83: ◆k0s67bY5G6 2012/10/28(日) 18:21:05 ID:gnK2dQKg0


さわ子「遠くまで」

84: 2012/10/28(日) 18:21:38 ID:gnK2dQKg0
りっちゃんの調子がちょっとおかしい。

学園祭の軽音部のライブが終わって数日経って、秋風が身に沁みる様になった頃。
ムギちゃんが給仕してくれたお茶とケーキを部室で頂きながら、私はそう思っていた。

随分前、澪ちゃんと喧嘩していた時みたいに、誰かと険悪な雰囲気を漂わせてるわけじゃなく。
暗い表情を浮かべて、溜息ばかり吐いてるわけでもなく。
一見しただけだと、いつものりっちゃんと変わらない様子に見える。
明るく元気でちょっと騒がしくて、唯ちゃんとふざけ合って、
梓ちゃんと澪ちゃんをからかって、ムギちゃんに変な事を教えたりして……。
傍から見てるだけだと、本当にいつもと変わらないりっちゃんなのよね。

でも、私は何となく気付いてしまった。
りっちゃんの浮かべる笑顔が何処となく寂しそうだって。
その瞳がほんの少し愁いを纏っているんだって。

無理もないかもね、と私は目を細めて考える。
高校三年の学園祭が終わったという事は、残すはいよいよ受験と卒業だけという事になる。
もう半年も経たない内に、りっちゃん達は高校を卒業しちゃうって事になるのよね。
こんなの、寂しさを感じない方が嘘ってものよね。
りっちゃん達だって二度は卒業を経験してるわけだけど、中学生から高校生になるのとは訳が違う。
だって、大学生になるんだもの。
ほとんど大人の仲間入りをしてしまうんだもの。
これまで感じた事が無い期待や不安を胸一杯に感じてるんだと思う。

勿論、そう偉そうに考えてる私だって、
高三のこの時期は期待と不安に溢れていたし、部の仲間と離れ離れになる寂しさも感じていた。
誰だってそうなんじゃないかしらね。
いつも明るく見えるりっちゃんだって、のんびりした唯ちゃんだって。
それに、私もまたそれを感じてる……のかもしれない。
今の私はまた、高校を卒業するという現実に戸惑いを感じてしまっている。
自分自身の卒業と同じ……、ううん、ひょっとするとそれ以上に……。

私は自分の胸の鼓動が少し早くなるのを感じながら、部室に揃った教え子達に視線を向けてみる。
けいおん!Shuffle 3巻 (まんがタイムKRコミックス)
85: 2012/10/28(日) 18:22:08 ID:gnK2dQKg0
「古文、分っかんねー……!」


ケーキを食べ終わって受験勉強をしていたりっちゃんが、頭を掻きながら小さく叫んでいる。
澪ちゃんが「急に叫ぶな!」とりっちゃんの頭を軽く叩きながら、律儀に古文を教えてあげ始める。
唯ちゃんとムギちゃんが二人の様子を微笑ましそうに見ている。
梓ちゃんが楽譜を確認しながら、チラチラと先輩達の様子を窺っている。
その梓ちゃんの表情は嬉しそうで、同時に寂しそうにも見えた。

梓ちゃんもりっちゃん達の卒業に戸惑ってるのかしら?
それはそうよね、一度高校を卒業してる私だってそうだもの。
残される梓ちゃんの心中は穏やかじゃないはず。
でも、残されるのは梓ちゃんだけじゃなくて、私も……。

そうやって私が梓ちゃんの方に視線を向けていたせいだろう。
りっちゃん達の方を見ていた梓ちゃんが私の視線に気付いて、不思議そうに首を傾げた。


「どうかしたんですか、さわ子先生?」


「えっ? えーっと……」


急には上手い返答が出来ない。
教え子達が自分の卒業に戸惑ってる中、
先生の私が教え子達の卒業に戸惑ってるなんて言えるわけないじゃない。
そんなの、正しい先生の姿じゃないわよね。
どう誤魔化そうかと思って苦笑を浮かべていると、何を勘違いしたのか唯ちゃんが変な事を言い出した。


「あっ、駄目だよ、さわちゃん!
私達がもうすぐ卒業するからって、あずにゃんに歯ギターとか教えようとしちゃー!
あずにゃんには可愛いあずにゃんのままで軽音部を引っ張ってってもらうんだからー!」


少し驚いた。
勿論、歯ギターの事じゃなくて、唯ちゃんが自分の卒業を自覚してる事に。
のんびりしてるように見えるけど、唯ちゃんはちゃんと自分の未来を見据えてる。
自分の後を梓ちゃんに継いでもらう事をもう決めているのね……。
知らない内に成長してるのよね、唯ちゃんも……。

86: 2012/10/28(日) 18:22:36 ID:gnK2dQKg0
「今後の軽音部のためにも、私も梓に歯ギターを教えられるのはちょっと……」


「歯ギターってどうやるの? 私、やってみたいかも!」


「何言ってんだよ、ムギ!」


澪ちゃんとムギちゃんが妙な掛け合いを見せる。
変な掛け合いだけれど、この子達も自分達の卒業をちゃんと自覚しているみたい。
ムギちゃんは新しい事をどんどん楽しんで吸収していく子だから、卒業も節目に過ぎないのかもね。
澪ちゃんは多分、卒業式で泣いてしまうだろう。
それくらい澪ちゃんは感受性に長けた子だもの。
でも、澪ちゃんならすぐに立ち直る事が出来るはずだと思う。
ここぞという時、澪ちゃんはしっかりと立ち向かえる子だって事は私にも分かってるから。

だからこそ、私は気になってしまうのかもしれない。
いつも明るいりっちゃんの事を。
この軽音部を部長として引っ張ってきたりっちゃんの事を。
多分、ううん、絶対、この軽音部の中で私と一番波長が近いのは、りっちゃんだと思う。
りっちゃんが居たから、私は最初予定していたそれとは全く違う教師生活を過ごす事になった。
大人しくて優しい先生で通すつもりだったのに、その予定はあっという間に崩されてしまった。

でも、それでよかったと今は思う。
りっちゃんに予定を崩されたおかげで、私は素の自分を見せられる相手が出来た。
大変な教師生活だけれど、気を抜く場所が出来たおかげで、何とか勤め上げる事が出来た。
凄く、楽しかった。
りっちゃんと、軽音部の子達のおかげで、私は楽しく教師が出来たのよね。


「さわちゃーん、来年、私達が居ない間に梓に変な事教えんなよー?」


りっちゃんが古文のテキストから顔を上げて、いつもみたいな軽口を叩く。
楽しそうに、でも、やっぱり何処か寂しそうに。
澪ちゃん達もそれには気付いているみたいで、少し心配そうな表情をりっちゃんに向けた。
私以上にりっちゃんと付き合いの長い澪ちゃん達だもの。
りっちゃんの異変には気付くのは当然よね。
気付いてないのは多分、りっちゃん本人だけ。
自分自身でもはっきりとは分からない戸惑いを抱えてるりっちゃん本人だけ。

皆、力になってあげたいとは思ってるみたい。
でも、その方法が思い付かないみたいね。
勿論、私だって思い付かない。
私自身が戸惑っているわけだし、私もこの子達より少し長く生きてるってだけだもの。
私はこの子達に卒業までの時間、何をしてあげられるんだう……。
そうして私が押し黙ってしまうと、部の皆も声を上げる事無く沈黙してしまった。


「何だ何だ?
急に皆、黙り込んじゃってさ。
ひょっとして、受験勉強で疲れちゃってるんじゃないかー?
あ、さわちゃんは違うか……、つっても、授業が大変ってのもあるのかな?
でも、とにかく、受験勉強ばっかりやってるのも疲れるよなー。
何か気張らししたいよなー」


りっちゃん、そんなに熱心に受験勉強してないじゃない……。
私はそう言おうとして、すぐに止めた。
それよ、と思った。
思った時には、口に出していた。

87: 2012/10/28(日) 18:45:41 ID:gnK2dQKg0
「それよ! りっちゃん!」


「それってどれだよ、さわちゃん……」


「だから、それよそれ、気晴らし。
貴方達、これまで演劇とライブの準備で忙しかったじゃない?
学園祭が終わったからって、すぐに受験勉強に取り掛かる気力も出ないってものでしょ?
私も学園祭が終わって気が抜けちゃってたのよねー。
それでどう?
次の日曜日にでも、皆で何処かに遊びに行くのは?
次の日曜日なら丁度私も空いてるのよね」


「それって自分のためじゃんかよ、さわちゃん……。
それに教師が受験生を遊びに誘っちゃっていいのかよ?」


りっちゃんが呆れた表情で呟いてから、
「なあ、皆?」と同意を求めて皆に視線を向けた。
澪ちゃんも居るし、意外と真面目な子も多いし、皆が同意してくれると思っていたんでしょうね。
でも、その後の皆の反応は、多分、りっちゃんが想像もしてないものだったと思う。


「いいじゃん、りっちゃん!
受験勉強を始めるにはまず気晴らしが大切だよー。
今度の日曜、皆でどっかに遊びに行こうよー?
先生のさわちゃんがこう言ってくれてるわけだしー」


「唯ちゃんはそうでちゅよねー……。
でもさ、唯、おまえがよくても他の皆が……」


「私も気晴らし行きたい!」


「ムギもかよ……」


唯ちゃん、ムギちゃんの乗り気な様子に押されながらも、りっちゃんはまだ余裕のある表情を見せていた。
確かに真面目な幼馴染みの澪ちゃんなら、流石に受験勉強を優先しそうだものね。
だけど、今回ばかりは真面目な澪ちゃんも私の味方をしてくれるみたいだった。
澪ちゃんは私の方に軽く視線を向けて頷くと、真剣な表情をりっちゃんに向け直した。

88: 2012/10/28(日) 18:46:09 ID:gnK2dQKg0
「いや、気晴らしも大切だよ、律。
大体、最初に気晴らししたいって言い出したのはおまえじゃないか。
だったら、今の内に行っておいた方がいいんじゃないか?」


「うっ……、生真面目な澪しゃんらしくない発言……」


「それに今の内に気晴らししておいてもらった方が私としても楽なんだよ、律。
どうせこれから先、何度も気晴らし気晴らしって言い出すんだろうしな。
だったら、まだそんなに切羽詰ってない今の時期に気晴らしに行っておいた方が気が楽だよ。
そうすれば、少なくともしばらくの間は律も気晴らしを求めないはずだからな」


「そういう狙いだったのかよー……」


りっちゃんが肩を落として呟いたけれど、その顔は少し嬉しそうに見えた。
自分が気晴らしと言ったせいで、皆を巻き込んじゃったんじゃないか、と思ってたんでしょうね。
大切な時期に誰かを自分の都合に巻き込めるほど、りっちゃんは無神経じゃない。
皆が気晴らしに乗り気で安心出来たし、皆も同じ気持ちで嬉しいといった所かしら。
勿論、私も嬉しかった。
これでりっちゃんと少し話す機会が出来たんだものね。


「いいですね、気晴らし。
皆さんで楽しんで来て下さいね」


梓ちゃんが少し微笑みを見せて訊ねる。
梓ちゃんも元気の無さそうなりっちゃんを心配していたのかもしれないわね。
先輩達と居られる残り少ない時間、皆に元気で居てほしいって願ってるはずだもの。
普段、唯ちゃんやりっちゃんに素っ気無い態度を取ってる梓ちゃんだけど、それだけは間違いないわ。


「何を言ってるの、あずにゃん!」


唯ちゃんが座っていた椅子から立ち上がると、梓ちゃんの背中から抱き着いて頬を寄せた。
ちょっと寂しそうな声色で続ける。


「あずにゃんも一緒に気晴らしに行くんだよー。
さわちゃんが皆で何処かに行くって言ったでしょー?
あずにゃんも一緒に気晴らしに行こうよー」


「え、いいんですか?
皆さんの気晴らしに私が付き合ってしまって……」


「勿論だよー、あずにゃんだって私達の大切な仲間だもんね!
ねー、皆!」


唯ちゃんが笑顔で訊ねると、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃんも微笑んで頷く。
私も皆の笑顔に釣られて、微笑みながら頷いていた。
これで全員参加の気晴らしが出来るようになったわけね。
単なる思い付きだったけれど、それが私もとても嬉しい。

89: 2012/10/28(日) 18:46:39 ID:gnK2dQKg0
「ところでさわ子先生?」


不意に澪ちゃんが首を傾げて私に訊ねた。
私は緩む口元を引き締めて、澪ちゃんに視線を向けて訊ね返す。


「どうしたの、澪ちゃん?」


「気晴らしって何処に行くんですか?
ショッピングとかカラオケとかですか?」


「そうねえ……」


私は口元に手を当ててじっくり思案してみる。
そう言えば、気晴らしの事ばかり考えてたから、何処に行くかは全然考えてなかったわね……。
皆と一緒に外に出れば、それだけで十分に気晴らしになるとは思うけど、それじゃ勿体無いわよね。
折角だし、思い切ってちょっとだけ遠出をしてみるのもいいかもしれない。
私は軽く頷いてから、人差し指を立てて皆に宣言するみたいに言ってみる。


「ピクニックとかどう?
そろそろ紅葉も色づいて来る頃だし、結構綺麗な景色が見られると思うわよ。
貴方達が、前に梓ちゃんと遊びに行った、って言ってた山があったわよね?
あの山、秋にはかなり見事に色付くのよ。
それなりの遠出だから、色んな事を忘れて楽しいピクニックに出来ると思うわよ?」


「ピクニックかあ……。
うん、いい! それ凄くいいよ、さわちゃん!
予定は次の日曜だよね?
楽しみだなあ……。憂に美味しいお弁当作ってもらおっと!」


唯ちゃんが嬉しそうに言うと、皆も次々と嬉しそうに頷いてくれた。
うん、これで決まりね。
この先、どれだけ私達で遊べるかは分からないけど、
このピクニックも私や皆の大切な思い出に出来れば嬉しいわね……。
と思っていたら、急にりっちゃんが「ああっ!」と大きな声を上げて顔の前で手を合わせた。
「どうしたの、りっちゃん?」と私が訊くと、りっちゃんがとても悲しそうな表情を浮かべて答えた。


「ごめん、皆!
次の日曜は聡と映画を観に行く約束してたんだった!
日曜は空いてないんだった! すっかり忘れてた!
盛り上がってる所、本当にごめん!」


りっちゃんが私達に何度も頭を下げる。
りっちゃんが私達に本当に申し訳なく思ってくれてる事が、その仕種からよく分かった。
りっちゃんだって、私達と一緒に遊びたかったのよね……。
残念だけど、先約がある以上、私達にはどうしようもない。
確か聡君と言うのは、りっちゃんの弟だったはず。
仲の良い姉弟の邪魔なんて、私にはとても出来ないしね。
私は残念な気持ちで溢れそうな胸をじっと抑えて、
りっちゃんの後ろに回ってから出来る限りの笑顔を浮かべた。
そっと肩を叩き、優しい声色で伝えてみせる。

90: 2012/10/28(日) 18:47:06 ID:gnK2dQKg0
「いいのよ、りっちゃん。
私が立てた予定が唐突だったわけだし、先約があるならそっちを優先しないとね。
次に私も空いてる日を探しておくから、心配しないで。
えっと……、確か来月くらいなら……」


「ごめん、さわちゃん。
これは私の都合だし、何だったら私抜きで皆で……」


「駄目だよ、りっちゃん!」


悲しそうなりっちゃんの言葉を急に唯ちゃんが止める。
梓ちゃんから離れてりっちゃんの隣にまで駆け寄ると、その手をりっちゃんの手に重ねた。
そのまま真剣な表情でりっちゃんの瞳を真正面から見つめる。


「皆の気晴らしなんだから、皆で行かなきゃ意味無いよ!
次にさわちゃんが空いてる日がいつかは分かんないけど、
もし空いてる日があったら、その日に皆で集まってピクニックしようよ!
絶対絶対、その方が楽しいよ!」


唯ちゃんのその言葉は真剣で真摯で、
その言葉を浴びたりっちゃんは顔を赤く染めた。
照れてるわけじゃないと思う。
きっと嬉しさで顔が紅潮してしまったんじゃないかしら。
それを照れてるというのかもしれないけれど、そんな単純な言葉で片付けられない気もした。
何だか羨ましいわね……。
これはりっちゃんにはいい仲間が居て、いい部長だったって事なのよね。
りっちゃん達はそんな高校生活を過ごせたのよね……。

あ、まずい。
私、今、ちょっと泣き掛けてたわ。
これは駄目よね。教え子達が泣いてないのに、先生の私が泣いちゃうなんて。
もうすぐ終わってしまう私の教え子達の高校生活。
最後まで笑顔で見送ってあげなきゃね。

私は涙をどうにか目蓋の中に隠して、
自分の手をりっちゃんの肩から頭に移動させて笑った。


「そうよ、皆の気晴らしなんだから皆で行かないとね、りっちゃん。
実を言うとね、お恥ずかしながら私のスケジュールは結構ガラガラよ。
だから、またすぐ皆と予定を合わせられると思うわ」


「ごめん、さわちゃん……。
ううん、ありがと、さわちゃん……」


「どういたしまして。
それにしても、次の日曜日に映画って、
またお早い気晴らしの予定だったのね、りっちゃん」


「べ、別に気晴らしの予定じゃなかったってば……。
ずっと聡に構ってやれてなかったから、今の内に家族サービスするつもりだったんだよー……。
それに映画だけなら午前中で終わるし……」


「もう、りっちゃんったら、こんな時だけいいお姉ちゃんなんだから……って。
午前中で終わるっ?
りっちゃん! それを早く言わないと駄目よ!」


「へっ?」


「映画が午前中だけなら、お昼からピクニック出来る時間が十分あるじゃない!」


「で、でも、すぐに皆の所まで追い着ける足が無いって思ったし……」


「それなら大丈夫よ!
りっちゃん忘れちゃった?
私、自家用車持ってるから、すぐに皆と合流出来るわ!」


「でも、それじゃ、さわちゃんが……」


「いいのよ、私も一緒に後から合流するって事で。
皆でピクニックに行くって事が一番大切に事じゃない。
……そうでしょ?」

91: 2012/10/28(日) 18:47:35 ID:gnK2dQKg0
私が言うと、皆が嬉しそうに頷いて、唯ちゃんがりっちゃんの背中から抱き着いた。
本当に嬉しそうに唯ちゃんが笑顔を見せる。


「やったね、りっちゃん!
これで皆揃ってピクニック行けるね!
りっちゃんも一緒にピクニックが出来る事になって、私、すっごく嬉しいよ!」


「あんまり遅くなるなよ、律。待ってるからさ」


「楽しみにしてるね!」


「それまでは聡君に家族サービスしてあげて下さい!」


唯ちゃんに続いて、皆から喜びの声が上がる。
皆、分かってるんでしょうね。
もうすぐ自分達の高校生活が終わってしまうって事を。
だからこそ、残り少ない期間、少しでも皆と楽しい思い出を作りたいのよね。
それは勿論、私だって同じ。
私も自分のではないけど、もうすぐ卒業を経験しなくちゃいけなくなる。
大好きな教え子達との別れを経験しなくちゃいけなくなる。
だから、それまでは、
皆と笑顔の思い出を重ねたい。

92: 2012/10/28(日) 18:48:02 ID:gnK2dQKg0





「ありがとな、さわちゃん」


車内、流していたラジオ番組が丁度終わった頃、不意にりっちゃんがそう呟いた。
りっちゃん達が映画を観終わった後、私達は皆がピクニックしている山に車で向かっていた。
ちなみに聡君はその前に田井中家まで送り届けている。
先を急ぐ身とは言え、その辺の事はきっちりしておかないとね。


「どうしたの、いきなり?」


私は横目でりっちゃんに視線を向けながら、軽い感じに訊ねてみる。
すると、りっちゃんは妙に縮こまって、頬を少しだけ紅潮させて続けた。


「いや、さ。
私が何となく気晴らしって言っちゃったせいで、
さわちゃんや皆に手間掛けちゃったみたいじゃん?
澪が反対するかと思ってたんだけど、まさかあいつも賛成するとは思わなかったんだよな」


「何、言ってるの。
それじゃ、りっちゃんはピクニックに行きたくなかったの?」


「いや、そういうわけじゃないんだけどさ……。
いいのかな、って思っちゃってさ」


「いいのかな、って?」


「皆、大切な時期だって事くらいは私も分かってるんだ。
何だかんだで受験はしなきゃいけないわけだし、将来のためにも大事だもんな。
あの唯だって皆と同じ大学に行くために頑張って勉強してるくらいだしさ。
だから、私の何となくの一言で皆を巻き込んじゃっていいのかな、って思ってるんだよな」


「いいんじゃない?」


「いいのかよ!」


私が軽く言ってみせると、りっちゃんがちょっとだけ普段の様子を取り戻して私に突っ込んだ。
勿論、いつものりっちゃんに戻ってほしくて言った言葉ではあったけれど、それは私の本音でもあった。
タイミングよく、目の前の信号が赤信号に変わる。
私は車を横断歩道前で停めると、左手を伸ばしてりっちゃんのカチューシャに指を沿わせた。


「誰かが嫌がってるんならともかく、皆、乗り気だったでしょ?
受験勉強しなきゃいけない事は分かってる。
皆で揃って同じ大学に合格したい。
でも、それよりも大事にしたい事がある、って事なんじゃないかしら。
それが今回の気晴らしのピクニックだったんだって私は思うんだけど。
一応、先生の私が言う事じゃないんだけどね」


「確かになー……。
それでいいのかよ、私達の担任の先生……」


「いいんじゃない?」


「そっか……、そうだな……。
うん……、いいのかもな……。
ピクニックが終わった後、ちゃんと受験勉強が出来るかはちょっと不安だけどさ」


「何だったら、私が勉強見てあげるわよ。
ほら、私ってやっぱり貴方達の先生だし?」


「それは助かるんだけど……、さわちゃんって勉強出来るのか?
音楽の先生じゃんか」


「私、ちゃんと大学合格してるし、教員免許も持ってるんだけどー……」


「あ、そうだったっけ?
って、うおっとぉ!」

93: 2012/10/28(日) 18:48:27 ID:gnK2dQKg0
りっちゃんが座席にめり込むような体勢になって軽い悲鳴を上げる。
青信号になったのをいい事に、私が車を急発進させたからだ。
私の事をあんまり先生として見てないりっちゃんへのちょっとした仕返しってわけね。
本格的な仕返しじゃなくて、ちょっとした仕返し。
りっちゃんが私の事をあんまり先生として見てない事は、私にとっては嬉しい事でもあったから。


「いきなりアクセル踏むなよ、さわちゃん……!」


りっちゃんが頬を膨らませて口を尖らせる。
私はその様子を横目で見ながら、何でも無い事みたいに返してあげる。


「いいじゃないの。
りっちゃんも早く皆と合流したいでしょ?
だったら、急がないとね。
そろそろお昼時だし、皆もお腹を空かせて待ってくれてるはずよ?
唯ちゃん、憂ちゃんにお弁当を作ってもらうって言ってたから、私も楽しみなのよね。
憂ちゃんの料理、りっちゃんだって大好きでしょ?」


「あー、確かに憂ちゃんの料理は美味いよなー。
その点に関してはさわちゃんに賛成だよ。
皆、憂ちゃんの弁当を楽しみにしてるはずだし、急がなくっちゃな。
まあ、一応……」


一瞬、りっちゃんが言い淀んだ。
背中から下ろして手に持っていたリュックサックに何度か視線を向ける。
リュックサックの中に何か入っているのかしら?
そうは思ったけど、私は何も訊ねなかった。
耳に掛かる髪を掻き上げ、りっちゃんの言い淀んだ言葉の続きを静かに待つ。


「一応、さ……」


躊躇いがちなりっちゃんの声が車内に響く。
私は軽く微笑んでから、首を傾げて小さく応じた。


「一応、何?」


「弁当……、一応、私も作って来たんだ」


「りっちゃんって料理出来たの?」


「言うと思った!」


「冗談よ。合宿の時、ちゃんとした朝食作ってたものね。
どんなお弁当なのかしら?
ピクニックの楽しみが一つ増えちゃったわね」


「そりゃ憂ちゃんの弁当には敵わないだろうけど、結構頑張って作ったんだぜ?
うちの自慢の炊飯器で炊いたごはんのおにぎりも作って来たしさ。
私の何となくの思いつきに付き合ってくれたせめてものお礼って事で」


りっちゃんのその言葉の最後の方は掠れていた。
それから、私から視線を逸らし、車の窓を開いてほんの少しだけ顔を出した。
どうもちょっと照れちゃってるみたいね。
ライブとかは緊張せずに演奏出来るのに、こういう事は恥ずかしがるのよね、りっちゃん。
何だか可愛い。

94: 2012/10/28(日) 18:48:58 ID:gnK2dQKg0
考えてみれば、当然だけどりっちゃんはまだ高三なのよね。
高校三年生、女子高生の小柄な女の子なんだもの。
まだゆっくり成長してる途中なのよね……。
だから、迷うし、変わっていく自分に戸惑っているのよね。
私にもそういう時期があったはずなのに、いつの間にか忘れてしまってた。
ううん、忘れようとしてたのかな。
優しくて大人しいキャラで行こうと思うとどうしてもね……。

でも、幸か不幸か、私は生徒全員に対してそのキャラを貫く事は出来なかった。
あっという間に素がりっちゃん達にばれちゃって、
なし崩し的に軽音部の顧問になっちゃって、皆と放課後にお茶するようになっちゃって……。
楽しかった。
楽しかったなあ……。
望んでた教師生活とは全然違ってたけど、すっごく楽しかった。
何だか軽音部の皆ともう一度高校生をやってるみたいだった。
その生活ももうすぐ終わっちゃうんだなあ……。
本当に不思議。
まるで高校を二回卒業するみたい。

私もりっちゃんに倣って車の窓を開いてみる。
少し涼しさが増したけど、肌寒いってほどじゃないわね。
気持ちのいい爽やかな秋風。
絶好のピクニック日和ってやつかしら。
うん、残り少ない二度目の高校生活、最後まで楽しみたくなって来たわ。


「そういや、さわちゃんもさ……」


りっちゃんが風で乱れた髪を整えて、カチューシャを着け直しながら言った。
そのりっちゃんの表情は照れた様子じゃなく、
寂しそうな表情を浮かべてるわけでもなく、とても自然な表情だった。
りっちゃんの続きの言葉は勿論聞きたかったけれど、その前に……。


「ちょっと待って、りっちゃん」


「えっ?」


「駐車場に到着よ。話の続きは車を降りてから、ね」

95: 2012/10/28(日) 18:49:25 ID:gnK2dQKg0





落ち葉が道路いっぱいに落ちているのに、まだまだ紅葉に溢れている秋の道。
終わりの季節の入口に至った事を予感させる秋の風が私達の髪を撫でる。
その風は寂しさと懐かしさと郷愁を同時に私に感じさせた。
秋はきっと、終わりが近い事を私達に実感させる季節だ。

……それはそれとして。


「なあ、さわちゃん……」


「何、りっちゃん?」


私のすぐ後ろでりっちゃんが声を上げ、私はそれに軽く応じる。
すると、珍しくりっちゃんがかなり不安気な声色で続けた。


「いいのかよ、こんなの?」


「こんなのって?」


「二人乗りだよ、二人乗り!
いくら人通りが少ないからって、これちょっと危ないんじゃないか?」


「若いのにやんちゃが足りないわよ、りっちゃん」


「いや、若さとかやんちゃとか、そんな問題じゃない気がするんだけど……」


言ってから、りっちゃんは見なくても分かるくらいの大きな溜息を吐いた。
そう。私達は今、自転車に二人乗りをしていたりする。
私が漕いで、りっちゃんが荷台に乗っている体勢だ。
りっちゃんの方が体力はあるだろうけど、私達じゃ身長の差もあるし、
流石に小柄なりっちゃんに二人乗りの自転車を漕がせるわけにはいかないしね。
ちなみに自転車は車の荷台に無理矢理詰め込んでいたものだ。
私はちょっとだけ苦笑して、心配そうなりっちゃんに言ってあげる。


「しょうがないでしょ?
皆との待ち合わせ場所は駐車場から結構離れてるんだから。
皆とお弁当を食べるためにも早く合流しないと、でしょ?」


「そりゃそうなんだけどさ……。
最近は二人乗りの取り締まりも厳しいし、
さわちゃんは先生なわけだし、見つかったら怒られるんじゃないか?」


「大丈夫大丈夫。
て言うか、都合よくここって私道だし?
知ってる? 私道なら結構何やってもオッケーなのよ?」


「絶対違う! 全く違う! 氏んでも違う!
万一、ここが私道だったとしても、さわちゃんの私道じゃないから関係ねー!」


「ノリのいい突っ込みをありがと。
まあ、きっと大丈夫よ、りっちゃん。
他に誰も居ないし、坂が多い道ってわけでもないしね」


「そんなもんなのか……?
それともう一つ言いたい事があるんだけど、何か荷台の後ろが前の方に曲がってない?
どうしてこんな曲がり方してるんだよ……。
おかげで座りにくくてしょうがないぞー?」


「うふふ、いい事を教えてあげましょう、りっちゃん。
それはね、あらかじめ曲げておいたの。
荷台の後ろが前の方に曲がってると、当然、重心が前に移動しちゃうわよね?
そうなると後ろの人は必然的に漕いでいる人に掴まざるを得なくなる。
密着せざるを得なくなるわけなのよ。
これ二人乗りをする時の常識だから、覚えておくといいわ」


「うわー、特に知りたくなかった知識を得てしまった……。
つーか、自転車で行くなら二台積んどけばよかったじゃんか。
いや、流石に二台積むのは無理だったのかもしれないけどさ」


「二台は辛いわよ、私の車じゃ。
それに私、自転車は一台しか持ってないもの」


「そっか」

96: 2012/10/28(日) 18:49:55 ID:gnK2dQKg0
りっちゃんは素直に信じてくれたみたいだったけど、実はその言葉は嘘だった。
本当は私は自宅に自転車を二台持っている。
無理をすれば二台とも積めると思う。
でも、私はそうしなかった。
最後になるかもしれないりっちゃんと二人きりになれる機会だもの。
自転車の二人乗りでりっちゃんを身近に感じたかったのよね。
荷台を前に曲げたのは、前好きだった人と二人乗りをするためだったけど……。
その機会は一度も無かったけど……。

あ、何か嫌な気分になってきたわね……。
駄目駄目、今日は嫌な気分を吹き飛ばさないと!
ファイトよ、さわ子!


「何、一人で拳を握り締めてるんだよ、さわちゃん……」


「あれっ? 私、拳握ってた?」


「握ってるよ……。
気を付けてくれよな、さわちゃん。
今のさわちゃんはもうさわちゃん一人だけの身体じゃないんだからさ」


「妊娠したみたいな言い方しないでよ……。
でも、分かってるわよ。
今はりっちゃんの安全を任されてる立場だものね、気を付けるわ」


「そりゃよかった」


りっちゃんはそう言った後、しばらく口を閉じた。
私も口を閉じて、腰に回されたりっちゃんの腕の温かさを感じる事にした。
りっちゃんの体温をじっと感じる。

そういえば。
私が軽音部の中で一番身体的なスキンシップを取ったのもりっちゃんだったわね。
りっちゃんがいつも生意気な事を言うからでもあるけど、
ほっぺを抓ったり、コブラツイストしたり、チョークスリーパーしたり、色々やったものよね。
先生としては褒められた事じゃないけど、何だか懐かしい。

道路が終わり、砂利道に入る。
少しだけ強い風が吹き、落ち葉が舞い、紅葉が踊る。
私達の別れを告げようとしているかのような寂しさを含んだ秋風。
切なさが胸に生まれ、心が震える。

私と同じ様な事を考えたのか、私の腰に回されたりっちゃんの腕に力がこもる。
女の子の柔らかさを背中に感じる。
小さいけれど、確かな膨らみが私を包む。
その膨らみは少しだけ震えてるようにも思えた。
不意に、りっちゃんが小さく言葉を口にした。


「なあ、さわちゃん、さっきの話なんだけど……」


「さっきの話?」


「駐車場に着く前に私が話そうとしてたやつだよ。
忘れちゃった?」


「まさか。
ちゃんと覚えてるわよ。何の話なの?」


「うん……、ちょっとさわちゃんに聞きたい事があってさ。
なあ、当たり前だけど、さわちゃんも高校生だったんだよな?」


「そりゃそうでしょ。高校生すっ飛ばして先生になんかなれないわよ。
大体、りっちゃん達、私が写ってる卒業アルバム見てるじゃない」


「分かってるって、単なる確認だよ。
それで質問なんだけどさ、さわちゃん、高校を卒業する時ってどうだった?
寂しかった? それとも、大学に入るワクワクの方が大きかった?」


「そうねえ……。両方……かな?
皆と会えなくなるのは寂しかったけど、大学生活に憧れてもいたしね。
ちょっと前話したと思うけど、好きな人と同じ大学でのロマンスに憧れてたものよ」


「あー、さわちゃんが振られたっていう……」


「そこには触れないでほしいわね。
でも、結果的によかったとも思ってるのよ?
先生って職業に就けて、こう言うのも何だけど貴方達とも会えたわけだしね」


「えっ……」

97: 2012/10/28(日) 18:50:23 ID:gnK2dQKg0
りっちゃんが意外そうな声を上げる。
うーん……、私の言葉にしては気障過ぎだったかしら?
でも、本音でもあるのよね、この言葉は。
私は軽音部の皆に会えてよかったって思ってる。
気が抜ける場所が出来たってのもあるけれど、
それ以上にもう一度高校生活を過ごさせてくれた事が本当に嬉しかった。
二度高校生活を送る事で、先生として少しは成長出来た気がする。


「私も……、さわちゃんと会えて面白かった……よ」


りっちゃんが掠れた声で呟いて、「ありがと」と私が返した。
それから手を後ろに伸ばして、りっちゃんのカチューシャに指を這わせる。
大切な私の教え子。
もうすぐ離れ離れになる歳の離れた……友達。
だからこそ、私は自分の想いを伝えておきたいって思った。
静かに口を開いて、想いを言葉に乗せる。


「高校を卒業しても、貴方達なら大丈夫だって思うわよ?
だって、大学でも一緒に居たいくらい、皆の事が大切なんでしょ?
だったら、そんなに卒業を不安に思わなくても大丈夫。
貴方達ならどんな所でものほほんまったりふわふわと元気にやっていけるはずよ」


「何だよ、のほほんまったりふわふわってー……。
それ、ほとんど唯のイメージじゃんかー……」


「そう?
私は貴方達全員に言える事だって思うけどねー」


「くっ、風評被害だ……。
でも、サンキュな、さわちゃん。
さわちゃんがそう言ってくれて、ちょっと安心出来たよ」


「いいのよ。だって私、先生なんだから。
生徒が気弱になってたら、後押ししてあげるのが先生の役目でしょ?」


「べ、別に気弱になんかなってないって!
ちょっと不安だっただけだって!」


「ま、そういう事にしておいてあげましょうか」


「何だとー!」


りっちゃんが怒ったみたいな声を上げて、でも、その声はすぐに笑い声に変わる。
一緒になって私も笑い声を上げる。
不安だったのはりっちゃんだけじゃない。
私だって軽音部の皆が卒業する事が不安だった。
自分が高校に残される立場になるなんて、思ってもみなかったもの。
皆が居なくなっても、ちゃんと先生をやれるか不安が無いって言ったら嘘になる。

でも、今、一番不安なのはきっと軽音部の皆だから。
私よりもずっと不安なのは間違いないから。
私は、頑張ろうと思う。
私は年上で、先生だから。
少しでも皆の役に立てれば、凄く嬉しいから。


「私達が卒業したらさ……」


りっちゃんが私の腰に回す腕に力をまた込めて言った。
でも、その腕はもう震えていなかった。


「梓の事、頼むな、さわちゃん。
私が不甲斐ないから梓に後輩を作ってやれなくて、
来年、あいつを一人ぼっちにしちゃう事になっちゃったんだ。
その私が言うのもおかしいかもしれないけど、梓の事、支えてほしい」


後輩が作れなかったのは、別にりっちゃんのせいじゃない。
この子達は必氏に努力していたし、他に後輩が出来なかったのは巡り合わせの問題もあると思う。
そもそも私は二年前、廃部寸前の軽音部を気にしながらも、自分で動こうとはしなかった。
何とかなるだろうし、何とかならなければそれでもいいか、なんて思ってたのよね。
今はそれを後悔していて、同時に軽音部を存続してくれた皆に感謝してる。
だから、私はりっちゃんの言葉に素直に頷いた。
今度は私も一緒に軽音部を守っていく番よね。

98: 2012/10/28(日) 18:51:19 ID:gnK2dQKg0
「分かったわ。任せて、りっちゃん。
梓ちゃんと一緒に新入部員探すわ。
でも、きっと梓ちゃんなら大丈夫だと思うわよ。
あの子、しっかりした子だし、意外といい部長になるんじゃないかしら。
勿論、梓ちゃんが困った時は手助け出来たら、って思っているわ。
そんなに気になるなら、りっちゃんもたまに顔を出してあげたらどう?
OGが部室に顔を出すのって、そんなに珍しくないわよ?」


「実は私もそれを考えたんだけどさ、
皆と話し合ってそれはしないって決めたんだよな。
そんなの梓は喜ばないと思うんだ。
梓を見てて、思うんだよ。
あいつは一人で軽音部を引っ張ってく決心をしてくれてるんだって。
一人でもやってやるって決めてるんだって。
あいつの演奏とか、最近の態度とか見てたら分かるよ。

だからさ、あんまり顔を出さないつもりなんだ。
あいつが頑張ろうとしてくれてるのに、それに私達が関係しちゃ台無しってもんだろ?」


「そうね……、そうかもしれないわね……」


少し寂しいけれど、りっちゃんがそう言うんなら、私もその意志を尊重するべきよね。
りっちゃん達は迷いながら、不安を抱きながら、それでも未来について考えてる。
やっぱり成長しているのよね、どの子も。
のんびりだけど、少しずつ……。
だったら、私に出来るのは、卒業まで皆と楽しい思い出を作る事だけなんだろう。
作ってあげたい、軽音部の皆の卒業と、私の二度目の卒業の日まで。

そうと決まれば、
もう、
皆で不安になってるのなんて、
すごく勿体無いわ!


「それじゃ、早く皆の所に行かなくちゃね!」


脚に今まで以上の力を込めて、自転車のペダルを踏みしめる。
早く皆に会いたくて仕方ないわ。


「おっ、急にやる気だなー、さわちゃん。
よっしゃ! 唯に憂ちゃんの弁当を摘み食いされない内に急ごうぜ!
私のだって見劣りするかもだけど、ちゃんと食べてやってくれよな!」


「了解よ、りっちゃん!
りっちゃんのお弁当も楽しみにしてるわ!
さあ、飛ばすわよー!」


「おーっ!」


そう言って、私達は笑顔で皆の下に急ぐ。
前に進んでいく。
秋風が吹いて、私達の卒業が近い事を告げる。
卒業って別れが私達の間近に迫っている。
でも、上等よね。
終わりが近いってんなら、それまで皆で楽しい思い出を作ればいいだけなんだから。

私の二回目の卒業の日、もしかしたら私は泣いてしまうかもしれない。
溢れる涙を抑え切れなくなるかもしれない。
それでいいんだと思う。
その涙こそ私達の思い出が大切だったって証拠なんだもの。

寂しさと不安を含んだ秋の風。
だけど、私はその風に爽やかさと不思議に心が躍るのを感じながら、皆の下に急いだ。
今日は皆との最後になるかもしれないピクニック。
だからこそ、りっちゃんと、皆と一緒に思いっきり楽しまなくちゃね!

99: 2012/10/28(日) 18:51:48 ID:gnK2dQKg0





「ちょっ……! さわちゃん!
あんまり飛ばし過ぎると髪が……!
さわちゃんの髪が目とか口に入る……ッ!」


「ご、ごめんね、りっちゃん!
すぐ髪、結ぶから待ってて!」


自分の中でカッコよく決めたつもりが、すぐにボロが出ちゃったわね……。
成長してるんだか成長してないんだか……。
でも、そっちの方が私達らしいかもね。
それに、まだまだ成長途中の方が楽しみが残ってる気がしてお得じゃない?
だから、これからもカッコ付かなくても、ファイトよ、さわ子!

ううん、そうじゃないわね。



ファイトよ、皆!

100: 2012/10/28(日) 23:12:52 ID:3M0wHkDU0

感動しちゃった

引用: 唯「今年の秋は何欲かな?」