2: 2017/10/22(日)01:57:10 ID:UdQ
「もういいでしょ! アタシの事はほっといてよ!」

「忍っ! 待ちなさい!」

 明日からの試験休みと冬休みを使ってアイドル事務所のオーディションを受けに東京に行く。そうやって両親に話したのが良くなかったのだろう。この日、アタシは初めて両親と大喧嘩をしてしまった。

 アタシは子供の頃からずっとアイドルになりたくて、そのためにアタシで出来る事は色々してきたつもり。

 方言を使っていたら恥ずかしいと思って標準語を勉強して、歌もダンスも独学でやれることはやってきた。そう胸を張って言える。

 やっと自分の夢に自信がついたから両親にアイドルになりたいって相談してみたんだ。

 きっと笑って賛成してくれる、頑張れって言ってくれる。

 そう思っていたのに、両親は賛成してくれなかった。ううん。それどころか猛反対にあってしまった。
アイドルマスター シンデレラガールズ アクリルキャラプレートぷち 16 工藤忍

3: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)01:57:35 ID:UdQ
 芸能界なんてヤクザみたいなもんだ、とか。アイドルなんてどうしようもない、とか。お前じゃ通用しない、とか。

 いつもアタシの味方で居てくれたはずの両親がこの日だけは敵になってしまった。

「なんなのよっ……! アタシの夢はそんなんじゃないのに!」

 一通り両親と言い争いをしてはみたのだけれど二人ともアタシの話になんて聞く耳を持たずに頭ごなしに否定するだけだった。

「こうなったらもう勝手にアイドルになるし。アタシなら東京でも通用するし」

 スマホを片手に東京行きの夜行バスの予約サイトを開く。えっと……良かった。あと二時間後のバスの予約が取れるみたい。

 本当は明日の朝一番で向かうつもりだったけど、もうこんな家には居たくない。

 そうと決まれば早速をしなきゃ。とりあえず最低限必要なものを鞄に詰めて持って行こう。東京でも買えるものは向こうで揃えれば大丈夫。

「アタシはアイドルになるんだから……」



4: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)01:58:09 ID:UdQ


「では、次の方。入ってください」

「はい! 失礼します! 工藤忍です! よろしくお願いします!」

 オーディション当日、アタシは夜行バスに揺られて東京に来た。初めて乗った夜行バスはお世辞にも快適とは言えず、昨夜の事もあってあんまり眠れなかったけど、アタシは大丈夫。いつも通りちゃんと歌えるし踊れる。

 もうすぐ夢だったアイドルになれるんだ、そう思うとワクワクしてくる。きっと今のアタシは今まででも一番輝いている。

 最高の笑顔で、最高の歌を歌い、最高のダンスを披露出来ている。これほどまでに最高だって思えるのはアイドルを目指してから初めてのこと。

「……はい。お疲れ様でした」

「ありがとうございました!」

 アタシが出来る最高のパフォーマンスを終えて、審査員の方に大きな声でお礼を言う。これからお世話になるんだから礼儀正しくしておかないとね。

「えー……では、合否になりますが」

「はいっ!」

 合格した事を伝えればきっと両親だって反対はしなくなるだろう。二人が認めなくても東京の人はアタシを認めてくれたんだから。

5: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)01:58:32 ID:UdQ
「今回は不合格になります。また機会があったら挑戦しくてださい。お疲れ様でした」

「え……? 不合格、ですか……?」

 不合格……? え? 嘘、だよね……? アタシの聞き間違い……だよね?

 耳に届いた言葉が信じられなくて聞き返してしまった。だって、今日のあたしは今までも一番輝いてたし、最高だった! それなのになんで!?

「はい、申し訳ありませんが、工藤さんは不合格です」

「な、なんでですか!? アタシ、今まで一番うまくやれたのに!」

 納得の出来ないアタシは審査員の人に食って掛かってしまった。これからお世話になるんだから礼儀正しくとかそんなのもうどうでもいい。

 アタシが不合格になった理由が知りたい。東京でも通用するのに、どうして。

「えー、時間が無いので端的に申し上げますと、レベルが低いです。この程度ではアイドルとして通用しません」

「レベルが……低い……」

「工藤さん程度のレベルは世の中にあふれるほど居ます。弊社のオーディションではそれ以上のレベルの方をアイドルとして採用していますので、工藤さんはその合格ラインに達していなかったんです。ご理解頂けましたか?」

「……」

 審査員の人が淡々と理由を説明してくれたけど、アタシの耳には半分も届かなかった。レベルが低い、不合格。この二つだけがアタシの中でグルグル回ってしまって。

「次の方が待っていますので、速やかに退室をお願いします」

「はい……」



6: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)01:58:56 ID:UdQ


「不合格……」

 つい数分前に言われた言葉を繰り返し呟きながら、慣れもしない東京の街をどこに行くでもなくふらふらと彷徨っている。

 これからアタシはどうすればいいのだろう。

 知り合いも居ない東京で、未成年のアタシが出来る事なんて何もない。

 アタシの予定では合格を貰ってすぐに実家に帰って、色々と準備をし直してまた上京するつもりだった。

 だから荷物も最低限しか持ってこなかったのに、最初の部分で予定が大きく変わってしまった。

「あはは……。駄目じゃん、アタシ……」

 不合格のまま実家に帰るわけにはいかない。何かしらの成果を出さなければ両親も納得してくれないだろう。

「……こんな顔してたら駄目だよね。うん! とりあえず他を探してみよう!」

 東京にはたくさん芸能事務所があるんだから、きっとアタシを採用してくれるところがあるはず。

7: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)01:59:25 ID:UdQ
「そうと決まれば早速……。あっ……!」

 ネットで検索をしようとスマホを取り出したのだが、昨日充電できなかったからバッテリーが無くなってしまっていた。

「どこか充電できるところ……」

 立ち止まって辺りをキョロキョロと見回してみるとネットカフェの看板が目に入った。

「ネットカフェ……入った事ないけど、確かパソコンがあるんだよね。ネットって言うくらいだし」

 スマホでちまちまと探すよりもパソコンを使って探した方が効率が良いかもしれない。それについでに今晩泊まる所も探そう。

 事務所のオーディションが今からすぐに受けられるとは限らないし、それなら明日に備えて休める場所を見つけておくのも重要だろう。

「よし、とりあえずあそこに行こっと」



8: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:00:11 ID:UdQ


「東京ってすごい……」

 いや、ネットカフェくらいは青森にもあるのだとは思う。だけど、入った事にないアタシにはネットカフェが東京独自の物に思えてしまったのだ。

「えっ! すごい! ソフトクリームもあるんだ!」

 長居するつもりは無かったのだけど、ネットカフェってのは案外居心地が良いのかもしれない。ブランケットも貸してくれるらしいし、ちょっとした休憩にはもってこいの場所みたい。

 ドリンクバーでソフトクリームとココアを用意してからパソコンに向き合う。

 これからオーディションをやっている事務所をなるべく多く探しておかないといけない。あとついでに宿も。

「えっと、とりあえず『アイドル オーディション』で検索っと……」

 いつもの検索サイトに青森に居た頃にも何度もやったワードを入れて検索をかける。すると山のようなページが出てくる。アタシは出てきたページを、開いてはオーディションの募集要項と日付を調べてはメモしてを繰り返す。

 今日行ったところが駄目ならあとはもうとにかく当たってみるしかない。数撃てば当たる戦法だ。

「……なりふり構ってられないし」

9: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:00:48 ID:UdQ
 両親にアイドルになる事を認めさせるためには合格を貰うしかないと思う。きっと、あの人達に今のアタシの言葉は届かない。

「……うん、大丈夫。絶対にアイドルになるんだから」

 ちょっと集中力を切らすと、ネガティブな事ばかりが頭の中をぐるぐる回ってしまう。

 アイドルはみんなを笑顔にするんだから、まずはアタシが笑顔にならなきゃ。ネガティブな事ばかり考えていちゃ駄目だよね。



 集中していると時間はあっという間に過ぎてしまう。歌の自主練やダンスの自主練をしていた時みたいに集中して事務所を調べていたらあっという間に時間が過ぎてしまっていたらしい。

 スマホの充電が完了した音でパソコンの中の世界から現実世界に引き戻されると、すでに日が傾く時間になっていた。

「あー、やばい……かな。そろそろ泊まる所を探さなきゃ」

 開いていたページをメモに書き写して、一旦事務所探しは休憩にする。今度はホテルを探さないと。

10: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:01:16 ID:UdQ
 先ほどと同じ要領で検索サイトにワードを打ち込んで検索をかける。

「どうしよう……思ってたよりも高い……」

 ホテル比較サイトを出して希望を打ち込んでみたのだけど、どうやらアタシが思っていたよりも東京のホテルは高いらしい。

 手持ちに余裕がないわけではないが、ホテルで寝泊まりするならそう何日も東京には居られそうにもない。帰りの交通費は用意しておかなきゃいけないし。

「どうしよう……」

 財布を開いて中身を確認する。交通費を差し引いてホテルに泊まった場合を考えると……。

「三日が限界……かな」

 オーディションは一週間先までの所をメモしておいた。1日に何か所も受けられるわけではないので、一週間あっても受けられる数は大したことはない。

 昼間のオーディションで言われた『レベルが低い』と言う言葉が頭の中でグルグル回る。

 もし、もしも三日以内に合格が貰えなければ、アタシは青森に帰らざるを得なくなる。きっと両親には呆れられる。『ほら駄目だっただろう』なんて言われるかも知れない。

 ……それなら少しでもチャンスは多い方が良い。

「どうにかして一週間、今の手持ちでこっちに居る方法はないかな」

 幸いにも目の前にはパソコンがある。調べる事は可能だ。

11: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:01:45 ID:UdQ
 さっきから散々お世話になっている検索サイトにまた別のワードを入れて検索してみると、宿泊費を安く抑える方法にネカフェに泊まると言うものがある事が分かった。

 なんでも、ナイトパックと言う物が大抵のネットカフェにはあるらしく、それなら1500円前後で一晩過ごせるらしい。

「これなら一週間東京に居られる……かな」

 ネットには色々とデメリットも書かれてはいたが、今のアタシには安いというのが素晴らしいメリットになっていた。

 手元においてあった料金表を見てみるとナイトパックの受け付けは18時以降からとなっていたので、一度出る必要があるみたいだけどその程度の手間なら問題は無い。

「むしろ問題はアタシが未成年って事か……」

 調べてみて分かったのだけど、東京には条例で未成年が深夜にネットカフェを使うのを禁止しているらしい。ただ、その条例を守っているかどうかはお店次第との事だ。

「……駄目で元々だよね。うん」

 もし駄目なら大人しくホテルに泊まろう。大丈夫、三日以内にケリをつければいいんだから。

12: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:02:46 ID:UdQ
「……あっさり入れちゃった」

 一度出てから、18時を待って再度受付したのだけど、アタシでも普通にナイトパックが使えた。このお店は真面目に条例を守っていないらしい。

 まさかアタシが成人してるようには見えないだろうし、それにそもそも会員証を作った時点で年齢は分かっているはず。

「となると、アタシがラッキーだったって事ね」

 条例を守っていない店に遭遇したのは運が良いと言っていいのかはちょっと悩むところだけど、今のアタシにはラッキーだった。これで一週間の拠点は決まったし、オーディションに専念できる。

「ふわぁ……。ひとまず今日は疲れたし明日のオーディションに備えて寝よっと」

 明日は午前に一つ、午後に二つの計三つのオーディションを受けるつもりでいる。

「大丈夫……アタシなら大丈夫……東京でも通用するし……」

 そうやって自分に暗示をかけながら、アタシはネットカフェの狭いブースで眠りに着いた。



13: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:03:19 ID:UdQ


「……どうしよう」

 実家を飛び出してから今日で五日目の夜。アタシは一日あたり、大体三つのオーディションを受けているのだけど、未だに合格は貰えていない。

 そろそろ宿泊費も尽きてしまう。そうなってしまったらゲームオーバーで青森に帰らざるを得なくなってしまう。

「とりあえず……もっとほかにないか調べないと……」

 初日に探した所も残すところあとわずか。少しでも希望を捨てないためにももっと候補を探しておかないといけない。

 いつものネットカフェに戻る前にコンビニで軽く腹ごしらえを済ませておく。お腹が空いていると頭も回らないし、良い事は何もない。

 買ったおにぎりを食べながら歩いていつものネットカフェに向かう。お店の前に着くころにはおにぎりも食べ終え、いつものように受付を済ませようとしたのだけど、今日はちょっとだけ勝手が違った。

14: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:03:40 ID:UdQ
「申し訳ありません。18歳未満のお客様は22時以降の入店が条例で禁止されていまして……。お客様はナイトパックがご利用頂けないんです」

 ここ数日で一度も見た事の無い人が受付をしてくれたのだが、会員証を見せた後にそう言われてしまった。

「えっ!? でも昨日までは――」

「大変申し訳ありませんが……」

 アタシが昨日までは良かったのにって言いかけたところに被せるようにその店員さんは言ってきた。これはもしかするとだけど、条例を守っていないお店だったのではなく、条例を守っていない店員さんにたまたま当たっていただけなのかも知れない。

「なんとかなりませんか……?」

「申し訳ありません……条例ですので」

 今、ここを追い出されてしまったらアタシには行くあてはどこにもない。今の懐事情ではホテルに泊まる事も出来ない。

 なんとかならないものかとしばらく食い下がってはみたのだけれど、店員さんは条例がの一点張りで取り合ってくれなかった。

「わかり……ました……」

 結局はアタシが折れる形で決着になったのだが、アタシはこれからどうすればいいのだろう。

15: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:04:30 ID:UdQ
 野宿で夜を過ごすには青森よりは気温が高いとはいえ真冬には辛い。かと言って今から青森行きのバスの予約が取れるとも限らない。

 残るにせよ、戻るにせよ今晩は東京で過ごさなければいけない可能性が高い。

「……最悪、一日くらい寝なくても平気だよね」

 泊まれるところが見つからなければどこか24時間営業のファミレスにでも入って夜を明かそう。

「……とりあえず青森行きのバスの予約だけ取ろっかな」

 夢を諦めるつもりはなかったのだけど、金銭と言う現実的な問題でそろそろゲームオーバーらしい。

「……うそ」

 スマホでバスの予約サイトを開いたアタシの口から出たのはそんな言葉だった。

 バスの値段がつい数日前まで表示されていたものじゃなくなっていたのだ。具体的に言うのならば、上がっている。今のアタシの手持ちでは足りないくらいに。

 信じられなかったアタシは色々な予約サイトを見てみたのだが、どれも同じで今のアタシの手持ちで乗れるバスは一つもなかった。

 後になって知った事なのだけど、年末年始などの帰省シーズンは深夜バスなどの料金は上がるらしい。

 そんな事を知らなかったアタシはスマホを握りしめてその場でしゃがみ込んでしまった。目にはちょっとだけ涙を溜めて。

16: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:04:58 ID:UdQ
 アタシはアイドルにもなれなかったうえに、青森に帰る事も出来ない。何も出来ない無力で無謀な子供だった。

 もう……アタシにはどうする事も出来ない。

「ねぇ、お嬢ちゃんいくら?」

「え……?」

 アタシがしゃがみ込んで涙を堪えていると頭の上から声をかけられた。顔を上げてみるとそこにはアタシのお父さんと同じ年くらいのオジサンがヨレヨレのスーツを着て立っていた。

「おっ。お嬢ちゃん可愛いね。3くらいでどう?」

「え……? さん……?」

 何を言われているのかしばらく理解出来なかったのだけど、オジサンがニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべているのを見てなんの事か理解した。

「ち、違います! 失礼します!」

 出来る限り強気な声でオジサンにそう言って、オジサンから逃げるように速足で歩き始めた。チラっと後ろを振り返るとオジサンはふらふらと歩きながらまた別の女の子に声をかけているみたいだった。

「  交際……」

 歩きながらオジサンの言葉を思い出す。「3でどう?」って事はおそらく3万円と言う事だろう。

「3万円あればあと何日こっちに居られるかな……」

 少なくとも今晩の宿には困らないだろうし、3万もあればもう数日はこちらに居られる。でも、アイドルになるのにそんな事をしていて良いのだろうか。ううん、良いはずはない。

 ……でも、お金がなければそのアイドルにすらなれないのだ。

17: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:05:35 ID:UdQ
「……ちょっとだけ。うん、ちょっとだけ調べてみよう」

 スマホを使ってちょっとだけ調べてみる。ほんの好奇心に過ぎない。時間があって、知りたい事が出来たから調べる。勉強と変わらない。

「え、うそ……そんなに高く売れるんだ……」

 アタシが検索して出てきたページには本当か嘘かは分からないけど、少なくともアタシが知らなかった事がたくさん書かれていた。

「……」

 スマホを握った手に力が入る。目はスマホから離せない。頭の中では『アイドル』って単語と『お金』って単語がグルグルしてる。

 夢を見るのには何かを犠牲にしなくてはいけないのかも知れない。犠牲にするものは人それぞれだけど、お金が犠牲になる人も居るはずだ。少なくとも今のアタシは夢を見るためにはお金が要る。

 スマホを睨み付けながらしばらく考えて、考えて考えて考え抜いて、ようやく一つの答えが出せた。

「なるべく優しそうな人にしよう」

 考えた末に、アタシはアイドルの夢を捨てられなかった。例えアタシの身体を犠牲にしてもだ。

 ……アタシは相手を探すために夜の街をふらふらとさ迷い歩く事になった。



18: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:06:35 ID:UdQ


「あ、あのっ……!」

「ん? どうしたの? 俺に何か用?」

「えっと、その……」

 二時間程アタシ基準で『優しそう人』を探して回ったのだが、東京はたくさん人が居るせいで、みんな同じに見えてしまって『優しそうな人』が見つからなかった。

 もうすぐ日付も変わってしまう頃には人通りも減ってきており、このままではまずい思ったアタシはスーツ姿の男性に声をかけた。

 20代ぐらいの、割と真面目そうで、優しそうに見える気がする男性だった。

「あの……その……」

「どうした? 迷子? こんな時間だけど親御さんは?」

 アタシがどう切り出そうか悩みながら口ごもっていると、その人は優しい声音でアタシに話しかけてくれた。うん、やっぱりこの人は『優しそうな人』で間違いない。

「アタシを買いませんかっ!」

「はぁ?」

 この人を逃したら次はもうないかも知れない。そんな風に思った瞬間に思ったよりも大きな声が出てしまった。案の定、スーツの男の人は訳が分からないと言う顔をしている。

19: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:07:06 ID:UdQ
「アタシを買いませんか! お金が要るんです!」

 男の人は顔中に疑問が浮かんだままだけど構わずに続ける。

「アタシを買ってください! お金が要るんです! アタシに出来る事なら何でもします!色々は出来ないですけど……教えてもらえれば何でもします」

 言いながら男の人を向いていたアタシの顔は段々と地面の方へ向いて行ってしまう。声だけはちゃんと聞こえるようにはっきりと。でもきっとどこか弱々しくなっている気がする。

「だから……お願いします! アタシを……買ってください……」

 顔だけじゃなくて腰を曲げて、お願いしながら頭を下げる。さっきから男の人が何にも言ってくれないのは不安だけど……男の人は  の高校生とシタいものらしいし……きっと買ってもらえる……はず……。

 そうすればお金が出来てアタシは夢を見続けられる……。

「いやいやいや。ちょっと待って。君、家出?」

「えっと……はい……。そんなようなものです……」

 ようやく口を開いた男の人の声は疑問に満ち溢れており、事態を把握できていないらしい。

20: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:07:29 ID:UdQ
「そんなようなものって……。家出じゃなかったらなんなんだよ」

 男の人の声が段々と冷たくなっていくのが分かる。

「あの……アタシ……夢があって……その夢のためにお金が……」

 きっと駄目なんだろうなって思うとアタシの声にも覇気がなくなってきてしまう。でも話すのを止めたらきっと泣いてしまう気がして、止まらないで話そうと思ったのだけど理由じゃなくて夢って言葉が口から零れてしまった。

「夢?」

「アイドルに……なりたくて……。青森からオーディション受けに来たんですけど……不合格で……」

 男の人はしばらくアタシの話を黙って聞いてくれた。そのせいかは分からないけど、実家を飛び出したあの日から今日までの事と、子供の頃からアイドルに憧れていた事を話してしまった。

「……なるほどな。アイドルを夢見てたのね」

「はい……」

「ふむ……」

 男の人はそう呟くとアタシの事を上から下へ、下から上へ視線を動かして、まるで値踏みするかのように見ていた。

21: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:08:12 ID:UdQ
「わかった。いくら?」

「ほ、本当ですか!?」

 断られる事を考えていたアタシは男の人の言葉を思わず聞き返してしまう。

「本当だって。で、君はいくらなの?」

「えっと……」

 具体的にいくらとは決めていなかったので、いざ値段を聞かれると困ってしまう。相場では大体3万円から5万円らしいけど……。

「じゅ、10万円でどうですか……」

「10万か」

 アタシが値段を言うと男の人は10万と繰り返した。ふっかけ過ぎたかも知れないけど、10万円あればもうこんな事しなくて良くなる気がしたんだ。

「わかった。今持ち合わせないから後でいい?」

「だ、駄目です。せめて前金で半分の5万円ください」

 なんでも後でって言うのを信用するとお金を払わずにヤリ逃げするような人も居るらしい。だからせめて半分は事前に貰っておくのがテクニックらしい。

22: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:08:40 ID:UdQ
「5万も入ってたかな……。まぁいいや、足りなきゃ途中で卸せばいいか……」

 どうやら本当にアタシを買ってくれる気らしい。もし……ヤリ逃げされたとしても半分の5万円は貰える。これでもうしばらくはなんとかなる。

「じゃ、ホテル行こうか」

「……はい」

 男の人が差し出した手を恐る恐る握る。きっと、男の人もせっかく買ったアタシに逃げられないようにするためなのだろう。

 ……アタシはこれからこの人に身体を売るんだ。



23: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:09:32 ID:UdQ


 アタシが連れてこられたのはビジネスホテルだった。ビジネスホテルのフロントで目を丸くしていた。

「お待たせ。鍵貰ってきたし、とりあえず行こう」

「あ、はい」

 ここまでは手を繋いで来たけど、ホテルまで来ちゃえばアタシが逃げる心配はしてないらしく、男の人はアタシに手を差し出す事もなくエレベーターの方へ歩いている。

 エレベーターで男の人が4階のボタンを押すとエレベーターは静かに昇っていった。

「お、ここか」

 エレベーターを降りて数部屋分歩くと、男の人が急に立ち止まって扉の番号を確かめて鍵を開けて、アタシに入るように促した。

 アタシが足を踏み入れると、そこは小さなシングルルームだった。

「それじゃあ待ってるから、とりあえずシャワーでも浴びて来て。なんならお湯溜めても良いから」

「……はい」

 ビジネスホテルだろうが、シングルルームだろうがやる事は変わらない。アタシはこの人に買われたんだし、この人はアタシを買った。あるのはこの事実だけ。

24: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:10:10 ID:UdQ
 シャワーを浴びながら今後の事を考えてみる。今日10万円手に入ればまだしばらくは夢を見られる。でも、この10万円がなくなるまでに合格が貰える保証はない。そうなるとまたこんな事をしなきゃいけなくなるかもしれない。

 そんな風に考えたら涙が止まらなくなってしまった。

 目から溢れる涙をシャワーで洗い流して、嗚咽が漏れないように必死で堪える。

 幸せな夢を見てここまで来たはずなのに、どうしてアタシは身体を売ってまで夢を追いかけているのだろうか。

 それほどまでにアタシはアイドルになりたいのだろうか。

「……アタシは……それでも……こんな事をしてでも……アイドルになりたい……!」

 答えはずっと前から決まっている。今更問いかけても仕方がない。過程はどうであれ、結果が良ければきっと大丈夫。そう、大丈夫。

 だからアタシは身体ちょっとだけ泣いたおかげか、ずっと興奮していたアタシの感情は少しだけ落ち着いたらしい。

「よしっ……!」

 身体にバスタオルを巻いて、一言自分に気合を入れてバスルームから出る。

25: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:10:50 ID:UdQ
「お、お待たせしました……」

 こんな格好で男の人の前に出るのなんて初めての事で恥ずかしくて堪らない。

「はい、お帰り。とりあえずそんな格好してないでこれ着て」

「え? はい……」

 アタシに差し出されたのはホテル備え付けであろう浴衣だった。アタシに浴衣を渡したあとこの人はこちらを見ないようにか後ろを向いてくれたのだけど、アタシとしてはちょっと拍子抜けだ。せっかく気合入れたのに浴衣を着ろって事はこの人はそういう趣味の人なのだろうか。

「んじゃ、早速だけど」

 アタシが浴衣を着終わった事を告げるとこの人は振り返ってそう切り出した。

「はい……。あの、初めてなので出来れば優しくしてください……」

 アタシが最低限の要望だけ伝えてベッドに横になって目をきつく閉じると、おでこに痛みを感じて飛び起きた。

「いたっ!? 何すんの!?」

「お前はバカか」

「なっ!? バカって何よ!」

 どうやらでこピンをされたらしい。この人の右手がでこピンの形のままだし。あとついでにバカって言われたけど、なんで罵倒されなきゃいけないのか。そういうプレイ?

26: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:11:23 ID:UdQ
「援交持ちかけるようなのはどんな事情であれバカだ。男女問わずな」

「くっ……」

 そう言われてしまうと言い返す事も出来ない。確かに手段としては最善とは言えないし、どっちかと言えば最悪な手段だろう。

「いくつか質問させてくれ」

「う、うん……」

 何か言い返せないかと考えていたのだけど、男の人の質問にアタシの考えは遮られてしまった。

「まず、アイドルなりたいってのは本当か?」

「ほ、本当よ! 証拠になるかわかんないけど、これ受けて来た事務所の名刺とか」

「どれどれ……。あぁ、なるほど」

 鞄を漁ってオーディションの度に貰った名刺とか資料を手渡す。アイドル志望ってのが釣るための餌だと思われてるのなら、誤解を解いておかないとお金を減らされかねない。

27: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:11:56 ID:UdQ
「そういえばお金……」

「次の質問。お前こんな事してまでアイドル諦められないのか?」

「……うん」

 お金を要求したかったんだけど、またもや質問で遮られてしまった。でも、この質問には迷いなく答えることが出来た。

「ふむ……歌はどの程度歌える? ちょっと軽く歌ってみてくれ」

「え? こんなとこで歌って良いの?」

「良くはない。だからワンフレーズで良い。なんでも好きな曲でいいぞ」

「……じゃあサビのとこを」

 要求されるまま、今日のオーディションの課題曲をワンフレーズだけ歌う。一体これになんの意味があるのだろう。

「なんだ、結構うまいな。もっと酷いのかと思った」

「失礼ね! これでも自主練はちゃんとしてたんだから!」

 アタシは自分に自信が持てるようになったから東京のオーディションを受けに来たんだ。カラオケで良い点数が出せるとかそんな程度じゃない。

28: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:12:24 ID:UdQ
「んじゃ、次はダンス……って言いたいとこだが、ここでダンスなんてしたら追い出されかねんな」

「今の歌でもアウトっぽいけど……」

「それに見えそうだし」

「え?」

 男の人の視線を追ってみると、アタシの胸元に向いていた。下着も付けてないから結構大胆な事になっていたアタシの胸に。

「~~っ! す、スケベ!」

「ス、スケベとはなんだ!自分から持ちかけてきたくせに!」

「そ、それはそうだけど……」

 それを言われるとアタシは引き下がるしかない。……とりあえず胸元の所は直して。

 それにしてもどうしてアタシはこんな事をされているのだろう。この人はそういう趣味の人で決定だ。優しそうな人だけど変 だったらしい。

29: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:13:00 ID:UdQ
「……で、いつになったらするの?」

「あー?」

「その…………」

 口に出して言うとこんなに恥ずかしいなんて知らなかった。きっとりんごみたいに顔が赤いはずだ。

「あー、そうだな。そういや俺はお前の事を買ったんだったな」

「……ん」

 大丈夫。覚悟は出来てる。例え変 だったとしても、大丈夫。

「お前、何でもしてくれるんだよな? 10万で」

「うん……お金くれるなら……」

 きっとこれからアタシはとんでもない要求をされるのだろう。きっとアタシでは思いもつかないような   な事を……。

30: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:13:35 ID:UdQ
「んじゃ。お前、今から俺のアイドルな」

「ん?」

 え? そういう設定でシたいからアタシにあれこれやらせてたの?

「とりあえず、明日これ持ってここに来い。手続きは明日にしよう」

 そう言って男の人が差し出したのはちっちゃな紙片だった。あえて言うなら名刺サイズの。

「CGプロ……、プロ……デューサー……?」

 アタシがその紙片に書かれた文字をなんとなく読み上げると、そこには見知った言葉が並んでいた。

「おう。詳しい話はまた明日だけど、とりあえずお前は今日からうちのアイドルだ」

「え? ちょっと待って。え? どういう事?」

 名刺を手に持ったまま理解が追い付かないアタシは疑問を次々と口に出す。

31: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:14:03 ID:UdQ
「だから、お前は今日からCGプロのアイドルだ。オーディションじゃなくてスカウトって形だけど、合格だよ」

「ごう……かく……?」

「あぁ、お前は今日アイドルになったんだ」

「アタシが……?」

「お前が」

 合格。アタシがここ数日ずっと求めていた言葉。合格。

「アタシ……アイドルになれたの……?」

「そうだ。俺がプロデュースする、俺のアイドルだ」

「プロ……デューサー……? アタシの……プロデューサーなの……?」

「あぁ。俺がお前のプロデューサーだよ」

「ほ、ほんとうに? ほんとうのほんとうに?」

 声が段々涙混じりになっていくのがわかる。さっきの流した涙とは違う涙が零れてくる。

32: 名無しさん@おーぷん 2017/10/22(日)02:14:30 ID:UdQ
「本当の本当だって。そんなに疑うなよ」

「うわあああぁぁぁん……! プロデューサー……! プロデューサー……!」

 プロデューサーが優しい声音で笑顔でそんな風に言ってくれるからアタシの緊張の糸は切れてしまったのだろう。今まで虚勢を張って強気に振る舞ってきたけど、もう限界らしい。アタシはプロデューサーにしがみついて声を上げて泣いてしまった。

「はいはい。プロデューサーですよ。ところで、お前の名前を教えてくれないか? 名前が分からないと呼び辛いんだ」

「し……しのぶ……! 工藤忍……、アタシの名前っ……!」

「忍か。じゃあこれからよろしくな、忍」

「うんっ……!」

 こうして10万円で買われたアタシは諦められなかったアイドルになった。アタシの夢だったアイドルに。

End

引用元: 工藤忍「アタシが10万円で買われた日」