
 しあわせだから、もういいんだ。
 いま、しにたいんだよ。
 しなせて。
 ぼくは、しあわせなんだよ」

「幸せ」を口にするシンジ。
壊れたレコードみたいに、同じ言葉を繰り返す。
シンジは本当に、そう思っているのかもしれない。
このまま氏なせてあげるほうが、シンジのためなのかもしれない。
でも、あたしにもエゴがある。
あたしは、氏にたくない。
そして、もう何もなくしたくない。

78: 2006/04/16(日) 13:36:54 ID:???
「氏なせない。  
 あんたは、あたしと生きるの。
 神様の前で誓ったでしょ。
 ずっと、あたしの傍に居るって」

「こわいよ、あすか。
 しなせて、いま、しにたい」

「怖くても。
 あたしは、あんたを離したりはしないわ。
 絶対に」

「…うそつき。
 ぜったいなんて、どこにもないよ。
 うそだ、うそ…。
 …かわってしまうんだ。
 ひとのきもちなんて、いつかかわってしまうんだ。
 みんなそういってたって、さいごはぼくをすてるくせに。
 ぼくをおいていってしまうくせに」

79: 2006/04/16(日) 13:37:42 ID:???
「あんたに嘘なんて吐かないわ。
 あたしは、あんたを捨てたりしない」

嗚咽が喉に絡まって、漸く言えたあたしのは声はシンジに伝わったかどうかわからない。

襟を大きく開けたドレスは、この乱闘でぐしゃぐしゃになってしまった。
それでも、むき出しの肩にシンジを感じる。
彼の細い吐息が肌にかかり、生きていることを知らせてくれる。
暖かな雫が、あたしを濡らしていくのを。

本当は、何もいらない。
祝福も、賛辞も。
白いドレスも、神への誓いも。
祝宴を惨事に変えた新郎新婦の醜態を、遠巻きに眺める招待客のざわめき。
気遣う声も、哀れみの言葉も、何も必要ない。
聴きたくない。

すべてを拒絶するように、あたしもシンジの肩に顔を伏せた。
確かなのは、伝わってくるこのぬくもりだけでいい。
他人がどう思おうとかまわない。
あたしに必要なのも、あたしが選んだのもこの男だけ。

80: 2006/04/16(日) 13:38:40 ID:???
静かに涙を流すシンジを、あたしはいっそう強く抱きしめる。
その魂までも縛れるようにと肩に爪を立て力を込めながら。
届かないとわかってて、心の中で盛大に罵り声をあげながら。

バカな男、バカな男、バカなシンジ。
自分のことしか考えられないシンジ、最低のバカ男。

そして、それ以上に、あたしもバカな女だ。

おいて行かれる事を怖がるあまり、おき去りにするあたしのことを考えられないシンジ。
そんなどうしようもない男だとわかっていても、シンジの手を離せないあたし。
シンジがあたしから逃げることも、目を逸らすことも許せない。
誰よりも強い執着で、がんじがらめに縛りあうことを望んでいる。
狂っているのは、あたしも同じ。

愛している、世界よりも。

だから、あたしだけを見て、シンジ。
あたしは、あんたを誰にも譲りはしない。
たとえ、それが「死神」でも。

シンジがあたしに秘密を持つのはかまわない。

けれど、その秘密ごと、シンジは全部あたしのものだ。

   fin


引用元: 落ち着いてLAS小説を投下するスレ 14