926: 2019/06/04(火) 21:51:18.57 ID:+TYRyj6no

「ふーっ……!」


 息を吐き出しながら、交差させた両脚を持ち上げ、お尻を上げる。
 その時、反動を利用しないように意識する事が大切。
 トレーナーさんに教えてもらった、腹筋を鍛えるための運動。
 レッグレイズって言うらしいんだけど……結構、キツい。


「ふーっ……!」


 始めの頃は、全然回数がこなせなかった。
 初日の次の日なんか、ちょっと笑ったら腹筋がつりそうになった位。
 だけど、今は……この通り。
 やりすぎても良くないみたいだから、一日三十回。


「ふーっ……!」


 チラリと横目で見ると、ハナコがジーッとこっちを見てた。
 床に横になってする運動だから、遊んで貰えるのかとジャレついてきてたのに。
 私の真剣さが伝わったのか、それとも、終わるまで待っているのか。
 もしかしたら、応援してくれてるのかも……なんて、ね。


「ふーっ……!」


 筋トレを始めたのは、歌のため。
 腹筋が強くなれば、ニュアンスを出せるだけの息が続くようになるから。
 それとは別に、週に一回の休みの日に1km泳ぐ日を作ってる。
 あ、勿論トレーナーさんに相談してるからね?


「ふーっ……!」


 泳ぐ日を週二回に増やそうと思ったけど、難しい。
 学校もあるし、シンデレラプロジェクトに、プロジェクトクローネも。
 他にも、家の手伝いもあるし、両立と言うには忙しすぎる日々を送っている。
 むしろ、何もしてない時は、逆に落ち着かないかも。


「ふーっ……!」


 こんな生活を送るようになるなんて、思ってもみなかった。
 元々、運動はあまり得意じゃなかったし。
 それもこれも、全部……は、言い過ぎかな。
 半分くらいは、プロデューサーのせい……おかげ?


「ふーっ……!」



 ――夢中になれる何か。



「……ふぅっ」


 三十回終えて、両脚をゆっくりと床につける。
 終わったと思って、勢いよく下ろして踵とぶつけて痛い思いをしたからね。


「……」


 寝転がったまま、張っている腹筋に手をやる。
 熱を帯びたそれは、これからの私の歌に力を与えてくれるだろう。
 そう思うと、これが苦労とは全く思わない。
 だって、そうでしょ?


 今は、楽しくなってる途中なんだから。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場 (電撃コミックスEX)
927: 2019/06/04(火) 22:19:03.94 ID:+TYRyj6no
  ・  ・  ・

「……どうだった?」


 ボイスレッスンを見に来ていたプロデューサーに、聞いてみる。


「とても、良い感じですね」


 低い声が、耳に心地良い。
 心なしか、いつもは表情に乏しいプロデューサーの顔も、綻んでいるように見えた。
 でも、今日の私はそれじゃあ満足出来ない。
 こういったコミュニケーションが得意じゃないのは、わかってるけど。


「それだけ?」


 わざとらしく、少しだけ不満そうな顔をして、言う。
 別に、拗ねてるとかそんなんじゃない。
 私が、アイドルになった時から、ずっと見てきたんでしょ?
 だったら、他にも言える事、あるんじゃないの?


「そう、ですね……」


 プロデューサーは、右手を首筋にやった。
 きっとそれは、困ったからじゃなくて、
言うべき言葉を言わなかったって事に気付いて、しまったと思ったから。
 こうやって催促しないと、この人は当たり障りのない事しか言わないのが、たまに困る。


「……以前に比べて、かなり良くなってきています」


 両手を横に、姿勢を正して真っ直ぐにかけられた言葉。


「ふーん……まあ、悪くないかな」


 プロデューサーには、そんなつもりは無いんだろうけど。
 以前に比べて、って……手放しで良い、って意味じゃないよね。
 だけど、良くなってきてる、って言ってくれた。
 とりあえず、良しとしておくから。


「……何か、特別な事をされているのですか?」


 プロデューサーが、問いかけきた。
 でも、私は、


「別に? 普通にしてるだけ」


 努力してるとか、そんなのは言わない。
 トレーナーさんにも、秘密にして欲しいって伝えてある。
 私の答えを聞いて、プロデューサーは不思議そうな顔をした。
 ちょっと目を見開いた顔が、なんだか間抜けに見える。


「ふふっ! 何、その顔?」


 私は、努力している姿を褒められたいんじゃない。
 見て欲しいのは、アイドルとして輝いてる姿。


「……良い、笑顔です」 


 そうでしょ?
 気付いてないかも知れないけど、プロデューサーも良い笑顔してるよ。

928: 2019/06/04(火) 22:51:23.61 ID:+TYRyj6no
  ・  ・  ・

「……」


 夜の、ハナコの散歩。
 アイドルになってから、散歩コースはちょっと長くなった。
 それまで意識してなかったウォーキングにもなるし、
落ち着いて考え事も出来る上に、何よりハナコが喜んでくれるから。


「……」


 歩きながら、空を見上げた。
 薄暗くなってきた夜空には、都会でも見える星が、いくつか輝いている。


 ――だから、私が輝かなきゃね。


 あの人は、きっとあの星の中でも、一番大きな光を放っている人。
 どんなに暗い空でも、見失う事無く、キラキラと輝く星。


「――ワンッ!」


 不意に、ハナコの鳴き声。
 尻尾を振りながら私を見上げるハナコのリードは、ピンと張られている。
 考え事をしていたら、いつの間にか立ち止まっていたらしい。
 ごめん、ハナコ……それと、ありがと。


「……」


 私はまた、歩き始める。
 少し歩を進めて横に並ぶと、ハナコも一緒にチョコチョコと歩きだした。
 ハナコは賢いから、リードをグイグイ引っ張ったりなんてしない。
 大好きな私の家族は、無駄に走ったりはしないから。


「……」


 プロデューサーが、参考になると言った、アイドルの姿。
 私は、あの輝きに近づけてるのかな。


「……」


 リードを握ってるのとは逆の、左手で。
 夜空に手を伸ばすと、指の隙間で、それまで見えていなかった星がキラリと輝いた。
 その星の光はまだ弱くて、一番だとはとても言えない。


「……」


 でも、光ってる。



「待っててね」



 星に願いを――なんて、ガラじゃ無かったんだけどな。
 私は、まだ十五歳の高校生で……まだ、子供。
 それがもどかしくもあるけど、どうしようも出来ない。
 だったら、子供らしくお願いするだけの権利位は、あっても良いと思う。


「――ワンッ!」


 また立ち止まってたみたいで、慌てて歩きだした。
 お祈りしてる暇があったら歩けと叱られてる気がするのは……気のせいじゃないかも。

929: 2019/06/04(火) 23:36:31.54 ID:+TYRyj6no
  ・  ・  ・

「歌詞のイメージ、ですか?」


 ソファーに腰掛けながら、プロデューサーが聞き返してくる。
 反対側に座った私は、テーブルの上に置かれた新曲の歌詞に指を這わせる。
 私の指が示す部分に、プロデューサーの視線が向けられた。


「うん、ちょっとわからない所があるんだけど」


 澄ました顔で、聞く。


「ここ、どんな言葉をイメージすれば良いのかと思って」


 一秒、二秒、三秒。
 過ぎていく時間が、答えを待つ私にはとても長く感じられる。
 それだけ、私のこの質問には意味が込められているから。
 ……プロデューサーは、何て答えるんだろう。


「……そう、ですね」


 言いながら、プロデューサーはソファーに座り直し、姿勢を正した。
 背筋を伸ばして、軽く握った両拳を膝に乗せて。
 真っ直ぐ……真っ直ぐに、私を見た。



「貴女のイメージする言葉の通りで、良いと思います」



 聞こえ様によっては、何の答えにもなってない言葉。
 だけど、私にとっては違う。
 この言葉は――私を信じてくれているからこそ、出る言葉。
 手を引かなくても、自分の足で歩いていける――


「ふーん……そっか」


 ――安心して見ていられる、って信頼の表れ。
 それが少し照れくさくって、私もソファーに深く座りなおし、前髪を指で少しいじる。
 色々と、予想してはいたんだけどさ。
 そんな風に言われちゃ、納得するしか無い。


「何となく、わかった」


 私がイメージするのは、いくつもの言葉。
 低い声で放たれたその言葉達は、今でも全部私の中に残り続けてる。
 儚くも、薄れもしない……絶対に、苦しみを乗り越えられるだけの強さを持って。
 ……でも、良かったの? そんな事言って。


「……渋谷さん?」


 プロデューサーは、不思議そうな顔をした。
 それはきっと、今の私のしている表情が、見せたことのないものだったから。
 だけど私は、それをさっとひっこめて、平静を装う。
 そのくらいの事が出来る程度には、私はもう……大人だから。


「楽しみにしててよね――『AnemoneStar』」


 笑いながら、テーブルに広げていた資料を集め、綺麗に整える。
 いくつもの花言葉の中から、私は誰にも言えない一つを選びだした。



おわり

引用元: 武内P「援助交際、ですか」