610: 2014/01/15(水) 04:13:25 ID:7QF46twI
連作短編27
ありす「START」

 START、出発する、始める。

今時、小学生でも知っている単語が綴られたCDケースをそっと彼女は机の上に置いた。

「ラララお出かけ、って転んじゃった」

 そっと口から洩れるその歌詞と、彼女の頭の中の人物が上手く結びつかない。

「どうして今になって」

 アイドルだった、そう告げられてから一年。あれから二人の間でその話題が出た事はなかった。

挫折した、そう聞かされそう信じて。疑いもせずに必氏に彼の背中を追いかけ続けてきた。

そんな彼が久しぶりに、アイドルだった頃に踏み込んだ。

「聞いてどうなるっていうんですか」

 一人、軽く愚痴を零しながらそっとケースを開ける。

逸る気持ちを必氏に沈めて、震える手が彼の最後に残した足跡を掴んだ。

パソコンがデータを読み込み、画面に再生ボタンが表示される。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(8) (電撃コミックスEX)
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(8) (電撃コミックスEX)

このSSはアイドルマスターシンデレラガールズの世界観を元にしたお話です。
複数のPが存在し、かつオリジナルの設定がいくつか入っています。
連作短編の形をとっており、
前のスレを読まないと話が分からない事もあるかと思います。

検索タグ:ありす「心に咲く花」

その為、最初に投下するお話は事前情報なしでも理解できる構成としました。
こんな雰囲気が好きだなと少しでも感じて頂けた方は前スレも目を通して頂ければ 嬉しく思います。
それでは、投下を開始します。
611: 2014/01/15(水) 04:14:32 ID:7QF46twI
「再生……」

 イヤフォンから流れるその声に、彼女が最初に抱いたのは――。

「あーりーすーちゃーん!!」

「えっ!?」

 扉の向こうからの声にありすは顔を思い切り上げ、悶絶した。

「いった……」

「大丈夫!? 何だか凄い音したよ?」

「心配ない、ちょっとぶつけただけ」

 痛む頭を押さえながら、ありすは元凶を半ば八つ当たりに睨みつける。

「何でこんな所に頭を……」

「入っていい?」

「うん、もう起きたから」

「どうしたの? ぶつけたの?」

「机に」

612: 2014/01/15(水) 04:15:25 ID:7QF46twI
遠慮なく入ってきた少女がありすの頭と机を交互に視線を移動させ、訝しげに顔を傾げる。

いくらふいに眠りに落ちたとはいえ、机の真下に頭が移動すると想像できるほど、人の想像力は豊かではない。

「器用だね」

「そんな褒め言葉いらない」

「何か聞いてたんだ、珍しいね」

「少し。それで千枝、何か用?」

 千枝、と呼ばれた少女は少し悪戯な笑みを見せ、ありすの顔を下から大仰に覗き込んだ。

「昨日のサンタさんはどうだったのかなと思って」

「普通に渡した、それだけ」

「本当にそれだけ?」

「それだけ」

 押し問答を繰り返すも、相手は佐々木千枝。その嘘はあっさりと崩れ落ちる。

「そのCD、昨日まではなかったよね?」

「う……」

 責めるような口調とは裏腹に、千枝の顔には満開の笑顔が咲いていた。

613: 2014/01/15(水) 04:16:23 ID:7QF46twI
「……うん」

 ついに観念してありすは頭を少しだけ下げた。他のアイドルならともかく、どうにも彼女にだけにはありすは敵わない。

「千枝は昨日は会えなかったから、渡すのは今日になるけど。ありすちゃんのケーキは喜んでくれた?」

「美味しいって」

「そっか、よかったね」

 互いの気持ちを分かっていながら、二人は笑みを交し合う。

抱くにはまだ早すぎる想いに押し潰されそうになりながらも、彼女達は前を見ようと決めた。

「おはよう、相変わらずの仲の良さだね」

「あいさん、おはようございます」

 廊下に出ると、爽やかに透る声が響く。

先に気付いた千枝が頭を大きく下げ、ありすもそれに続く。

「頭でもぶつけたのかい?」

「……残ってますか?」

「その様だ、後で鏡を見るといい」

 頭をポンと叩かれ、あいがその場を後にする。今日の彼女は朝から地方に移動の為か、部屋の前には既にキャリーバッグが用意されていた。

614: 2014/01/15(水) 04:16:57 ID:7QF46twI
「サックスの演奏会なんだって、千枝も生きたかったなあ」

「事務所に行ったら、絶対に言われる」

「Pさんに? いいんじゃない、頭なでてくれるかも」

 それもいいな、と一瞬でも思った煩悩を振り払いありすは足を速める。

ペースを崩される事に慣れてるとはいえ、やはり12歳。素直に受け入れるにはまだ時間が必要だった。

「ふひわはthたじゃpたあた」

「飲み込んでからにしたら?」

「ほうふる」

 朝早く、いつもなら登校前の学生達で賑わう食堂も冬休みに入った今はまばら。

いるのは雑誌に目を通している相川千夏や眼鏡のカタログを見てにやにやしている眼鏡オタクくらいのもので。

「食べたら事務所に行く?」

「一応、仕事の打ち合わせもあるから」

「Pさんと?」

「他にいない」

615: 2014/01/15(水) 04:18:18 ID:7QF46twI
「本当に一年間、ずっとPさんだったね」

 一年間、特定のプロデューサーのみと仕事を行う。言われるまでもなくそれが珍しい事であるとありすも自覚していた。

それがどういう意味を持つのか知らないまま時が流れ、そして昨日その意味を知った。

「これからも一緒です」

 あの歌を聞き続けても分からないなら聞くしかない。どんな答えが返ってこようと、取るべき道などもうありすには一つしか見えないのだから。

616: 2014/01/15(水) 04:18:53 ID:7QF46twI
「聞かせたんだ?」

「まあな、そろそろ頃合いだ」

 17歳にしてはかなり、いや非常に幼い体躯の女性がこたつの中で頭を垂れていた。

よく暖房の効いた室内に過剰なまでの防寒具、そん懸命な彼女の対策の結果。

「それにしても暑いんだが」

 対面に座る男は半袖だった。

まるで今から海にでも、と言わんばかりの服装だが季節は年末。

「ここは夏か」

「夏なんだよ、杏がそう決めた」

「そんなんで野外ライブ大丈夫かよ」

「杏の出る時だけ室内にしよう」

617: 2014/01/15(水) 04:19:27 ID:7QF46twI
「どこにそんな箱を抑える金があるんだ」

 こたつの上には蜜柑とお茶、双葉兄妹の冬のいつもの光景だが今日は一つ増えていた。

「今日も仕事?」

「打ち合わせがある、765と」

「あっちって兄貴と同じ様な人がいるんでしょ?」

「そう、元アイドルで19歳で今は765のプロデューサー。担当するは竜宮小町」

「そんな風変わりなのが世界に二人もいるなんてね」

 杏がこたつの上の書類にちらと目をやる。765、CG合同企画、と銘打たれた書類には6名のアイドルの名が記されている。

「天海春香に如月千早に星井美希って、共演しても食われるだけじゃない?」

「食われて上等」

 杏の言葉をさして気にも留めず、彼の視線はテレビに向けられていた。

既に10年が経過しようとしているテレビには、アイドルの理想像が輝いている。

「追いかけてきた、この一年……いや、二年」

618: 2014/01/15(水) 04:21:00 ID:7QF46twI
仕事納め、12月下旬の最後の仕事。

公務員、民間を問わず大抵の社会人が迎える年中行事もここCGプロでは、

「あー何で正月も仕事かねえ」

 無縁だった。少し薄くなってきた頭を掻き毟りながら、壮年の男性が書類と格闘していた。

抱えるアイドルの量に比例して増える仕事に、彼でなくとも愚痴の一つや二つ漏らしたくもなる。

「それ以上やるとはげるんじゃない?」

 その隣、整理整頓が一見よく行き届いたように見える机から澄んだ声が飛んだ。

「生憎こっちはそちらと違って忙しいんでね」

「あっそ」

 返ってきた皮肉も何のその、そっけなく返したその足元には彼に劣らないだけの書類が積まれている。

本来それは、彼女の仕事ではない。ただ、目に付くところに置いておけば彼の目に入る。

それを避ける為にも、彼女は今日何本目かも分からない栄養ドリンクを流し込んだ。

619: 2014/01/15(水) 04:21:30 ID:7QF46twI
「おはようございます」

「よう、少年」

「少年って年でもないですよ、せめて青年にして下さい」

 彼らの対面に座る形で腰を下ろしたのは、この事務所で最年少のプロデューサー。

10代でその地位に着いた彼は、机の上を見渡して意外そうに声を上げた。

「仕事がない」

「また羨ましいねえ」

「取りました?」

「俺にそこまでの余裕はねえよ、俺にはな」

 そう返され、彼は隣で黙々と仕事を進める女性に視線を転じる。

「借りはこの前のあれで返してもらったと思うんですが」

「あんた大きな仕事あるんでしょ?」

620: 2014/01/15(水) 04:22:03 ID:7QF46twI
「だから? と返しますよ、年末で忙しいのはお互い様でしょう?」

 したところで何の得もない仕事の奪い合い、という珍妙な光景も彼らにはよくある事だ。

「先輩の顔を立てといて損はないと思うけど?」

「後輩に仕事させるのが先輩の仕事ですよ」

「病み上がりに仕事させるほど鬼じゃないわ、黙って専念しておきなさい」

 さあ今日はどっちが勝つのやら。と周りのスタッフが賭けを始めた時、思わぬ乱入が入った。

「その通りです、だから今日は私の相手をするべきです」

「あら、今日はお洒落ね」

「王子様に会いに来たんだからな」

 そんな先輩二人の茶化しを完全にスルーして、ありすは自らの担当プロデューサーの前に陣取る。

手にしているのは、昨晩に渡されたCDとマフラーが一枚。

621: 2014/01/15(水) 04:22:59 ID:7QF46twI
「もう聞いたのか?」

「聞きました」

「早いな、早いのは感心だけど」

 そう言いながら彼の視線はもう一つの手の内に向けられる。

どう考えても手編みと思われるマフラーだが、パスタすら難航した少女がこんな短時間で習得したとは思えない。

「何か失礼な事を考えているようですが」

「考えてる、そのマフラーはありすが作ったにしては出来すぎてる。千枝か?」

「……正解です」

 少しの間を置いて返された答えに彼は安堵の表情を見せる、これで作ったと言われたら安心して首にも巻けない。

間違いなく針が刺さりGO TO HELL、そんなのは輝子のシャウトだけで充分だ。

「どうしても行けなくなったそうで、代行です」

「俺より優先する事情って、緊急事態か?」

「ある意味」

 お腹を下して現在緊急進行形の緊急事態だ。あのケーキが原因ではない。繰り返す、あのケーキが原因ではない。

622: 2014/01/15(水) 04:24:18 ID:7QF46twI
「何か顔色が悪いぞ」

「何を言っているんですか、こんな大きな仕事を前に体調を崩している暇などありません」

「そ、そうか」

 謎のみなぎる気合を前に、彼は先輩二人に目配せする。行ってこい、との許可を受け彼は降ろしたばかりの腰を上げた。

「場所を変えるか」

「ここも今日は空いてますね」

「年末にまで事務所にいようなんてアイドルは極少数だって」

 空席の目立つカフェテリアで、ありすはメニューを見て即決する。

何のことはない、苺こそが正義だ。

「苺は世界の奇跡です」

「何だその世界レベルみたいな物言いは」

「あの人と一緒にしないで下さい」

 注文に苺サンデーを選び、彼女は精神を整える。

623: 2014/01/15(水) 04:24:55 ID:7QF46twI
「言っとくが仕事の話だからな」

 一足早く来た紅茶に砂糖を入れつつ、彼が釘を刺す。

「分かっています」

 そう言いながらも緩む口元に一抹の不安が彼に宿る。

「やる気はあるよな?」

「あのCDは何のつもりですか?」

 彼女がその声に込めた感情は困惑、そしてほんの少しの痛み。

「あれだけ上手く歌えるなら歌えばいいんです」

 彼から彼女へ渡されたのは、彼の足跡。

STARTはSTARTでも、それは天海春香の声ではなく彼によって歌われたもの。

「俺がアイドルとして最後に歌った曲だ、今になって思えば笑えるよな。終わりなのにSTARTって」

624: 2014/01/15(水) 04:25:36 ID:7QF46twI
「どうしてこれを私に渡したんですか」

 問いではなく責めるような口調になるのは、考えたくもない可能性が既に頭の中にあるから。

聞いてしまったありすだからこそ思いつく、最悪の現在。

「俺の声だが、今の俺とは違うだろ?」

「ほんの少しだけですが」

「そう、ほんの少し。それでも聞けば誰もが分かってしまう、少しだ」

 待望の苺サンデーが来ても、ありすは手を付けなかった。形を徐々に崩していくクリームが、彼に重なって見えた。

「記事は見たよな?」

 嫌だ、そう彼女の心が叫ぶ。そんな話は聞きたくない、答えたくもない。

「芸能事務所で火災発生。氏者二名、軽症一名、そして重傷者一名」

「それが……何だって言うんですか」

「まあ、想像通りのことだ」

 ありすを気遣ったのか、あるいは口に出すにはまだ振り切れていないのか。

彼自身もよく分からないまま、答えは濁された。

625: 2014/01/15(水) 04:26:35 ID:7QF46twI
「だから天海春香に託したんですか?」

「いや、負けたんだ。アイドルとして完膚なきまでに。そのオーディションでな」

 その差は明らかだった、言い訳のしようもない圧倒的な差。

技術でも経験でも埋めようのないアイドルとしての差だったが、彼に去来したのは絶望でも羨望でもなく。

「純粋に凄いなって思った、歌もお世辞にも上手いとは言えなかったけど見惚れた。
 この子はきっとアイドルとして大成する。そう思わせるだけの力があったし、それは現実になった」

「負けたから辞めたんですか?」

「……さあな、答えを出すには俺はまだ若すぎる」

「私の歌、そっくりです」

 彼女の口から搾り出すように発せられた声に、彼は眉を顰める。

「ありすはそう思ったんだな」

「Pさんもそう思ったはずです、だから私を……私を」

 最後まで言葉は紡がれる事なく、虚空の彼方へ思いは消える。

何をぶつければいいのかも分からないまま、ありすの胸には嫌な自分が現れては消え、ついに顔を出した。

626: 2014/01/15(水) 04:28:18 ID:7QF46twI
「私はPさんの代わりですか?」

「ありすはありすだ、そうだろう?」

「なら、どうしてこんな時に!」

 この歌を歌った時に天海春香が傍にいたのなら、彼女がありすの歌を聴いても同じ感想を持つに決まっている。

失われてしまったアイドルとしての自分を、彼は橘ありすに求めていると。

「どうしてこんな時に……歌を聞かせようなんて思ったんですか……」

 力ない問いかけに、二人の間に沈黙が横たわる。

仕方なしに苺に手を伸ばした瞬間、それは彼の手にあった。

「あ」

「いつまでも食べないからいらないのかと思った」

「私が頼みました!」

「どうする? ここにあるぞ」

「そんな意地悪を言わないで下さい!」

 ありすがテーブル越しに無理やり手を伸ばす。が、そこは大人と子供。

627: 2014/01/15(水) 04:29:13 ID:7QF46twI
「大人しく返して下さい」

「ま、冗談は置いといて」

「冗談にしてはたちが悪すぎます」

 返ってきた苺をすぐに口に含み、少しだけ彼女の胸が軽くなる。

やはり、苺はよいものだ。

「知らないまま歌ったところで、きっと春香はありすと同じ感想を抱くと思う」

「当然です」

「その時、いきなり言われたらありすがショックだろうと思って」

「それは……そうですが」

 そう言われてはありすには返す言葉が無い。

628: 2014/01/15(水) 04:30:05 ID:7QF46twI
だがそう言われても引き下がるわけにはいかなかった。

「それならそれで、最初からこの企画そのものを受けなければよかっただけの話です」

「行ってみるか?」

「行ってみるって……どこにですか」

 返事の代わりの提案に、ありすが身構える。

そんな彼女の様子を微笑ましく見つめながら、彼は告げた。

「765プロ」

629: 2014/01/15(水) 04:32:31 ID:7QF46twI
CGプロから徒歩4分の最寄り駅。

三線が連結する便利な駅だが、それだけに人も多く気を抜けばはぐれるのも一瞬だ。

「嫌かもしれないが手を離すなよ」

「分かってます」

 傍から見れば仲の良い兄妹にしか見えないプロデューサーとアイドルは、何とか電車に滑り込んだ。

「東京ってどんな時間の電車もこれだもんな」

「これでも少ない方です」

 誰も彼女がアイドルとは気づかない、アイドルもここでは完全に日常の一部だ。

「ここから何駅先なんですか?」

「三駅」

「意外と近いんですね」

 路線図を見てありすが大体の場所を判断する。

都心でも郊外でもない微妙な場所、そこにトップアイドルを13人も擁する事務所がある。

そんなとんでもない非日常が、日常の中にある。

630: 2014/01/15(水) 04:33:06 ID:7QF46twI
「降りるぞ、少し歩くからな」

「Pさんはここから通ったんですか?」

「いや、近くに部屋を借りてた。狭いボロアパートだったけどな」

 ビルの合間を二人が歩く、やはり誰も気づかないがありすはそれでよかった。

 今は誰にも、この時間を邪魔されたくない。

「見たら驚くぞ、信じられないくらいしょぼいから」

「CGプロも似たようなものです」

「いや、それ以上。アイドルの収入だけでビル建つはずなのに、あそこから離れようとしないんだよな」

「誰かに行く事は連絡してあるんですか?」

「プロデューサーが出迎えてくれるぞ、奇跡のプロデューサーが」

「きせき?」

「そう、奇跡」

 何のことだか分からないまま、ありすは目的の場所にたどり着きそして。

631: 2014/01/15(水) 04:33:41 ID:7QF46twI
「……」

 絶句した。

「ほら、驚いた」

「古い雑居ビルにしか見えません」

「見てみろ、765って書いてあるだろ」

 確かに上へ視線を転じればそう書いてある窓はある、あるのだがそれをありすは765プロと認めたくない。

「おかしいです! あれだけのアイドルがいるならもっとマシな場所があります」

「一年前の俺も思ったし今日の俺もそう思う、もっと言うなら一年後の俺もそう思うって断言できる」

「こんな所で満足なんでしょうか」

「まあ、全てが始まった場所だろうから。そこは俺にも分からない部分だ、行くぞ」

 程よく緊張感がほぐれた事にも気づかぬまま、ありすは二階へ上がろうと向かったエレベーターに故障中の表示を見た。

「さて、一応ライバル会社だ。姿勢を正して言葉遣いに気をつけるように」

「言われるまでもありません、ネットで調べてきました。完璧です」

632: 2014/01/15(水) 04:34:17 ID:7QF46twI
「完璧か、ここで言われると笑えるな」

「馬鹿にしてますね」

「いや、同じようなことを言ってるのがここにもいるからさ」

 ノックするドアの感触は一年前と同じ、それでも時間は流れていることを証明するかのように看板は色あせていた。

「空いてますよ、CGプロダクションのプロデューサーさん」

「……わざとらしい」

「入ってもいいんでしょうか?」

「いいんだろうさ」

 時間丁度とはいえ、確認もせずに招き入れる管理体制に一抹の不安を覚えつつ彼は遠慮なしに扉を開け、

「引っかかったー兄ちゃんやっぱり変わってない……」

 過激な出迎えを受けた。

「……」

 ありすが。

633: 2014/01/15(水) 04:35:13 ID:7QF46twI
「あれ?」

「何ですかこの事務所は!!」

 頭から思い切りたらいを受け本日二度目のこぶを作った少女は、あらん限りの声を振り絞って怒りをぶちまけた。

「本当にごめんなさい!」

 アイドル事務所の中でも抜群の所属人数を誇るCGプロにもいない双子アイドルが、ありすの前で頭を下げていた。

「本当はこっちに当てるはずだったのにー」

「何で開けるだけ開けて入ってこないのさ」

「律子の声真似したんだろうが俺には通用しない」

「だったら先に私に教えて下さい!」

 ありすが至極当然の突込みを入れ、彼も押し黙る。改めて落ちてきたであろうたらいを見ればそれなりの一品で、この為だけに用意したのかと

思うと、彼もまた呆れる以外に無い。

「暇なのかお前ら」

「これからお仕事、だからちょっと遊ぼうと思ったのに」

「兄ちゃんもつまらない大人になっちゃったね」

634: 2014/01/15(水) 04:35:51 ID:7QF46twI
「ちょっと目を離したと思ったら」

 彼が反論する前に、その後ろから鋭い声が飛ぶ。声の正体など彼と双子には確認するまでも無い。

彼と同じく10代でプロデューサーの職に就いた女傑、秋月律子。

「げ!」

「げ、じゃないでしょ! 何をやってるのあんた達は!」

 すぐに飛ぶ叱責の声に亜美、真美共に震え上がる。

言葉だけで人は震え上がることをありすは今日、初めて学んだ。

「さっさと行きなさい!」

「アイアイサー!」

 揃って事務所から逃げる様に出て行く二人をため息混じりに見送った後、改めて律子は彼に手を差し出した。

「ようこそ、765プロへ」

「やっと同じ立場だ」

「新米プロデューサーが何を言ってるんだか」

「新米でも同じプロデューサーだ」

635: 2014/01/15(水) 04:37:09 ID:7QF46twI
しっかりと握られた手に、少しの感傷を残して別れた日の事が思い浮かぶ。

互いにプロデューサーとして上り詰めると誓い合い、切磋琢磨し合ってきた仲だ。

「どうなる事かと思ったけど、順調の様ね」

「ここでの経験のお陰かな」

「抱えてるアイドルの数はこことは比べ物にならないでしょ?」

「担当してるのはそう多くないよ、この子みたいに手間の掛からない子も多いから」

 彼がそっとありすの背中を押し、彼女は初めて765プロと向かい合う。

「橘ありすです」

「彼からここの事は聞いてる?」

「いえ、全く」

「そう、なら私も自己紹介しないとね。秋月律子、ここでプロデューサーをしているわ」

「しかし律子がいて何で二人はあんな事をやろうと思ったんだよ」

636: 2014/01/15(水) 04:39:31 ID:7QF46twI
「ちょっと席を外した隙に……よ。本当に油断も隙も無いわね」
 
 彼の問いに律子はやれやれといった表情で首を振る、律子さえ彼女達の扱いには未だに手こずっていた。

「年を重ねるごとに手が込んでいくのよね」

「随分とお粗末だったけどな」

「座ってて、お茶でも出すから」

 案内されずとも彼は馴染み深い古びたにソファに腰を下ろした、隣でありすが周りを興味深そうに眺めている。

それはIA大賞やIU大賞のトロフィーであったり、各自が無造作に置いている私物であったり、

「あ……」

「懐かしいな、俺が出て行くときに撮ったんだ」

 彼がここで生きていた証の一つが、陽に照らされていた。

「本当にいたんですね」

「ああ、いた」

 ありすの掌の中に13人のアイドルの笑顔があった。加えて、彼女の知らない人達の笑顔も。

「社長と小鳥さんとここのプロデューサー二人、今日はいないみたいだな」

637: 2014/01/15(水) 04:40:30 ID:7QF46twI
静かな事務所の中で、律子がお茶を入れている音だけが響く。先の双子の喧騒が嘘の様で、彼はソファにそっと背中を預けた。

「今日は律子以外はいないのか?」

「もう少ししたら千早が顔を出すと思う、美希も。春香はちょっと用があるみたいで」

「二人も来るのか?」

「貴方だから」

 律子が彼の向かいに座り、合同企画と銘打たれた書類を示す。

「まずはお話ありがとうございます、765プロは喜んでこのお話をお受けします」

「ありがとう、無理を言っちゃって」

「もう無理は何度と無く聞いてきたから」

 ありすが企画書に目を通す、改めて見ても彼女にはにわかに信じられない企画だ。

「本当にこの曲を私が歌うんですか?」

「その為の企画だから、それにメリットは私達にもあるのよ」

「やっぱりあの噂は本当なのか?」

 脈絡の無いように聞こえる質問に、ありすが目を通すのを止め彼に目をやる。

ただただ真剣な眼差しの向こうで、律子は静かに頷いた。

638: 2014/01/15(水) 04:41:24 ID:7QF46twI
「本当よ、新人を入れる予定。いつまでも13人って訳にはいかないでしょ。だから後輩との交流も慣れさせておかないと。
 他にいない訳じゃないけど、やっぱり絡みは少ないから」

「変わっていくんだな、何もかも」

「それでも、変わらないものもある。変われないものも」

 いつか、彼が彼女に言った言葉だ。そしてそれは今も、彼らの胸の内にある。

「うちからは渋谷凛と佐久間まゆ、そしてここにいる橘ありすを予定してる。三人とも力はある。
 見劣りはするが、企画として成立させる自信はある」

「私達もそう思ってはいません、チェックもしてるわ。いいアイドルね」

「今はまだ、お世辞と受け止めておく」

「だそうよ」

「構いません、まだ何もしてませんから」

 素っ気なく返ってきたありすからの言葉に、律子と彼は顔を見合わせ苦笑する。

ここまでのストイックさは誰に似たのか、もう問いかけるまでもない。

「リハも本番も年が明けてから、レッスンも年明け?」

「その予定、凜やまゆにも詳しいスケジュールはもう伝えてあるから」

639: 2014/01/15(水) 04:42:38 ID:7QF46twI
「年が明けるのね、今年もあっという間だった」

「本当なの、律子は美希をもっと大事したらって思うな」

 彼の後ろから手が伸び、お茶と共に出してあった茶菓子が彼女の口へ放り込まれる。

「よう、忙しいところ悪いな。美希」

「別にいいの、久しぶりだね」

 その名を聞いて、ありすがまじまじと現れた人物の顔を見る。

昨年のIA大賞の受賞者であり数々の賞を総なめにした、トップアイドルに最も近い存在。

「この人が……」

「橘ありすちゃん?」

「はい、ご存知なんですか?」

 名前を呼ばれありすが思わず敬語で問い返す、それだけこの世界で彼女の存在感は大きいものがある。

「気になってたから、美味しいねこれ」

640: 2014/01/15(水) 04:43:31 ID:7QF46twI
「選んだのは雪歩か?」

「今日は私。あと美希、勝手に取らない」

 ありすの反対側にぴょこんと降りた美希が、律子の説教を聞いて彼にウインクして見せる。
 
変わってないでしょ? と言わんばかりの悪戯な笑みだ。

「いるなら手土産の一つも持って来ればよかったな」

「そうなの、相変わらず肝心な所が抜けてるね」

「悪かった、リハの時は何か持ってくるよ」

「約束なの」

「……約束か」

 何の気なしに美希から発せられたのは、765が誇る歌姫の代表曲。

「あのライブも懐かしいわね」

「大変だったなあれは、流石にあれ以上のライブはうちではまだないな」

「あ……」

「あ、置いてけぼりにしちゃったな」

 思い出話に花を咲かせ過ぎたか、と気遣う彼の視線をありすが入口の方へ導く。

641: 2014/01/15(水) 04:44:07 ID:7QF46twI
「いえ、そうではなく」

「千早! 来てるなら言えばいいのに」

 その誘導にいち早く気付いた律子が声を掛けるが、掛けられた当人はどこか困惑していた。

「本当に……来ていたんですね」

「って、律子から連絡受けなかったのか?」

「う、受けました! 受けましたけど」

 彼の隣で美希が必氏に笑いを堪えているのをありすが不思議そうに眺め、そして千早の表情を見てすぐに悟った。

「え……」

「違うから、安心しなさい」

 耳打ちされた声にありすが振り向けば、律子が二人の様子を微笑ましそうに見つめながらそっと続ける。

「色々とあるのよ、あの二人も」

「あの、今のは――」

「黙っといてあげる、それにしてもこんな子供までなんて」

「子供じゃ……子供ですけど」

642: 2014/01/15(水) 04:45:33 ID:7QF46twI
反論もできずにありすが黙り込むのを見て、美希は先から口元が緩みっぱなしだ。

「千早と美希って最近は顔を合わせる機会ってあるのか?」

「こっちの情報あんまり入れてないの?」

「一度100名以上のアイドル事務所のプロデューサーになってみろ、他の事務所の同行なんてスタッフ任せになる」

 実際、所属アイドルの仕事を持ちかけられてもプロデューサーである彼ですら即答はできない。

相手も理解を示してくれている内はいいが、スケジュール管理を全てデータで管理してもそのデータ量は膨大な物。

「学校みたいね」

 千早の率直な感想も、よく彼の仕事相手からも言われるものだ。

「中学と高校なら1クラスは余裕で出来る。実際、講師呼んで授業もしてもらってるぞ」

「授業?」

「テスト前とか、アイドルやってるから勉強できませんじゃ親御さんに申し訳立たないし。
 事務所で全て済ませた方が手っ取り早いだろ?」

「導入すれば……」

 律子を始めとする周囲の視線が自然と一点に集中する。興味のない話題ににうとうとし始めていた美希は、珍しく慌てて口を開いた。

「律子さん美希は大丈夫なの、だからそんな真剣な顔しないでいいって思うな!」

643: 2014/01/15(水) 04:46:39 ID:7QF46twI
「紹介しようか?」

「ちょっと待つの!」

 調子に乗った彼の提案を美希が必氏の形相で制する間に、千早が律子の横で企画書に目を通す。

「この企画、私達は何を歌うの?」

「え?」

 そしてぶつけられた質問に彼が固まる。何の話だ? とその問いを律子にぶつけようとして、

「……何も知らない」

 首を横に振って必氏に否定する律子を見た。

「俺は曲の使用許可とあわよくばレッスンしてくれたらってお願いをしに来たんであって、出演依頼をしに来た訳じゃないからな」

「スケジュール空けちゃったよ、三人とも」

「え」

 美希の言葉に律子が項垂れるが、それ以上の修羅場を迎えているのが向かいで頭を抱えていた。

「本物の前でカバーって、俺だって本人が歌えよって思う! 完全に見劣りする! というか呼ぶ金がない!」

「お金? スポンサーさん見つけてくればいいの?」

644: 2014/01/15(水) 04:47:42 ID:7QF46twI
「お金? スポンサーさん見つけてくればいいの?」

「企画そのものを変える気か」

 本気になるとプロデューサー以上の営業能力を発揮する彼女なら、それくらい容易い事だ。だがそれは同時にプロデューサーとしての敗北を
意味しているようで、彼としても簡単にはいとは言いたくない。

「変えちゃおうよ、その方が楽しいよ」

「千早、何か言ってやってくれ」

「いいんじゃない? 空いてるなら、ほら……LIVEバトルでしたっけ?」

「ライブ……」

「バトル……」

 千早からの思わぬ提案に彼だけでなくありすも絶句する。

そんな勝敗の見えた勝負、したところで彼らにメリットがない。あるとすれば、歌えれば何でもいい千早が喜ぶくらいだ。

「いいかも」

「美希!?」

 最後の壁まで難なく突破され、彼は言葉を失う。ここまでくると最早――。

645: 2014/01/15(水) 04:48:52 ID:7QF46twI
「律子、誰の差し金だ?」

「私が聞きたい……」

「765で群を抜いて忙しい三人のスケジュールが年始の同じ日に都合よく空いてるなんて、
 偶然の一言で片づけられる訳ないだろ。誰かが調整してる」

「私が決められる訳ないじゃない、そんな事ができるのは――」

 ここで彼と律子の思考が合致する。そうだ、その観点から犯人を考えれば――。

「あんのプロデューサー!!」

 二人の若きプロデューサーの怒声が、事務所を飛び越えどこまでも響き渡った。

次回、24日。何回かに分けて投下する予定です。

646: 2014/01/15(水) 23:37:34 ID:ivvg3tqk
乙です。
書き方が変わってビックリ。

647: 2014/01/16(木) 18:56:41 ID:S9HhBiYo
乙。次も楽しみ。
セリフの人名消したの演出だと思うんですけど
登場人物が多いので、できれば書いていただけると読みやすいです。

引用元: ありす「心に咲いた花」