1: 2013/11/22(金) 00:34:15.60 ID:KHMtlW+j0
※咲-Saki-のifストーリーです
※咲さんは盲目で、諸事情により千里山に通ってます
※千里山の部長はセーラです

咲-Saki- 25巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)


2: 2013/11/22(金) 00:37:46.18 ID:KHMtlW+j0
部室を抜け出して、セーラは一人で中庭を歩いていた。
単なる気分転換だ。

『用事がある為、席を外す。後の指示は頼む』

監督からメニューだけを預かり、今日の練習をこなしていたが、
ふっと外の空気が吸いたくなった。少しの間なら構わないだろう。

吹き抜ける風に、セーラは空を見上げた。

もうすぐ春休みも終わる。そうしたら新入生達が入ってくる。
麻雀部に、少しは歯応えのある部員は来るのだろうか。

退屈しないような新人でも入って来たら、面白くなりそうだが。
今のメンバーの実力等、色々考えながら足を進める。

ふと。
杖を振りながら歩いている少女が、セーラの視界に入った。

(初等部の生徒か?こんな所で何をしてるんや?)

見ている間にも危なっかしい足取りで、少女は歩みを進めていく。
杖で周りを探りながら、ゆっくりと。

3: 2013/11/22(金) 00:40:45.88 ID:KHMtlW+j0
千里山の敷地内の通路は広い。
そのあちこちには、花壇や木が置いてある。
通路の真中に邪魔じゃないのか?と思うようなところにもだ。

そんな調子なので、少女は杖で木を叩き、確認しては歩いていく。
速度は幼稚園児よりも遅い。

(迷子やないよな?)

付き添い無しに少女が歩いていることが気になる。
方向感覚が狂って高校に入り込んだ可能性だってゼロではないだろう。

「っ!」

通路の中でも大きい部類に入る木を避けようとして、少女は枝を体に引っ掛けてしまう。
そのまま転んでしまうかと思われたが、上手に手をついて激突はなんとかやり過ごす。

「はぁ、びっくりした…」

呟きながら、少女は体を起こした。
ぱんぱんと手を払い、また杖を持ち直す。

「なあ」

なんとなく暇だったこともあって、セーラは声を掛けてみた。
ここに何故いるのか、少しばかり興味もある。
しかし少女はセーラの声を気にも止めずに、歩き出してしまっている。

「なあ。そこのアンタ。聞こえんのか?」

2度目の声も、やっぱり無視をされる。
苛立ち、セーラは大股で少女に近付いた。

「ここで何してるんや?」

「…私のこと?」

至近距離で声を出すと、ようやく少女の歩みが止まる。
こちらに顔を向けているが、瞳の焦点は合っていない。
ぼんやりと、どこを見ているかわからない視線。
それと、杖。

確信する。
この少女の目は見えないのだ。

4: 2013/11/22(金) 00:45:13.67 ID:KHMtlW+j0
「部外者は立ち入り禁止だって知ってるんか?」

「あなたは、ここの先生?」

本当に教師だったらどうするつもりなんだ、と思うような口調で少女は尋ねた。

「お前、俺の話聞いてるんか?」

「部外者は立ち入り禁止ってことでしょう。生憎私は部外者じゃないんで」

肩を竦める少女を見て、どういうことか考える。

「もしかしてここに入学するんか?」

「まぁ、そう」

「本当にか?」

「多分。私はよくわからないけど」

投げやりな少女と逆に、セーラは内心で驚いていた。
目に障害を持つ生徒の受け入れは今まで無かったはずだ。
きちんとした体制も無いまま、入学させてどういうつもりだろうか?

「ねぇ、もう行ってもいい?」

黙っているセーラに、少女は返事も聞かず歩き出す。

「待てや。ここで何してるんかまだ聞いてないやろ」

がしっと腕を掴んだ途端、驚いたのか少女の体がよろける。

5: 2013/11/22(金) 00:48:08.12 ID:KHMtlW+j0
「わっ、ちょっと!」

咄嗟に反対側の手を出し倒れないよう、体で受け止める。
転倒を避けたことに思わず安堵したが、助けられた方はそう思わなかったようだ。

「いつまでくっついてるの?」

不機嫌な声が聞こえ、セーラはむっと眉を潜める。

「お前が転びそうになったから、助けてやったんやろが」

「あなたがいきなり人の腕を掴んだせいって、わからないの?」

「何やと。そんなことで倒れるか?普通」

感謝をされても、文句を言われる筋合いは無い。

なんだお前と、続けようとしたが、

「しょうがないでしょ。何も見えないんだから」

自棄的にも聞こえる少女の言葉に口を閉ざした。

そして、そっと支えていた体を離す。

「突然行く手を阻まれたら、驚くよ・・・」

杖を握り締めている少女に、掛ける言葉が何故か見付からない。
こういう時は何を言えば良いんだろう?
全く思いつかない。

6: 2013/11/22(金) 00:51:07.49 ID:KHMtlW+j0
「宮永!」

沈黙を破ったのは、セーラがよく知っている声だった。

「愛宕先生」

慌ててこちらに駆け寄ってくる監督に、少女ははっきりと答える。
この二人、知り合いなのか?
事情が見えないセーラは、両方の顔を見比べる。

「江口。何故あんたが宮永といるんや?」

不審がる監督に「偶然そこで会った」と告げる。
実際そんな長い間接触していた訳ではない。

「そうか。せやけど休憩時間はもう終わっているとわかってるんか?」

「すんません、監督」

謝罪するが、監督はもう聞いていないようだ。
少女の方を向いてしまっている。

「宮永、一人で学校内をうろうろするんやない。お父上が随分心配されていた」

「ちょっと探検してただけなんですけど」

悪びれもせず答える少女に、監督は溜息をついてその手を取った。

「とにかくすぐに戻るで」

えーっと不満そうな声を無視して、監督は突っ立っているセーラへと顔を向ける。

7: 2013/11/22(金) 00:51:46.68 ID:KHMtlW+j0
「宮永!」

沈黙を破ったのは、セーラがよく知っている声だった。

「愛宕先生」

慌ててこちらに駆け寄ってくる監督に、少女ははっきりと答える。
この二人、知り合いなのか?
事情が見えないセーラは、両方の顔を見比べる。

「江口。何故あんたが宮永といるんや?」

不審がる監督に「偶然そこで会った」と告げる。
実際そんな長い間接触していた訳ではない。

「そうか。せやけど休憩時間はもう終わっているとわかってるんか?」

「すんません、監督」

謝罪するが、監督はもう聞いていないようだ。
少女の方を向いてしまっている。

「宮永、一人で学校内をうろうろするんやない。お父上が随分心配されていた」

「ちょっと探検してただけなんですけど」

悪びれもせず答える少女に、監督は溜息をついてその手を取った。

「とにかくすぐに戻るで」

えーっと不満そうな声を無視して、監督は突っ立っているセーラへと顔を向ける。

8: 2013/11/22(金) 00:54:47.02 ID:KHMtlW+j0
「それから江口」

「はい監督」

「今日はこのまま戻らんから、残りの練習はお前に任せる。部誌だけ机の上に置けばええ」

「分かりました」

「さぁ、行くで」

ほとんど監督に引きずられてながら、少女は行ってしまう。

二人が知り合いだというのなら、あの少女の入学に監督が絡んでいる?
どういうことだろうか。

その頃。いつまでも戻らない部長を不審に思い、
部室は少々騒がしくなっていた。

9: 2013/11/22(金) 00:57:14.64 ID:KHMtlW+j0
愛宕雅枝が実家まで訪ねて来た時、すでに咲の視力は失われていた。
その頃は騒がしい周囲にうんざりして、一日中ベッドから出ないまま過ごすことも多かった。

「咲。客が来ているんだ。部屋から出て、挨拶しないか」

父の知り合いなのに、どうして。と不満に思いながらも渋々咲は出ていった。

今は、誰とも会いたくない。
会えば、初対面の人間でも自分の目のことに気付く。
その事で好奇心や同情めいた言葉を聞くなんてまっぴらだからだ。

けれど、心配掛けっぱなしの父に反抗する訳にもいかず、
父に手を引かれたまま、咲は客人の前に出された。

「宮永咲さんやね。話は聞いている」

「はあ…どうも」

相手がどの位置に立っているか、声で大体把握して、咲は頭を下げた。


この時、愛宕先生が家に訪ねて来なかったら。
自分は大阪に行くこともなく、全く今と違った道を歩んでいただろう。

きっと、お互いに出会うことも無かった。

10: 2013/11/22(金) 01:01:33.32 ID:KHMtlW+j0

――――

手を伸ばし、咲は玄関を開けた。
一人で学校から家へ帰還、初達成を遂げた瞬間だ。

「おかえり、咲」
咲の帰りを待っていた父は、ほっとした表情を浮かべた。

「お父さん、ただいま」

父の出迎えに、咲は笑顔を向けた。
昔から過保護だった父が、心配して待っていたのは容易に想像がつく。
今朝も迎えに行かなくて大丈夫かと念押しされたばかりだ。


咲の通う千里山女子校まで、直線コースで歩いて5分ちょっと。
この位、一人で行けると、咲は主張して譲らなかった。

当然、毎日送り迎えすると父は反対した。
だが仕事の忙しい父の手をいつまでも借りるわけにはいかないと説得したのだ。


入学式が始まるまで、咲は学校までの道を必氏で覚えた。
勿論、その間は父が付き添っていたけれど。
今日からは行きも帰りも咲一人のみ。心配するなという方が、難しい。

しかし咲はこれからも一人で行くつもりだった。

いつまでも父に負担を掛けたくない。
これは自分でやれる所は、自分でするってアピールの一歩だ。

視力を失ったと聞いた時の、父の悲しみは咲へ痛い程伝わっている。
だからこそ、目が見えなくなった今でも、強くあろうとする姿を見せて安心させたい。
そう思って、明日も一人で家へ無事帰って来ようと咲は決意した。

11: 2013/11/22(金) 01:04:42.82 ID:KHMtlW+j0
「学校はどうだったか?かなり広い学校だと聞いてるが、迷子になったりしなかったか?」

「んー、たしかに広いかも。でも必要ないとこは行かないから」

父が出してくれたお茶を飲みながら、今日あったことを話す。

担任の先生が良い人だった。
入学式で校長の話が長過ぎてずっと眠っていた。
校内は花が多く咲いているのか、とても良い香りがすること。

―――最も、全部言える訳じゃない。

「大丈夫、なんとかやっていけるよ」

手を伸ばし、咲は立ち上がった。

「久し振りに人が多く集まるところに行って疲れた。夕飯まで寝てていい?」

「ああ。時間になったら起こすよ」

「うん」

2階にある自室へ入り、咲は制服を脱いだ。
服をハンガーに掛け、ベッドの上に横になる。

「…疲れた」

ふあ、と欠伸が出た。

12: 2013/11/22(金) 01:07:42.50 ID:KHMtlW+j0
覚悟はしていたけれど、遠巻きに自分を噂している生徒の数はかなりいた。
勿論クラスメイトを含めて、だ。

異例の待遇を不審に思っている者。
好奇心丸出しで、勝手な話を捏造している者。
それをやんわりと非難しながらも、決して関わらないようにしている者。

くだらない。

しばらくすれば、彼女らも噂するのにも飽きてくるだろう。
そうしたら、いるかいないか位の存在になるに違いない。
時間はもう少し必要かもしれないが、今は辛抱する時だ。

我慢、我慢と咲は自分に言い聞かせる。

中国にいて、もう麻雀は出来ないのかと毎日騒がれるよりもずっとまし。
日本には自分のことを知ってる人がいない。
それだけでも気楽だ。

(まあ、変な人もいるけど)

ふと、今日声を掛けてきた妙な上級生のことを思い出す。

(学年も違うらしいから、滅多に会うこと無いよね?)

上級生の妙に馴れ馴れしい言動を思い出して、咲は眉を寄せた。
あの江口セーラとかいう上級生は一体なんなのか。
麻雀部部長といっていたが。

13: 2013/11/22(金) 01:15:03.71 ID:KHMtlW+j0
「よっ!新入生」

まず、第一声がそれだった。

校門までは担任に送ってもらったが(もちろん明日からは一人でこの道程も歩くつもりだ)
ここからは一人で行けると主張し、別れた後。
突然呼ばれた声に、咲は驚いて立ち止まった。

(誰?)

相手の足音が近付いてくる。
警戒しながら杖を握り直す。

「入学してくるって、本当やったんやな」

「え?」

「覚えてないんか?前に会ったやろ」

当然覚えているよな、の意味合いに首を傾げる。
名乗りもしない人物に、心当たりなど無い。

「知らないです」

きっぱり告げると、相手が「そんなハズ無いやろう」と声を上げた。

「転びそうなところを、助けてやったのに忘れたんか?」

「え?助けてもらった覚えなんて、ないけど」

「あるやろ!少し前に学校に来て、一人でぼんやり歩いていたやろ」

「ああ…。あの時の…」

14: 2013/11/22(金) 01:18:11.29 ID:KHMtlW+j0
「やっと思い出したか。俺は麻雀部部長の江口セーラや」

「はあ。宮永咲です。で、私に何か?」

わざわざ声を掛けてきた理由を尋ねる。
あまりもたもたしていると、家で待っている父に心配を掛けることになる。

「一つ、聞きたいことがあるんや」

「なんでしょうか」

「監督とどういう知り合いなんや?」

「監督?」

誰を指しているか考えていると、「愛宕監督のことや」とセーラが告げた。

「ああ、愛宕先生。どうかしたんですか?」

「いや。聞いているんは、俺の方やで」

「って言われても…」

どういう知り合いか。
セーラが、そんなこと聞いて来る理由がわからない。

15: 2013/11/22(金) 01:21:00.13 ID:KHMtlW+j0
否、と咲は首を小さく振った。

クラスメイトの連中と似たようなものだろう。
ただ、本人に直接聞いて来ただけに過ぎない。

盲目の自分が、この学校に入った理由。
あの日、一緒にいるところを見て雅枝が手を回したとセーラは推測したのだろう。
たしかに嘘では無い。

「なあなあ。答えてーな」

馴れ馴れしい言い方に、咲はむっとした。

(なんで他人にそんな説明しなくちゃいけないの?好奇心で人の詮索する人なんて、キライ)

「教えない」

「なんやて?」

「聞きたければ先生に直接聞けばいい。私からは何も言うことないから」

くるっと背中を向けると、背後から声をかけられる。

「まあ今は聞かんけど。話したくなったらいつでも言ってや」

セーラが離れていく靴音が聞える。
ほっと息を吐いて咲は杖を握り直し、遅れた分を取り戻すべく早足で家へと再び歩き出した。

17: 2013/11/22(金) 01:23:42.44 ID:KHMtlW+j0
――――

(何なの、あの人)
思い出すだけで気が滅入って来た。
人のプライベート部分まで、ずけずけと暴いて何が楽しいのか。

もしまた声を掛けられたら、聞えないフリをしてしまおう。
それが良い。

夕飯までもう少し時間がある。
寝よう、と今度こそ咲は意識を閉じた。

――――

(宮永咲)

先ほど会話を交わした少女のことを、セーラは黙々と考えていた。

'入学出来たのは、愛宕監督のおかげらしい’
盲目の新入生は、たった一日で千里山の有名人となった。
理事長か職員の誰かと親しい親達から洩れたのか、噂は学校中で囁かれてい
る。

18: 2013/11/22(金) 01:26:57.26 ID:KHMtlW+j0
どうやら監督は相当強引な手を使って、咲を入学させたようだ。
他の職員の反対を押し切って、とまで生徒達に伝わる有様だ。

(最も、どこまでが本当なのかわからないけどな)

噂はともかくとして、監督の推薦があったのは間違いない。
春休みに、監督があの少女を連れていたのをセーラは見ていたのだから。

一体、どういう意図があって宮永咲を千里山に入学させたのか。
少しばかり、セーラも興味があった。

'隠し子かもしれない’
噂の中にはそんな笑えるものも混じっていた。
たしかに年齢的にはありえそうだが、それは違うと考えてよいだろう。

なにか、ある。
あの少女を呼び寄せる理由があるはずだ。


19: 2013/11/22(金) 01:29:22.73 ID:KHMtlW+j0
そんな事を考えてたセーラの前に、
偶然にも宮永咲と、彼女の担任らしい教師が一緒に歩いているところへ遭遇した。

家へ帰るところか?
靴を履き替え、担任に付き添われながら、盲目の少女はゆっくりと校門へと歩いていく。

一人になったところで、ちょっと話をしてみるか。
そう思って、二人の後をつけてみることにしたのだが…

(結局なにも聞き出せんかったな)

少女は心を固く閉ざしていた。
人と深く関わることを意識的に避けているようだ。

(…それでも、気になるもんは気になるんや)

部活も上の空で、セーラはただ少女のことを考えていた。

20: 2013/11/22(金) 01:34:25.00 ID:KHMtlW+j0
移動の時に、誰かの手を借りなければいけない。
とても不便だと、咲は杖を握り締めた。

入学して一週間。あちこち移動させられる毎に、この学校の広さを知らされる。
目が見えたとしても、覚えるのは大変だったろう。

「咲。次音楽室やで。移動しよ」

「うん」

クラスでも咲は少し浮いていた。
どう接したら良いかわからず、遠巻きに見ているだけのクラスメイトが大半を占めていた。

しかし中には、普通に話し掛けてくる生徒もいる。
二条泉は、咲のすぐ後ろの席の生徒だ。
その縁からか、泉は決してお節介じゃない程度に、咲のことを助けてくれる。

「このまま上に行ってずっと真っ直ぐ行けば音楽室やで」

「結構距離あるんだね」

軽く会話を交わしながら、二人は音楽室を目指す。
どうしても段差のあるところは、咲の歩くペースが遅くなる。
急かさず気を配ってくれる泉に、内心咲は感謝していた。

21: 2013/11/22(金) 01:38:17.86 ID:KHMtlW+j0
「あ、江口部長や」

(江口部長?)

泉の台詞で思い出したのは、あの馴れ馴れしい声だった。

(でも、まさか)

「江口部長って、麻雀部の江口さんのこと?」

「せやで。その江口部長が今、そこを通り過ぎて行ったんや!」

興奮気味な肯定の言葉に、咲はやはりか、と眉を寄せる。
とりあえず、絡んで来なくて助かったと言うべきか。

「泉ちゃんは麻雀部に入るつもりなの?」

江口部長と呼んでいる辺りも気になる。
尋ねる咲に、泉の弾んだ声が響く。

「せや!何たって部長に憧れてこの学校に入ってんからな!」

「ふーん…」

22: 2013/11/22(金) 01:40:47.61 ID:KHMtlW+j0
何気なさを装いながら、咲は内心驚いていた。
もし目が見えていたのなら、同じように入部して、一緒に練習していたかもしれない。

(いや、それはないか)

あのまま麻雀がやれていたのなら、日本には来ることはなかっただろう。

「その江口って人は、強いの?」

部長ならば、強いのだろう。
日本の高校生で強いというのは、どんなものなのか。
少しばかり興味がある。

咲が尋ねると、泉はすぐにその話題に飛びついてきた。

「江口部長はすごいで!1年生からもうずっとレギュラーで、全国に通用する腕前なんやで!」

「そうなんだ」

入部前から、もうすっかり部長のファンになってる泉に、
ちょっとだけ咲はたじろいでしまう。

「あ、チャイムの音や!やば、急がんと」
そうは言いながらも、泉は咲を置いて駆け出すことはしない。

「ありがと…」

泉には聞こえないくらいの声で、咲は呟いた。

23: 2013/11/22(金) 01:44:36.46 ID:KHMtlW+j0

――――

少し息が乱れた咲に、雅枝は「休憩しよう」と言った。

「さっきからずっと歩き通しや。一度座って――」

「もうちょっとだけ。お願いします」

ぺこっと咲は頭を下げた。

日曜日の、今日。
'学校の中を必要最低限でも歩き回れるようになりたい’
無茶な願いだとはわかっていたが、口に出す前から諦めたくはなかった。

どうしたらいいのか、考えて考えて。けれど一人では思いつかず。
わざわざ自宅へ学校生活の様子を訪ねて来た雅枝に、
咲は相談してみることにした。

『人の手を借りたくない。今まであんたはそれを押し通していた。
けれど状況が違うのはわかっているな?』

甘えることも必要だと言う雅枝に、咲は首を振った。

『けれど自分でも出来ることなら、やっていくべきだと思ってます。どうかお願いします』

折れたのは雅枝が先だった。
絶対一人で何でもやろうとしない、時には誰かの手も借りること。
これを条件に、必要な場所への行き方を付いて教えると約束した。

24: 2013/11/22(金) 01:47:16.95 ID:KHMtlW+j0
『でも、部活は大丈夫なんですか?』

『日曜は午後からや。午前中だけなら問題無い』

出来るだけの時間を全部使おうと、雅枝は咲の頭を優しく撫でた。

限られた時間、咲は必氏で自分の歩いた道を覚えようとしていた。

校門から玄関まで。靴箱から、教室まで。
教室まで行って、また靴箱まで戻る。
そして玄関まで。
何度も繰り返し、頭の中に地図を描く。

「もう一回、見てて下さい」

「わかった」

雅枝の手を借りずに、一歩ずつ杖をついて歩く。

毎日、校門まで担任の送迎付きだったけれど、
この分だと必要無くなるだろう。
歩くスピードは遅いが、その分早く家を出れば済むこと。

25: 2013/11/22(金) 01:54:08.58 ID:KHMtlW+j0
「私、ちゃんと教室まで行けました?」

「ああ。よくやったな」

自分の教室のドアを開け、嬉しそうに振り返る咲の姿に、
雅枝の顔も自然と緩む。

「明日、先生が迎えに来たらもう大丈夫って言うつもりです」

「本当に大丈夫か?」

「はい。ここだって、一人で帰れます。」

もう一度、辿ってきた道を咲は歩き始める。
静かな廊下に、杖の音だけが響く。
小さな背中を見守りながら、雅枝も後ろを歩いた。

「完璧に覚えました!」

校門まで着いた咲は、にこっと笑ってみせた。
目が見えていた頃は極度な方向音痴だった自分がだ。不思議なものだ。

「よう覚えたな。宮永」

「はい。ここまではもう大丈夫。後は、どこを覚えよう…?」

26: 2013/11/22(金) 01:57:37.52 ID:KHMtlW+j0
考え込む咲に、雅枝は「残念やけど、もう時間はそんなに無い」と告げる。

「え。もう?」

「後、15分もしたらな。そろそろお腹が空いたやろう」

「たしかに、そうですね」

歩いている間は夢中だったけど、立ち止まっている今、急激に体が空腹を訴えてきた。

「お父上も待っている。今日はこの辺で戻ったらどうや?」

「…そうですね」

もう少しなんて我侭は言えない。
ただでさえ、休日に雅枝を付き合わせている身分だ。

「じゃあ、ここで帰ります」

「送ろう」

「ここからはいつも一人で帰ってるから平気です。それじゃ、今日はありがとうございました」

「ああ。気を付けて帰るように」

ぴんと伸びた背を伸ばし、咲は家へと歩いていく。
遠ざかって行く咲を見送り、雅枝も学校の中へと戻った。

その二人の姿を、一人の人物が目撃していたなんて、知らずに。

――――

27: 2013/11/22(金) 02:00:58.29 ID:KHMtlW+j0

――――

またお昼前の時間だというのに、セーラが学校へやって来たのは本当に偶然だった。

「あれは…宮永?」

校門のところにいる人影を見つけ、セーラは目を見開いた。
間違いない。
千里山の制服を着て、杖をついて歩く人物は一人しかいない。

「宮永、咲」

その姿を見送るように立っていたのは、麻雀部監督の雅枝だった。

休日の学校で一体何をしていたのだろう?
一瞬、声をかけようかと考えたが、また拒絶されそうな気がして今は止めることにした。

しかし。と、セーラは考える。
今日の練習は午後からだ。
無駄を嫌う監督は、いつも時間ぴったりに学校へやって来る。
誰かの為に時間を割く、なんてこの2年見たことが無かった。

(まさか、本当に隠し子じゃないやろうな?)

監督と咲との似てる部分を腕を組んで探し始める。

28: 2013/11/22(金) 02:04:36.53 ID:KHMtlW+j0
(隠し子以外で、監督が宮永咲に肩入れするとしたら何やろ?)

結局、どう考えてもその線は無さそうだとセーラは結論を出した。

練習が始まって、部室に現れた監督をじっくり観察する。
しかし宮永咲と似てる部分は一つも見当たらない。

「セーラ、今日はイヤに監督へ熱い視線を送っとるなあ」

同じレギュラーの怜が笑いかけてくる。

「ひょっとしてそっちの世界に目覚めたんか?」

「そっちの世界ってなんやねん」

「そらアレや、レz…」

「アホか。無駄口叩いてんと、練習せい」

「監督に見惚れてたあんたに言われたないわ」

そう言いながら怜が他のチームメイトの元へと歩いていく。

「見惚れてた訳やないわ…」

あの盲目の少女の面影が無いか、探していただけだ。
結局、欠片も見つけられなかったけれど。

34: 2013/11/22(金) 21:44:15.75 ID:KHMtlW+j0

――――

泉は、最初の希望通りに麻雀部へ入部することが決まった。
部員数70人を超える(らしい)千里山麻雀部。

名門部に入部できたことで張り切っている泉は、ホームルームが終わった後、
「またな、咲」とだけ言って教室を飛び出した。

校門までも一人で歩ける様になった咲は、担任の助け無しでこの所下校している。
さて、帰ろうかと立ち上がり、出入り口へと歩き出す。

そこへ、すっと足に何かが当たった。
まずい、と思った時には咲の体は床にぶつかっていた。

「大丈夫~?」

笑いながら手を貸してくる女子に、「平気」と短く返してすばやく立ち上がる。
埃を払い、ゆっくり障害物が無いか探しながら歩き出す。

「私らの手伝いはいらないってさー」

アハハと周りのクラスメイト達が笑う。
それを無視することで咲は耐えた。

35: 2013/11/22(金) 21:47:18.97 ID:KHMtlW+j0
「おっ。今帰りか?」

聞こえて来た言葉は、自分に向けられたものとは限らない。
そう取ってもいいはずだ。だから咲は足を止めずに歩く。
しかし相手がそれを許すはずもなかった。

「無視かい。なかなかいい度胸してるなあ」

突然襟首を掴まれられ、咲はびっくりして倒れそうになる。
しかし後ろから支えられた手に、転倒は免れた。

「…何するんですか」

いつもいつも、と咲は怒りを露にする。
ただでさえ苛々してる時に、何て人に声をかけられたのだろう。
しかし相手の、セーラの声はどこまでも楽しげだ。

「お前が素通りしようとするからやろ、宮永」

「私に話し掛けてたんですか?気付かなかったです」

「お前しかいないやろ」

36: 2013/11/22(金) 21:50:07.53 ID:KHMtlW+j0
なんで、と咲は溜息をついた。
他に誰かいるかもしれないなんて、わからないのに。

「それで?何か用ですか?」

さっさと切り上げたくて、先を促す。
またどうせ雅枝との関係を聞いてくるのだろう。
さっきの連中のこともあって、咲も少し冷静に対処できなくなっていた。

「私、早く帰りたいんだけど。手短にしてください」

「それは堪忍な。…宮永、休日に監督と何をしているんや?」

「は?」

「とぼけても無駄や。日曜に学校に来てたやんな?監督と二人で何を相談していたんや?」


セーラの断定的な言い方に、咲は目を瞬かせる。
一体、この人は何なんだろう。

「そんなこと、あなたに関係あるんですか?」

「え?…えーと、部長として知っておく義務はあるやろ」

あるか、そんなもの。
曖昧に誤魔化すセーラに、呆れてしまう。

37: 2013/11/22(金) 21:52:58.73 ID:KHMtlW+j0
「あなたの好奇心を満たす為に、話すことなんか無い」

「!」

「聞きたければ先生に直接聞けばいいって、前にも言ったと思うけど?」

言っても雅枝は教えないだろうが。

「愛宕先生が私に構うのが気に入らないんですか?」

「はあ?何言ってるんや?」

「だけど安心してください。大会を前にして、部よりも私を優先するようなことも先生はしないから」

「俺は、そんな話はしてな…」

「そう?先生の関心が私に向いて、腹が立ってるとばかり思ってた」

「宮永?」

「そんなの、私だって誰の手も借りたくないのに。特別扱いだって、されてるつもりもないっ!」


声を荒げると、襟を掴んでいたセーラの手が離れた。

その隙に咲は下駄箱への道を再び歩み始める。

私の存在が不愉快なら、構って来ないで。
誰に対してでもなく、小さく呟いた。

38: 2013/11/22(金) 21:54:32.14 ID:KHMtlW+j0
遠ざかっていく背中を見ながら、セーラは呆然と呟いた。

「なんやっていうんや…」

‘誰の手も借りたくないのに。特別扱いだって、されてるつもりもないっ!’

怒鳴りながらも、表情は酷く傷付いていた。
言い返すつもりだったが、それを見て口を噤んでしまった。

「ちょっと、言い過ぎたかな。…俺、何をやっとるんやろ…」

誰とも無く呟いて、セーラは部活に向かう為に歩き出した。

ここで黙って立っているよりも、牌を握っていた方がマシ。
理由のわからない苛々も、部室にいれば忘れられるだろう。

――――

39: 2013/11/22(金) 21:57:21.48 ID:KHMtlW+j0

――――

「ここは、どこですか?」

連れ来られたベンチに、腰掛ける。
渡されたコーヒーの缶を一口飲みながら、咲は雅枝に尋ねた。

「中庭にあるベンチの一つや」

「そうですか」

「ここは麻雀部の部室のすぐ外にあってな。ここに座っていると、牌を叩く音が聞こえてくるんや」

「へぇ。そうなんですか」

本日も咲は、雅枝に手伝ってもらって校内の歩行練習をしていた。
必要は無いけれど、一休みしようと雅枝は咲をここに連れて来た。

暖かい春の陽射しが、降り注ぐ。
ここで昼寝したら気持ち良さそうだと、咲は思った。

「続きを始めるか?」

コーヒーを飲み終えぶらぶら足を動かす咲を見て、雅枝が尋ねる。

「あ!今、何時ですか?」

「11時やが」

11時、と聞いて咲は目を見開いた。

「…今日はお父さんさんと出掛けることになってるんで。もう帰ってもいいですか?」

40: 2013/11/22(金) 21:59:14.04 ID:KHMtlW+j0
不自然に聞こえたりしないだろうか。
内心でドキドキしながら、雅枝の返事を待つ。
この間はいつ見られたかわからないが、早く帰るのに越したことは無い。

「そちらの都合に合わせてやっていることやから、構わんで」

どうやら怪しまれなかったらしい。
ほっと咲は胸を撫で下ろした。

だが、あまりのんびりはしていられない。
麻雀部の部活は午後からだけれど、早めに出て来たセーラにまた見付かったら厄介だ。

先週は熱心にやっていたのに、いきなりやる気が出なくなったら雅枝は怪しむだろう。
だから咲は家に帰らなければいけないと、ちょっと嘘を付いた。
父と出かけるのは本当だけれど、それはお昼ご飯以降のことだ。

きっとこの方法が一番良い。
もうごちゃごちゃ言われるのは、沢山だ。

41: 2013/11/22(金) 22:01:31.76 ID:KHMtlW+j0
「疲れたか?」

「いえ、平気です」

校門までの見送りも断ろうかと思ったけど、理由を聞かれたら返答に困るだろう。
誰も見てないことを祈るしかないと、咲は杖をぎゅっと握った。

「宮永」

「何ですか?」

校門に到着して、雅枝は咲の肩を掴んだ。

「今、困ったりしていることは無いか?」

「……無いです。自由に歩き回れないこと以外は」

「そうか」

嘘、は言っていない。厄介な連中はいるけど、報告するほどじゃないと思っている。
何より、できれば自分でなんとか切り抜けたい。
こんなこと言ったら、何故誰かの手を必要としないのだと雅枝は怒るだろうが。

「なら私からは言うこともない。気をつけて、帰るように」

「今日もありがとうございました」

ペコリとお辞儀して、咲はいつもの道を歩き始める。
その小さな背を見て、雅枝が少し心配そうな眼差しを向けていた。

42: 2013/11/22(金) 22:03:33.85 ID:KHMtlW+j0
翌日の月曜日。
咲が教室に入ると、少し話し声が静かになった。
不審に思いながらも、咲は自分の席へと足を進めた。

泉は朝練が始まってから、ぎりぎりにしか来なくなった。
席に座って、のんびりしてようと咲は机を手で探る。

(あれ・・・?)

椅子が無い。
そこにあるはずの咲の椅子が、手でどんなに探しても触れることが出来ない。

「見てよ、あの子」

続いて聞える笑い声に、咲は机から手を放す。

(誰か持って行った?)

嫌がらせかと、ぎりっと歯噛みする。
絶対、彼女らが面白がる反応なんてするもんか。
そう思って、杖を握りぴっと背筋を伸ばす。

(こんな連中に、負けるもんか)

43: 2013/11/22(金) 22:07:36.92 ID:KHMtlW+j0
「宮永さんどうしたのー。何、突っ立ってるのよ」

「あれぇ?椅子が無いん?」

無言のまま立ったままの咲に、笑い声を上げてた連中が声を掛ける。
親切を装っているようで、口調は面白がってる。

不愉快だ、と咲は眉を寄せた。

「そう。今朝来たら椅子が無くなってた」

「へぇー。それは大変やな」

「盗難届け出しておいた方がいいんちゃう?」

笑ってる連中の数を、冷静に数える。
昔の気弱だった自分なら、既に泣いているところだ。

目が見えなくなってからというもの、自分で何とかしようという心構えからか、
かなり気丈な性格になったと我ながら関心する。

「別に。このままでもいいけど」

「はぁ?授業中も立ってる気か?」

なんだ、こいつという声に、被せてやる。

「しょうがないんじゃないの?別に構わないけど」

キッパリと告げる咲に、連中も少し怯む。


44: 2013/11/22(金) 22:10:33.87 ID:KHMtlW+j0
「そんなの先生がさせる訳ないやろ」

「そうや。あんた、なんて言い訳するつもり?」

「言い訳じゃなくて、椅子がないのは本当のことでしょ。聞かれたら、無いって言うだけなんだけど」

「ちっ」

面白くねぇ、と一人が呟く。

「お前なんか大人しく引っ込んでいりゃいいのに、その態度はなんや。
あ、そうか。愛宕先生に言い付ければ、こんな問題はすぐに解決ってやつか?」

「おい!静かにしてろや。こいつがチクったらまずいやろ」

もうすぐ担任も来るし、と他のメンバーが騒ぎ出す。

「あ、そうそう。あれ、あんたの椅子やない?誰かが使って、そのままにしてたみたい」

「ここに置いてやるから、感謝しておけや」

「……」

何が感謝だ、と咲は黙って椅子を掴む。

一人では何も出来ないくせに、集団でいると強くなった気になっている。

45: 2013/11/22(金) 22:12:54.44 ID:KHMtlW+j0
(絶対、負けるものか)

こんな卑怯者たちには負けないと、咲は拳をぎゅっと握った。



「おはよー…ん?咲?」

声を掛けてきた泉の態度が戸惑っているのを感じ、
咲は挨拶を返し、「何?」と尋ねた。

「ずいぶん怖い顔してるけど。なんかあったん?」

「別に。朝だから眠いだけだよ」

「そうか?」

迷惑を掛けたくない。
だから黙っておこうと、決める。

これ以上連中が突っかかってくる前に、どうにかしたいけれど。
良い方法はあるだろうか?

授業が始まっても、咲はそのことだけを考えていた。

46: 2013/11/22(金) 22:16:04.77 ID:KHMtlW+j0

――――

くだらない噂話、やな。
後ろで私語を続けてる女子達に、セーラは顔を顰めた。

(聞こえてないとでも思ってるんかいな?)

「そこの二人。授業と関係の無い会話は慎むように」

淡々と、でも鋭い声で雅枝に注意された女子生徒達はすぐに口を噤んだ。

「それでは次の解釈の説明を続けよう」

きっと彼女達が何について噂しているかわかっているだろうに、
雅枝はおくびにも顔を出してない。

(当然、か)

宮永咲の入学に関して、雅枝が関与しているのは明らかなのに、
理由は何一つわかっていない。
無責任なデマや憶測だけが校内に飛び交っていた。

雅枝は何を考えているのだろう。

47: 2013/11/22(金) 22:17:57.22 ID:KHMtlW+j0
(目的は、なんや?)

気にはなっているが、雅枝にも咲にも聞くことは難しそうだった。

あの時、傷付いていた咲の顔がフラッシュバックする。

(同情か?)

いや、そんな感情ではない。
だけど、咲のことが知りたくて仕方がない。

どうしてだろうか、と考える。

ふっと視線を感じて顔を上げると、雅枝と目が合う。
どうやら上の空だったことを見抜かれたらしい。
授業に集中する為、セーラは背筋を正した。

48: 2013/11/22(金) 22:20:37.66 ID:KHMtlW+j0

――――

別に意図的に合わせようとした訳じゃない。
たまたま職員室に寄ったから、部活に行くのが遅くなっただけだった。

(そういや、前にもこの時間帯に会ってたな)

一階の廊下。
皆さっさと帰ったのか部活へ行ったのか、杖を頼りに歩く少女だけが歩いている。

下手に声を掛けて、また傷つけてしまってはいけない。
今回は知らないフリして追い抜いてしまおう。

だがセーラが一歩踏み出す前に、
咲と同じ教室から女生徒が出てきた。
セーラの少し前を歩く彼女は、杖をついている咲の背中を片手で押した。

ガシャンと、杖の倒れる音が廊下に響く。

「おいっ!?」

セーラの声に、その女生徒は振り返りもせず走って行ってしまった。
逃げたとしか思えない行動に、セーラは目を瞬かせた。

(何やねん、今のは)

慌てて咲へと視線を向けると、転んだらしく起き上がろうとしていた。

49: 2013/11/22(金) 22:22:42.49 ID:KHMtlW+j0
「大丈夫か?宮永」

駆け寄って、不安定ながらも背を伸ばそうとする咲に、手を貸す。

「…ありがとう、ございます」

埃だらけになった咲の制服を見て、思わずセーラは手を伸ばしサッと掃った。

「今の奴、同じクラスの奴か?」

「誰だかわかる訳ないです。見えないのに」

「あのぶつかり方、わざとじゃないんか?」

「そうですか?狭いからぶつかっただけでしょう」

とてもそんな風には見えなかった。
故意に押したようにとしか取れない。

「じゃあ私、もう行きますから」

そう呟くと、咲はセーラから背を向けて歩きだした。
その背中を、セーラは複雑な表情で見つめていた。

――――

50: 2013/11/22(金) 22:25:44.41 ID:KHMtlW+j0
「他校のデータが手に入った。授業が終わったら科学準備室まで来るように」

雅枝の指示通り授業が終わった後、セーラは科学準備室へと向かった。

「失礼しまーす」

準備室のドアを開けると、雅枝はまだ来ていなかった。
適当な椅子に座り、セーラは雅枝を待った。
が、10分経過しても雅枝は現れない。

ひょっとして急な職員会議が入ったのかもしれないと考える。
ならばすぐに戻って来ない可能性がある。

「他校のデータなら・・・きっとこの辺りやろ」

探して持っていくかと、ケースが置かれている棚を物色し始める。
大体の場所はわかっている。

51: 2013/11/22(金) 22:27:46.94 ID:KHMtlW+j0
雅枝の受け持つ科学関係と、麻雀のものとは完全に場所が分かれているから、
見付けれるかもしれない。

そう思って、セーラはラベルを一本一本確認し始めた。
練習をいつまでもさぼっているよりも、さっさと持って行って始めた方が良いだろう。

持って行ったとメモでも置いてけば、雅枝も何も言わないはずだ。
今年度のデータを探している内に、ふと目に入った文字に目を留める。

「S・M?」

それだけ書いてあるテープが一本。
S・M。
それが人の名前だとすると、ぱっと思いつく人物が一人いる。

「あいつか…?」

盲目の一年生。
咄嗟に咲の顔を思い浮かべたセーラの手が、そのテープへと伸びていた。
やめておけと警告が頭に響く反面、好奇心を止められない。

52: 2013/11/22(金) 22:30:01.46 ID:KHMtlW+j0
一体、何の映像だろう。
もしかしたらこの中に、宮永咲を入学させた訳が隠されているかもしれない。

盲目の生徒を入学させた例は、過去にない。
随分、雅枝は無理をして学長を説得したと専らの噂だ。
それを鵜呑みする気ではないが、何かメリットがない限り雅枝がそこまで動くとは考えにくい。

宮永咲。
一体、お前に何があるんや?

テープをデッキにセットして、セーラは椅子を引き寄せて正面に座った。
再生のボタンを押し、出てくる画像を待つ。

それは素人が撮ったらしく、画像はお世辞にも良いとはいえないものだった。
どうやら麻雀の大会らしい。
映っている人物や話している言葉から、その場所が日本で無いことがわかる。
しかし重要なのはそのことではなかった。

53: 2013/11/22(金) 22:33:00.09 ID:KHMtlW+j0
「どうして、宮永が…」

生き生きと牌に触れる人物を、カメラはずっと撮り続けている。
仕方ないことかもしれない。
圧倒的な力量差で、対局相手を翻弄している。

「嶺上開花…!?」

なんだ、これは。
いったいいつの映像だというのだろう。
今より少し幼いが、そこに映っているのは間違い無く宮永咲だ。

あいつ、麻雀するんやったんか?
食い入るように、セーラは画面を見詰める。

状況は完全に咲のペースだった。
他の対局者たちも立て直そうとするが、完璧に咲に封じられている。

咲のその凄まじい打ち筋にいつしか拳を握り締めていた。
何よりも咲の表情から眼が離せない。
試合を心から楽しんでいるかのように、笑っている。

54: 2013/11/22(金) 22:36:22.52 ID:KHMtlW+j0
それが本来のお前なのか。
盲目とはいえ、強くあろうとしている咲には変わらないが、
卓にいる咲が一番彼女らしいと思う。

何故だろう。彼女のことを何も知らないのに。
これが本来の宮永だなんて、どうして確信しているのだろう?
優勝が決まったと、歓声が上がった瞬間テープが切れる。

「江口」

急に声を掛けられ、セーラは驚いて後ろを振り帰る。
ドアのすぐ前に、雅枝が腕を組んで立っていた。

画像に集中していたとはいえ、ドアが開いた音に気付かない迂闊さに、
セーラはあちゃーと頭を抱えた。

「不在だったので、その…すんません!」

上手い言い訳が出てこなくて、セーラは素直に謝罪した。
しかしなんでもないように、雅枝は机まで歩いて引き出しから一本のテープを取り出した。

55: 2013/11/22(金) 22:39:41.84 ID:KHMtlW+j0
「渡したいといったのは、このテープや。時間がある時に見ておくように」

用件はそれだけだと、雅枝の目が言っている。
これを持って、さっさと部室に行け、と。

けれどセーラはテープを手にしながら、思っていたことを口に出した。

「今の、宮永咲ですよね?」

「……」

「どういうことなんですか?」

「何故あんたがそんな事を気にする」

「それは、」

「関係無いことや」

「監督!」

「知りたいんなら、あんたが干渉してくる理由を聞かせてもらおうか」

雅枝の目はとても冷たいものだった。
単なる好奇心で聞いて良いものではない。

56: 2013/11/22(金) 22:41:35.27 ID:KHMtlW+j0
「…ありません」

「なら、もういいやろ」

くるっと背を向け、雅枝はデスクに座ってしまった。

「1時間後に顔を出す。それまでの部員への指示は任せる」

「はい」

ドアを閉め、セーラは準備室を後にした。
何も引き出すことは出来ないと、わかっていたからだ。



「遅かったなー、セーラ。監督に絞られたんか?」

「ちゃうわ」

竜華にからかわれながら、セーラは椅子に座り込んだ。
そして部室の中にいる部員達を見渡す。

57: 2013/11/22(金) 22:44:36.60 ID:KHMtlW+j0
これだけ大人数いて、宮永咲のような目を持った部員は一人もいない。
あれはなんだ?
画像で見た彼女の麻雀を思い出し、セーラは息を吐いた。

あんなものは実力の全てではないだろう。
まだまだ発展の可能性がありそうだ。
いや、今のままでも全国で十分に通用する。

咲の視力が失われたのは、いつだろう?
あんな、あんな顔をして麻雀していたくせに、出来ないとわかった瞬間、どんな思いをした?

両手で顔を覆い、セーラは耳を澄ました。
部室に響く牌の音。
どんな動きをしているか、じっとしていると次第に見えてくる。
だけどどこまでも暗闇の中だ。

『しょうがないでしょ。何も見えないんだから』

諦めていたような目をした咲の顔が、ふっと浮かんだ。

――――

62: 2013/11/23(土) 21:57:29.16 ID:o5fjZBCe0
千里山は今年度、大量に点字の本を入荷していた。
もちろん予算で買ったものではない。
雅枝が個人的に学校に「寄付」したものだった。

必要とする生徒は、今現在咲一人だ。
咲の家にも点字の本はあるが、数は比べ物にならない。
これも雅枝の配慮というやつだろう。

直接、本人への詮索はしていない。
どうせとぼけられるのはわかっているからだ。

『点字の本があるから見ておくと良いで』

休日の特訓で図書室を案内された時、雅枝はそう伝えた。

63: 2013/11/23(土) 22:00:37.51 ID:o5fjZBCe0
今日は初めて一人で図書室へ歩いてみた。
教室から何とか来れたのはいいが、どこの棚にあるのか分からずしばし途方に暮れてしまった。
親切な委員の人が咲を案内してくれなかったら、ただ行って戻っていただけかもしれない。

(はぁ、もっとちゃんと考えて行くべきだった)

今度は棚の位置もちゃんと覚えておかないと、また誰かの手を煩わせることになる。
本当に不便だと、咲は溜息をついた。

(この本だって・・・)

新品だとわかる本の表紙を撫でる。
これだけじゃなく棚の中全部、新しいものだとわかっている。
少しでも役に立つようにと揃えてくれたらしいが。

(あの人、やり過ぎじゃないの?)

それでいて雅枝は陰ながら見守っているつもりだから、可笑しい。
本人にも周囲にもばれているのが、分からないらしい。

64: 2013/11/23(土) 22:04:10.66 ID:o5fjZBCe0
『手術が成功した暁には、麻雀部へ入ってもらう』

雅枝に借りを返せるとしたら、また目が見えるようになってからだ。
成功するかどうかもわからないのに、入部の約束だなんて馬鹿げた考えだ。
そう笑った咲に、雅枝は静かに尋ねた。

『あんたは回復すると信じてないんか?』

目が見えなくなったことで、誰よりも落胆しているのは咲だった。
父に心配させまいと強気には振舞っていたが、内心は怖くてたまらない。

もし一生このままだったら?
二度と牌に触れることはできないだろう。

『信じたいよ…』

また牌を握り、もっと強い相手と試合をしたい。

65: 2013/11/23(土) 22:07:48.66 ID:o5fjZBCe0
『私は信じとる。あんたの目は、必ず見えるようになる。だからあんた自身も信じるんや』

肩に置かれた手に、咲は頷いた。
雅枝の申し出を受けたことにより、宮永家は日本へ引越しすることになった。
周りが騒がしい中国ではなく、咲の名前がほとんど知られていない日本へ。


(しかし広い学校だよね)

学校全部を歩き回っていたら、それだけで一日が終わりそうだと咲は思った。
最低限のところは案内してもらったが、一歩間違えたら迷子になりそうだ。
だからこうして一人で歩いている時は、特に慎重になっている。

杖で周囲を探り、耳を澄ます。
遠くからだが、あの音は聞き違えようがない。

カツンと、障害物に当ったところで足を止める。
手で探ってみると花壇らしいものだ。この辺りは特に多い。
気をつけていこうと、ゆっくり咲は足を進めた。

66: 2013/11/23(土) 22:11:08.34 ID:o5fjZBCe0
そう言えば、セーラと初めて会ったのもこの辺りだった。
飄々とした態度で話し掛けてくる彼女を、最初は教師かと勘違いした。

3年で麻雀部部長。
雀士としてのセーラは、耳としての情報だけどかなりの実力者らしい。
雅枝もセーラの力を買っているような節がある。

目が見えなくなる前の自分だったら、きっとセーラに対局を挑んでいただろう。
強い相手と戦えないことが残念で仕方ない。
そこまで考えて、咲はふっと笑った。

手術も成功するかどうかわからないのに、虚しいだけだ。

『あんたの目は、必ず見えるようになる』
それが本当ならもう一度、麻雀をうちたい。

(こんなところで座っていたら、あの人に見付かるかもね)

以前にも雅枝と座っていたことのあるベンチを探り当て、咲は腰を降ろした。
聞こえてくる、心を弾ませる音。
未練がましいと自分でもわかっているが、忘れることなんか出来ない。

(ただあの音の中に、あの人もいるかもしれないけど)
それ位はどうでもいいと、咲は再び聞こえる牌の音に耳を傾けた。

67: 2013/11/23(土) 22:14:49.68 ID:o5fjZBCe0
――――

今日もふらっと部室を抜け出して、セーラは中庭を歩いていた。

(宮永咲…)

あの映像を見て以来、盲目の少女の過去ばかりを考えてしまう。
あれだけの打ち筋をする者が目の前にいたら、すぐに対局を申し込んだに違いない。
千里山のレギュラー陣でも、彼女に勝てるかどうかの実力の持ち主だ。

そんなことを考えながら歩いていると、
すぐ近くのベンチで腰掛けてる咲を見付けてしまった。

(なんで宮永がこんな所にいるんや?)

声を掛けずに、セーラはすぐ近くから咲を観察する。

身動きもしないで、牌の音をじっと聞いているようだった。
しばらくそうしていて、気が済んだのか立ち上がってゆっくり歩き始めた。

(一人で帰れるんか…)

もしかしたら休日に雅枝と一緒にいたのは、歩行の練習の為だったのかもしれない。
杖で周囲を探りながらと、とても早いとは言えない歩きだけれどそれでも着実に前に進んでいる。

その姿に映像で見た咲を重ね、複雑な思いになる。

(お前はまた牌を握りたいと思ってるんか?)

牌の音を聞いていた表情を見て、セーラは少しだけ咲の心を知った気がした。

――――


68: 2013/11/23(土) 22:19:49.51 ID:o5fjZBCe0

――――

ほぼ日課にしてる散歩を終えて、咲は玄関のドアを開けた。
学校から家への道と、ほんのわずかな周辺。
それが咲が歩ける範囲だ。
教えてもらった道は忘れないようにと、暇があれば一人で歩いている。

「おかえり、咲」

ドアを閉めるのと同時に、優しい声が咲を迎える。

「ただいま、お父さん」

「すぐに夕飯にするから、手を洗ってきなさい」

「はーい」

靴を脱ぎ、咲はすぐに洗面所へ向かった。

父は、いつでも咲のことを見守ってくれている。
それは視力が失われる前からのことなので、変に同情などないことくらい咲はわかっていた。
さりげなく咲が本当に困った時だけ、そっと手を貸してくれる存在。

(そういうとこ愛宕先生と、似てるかも)

しかし雅枝はさりげない力の貸し方のスケールが違ったと、咲はすぐに思い直した。
本人は些細な助力のつもりだが、どう考えても些細などでは収まらない。

(勿論、感謝はしているけど)

おかげで点字の本には困らないし、と咲は少し笑った。

理解して、支えてくれようとしてる人がいること。
それだけでもう、十分だと咲は思っている。

――――

69: 2013/11/23(土) 22:23:41.95 ID:o5fjZBCe0

――――

一部のクラスメイトの嫌がらせは、毎日行われるものじゃない。
どうやらその日の気分次第らしい。

今日は絡んでくると決めた日らしく、昼休みに泉のいる前で軽い嫌味を言われた。

「咲のことを知らないのに、なんでそんな風に言うんや!」

連中の嫌味にいち早く反応し、泉は激高した。
慌てて咲は「相手にしなくていい」と止めに入り、泉を教室の外に引っ張り出した。

「反応すると相手が喜ぶだけだから、無視しておけばいいよ」

泉にそう念押ししたのは、自分以外にも目を付けるんじゃないかと恐れたからだ。

「なあ、咲」

「何?」

「今までも、あんな事言われたりしてたんか?」

「……」

答えることが出来ずに、咲は黙っていた。
きっとそうだと言えば、泉は連中にまた腹を立てるだろう。

70: 2013/11/23(土) 22:26:39.50 ID:o5fjZBCe0
問題を解決しようと動くかもしれない。
でもそうしたら、巻き込んでしまう可能性が出てくる。

「そう、なんやな?」

泉の言葉に、咲は笑って答えてみせた。

「放っておけばいいよ。あのくらい言われるの、私は何とも思ってないから」

コトを纏めようとする咲の思いが伝わったのか、
泉も「なんとかしよう」とは言わなかった。

「でも覚えておいてや。うちは咲の友達やから。
友達を悪く言われて、黙ってられるはずない。エスカレートするようなら、やめさすように言うで?」

真剣な泉に、咲は少し俯いた。

「うん…ありがとう。でも本当に平気だから」

「咲…」

理解してくれる人がここにもいる。
作ったものではない自然な笑顔を、咲は泉に向けた。

71: 2013/11/23(土) 22:30:49.88 ID:o5fjZBCe0
幸いにも、それ以降連中が絡んで来ないまま授業は終了となった。

「それじゃうちは部活に行ってくるな」

「うん。じゃあね」

練習前に卓の準備などは一年の仕事の為、泉は早くに教室を出る。
それでも今日は気を使ってか、連中がいなくなるまで残っていてくれたようだ。

本当なら下駄箱まで一緒に行こうと言われたけれど、咲がそれを断った。
一人で歩く練習をしているから、先に行っててと部活へ追い立てた。

(さて、私も帰るか…)

今日は麻雀部の部室近くまで寄ろうかと思ったけど、こんな日は真っ直ぐ帰った方が良さそうだ。
そう思って立ち上がり、鞄を取る。

ガタン。

何かがぶつかった音がしたと思った瞬間、誰かが咲の体に体当たりをしてきた。

72: 2013/11/23(土) 22:33:18.79 ID:o5fjZBCe0
「っ!」

倒れた体を起こそうと咲は体勢を立て直す。
最近転んでばっかりだと眉を顰め、その辺りに倒れているだろう杖に手を伸ばす。

「あ、れ?」

しかしそこにあるはずの杖は無い。
両手で探すが、やっぱり見付からない。
必氏で床に手を這わす咲の耳に聞こえてきたのは、かすかな笑い声。

(あ…今ぶつかってきたのはわざと…か)

咲の考えを見透かすように、一つの足音が教室から出て行くのが聞こえる。

きっと杖は落ちてなんかいない。
ぶつかってきた相手が持っていった可能性が高い。
このままいつまでも教室で探している自分を、面白がってるに違いない。

(こんなことで…負けるもんか)

73: 2013/11/23(土) 22:35:16.43 ID:o5fjZBCe0
すぐ横の机に手を掛けて、咲は立ち上がる。

杖は無いけれど、今まで暗闇の中、一人で何往復した道のりだ。
壁に手を伝っていけば、帰れるかもしれない。

家に帰ったら、予備があるから明日からはそれを使えばいい。
また取られたら、代わりになりそうなものでなんとかしてみせる。

(こんなことでは、挫けない)

手で周囲を探り、一歩不安定な道へ踏み出す。

何度も机にぶつかりながら、咲は教室のドアを開けた。
どれくらい時間が掛かるかわからないが、自力で帰る決意をする。

壁に手を触れ、また一歩歩く。

弱いことを認めれば、楽になれるのだろうか
けれどそれは絶対自分の生き方じゃない。

自分自身を守る為に、咲はまた一歩誰の手も借りずに前へ進んだ。

――――

74: 2013/11/23(土) 22:37:47.26 ID:o5fjZBCe0

――――

本日も新しいデータを渡すからと、セーラは雅枝に呼ばれ、科学準備室に出向いた。
前とは違い、待たされることなくテープを渡された為、
あの時見つけたものが同じ場所にあるかどうかは確認出来なかった。

「S・M」と書かれたラベルが貼ってあったテープ。
この学校に入る前の宮永咲が映っているものだ。

盲目ということで学校内で有名になっている咲だが、
彼女が麻雀をしていたという噂は入って来ていない。

(知っているのは、監督だけか…どうしたもんだか)

監督は教えてくれないだろうし、咲は咲でセーラのことを避けている。
なんとかならないのかと、考えながら階段を降りて行く。

(この時間だと、また会うかもしれへんな)

75: 2013/11/23(土) 22:40:17.95 ID:o5fjZBCe0
そんなことを考えながら、一階の廊下へと足を進める。
この間と違って、何人かの生徒が廊下にいる。

(なんや…?)

不自然な空気に、セーラはすぐ気付いた。
皆の視線が、同じ方向を向いている。

その先に何があるのか。
辿ってみると、一人の生徒が壁に手をついて歩いているのが見えた。
怪我でもしているかのように、一歩一歩ゆっくり足を進めている。

「宮永!」

それが咲だと気付いた時、セーラは声を出していた。
周囲が咲からセーラに視線を移すが、構っていられない。
すぐに、咲のもとへと走り出す。

「また、あなたですか?」

声でセーラがわかったのだろう。
眉を潜め、それでもまた壁に手を置いて、咲はまた一歩足を踏み出している。

「お前…杖はどうしたんや」

上擦った声が、知らずに出た。
咲が杖を離して歩いてるのを見たことはない。

76: 2013/11/23(土) 22:43:51.18 ID:o5fjZBCe0
目の見えない咲にとって、欠かすことのできないはずのものだ。
それがどうして今、杖を持たず歩いている?

「ちょっと、なくしたみたいです」

ぴくっと咲の体が動いたのを見逃すはずもない。
それになくしただって?

「なくそうと思っても無くせるものじゃないやろ!」

声を荒げるセーラに、咲は首を傾げた。

「私が勝手になくしたのに…なぜあなたが怒ってるんですか?」

「怒ってないわ」

実際、腹は立っている。
これだけの人間が行き来している中、
壁伝いに歩いている咲に、誰も手を貸そうとはしない。

訳のわからない怒りが込み上げていた。

77: 2013/11/23(土) 22:47:11.05 ID:o5fjZBCe0
「ったく…」

小さく呟いた後、セーラはすばやく咲の手を取った。

「えっ、あのっ!?」

「そんなんじゃいつまでも家に帰れへんで」

「…っ」

「送ってやるから大人しくしとけ」

そのまま咲の手を引いて、廊下を歩き出す。
前から歩いてくる生徒が、何事かと二人の顔を見る。

麻雀部部長のセーラと、盲目の咲。
目立つ組み合わせなのだろう。
けれどセーラは気にもしない。そして咲には見えない。

「あのっ、私なら大丈夫ですから!」

「大丈夫やと?アホ言うな。いいから黙っとけ」

「部活は?あなた部長でしょう?さぼったらまずいんじゃないですか?」

「安心せい。俺が送るのは校門までや。すぐに車を呼ぶ。
それに乗って運転手に住所を言えば、お前を家まで送るから。それで文句ないやろ?」

78: 2013/11/23(土) 22:52:01.90 ID:o5fjZBCe0
断られるだろうか。

今までの経緯から好かれていないことは、明白だ。
けれど断られようが、セーラは引くつもりは無い。
文句を言おうが、車に乗せてしまおうとまで思っていた。

だけど咲は少し考える素振りをした後、こくりと小さく頷いた。

「ほら、乗りや」

すぐ来いと連絡したおかげで、車は3分以内にやって来た。
咲を押し込んで、江口家お抱えの運転手に頼むと告げる。

「あの」

ドアを閉めようとした瞬間、後部座席に座った咲が声を掛ける。

「なんや?」

「あなたは…どうして私に関わってくるんですか?」

「…別に。理由なんかないで」

「え?でも」

もう出せと、ドアを閉めて車を走らせる。


あの状態で咲を一人帰すことにならなくて、本当に良かった。
安堵すると同時にふつふつと怒りがこみ上げてきた。

(あとは…あいつの杖を見付けてやらんとな)

この学校内でくだらない真似をしてる奴がいる。
いつか咲を突き飛ばした生徒を思い出し、セーラは不愉快そうに顔を歪めた。

83: 2013/11/25(月) 21:04:29.44 ID:uT0wyJhn0
セーラは部室で泉が練習している卓へと向かった。
以前、咲と校内ですれ違った時、一緒にいた同級生が泉だったことを思い出したからだ。

「泉。ちょっと話があるんやけど」

突然名前を呼ばれた泉は目を瞬かせた。

「宮永咲、知ってるやろ」

何故、その名前が出て来たのか疑問に思いながらも、泉は「はい」と答えた。

「今日、宮永の杖がなくなった」

「え?」

「あいつはなくしたとか言ってたが、誰かが隠したんは間違いない。
前に、宮永のクラスから出てきた生徒が、あいつを突き飛ばしたのを俺は見たことがあるんや」

さっと、泉の表情に影が掛かる。

「嫌がらせしそうな奴に、心当たりは無いか?」

84: 2013/11/25(月) 21:07:05.41 ID:uT0wyJhn0
「……」

クラスメイトの名前を出すのに躊躇しているのか、泉は黙っている。
もし言ったとしても、その人物が犯人と決まったわけではないのだ。

しかしセーラには待っている余裕など無かった。
わずかな手がかりでも掴めるのなら、迷ってなんかいられない。

「あいつに杖を返してやりたいんや。頼む、そいつが知らなくても誰か知ってるかもしれへん」

頭を下げんばかりの勢いのセーラに、泉は驚いた。
慌てて、咲に絡んでいた中心人物の名前を挙げる。

「ありがとうな、泉。練習時間に呼び出したりして悪かったわ」

「いえ…」

それから、と付け加える。

85: 2013/11/25(月) 21:10:42.30 ID:uT0wyJhn0
「このことは、誰にも言わんといて欲しい。
他の連中に何故呼び出されたか聞かれたら、朝練の時の態度でとでも言って誤魔化してくれ」

「分かりました」

「勿論、宮永にもや。あいつはこんなことで借りを作りたくないって性格やからな。わかるか?」

「そうですね」

咲のこともあるので、泉は力一杯頷いた。

「ところでそいつは部活か何か入ってるか?もし帰宅部なら、自宅に行かないと杖の在りかがわからないってことになるんやけど」

「あ、それでしたら、たしか…」

教室で喋っていた内容から、茶道部だったと泉が答える。

「そうか。色々とありがとうな」

「いえ。部長のお役に立ててよかったです」

すぐに泉を練習に戻らせ、セーラは次に茶道部へと急いだ。

86: 2013/11/25(月) 21:13:31.84 ID:uT0wyJhn0
茶道部の部室へ向かい、大声で部長の名を呼ぶ。
ただ事じゃないセーラの表情に、茶道部部長はすぐさま駆け寄ってきた。

「お前のところの一年に、ちょっと聞きたいことがある。呼んでくれへんか」

名門麻雀部の部長であるセーラは、学校内でかなりの人気と権力を誇る。
下手に機嫌を損ねてはならないと、茶道部部長はすぐに問題の生徒を呼び出した。

呼び出された生徒は、何故麻雀部の部長が?と不思議そうな顔をしていた。
が、

「宮永咲の杖がどこにあるか、知っとるか?」

その言葉に、大きく目を見開いた。

(やっぱり、こいつか)

「どこにある」

「わ、私は杖なんて」

「お前やろ!」

87: 2013/11/25(月) 21:17:04.79 ID:uT0wyJhn0
そう言って、胸倉を掴み無理矢理後ろを向かせる。

「前にもあいつのこと、突き飛ばしたやろう。後ろ姿がそっくりやで」

「そんな、私は」

「まだ白を切るんか?」

怒りに満ちた表情で、顔を覗き込む。
そんなセーラを見て震え上がり、生徒はあっさりと杖の場所を吐いた。

「もうあいつにちょっかい出すなよ。ええな!」

済みませんと地面に這いつくばる姿に興味など無く、セーラは教えられた場所に向かった。

杖は咲のクラスの掃除道具と一緒に入れられていた。
大事になった時に、返すつもりはあったのかもしれない。

手に取って、損傷がないか調べる。

(良かった、どこも悪くなっとらんな)

88: 2013/11/25(月) 21:20:27.98 ID:uT0wyJhn0
杖を手にして、セーラは歩き出した。

「江口部長?さっき来てませんでした?」

部室に入って来たセーラに、浩子が寄ってきて声を掛ける。

「いや、そんなことないで」

すぐにでも届けてやりたかったが、部活がまだ終わる時間ではないから、家に行ったら咲が不審に思うだろう。
そう思って、気が進まないが部活にまた戻って来た。

はぁ、と息を吐いたセーラに、浩子は一瞬だけ視線を送ったものの、またすぐに練習へ戻っていった。

(終わるまでには…まだ2時間もあるんか…)

部活が早く終わればいいなんて思うのは、初めてだった。
千里山の部長がこんな気持ちではいけないと思い直し、セーラは軽く自分の頬を叩いた。

「怜、竜華!ちょっと相手してくれや!」

気持ちを切り替え、麻雀だけに専念しようと声を上げた。

89: 2013/11/25(月) 21:23:25.54 ID:uT0wyJhn0

――――

長いと感じた部活が終わり、急いでセーラは車に乗った。
手には、当然咲の杖を持っている。

「さっき送ってった奴の家に向かってくれ」

「かしこまりました」

咲の家は拍子抜けするほど、近かった。
目が見えない咲にとっては、不便無い距離だろう。

(けど、あいつ一人で歩くには時間が掛かるやろうな)

それにも杖がいる。
返してやろうと、セーラが玄関前に立つと同時に、扉が開く。

「あ、すまんな君。ぶつからなかったか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか。ええと、家になにか用かな?」

穏やかそうな男性が、セーラを見詰める。
どこか咲に似た雰囲気にお父さんだろうかと思いながら、挨拶をする。

90: 2013/11/25(月) 21:26:33.23 ID:uT0wyJhn0
「初めまして。千里山女子校の江口セーラです。実は咲さんに届けものがあって来ました」

「わざわざありがとう。咲の父です。すぐに咲を呼んで来るからどうぞ上がって下さい」

「いえ。車を待たしてあるので、ここで」

すぐそこに着けてある車に視線を向けると、咲の父はわかりました、咲を呼んで来ますと家の中に下がった。

そして今度は咲が一人で外へ出て来た。

手にはセーラが持っているものと別の杖を持っている。

「江口、さん?」

どうしたんですか?といった具合に目を瞬かせている。

「…予備があったんか」

なんだ、とセーラは笑いそうになった。
あんなに必氏で探していたけれど、家に帰ればちゃんと予備があったのだ。

91: 2013/11/25(月) 21:30:13.39 ID:uT0wyJhn0
「え?ああ、杖の?」

「ならこれは必要なかったようやな」

空いている方の咲の手を掴み、持ってきた杖を握らせる。

「私の杖・・・・」

「落ちてたで。お前のやと思って持ってきてやった」

「落ちてた?」

「ああ。たまたま歩いていたら見付けたんや」

たまたまという所を強調して、咲の手を離す。
触れたところが、何故かやけに熱かった。

「そうですか」

特に追求することなく、セーラが持ってきた杖を咲はぎゅっと握る。

「あの…」

「なんや?」

92: 2013/11/25(月) 21:32:51.52 ID:uT0wyJhn0
ハッキリ物を言う咲にしては珍しく、もごもご口を動かしている。
よく聞こえるよう、セーラは顔を近付けた。

「今日は、ありがとうございました。色々、杖とか車とか…」

不意に聞こえた言葉に、今度は耳が熱くなる。

「別に、大したことしてへんし」

わざとぶっきらぼうに言って、咲から離れる。
何か、このまま咲の近くにいてはまずい気がする。

そう思って、目を逸らすがまた咲を見てしまう。
一体、これはどういうことなんだ。

そんなセーラの様子に、咲は気付いていない。

「江口さんって、馴れ馴れしくてミーハーな人とか思ってたんだけど」

「ケンカ売ってんのか」

あんまりな言い方に眉を顰める。

「本当は、良い人なんですね」

にっこりと、咲は可愛らしい笑顔を浮かべる。
それを見て、セーラは全身に熱が回っていくのを感じた。

98: 2013/11/28(木) 01:32:16.29 ID:/QS5Zr6v0

――――


「解散!」

朝練終了の声と共に、部員達が解散していく。
これから授業に向かうのにまだ30分ある。

「なんや、セーラ。今日は随分早いな」

部員への挨拶もそこそこに部室を出ようとしているセーラを見て、竜華は声を掛けた。
いつもなら始業ぎりぎりまで部員達とおしゃべりしているというのに。

「どないしたん?」

「いや、ちょっとな」

ぼそっと返答しただけで、セーラは出て行ってしまった。

99: 2013/11/28(木) 01:34:27.69 ID:/QS5Zr6v0
「何や、あれ」

「監督にでも呼ばれたんでしょうか?」

浩子がデータを目で追いながら相槌をうつ。

「いや。セーラがいつもと違う行動をした、これは大きな意味があると思うんや」

「そうですか?別に単なる気まぐれでは?」

「いや。これは確かめなあかん!怪しい匂いがぷんぷんしとるわ」

「はあ」

竜華はぐっと拳を握りしめ、浩子の肩を掴んだ。

100: 2013/11/28(木) 01:36:36.87 ID:/QS5Zr6v0
「よし。浩子、行くで!」

「はぁ?私もですか?」

「当然やろ!怜は朝は病院行ってておらんし、あんたしかおらんやろ」

抗議しても竜華が聞き入れるはずもない。
無理矢理連れて行かれた浩子に、卓の片付けをしていた泉は少しだけ同情をした。



「あ、あそこにいましたよ。江口部長」

「ほんまや。浩子偉い!でかしたで!」

二人は改めて前方にいるセーラに目をやった。
セーラは一人じゃなかった。

101: 2013/11/28(木) 01:39:26.07 ID:/QS5Zr6v0
「セーラと、あれ一年生か?」

「そうみたいですね」

隣にいるのは、見たこともない生徒だ。
その生徒に、セーラは寄り添って歩いている。

「なぁ、浩子。もしかして、あの子」

少女が持っている杖に、竜華はあることを思い出した。

「ですね。一年に入ったっちゅう例の子です」

今年入学した盲目の一年生は、愛宕監督のバックアップが付いているらしい。
何度か目撃されている雅枝とその一年が会話している姿に、そんな噂が流れていた。

102: 2013/11/28(木) 01:41:43.14 ID:/QS5Zr6v0
事実はわからない。
しかし千里山は目の障害を持つ生徒を受け入れる体制を取っていないのに、何故彼女が入学できたのか。
雅枝が一枚噛んでいるとしたら辻褄が合う。

「江口部長、監督に頼まれてあの子を迎えに来たんじゃないですか?」

「そう考えるのが自然、やけど」

そんな義務的なものではない気がする。
少女に向けるセーラの柔らかい表情に、竜華はそう直感した。

「しゃあない、聞いてみるか」

「ですね」

103: 2013/11/28(木) 01:44:20.69 ID:/QS5Zr6v0
「なあなあセーラ!何してんの」

「…ん?お前らこそ、二人そろって何してるん」

振り向いたセーラはそのまま質問を返してきた。
その隙にさりげなく咲を自身の後ろに隠したのを、竜華は見逃さなかった。

「いや、たまたま通りかかってん」

浩子を引っ張って、竜華はセーラの近くまで寄って行った。

「その前にー」

一瞬で竜華は距離を詰め、少女の横に立った。

「初めましてやな」

「…誰?」

きょとんとしている少女の手に、竜華は軽く触れた。

104: 2013/11/28(木) 01:47:59.27 ID:/QS5Zr6v0
「おい、竜華!」

セーラがとっさに咲を庇おうとするも、竜華は気にせず話しかけた。

「うちは清水谷竜華。セーラと同じ麻雀部3年や」

まるでセーラのことを気にせずに、竜華は少女の手に触れたまま自己紹介なんて始めている。

「麻雀部?」

「せや」

「おい、いい加減手離せ」

「あ」

我慢も限界だったのだろう。
竜華の手を、セーラが荒々しく払い除ける。

「怖いなー、何やっちゅうの」

「馴れ馴れしくすんな、竜華」

105: 2013/11/28(木) 01:53:05.37 ID:/QS5Zr6v0
「ふーん。この子、セーラの何なん?」

にっと笑う竜華に、セーラはごにょごにょよ言いよどむ。

「何って、別に…」

「あの、もうそろそろ予鈴鳴るんじゃないですか?」

いつまでも続きそうなやり取りに、少女が声を掛ける。

「そうやな、行くぞ…って。何でお前らついて来るんや!」

セーラにきっと睨みつけられるも、竜華はあっけらかんと言い放つ。

「ええやん。そこまでは一緒なんやから。な、浩子!」

「は?いや私は…」

今まで忘れていたくせに急に話しを振られ、浩子は逃げ腰になる。
しかし竜華はそれを許すはずもなく、がっちり肩を掴んで来る。

106: 2013/11/28(木) 01:55:49.93 ID:/QS5Zr6v0
「この子も同じ麻雀部。船久保浩子っていうんやで」

「はぁ、どうも」

「あ、ああ。よろしく」

(何がどういう意味でよろしくなんや!?)

自分で何を言ってるか理解できず、ただ浩子は混乱する。

「うちもよろしくなー」

「はあ」

暢気に、竜華は会話を続ける。
横でセーラが怖い顔してても、知らん顔だ。

107: 2013/11/28(木) 02:00:25.89 ID:/QS5Zr6v0
「ところで名前、聞いてへんけど」

「あ、私は」

「名乗ること無いで、宮永」

咄嗟にセーラが会話を止める。

「だから何でセーラが口出すん?もしかしてヤキモチ?」

「なっ!そんな訳ないやろ!」

けれど横を向いたセーラの顔は赤い。
そうか、そうかと竜華は頷く。
これは面白い展開になりそうだ。

「だったらセーラには関係ないやろ。名前、教えてくれる?」

少し躊躇った後、少女は口を開いた。

108: 2013/11/28(木) 02:03:32.21 ID:/QS5Zr6v0
「宮永咲です」

「咲か。良い名前やな」

「はあ、ありがとうございます」

「ああ。素敵な名前やん。あ、うちのことは竜華って呼んでな。うちも咲って呼んでええやろ」

「え、ええ」

この事態はなんなんだと、浩子は眉を顰める。
筋を立ててるセーラと、陽気な竜華と、ぽかんとしている盲目の少女と。

(厄介なことに巻き込まれるのは、ごめんですわ)

ぼそっと、浩子は呟いた。

109: 2013/11/28(木) 02:06:09.13 ID:/QS5Zr6v0
それから続けられる竜華と咲との会話に入ることなく、セーラは黙っていた。

ヤキモチかと竜華に言われ、かなり動揺してしまった。
宮永咲といるとこんなことばかりだ。

昨日、杖を取り返しはしたけど、セーラはずっと咲のことを心配していた。
ろくでもない奴に釘は刺したが、学校へ来る気を無くしているかもしれない。

迎えに行ってやろうとも考えたが、セーラには朝練がある。
朝練に付きあわせるわけにもいかない。かといってさぼったら咲のことだ、怒るに決まっている。
だから練習が終わると同時に、校門まで出向いた。

咲が来るまで、いつまででも待っていようと思っていた。
意気込んでいたわりには、すぐに咲は校門をくぐって学校へやって来た。
杖をついて、周りに障害物がないかどうかゆっくり確かめながら歩いている。

110: 2013/11/28(木) 02:09:18.79 ID:/QS5Zr6v0
「よっ、宮永」

「江口さん」

声ですぐにわかったのだろう。
以前のような敵意のある顔ではない。
少し嬉しそうにも見える。

どうして。

そんな事が嬉しいと思うのか。
自分の気持ちがわからない。

「朝練は?」

「終わった。後は教室に向かうだけや」

「そうですか」

特に言葉も無く、ゆっくり同時に歩き出す。

咲の手を引いてやりたいと思うが、それは本人が許さないだろう。
コンクリートに響く杖の音を聞いて、もっと頼ってくれれば良いのに。

竜華が来るまで、そんなことを考えていた。

(全く、どうかしてるわ)

まだ続いている竜華のおしゃべりに、ぎゅっと歯を食いしばった。

111: 2013/11/28(木) 02:13:06.08 ID:/QS5Zr6v0

――――


江口さん達は教室まで送ると言い張ったけど、私は断った。
もうこの位の距離なら、人の手を借りなくても歩いていける。

そうやって断る私に、

「そうか・・・わかった」

江口さんは食い下がることはしなかった。

「離してや、セーラ。うちは咲と一緒に行くんやー」

清水谷さんはじたばたしていたみたいだけど。

校門で会った時は、正直驚いた。
まさかこんな所で、待っていられるなんて思わなかったから。

「偶然やな」

なんて言ってたけど、絶対違う。
昨日の今日で、私がちゃんと学校来るのか心配しているんだって思った。

優しい人だな、と思った。
杖のことも、拾っただけだって言い張ってるし。
何故、そんな風に言うのかは全くの謎。

112: 2013/11/28(木) 02:19:36.56 ID:/QS5Zr6v0
もしかしたらこれも私の口を割らせたいだけの、作戦かもしれない。
愛宕先生と私とが、どんな繋がりがあるか聞きたがっていた。

でも、と咲は考える。

隣を歩く江口さんの歩幅は、私に合わせてとってもゆっくりだ。
江口さん一人なら、すぐにでも教室に行けるのに、
ずっと私の隣を歩いていた。

本当に、私のことを心配しているだけなのかも。
やっぱり、本当は優しい人なんだな。


教室にたどり着くまでの間、江口さんのことをずっと考えてた。


――――

117: 2013/11/29(金) 20:08:34.27 ID:36OyD2Es0

――――


「咲、おはよ!」

「おはよう、泉ちゃん」

先生が来るまでぼーっとしていたら、泉が勢い良く声を掛けてきた。
なんだか焦ってるみたいだけど、何かあったのだろうか。

「えーっと、咲」

「何?」

「今日も…いい天気やな」

「はあ?」

要領の得ない会話だ。
ああもう、なんて泉は呟いてる。

「なんかあった?」

「い、いや!なんでもないで」

すごい勢いで否定してるし。
朝練のやり過ぎで、混乱してるとか?

118: 2013/11/29(金) 20:12:44.62 ID:36OyD2Es0
「今日の朝練はどうだった?」

「え?今日は片付け当番やったから大変やったで」

「ふーん。一年生って大変だね」

「面倒やけどしょうがないで。みんなそうやって来たんやし」

あ、でも、と泉が続ける

「江口部長は一年の時からレギュラーやったからな。今の私とはレベルが違うんやろうな」

不意に出てきた名前に、反応する。
さっきまで、一緒だった人。

「部長は本当に凄いねんで!今朝だって…」

そして延々と江口さん自慢を聞かされる。
…うん、泉ちゃんが部長を敬っているのはよくわかったよ。
でも、なんか言い出しにくくて江口さんを知ってるとは言い出せなかった。

119: 2013/11/29(金) 20:14:44.35 ID:36OyD2Es0
出会いは、最悪。
けど、昨日の江口さんは違ってた。

人の杖を盗むような奴なんかに負けない。
家に帰れば予備がある。
それを持って、また学校に来ればいい。

何度もぶつかりながら、教室を出た。
壁伝いに行けばなんとかなるだろう。
杖の代わりに手を使って、歩いた。


そんな私に声を掛けてきたのは、江口さんだった。
酷く怒った声を出していて、思わず身構える。
でも、江口さんは黙って私の腕を取って、引っ張ってくれた。

120: 2013/11/29(金) 20:16:35.62 ID:36OyD2Es0

「そんなんじゃいつまでも家に帰れへんで」

強引なのは変わらないけど。
杖が無いせいなのか、その手を無理に解くことはできなかった。

本当は、怖かったのもあったけど。
だって、やっぱり壁伝いで行くなんて無理がある。

江口さんは、無茶する私のことを怒ってた。
私のことなんかで、本気で怒ってた。

繋いだ手から、それが伝わって。
以前のように、彼女を嫌いになれなくなっていた。

121: 2013/11/29(金) 20:18:33.24 ID:36OyD2Es0

――――


(あの、セーラがなぁ…)

盲目の一年生、宮永咲を見る目は見たことも無いような優しいものだった。

咲と別れた後、竜華はずっとセーラと咲がどういう関係かを考えていた。
一番納得いくのが、咲の後見人と噂される雅枝から頼まれたという理由だ。
けれど、それにしてはセーラの接し方は普通じゃなかった。

今朝、見たセーラの態度はそんな事務的な素振りは欠片も無い。
ただ咲のことを気遣っている、そんな風だ。

(一体何者なんやろ、あの子)

午前の授業中いっぱい考えてたが、答えは出なかった。

122: 2013/11/29(金) 20:21:24.37 ID:36OyD2Es0
昼ご飯を食べ終えて、竜華は大きく背伸びをした。
お茶は全部飲んだが、もう少し何か欲しいと思い、正面の怜に声を掛ける。

「購買行って来るけど、どうする?」

「んー、これ読んでる」

「そうか、分かったわ」

怜は麻雀雑誌を捲る手を止めない。
面白い記事でもあるなら、後で教えてもらおうと教室から出る。
お昼ご飯購入の混雑も終わった頃だから、スムーズに買い物出来るだろう。

一階の隅にある購買に向かう途中、気付く。
この学校で杖を必要とする生徒は、たった一人。

123: 2013/11/29(金) 20:24:06.08 ID:36OyD2Es0
「咲!」

杖をついてコツコツ音を立てる咲を見て、竜華は声を上げる。
呼ばれた本人は「え?」と眉を顰め立ち止まった。

「なんや偶然やなぁ。今朝に続けて二度も会えるなんて」

「はぁ、どうも」

咲のすぐ後ろにいた泉は竜華に気付いて、頭を慌てて下げた。

「清水谷先輩、こんにちは!」

「なんや泉、あんた咲のクラスメイトやったんか」

泉は麻雀部レギュラーである竜華が、
何故咲に声を掛けるのか怪訝な顔をする。

「咲、清水谷先輩とどういう知り合いなん?」

「知り合いっていうか、今朝声を聞いただけなんだけど…」

124: 2013/11/29(金) 20:26:06.89 ID:36OyD2Es0
素っ気無い言い方に、竜華は仰々しく驚く。

「自己紹介までしといて、それはないやろ。うちらはもう友達や。なっ?」

「友達って、清水谷さんがどういう人かも知らないのに」

どうやら押してくるタイプは苦手らしく、咲は尻込みしている様子だ。
じりじりと後ろに下がろうとしている咲の肩を、ぽんと叩く。

「これから知っていけばええねん。それに清水谷さんやなくて、‘竜華’や」

「はぁ」

「今、どこかに行くつもりやった?」

泉の方を見て、竜華は質問した。
一連のやり取りに呆気に取られていた泉は、それでも先輩の質問に「購買へ」と答えた。

125: 2013/11/29(金) 20:28:59.15 ID:36OyD2Es0
「うちも行こうと思っていたとこや。一緒に行ってもええ?」

「はい」

こくりと頷く泉に、竜華はにっと笑った。

「ほな、咲。行こか」

「ちょっと、待ってください」

抗議する前に、手を掴まれ引っ張られる。

「一人で歩けますから」

「それはわかっとるけど。ただ咲とこうしたいんやから」

「わ、私はしたくないです」

引っぺがそうとする咲の手を、竜華は押し返す。

「恥ずかしがることないやん。すぐそこやし」

「そうじゃなくて!」

泉は先を歩く友人と先輩に、ただオロオロするだけだった。

126: 2013/11/29(金) 20:32:54.28 ID:36OyD2Es0
お近づきの印にと、咲に飲み物を奢ると竜華が申し出た。
もちろん後輩の泉にもだ。

(うちって優しい先輩やなぁ)

自画自賛しながら、竜華は自分で選んだジュースのパックをそれぞれに押し付ける。

「これ、何ですか?」

訝しい表情をして、咲はパックに触れる。

「ああ、うちのお勧めや」

「そうですか」

泉の手には「元気発酵ヨーグルトドリンク」が握られている。
うち、こんなのを買いに来たんやないのに。
そう思いながらも先輩が選んだものにケチをつけるわけにはいかず、泉は黙っていた。

127: 2013/11/29(金) 20:35:20.87 ID:36OyD2Es0
「一口飲んでみ?」

竜華の勧めに、咲はゆっくりとストローをパックからはがして、今度はそれを入れる部分を手で探り出す。
手を貸したくなるが、竜華はぐっと堪えた。

さっきも手を引いて嫌がられたばかりだ。
今度も手を伸ばしたら、拒絶されるに違いない。

『教室まで送らなくてもいいですから』

今朝、ぴんと背筋を伸ばし、セーラの申し出を断った姿を思い出す。
この少女は、人に手出しされるのが嫌いなんだとピンと来た。

だから、今は見ているだけに徹した。
自分でやれることは、やろうとしている。
その姿勢は、好感が持てるものだ。

意地張って馬鹿じゃないのかと、思うやつもいるだろう。
だけど咲のそうやって一人で立とうとする所、嫌いではない。

128: 2013/11/29(金) 20:37:38.57 ID:36OyD2Es0
(可愛げはたしかに無いかもしれんけど、なんか見守りたくなるんやな)

セーラも、そういう所が気に入ったのだろうかとふと思う。

「ぶっ」

ストローを差して、中身を飲んだ途端咲は噴出した。

「これ、牛乳なんですけど!?」

「あれ?牛乳嫌いやったんか?」

「お勧めって言うから、ジュースか何かだと思い込んでました」

「ふふ、意地悪はこの位にしとくわ。うちのいちご牛乳と交換したる。これならいけるやろ」

代わりに持たされた紙パックを咲はまたおそるおそる口をつけてみる。

「…うん。美味しい」

「そうか、そら良かったわ」

129: 2013/11/29(金) 20:39:38.14 ID:36OyD2Es0
少しだけ笑顔を覗かせた咲に、ますます興味を覚えていく。

(セーラは咲のこと、どこまで知ってるんや?)

「そろそろ教室に戻るわ。またな、咲。泉は部活で会おうや」

「清水谷先輩、ありがとうございました」

「ありがとうございました、清水谷さん」

しっかりと聞こえた咲の声に、心が弾んでいくのを感じる。


宮永咲か。
これから、何や楽しいことが起きそうな気がするな。

130: 2013/11/29(金) 20:42:33.67 ID:36OyD2Es0

――――

授業も終了して、泉が「またな」と声を掛けてきた。
いつもはもうちょっと早く麻雀部に行くのに、今日はなんだかゆっくりしている。

「急がなくていいの?」

一年は先輩より早く行って、準備を整えておくのが義務だ。
だからいつも慌しく教室を出て行くのに、その気配も無い。

「あ、もう行くで。また明日な、咲」

「うん、バイバイ泉ちゃん」

泉が出て行くのを耳で聞いて、咲も鞄を掴んだ。

(もしかして、気を遣ってくれていたのかな)

今日一日、あの煩かった連中は咲に絡んで来ようとしなかった。
昨日は咲の杖を奪うような真似しただけに、不気味だ。
泉もそれを察して、警戒してくれてたとか?

131: 2013/11/29(金) 20:45:12.59 ID:36OyD2Es0
(考え過ぎかもしれないけど)

今、教室に彼女らの声もしていない。
どうやら既に出て行ったらしい。

また因縁を付けられても面倒なので、咲も今日はさっさと帰ることに決める。
色々なことが起こって、ちょっと疲れた。
夕飯までちょっと寝ていようかな。

それにしてもお昼休憩にも会った、清水谷さん…あの人一体何なんだろう?
泉にも聞かれたし、偶然会ったとしか言えないんだけど。

友達になるって本気だったのかな?
江口さん以上に馴れ馴れしくて強引だけど、悪い人には思えなかったな。

私の目のことにも全く気を使ってなかったみたいだし。
ああいう態度って珍しいな。
腫れ物に触るような気遣いよりも、よっぽど好感は持てる。

132: 2013/11/29(金) 20:46:51.79 ID:36OyD2Es0
「宮永」

下駄箱までもう少しの距離。
呼び止められた声に立ち止まる。
声の主が誰だか、もちろんわかっている。

「今、帰りか?」

「はい」

江口さんだ。
昨日といい、この時間によく遭遇するな。
授業が終ると同時に飛び出していく一年と違って、三年生は余裕あるなあ。

「今日は失くしてないみたいやな」

「そうそうは、失くさないものだけど…」

杖をこんって床に打ち付ける。
江口さんが取り戻してくれた杖。

133: 2013/11/29(金) 20:50:52.16 ID:36OyD2Es0
なんとなく勘付いてる。あの連中が絡んで来ないのも、江口さんが何か言ったんじゃないかってこと。
彼女らがどこかに隠してた杖を、わざわざ探して持って来てくれたのだろう。
麻雀部部長ってそんなことまで出来るのかって、正直驚いた。

「もう、失くすなや」

笑っている?
見えないけど、声の感じからそう思った。

「失くさないです。折角、江口さんが拾ってくれたんだし」

「……」

何も言って来ないことにあれ?って思ったら、髪をくしゃっと一撫でされた。

「…別に、大したことやない。気にすんな」

「え?」

「じゃあな」

もっと、感謝しろとか言うかと思ったのに。
調子狂うけど嫌じゃないなんて、遠ざかる足音を聞きながら思っていた。

139: 2013/12/01(日) 20:22:03.67 ID:v/zkpx650

――――


近付いてきた竜華に、セーラは露骨にイヤな顔を向けた。

「なあ、セーラ」

「部活中や。私語は慎め」

「まだ私語かどうかまでわからへんやろ」

抗議する竜華に、顔をしかめたまま答える。

「お前の顔を見たら、ぴんと来ただけや」

「あのな、咲のことやけど」

ぴくっと、その名前に反応する。

(まだ呼び捨てにしているんか)

妙に苛々してしまう。
馴れ馴れしく咲に近づく竜華に。

140: 2013/12/01(日) 20:23:49.89 ID:v/zkpx650
「いつの間に、知り合ったんや?」

「何でそんなこと教えなあかんねん」

「ケチ。教えてくれてもええやろ」

なあ?と、竜華は食い下がる。

「あの子のこと。監督に頼まれたんか?」

意味がわからず、竜華の顔を眺める。

「頼まれた、やと?」

「とぼけてるのなら、それでもええわ。まあ、しばらく観察させてもらうからな」

好き勝手言う竜華を見やりながら、考える。

(頼まれた?俺が?監督に?なんの話や?)

もしかして、咲が雅枝の保護を受けているからと言って、
自分がそのお守りを頼まれたとかそんなことを考えているのか。

141: 2013/12/01(日) 20:25:29.54 ID:v/zkpx650
(冗談やない)

大体、あいつがお守りをつけたからと言って、素直に聞く性格ではない。

それにしても、妙に苛々させられる。
あんな風にずけずけと、咲のことを聞いてくる態度は、ハッキリ言って不愉快になる。
 
(って、俺も宮永に似たようなこと、した…よな?)

監督とどういう関係か、かなりしつこく絡んだ記憶が蘇る。

(今、あいつと同じ気持ちを味わっているというんか?
だとしたら俺が今までやってきたことは、あいつにとって我慢ならないことやったんやな…)

『あなたの好奇心を満たす為に、話すことなんか無い』

本気で怒っていた咲の声を思い出す。

142: 2013/12/01(日) 20:26:49.29 ID:v/zkpx650
(悪いこと、したな…)

杖を取り返したくらいで、許してくれないだろうか。
それ位、嫌な気持ちにさせていた。

けれど、昨日や今日の態度は普通だった。
戸惑いながらも、刺々しい言葉も無く、普通に話せた気がする。


(明日もまた、確かめてみるか?)

今朝みたいに、学校へ登校する時待ってみよう。
あいつが、ちゃんと学校へ来るのか見届けたい。

143: 2013/12/01(日) 20:28:20.55 ID:v/zkpx650
しかし翌日の朝練は思ったよりも長引いてしまい、
セーラは咲に会うことは出来なかった。

帰りも、わざと教室の前を通りかかったのだが、
今日に限って早く帰ったらしく姿も見えない。

(しょうがない、か)

念の為、咲と同じクラスの泉に聞いて、来ているかどうかだけ確認することにする。

「あれから、大人しくなったみたいです。咲を避けてはいるけど、嫌がらせは無かったですし」

「そうか」

杖を隠した連中のその語の動きを聞いて、
その件では安心する。

(学校には、来ているようやな)

ならそれで良いのだけれど、やっぱり本人の顔を見ておきたい。

そんなことを考えながら、その日の部活は終了となった。

144: 2013/12/01(日) 20:30:23.07 ID:v/zkpx650
「出してくれ」

日誌を監督に提出した後、迎えに来た車に乗り込む。

(明日も、宮永に会えんかったら…教室まで行くか)

そんなことを考えていたせいか。
ふと前方を歩いている姿に気付き、セーラは声を上げた。
私服姿だったけど、間違いようがない。

「ちょっと止めてくれ」

慌てて運転手は、脇に車を止める。
学校を出てから数分も走らせていない。
忘れ物か何かあって戻るつもりかと考えるが、そうではなかった。

「今日は歩いて帰るわ。先に戻ってくれ」

慌てた様子で車のドアを開け、セーラは車外へと出て行った。

145: 2013/12/01(日) 20:33:46.68 ID:v/zkpx650
「宮永!」

こつこつと、杖を突く咲へ早歩きで追いつく。
咲の歩みは、普通の人よりも何倍もゆっくりしたものだ。
ほんの数歩で、セーラは咲の隣に並んだ。

「江口さん?」

「ああ」

「こんな所で、何やってるんですか?部活は?」

「部活ならもう終わったで」

「え?今、何時?」

慌てた素振りをする咲に、セーラは時計を確認する。

全く。
こんな所で何をしてるかは、こっちが質問するはずだった。

146: 2013/12/01(日) 20:35:13.93 ID:v/zkpx650
「7時14分」

「どうりでお腹すいたと思った…」

そんな時間になっていたのか、と咲は眉を寄せている。

「腹、減ってるんか?」

「はい」

途端にきゅるっと鳴る音。
少しばかり顔を赤くする咲に、セーラはぷっと笑ってしまう

それが聞こえたのだろう、そっぽを向いて咲はむくれている。
だけど本気で怒っているようではなさそうだ。

拗ねている。
セーラには、そんな風に映っていた。

147: 2013/12/01(日) 20:36:24.94 ID:v/zkpx650
「何か、食いにでも行くか?」

「え?」

「俺がおごったるで」

ぽんっと頭に手を置くと、視点の合わない瞳が向けられる。

「俺も部活帰りでちょうど何か食いたい所やったし。どうや?」

誘いの言葉に咲は考え込む仕草をした後、ふるふると首を振った。

「夕飯の用意があるから、行けないです」

あからさまにセーラはがっかりしたが、次の言葉に復活する。

「良かったら、ウチに来ませんか?それならお互いご飯にありつけるし」

「急に、迷惑やろ」

本心でそう思っていても、咲からの誘いに少し浮かれてしまう。

148: 2013/12/01(日) 20:38:02.53 ID:v/zkpx650
「一人分くらい、大丈夫だと思います。あ、でも江口さんも家で用意してあるか…」

しまったと、呟く咲にセーラは自分の家のことを思い出す。
使用人達が作る料理。
最高の食材を使った、いつでも満足のいく味だけど。

食卓に両親がいることはほとんどない。
今日も父は仕事、母は友人と出掛けている。

「生憎と、誰も待ってる人はおらんで」

静かな口調から何か察したのだろう。
咲は詮索もせず、「だったら平気?」とだけ尋ねた。

「ああ、わかった。一応、連絡だけは入れておくわ」

スマホを取り出し、自宅へ掛ける。
電話に出た使用人に、今日は遅くなるから支度はいらないとだけ短く伝えた。

別にそれだけで済む話だ。
本当の意味で待っててくれる人は、あの家にはいない。
やり取りが終ったのに気付いた咲が声を掛ける。

149: 2013/12/01(日) 20:39:50.86 ID:v/zkpx650
「じゃあ、行きましょうか」

歩き出す咲の歩調に合わせて、セーラも隣を歩く。
しかしあんまりゆっくり過ぎるので、つい口を出してしまう。

「なあ、夕飯の用意してあるんやろ?」

「そうですけど?」

「あんまり遅くなると家の人心配するんやないんか?」

「そう、ですね」

咲の顔から察する。
早く家に帰りたいけれど、杖で障害物や段差をさぐりながらでは、これが精一杯。

「腕貸せ」

「え…」

急に触れて、また驚かれても面倒だ。
今度は予告して、咲の右腕を取る。
そしてしっかり腕を組んで、寄り添う。

150: 2013/12/01(日) 20:43:22.83 ID:v/zkpx650
「段差があったら教えてやるから、そのまま歩いてくれや」

「でも」

「早く帰りたいんやろ」

うっと咲は言葉に詰まる。
それを見て、セーラは1・2歩足を進める。

引っ張られる腕に、咲も黙って歩く。
どうやら振り解くことはしないと決めたようだ。

「心配するような時間まで、何をやってたんや?」

大人しく引っ張られるまま歩いて、数分が過ぎた。
そういえば咲が何故学校の近くを歩いていたか、聞いていなかった。

「散歩…」

「散歩?」

「はい。学校と家の往復以外にも道を教わっているから、歩行練習を兼ねて」

151: 2013/12/01(日) 20:44:47.07 ID:v/zkpx650
一人で危ないんじゃないか?とセーラは思う。
だが咲のことだ。
家族に対しても「大丈夫だから。一人でやれる」を通しているに違いない。

「あんまり遠くには行かないから、平気です」

セーラの心を見通してか、そんな風に続けた。

「ゆっくりしか歩けないから、遅くなったけど」

「そうか」

暗闇の中、手探りで行けるところまで行こうと歩く咲が脳裏に浮かんでくる。
誰の手も借りずに、一人で歩こうとしている彼女。

(無茶やろ、そんなの)

一人でいられない時、今みたいに手を貸すことは許されるだろうか。
まだ、ハッキリとは聞くことはできない。

152: 2013/12/01(日) 20:46:13.90 ID:v/zkpx650
「そこ曲がったら、すぐウチです」

「ああ、分かったわ」

咲の指示通りに、セーラは角を曲がる。

すると、

「咲!」

往来に、男性の声が響く。

帰りが遅くなったのを心配して、咲の父は玄関先で待っていたようだ。
走って来た足音に、悪かったと咲はすぐに反省する。

「遅かったから、迎えに行こうかと思ってたよ」

「ごめんね、お父さん」

心配をかけたと、咲は素直に謝罪した。
それと横にいるセーラを招くことを伝えなければ。

153: 2013/12/01(日) 20:48:31.15 ID:v/zkpx650
「で、散歩の途中に江口さんと会ったんだけど」

「こんばんは。君はこの間、咲に杖を届けてくれた方だね」

「あ、はい。こんばんは」

にこやかな咲の父親を前にして、セーラはわずかに緊張したようだ。
気付いていないようだが、掴んでる腕にわずかな力が込められてる。

「その節は本当にありがとう。届けてくれて助かりました」

「いえ。偶然見かけたものなので」

まだ偶然だなどとセーラは言っている。
それが可笑しかった。

「偶然でもわざわざ届けてくれたのには、変わりはないでしょう」

「はあ、まぁ」

ペースを崩さずにこやかに話す父に、セーラはやや視線を外す。
まっすぐな感謝の気持ちに、聊か照れくさくなったからだ。

「そうだ。お時間があれば、家に上がって行きませんか?」

「本当?だったらちょうどいいや。さっき夕飯に誘ったところだったんだ」

「おい宮永」

やっぱり遠慮するとセーラが言い出す前に、咲は父に話をしてしまう。

154: 2013/12/01(日) 20:51:05.12 ID:v/zkpx650
「そうだったのか。料理も出来上がっているから、ちょうど良かった」

だったら先に行ってすぐに食卓を整えてくると、父は家へとまた戻ってしまう。

「やっぱり急な訪問は」

躊躇しているセーラの腕を、咲はぐいっと引っ張る。

「遠慮しなくていいですって。お腹空いてるんでしょ」

「いや、今は」

「いいから、いつまでも突っ立ってないで行きましょう」

もう一方の手で杖を突いて、セーラを引っ張る形でゆっくり歩き出す。

「しゃーないな」

言いながらも、どこかセーラの声が嬉しそうに聞こえる。
二人並んで、宮永家の門をくぐった。

155: 2013/12/01(日) 20:54:24.30 ID:v/zkpx650

――――


「すっかりご馳走になったな」

2時間かけて会話を楽しんだ夕飯も、終わりになった。
父が家まで送ろうかと申し出たが、セーラは車で迎えに来てもらうから大丈夫だと断った。

スマホから連絡して、江口家の車はそれから10分後に到着した。
玄関先までは、咲だけが見送ることになった。

「お父さん、江口さんが来てすごく喜んでいたみたい」

社交辞令ではなく、本心から父は「また是非遊びに来てください」と言っていた。
咲が友達を連れて来たのも嬉しかったのだろう。
ましてや杖をわざわざ届けてくれた相手というのもある。

親切なお嬢さんだと、父は思っているようだ。
咲にとっても、セーラが歓迎されるのは悪くないことだ。

156: 2013/12/01(日) 20:58:53.48 ID:v/zkpx650
「父もああ言ってますし、また来てやってください」

「迷惑じゃないんなら、な」

「勿論」

断言するように、頷く。
すると、杖を持っている手に、セーラの手が重ねられる。
ただ触れられているだけのそれは、大きくて暖かい。

「本当に、お前は迷惑に思って無いんか?」

「え…?はい。江口さん、良い人ですし」

にこりと、セーラに向かって微笑むと、何故かセーラはそっぽを向いてしまう。

(何?私、何かまずいこと言ったっけ?)

首を傾げて、咲は空いてる手でくいっとセーラの袖辺りを引っ張る。

157: 2013/12/01(日) 21:01:28.58 ID:v/zkpx650
「なにか言いたいことでもあるんですか?なら、言ってください」

「いや、別にないで」

「本当に?」

「…ああ」

ぎゅっと重ねている手に一瞬力が込めらる。

「じゃあな」

短く言うと同時に、セーラの手が離れていった。
足音に、セーラが去って行くのだと理解して咲は顔を上げた。

「江口さん」

「また明日な」

「あ、はい…」

バタン、と車に乗った音がして、すぐに動き出してしまった。

(どうしたんだろ?江口さん)

セーラの態度を気にしつつも、咲もまた家の中へと戻った。


――――

167: 2013/12/13(金) 00:47:33.22 ID:fMC8E3Ph0

――――


歩いて来る咲を見て、竜華はほっと息をついた。
ここ2日ばかり、朝練の時間が通常より10分以上長引いたせいで、
咲の登校時間と合わせることができなかった。

教室まで様子を見に行こうか迷ったけれど、
そこまで親しい仲ではないから不信感を持たれる場合もあるかもしれない。

ぐっと我慢して、校内のどこかで会えるのを待っていた。
しかしそんな偶然もなく、顔も見れないまま一日は終わる。

(今日は時間通りやったからな)

校門の前で咲を張ることに全力を掛けて、竜華はここまで走ってきた。

168: 2013/12/13(金) 00:50:46.06 ID:fMC8E3Ph0
宮永咲と監督の間に、何があるか。
人並みの関心は竜華も持っていた。
しかもあのセーラが関わってるらしいと知ったからには、尚のことだ。

監督に頼まれたのか、セーラは咲のことを気に掛けている。
否、今は個人的に気に掛けてると見てもいいだろう。
こんな興味深いこと、放っておけるはずもない。

それに、咲自身にも竜華は興味を持っていた。
少々意地っ張りなところはあるが、真っ直ぐで一人で立とうとする強さを見て、
少しだけ構ってやりたくなる。

(セーラも、そういうところが気に入ったんやろうか)

咲に近付くと露骨に嫌な顔をしてたセーラを思い出し、竜華は笑いそうになるのを堪える。
もう咲は、すぐそこまで歩いてきているからだ。

169: 2013/12/13(金) 00:53:00.35 ID:fMC8E3Ph0
「おはよう、咲」

声を掛けると、盲目の少女は耳をすますような仕草をして立ち止まった。

「ここや」

隣に並び、軽く肩に触れる。

「清水谷さん、おはようございます」

「お、ちゃんとうちのこと覚えとってくれた?」

「そりゃあ、まぁ」

購買での一件を思い出したせいか、咲の眉が寄る。
それを見て竜華は少し笑った。

「やけど名前で呼んで言うたやん」

「でも」

「りゅ・う・か。ええ加減覚えてな」

念押しすると、ますます眉が中央に寄ってしまう。
困っているらしいと、察する。

170: 2013/12/13(金) 00:55:09.30 ID:fMC8E3Ph0
「年上を呼び捨てにしちゃまずいんじゃないですか?」

日本はそういう事にうるさいと聞いている。
実際、泉から聞かされる部活での上下関係に辟易していたくらいだ。

「でもうちら、友達やん」

気にしない風に、竜華は言う。

「友達って、そうなった覚えは無いんですけど」

「勝手に決めたんや」

「……」

どうしてと、言いたげな表情。
確かに自分でも友達という単語を持ち出したことを、どうしてだと考える。

171: 2013/12/13(金) 00:57:34.96 ID:fMC8E3Ph0
監督との繋がりや、セーラが見せたこの少女への表情。
そういうもので興味を持った。

だけどそれが全部かと聞かれたら、違うときっぱり否定するだろう。
咲の内に秘めている強さのようなもの。
それをもっと間近で見てみたいのも本当の気持ちだ。

「あー、えっとな、急に言われても迷惑やろうけど」

「……」

どう言ったものかと、竜華は迷う。
友達になりたい理由なんて、いちいち口にしたことなどない。
けれど何か言わないと、少女は納得しないだろう。

「咲の、一人で立とうとする強さが気に入ったんや。それだけじゃあかんか…?」

(って、何が言いたいんや。そんなものしか出てこんのか?)

内心で焦る竜華を知らず、くすっと笑って咲は横を向いた。

172: 2013/12/13(金) 01:00:20.62 ID:fMC8E3Ph0
「私と居ても、別に楽しくないと思いますよ?」

「ん?それはうちが決めることで、咲に決められることやない。別にとか、言うたらあかんで」

な?と同意を求めると、咲は苦笑いしてこちらを向く。

「清水谷さんって変わってますね」

「竜華やって言うとるやん」

まだ名前を呼んでくれないことに、拗ねた口調で返す。

「わかりました。竜華さん」

「え。今、名前」

「自分で呼べって言ったじゃないですか」

「いや、それで正解や!」

嬉しくて思わず、咲をぎゅっと抱きしめてしまう。

「わっ!急に抱きつかないで下さいっ」

バランスを崩して転びそうになる咲を支えて、
竜華は更にしがみ付く。

「嬉しいんや!おおきにな、咲」

「そんなに喜ぶことですか?」

理解出来ないと、咲は困惑するだけだ。

「おい、道の真ん中で何やってるんや」

突然二人の間に腕が割って入り、竜華と咲は引き離された。

173: 2013/12/13(金) 01:05:57.17 ID:fMC8E3Ph0
「あ、セーラ」

「他の奴も見てるやろ。ったく…」

ぶつぶつ言いながらも、セーラは咲を背に隠すよう竜華の前に立っている。
何事か理解出来ていない咲は、呑気にセーラに向かって挨拶をした。

「江口さん、おはようございます」

「おう。それよりな、竜華にはあんま構わんでええで」

「本人の前で言うか!?」

「ゆっくりしてると予鈴が鳴るから行こうや」

抗議をする竜華を無視して、セーラは咲に話し掛ける。

「昨日は、突然悪かったな」

「いえ。父も私も楽しかったですし」

「そうか。それは良かったわ」



「なあなあ、自分ら何の話してるん?」

そこに竜華の声が割り込んでくる。
セーラは竜華を一瞥すると、「竜華には関係無い」と言い放つ。

「関係無いって冷たいなぁセーラ…ええもん、咲に聞くから。なあ咲」

「え、あ…はい」

「友達なら隠し事無しやろ?セーラに何されたん?正直に」

「おい、人聞きの悪いこと言っとるんやない!」

「軽い冗談やん」

174: 2013/12/13(金) 01:07:57.06 ID:fMC8E3Ph0
「行くで、宮永。朝からこんな奴相手して、遅刻したらシャレにならん」

「あ、江口さんっ…」

急にセーラは咲の腕を掴み、走り出した。

「セーラ!うちを置いていかんといて!」

「竜華は後からゆっくり来ればええやん」

冷たいことを言いながらも、咲が転んだりしないように気遣っている。

(お姫さん守ってる、騎士のようやな)

セーラ、無意識でやってるんか?

全速力で追いかけながら、竜華はそんな風に思った。


――――

175: 2013/12/13(金) 01:09:34.83 ID:fMC8E3Ph0

――――

「ここでいいですから」

前回と同じ場所で、咲は一人別れて一年教室へと向かってしまう。
手を貸したいけれど、拒否されるのはわかってるから。
それ以上何も言わずに、ただ見送る。

「さっきは咲との会話に割り込んできて、どういうつもりや」

セーラのせいで咲とあんまりおしゃべりできなかった、と。
三年生の教室に向かうまでの距離、竜華はセーラにぶちぶち文句を言い続けた。

「どうもこうも、お前には関係あらへんやろ」

聞く耳持たない。
そんな態度を取り続けるセーラに、段々腹が立って来る。

「関係大ありや。うちと咲は友達やからな」

「友達…?」

176: 2013/12/13(金) 01:11:48.70 ID:fMC8E3Ph0
そこでようやく足を止めて、セーラは振り返った。

「そうや。セーラがなんぼ邪魔しても、咲は友達やと認めてくれたんやからな」

友達だと咲が認めてくれたかどうかは実はまだ判断できない。
少し引き攣った顔をしながらも、必氏で竜華は自分を奮い立たせた。
名前で呼んでくれたやないか!もう友達も同然や!

「友達か…」

「セーラ?」

何か反論してくるかと身構えたが、セーラは考えるような仕草をした後、また前を向いて歩き出してしまった。

「何やの、一体」

「竜華ー!今までどこ行ってたんや!宿題写させろって言ったやろ!」

教室から顔を出した怜に急かされ、昨日の帰りに言われてたことを思い出す。
そういえば一時間目の授業のノートを写させろとかなんとか…。

「あ、忘れてたわ」

「いいから、急いで貸してくれや!」

写す側なのにやけに態度の大きい怜に、慌てて鞄からノートを出した。

「すぐに返すからな」

「うん…」

上の空で返事する。

(セーラ、何だか変な顔してたな)

咲と友達だと宣言して何かまずかっただろうか?
気に食わないのなら、すぐ反論しただろうに。
黙っていたのが、返って不気味だ。

授業中、ずっと考えてもセーラが何を考えているかなんてわからないままだった。


――――

177: 2013/12/13(金) 01:14:51.80 ID:fMC8E3Ph0

――――


図書室の片隅。
ちょうど棚で氏角になっている席だから、入って来た瞬間にはセーラも気付かなかった。

(…宮永?)

本を枕にしてうつぶせの体勢を取っている咲に、そっと近寄る。
ぐっすり寝入っているようで、すぐ隣の椅子を引いても咲はぴくりとも動かない。

(平和な寝顔やな)

穏やかに目を閉じて眠っている。

セーラは思わず笑みを零した。

起きて隣に自分が座っているとわかったら、どんな反応をするのだろうか。
持って来た他校のデータはそっちのけで、セーラはしばらく咲の顔だけを眺め続ける。

178: 2013/12/13(金) 01:16:33.33 ID:fMC8E3Ph0
(なぁ、俺とお前は一体、何なんやろうな)

不意に竜華の言葉を思い出し、心の中で咲に問い掛ける。

『うちと咲は友達やからな』

竜華に宣言された言葉は、セーラの感情に波紋を投げかけた。
別に咲が誰と友達になろうが、セーラが口出しする権利は無い。
それなのに何故か不愉快な気分になった。

(友達やと?勝手なこと言うな)

何に対してそんなに自分は腹を立てているのだろう。
それに。
だったら自分は咲のどういう存在か、考えたら混乱もしてきた。

出会った頃は一方的に嫌われていたけれど、ここ最近は普通に会話もしている。
世間一般から見たら、自分と咲も「友達」なんていう分類に入るのだろうか?

179: 2013/12/13(金) 01:19:06.90 ID:fMC8E3Ph0
入るとしても…セーラはそれは違うと首を振った。

友達なんかよりも、もっと咲の近くにいたい。そう思う。
その感情はなんて言うものなんだ?

そこまで考えて、セーラは咲の顔を覗き込んだ。
額に掛かる前髪を指ですくってやると、くすぐったいのかわずかに身動ぎする。

「…んっ」

わずかに漏れた声に、起こしてしまったのかと慌てるが、またすぐに寝息が聞こえてきた。
ほっとして、体から力を抜く。

(俺はなんで、お前のことばっかり気にするんやろうな)

いつかも咲に聞かれた。
『どうして、私に関わるの』と。

でも今はまだ答えは出そうにない。
もっとじっくり考えて、それから出しても遅くない。

羽織っていた学ランを咲の背中に掛けてから、
セーラは目の前にあるデータを眺め始めた。


――――

180: 2013/12/13(金) 01:21:18.32 ID:fMC8E3Ph0

――――


(そろそろ、起きてもいいやろうに)

1時間程経過しても、咲はまだ夢の中だった。

いくらなんでも、もう起こした方が良いと判断する。
放っておけば、閉館時まで寝そうな勢いだ。

そう思って、セーラは咲の肩をゆっくり揺さぶり始めた。
セーラもそろそろ部活に顔を出そうと思っていた所だ。

「おいっ、宮永」

少し強めに揺さぶっても、目を覚ましそうにないので小声で呼び掛ける。

「宮永、起きや」

また声を掛ける。

181: 2013/12/13(金) 01:24:11.51 ID:fMC8E3Ph0
(意外と寝汚い奴やな)

もう一度強く揺さぶると、咲の瞼がゆっくり開かれた。

「…もう5分」

「5分やない、起きや」

その声に、咲の意識はようやく覚醒した。
ゆっくりと、体を起こす咲。
その瞬間、肩に掛けてあった学ランが滑り落ちる。

「…誰かいるの?」

「俺や」

「江口さん!?」

「ああ」

「なんだ…びっくりした」

ようやく咲も今いる状況を思い出したらしい。
セーラは床から学ランを拾い、無言で誇りを払った。

182: 2013/12/13(金) 01:26:57.46 ID:fMC8E3Ph0
「驚いたのはこっちや。起きひんと思ったわ」

「あ、すみません」

バツが悪そうに謝り、それから咲は首を傾げた。

「なんでこんなところに?部活は?」

「少しデータとにらめっこしてただけや。部活には今から行くで」

「そうですか。忙しそうですね」

「ああ。暢気に昼寝できる誰かさんと違ってな」

からかうようなセーラの口調に、咲はカッと顔を赤くする。

「ちょっと一休みしてただけです」

「ほぉ。お前の一休みとは、1時間以上を差してるんか」

二人して言い合っていると、

「スミマセン、図書室ではお静かにお願いします」

小さいけど、きっぱりとした声が響き、二人共ぎくっと体を強張らせた。
どうやら図書当番の生徒らしい。

本を何冊か小脇に抱え、しっかりと二人の方を睨んでいる。
セーラと咲が同時に軽く頭を下げると、女子生徒はまた別の棚へと移動していった。

「ほら見ろ。怒られたやろ」

「それ、私のせいですか!?」

声を潜め、咲は抗議する。

これ以上茶化すと、本気で怒ってくるだろう。
絶対引かない咲を知っているから、セーラはわざと真面目な声を出した。

183: 2013/12/13(金) 01:28:47.74 ID:fMC8E3Ph0
「寝るのは自由やけど、冷えて風邪でも引いたらどうするつもりや」

室内とはいえ、体調を崩す可能性は十分ある。
諭すように言われ、咲は顔を伏せた。

「…はい。これからは気を付けます」

「さよか」

素直な言葉に、セーラも少しばかり照れてしまう。
生意気で可愛げの無い態度をとるかと思えば、これだ。

「振り回されとるなぁ」

「え?何?」

「いや、なんでもないわ」

小さな声だったので、咲には聞こえなかったようだ。
話を逸らすようにくしゃっと髪を撫でてやり、寝癖を直す。

「その本、借りるんか?」

「はい」

184: 2013/12/13(金) 01:30:48.89 ID:fMC8E3Ph0
お互い立ち上がって、カウンターまでの距離を歩く。
図書室の位置は大分覚えたと得意そうな顔をする咲に、
「そうか」とだけ呟く。

何か障害物が無いか気を配りながら、咲はゆっくりと歩いている。
ここまで歩けるようになるまで、どれ位掛かったのだろう。

雅枝と歩行練習していたことを思い出し、ぎゅっと資料を握り締める。

すごいな、とか頑張っているんだなとか、そんな陳腐な言葉じゃなく。
もっと、咲に掛けてやりたい言葉があるけど見付からない。

黙って後ろを歩くことしか出来ない自分に、苛立ち似たものを感じる。

「ほら、もうカウンターでしょ」

得意そうに振り返る咲に、「ああ」とセーラは声を抑えて返事をした。

185: 2013/12/13(金) 01:33:17.19 ID:fMC8E3Ph0
「一週間になります」

目の見えない咲がどうやって図書カードを書くかと思っていたら、
どうやら委員が書くのが決まりになっているらしい。

多分、それも雅枝の指示だろう。
さっき二人を注意した女子生徒は、何事も無かったような顔をして咲へと本を差し出した。

「どうも」

「それ、どういう本や?」

扉を開けてやりながら、セーラは咲が持つ本について聞いてみた。
背表紙も点字で書かれているため、内容がわからない。

「童話みたいな話かな。沢山の短編が収録されてます」

「へぇ」

そういうのも読むのかと、咲の横顔を眺める。

「面白いんか?」

「そうですね。読んだこと無い話ばかりだから」

本を小脇に抱えて、咲は頷く。

「まだ読むのに少し時間はかかりそうです」

「挫折して途中で寝る可能性もあるしな」

「それはもういいですから!」

悪かったな。お前の反応が面白いから、ついからかってしまうんだ。
そんな事、言えるはずもなくセーラは黙って咲の隣を歩く。

186: 2013/12/13(金) 01:35:11.62 ID:fMC8E3Ph0
「あの、江口さん」

昇降口まで来た時、それまで同じように黙っていた咲がぴたっと足を止めた。
文句の続きかと思うが、そうではなかった。

「上着、ありがとうございました」

目を瞬かせ、咲の言葉の意味を理解するのに三秒ほど必要とする。

「気付いてたんか」

「はい。起きた時に」

ありがとう、ともう一度お礼を言う咲。

その笑顔に、動けなくなる。
どうしてだか、わからないけど。


――――


191: 2013/12/19(木) 21:10:29.68 ID:uRcWxq5z0

――――

中庭への道のりを、咲はのんびり歩いていた。
何度も雅枝と歩いたおかげか、どこに障害物があるか大方覚えている。

(最初は何度も転びそうになったけどね)

根気良く教えてくれた雅枝には、心底感謝するしかない。
多分、雅枝はわかっていてこの道の通り方を教えてくれたのだろう。

この先を行くと、牌の音が聞こえる。
そこで、咲は足を止めた。

音を聞いて何になる訳でもない。
自分のやっていることは、自分の傷口を広げているだけかもしれない。

(この目では、もう麻雀を打てないのに…)

それでも生まれた時から慣れ親しんでいる音を聞きたいという欲求は、止まらない。
すぐにでも卓に座って、牌に触れたい。
あの高翌揚した気持ちを簡単に、忘れられるものか。

もう一度麻雀ができるのなら、全てを引き換えにしてもいい。
何も望まないから、あの場所へ戻りたい。

ぎゅっと杖を握った後、咲はいつも座っているベンチを探そうとゆっくり足を伸ばす。

(たしかこの辺りに、あったはず)

探り当てた杖がカツンとベンチに当たり、音を立てた。

「んんー?」

「え?」

今、声が聞こえたような。

192: 2013/12/19(木) 21:13:46.79 ID:uRcWxq5z0
びくっとして、咲は思わず杖を落としてしまう。
カラン。杖は音を立て、足元へと転がった。

「…なんや?」

今度はハッキリ声が聞こえた。
しかし構っている場合じゃない。

慌ててしゃがみ、咲は手を地面に伸ばす。
幸いにもすぐに見付かり、しっかり手で掴んで立ち上がる。

「あー、私また寝とったんか」

ふわぁと息をつく女の声が、咲の耳に伝わる。
誰だかわからない人物は、のんびりと咲に声を掛けた。

「ここ、座る?」

「え、結構です」

面倒が起きる前に帰ろうと、くるっと帰り道へと体を翻す。

しかし、女性はとんとんと手の平でベンチを叩き始める。
どうやら座れという意思表示らしい。

「私が一人占めしちゃってたから、座れなかったんやろ。もう空けたから、座ってもいいで」

(そんなこと言われても、困るんだけど)

「なあ、聞こえとる?」

動かない咲にしびれを切らしてか、女性が立ち上がる気配がする。

どうしようかとまだ迷っている間に、近付いてきた女性の手が空いている咲の手をさっと取った。

「えっ!?」

「遠慮してるみたいやから、こうでもしなきゃ座らへんかなって」

193: 2013/12/19(木) 21:16:04.81 ID:uRcWxq5z0
結局、引っ張られる形で、咲はベンチに座らされてしまう。

強引な行動だったけれど、のんびりした言い方に突っ張ねる気が削がれてしまう。
全く悪意を感じないのもあるけれど。

「良い天気やな」

「はぁ」

何故だか女性はベンチを空けたといいながらも、咲の隣にちゃっかり座ってしまっている。

「こういう時って、お昼寝したくならへん?」

「まぁ、そうですね」

なんだろう、この人。
一応寝ることは好きなので気持ちはわからないでもない。
頷くと、女性は何故か嬉しそうに「そうやんな!」と声を上げた。

「さっきもこのベンチに座ってたら、気持ち良くなって寝とったところなんや」

「…起こしちゃってスミマセン」

「あ、怒っている訳やないねんで?」

「はぁ」

会話の意図がさっぱり掴めない。
それなのに返事をしてしまっている自分は、この女性に乗せられているのだろうか?

「本当、風が気持ちええなぁ」

独り言な呟きが聞こえ、女性は静かになった。
もしかして、また眠ったとか?
心配になって、声を掛けてみることにする。

194: 2013/12/19(木) 21:18:23.71 ID:uRcWxq5z0
「あの…?」

反応は無い。言葉を発してから10秒も経っていないのにだ。
返事の代わりにすやすやとした寝息が聞こえてくる。

「寝つき良過ぎ…」

人の事は決していえないのだが、咲は呆れた声を出した。
たしかに昼寝したくなるような、気持ちよい気候だ。
しかし瞬間的に眠ってしまうのは、気候の所為だけではないだろう。

(まあ、いいか。煩く話し掛けられるよりは)

聴覚に神経を集中させると、近くにある部室から牌の音が聞こえてくる。

心地良い、好きな音だ。

しばらくその音を聞きながら、いつしか咲も瞼を閉じてた。
隣にいる女性の寝息につられたせいかもしれない。

(ちょっとだけなら…)

ベンチに体を預け、咲は眠りの世界へ入っていった。




しばらくしてから、何か暖かいものに気付く。

(なんだろう、これ)

目を開けるが、やっぱりそこには暗闇だけが広がっている。

「起きたか?」

すぐ後ろから声が響き、ぎょっとして体を起こす。

「痛っ!」

「大丈夫!?」

ぶつかったのは、ベンチだった。

「あーごめんな。びっくりさせるつもりはなかったんやけど」

「いえ…」

195: 2013/12/19(木) 21:21:03.28 ID:uRcWxq5z0
大丈夫だと手を振る。

そうだった。あのままうたた寝をしていたんだっけ。

でも…あの感覚は。

「もしかして、あなたにもたれて寝てました?」

恐る恐る尋ねると、相手は「ああ…」と気まずそうに返事をした。

「気持ち良さそうに寝てたから、起こすのもなんやと思って」

「……」

「それに、あんたの寝顔可愛かったしな」

見知らぬ人の前で醜態を晒したことに、かっと顔が赤くなる。

(しまった。こんなに寝てるつもりは無かったのに)

動転した咲の心に気付かず、女性はのんびりと欠伸をした。

「また昼寝したくなったら、一緒にしような」

「は?」

「私な、園城寺怜っていうねん。あ、怜でええからな」

(やっぱりこの人、ずれてる?初対面で一緒に昼寝しようとか、普通言わないよね)

怜と名乗った女性は、「握手」なんて勝手に手を握っていた。

変わった人…

そう思いながらも振り解かないのは、さっきと同じ体温が伝わっていたせいかもしれない。

196: 2013/12/19(木) 21:23:08.15 ID:uRcWxq5z0
「あんたの名前は?」

答えようかどうしようか咲は迷った。
悪い人じゃないらしいが、信用して良いものか。

何故そんなことを聞くのかと、咲が口を開きかけると同時に、
聞き覚えのある声が響いた。

「怜!こんな所にいたんか」

「ああセーラか」

「江口さん…?」

「こんな所で何してるんや」

怜は、どうやらセーラの知り合いらしいようだ。

(一体、どういう知り合いなんだろう)

いまいち状況が把握しきれず、咲はセーラが次に何を言ってくるのかを待つことにした。


――――


竜華に続いて、怜までもが咲に構っている。
一体、どうなっているんだ。


怜を探しに行くつもりで、部室を抜け出したのは建前。
中庭で咲と会う可能性があるからだ。
前に見たのと同じように、牌の音に耳を傾けて座っているかもしれない。

そんな期待をしていた。

監督不在をいいことに他の部員への指示を出した後、
セーラは中庭へと歩き出した。

そして期待した通り、咲はベンチに座っていた。

ただし、その隣には何故か怜がいる。

(あいつ、練習さぼってこんな所にいたんか)

197: 2013/12/19(木) 21:24:50.55 ID:uRcWxq5z0
「なんやセーラ、険しい顔して。なんかあったんか?」

「なんかあったんか、やないわアホ!お前がサボってるからやろ」

えー?と怜は首を傾げた。

「サボってたんやないで。お昼寝してただけや」

「同じ事や!」

目の前で言い争いする二人に、咲がストップを掛ける。

「あの」

「どうした、宮永?」

セーラが咲に向き直る。

「お二人は知り合いなんですか?」

その辺がわからない咲は、二人に尋ねる。

「…こいつは、俺と同じ麻雀部なんや」

麻雀部、の単語で、セーラには咲が反応したように見えた。
見えただけで、実際はどうなのかわからないが。

「何、セーラはこの子のこと知っとるんか?」

きょろきょろと怜はセーラと咲の顔を見比べる。

「どういう関係なんや?」

「どうって…」

詰め寄られたのは、咲の方。

困った顔をした咲に、セーラは無意識に怜と咲の間に体を割り込ませる。

198: 2013/12/19(木) 21:26:42.59 ID:uRcWxq5z0
「よせ。お前には関係無いやろ」

「何やねん、その言い方」

むぅっと怜は頬を膨らます。

「そうや。名前も聞いてへんよな。なあなあ、何て言うん?」

咲はセーラの体に隠れてしまっているというのに、気にもせず怜は呼びかける。
そんな怜を見て、セーラは眉を潜めた。

竜華に続いて、怜までもが友達になりたいなんて言い出すんじゃないだろうか。
嫌な予感だ。

「セーラ、ちょっとどいて。邪魔や」

「邪魔とか言うなや!むしろお前の方が邪魔やっちゅーの!」

「私がその子と話してるのに、邪魔してるんはセーラやん!」

また不毛な争いが始まったと、咲は溜息をつく。


「宮永咲です」

「え?」

「私の名前。これでいいですか?」

「おお!」

「おい、宮永…」

教える必要なかったのにと、自然非難めいた目で咲を見た。
しかし、こちらの表情がわからない咲は小さく首を竦める。

「だって教えないと、いつまでも騒ぎそうだから」

これくらい別にとサバサバした様子だ。

「じゃあ咲って呼ぶで。私のことは怜でええからな」

「はあ」

199: 2013/12/19(木) 21:28:57.61 ID:uRcWxq5z0
二人のやり取りを見て、セーラはこれ以上は無い位に眉を顰めた。
やっぱりこうなったか…

咲には麻雀部のメンバーを惹きつける吸引力でもあるのだろうか。

「怜、そろそろ部活に戻るで」

とにかく怜をここから離してしまおう。それが一番良さそうだ。
そう判断して、セーラは怜に向き直った。

「えー。せっかく知り合ったんやし、もっと咲とお話したいなぁ」

「アホ!レギュラーが顔出さんと、他に示しつかんやろうが!」

ぶつぶつ呻く怜を抑えて、立ち上がる。

「咲ぃ」

情けない声を出す怜に、咲はくすりと笑って立ち上がる。

「私はもう帰りますんで。部活にちゃんと顔出した方がいいですよ」

「え、帰っちゃうん!?」

「はい。寝てる間にずいぶんと時間が経っちゃったみたいですし」

まさかとは思うが、怜と一緒に昼寝していたのだろうか。
咲の一言に、セーラは思わず考え込んでしまう。

(こいつ、こんな所で寝るなんて無防備過ぎるやろ!)

空いてる手で、額を抑える。

「折角会えたのになー。そうや、今から麻雀部の見学においでや」

良い事を思いついたかのように、怜は両手を叩く。

「え…私は…」

顔色を濁したまま、咲は答えない。
当然だ。
見学しても、目に映るものは何もないのだから。

200: 2013/12/19(木) 21:32:00.57 ID:uRcWxq5z0
「おい、怜」

「何や?」

「お前、気付いてないんか?」

「え?」

咲の目が見えない、ということに。

きょとんとしている怜に、わかってないなと確信する。
気付いていないのなら、伝えるべきだろうか。
だが何て言う?本人の前だぞ?

セーラが迷っている間に、咲が一歩、距離を縮めてきた。

「折角だけど、それは出来ないんです」

顔を上げ、咲は怜にハッキリと告げる。

「行っても私には何も見えないから」

ね?と杖でこつこつ地面を叩く。

「これが無いと、学校を歩く事も出来ないんです」

「そっか…咲は目が…」

小さく呟く怜に、セーラはそっと嘆息した。
さすがに今日は、これ以上咲にしつこくしないだろう。
もう怜を連れて部室に戻ろうとする。

しかし、

「痛くないん?」

「怜!?お前、何やっとるんや!?」

怜は咲の顔に手を伸ばし、そっと目の辺りに触れた。
触れられた咲の方は、一体何が起きたのかと目を瞬かせる。

「えっ、別に痛みはないですけど」

「痛くはないんや。良かったわ」

201: 2013/12/19(木) 21:34:35.02 ID:uRcWxq5z0
にこっと怜は笑って、杖を持ってない咲の手を掴む。

「これが私の顔や」

そう言って、眉に瞼に鼻に唇に触れさせる。
怜の行動に驚いて、セーラも咲も動けない。

「覚えておいてな」

「え、はい…」

怜はゆっくりと咲の手を離した。

「変な人ですね」

くすっと咲は笑う。

「こんなことされたの、初めてです」

「だって私の事、覚えて欲しいからな」

怜も笑う。

「だから、忘れんといてな」

こくんと咲は頷いた。

「また今度、お昼寝しよな。部活の無い時に」


「…怜、もう加減部活行くで!」

「えー。セーラはせっかちやなー」

抵抗する怜を、今度こそセーラは引き摺って行く。

セーラも咲に何か一言声を掛けようかと思ったけれど、何も出てこない。
ただ黙って背中を見送るだけだ。

折角、会えたのに。
ろくに話も出来なかった。

それもこれも怜のせいだと、腕を掴んでる手に力を込める。
痛いなあと怜が抗議しても、放してやらずにいた。


――――

206: 2013/12/26(木) 20:43:19.85 ID:VAkC7Elx0

――――


「なあなあセーラ。勝負しようや、勝負!」

「アホ!今は部活中やろ」

妙に機嫌の悪いセーラと対照的な怜。
何事かと他の部員達の関心を集めていた。

「ちょっとだけならええやん、ケチ」

「うっさい。とっとと練習メニューせいや」

「つまらんなー。私が勝ったら咲のこと色々教えてもらおう思ったのに」

とんでもないことを口にして、怜はくるりと身を翻した。
しまったとセーラが思った時には、遅い。
ずっとこちらを気にしていた竜華の耳に、しっかり聞こえてしまったようだ。

207: 2013/12/26(木) 20:46:24.94 ID:VAkC7Elx0
「怜、今咲って言うた?」

「ああ、言うたけど。それがどうないしたん?」

すかさず怜に問い詰める竜華。
また鬱陶しい展開になりそうだ。セーラはうんざりして顔を背けた。

「咲と会うたん?いつ、どこで?」

「え?さっき。中庭のベンチで。…って竜華も咲の知り合いなん?」

「ああ、そうやで」

「マジで?竜華、咲といつの間に知り合ったん?私そんなの聞いてないで」

どうやら自分より先に咲のことを知っていたのが、気に入らないらしい。
問い詰めるような口調の怜に、竜華は苦笑した。

「偶然や、偶然。うちかて友達になったのは最近やし」

「ふーん。じゃ、セーラは?なんで咲と知り合いなんか、竜華は聞いてるん?」

「いや、全く」

208: 2013/12/26(木) 20:49:59.21 ID:VAkC7Elx0
雅枝絡みじゃないかという噂は黙っていることにした。
監督に頼まれて、咲の面倒をみている。
それならセーラが懇意にしているというのも、すんなりと納得できる。

できるけど…セーラの態度は誰かに頼まれてしているようなものではない。

個人的に咲を気に掛けている。

竜華の目にはそんな風に映っていた。
ただ、何故セーラが咲に興味を持ったのかまではわからない。

「うーん。直接聞いても教えてくれへんし…」

「怜は?さっき初めて会うたんか?」

「ああ。せやで」

こくっと怜は頷く。

「その初めて会うた子を、なんでそんなに気にするん?理由を聞いてもええ?」

209: 2013/12/26(木) 20:52:57.87 ID:VAkC7Elx0
「なんでやろ…」

腕組みをして、怜は考え込む。

「気持ち良さそうに寝てた顔が可愛かったんも、あるけど」

寝顔を見たのか?
一体何してたんだと言いたいのを、竜華はじっと我慢する。

「さっきな。私、部活の見学に来たら?って言っちゃったんや」

「怜…。咲は目が」

「ああ。私、気がついてなくてな。すぐに、咲が教えてくれてん。
『私には何も見えないから』って。あの子、さらっと言ったんや」

くしゃっと怜は髪をかきあげる。

「だけど辛そうに見えた。本人はそれを気付かせないようにしているつもりやろうけど。
無理して強がってる。竜華は、そう思わん?」

「せやな…」

210: 2013/12/26(木) 20:55:42.66 ID:VAkC7Elx0
怜の言う通りだった。
いつでもぴんと張った背中。
精一杯強くみせているつもりだけど、いつか折れそうで怖い。

「咲は笑っている顔の方が絶対ええやろうな、と思ってん」

「…うん」

「私、もっと仲良くなって楽しいこと沢山教えてあげたいわ!」

「ちょっ、怜それは」

うちがやるからええよ。
言う前に、怜は端の卓へと行ってしまった。

「さー、やるでー!かかって来いや!」

「園城寺先輩…勘弁してくださいよ」

無駄にやる気になっている怜に、竜華はしょうがないやっちゃなあ、と嘆息した。


――――

211: 2013/12/26(木) 20:59:01.84 ID:VAkC7Elx0

――――

授業終了と共に、それはやって来た。
予告も無く、突然に。

「咲、おるかー!?」

急に名前を呼ばれ、ガタっと咲は椅子から落ちそうになる。

「あ、おったおった」

ぽかんとする咲のところへ、怜は近寄っていった。

「咲、やっと会えたな」

「園城寺、さん?」

「えー、怜って呼んでくれへんの?」

竜華と同じようなことを言われ、ただ戸惑うだけだ。

絶対また会おう、と言っていたけどこんな風に訪ねてくるなんて。
昨日会った時にも感じたけれど、思ったことをそのまま行動している人だ。
裏表が無いことは、わかるけれど。

212: 2013/12/26(木) 21:02:59.28 ID:VAkC7Elx0
「なあ、あれって麻雀部の園城寺先輩やんな?」

「何の用事やろ」

「あの二人、どういう関係?」

そんな囁きまで聞こえ、居たたまれなくなる。

「なー、咲。聞こえとる?」

「聞こえてます」

とにかく教室から、出てしまいたい。
好奇心一杯な声が聞こえないところまで。

そう思って、咲は杖を掴む。

「咲?」

慌しい咲の動きに、怜は首を傾げた。

「園城寺先輩、こんにちは」

「おお、泉か。咲と同じクラスやったんやな」

「はい。お先に部活行きます。咲、また明日な」

「あ、うん。バイバイ泉ちゃん」

事情も聞かず、泉は教室から出て行ってしまう。
あれこれ詮索しない泉にほっとしながらも、
咲は明日、顔を合わせる時にどう言おうか考える。

麻雀部の先輩が何故盲目の自分と関わっているのか。
こんな教室まで来て、変に思われてるに決まってる。
勿論、ただの知り合いだと言うしかない。

(本当のことだし…)

ハァと溜息をついて、咲は鞄を手に持つ。

213: 2013/12/26(木) 21:05:35.38 ID:VAkC7Elx0
「ちょっと、外に出ましょう」

「うん」

促すと、怜は素直に咲の後をついてくた。

「竜華に咲のクラス聞いたんや。最初なかなか教えてもらえなくてなー。しつこく付きまとってやっと聞き出したわ」

大変だったわ、と怜は笑う。

「あの。私に何か用なんですか?」

人のクラスに押し掛けて来たからには、急用か何かだろう。
だけど怜の回答は、全く予想とは違っていた。

「あ、うん。咲とお昼寝しようと思ってな」

「へ?」

暢気な言葉に、咲は一瞬足を止める。

「昨日のベンチより、良い場所知ってるんや。誰もいない特等席やで」

どうや?と言われ、脱力する。
そんなことで大声を上げて、教室に乗り込んで来たのか。

「だったら、こそっと声を掛けてくれれば良かったのに…」

214: 2013/12/26(木) 21:07:55.73 ID:VAkC7Elx0
つい、非難めいた口調が出てしまった。

「ああ、煩かった?ごめんなー。でも別にこそこそせんでもええんやない?」

「だって、園城寺さんと私は別に部活の先輩・後輩でもないのに」

何の関係の無い人。
親しげにされて、戸惑うばかりだ。

それにセーラと、竜華も。

麻雀部に関係する人物ばかりというのも、偶然にしては出来過ぎている。
それに裏があると勘繰る人がいないとも限らない。
実際は(多分)何も無いのだが。

「変って?友達になるのに、同じ部活じゃなきゃいけないなんて聞いたことないで?」

「そういう意味じゃないけど…」

咲も、ふと考えてしまう時がある。

実は雅枝に頼まれて、面倒をみているんじゃないかって。
竜華も怜も部長であるセーラの言うことを聞いて、仲良くしてくれようとしているだけじゃないのか。

それが真実なら、ヒドイ侮辱になる。
今すぐに離れていって欲しい。
そんな義務なんて必要無い。

215: 2013/12/26(木) 21:11:18.04 ID:VAkC7Elx0
「私な。咲の事気に入ってん。先輩・後輩とか関係無しに一緒にいたい」

とても演技には聞こえない声が聞こえる。
優しく暖かな響きだ。

「だめかな?」

きゅっと袖を怜が掴んでくる。

「だめとかじゃないけど」

「それなら、友達になってもええ?」

「は、い…」

懇願されて、咲は結局頷いてしまった。

「あー、良かったわ!だめだって言われたら泣くところやったで!」

「そんな、大袈裟な」

誰かに頼まれて、こんな嬉しそうな声を出すわけがない。
一瞬でも疑ったことを心で謝罪して、咲も小さく笑い返した。

「それじゃさっそくお昼寝しに行こか」

「あ、それなんだけど今日は無理です」

怜のお誘いに、きっぱりと首を振る。
そう。今日だけは無理だ。

「なんでやー?」

不満全開の怜の声に、理由を口にする。

「病院に行くから」

そう。こればかりは行かなければいけない。

「え、病院?」

恐る恐るといった怜の声に、安心させるように説明をする。

「はい、定期的な検査。簡単なものだけど、ちゃんと行かないと」

「そっか。注射とか痛いことするかと思って、心配したわ」

「平気です」

216: 2013/12/26(木) 21:15:12.44 ID:VAkC7Elx0
たしかに平気だ。痛いコトは一つも無い。
それよりも、こんな状態がいつまで続くか不安なだけ。

ねえ。
いつになったら、私の目は治るの?

「本当、平気ですから」

「咲」

袖を掴んでた怜が、杖を持ってない方の手をぎゅっと握る。

「あのな、咲。そんな風に言わなくてもええねんで」

「え?」

「私の前では無理せんといて。強がってばかりだと、咲がいつか消えちゃいそうで怖いんや」

「園城寺さん…」

怜の手が軽く汗ばむのがわかる。
それでも繋いだまま、ゆっくりと歩いて行く。

「勝手なことばっかり言ってると聞き流してくれてもええ。でも、私には強がり言わんといて」

「どうして、ですか?」

昨日今日会ったばかりの人に、と咲は腑に落ちない顔をする。
そこまで言われる程、親しくないというのに。

「なんでやろなー。それは私にもわからんわ」

「は?」

聞いているのはこっちだ。

うーん、と唸った後、怜は「あ!」と声を出す。

217: 2013/12/26(木) 21:17:19.61 ID:VAkC7Elx0
「きっと咲のことが好きだからや」

「え」

「うん、きっとそうや。でなきゃこんな風にお昼寝に誘いに来ないし。
気持ち良さそうな寝顔見てて、咲と近付けたらええなーって思っててん」

「園城寺さん?」

「咲とな、友達になりたい。なー、ええよな?」

押し切られる形で頷いてしまう。
怜はやったー!なんて喜んでいるけど。

(よく、わからないな)

寝顔見ただけで、友達になりたいとはどういう感覚だ。
怜のそういうところは理解出来ないかも、と咲は首を捻った。

とにかく自分は気に入られたってことはわかる。
それも、ものすごく。

強がらなくてもいいと言われたのは、はじめてだ。

普通なら、本音を見抜かれたことにもっと意地を張って違うと否定するところだ。
でも、怜には。

(なんか、普通に「うん」て言っちゃうんだよね)

素直で裏表無い怜の前だからか。
不思議だ、と咲は改めて思った。

218: 2013/12/26(木) 21:19:42.55 ID:VAkC7Elx0
いいって言っているのに、怜は校門まで送ってくれた。

「咲、また明日な」

「はい。また明日」

ほんならなー!と怜の声が響く。

(また周囲に聞えるような声出しているし)

けど、やめろとは言わない。
怜が精一杯送り出そうとしている気持ちがわかるからだ。


泉には、明日ちゃんと話をしよう。
説明して、わかってもらえなくても構わない。


『先輩・後輩とか関係無しに一緒にいたい』

『咲の一人で立とうとするところが気に入ったんや。それだけじゃあかんか?』


本当は、嬉しかった。
自分のことを認めてくれる人達に会えたこと。

大事なのはそれだけだ。
たしかに人の目を気にしているなんて、自分らしくない。

怜も竜華も咲と友達になりたいと言ってくれて、それを承諾したのだから堂々としてればいい。

「友達、か…」

足取りはいつもよりずっと軽い感じがした。

――――

224: 2014/01/08(水) 19:05:09.09 ID:WLA4PJy70
翌朝、咲が教室に入るとすぐに、話し声がしていた一角が静かになった。

なんだろう?
少し気になったが、すぐに席について鞄から教科書を取り出し始める。

どうせ自分とは関係の無いことだ。
考えてもしょうがないと、咲が思っている間に何人かの生徒が席の近くへと移動して来た。

「何か用?」

足音を立てずに歩いても、小さな音は耳に届いていた。
視界が塞がっている分、聴覚は常よりも敏感になっている。

わからないとでも、思っていたのだろう。
咲から口を利いたことで、連中は動揺したようだ。

数秒間怯んでいたが、すぐに啖呵を切り始める。

「あんたのせいで迷惑してるって自覚、あるんか?」

「そうそう。大人しくしてりゃいいのに、あちこちに媚び売って味方を増やそうとする辺りズルイよな」

ダンっと大きく音を立てて、咲は鞄を机に振り落とす。

「文句があるならハッキリ言えばいいでしょ」

一瞬静かになった連中は、すぐに「怖わー」と笑い出した。

「いいよな。あんたは泣きつけば、誰かが助けてくれるから」

「愛宕先生と江口先輩。この二人を味方につけておけば、怖いもの無いからな。どうやって取り入ったんや」

「その上また違う先輩まで迎えに来てもらってるようやしな」

「麻雀部全員に守ってもらうつもりか?人数多いから、ほんと不自由しないよな」

次々と吐き出される勝手な言葉に、咲は感情を抑えることが出来なくなっていく。
声を荒げて、反論する。

225: 2014/01/08(水) 19:08:23.37 ID:WLA4PJy70
「私は、泣きついたことなんか一度だって無い」

「泣きついたんやろ!おかげで先輩に睨まれて、部活に出れなくなったやないか!」

「なに…何の話?」

覚えの無い言い掛かりに、なんのことかと尋ねる。

しかしその対応に腹を立てたようで、

「とぼけるなや!」

怒鳴り声と共に胸倉を掴まれる。

だけど咲には理解出来ない。
本当に何のことかわからない。

もしかしてと思い当たるのは、杖を取り返してくれたセーラのこと。
何かしたのだろうか。
そんな追い込むまでのこと…。


「咲!?皆で咲に何やってるんや!」

どうやら朝練が終わって来たらしい。
泉の叫びが聞こえる。

「うっさいな!引っ込んでろや」

「イヤや!咲から手を離すんや!」

「あんたから先に殴られたいんか!?」

胸倉を掴んでいた手が、乱暴に離れる。
その生徒が、泉の方へ行こうとするのが気配でわかる。


自分の代わりに、泉が殴られてしまう。

止めようと、咲の手が宙を掴んだ。

でも見えない。

止めなくちゃいけないのに。

226: 2014/01/08(水) 19:11:13.35 ID:WLA4PJy70
「…くっ」

不安定な体が、机にぶつかってふらついてしまった。

(こんな大事な時に、どうして見えないの。目さえ元通りなら…)

「覚悟してるやろうな」

泉の前に奴らが立った瞬間、

「お前達、何しているんや!」

先生、と放心したような泉の声が聞こえる。
どうやら担任が登場したらしい。

「皆、席につけ。だがお前達はすぐに指導室に来るように」

静かに担任の声が響き、咲はほっと息をついた。



「もしかして、私のせいかもしれへん」

結局、咲が泉と話をすることが出来たのは、3時間目の授業が終わった後になった。
それまで一人一人呼び出されて、休憩時間に話も出来なかった。

とりあえず殴られなかったと聞いて、安堵する。

ほっとした咲の表情に、泉は笑った。

「泉ちゃんのせいって…それは一体?」

つまらない諍いだと、担任には説明した。
他の連中がどう言ったかは知らないが、咲は自分のせいで大事になってほしくなかったので、別に問題ないとも証言した。

これで通るとは、最初は思わなかったが、

「宮永の意見を聞いて、今回はそういうことにしておこう」

恐らく雅枝に頼まれたのだろうとも思うが、
担任は咲のことをちゃんと見ていて理解しようとしてくれてる。
生真面目過ぎるところがあるが、良い先生だと咲は思っていた。

有難うございます、と頭を下げて、指導室を後にした。

教室に戻った時、先に解放された連中もいたがもう絡んでは来なかった。

(まだ不満は抱えているだろうけど)

泣きついた等の言葉に、何があったのか咲は知りたかった。

227: 2014/01/08(水) 19:16:14.50 ID:WLA4PJy70
「あんな…咲。あいつらに杖を取られたこと、あったよな?」

「え?あ、うん…」

何故知っているのだと考え、すぐに答えは出た。
麻雀部として、二人と繋がりのある人物。

「江口さんに聞いたんだ?」

あっさりと泉は認めた。

「せや。急に部室に来たと思ったら、咲と同じクラスの奴はいるかって調べ出して」

そんなことしてたのか。
頭を抱えそうになる咲の前で、泉は続きを話す。

「咲の杖がなくなった、心当たりはないかって。で、あの日咲ともめてた奴らのこと話したら、部長、すぐに飛び出して行ってん」

「…そう」

そんな必氏になってくれていたとは。
あの時は自分から一方的に避けていた頃だ。
なのに、どうしてそこまでしてくれたのか。

「なんかな。噂なんやけど、茶道部に乗り込んで問い詰めたらしいで。さっき咲を殴ろうとした奴、茶道部やから」

「それで…」

「せや。江口部長を敵に回すと怖いからな。
きっと茶道部の先輩達が、そんな後輩に対して嫌がらせしたのかもしれへんな」

部活に出れなくなったと、たしかに言っていた。
セーラの対応を見て、部全体が睨まれたら困る。
問題のある奴の排除をするようにした。その可能性は高い。

「だったら結局、私のせいか…」

「咲?」

「私が気に入らないから、絡んでくるんでしょ。…泉ちゃんを、巻き込んでごめん」

項垂れる咲に、泉は慌て始める。

「そんな風に思わんといて!私は気にしてへんから。それに人の杖を隠したり、悪いのは全部あいつらなんやし」

一生懸命な泉に、咲はありがとうと告げた。

228: 2014/01/08(水) 19:18:25.70 ID:WLA4PJy70
「後、江口さんのことだけど…」

「部長?」

「なんか知ってるってこと、言い出せなくてごめんね」

部長を崇拝している泉に、セーラと知り合いだとなかなか言い出せずにいたのだが。

「ええで。そんなこと」

心配は、あっさりと流される。

「同じ校内なんやし、どこかで知り合って友達になることだってあるやろ」

「うん…」

昨日からどう説明しようか考えていたことは、もう解決してしまった。

こんな簡単なことだったんだ。
自分ばかりが、変に気にし過ぎていたようだ。

(それとも、泉ちゃんだからかな)

きっと泉だから、こんな風に受け入れてくれるのだろう。

「でも江口さんが友達かどうかは微妙なんだけど」

怜も竜華も友達だと言ってくれた。
でもセーラと自分はどういう関係なのか、ハッキリしてない。

「それにあの人、愛宕先生に頼まれただけかもしれないし。
あ、先生は私の親と知り合いなの。それでこの学園に入ることを勧めてくれた。
みんなが噂するようなことは、何も無いよ。本当に」

ついでに雅枝のことも説明して、咲はふぅっと息を吐く。
これで大体話したことになるだろう。

黙って聞いていた泉は、沈黙の後、遠慮がちに口を開いた。

「咲。部長が監督に頼まれたから、気に掛けてくれてると思ってるん?」

「わからないけど。そうでなきゃ、私を気にかけてくれる理由もないし」

けれど、

「違うと思うで」

「違う?」

泉は頷いた。

229: 2014/01/08(水) 19:20:50.82 ID:WLA4PJy70
「咲の杖を探そうと、本当に部長、必氏やったんや。あの行動が誰かに言われてやったなんて、私には思えへん」

「そうなんだ…」

実際、見ているわけじゃないから咲にはわからない。
セーラの本心は、どこにあるのか。
この目と同じで見えない。

「本当は私も違うといいなって、思ってるよ」

小さく呟いた咲の言葉は、チャイムにかき消され泉の耳には届かなかった。


杖無しで歩こうとした自分に、本気で怒ったこと。
家まで手を引っ張ってくれたこと。
夕飯に誘ってくれたこと。
上着を貸してくれたこと。


あれが全部義務からだと言われたりしたら、
きっと悲しい。

もし、本当に義務なら。

もうこれ以上近付かないで。



――――

234: 2014/01/13(月) 19:59:59.92 ID:p9FKJ08Q0

――――


お昼休み。
セーラは一年生の教室の扉を、思い切りよく開けた。

一斉にこちらを向いた連中の動きが止まったが、気にせずに乗り込んでいく。
目指すは咲が座っている席だ。

「ちょっと、付き合ってくれや」

おむすびを持ってる咲の手をぐいっと引っ張る。
急に来たセーラに驚いたようで、咲はぽかんと口を開いた。

「江口さん!?って、今食べてるところなんですけど」

「それ持って来ればええやん。泉、宮永借りるけどええか?」

一緒に食べていた泉に声を掛ける。
泉は上擦った声で「ハイ」と返事する。

「…借りるって、人を物みたいに」

咲が文句言っている間に、セーラは机の上の弁当を手際良く片付けてやった。

「さあ、行くで」

「何なんですか、一体」

弁当をとられてしまったことを察し、咲は渋々立ち上がる。

235: 2014/01/13(月) 20:03:38.00 ID:p9FKJ08Q0
「その前に、や」

咲の手を引く前に、セーラは視線を隅へと向けた。

「そこのあんた」

この教室に入った時に、すぐ気付いた。

咲の杖を奪った、あの女子生徒。

ハッキリわかるように指差すと、ヒッっと小さな悲鳴が上がる。

怯えるくらいなら、つまらないことをしなければいいのに。
バカなことをするから、自分に跳ね返ってくる。

不愉快そうに、セーラは言葉を吐き捨てる。

「部の方には復帰出来るよう手配してあるから。今日からちゃんと顔を出しておけや。ええな」

「ハ…ハイ」

「これでもう不満は解消されたやろ?分かったらもう下らないことで、人に迷惑かけるなや」

「わ、分かりました…」

咲の方へ向いて、声を掛ける。

「行くで、宮永」

「はあ…」

訝しい声を出す咲の右手を掴んで、歩き始める。

振り払われないのを良いことに、麻雀部の資料室までそのままで歩いた。

236: 2014/01/13(月) 20:07:09.27 ID:p9FKJ08Q0
「で。いきなり人のクラスに来て、どういうことなんですか?」

扉を閉めると同時に、咲は声を上げた。
それをセーラは無視して、自分の分の食事をゆっくりと広げる。

「部の復帰とかって何なんですか?どうしてあなたがそんな事知っているんですか?」

「そうわめくなや。食べながら説明してやるから。ほら、座りや」

お腹がすいていると、聞ける話も聞けなくなるだろう。
そうセーラは配慮して咲の弁当も広げてやったが、憮然とたまま立って腕組みをしている。

「先に話して欲しいです」

「ハァ。わかったわ。だから、まず座ってくれや」

用意してたお茶を一口飲み、セーラは咲と向かい合わせになる形で座る。

「朝、あんたが立ち回った件なら色々噂になっとる。俺でなくても、知ってるやつはいるで」

「…そんなに、噂になってるんですか?」

「せやで」

当然言えないが、噂になる原因は咲にあった。

盲目で、監督の後ろ盾がある少女。
他のどの生徒よりも、話しは伝わり安い。

それ加え、セーラは咲の話に色々気を配っている。小さな話し、デマでさえいつも耳を傾けている。
だから竜華や怜よりも早く知ることができたのだ。

237: 2014/01/13(月) 20:09:57.67 ID:p9FKJ08Q0
原因も簡単に割り出せたから、すぐに動くことが出来た。
茶道部の部長を休み時間に呼び出し、問題の生徒をまた練習に参加させるよう説得した。

「今回のことは、俺にも責任あるみたいやからな。黙って見過ごすわけにはいかんやろ」

「…私には分かりません」

「何がや?」

「そこまでする理由って何ですか?ただの知り合いの私を、そんな風に気に掛けるものなんですか?」

焦点の合わない瞳が、一生懸命セーラを見据えようとさまよう。

(今、その目で俺を見ることができたなら。一体あんたには、どんな風に映るんやろう?)

不安な顔をしている咲の手を、そっと握ってみる。

「ただの知り合いなんか?」

「だって、そうじゃなかったら何ですか?」

言われて、返答に詰まる。

竜華や怜は友達だと言っていた。

(けど、違う)

前にも思ったけれど、そんな風な関係を望んでいる訳じゃない。

なら本当の望みは、何?

238: 2014/01/13(月) 20:15:09.87 ID:p9FKJ08Q0
「…俺にもわからへん」

「え?」

「だけどこれだけは分かる。俺はあんたが困っている状況を、ほっとけんらしい」

「それって、同情ですか?」

苦笑いする咲に、「違う!」と声を上げて否定する。

「同情やなんて、二度と言わんといてくれ。そんなもの無いって、どう言えば分かるんや…」

ぎゅっと手を握り締めると、咲は「ごめんなさい…」と小さな声を出して俯いた。

「俺はどうしても、宮永のことを放っておけんらしい。理由は分からへんけど…そういうのは迷惑か?」

「……」

口篭もる咲の手を握ったまま、セーラはじっと次の言葉を待った。

まだ今は本当に自分の気持ちすら見えない。
けど、咲を見守って行きたい心に偽りは無くて。

それだけは許して欲しいと、ただ手を握る。

「江口さんの負担にならないのなら、それでも良いです…」

「本当か?」

こくんと、咲は頷く。

「理由はわからなくても、江口さんが悪い人じゃないってことはもう分かってるから。
助けてくれて、ありがとうって…今もそう思ってます」

素直な咲の言葉と笑顔に、セーラは決まり悪そうに横を向いた。

(こいつ、無意識でやってるんよな)

今の顔も見られた訳じゃないのに、決まりが悪い。

話題を変える為に、こほんと咳払いをする。

「じゃあ、この話は終りやな」

「はい」

239: 2014/01/13(月) 20:17:10.66 ID:p9FKJ08Q0
「昼ご飯にするか。宮永が食べ損なったら大変やしな」

「中断させたのは誰ですか?」

むっとしつつも、咲は残りの弁当を勢いよく片付けていった。
細い体と反した食べっぷりに、少々感心してしまう。

「よく食うなあ」

「成長期なんで」

「さよか。…まだ食えるか?」

あんまりよく食べているので、足りないかと思い、
一口切り分けた肉をフォークで口まで運んでやる。

「あ、え?」

「ほら、口開けや」

反射的に開いた口へと、放りこむ。

「どうや?」

「…美味しい」

「こっちも食べるか?」

無防備に開けた口が可笑しくて、セーラは何度も何度も食べさせてやった。

「ごちそうさまです」

「満足したか?」

「はい。美味しかったです」

さすがに食べ過ぎたと、照れたように笑う咲の顔に見惚れてしまう。

くるくると変わる表情。いつまでも見ていたい。

今度、好きな食べ物をリサーチして、それを作ってまた昼を一緒にしよう。
こっそりと、決意した。

――――

240: 2014/01/13(月) 20:22:13.60 ID:p9FKJ08Q0

――――


一体、どういうことや?

咲の教室へ行こうと思っていた竜華は、
意外な組み合わせを見掛けてしまった。

セーラと、咲。

(何してんねん…)

今日のセーラの行動は、お昼休みには竜華の耳へ届いていた。

茶道部の部長を呼び出して、何をしたのか。

『部内で問題があった、それを咎められただけや』

茶道部部長の彼女は多くは語らない。
関わりたくないといったところか。

さすが名門麻雀部の部長、小さな揉め事でもご自分で解決されるんだと女子生徒は高い声でセーラを褒めていたが、
竜華はもっと別の理由があるのではないかと考えていた。

麻雀部部長だからといっても、セーラが他の部の問題に首突っ込むはずがない。
例え麻雀部内でも、自ら他人のことに口を挟むような真似はしないだろう。

今回、セーラは何故動いたのか?

(ひょっとして、咲が関係しているんやないか)

傍目には仲良く歩いてる二人を見て、竜華は考える。

今日の行動が全て咲の為だとしたら?

241: 2014/01/13(月) 20:23:42.52 ID:p9FKJ08Q0
少し前、セーラが茶道部に乗り込んだと聞いた。
その時、ある一年生を問い詰めたらしい。

その一年が気に入らないことでもしたのかと、思ったが。
もし咲に関係していることなら?

それとも一年生と聞いて、すぐに咲を連想するのは考え過ぎなのか。

しかし、あの盲目の生徒がクラスメイトと揉めたと言うのも聞いている。
それは、今日の出来事だ。


セーラが茶道部の部長を呼び出したこと。
その部長が問い詰めた一年生。
咲が揉めた相手。

関係無いとは言い切れない気がする。


保健室前で止まった二人に、思い切って声を掛けてみた。

「咲!偶然やな。どないしたん、怪我でもしたんか?」

「竜華…」

「竜華さん?」

ぴくっと体が揺れた咲の肩にそっと触れる。
セーラが睨みつけるが、気にせず咲に話しかける。

「保健室に何か用なんか?昼寝するっちゅうなら、添い寝したるで」

「何言うてんねん竜華」

さっと咲の手を掴み、セーラは竜華から距離を取らせた。

242: 2014/01/13(月) 20:26:32.33 ID:p9FKJ08Q0
「それから、そこどいてくれ。扉の前に立っていたら宮永が入れんやろ」

「何や、偉そうに。って咲。ほんまに昼寝するん?」

「いえ、昼寝ではなくて。次体育だからここで授業が終わるの待つことになってるんです」

ガードしているセーラが見えてないせいか、咲は普通に竜華へ説明をする。

「ほなうちも次の時間はここで」

「さぼるつもりか?担任に報告させてもらうで」

過ごそうかと、続く竜華の言葉は、セーラの鋭い視線によって飲み込まれた。

(セーラ、本気や!)

半分本気で授業をさぼろって咲と過ごそうかと思ったが、
そうはいかないらしい。

「はいはい、そこに立っていられると邪魔ですよ」

「先生!なあ、具合が悪いんや。ベッド貸してくれへん?」

席をはずしていた保険医が三人の間に入って来た。

当然、竜華のウソを聞き流し、

「何言ってるの、具合が悪いのなら愛宕先生に部活に出られないって伝えるわよ」

と言われてしまう。

「宮永さんは体育の時間だったわね。どうぞ、入って」

「あ、はい」

「うちとの対応とズイブン差があるやんか」

「当たり前でしょ。あなた達は次の授業があるんだから、さあ帰った帰った」

タイミング良く、予鈴が鳴り響く。

243: 2014/01/13(月) 20:29:19.38 ID:p9FKJ08Q0
「しゃあないわ。またな、咲」

「あら?清水谷さん。宮永さんとお知り合いなの?」

「友達になったところや。なあ、咲」

「はあ…」

複雑そうな顔をする咲に、セーラも「じゃあな」と声を掛ける。

「あ、はい。今日は、ありがとうございました」

セーラとも友達なの?と視線を送る先生に、「失礼します」とセーラはさっさと廊下を歩き始める。

「ちょお、セーラ。待ってや」

慌てて竜華もセーラの後を追い掛ける。

「咲と何があったん?あんた、今まで一緒やったんか?」

不可解なセーラの行動。
礼を言ってた咲。

やっぱり今日の出来事は、全部咲に繋がるんじゃないのか。

そんな目でセーラの横顔を眺める。

「竜華に何の関係があるんや?宮永の友達やからって、話す必要なんかないやろ」

竜華の方を向きもせず、セーラは前を見たまま言い捨てたが。

「咲が今日クラスメイトと揉めたって聞いて…。もしその件であんたが動いたなら、 うちかてじっとしとれへん。何かしたいんや。わかるやろ?」

聞いているのかいないのか、セーラはじっと険しい顔をしたまま前を見詰める。

244: 2014/01/13(月) 20:31:33.80 ID:p9FKJ08Q0
(あかんわ、喋る気無いみたいや)

分かってたけど、と竜華は肩を落とす。

知らない間にセーラが動いて、全部終わってしまったことに今更ながら後悔する。

(ちょっとだけでも、支えになってやりたい思うてたのにな)

「興味本位で宮永に近付いている訳やないやろな」

「は?」

気が付いたら、もうセーラのクラスの前まで来ていた。

扉に手を掛け、セーラは背中を向けたまま呟く。

「もしそうやとしたら、もう近付くな。わかったな」

「セーラ?」

さっとセーラは教室に入って行ってしまう。

「なんやの、一体…」

興味本位って、と竜華は呟く。

本鈴が鳴るまで、しばらくそこに立ち尽くしていた。


――――

245: 2014/01/13(月) 20:35:06.95 ID:p9FKJ08Q0

――――


「うーん、わからんな」

「清水谷先輩、いい加減集中してください。大会前なんですから」

浩子の声を無視したまま、竜華はセーラを観察していた。

結局、あの後咲とは会っていない。

保健室から帰るところを捕まえることも出来ただろうが、
それをしなかったのはお昼休みに聞いたセーラの言葉の所為。

(興味本位か…)

あんなことを言われるなんて思わなかった。

セーラは本気で咲のことを気遣っているようだった。

雅枝に頼まれたからだと推測していたのは、どうやら違うらしいと、やっと理解する。


「清水谷先輩!聞こえているんですか!?」

上の空の竜華に、浩子はいい加減痺れを切らして声を荒げる。

「あ…?」

「さっきから見ていれば、江口部長の方ばかり視線送って。まさか、部長に気があるんじゃ…」

「んなわけないやろ!」

思わず立ち上がって、竜華は叫んでしまう。

しん、と一瞬周囲が静まる。
そこで二人は視線を集めたことに気付いた。

246: 2014/01/13(月) 20:37:29.83 ID:p9FKJ08Q0
「お前ら、何さぼってるんや?」

腕を組んだセーラが二人のいる方へ歩き、低い声を出した。
目が、怖い。

「私はサボってません。清水谷先輩だけです」

「うちだけかい!」

「とにかく、大会も近いんや。ちゃんと練習に集中せいや」

竜華に釘を刺したセーラが、元いた卓へと戻っていく。

セーラが監督絡みでなく、本気で咲を気にかけているのは分かった。
そして、何故か自分もセーラと同様に、咲に気を配っている。

でも本心から咲の為に動いているなら、構わないはずだ。
同じように咲を心配し、僅かながら力を貸す。

竜華とセーラ、どちらが手を貸そうが、咲の負担が軽くなるのは同じ。
そう、その時近くにいる者がやればいい。


(けど、なんやろうな。この割り切れん気持ちは)

いつでも頼ってと約束したのに。

自分の知らない所で、何かに巻き込まれてそれでも助けを求めない咲が目に浮かぶ。

知らなかったからと言い訳にもならない。

「セーラよりも、先に手を貸してやりたかったんやけどな…」

竜華の細い呟きは、誰にも聞こえることはなかった。


――――

255: 2014/01/19(日) 19:42:38.57 ID:eg9oQLlP0

――――


当然のように遅れて部室に入ってきた怜に、セーラは目を吊り上げた。

「お前なぁ…またどこかで昼寝してきたんやろ。大会も前に、少しは気合入れろや」

「はいはい」

セーラの言葉を聞き流すかの様に、怜は欠伸を一つする。

「結局、咲にも会えんかったし、ついてないわ」

怜の呟きが聞こえ、セーラはぎょっと目を見開いた。

(あいつ、ただ昼寝して遅れたかと思っていたら宮永を探していたんか)

どうやら今日は会えないまま部活に顔を出したらしいけれど、
明日は顔を合わせるかもしれない。

(浩子に、怜のクラスまで迎えに行かせるか)

ごねたら、大会が近い間は練習の強化をするとか適当に言い含めて連れてこれば良いだろう。
レギュラーが毎日遅刻してばかりでは、他の部員に示しがつかないから仕方ないことなのだ。

決して、知らないところで咲が怜と仲良くなるのが面白くないからとかそういう訳じゃない。
多分。

誰も聞いていないのに一人で言い訳じみたことを考える自分に気付き、苦笑する。

(宮永が現れてからというもの、どうにも調子が狂っている気がするな…)

しかし決してイヤな気分ではない。
むしろ、心地良いような気持ちだ。

何故だろう。

咲は今までにない感情を与えてくれているようだ。
それが何かは、まだわからないけれど。

256: 2014/01/19(日) 19:45:48.33 ID:eg9oQLlP0
「江口」

慌てて振り返る。

今の声は、遅れてくると聞いていた監督のものだったからだ。
部室の喧騒が、一瞬で静かになる。

「話がある。…他の者は練習を続けるように」

着いて来いというように、背中を向け雅枝は歩き出してしまった。

動きを止めてた部員達は、監督の指示に一斉に動き出す。

その中でセーラだけは牌を置いて、先へと歩く雅枝を追った。


「どういうつもりや」

完全に人気の無い中庭まで出て、雅はようやく振り返った。

全部知っていると、セーラは一瞬で悟る。
嘘もごまかしも許さないといった、雅枝の表情にさすがに怯むが、目は逸らさず答える。

「何のことですか、監督?」

「宮永のことや。私が何も知らないとでも思っているんか?」

今日取った行動は、やはり雅枝に筒抜けだったようだ。
いずれは耳に入るとは思っていたが、こんな風に直接聞いてくるとは予想しなかった。


’盲目の少女の入学には、雅枝が関わっている’

その噂を知ってるだろうから、表立って咲の名前を出してくることは無いとタカを括っていた。
けど、それは勘違いだった。

雅枝は全部理解した上で、問い質しにやって来た。

257: 2014/01/19(日) 19:48:54.72 ID:eg9oQLlP0
たしかに今日の嫌がらせは、セーラが以前取った行動によって起きたものだ。
乗り込みなんて真似したせいで、あの一年は部を追われることになったのだ。

そして咲に怒りの矛先を向けるとは予測出来なかったとは、言い訳にもならない。それは認める。
もっと上手いやり方があったはずだ。

けれどあの時は、頭に血が上って我慢出来なかった。
杖を取られ、手探りしながら壁を伝って歩く咲を見て、セーラは完全に冷静さを失った。

雅枝はそれを咎めているのだと、セーラはようやく理解した。

「心配するような事は、何もしてません。問題なら全て片付きました」

真っ直ぐに雅枝の目を見て、セーラは答えた。

(問題がこの先起きても、全部片付けたる。全部、俺の手で)

引くつもりは勿論無い。

「そうか、あんたが言うのなら信じよう」

セーラの態度に強固なものを、雅枝は感じたのかあっさりとそんな風に言われてしまう。
ほっとしたのもつかの間、雅枝の目が鋭く光った。

「だが宮永をむやみに不安にさせたり、混乱させるような真似はするな。
勿論、傷付けるようなことも許さない。私が言いたいのは、それだけや」

話はそれだけだ、と雅枝はセーラに背中を向ける。

(必要以上に関わるなと、釘を刺したつもりか?)

「ハイ、失礼しました」

一切の質問を受け付けない、そんな背中に礼をして、セーラはその場から離れる。


監督から警告に受けても、もう遅い。
多分この先も、盲目の少女に関わってしまうだろう。
自分から、進んで。

混乱や不安、そんなもの宮永に与えるものか。
寧ろ心配なのは、自分のいない所で彼女が助けを求めず歩いて行こうとすることだ。

もう、あんな宮永の姿は見たくない。
もしまた杖を失っても、必ず探し出して手を伸ばしてやる。

258: 2014/01/19(日) 19:51:43.91 ID:eg9oQLlP0
(あの様子だと、言っても聞かんようやな)

セーラが行った後も、雅枝は咲とセーラのことを考えていた。

どこでどう二人が知り合ったのか、雅枝は知らない。

ただ杖の件も今回のことも、報告は受けている。
セーラが出なくても、雅枝は裏から手を回し咲を助けるつもりでいたが。
まさか、こんなことになるとは思ってもみなかった。

一体、宮永との間にどんな利益があるのか。
それとも無償で心を砕いているのか?
ビデオの件で興味を持っている?
だから近付いて、何があったか聞きだそうとしているとか。

だが、悪いようには見えない。
セーラの言葉や態度からそれくらいはわかっていた。

けれど。
咲は盲目になったことで相当気が張っている。
無理な強がりをしている位、とっくに気付いていた。

今は、目を治す事だけを考えて欲しい。それだけだ。

(面倒なことに巻き込まれなければええんやが…)

もしセーラが咲の為にならないというのなら、いつでも引き剥がす覚悟でいた。

(そうならないことを、祈るしかないか)

セーラは良い方向に変わってるように見えた。
最近、咲も学校が楽しそうだと聞いている。

お互い、悲しむようなことさえなければそれで良い。

(今は見守るだけ)

それしか出来ないこと位、雅枝は理解していた。

259: 2014/01/19(日) 19:55:35.72 ID:eg9oQLlP0

――――


「江口部長、あの後監督にしぼられたんでしょうか」

部活終了後。
竜華に向かって、浩子は小声で囁く。

皆、気にしていた今日の出来事。

監督にセーラが呼ばれるのはよくあることだ。
それは部員達への指示なのだから、不自然でもなんでもない。

でも、今日の監督の印象はいつもと違った。

浩子が言うように、監督がセーラに対して怒ってると見えても仕方ない感じだった。

「さあな。セーラが怒られるようなヘマするとは、思えへんけど」

「では何でしょう。ひょっとして他の部員が何か問題起こしたから、その責任を取れとか?」

なんだろうと唸ってる浩子から顔を背け、竜華はセーラと咲のことを考えていた。

(監督がセーラを呼び出したのは、今日の一連の出来事の所為かな?
咲の為に動いたこと、監督の耳にも届いてるやろうし)

昼休みに見たセーラと咲の様子から見ても、確定している。

やっぱりセーラは監督に頼まれたから咲を庇っているわけじゃない。


(興味本位か)

たしかにセーラが入れこんでいたのを見て、咲に近付く気になった。
愛宕監督という後ろ盾を得た少女と歩いているから、てっきり裏で何か取引でもあったかと思っていた。
おもしろそうだと好奇心が働き、咲に話し掛けたけれど。

(今は違う)

セーラにだって負けないくらい、彼女の力になってやりたいと考えている。

260: 2014/01/19(日) 19:57:34.69 ID:eg9oQLlP0
「園城寺先輩は、どう思います?」

「さあなー」

浩子は次に、怜へ声を掛ける。
が、眠そうに欠伸交じりで怜は答えた。

「しかし原因はなんでしょうね。ひょっとしてあの一年を怒らせるようなことでもしたんでしょうか?」

「浩子」

竜華は素早く浩子の腕を引っ張ったが、
怜はしっかりと聞いていた。

「あの一年って?セーラが一年生になにかしたん?」

「ほら、監督が入学させた宮永咲です。江口部長、あの子の面倒見てるんでしょう?
だから彼女の機嫌を損ねたら、部長といえどもまずいことになるんじゃないかって」

「咲がそんな告げ口する訳ないわ!」

「え?」

怜の剣幕に、浩子は目を見開く。

「きっと別のことや。セーラが勝手にへまやったんや!」

「え、あの」

「怜。やめや」

怜と浩子の間に竜華は割って入った。

「咲が告げ口するような子じゃないこと位、わかっとる。けどあんたが反論してもどうにもならんやろ」

「でも」

「事情がわからん人から見たら、そういう見解もあるっちゅうことや。
いちいちムキになったらあかん。咲が聞いたらどう思う?」

咲のことを持ち出すと、さすがに怜も黙り込んだ。

(効き目は絶大やな)

怜も相当咲を気に入ってるようだ。

知らない間にどんな話をして仲良くなったか、気になる。

261: 2014/01/19(日) 19:59:18.17 ID:eg9oQLlP0
「なあ、竜華」

「何や?」

「セーラって、監督の命令で咲の面倒みてるん?」

さっきの浩子の言葉を気にしていたらしい。
小声で、問い掛けられる。

「私には、とてもそうは見えないんやけど」

「怜もなんか。うちも同じやで」

二人で顔を合わせて、頷く。

「じゃあそれだけ、セーラにとって咲が特別ってことなんかな?」

何気なく言った怜の言葉に、竜華はぎょっと目を見開く。

「計算も無く、純粋に咲の為に行動してるなら。セーラと咲が仲良くしてても文句はないけど」

「……」

「でも、やっぱりイヤやな。私が咲と一番仲良しになるんや!」

「へ?」

「せや!セーラになんか負けへんでー!」

「はあ…」

怜の行動も純粋だ。
咲を気に入って、仲良くしようとしているだけ。

監督とセーラの間で取引でもあったかと勘繰り、近付いた自分が一番不純だ。


『興味本位で宮永に近付いている訳やないやろな』

たしかにセーラに、あんなこと言われても返す言葉は無い。

(咲、ごめんな)

でも、今の気持はあの時と違うから。

262: 2014/01/19(日) 20:02:31.58 ID:eg9oQLlP0

――――


早く来てくれと、竜華は祈るように校門で待ち人を探していた。

朝練の解散の合図と共に、部室から猛ダッシュしてここまで来た。

今日だけは、セーラに邪魔されたくない。
飛び出した竜華をセーラは気にしてたようだけど、他の部員に話しかけられ捕まっていた。
あの様子なら、すぐにはこれないだろう。

(来た)

杖の音を立てながら、咲が歩いてくる。

「咲!」

名前を呼ばれ、咲はびくっと体を震わせてきょろきょろと辺りの様子を伺っている。

「ここや」

そっと竜華は腕に触れた。

「竜華さん。急に大声出すからびっくりしたじゃないですか」

「ごめんな。咲と会えた嬉しさから、つい」

ふっと、咲は笑う。
本気で怒っているわけでは無さそうだ。
それを見て、竜華は安心した。


『咲は笑っている方がええ』

前に怜が言った言葉だ。
自分もそう思う。

顔を見た途端、何を話したかったのか上手く言えずに、竜華はそのまま無言で咲の隣を歩く。

(セーラと一体、どういう知り合いなんや?)

(うちが何も知らなかったこと、セーラが知ってるのはなんで?)

これじゃまるでセーラに嫉妬しているみたいやな。
みっともないと、竜華は苦笑する。

嫉妬とは、少し違う。
けれど、悔しかった。

助けてやると勝手に誓っていた相手が、知らない所で問題に巻き込まれ、
手助けできないままで終わったこと。それをセーラがやってのけたこと。

それが悔しい。

263: 2014/01/19(日) 20:06:26.55 ID:eg9oQLlP0
沈黙のまま歩いていると、ぽつっと咲から口を開く。

「今日の竜華さん、静か」

「そうかな?」

「そうです。いつもなら息する暇のない位、喋っているくせに」

「息くらいしてるて」

「そういう風には聞こえないけど」

また会話が途切れてしまう。
どうしようかと、竜華は空を仰ぐ。
折角邪魔も入らなさそうなのに、言うべき言葉が出てこない。

「部活、大変だったんですか?」

どうやら咲は今日の練習で、竜華が疲れたと思っているらしい。

「毎日、レギュラーは沢山のメニューをこなすって聞いたけど」

「まあ、いつものことやから大したことないって」

「そうなんですか?」

「それより気に掛かっていることがあってな」


ごくっと唾をのんで、さり気なく竜華は話を切り出し始める。

「あんな、助けようと思っていた人がいたんや」

「はい」

「なのにうちはその子が困っとることを、気付かへんかった」

一方的だったけれど、たしかに約束したのに。

「他の人がどうにかしたんやけどな。本当はうちが手、貸してやりたかったんや」

あーあ、と溜息つく。

「それが気に掛かってること?」

「そうや。最初は興味本位で近付いたかもしれへん。
でも今は違う。だから余計に助けられへんかった自分に腹が立つねん」

「えっと、その人は竜華さんに助けを求めてないってことなんですよね?
なんでそこまで責任感じないといけないのかが、分からないんですけど」

うーん、と唸る咲に、竜華は苦笑した。

264: 2014/01/19(日) 20:08:13.75 ID:eg9oQLlP0
ただの独占欲かもしれない。
誰にも手を貸して欲しいと言わない咲に、いつでも一番に手を伸ばすのは自分でありたい。
そんな下らない、独占欲。

「ええんや。ちっぽけな自分に、落ち込んでいるだけやから」

「ふうん?」

コツコツと歩く杖の音が、不意に止む。

「咲?」

足を止めてしまった咲に竜華が一歩体を近付けると、手を伸ばされる。
手を差し出すと、華奢な咲の手がその手を掴んだ。

「竜華さんは良い人ですよ」

「咲」

ニコ、と盲目の少女は笑う。

「ちっぽけなんかじゃない。竜華さんはちゃんと他人のことを考えてあげられる人。
だからそんな風に言わなくてもいいです」

わかりました?と咲は手に力を込める。
どうやら、慰めてくれようとしているらしい。

「…咲がそういうのなら、この件で落ち込むのは止めるわ」

「はい」

咲にはちゃんと自分の言葉が届いていた。
助けられなかったことをいつまでも悔やんでも仕方ない。
そうだ。これから先はちゃんと手を伸ばしてやれば、いいのだから。

「セーラより、先にな」

「え?」

「なんでもない。行こか」

校舎の方へ顔を向けると、早歩きでこちらに向かって来るセーラが見えた。
どうやら部員達を振り切ったようだ。

また間に割って来るに違いない。
離されないように。竜華は咲の手を強く握り直した。


――――

271: 2014/01/25(土) 20:33:41.10 ID:OZRJ9NiD0

――――


本日のお昼休み。
怜は咲を誘いに1年生の教室にやって来た。

きょろっと教室を見渡し、咲がいることをまず確認する。
すると泉とお喋りしている様子が見えた。

(いたわ、良かった)

すぐ近くにいた子に、「咲、呼んできてもらえるか?」と頼む。

「宮永さん、呼んでるで」

「え、誰が?」

一緒に泉も出入り口に目を向けると、そこには笑顔を浮かべている怜がいた。

「咲、園城寺先輩やで」

泉の声に咲は少し驚いた顔をしたが、すぐに杖を持って席を立った。

「ちょっと行って来るね」

泉に声をかけて、咲はゆっくりと出入り口の方へ歩き出した。
後数歩と、確認しながら歩く。
見えないけれど、教室の構造はもう咲の頭に入っていた。

「咲!」

「怜さん?今日はお昼寝はしないんですか?」

少しからかうように、咲は笑った。

「だって放課後に咲と会えへんから」

ここ最近、怜は真面目に部活へ通っていた。
本人の意志ではない。

咲の教室に行こうとすると、決まってと言っていいほど、怜を迎えに来た浩子に邪魔されるのだ。

どうせセーラの命令だろう。
すぐに察した怜は直接本人に文句を言うと「県予選も近いのに、さぼってるんやない」と一蹴されてしまった。

272: 2014/01/25(土) 20:36:42.55 ID:OZRJ9NiD0
「せっかくレギュラーになれたんだから、ちゃんと練習するべきですよ」

「咲までそんな風に言うんかい」

セーラと似たようなことを言う咲に、怜は拗ねた口調で返した。
が、すぐに目的を思い出し、咲の手をさっと掴む。

「そうやなかった!咲、早くお昼寝しようや」

「え?」

「咲を連れていきたい場所があるって言ったやん。その為に今日はお昼休みに来たんや」

喋りながらも、怜は咲を引っ張って目的地へと歩き出す。

「ちょっと怜さん、歩くの速いですっ」

「急がんと昼休み終わっちゃうで。本当はもっと早く来ようと思ったけど、4時間目からずっと寝たままでなぁ」

「…それ、ご飯食べて無いってことですか?」

「せや。腹減ったわー」

それでいいのか、と咲は首を傾げたが、怜はどんどん先を歩く。

「ここから外やけど、後で拭けば問題ないよな」

一階の渡り廊下から、直接怜は外へと足を踏み出す。
靴を履き替えに行くよりも、近道だからだ。

怖々地面に片足を出す咲に、「大丈夫だから」とゆっくり手を引く。

「どこまで行くんですか?」

「ほんのちょっとやで」

怜が目指す先はプールの裏側にある。
ここを突っ切って行けば時間は掛からない。

「怜さんっていつもそんな所で寝てるんだ?」

「時々な。冬はさすがに外で寝ないけど」

一度風邪引いて懲りたと告げると、咲は笑い声を漏らす。

「普通、そんな寒いところで寝ませんよ」

「まあな。でも寒くても眠かったから」

もうちょっと、歩けばすぐそこ。
しかし怜は人の気配に気付いて、その手前で足を止めた。

273: 2014/01/25(土) 20:38:36.13 ID:OZRJ9NiD0
「怜さん?」

突然止まった怜に、咲は繋いでいた手を引っ張る。

「しっ」

「どうしたんですか?」

そっと怜は咲の口を一指し指で押さえた。

「セーラがおる」

「えっ」

ちょうど体育館の裏側。
セーラが背中を向けて立っていた。

(なんでこんなところにいるねん)

セーラの体にほとんど隠れて見えないが、もう一人女子生徒もいるようだ。
顔を顰めて、怜は咲の手を引っ張って氏角へと移動した。

「どないしよ。反対側から回った方がいいかなあ」

見付かれば、間違いなく何をしてるかと追求されるだろう。
しかも連れているのは咲。

(咲のこと、セーラはすごく気にしているみたいやし)

盲目の少女を見詰める。
けれど咲は怜の視線に気付いていないので、ただこの状況がわからずきょとんとしている。



セーラは咲のことに関して、とてもガードが固い。

『怜には関係ないやろ』

それだけを繰り返して、どういう知り合いなのか、怜は未だ聞き出せていなかった。

(どうしてあんなに頑ななんやろう?)

セーラが他人のことに対してあんなにムキになるのを初めて見た、と思う。
その態度が何か隠していると余計煽っているのに、気付いていないのか。

274: 2014/01/25(土) 20:41:05.19 ID:OZRJ9NiD0
「くだらないことで、呼び出しすんなや」

急に響いた声に、怜も咲もハッとして体を強張らせた。

「でも」

「部のことで意見があるって言われたから、わざわざ足を運んでみたらこれや」

「それは、口実でもないと来てくれないかと思って…!」

「小細工使うような奴は嫌いや」

「江口先輩…」

「もう帰れや」

短いセーラの言葉に、女子生徒は足を震わせ、それでも走り出した。

ちょうど怜と咲のいる方向だったが、顔を覆うように走っていた為、気付かなかったようだ。
セーラはというと背中を向けたまま、反対方向へ歩き、そして角を曲がってしまった。

「あの、これって立ち聞きになるでしょうか?」

居心地悪そうに、咲は怜のシャツをくいっと引っ張った。

「せやな。結果的にはそうなっちゃったかも」

聞く気はなかったが、しっかりと内容は耳に入ってしまった。

「うわー、セーラに知られたら怒られるで、絶対!」

しかも立ち聞きに咲を付き合わせたと知られたら。どうなるのか、考えたくもなかった。

「そうなんですか?」

「せや。お願い咲。今、聞いたことは黙っててくれるか?」

「いいですけど。それに誰かに言うつもりはないし」

「良かったー。セーラにも何か言っちゃだめやで、絶対」

「は、はい」

無理矢理、小指を絡ませる。

「約束やで」

「はい」

275: 2014/01/25(土) 20:42:58.36 ID:OZRJ9NiD0
約束はしたももの、なんだか咲は納得しないような顔をしている。
何だか引っ掛かって、怜は聞いてみることにした。

「咲、どうかしたん?」

「江口さん。今の、あれなんでしょ」

「あー、多分告白」

「それ。あの人、いつもああなんですか?」


『くだらないことで、呼び出しすんなや』


はじめて聞くセーラの冷たい声音に、咲は顔を引き攣らせた。

「いつもあんな感じやで」

「やっぱり、そうなんだ」

「せや。セーラは自分に言い寄ってくる人間には徹底して冷たいから」

そう。一貫して空気のような扱い。まるでそこに存在しないかのように。

「へえ。それなのに人気あるんでしょ。変なの」

泉からの話によると、部長の周りには取り巻きが絶えないと咲は聞いていた。
声援に贈り物。告白する人は後を立たないだの。

「まあ女子高でいかにも女受けしそうなイケメン顔やからなぁ」

「そうなんですか?」

「せやで。それに麻雀やってる時のセーラって、すごいって思えるし。
そういうとこ見てると、やっぱり好きになっちゃう子もいるんやないかなあ」

麻雀に関しては文句のつけようがない。
千里山の頂点に相応しいと、怜も思っていた。

276: 2014/01/25(土) 20:45:54.20 ID:OZRJ9NiD0
「っと、セーラの話してる場合やない、早く昼寝しに行こ!」

「あ、そっか」

何しに来たのか思い出し、怜は慌て始めた。
残り時間はそんなに無い、と思った瞬間。

「予鈴…」

「あーあ。鳴っちゃったわ」

鳴り響く予鈴に、怜はがっくり肩を下ろす。
一瞬、さぼろうかと思うが常習の自分はともかく咲を巻き込む訳にはいかない。

「ごめんな、また今度案内するから。必ず」

やっとのことで告げると、咲は顔を上げてそして頷いた。

「はい。また今度」

「約束やで?」

「はい」

そして小指を絡ませる。

この姿も見られたら、セーラは怒るのかな?
そんなことが頭に過ぎり、怜は慌てて首を振った。

「咲、約束のことも内緒やからな!」

「はあ?」

無関心でいられないってことは、どう考えても咲はセーラにとって特別な存在だろう。

ただ、大事にしようとしているのはわかるが、
誰にも近づけさせないような独占欲も丸出しだ。

(やり方、全部が間違ってるとは言わんけど、もうちょっとなんとかならへんかなあ)



「宮永と、園城寺?二人で何をしてるんや」

校舎に入って、二人で教室へと歩いていると後ろから声を掛けられる。

「監督!?」

「愛宕先生、こんにちは」

ぺこっと頭を下げる咲に、怜も慌てて頭を下げる。

277: 2014/01/25(土) 20:47:59.28 ID:OZRJ9NiD0
(うわ、監督。めっちゃ私のこと見とる!)

色々噂は聞いているけど、実際咲と監督が一緒にいるところを見るのは初めてだ。

雅枝の鋭い視線に、怜はたらりと冷や汗を掻く。

(で、でも悪い事している訳やない!咲と仲良くしてるだけや!)

「知らんかったが…宮永は園城寺と知り合いやったんか?」

咲と怜を交互に見て、尋ねる。

「はい。この間から」

普通に返事をする咲に、雅枝は「そうか」と呟いた。

「園城寺」

「はい」

「宮永とは仲良いんか?」

「それはもう!一番の親友くらいに」

「怜さん、それは大袈裟過ぎですって」

「でも、いずれそうなる予定やし」

黙って雅枝は二人のやり取りを見ていた。

「宮永、良い友達がいて良かったな」

「はあ」

「二人共、もうすぐ授業が始まるが遅れないように。私も授業があるから、これで失礼する」

「はい」

雅枝を見送って、怜はほっと息を吐いた。

「はー、緊張したわー。まさか監督に会うとは思わんかった!」

「緊張するんですか?いつも会ってる監督でしょう?」

のんびりとした咲の声に、怜は声を落として囁く。

278: 2014/01/25(土) 20:49:32.81 ID:OZRJ9NiD0
「いや緊張するって!監督、マジ厳しいねんでー。それに咲と歩いているとこ見て、なんて思ったか」

「私?」

しまったと、怜は口を噤む。
でも言ってしまった言葉が、戻るはずもない。

「そっか。怜さんも聞いてますよね。あれだけ噂になってれば」

小さく笑う咲を見て、ぎゅっと手を握る。

「怜さんも、聞きたい?先生が、一体なんで私に便宜を図ってくれているのか」

「ええで、そんなこと言わんくたって。私、知りたいなんて言ってへんやん」

「…ごめんなさい」

怒った口調の怜に、咲は謝罪する。

(そんな顔、せんといて)

きっと今までも、雅枝との噂でイヤなことを言われたのだろう。
咲を安心させる為、怜は口調を優しいものへ変えた。

「私も、ごめんな。変な言い方しちゃったせいで。でも、咲と仲良くしたいのは本当やから。それだけはわかって欲しいねん」

「怜さん」

「監督って咲のこと大事にしてるやろ。見ててわかるわ。
その咲と仲良くしてるの見られて、こんな奴と、とか思われるのが怖かってん」

「バカですね」と咲はやっとちゃんとした笑顔を見せた。

279: 2014/01/25(土) 20:51:41.66 ID:OZRJ9NiD0
「愛宕先生はそんなこと言いませんよ?それに怜さんが良い人だってわかってるはず」

「そうかなあ?寝てばっかりの変な奴って思われてる気がするけどな」

「あ…そっか」

「咲も同意するなやー」

くすくす二人で笑い合う。

「じゃ、これからも咲と仲良くしてもええんやな」

「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」

そこへ本鈴のチャイムが鳴り響く。

「やっば!咲を遅刻させたら大変や!怒られるわ」

急いで、と咲を引っ張って教室へと走る。

「またな、咲!今度はちゃんとお昼寝しような」

「はい、約束です」

無事教室へ届けた後、今度は自分の教室へと怜は走り出した。


(あー、のんびりした昼休みを過ごす予定だったのになー。
セーラに、監督に。ちっとも咲とお昼寝出来んかった!)

しかもどちらも咲を大切にしている者と会う(セーラは影から見ただけだが)なんて。

(一人で咲を連れ出そうとした、所為かな?)

雅枝はともかく、セーラが知ったら間違いなく私怨を交えて練習地獄にさせられそうだ。

(でも、負けへんでー)

一番の仲良しを目指す。
それだけは、譲れない。


――――

288: 2014/01/29(水) 19:53:05.17 ID:Fz2RZT1b0
「ただいま、咲」

「おかえり、お父さん。今日は遅かったんだね」

「実はさっきな。途中で江口さんに会ったんで、車で送ってもらったんだよ」

瞬時に固まってしまう。
そんな咲に気付かず、父は話しつづける。

「上がってもらってお茶でもと思ったんだが、今日は時間がないからと言われてな。今度江口さんに時間がある時ゆっくり寄ってもらうよう言ってくれ」

「え?私が?」

「当たり前だろう。お前の先輩なんだから」

ふぅっと息を吐いて「わかった」と答える。

「ところで、咲」

「何?」

「江口さんは優しい子だな」

「は?」

「あの子、お前のことをとてもを気に掛けているみたいだぞ」

「え!?お父さんさん、一体何を話したの?」

教えてよと問いかけるが、

「それは、俺の口からは言えん」

きっぱり断られてしまう。

「どうして」

「本人の口以外からは、言うべきことじゃないと判断したからな」

父が言わないと決めてしまったら、口を割らせるのは難しいだろう。

「江口さんは信頼できる人だと思ったぞ」

そっと肩に手が置かれ、離れていく。

一体、ここまで送ってもらう間に何の会話をしたのだろう。

(気になる…)

家に招待するついでに、セーラに聞いてみるとするか。

思わせぶりな父の態度が、妙に引っ掛かる。

289: 2014/01/29(水) 19:56:24.85 ID:Fz2RZT1b0

――――


翌朝。
近付いてくる足音に、咲は足を止めた。
一番に近付いてくるのは、決まっている。

「おはようございます、竜華さん」

「おはようさん、咲」

竜華は毎日ここで待っている。
部活が終わった後、わざわざこっちに寄るのは手間じゃないのか。

「先に教室に行ってても良いですよ」

竜華の負担を考えて、そんな風に言ってもみたけれど。

結局、『咲はうちに会いとうないんか!?』と、
やや泣き声が交じった声で詰め寄られ好きにさせている。

芝居とはいえ、泣くようなことかな。
だけど咲も竜華との会話は楽しいものだったから、それ以上追求するのはやめた。

なんの間違いかはわからないが、竜華が友達と言ってくれたのは嬉しかった。
会話があまり得意と言えない咲だが、竜華や怜とは自然に会話できる気がしている。

「大会ってもうすぐなんでしょう?」

「せやで」

「何校ぐらい出場するんですか?」

「さてなぁ。大阪は激戦区やから、きっと凄い数やろうなぁ」

他愛の無い会話を続けながら、校舎へと向かう。

ここの距離まで歩いてくると、いつも聞こえてくる声がある。
これも毎度のこと。

今日は、その人のことを待っていた。

「よっ!宮永、竜華」

「おはようございます、江口さん」

「今日も相変わらず男前やな、セーラ」

「うっさいわ、竜華」

290: 2014/01/29(水) 19:59:57.95 ID:Fz2RZT1b0
両隣で繰り広げられる軽口交じりの口論。
お馴染みのものなので、放っておくことにする。

それよりも、セーラへ言うことがある。
昨日の件だ。
そう思ってどう切り出すべきか考えると、竜華がそっと腕に触れてきた。

「咲、どうかしたん?」

「ええっと…」

竜華のいる前で話すのにためらっていると、予鈴が鳴り響く。
仕方なく、今朝は話をすることを見送ることにした。

(でも次、いつ会えるのかな?)

セーラの教室がどこかなんて知らないし。

どうしようと悩むが、意外にもその機会は早くやって来た。





セーラが咲を教室まで尋ねて来たのは、これで二度目になる。
以前、睨まれた生徒はセーラの姿を見ただけで小さな悲鳴を上げ、教室を飛び出してしまった。

セーラはそんな彼女を気にも留めず、ずかずかと中まで移動する。

「泉、また宮永借りるで」

「はい、どうぞどうぞ!」

だから借りるってなんだ。

『部長』に頭が上がらない泉に、
溜息をもらしつつ、引っ張られる手をそのままに廊下を歩く。

291: 2014/01/29(水) 20:02:39.78 ID:Fz2RZT1b0
「前と同じ場所ですか?」

「せや。静かやからな」

「誰もいない?」

「誰も来ないから、安心せい」

以前来た資料室の扉を開けたセーラに、そのまま勧められ椅子に座る。
そして、自分の分の弁当を手探りで広げる。

「で、今日は何の用ですか?」

また話しする為に、引っ張って来たのかとセーラに尋ねる。
けれど、怪訝な声で返答された。

「それはお前の方やろ」

「え?」

「今朝、何か言いたそうな顔してたからな」

どうやらそれを気にして、教室まで来たらしい。
手間は省けたけど。
いちいち自分の表情をセーラは気にしているのだろうか。と、ふと思う。

「はい。昨日、お父さんさんに会ったって聞いて」

「ああ」

「送ってくれたって言ってました。ありがとうございました」

「いや、ついでやったし全然かまへんで。ところで先に昼食にするか?」

「はい」

前回と同じように、セーラはこれも食え、あれも食えとおかずを差し出して来た。
味は文句無しに美味しいから不服はない。寧ろ嬉しい。

ただ、食べ方に問題がある。
いちいちセーラは箸で口元に運ぶのだ。

292: 2014/01/29(水) 20:08:17.16 ID:Fz2RZT1b0
「ほら、口開けや」

「子供じゃないんだから、自分でも食べれます」

「この方が早いやろ」

「……」

(そりゃあ、早いけど)

どこかセーラの声は面白がっているようにも聞こえる。
何が楽しいんだろ。

もう一度開けろと、箸を持ってない方の手が頬に触れた。
しょうがないと開き直って、口を開ける。

「自分の分はちゃんと食べてるんですか?」

「お前が食べてる間に、口に入れてるから問題無いで」

「そうですか」

結構な量の食事と口に運ばれ、自分の弁当と合わせてかなりお腹が一杯になっていた。

「お茶、飲むか?」

「はい。どうも」

差し出された湯のみを受け取り、一口飲む。

「ごちそうさまでした。もう食べられません」

「はは。あれだけ食えばな」

「江口さんがひっきりなしに、口に運ぶから」

「宮永やって、なんだかんだと口開けっぱなしやったやん」

そうだったっけ?
首を傾げると、そうだと断言される。
でも仕方ない。開けろ開けろとセーラが言うから、条件反射になったようなものだ。

(反則な位美味しいんだよね…)

セーラはいつもそんな上等なものを食べているのか。
ちょっとだけ羨ましいと思う。

293: 2014/01/29(水) 20:11:56.48 ID:Fz2RZT1b0
「ところで、話の続きをするか」

「あ、そうだ」

忘れちゃいけない話だった。

「今朝、言おうとしてたやんな」

「はい。お父さんがまた是非ウチに連れて来いって。
大会前で忙しいのはわかってるから、いつでもいいけど」

「さよか。じゃあ今週の金曜、お邪魔すると伝えてくれや」

「わかりました」

「今度は手土産持参で訪ねるからな」

「手土産はいいですって!そんなことしたら、またお礼に夕飯に招待するって言い出しますよ」

「別に構わへんで」

「え?」

「招待されて断る理由もないしな。それとも俺が来ると迷惑なんか?」

「そう、じゃないですけど」

そんな風に言われると、戸惑ってしまう。

(他に江口さんを誘う人なんて幾らでもいるんじゃないの?)

告白する女子生徒は多いと聞いている。
時間があるなら、デートにでも行けばいいのに。
何故、こっちを優先する気になるのか?


「あの、昨日お父さんと一体どんな話したんですか?」

「いきなり、なんや?」

「答えてください」

今、すごく気になっていることだ。
いない所で、何を喋っていたのか。知りたい。

けれど、セーラは答えない。

「内緒や」

「…内緒?」

「せや。いくら娘の宮永といえど、人との会話を勝手に喋る訳にいかへん」

294: 2014/01/29(水) 20:13:43.89 ID:Fz2RZT1b0
「私のこと、話してたんでしょ?」

「聞いたんか!?」

がたん、と椅子を引く音が聞える。
セーラが立ち上がったらしい。

「なんでそんな動揺するの?」

「いや、だって」

「詳しくは聞いてないけど。私のことは、出たんでしょ?」

「なんや…聞いてないんか」

ほっとするような声だった。

(そんなに焦るなんて、変の)



結局、何も聞き出せずに昼休みは終わってしまった。

「…気になる」

教室に戻った後も、セーラと父の会話がどういうものか考えていた。

表情は見えなかったけど、
セーラの優しい声に決して悪い話をしている訳じゃないのはわかる。
だったら隠す必要は無いのに、セーラは言わない。

(いつか聞ける、かな?)

その時には、この目が見えるようになっているだろうか。
そうであって欲しい。

焦ったようなセーラの様子。

話しを聞く時には、ちゃんと表情が見たい気がする。

――――

295: 2014/01/29(水) 20:15:42.68 ID:Fz2RZT1b0
今日はここまでです。
次は日曜あたりに投下します。

296: 2014/01/29(水) 20:34:51.49 ID:a/B5iBnZo
乙です

297: 2014/01/29(水) 21:05:07.19 ID:eRrEXY6H0

引用: 【咲-Saki-】盲目の少女