32: ◆ikbHUwR.fw 2017/08/29(火) 15:47:19.34 ID:a/BNsWng0
『影』

33: 2017/08/29(火) 15:48:19.67 ID:a/BNsWng0
 時刻は夜の11時半、そろそろ寝ようかと思い、明かりを落とそうとしたときだった。私は視界になにか、わずかな違和感を覚え、電灯のスイッチに伸ばした手を止めた。
 きょろきょろと辺りを見回す。私の部屋だ。とても散らかっている、つまりいつも通りの私の部屋だ。

「うーん?」

 鏡に自分を映してみる。ちっこい体、ボサボサの髪、襟ぐりの伸びきったTシャツ、なにもおかしくない、どっからどう見ても私、双葉杏の姿だ。

「気のせいかな?」

 足で散乱してる物をかき分けながら、部屋の中をぐるぐると歩きまわる。
 それにしても汚い部屋だ。足の踏み場もありゃしない。

「――ああ、わかった」

 電灯から反対方向に、足元から伸びる影、違和感の正体はこれだ。
 大きかった。それも並大抵の大きさじゃない、どう見てもこれは私じゃない、別の誰かの影だ。
 ベッドの枕もとに置いていたスマートホンを拾いあげ、電話をかける。

『……にょわ』

「きらり? 寝てた?」

『うん……少し前に、うぅん……杏ちゃんなにかあった?』

「起こしちゃって悪いんだけどさ、ちょっと電気つけてくれる?」

『きらりのお部屋の? いいけど……』

 電話の向こうから小さくカチカチと音がする。

『つけたにぃ』

「うん、そしたら影を見てくれる? きらりの影」

『影? ……うっきゃあ! 影がちっちゃいにぃ!』

「あ、やっぱり? なんか入れ替わっちゃったみたいで、きらりの影がこっちに来てるんだよね。それ確認したくてさ」

『でもこれ、杏ちゃんの影でもないゆ?』

「え?」

『きらりよりはちっちゃいけど、杏ちゃんにしては大きいにぃ、髪もショートだし』

 ショート?

「おかしいな、誰のだろ? えっと、その影はどんな様子?」

『ちょろちょろ動き回ってるにぃ』

「どんなふうに?」

『んー……なんかスキップしてるにぃ』

「へえ?」

『電灯のヒモの影を引っ張り始めたにぃ』

「ふむふむ?」

『突然びしっとポーズ決めたにぃ』

「あのさ……夕美さん、じゃないかな? それ」

『あっ! そっか、夕美さんのシルエットだにぃ!』

「すると夕美さんに杏の影がついてるのかな? 杏、明日の午後事務所行くから、そこできらりの影かえすよ」

『わかったにぃ☆ 杏ちゃんおやすみー』

「うぃ、おやすみー」

アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(3) (電撃コミックスEX)

34: 2017/08/29(火) 15:49:37.64 ID:a/BNsWng0
 ――翌日

「杏ちゃん、夕美さん連れてきたにぃ」

「杏ちゃんおはよっ。影のこと、朝気付いてびっくりしちゃったよ」

「おはよー。じゃ、ちゃちゃっと戻そうか」

 3人の影が重なるように立つ。これで私の影をきらりに、きらりの影を夕美さんに、夕美さんの影を私にと、ぐるっと一周させれば――

「……違う」

「違うにぃ☆」

「うん……違うね」

 きらりと夕美さんはそれでいい。ぴったりジャストサイズの影をつけている。だけど私のこれは、明らかに違う。

「けっこう背高いよね、誰のかな?」

 夕美さんが言う。私に移ってきた影は、並べると夕美さんの影よりも身長がある。もちろんきらりほどじゃないけど、それでもなかなかの長身だ。

「なんとなく見覚えはあるから、知ってる子なのは間違いないにぃ」

 きらりが言うように、シルエットはたぶん知っている。誰とまではわからないけど。
 しぐさになにか特徴はないかな? と様子をうかがってみるも、この影はあまり動かない。おとなしいというよりは、悠然と構えているといった感じだ。

「うーん、これの持ち主はまだ気付いてないのかな? ちょっとみんなに聞いてみるよ」

 スマホでメールアプリを立ち上げ、『自分の影を確認して、異常があったら双葉杏まで』と、メールアドレスを登録しているアイドルたちに一斉送信した。
 346プロ所属の全員を登録しているわけじゃないけど、ウチのアイドルたちはだいたい仲がいいから、誰からスタートしても友達の友達あたりで全員に行きつく。私がメールを送ってない人にも、身近な誰かから話は行くだろう。

 1分も待たずして早速返信があった。凛ちゃんからか、内容は……

『私の影がない!』

「マジか」

「杏ちゃん? どうだったぁ?」

「……思ったより複雑になってるのかもしれない。とりあえずふたりはもうだいじょうぶだから、杏は適当に探しに行くよ」

「なにか手伝えることがあったら言ってねっ」

「うん、たぶん平気だと思うけど、そのときはよろしくー」

35: 2017/08/29(火) 15:51:12.46 ID:a/BNsWng0
 きらりと夕美さんのふたりと別れ、何度か凛ちゃんとメールのやりとりをする。
 凛ちゃんは宣材写真の更新をするために事務所内のスタジオで撮影をしているらしい。
 私についてるコレは凛ちゃんのじゃないけど、一応行ってみようかな。

「杏! 私の影は!?」

 撮影スタジオに入ると、凛ちゃんが慌てた様子で駆け寄ってきた。

「わかんない、いま情報集めてるから」

「そう……どうしよう、これじゃ撮影できないし……」

「ん? なんで?」

「影がないから、写真が変になっちゃうんだよ」

「そーゆーもん? むしろ撮影のときってレフ板とかで影消そうとしない?」

「薄くする分にはいいんだけど……全くないとそれはそれで変なの。顔とか特に」

 凛ちゃんがカメラマンさんを手招きし、ノートパソコンについさっき撮ったらしい写真を表示させてもらう。
 資料としての使い勝手を考えてか、ウチは宣材写真の撮影にはデジタルカメラを使用している。デジタルでもこれはなかなかお高いカメラで、画質は申し分ないはず……なんだけど、
 なるほど、平面的とでもいうのか、どこか顔がのっぺりとしているように見える。普通ならあるはずの細かな陰影がなくなっているせいだろう。

「だったら、杏についてる影使ってみる?」

「……それを?」

「誰のかわかんないけどね、どことなくクールっぽい雰囲気だから」

「うん……それじゃあ、少し借りるね」

 凛ちゃんが私についていた影を持っていき、カメラマンさんに何枚か写真を撮ってもらう。撮ったばかりのそれをノートパソコンに転送し、画面いっぱいに表示する。――へえ、これはなかなか。

「どう?」

「うん、なかなかいいと思うよ。なんかいつもよりキリッとして、大人っぽく見えるね」

「そう、かな?」

 と、そのとき、ポケットの中でスマホがぶるんと振動した。メール着信、発信者は……乃々ちゃんだ。

『もりくぼの影がもりくぼの影じゃないんですけど!!』

「おっ」

「なに? 私の影みつかった?」

「たぶんね、いまこっちに呼ぶよ」

 ほどなくして、ロングヘアーの影を引き連れた乃々ちゃんがスタジオにやってきた。背丈も雰囲気も間違いない、凛ちゃんの影だ。

「よかった、私の影だ」

 凛ちゃんがほっと息をついた。やっぱり自分の影がいるというのは安心するものなのだろう。
 凛ちゃんに貸していた影を私に戻し、乃々ちゃんから凛ちゃんに影を移動させる。

「写真、どうしよっか? 自分の影で撮り直す?」

「ん……いや、さっきのやつでいいかな。自分の影でならいつでも撮れるし、その影も、まあ悪くないから」

 凛ちゃんはうつむき気味にそう言った。なんだか照れてるみたいだ、大人っぽいって言われたのが嬉しかったのかもしれない。実際のところ普段の凛ちゃんではなかなか撮れない写真なのは確かだから、残しておく価値はあるだろう。

「あの……それで、もりくぼの影はいったいどこに……」

 そうだ、今度は乃々ちゃんの影がなくなってしまったことになる。私についてる影はどう見ても乃々ちゃんのじゃないし、乃々ちゃんのもみつけてあげないと。

「乃々ちゃん、昨日誰と会ったか覚えてる?」

「き、昨日は……事務所でまゆさんといて、お仕事に連れ出されました。現場は凛さんといっしょで、会ったのはおふたりだけだと思うんですけど……」

「じゃあまゆちゃんに連絡とってみてよ、『影を見て』って」

「は、はい……あ、返事来たんですけど」

「早いね、なんて?」

「えっと、『影がありません!』って……」

「えー……」

36: 2017/08/29(火) 15:52:50.06 ID:a/BNsWng0
「も、もりくぼの影はいったいどこに……?」

 今のところ、私についてる影は持ち主不明、乃々ちゃんとまゆちゃんには影がない。
 影が2つ足りてない。入れ替わるならともかく、ないというのはどういうことだろう? どこかに影を2つか3つつけてる人がいるのかな?

「まゆちゃんと合流しようか、いま事務所にいる?」

「いえ、今日はオフみたいですけど……呼びますか?」

「あ、だったらまだいいかな。影がないのはわかったんだし、まゆちゃんの影みつけてからでいいでしょ。昨日乃々ちゃんの他に誰と会ってるか訊いてくれる?」

「はい……あ、返ってきました」

「どうだって?」

「えっと、事務所に来る前に外で、歌鈴さんと会ったらしいですけど」

「歌鈴ちゃんか、連絡先わかる?」

「……ごめんなさい、わからないです」

 私も歌鈴ちゃんの連絡先は知らないから、さっきのメールも送れていない。
 さて、誰か知ってそうな人は――

「おっ、杏ちゃんにぼののじゃん」

 ちょうどいいところに、歩く電話帳がやってきた。

「未央、歌鈴ちゃんに連絡とれる?」

「とれるよー、さっきのメールの話?」

「うん、杏が送ったのそのまま伝えてくれればいいから」

「ほいほい、ちょっと待ってね」

 未央はスマートホンを何度かぽちぽちといじくって耳に当てた。

「あ、かりりん? ちょっと影を見てくれる? そうそう、自分の影」

「びっくりして転ばないようにって付け加えて」

「もう遅いかな」

「……おだいじにって言っといて。あと、その影、杏か乃々ちゃんかまゆちゃんのじゃないか訊いてくれる?」

 しばしの間、未央は電話で歌鈴ちゃんについている影の動作や輪郭について話し合っていた。未央側の声しか聞こえないけど、どうやら私の影ではなさそうだ。

「たぶんまゆちゃんみたい」

 と未央は言った。
 歌鈴ちゃんは今日はオフで、女子寮にいるらしい。すぐそこだ。
 乃々ちゃんからまゆちゃんに連絡を取って現在位置を教えてもらう。今はカフェでお茶をしばいているらしい。店名で検索してみると、そこもそう遠くない、歩いて行ける距離だった。

「も、もりくぼはどうしましょう?」

「乃々ちゃんの影はまだ行方がわからないから、事務所のどっかで待機してていいよ。みつけたら連絡するね」

37: 2017/08/29(火) 15:54:08.43 ID:a/BNsWng0
 私は未央と乃々ちゃんと別れ、事務所を出た。
 女子寮で歌鈴ちゃんを拾い、ふたりでまゆちゃんのいるカフェに向かった。
 そこで歌鈴ちゃんについていた影をまゆちゃんに戻し、今度は歌鈴ちゃんが影なしになった。
 ……いまいち事態が進展してる気がしないな。着実に戻せてるはずなんだけど。

「ふたりは昨日、いっしょに事務所に行ったの?」

「いえ、まゆは事務所に向かうところでしたけど、歌鈴さんは逆方向に向かってました。時間もなかったので、ほとんど挨拶しただけでしたねぇ」

「私は昨日もオフだったので、そのときは駅に行くところでした」

「会った場所は?」

「このカフェを出て、ふたつめの交差点を右に曲がって少し進んだあたりだったでしょうか?」

「たしかそのあたりです」

「うん、わかった。歌鈴ちゃん、そこ行くよ」

「はっ、はい」

「影、届けてくれてありがとうございましたぁ、皆さんのもみつかるといいですねぇ」

 まゆちゃんと別れ、歌鈴ちゃんとまゆちゃんが昨日会った場所へと向かう。

「あの……私がまゆさんと会ったところに、なにかあるんですか?」

「いや、たぶんそこにはなにもない。でも歌鈴ちゃんとまゆちゃんの影が入れ替わったのはその場所だろうから、そこから事務所まで、まゆちゃんの通った道をたどる」

「な、なるほどー」

「んっと……このへん、でいいのかな?」

「はい、ここです」

 スマホで地図アプリを開き、道順を確認する。
 この位置から最短で事務所にたどり着く道筋はひとつしかない。まゆちゃんは「時間がなかった」と言っていたから、寄り道や遠回りはしていないだろう。
 歌鈴ちゃんと連れ立って事務所への道をてくてくと歩く。そして――

「……みつけた」

「えっ? ど、どこでしゅか?」

「ほら、そこの電柱の影。いちおう確かめてみて」

 道の端に、電信柱の影に重なって、小さくうずくまるようにした少女の影があった。

「ほ、ほんとだ! 私の影です、間違いありません!」

 影も歌鈴ちゃんに気付いたらしく、両者は抱き合うようにしてひとつになった。
 ……ひとつになったってのはちょっと違うかな? くっついたって言えばいいのか、どうなのか。

「でも、よくみつけられましたね? よっぽど注意して見ないと気付かないですよ?」

「珍しいものがあったからね、それ。……近づかないでいいからね、杏が捨てとくから」

 私は道の真ん中に落ちているバナナの皮を指さした。

「……それが、なにか関係が?」

「昨日からあったんだろうね。まゆちゃんは歌鈴ちゃんじゃないから、当然こんなものじゃ転ばない、よけて通ったはず。でもそのとき引き連れている影は歌鈴ちゃんの影だから、きっと転んだ。……バナナの皮の影を踏んで転んだことになるのかな? で、まゆちゃんはそれに気づかずに先に歩いて行っちゃってて、起き上がっても影だから日の照ってる中を追いかけることはできない。それから日が傾いてきて、電柱の影がバナナの皮に重なったところで、すみっこに避難したってところかな?」

 歌鈴ちゃんの影がこくこくとうなずく。正解だったらしい。
 それにしても本当にバナナの皮が落ちてるのなんて初めて見たよ。捨てた人はいったい、どんな必要に迫られて歩きながらバナナを食べたんだ?

「歌鈴ちゃんは今日オフだったよね、ここまででいいよ、お疲れさま」

「あ、ありがとうごじゃいましゅた!」

38: 2017/08/29(火) 15:55:03.86 ID:a/BNsWng0
 歌鈴ちゃんと別れ、再び事務所へと向かう。乃々ちゃんの影はまだみつかってないけど、私の考えが間違ってなければ、それはまだ事務所の中にいるはずだ。

「あ、杏さん。どうでしたか?」

 事務所のエントランスに入ると、乃々ちゃんが駆け寄ってきた。

「なんとかまゆちゃんと歌鈴ちゃんの影は元に戻せたよ」

「歌鈴さんの影もみつかったんですか? その……もりくぼの影は……?」

「それなんだけどね、ちょっと案内してほしいところがあってさ」

 346プロダクションはとにかく大きい。アホみたいな数の部屋がある。
 だけど、関わりのない部署の部屋には当然、普段立ち入ることはない。乃々ちゃんに連れられてきたこの部屋も、私は入るのは初めてだった。間取りや備品はどの部屋も大差ないみたいだね。

「乃々ちゃんのプロデューサーの机は?」

「えっと……そこ、ですけど」

「ここね、どれどれっと――あ、いた」

 机の下を覗き込む。奥の方に、よくよく目を凝らさないと気付けないような人影があった。どこか私を警戒しているようにも見える。

「えぇっ!?」

「もともと影になる場所だから、わかりづらいんだね」

「そ、そんなところに! でも、なんで?」

「昨日、乃々ちゃんはここからお仕事に連れてかれたんだよね、抵抗はした?」

「もちろんしましたけど……でも、もりくぼが泣こうがわめこうが、その気になった男の人に抗うなんて到底かなわず……全てをあきらめて天井のシミを数え続けたんですけど……」

「ちょっと言い方に気をつけようね。まぁそれで、乃々ちゃん本体は残念ながら連れていかれちゃったけど、影のほうは抵抗し通したんだろうね」

「……そんなの」

「ほら、乃々ちゃんの影、もうお仕事は終わったよ」

「あ……」

 小動物が威嚇するように身構えていた影は、乃々ちゃんの姿を確認するや否や、飛びつくようにその足元に飛び込んでいった。

「なにか、言ってあげたら?」

「うう……もりくぼがお仕事させられているのに、影だけのがれるなんて、ずるいんですけど……許せないんですけど……けど……けど……」

「けど?」

「……おかえりなさい、ですけど」

 乃々ちゃんはそう言って床に映った影の、頭のあたりにぺたりと手を当て、ゆっくりと、なでるように動かした。

 うんうん、なんかよくわかんないけど、イイ話っぽく落ち着いたね。

「じゃ、そろそろ日が暮れるし、今日はもう帰ろっか」

「あ……でも、杏さんの影、みつからなかったですね。その影の持ち主も……」

「ん――いや、これはもう見当ついてるから、明日でいいよ」

「そうなんですか?」



39: 2017/08/29(火) 15:56:21.20 ID:a/BNsWng0
 ――翌日

「おいーっす」

「おはようございます双葉さん……少し、よろしいですか?」

 私が事務所にやってくると、プロデューサーが首の後ろに手を当てながら話しかけてきた。
 このポーズはなにか困ったことがあったときの癖らしい。いつも困ってるなこの人は。

「なに、プロデューサーかしこまっちゃって、どうかしたの?」

「実は……美城専務が『もう仕事はしたくない。有休を全消化する』と言って休んでいるらしいのですが、なにか、心当たりはありませんか?」

「あー、影に引っ張られちゃったんだね。元に戻してくるから、専務の住所教えてよ」



   ~Fin~

40: 2017/08/29(火) 15:57:21.90 ID:a/BNsWng0
終わりッス。
ありがとうございました。


引用: 【モバマスSS】世にも奇妙なシンデレラ